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      寸感・雑記=   




    コロナ予防対策についての共同宣言 (2021.01.28)


 中部大学の大門正幸教授(「参考資料 38」 に紹介)からメールをいただいて、東大名誉教授の矢作直樹さん等7名の医師、大学教授が「新型コロナ感染症予防対策についての共同宣言」を出していることを知りました。この宣言のなかでは、「新型コロナウイルスの脅威は、実際に多くの人が感じているより圧倒的に低く、私たちの生活様式が変更されなければならない程の死の脅威は存在しない」 と述べられています。そして、「これは無責任で荒唐無稽な仮説でもなければ、陰謀論に傾倒した空想でもなく、検証可能なデータが示す客観的事実」であると、付け加えられています。

 その「客観的事実」として、「宣言」が挙げているのは、つぎのようなデータです。

 新型コロナウイルスのPCR検査の実施件数は、4,050,466件(12/1現在)
 新型コロナウイルス感染症の感染者(PCR検査陽性者)148,694人のうち
  死亡者は2,139人
  入院治療等を要する者は21,056人
  退院又は療養解除となった者は125,470人

 インフルエンザの患者 毎年推定1,000万人のうち
  2019年度の感染者数728.5万人
  死亡者数3,325人

 そして、「宣言」はこのデータをこう解説しています。

 《新型コロナウイルスによる死亡者とされる人数は、インフルエンザより少なく、2/3程度。肺炎の1/44。交通事故死亡者数はコロナ死亡者の約2倍。転んで亡くなる方の人数の方が多いというのが現実です。
 インフルエンザに関して言えば、毎年2000万人がワクチンを接種するにもかかわらず、非常に発症が少なかった2019年でさえ、新型コロナウイルス感染症の約50倍の、728.5万人もの人々が感染し、新型コロナウイルス感染症の死亡者を超える3,325人の方々が亡くなっています。》

 「宣言」では、PCR検査による陽性者認定にも科学的根拠からその実効性に疑問を投げかけていますが、こういう専門的な根拠については、医学的知識のない一般の人々には、なかなかわかりにくい面もあります。しかし、マスクの着用が、「ウイルス感染予防・伝搬予防効果がないばかりか、健康を阻害するリスクの方が高い」 と、この「宣言」で指摘されているのには考えさせられました。私なども日常的にマスクを着用していますが、それは意味のないことなのでしょうか。ここでは、その根拠をこう述べています。

 《ウイルスの大きさ(0.1μm)、飛沫の大きさ(5μm~)に対し一般的なマスクの網目は遥かに大きく、ウイルスを止めることができない。大きなツバの塊を止めることはできるが、空気感染・接触感染・媒介物感染に対しては無意味である。マスクさえ着用していれば感染予防になるという大きな誤解は他の対策がおろそかになることにも繋がり、かえって危険である。
 マスクは空気中のゴミ、雑菌、ウイルス、口腔内からの細菌等を集積し溜め込むフィルターであり、国民が正しい着用方法を理解しないままで長期間に渡って同じマスクを着け続け、そのマスクを触れた手指で他への接触や食事をしている現状は感染拡大防止の観点から見ても逆効果である。
 人は、約21%の酸素濃度の空気を吸い込み(吸気)、肺で酸素を体内に取り込んで約15%の酸素濃度の空気を吐き出す(呼気)。通常、16%の酸素濃度を吸い始めると酸欠の自覚症状が現れ、10%以下で死の危険が生じる。
 マスク内部には自分の体内から放出された二酸化炭素や不要物質が溜まり、それをまた吸い込んでいるので慢性的な酸欠状態となり様々な不調や免疫力低下の原因となる。》

 この「宣言」に名前を連ねているのは、つぎの7名の方々です。

  武田邦彦 中部大学特任教授
  吉野敏明 歯科医・歯周病専門医、日本歯周病学会指導医、評議員、歯学博士
  大橋眞  徳島大学名誉教授、モンゴル国立医科大学客員教授、免疫生物学専門家
  矢作直樹 東京大学名誉教授、(前東京大学医学部附属病院救急部集中治療部部長)
  藤井聡  京都大学大学院工学研究科教授
  内海聡  Tokyo DD Clinic院長、NPO法人薬害研究センター理事長
  井上正康 大阪市立大学名誉教授(分子病態学)、 FMTクリニック院長

 日本政府ならびに各自治体、およびメディア関係の人々に対する提案として出されたこの共同宣言の全文は、http://www.werise.tokyo/declaration/ で読むことができます。 コロナウイルス感染拡大の実態を正しく理解するためにも、ご一読をお勧めしたいと思います。

 シルバー・バーチは、「取り越し苦労は最悪の敵で、精神を蝕む」と言っています。医学的にも、大きな不安や心配は、私たちの心身を蝕む猛毒の作用を及ぼすことが実証されているようです(「学びの栞」(B)9-a, 9-c など参照)。そのような負の感情は、私たち一人一人に備わっている肝心の自己治癒力や免疫力をも損ねてしまいかねません。世界中で感染者が1億人を超え、日本でも 2度目の緊急事態宣言が出されて3週間になる現在のコロナ禍のなかでは、私たちも、いわゆる「三蜜」を避け、逆効果にならぬようマスクも正しく着用して、手洗いを励行するなどの配慮は、もちろん必要でしょう。しかし、過度の不安や怖れでネガティブに畏縮してしまうことなく、心身の健康維持に気を配りながら、この難局をみんなで元気に乗り越えていきたいものだと思います。



  本年から、「霊訓原文」のスペースを利用して、「寸感・雑記」の項目を新しく加えることにしました。
     「寸感・短信」の続編ですが、「随想集」「身辺雑記」のスペースが既にいっぱいになっていますので、
     この項目に従来の「随想集」「身辺雑記」を含めて、「寸感・雑記」としました。





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    この世で生きていくということ
         ― 五木寛之 『大河の一滴』 を読んで考える ―    (2021.02.22)


 五木寛之『大河の一滴』(幻冬舎文庫)という本がある。1998年4月に刊行されて以来、ロングセラーとなって読み継がれてきたエッセイ集である。この本は、第1ページの1行目に、いきなり、「私はこれまで二度、自殺を考えたことがある」と書き出されていて、「最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった」と続く。中学一年生の時に朝鮮の平壌で敗戦を迎え、38度線を越えて日本へ引き揚げるまでの凄惨な体験や、引き揚げ後の九州の田舎の生活では、履いていく靴がなくて下駄で通学し、雨の日は、裸足であったことなども、赤裸々に綴られている。

 五木さんは、昭和7年(1932年)生まれだから、今年で 89歳になる。私より 2歳若い。私も敗戦で無一文になった貧乏暮しは経験しているし、焼け跡の広がる大阪での苦しい飢餓状態も身に染みて体験している。田舎の親戚の家へ行って、白い米のご飯を半年ぶりに口にした時には、ゆっくりと噛んでいるうちに、ひとりでに涙がぽろぽろとこぼれ落ちたこともあった。五木さんは、後に、東京で大学生活を送るようになっても、「アルバイトの連続で、まともに学校へも行けなかった」と書いているが、私も同じである。新宿あたりの焼け跡整理の日雇い労働や、会社の臨時雇い、倉庫番、家庭教師などのアルバイトで明け暮れて、結局、最初の一年は大学も留年せざるを得なかった。私たちの年代の者は、満州事変から始まる日中戦争、太平洋戦争で、少年期を戦時色一色のなかで過ごし、敗戦後も戦争の惨禍の後遺症を長く引き摺って生きてきたといえる。

 しかし、その日本での生活も、1950年代に入ると、朝鮮戦争による特需以来の経済発展で、少しずつ庶民は貧困から抜け出していった。特に1954年(昭和29年)から1973年(昭和48年)までの約19年間は、「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と呼ばれる好景気が立て続けに発生して、国民総生産(GNP)も、当時の西ドイツを抜き世界で第2位となった。それが、戦後初めてのマイナス成長を経験することになるのは、1973年10月の第四次中東戦争をきっかけに原油価格が上昇した「オイルショック」によってである。高度経済成長時代は終焉を迎えて、その後は、1991年 2月のバブル崩壊に至るまでの安定成長期へと移行する。そして、ついこの間まで、「失われた20年」といわれる低成長期が続いた。

 このような社会の変遷のなかで、日本では、長い間、戦争を経験することもなく平和であった。生活水準も上がり、人々は飽食し、住居にはモノが溢れて、若者も女性も車を乗り回すことも当たり前のようになった。しかし、だからといって、私たちは幸せになったといえるのであろうか。表面的には、衣食住に不自由はなく、人々が豊かな生活を享受しているようにみえることがあっても、それとは裏腹に、社会のあちらこちらで深刻な心の貧しさが、さまざまに影を落としているようにも思える。五木さんが、この本を書いたのはもう20年以上も前のことだが、その頃の日本でも、決して、明るい平穏な日々が続いていたわけではない。

 その当時は、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、政財界の混乱、バブル崩壊からいまだに立ち直れない経済、さらに神戸では中学生による小学生殺害事件と、世紀末を象徴するような出来事が続発していた。モノ優先の社会のもろさを図らずも露呈した阪神・淡路大震災のあと、経済的繁栄に抱いていた不信感が一気に噴出して、人々は内面的な豊かさ、いわば、心に目を向けるようになったと思われた。ところが「心の時代」という言葉がひろがりはじめた矢先に、こんどはオウム真理教による地下鉄サリン事件に遭遇する。心というものにも、人びとは不安を覚えるようになった。モノも頼りにならない。しかし心も危ない。ではどうすればいいのか、と人々は迷い始めた時代でもあった。

 モノが豊かになっても、心は豊かにならない。むしろ、モノが豊かになればなるほど、心の闇も深くなっていくことさえある現実を、私たちは思い知らされてきたのではないか。20年前には、20年前の闇があり、現在には現在の闇がある。社会の一部に暗い蔭を宿している事態は、今も変わらない。

 今の日本も、世界では経済大国といわれる豊かな社会であるには違いないが、庶民の多くに至るまでその恩恵を受けて、幸せに生きているわけではない。2011年 3月の東日本大震災の後遺症もまだ残っている。政治の上では、安倍政権による「特定秘密保護法」や「国家安全保障法」の数を頼んでの強引な成立、「モリ・カケ・サクラ」で暴かれた権力乱用と120回以上に及ぶ首相による嘘の国会答弁、元法相夫妻の参院選での買収容疑などが続いた。その一方では、各地で頻出する幼児への虐待、相模原市の障害者施設における現職員による 19人の殺害、36人を死亡せしめた京都アニメーション放火事件、或いは、72歳の父親が 35歳の長男を殺すなどの、子供の障害や病気に悩む親による殺人・心中事件などの悲惨な事件が後を絶たない。

 経済大国と言われている今の日本にも、その社会の片隅には依然として眼を背けたくなるような悲惨な状況が潜んでいるのである。その闇の深さを示す一つの指標が日本国内の自殺者の数字であろう。五木さんも、この本のなかで、「自殺の流行は世界的風潮ですが、問題は貧困と戦乱の巷にあるような地域よりも、物質的繁栄を享受し、福祉がゆきとどき、経済大国として世界をリードしている日本のような国で、年間 2万 3千人以上の自殺者が出ているという事実です」と、その現象の特異さについて述べている。

 厚生労働省の統計によると、自殺者数は、1983年及び1986年に25,000人を超えたものの、1991年には 21,084人まで減少し、その後 2万人台前半で推移していた。しかし、1998年に32,863人となり、さらに 2003年には、最多の 34,427人となった。その後、2010年以降は減少を続けており、2015年には 24,025人で、急増前の 1997年以来の水準となった。それからも減少傾向が続いていたが、昨年、2020年には、おそらく、新型コロナウイルスの感染拡大による経済悪化の影響などもあって、また上昇し、20,919人となっている。死因では、これは第7位で、8位の肝臓病より多い。2020年度の交通事故死者数 2,839人に較べると 7.4倍にもなる。コロナウイルスの感染が国内で初めて確認されたのは、昨年の 1月16日であったが、それ以来、一年間の死亡者は、6,300人ほどである。その間の自殺者の数はそれよりも 3倍以上も多い。

 とりわけ重大なのは、日本では、若い世代の自殺者が際立って多いということである。15歳~39歳の各年代の死因の第1位は「自殺」であるという。その下の、10~14歳においても、1位の「がん」に続く 2位となっている。先日の新聞でも、2020年に自殺した小中高校生の数が、コロナの影響もあって、前年比で約 4割増しの 479人であることが大きく報じられていた。(「朝日」2021.02.16)

 厚生労働省によると、こうした状況は国際的に見ても深刻であり、15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進国では日本だけであるらしい。同省の白書では、フランス・ドイツ・カナダ・米国・英国・イタリアの6か国のデータとの比較も掲載されているが、自殺の死亡率(人口10万人あたりの死亡者数)は、ドイツで 7.7、米国で 13.3、英国で 6.6などだが、日本は 17.8と格段に高い傾向にある。

 かつて、二度自殺を考えたことがあるという五木さんは、この著書で、日本の自殺者の数を、民間の戦争犠牲者の数と比較している。満州事変から、日中戦争、そして太平洋戦争へと続いた「十五年戦争」で亡くなった非戦闘員の数は、広島、長崎、沖縄戦、東京大空襲などによる死者などを含めて膨大な数になる。正確な人数は掴めていないが、ある統計では、672,000人となっているらしい。この数に対する自殺者の数を対比して、その深刻さを、彼はこう述べている。

 《機関銃の弾も飛んでこなければ空襲もないいまの日本で、年間 2万3千人以上も死者が出て、年間 10万人もの人が自殺を試みている。死者だけでも 30年たてば 70万人以上になる可能性がある。さらに死にたいと思いながらも、死への恐怖や苦痛に対する恐れ、残された者たちへの配慮などから自殺に踏み切れない人たちが、自殺する人たちの 10倍はいるといわれていますから、その裾野の広さは驚くべきものでしょう。これは見えない戦争というしかありません。》(前掲書、p.295)

 世のなかには、心が温まるような明るい話題も決して少なくはないから、このように、自殺などの暗い面ばかりを見てはいけないであろう。しかし、世間の常として、私たちの身のまわりには、気が滅入るような様々な出来事も否応なく耳目に入ってくる。前にも触れたが、戦前の悪名高い「総動員秘密保護法」を連想させる「特定秘密保護法」や戦後の平和を支えてきた憲法9条の法体系を抜本的に変質させてしまう「国家安全保障法」などの強引な成立、さらには、貧富の格差をますます広げているような経済のあり方への疑問や不信などから、環境破壊や自然災害の増加などに至るまで、日本の平和と安全のためには、決して安易に見過ごしてはならない世の中の流れや風潮もある。

 私には、子どもの頃のひとつの記憶がある。1941年12月8日に太平洋戦争が始まった時、私はまだ小学校 5年生であった。初めのうちはハワイの真珠湾軍港を奇襲して戦果を挙げたりしたが、早くも、翌年の 6月のミッドウェー海戦では、日本海軍は、投入した空母 4隻とその搭載機約 290機の全てを喪失するという大敗北を喫した。しかし東京の大本営は、それをひたすらに隠して、その後も、ありもしない「赫赫たる戦果」を発表し続けた。日本軍が撃沈、撃墜したはずの米空母や艦船、航空機の数字を、新聞に発表されたのを足していくと途方もない数になって、それらが嘘であることは子ども心にも感じられたし、一方では、米空軍による日本本土空襲が現実になってきていた。このままでは国が滅んでしまうのに、なぜ大人たちは黙っているのだろうと不思議に思ったことを覚えている。

 それから 70数年を経て、いまの私は、その「大人」になって久しい。その間に、軍国主義は民主主義になり、世の中は大きく変わったが、私たちは、戦前戦中とは異なる、また別の、さまざまな社会の不条理や退廃に晒されるようにもなった。このまま進んでいけば将来はどうなっていくのだろうと、次世代へのいささかの危惧を感じさせられることもしばしばである。

 例えば、日本の食糧自給率ひとつをとってみても、カナダの 264パーセント、アメリカの 130パーセント、フランスの 127パーセントなどに対して、先進国では最低の 38パーセントでしかない。自分で作るよりは外国から買う方が得だというわけで、ついこの間までは、農政は米作農家に減反を強いてきたりした。その一方で、世界では 9人に 1人が飢餓に苦しみ、5秒毎に 1人の子どもが餓死しているというのに、日本では、「大食い競争」なるものが横行し、まだ食べられるのに捨てられてしまう「食品ロス」が、年間で 612万トンにも上っている。(農林水産省2017年推計。これだけあれば、1億人に茶碗一杯ずつの食料を供与できるという。) これらも、醜悪な、目に余る現実である。敗戦後の食料不足で、日本人の1,000万人が餓死するといわれていた時に、米占領軍の配慮による小麦粉や雑穀の緊急輸入で辛うじて生き延びてきたことなどは、もうすっかり忘れ去られてしまったようにみえる。

 小さいことかもしれないが、むかし、社会評論家の大宅壮一が、テレビの普及で、「一億総白痴化する」と言ったことがある。「一億総白痴化」は、一時、流行語になった。いまは何といえばよいのであろう。ことばや風俗の乱れ、倫理観の衰頽は覆うべくもない。民放の一部にみられる騒々しいだけのドタバタ劇などは論外であるとしても、近頃はNHKにも、悪影響が懸念される見苦しい番組が現われるようになった。純粋無垢であるはずの 5歳の女の子の人形が、大人に向かって平気で名前を呼び捨てにし、「ボーと生きてんじゃねーよ!」と汚い罵声を浴びせている。そして、そんな醜悪な人形に、見識のない大人たちが、「5歳なのに・・・さすが・・・」などと、わざとらしい、歯がうくようなお世辞で応えたりする。(ついでながら、わざわざ "Don't sleep through life" という訳語が付け加えられているが、これではこのことばの汚く下品なののしりの口調は伝わらない。ほとんど誤訳に近い。) 視聴料を徴収している公共放送が、こんな愚劣な番組を日本中に流してもいいのかと、嫌悪感を禁じ得ないのである。このような頽廃的な状況が重なってくると、それならば、国民の一人として、なぜ声をあげようとしないのか、という自責の念に駆られることもないわけではない。この本の著者も、そんな感じが抑えられないようである。しかし彼は、こう書いている。

 《いま自分が生きている時代をどう見るかは、その人その人の立場による。現在の政治や、経済や、医療や、教育のことを考えると、私にはひどいことになっているなあ、と、もはやため息すら出ない感じがする。いちいち例をあげるまでもない。筆にするだけでも気が滅入ってきそうだ。
 しかし、そのことについて、私はこれまで大声で嘆いたり、激しい批判の文章を書いたことがほとんどない。せいぜいがぶつぶつ独り言のようにつぶやき、皮肉っぽい言葉を吐くくらいのものだった。たぶん、自分もその濁世の汚水のなかを泳いでいる一匹の雑魚ではないか、といううしろめたさが心の隅にわだかまっているからかもしれない。》 (同書、pp.51-52)

 考えてみると、世の中が「ひどいことになっている」のは、20年前やいまの社会だけではない。いつの世でも、何処でも、それはみられた。仏教では、この世を「五濁悪世」と観じ、かつては親鸞も、『歎異抄』の中で「地獄は一定すみかぞかし」といった。この世の栄枯盛衰では、『平家物語』の冒頭の句「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」などが思い出される。人生の儚さでは、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で始まる『方丈記』の、「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし」ということばも、頭を掠める。世の中で生きていくということは、いずれにせよ、このような諸行無常のなかでの苦しみや悩みに身を晒すことである、といえるのかもしれない。五木さんは、それを、この本のなかで、つぎのように書いた。

 《人間の一生とは本来、苦しみの連続なのではあるまいか。憲法が基本的な国民の人権を保障してくれたとしても、それは個人の心の悩みや、「生老病死」の問題まで面倒をみてくれるわけではないだろう。
 人は生きていくなかで耐えがたい苦しみや、思いがけない不幸に見舞われることがしばしばあるものだ。それは避けようがない。憲法で幸福に暮らす権利と健康な生活をうたっているのに、なぜ? と腹を立てたところで仕方がない。まず、人生というものはおおむね苦しみの連続である、と、はっきりと覚悟すべきなのだ。》 (同書、p.18)

 五木さんは、悩み苦しむ人たちの気持ちに寄り添い、仏教や浄土思想などについても多くの優れた著作を世に出してきた。この本でも、自分が子どもの頃から苦労してきた体験を基にして、この世で生きていく心構えのようなものを懸命に読者に伝えようとしている。その誠意と善意は疑うべくもなく、敬意を表することにもやぶさかではないが、ただ、このような彼の文に接していると、この世では、夢も希望もなく、苦しみや悲しみが付き纏うだけのようにも思えて、ちょっと寂しい。「人生というものはおおむね苦しみの連続であると、はっきりと覚悟すべき」というのは、わからぬでもない。しかし、それだけでは私たちは救われないのである。未来に向かっての、もっとポジティブな展望は持てないものであろうか。

 ただ、そうはいっても、私自身がかつてそうであったように、一般の多くの人々の思考は、ここで行き詰まりになって、おそらくそれ以上は進まない。世の中はそういうものだと、諦めるしかないのであろう。あとは「神頼み」で、人々の無力感の前にはどうしようもない大きな壁が立ちはだかるだけである。その状況は、五木さんの場合も、この本で示されている限りでは、例外ではない。どうしたら、その壁を乗り越えられるか――。 ここで必要になってくるのが、霊的視野でのアプローチである。

 そもそも、私たちは何のためにこの世に生まれてきたのか。苦しむだけで、その先の展望が少しも開けないとするならば、生まれてくるそのこと自体が不幸そのものになってしまう。人はそんな生まれ方をするものであろうか。世間の常識では、この疑問に答えられない。さまざまな宗教で述べられている教説でも、納得できる答えを見つけ出すのは容易ではないであろう。おそらくそれは、私たちが自分の本質を見失っているからである。人は、本来、霊を伴った肉体ではなく、肉体を伴った霊である。だから、霊としての霊的視野で捉えるのでなければ、この世での生活の真実の姿も見えてこないのである。

 ここで、決定的に重要なのは、私たちはこの世だけを生きているのではない、という事実の認識であろう。私たちは、これまでも数多くの生と死を繰り返してきたし、これからも、何度も何度も、生まれ変わっては、新しい人生を生きていく。そのようないのちの在り方の真実を、私たちは、シルバー・バーチから、或いは、他の霊界の多くの指導霊たちから学んできた。厳然として存在する宇宙の摂理についても、何度も教えられてきた。そして、生とは何か、死んでから何処へ行くのかという究極の問題も、私たちなりに理解できるようになっている。私の場合はそれを、近著の『生と死の真実を求めて』(「参考資料」No.60)でも触れてきた。私個人の、極限の悲しみであった妻と子との死別も、霊界の大いなる力の導きであったことを知って、初めて無明の闇から脱け出すことができたことも、そのなかで述べた。

 私はこの小著を、一昨年の10月、自分の人生の締めくくりとして書いたのだが、その後、新型コロナ・ウイルスの感染拡大が起きて、私たちは「百年に一度」といわれる新たな「苦しみ」に直面するようになった。一年を経た現在も、気が滅入るようなニュースが巷に溢れ、東京、大阪、神奈川などを含む10都府県では、2度目の「緊急事態宣言」が、まだ解除されていない。しかし、おそらくこの状況も、「苦しみの連続」として捉えてはいけないのであろう。ネガティブな受け止め方をすれば、それだけで気力が削がれて、私たちが体内に持っている折角の免疫力も低下してしまう。

 この世の「苦しみ」とは、いわば、実態のない仮象である。その本質は、それぞれに克服していかねばならない一つの体験であり、霊的視野で捉えていけば、克服することによって未来への展望が拓けて、つぎの世の人生設計のための確かな礎石になる。私はいま、五木さんのいう「苦しみの連続」の「仮象」にそのまま引きずり込まれないためにも、改めて、つぎのような、シルバー・バーチの教えの一端を思い起こしている。

 先ず第一に、私たちは、自分で、親を選び、育っていく環境をも選んで、この世に生まれてきた。苦しむだけの人生であれば、私たちには自由意思が与えられているから、自分の理性で判断して、この時代のこの場所に生まれてくることは選択しなかったはずである。

 第二に、悩みや、苦しみにはそれぞれに意味がある。この世で体験するそれらは、すべて自分の霊的成長のための貴重な教材として、生まれる前に、自分が選んできたものである。だから、乗り越えられない悩みや苦しみはない。乗り越えられないものを自分で選ぶことはないからである。

 第三に、宇宙の摂理は完璧で、一人ひとりの人生に不公平は絶対にない。この世では、輪廻転生の永遠の生命の一こまを生きているが、そこでの体験で仮に「不公平」と思われることがあったとしても、それも、実は、霊的成長のために必要な教材の一つであるにすぎない。必要な教材としての体験だから、本当は、自分にとっては望ましく、いい体験なのである。つぎの人生では、その体験を活かして、また別の、必要な「いい体験」をすることになるであろう。

 自分の霊性の発達にとって、どういう体験が大切であるかの判断は、この世の私たちには出来ないのだと、シルバー・バーチはいう(「学びの栞」(A)18-zzj)。この世への誕生の際には、肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に閉じ込められてしまうからである。(『霊訓 ⑴』p.38) 短い一瞬のこの世での体験は、永遠の全体像のなかではごく限られた一部でしかなく、「瞬間」からは「永遠」の実像は見通しえない。だから、この世での私たちの判断は歪み、しばしば、「楽しみや希望」を「苦しみや絶望」として捉えてしまう。本来、「平穏と喜び」であるものも、「波乱と悲しみ」に変形してしまうのであろう。霊的存在である真実の私たちの姿は、もともと、苦しみや悲しみとは無縁である。永遠の生命のなかで、一人の例外もなく、速い、遅い、の違いはあるかもしれないが、光を目指して歩んでいる神の子だからである。

 最後にもう一度、このコロナ禍の重圧のなかで本稿を読んでくださっている皆さんと共に確認しておきたい。私たちのこの世での生活は、決して、単なる「苦しみの連続」なのではない。激しさを増す競争社会のなかで、自分だけが一方的に、不公平、不利益を負わされているわけでもない。だから、他人を羨む何の理由もない。いま私たちがこうしてこの世に生きているのは、自分にふさわしい様々な喜怒哀楽の体験と学びを通して、自分自身の着実な霊的進歩を目指していくためである。そして、それはまた、私たちのつぎの生への、明るい、幸せの展望に繋がっていく希望の歩みの一こまであることを、改めて肝に銘じておきたいと思うのである。




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     ある日の新聞の記事から            (2021.03.25)


 先週の3月17日の朝日新聞の記事のなかから、目に留まった三つの文章のそれぞれの一部を抜き出してみたいと思います。

 まず今夏のオリンピック開催についてです。
 現在、コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が、1都3県でやっと3月21日に解除されましたが、感染対策専門家の間では、まだ感染リバウンドの可能性については楽観できないでいるようです。オリンピックについても、海外客の入国は認めないことにして、聖火リレーも今日スタートの予定ですが、国内の観客だけで入場制限をして実施されることになるのでしょうか。
 このようなコロナ禍の状況のなかで、朝日新聞編集委員の駒野剛氏は、「終える至難に立ち向かうとき」と題して、つぎのように、開催を諦めることを説いています。(「多事奏論」欄)

 《いま、菅義偉首相の最大の使命はコロナ禍を終わらせることである。ワクチン接種を遅滞なく実施し、大規模な検査で感染者を見つけてハンデミックを封じ込め、経済が回らなくて苦境に立つ企業や家庭に救済の手をさしのべる。それだけで、内閣がいくつあっても足りない大仕事だ。
 菅首相は東京五輪をコロナ禍を克服した証しとして実現する、と予定通りの開催にこだわり続けている。終息を楽観し過ぎていないか。
 そんな有り様を「あぶはち取らず」という。感染力が強い変異ウイルスが広がる一方、海外から多くの選手団が日本に訪れ、国内の移動が活発になればウイルスは勢いを増すだろう。選手には気の毒だが、現下の情勢では、少なくとも今夏は五輪はできないと諦める時だ、と私は考える。
 多くの国民が求めるのは「日本の政治が機能している証しとしてのコロナ禍根絶」のはずだ。
 首相は終える至難に立ち向かうべきだ。》


 つぎは、「歴史街道」という欄で、専門誌の編集長のことばをまとめた「過去から学ぶ人生論」③ として、PHP研究所の大山耕介氏が、今年の一月に急逝された半藤一利さんのことを書いた一文です。半藤さんは1930年生まれで私と同年です。彼の『昭和史』は、同世代の一人として、身につまされるような思いで熟読した記憶があります。奥さんの末利子さんが、夏目漱石のお孫さんで、彼女のお姉さんにあたるマックレィン陽子さんとは、私は1950年代にオレゴン大学に留学していた頃から親しくしていました。(「寸感・短信」No.9に「マックレィン陽子さんの訃報に接して」 =2011.11.06= という小文を載せています。)
 PHPの大山耕介氏は、「これまで数多くの作家や研究者の方々に寄稿して頂きました。なかでも忘れられないお一人が、1月に急逝された『歴史探偵』半藤一利さんです」と述べたあと、こう続けています。

 《半藤さんにとっての最後の連載原稿は、弊誌に寄せて頂きました。昨年8月号から12月号までの連載で、タイトルは「『名言』で読み解く太平洋戦争」。
 「アジアは一つ」「武士道というは死ぬ事と見付けたり」「バスに乗り遅れるな」……。良くも悪くも戦時中の日本で流布したスローガンや軍人らの言葉を半藤さんが選び、その背景を解説しています。この連載企画は、ご自身の申し出によるものでした。
 半藤さんがある日、「あの戦争のことを自分の孫の世代に分かりやすく伝えたい。これが自分の最後の仕事」と言われ、手書きの原稿をご本人の実の孫に託されました。その孫は、弊社(PHP研究所)で編集の仕事に携わっています。この連載は5月、「戦争というもの」というタイトルで出版予定です。》


 三つ目の記事は、「声」欄の特集「失って得たもの」に載った読者の投稿の一部です。北海道在住で、いまは77歳になられている主婦の奥寺幸子さんが、「最高の笑顔を残し旅立った父」というタイトルで、彼女がまだ若かったころの日々を振り返り、「父はがんによる気管切開手術の後、頻繁にたんの吸引が必要になった。私は遠方から父のもとへ駆けつけ、母と交代で夜間も付き添った」と書き出しています。父君は、彼女に見守られながら、その一か月後、1989年6月に亡くなられたのだそうですが、その時のことを彼女はつぎのように書いています。

 《死後処置が終わり「お父さん、家に帰ろうね」と面布を外した。父は何と満面の笑みであった。ただただ驚き、両の手でまだ温かい父の頻に触れた。うれしくて私も笑った。
 苦痛から解放されたからなのか、人生を全うした満足からなのか、はたまた「良い人生を送りなさい」というエールなのか。枕経を上げてくれたお坊様や納棺師さんもこのような笑顔は初めて見るとおっしゃる。
 23歳で結婚し親元を遠く離れた私に与えられた父と娘の時間。最高の笑顔を残しての旅立ちは大切な宝物だ。私も人生の最終章に向け、父から学んだ潔さを胸に歩み続けたい。》




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   ある日の新聞の記事から (続)            (2021.04.05)


 前項に引き続き、まず、「朝日新聞」(2021.03.26)の「声」欄の投稿を取り上げます。福島県の岡本恒夫氏(75歳)が、「国民が自粛に協力するためには」と題して、コロナウイルスの感染拡大防止に国民が進んで協力しようとしない一つの要因について触れていました。「テレビでは外出する人の数が各所で増え気昧なこと、居酒屋などが閉店になっても路上で酒を飲む若者たちの姿を映している」 と述べたあと、こう続けています。

 《菅義偉首相が自粛を呼びかけても、協力する国民が減っているようだ。しかしここ数年の国のリーダーの行動、発言を見るとやむなしの感もある。森友・加計学園を巡る一連の対応や桜を見る会の疑惑に関して当時の安倍晋三首相が国会で100回以上うその答弁をしたことなどだ。
 さらに現在問題となっている総務省幹部への度重なる接待問題などへの、菅氏の官房長官として、また首相としての対応だ。それらはすべて、国民の真相を知りたいという望みに対し、隠蔽することはあっても、協力することはなかったと言える。それなのに自粛に協力するように言われても、戸惑うのではないか。
 今は外出を控えるのが正しいとは理解していても、国のリーダーが不祥事を隠蔽し続けるような正しくない姿勢を見せている限り、国民が素直に従うのは難しいのではないか。》

 この投稿が載ってからも、感染拡大は止まっていません。自粛疲れの反動とか、感染対策の緩みを指摘する医療専門家の意見なども紙面に見られますが、そんななかで、厚労省の官吏たち23人が3月24日の深夜まで銀座の飲食店で会食していた事実が大きく報道されました(「朝日」2021.03.31)。感染対策の徹底を呼びかけている役所の職員による行動に批判の声が高く、翌朝の「朝日」でも、さらに、「厚労省の大会食 誰も止めず」というタイトルで、これも大きく報じらていました。発覚後、省内では 2~3人が受話器にかかりきりになるほど、抗議の電話が鳴り続けている、ということです。これでは、やはり、政府からの自粛要請にも 「国民が素直に従うのは難しい」 といえそうです。


 つぎは、日本語の誤用についてです。同紙の「天声人語」(2021.03.25)が、あってはいけない言い間違いの例として、このような某社の例を挙げています。

 《某社で社員を集めた決起集会があり、営業本部長が演説した。不況だが力を合わせようと声を張り上げ 「みんな、一糸まとわぬ団結心で頑張ろう」。その後に登壇した社長がまたやった。諸君、もう後戻りはできないぞと言いつつ「すでに匙は投げられたのだ」。会社は大丈夫かとみな思ったに違いない。》

 これは、もちろん、「一糸乱れぬ」と「賽は投げられた」の言い間違いですが、このような言い間違いも、時と場合によっては、「日本語を知らない」だけではすまされない社会的に深刻な意味を孕んでいることがあります。この「天声人語」は、このあと、こう続けられています。

 《おとといの話であきれたのは、自民党の二階俊博幹事長の「他山の石」発言である。衆院議員河井克行被告が裁判で買収行為を問われたことについて、「党としても、こうしたことを他山の石として対応しなくてはならない」と言った。買収の舞台となった一昨年の参院選で、2人目の公認候補に河井案里氏を擁立したのは自民党本部。その案里氏側に計1億5千万円を提供したのも党本部である。党の後ろ盾なかりせば、あれだけの買収ができたのかどうか。恥ずべきは「自分の山」そのものだろう。(中略)
 そんな幹事長が長く権勢を保てるのは、一糸乱れぬ団結が自民党にあるからか。見ているこちらが匙を投げたくなる。》


 コロナウイルスの感染拡大で、気の滅入るような記事が多いなかで、こころ温まるつぎのような投稿もありました。「朝日新聞」(2021.03.25)の「声」欄の「四国遍路旅 犬に導かれ次の寺へ」です。福岡県の石田芳紀氏(79歳)が、約6年前に、夫婦で四国88か所の遍路旅を連続して歩かず、2年かけて達成した時の思い出話として、6キロの距離を犬に導かれた経験をこう綴っています。

 《徳島県のある民家の庭で、日向ぼっこをしていたおばあさんに道を聞いた。「23番札所には、そこにいる犬が道案内しますよ」と言う。冗談だろうと思っていると、寝そべっていた犬がむっくりと起き上がり前を歩き始めた。どんどん進み、坂道では頂上付近で我々がついてきているか確認するように待ち、交差点や三差路、交通量の多い所などをひたすら先導した。無事次のお寺に到着した。お寺にいた人からご褒美のえさをもらっていた。地図で見たら約6キロ道案内してくれていた。その人によると、巡礼者を案内し、タ方になると家に帰り、翌朝巡礼者を待っているという。遍路中は様々な「お接待」を受けたが、犬にお接待されたのは初めてだ。これだから旅は楽しい。やめられない。》




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 花の下にて春死なん             (2021.04.22)


 南北に長く、起伏に富んだ日本列島では、桜の開花の時期も一様ではないが、東京では、コロナ禍のなかでも、今年も 3月中旬から、桜は一斉に花開いて私たちを和ませてくれた。気持ちが滅入るようなニュースばかりが伝わってくる中で、青空を背景に美しく咲き誇る花の映像は心の癒しになったが、いつの間にか、そのような桜の季節も過ぎて行った。桜前線は北上して、いまは青森県弘前市で弘前公園の2,600本の ソメイヨシノが満開のようだが、わが家の近くでは、枝垂れ桜の大きな古木も、花びらはみんな消えて、豊かな緑の若葉に姿を変えている。

 桜の花は可憐で優しく、そして、はかない。毎年、その桜が満開の頃になると、きまって思い出していた歌がある。西行法師(1118~1190)のつぎの歌である。

    願わくは 花の下にて 春死なん
     その如月の望月のころ
 

 西行は、平安末期から保元・平治の乱を経て鎌倉幕府成立へと移り変わる激動の時代を生きた武士であり、僧侶、歌人でもあった。平氏棟梁の平清盛と同年の生まれである。如月(きさらぎ)とは 2月のことで、望月(もちづき)とは満月を意味する。これは、むかし使われていた陰暦では2月15日で、この2月15日はお釈迦様の亡くなった日でもあった。今の暦では3月の後半にあたる。西行が死んだのは、2月15日を一日すぎた2月16日であったといわれているから、彼は、この歌のように、いまの暦では3月の下旬、「花の下にて春死なん」の願望どおりに73歳の生涯を終えたことになる。

 西行の死は、一日違いとはいえ自らの願望の通りで見事であったが、しかし、「願わくは」と詠っているのだから、このような死ぬ日のことを予知していたとは考えにくい。これに対して、真言密教を確立した空海(774~835)の場合は、よく知られているように、正確に自分の死の日時を予告していた。

 空海は、亡くなる5日前に残した『御遺告』によれば、弟子たちに、「私が入滅しようと定めたのは、今年の3月21日の午前4時である。悲しんではいけない」と告げ、このことばの通り、835年(承和2年)3月21日の午前4時に、右脇を下にして亡くなったと伝えられている。享年62歳であった。空海の死は「入定」といい、現在も生きていて多くの人を助けているという信仰がある。

 空海は卓越した霊能力者であったから、自分の死期をも正確に予言できたのであろう。そして、近代では、同じように巨大な霊能力者であったエマニュエル・スウェデンボルグが、自分の死ぬ日を予言し、そして、予言通り、その日に死んでいる。

 スヴェデンボルグ(Emanuel Swedenborg、1688年1月29日~1772年3月29日)は、スウェーデン出身の貴族で、人類史上最高の霊能者といわれていただけではなく、物理、天文、生理、経済、哲学などの学問分野でも、18世紀最大の学者としての名声があった。彼の霊的体験に基づく大量の著述の多くは、いまも、ロンドンの大英博物館に保管されているという。その彼が書いた『スウェデンボルグの霊界著述』は、「私は20余年間にわたり肉体をこの世に置いたまま、霊となって人間死後の世界、霊の世界に出入りしてきた。いま、私は世を去るに当たり、これらの全てをありのままに記し世の人々に伝えよう・・・・」と、世間では理解できないような異様なことばで書き始められている。

 この『スウェデンボルグの霊界著述』は、抄訳されて、日本では、『私は霊界を見てきた』(今村光一訳、叢文社、1983年)として出版されている。その抄訳によると、冒頭のことばに続けて、スウェデンボルグは、こう述べている。

 《私がこれから記すのは、私自身が人間死後の世界、霊の世界で、この身をもって見聞きし、体験してきたことの全てである。
 私のような人類に稀な体験は、多くの人々が信じようとしないだろう。だが、私は今は、このことを深く詮議はすまい。なぜなら人々がこの手記を読まれれば、ここに記されたことの全てが真実であることを信ぜざるを得なくなることを私は絶対の確信をもって信じているからだ。そして人々は、さらに霊が永遠の存在であり、われわれのこの世の自然界とは別に霊界というもう一つの世界の存在することも知るに至るであろう。》 (p.6)

 そして、スウェデンボルグは、この本の最期に、「私自身の死の予告」として、「私は来年(1772年)3月29日に、この世を捨て霊界の霊になることが前々から決まっているので、このこともお知らせしておくことにする」と明記していた。スウェデンボルグは、この予告どおり、1772年3月29日に他界した。

 私たちは、一人ひとりが自分の死期を定めてこの世に生まれてくるといわれているが、誕生の際には、その死期についての意識も、鈍重な肉体の壁の奥深くに閉じ込められて知覚されることはない。ごく稀に、その壁を通り抜ける霊能力を持つ空海やスウェデンボルグのような超人だけが、潜在意識の奥に潜む生命の実相に迫ることが出来るのであろう。しかし、もし、人は誰でも自分の死期を認識できるのであれば、それは決して望ましいことではないかもしれない。かえって、困惑と恐怖を招き寄せるだけになることもあるだろう。冒頭の、西行の歌なども、人々はいわば「三人称の死」についての「願望」として捉えているから、他人の目の余裕をもって、その響きの美しさに共感できるのだと、いえなくもない。

 ところで、私は、一昨日の4月20日で、91歳になった。89歳の時に、自分の人生の締め括りのつもりで『生と死の真実を求めて』と題する小著を書いたが、私はまだ生き続けている。昨年4月の90歳の誕生日の頃は、生憎、コロナウイルスの感染拡大が始まったばかりで、その日の「寸感・短信」(No.194) では、内村鑑三のことばを引用しながらも、「心嬉しく逝かんのみ」などと言ってはおられないような心境である、と私は書いた。しかし、そのコロナウイルスの感染は、なお第4波の拡大を続けていて、いまも収束する気配はない。世間の長寿願望に引きずられているわけではないが、死ぬ時期としては、今なお、まことに望ましくない状況だといえそうである。

 内村鑑三は、「永き眠りに就かん時、余は無知の異郷に赴くにあらざれば・・・・」と述べていた。私も、妻と子の死を契機として、生と死や霊界のことなどをいろいろ教えられ、自分なりに学びを深めてきて、この世で生を終えても、「無知の異郷」に行くのではないことを知っている。これは私にとっては今生の大きな進歩で、大変有難いことと思っている。いまの私は、この世の地位や名誉、特に世俗的な財産などには何の魅力も感じなくなっているが、この霊的真理の一端を知り得たことだけは、何にも代えがたい貴重な「財産」になった。ただ、死ぬ時期を自分で認識する霊能力はないから、それは神様にお任せして、あとはこころ穏やかに、読書に親しみながら残された課題に取り組んでいるだけである。

 私は1930年に、まだ世界大恐慌の余波が日本でも色濃く残る中、大阪で生を受けたが、今度は東京の片隅で、自分の人生の最終段階でも、このようなコロナウイルスのパンデミックの惨禍を体験することになろうとは、全くの想定外であった。これまでに世界中での感染者は1億4073万人を超え、死亡者も 301万人以上に達している。しかも最近では、ウイルスの変異株で感染者も急増して1日70万人を超えているともいう。日本でも、感染者は少ない方とはいえ、総数で53万人を超え、死者も1万人に近づこうとしている。(「朝日」2021.04.19) 感染拡大が始まってから、すでに1年以上になり、現在は、世界中でワクチンの接種も進んでいるから、このコロナ禍もやがては収束に向かうと思われるが、それまでにあと何か月かかるのであろうか。

 遅ればせながら、日本もワクチン接種を始めているし、遅くとも、来年の春、また桜が美しく花開く頃には、コロナ禍も完全に過ぎ去っていてほしいものである。「三蜜」だとか「外出の自粛」などの束縛からも解放されて、人々が安心して花見を楽しめるようになっていることを期待したい。そして、できれば、それを自分の目でも確かめておきたい気もするが、しかし、91歳にもなって余喘を保っている身では、そのような期待を抱くことも分不相応なのかもしれない。そう思いながらも、いまは微かに、「願わくは 花の下にて 春死なん」という西行の歌の調べが、私の脳裏をかすめたりしている。




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     コロナ禍のなかで生きる             (2021.09.30)


 人類は、紀元前3,500年に、いまのイラクなどにあたるメソポタミアで数万人単位の人間が暮らす都市が成立して以来、いつの時代も、感染症を体験してきた。都市の存在には、常に、感染症が付き纏ってきたといってよい。古代エジプトのミイラにも、天然痘や結核など、感染症の痕跡が残されているし、1347年から51年にかけてのヨーロッパ、中東を中心とするペストは、ヨーロッパだけでも死亡者が2,500万人を超え、1918年のスペイン風邪では、世界で4,000万人以上が死亡するなど、さまざまな感染症の過酷な記録も残されている。

 近年では、2002年~2003年にアジアやカナダを中心に感染拡大した重症急性呼吸器症候群(SARS)や、2012年にアラビア半島の国々からヨーロッパ地域などにも拡大した中東呼吸器症候群(MERS)などの感染症が発生した。そして、それらが、今回の、2019年からの新型コロナウイルスのパンデミックに続いているのである。世界の感染者数は、米 ジョンズ・ホプキンス大学の発表で、9月28日時点では、2億3,233万5,077人、死者は 475万6,430人となっているが、まだ感染拡大は収まる気配がない。最大の感染国アメリカでは、感染者4,311万6,442人、死者は、69万0,426人にも達している。日本でも、NHKの調べで、9月28日現在、感染者が169万8,343人、死亡は、1万7,577人となっている。私たちはいま、まさに「百年に一度」といわれる災禍の真っ只中に置かれているのである。

 もう一年半以上も続いてきたコロナの感染は、日本では第5波が少し収まりかけて、第4回の緊急宣言が今月末でやっと終わろうとしている。しかし、第6波への感染拡大の懸念は根強く、このまま、コロナ禍が収束する気配はない。依然として、外出の自粛や「三蜜」を避けるための社会的イベントの規制等も行われ、長期にわたるコロナ禍は、旅行・宿泊業者や飲食業界などにも深刻な影響を与え続けている。そのために、数多くの庶民にも、失業、休業、減給などで、生活苦が重くのしかかってきた。新聞、テレビなどでも、気の滅入るようなニュースばかりが多く、人々は家に閉じこもり、委縮して、ただひたすらに重圧に耐えているようにみえる。

 私は、今年の4月で91歳になったが、自分の人生の最晩年で、このようなコロナ禍を経験するようになるとは予想もつかなかった。思いがけずに随分長生きしてしまったが、おそらく90歳くらいがこの世を去る潮時だろうという考えもあって、89歳の時に遺稿のつもりで、「生と死の真実を求めて」という一文を書いておいたのだが、その後、新型コロナのパンデミックに直面することになって、死ぬに死ねないような気持ちで今日に至っている。この世は、霊性向上のための「魂の学校」といわれるが、私はいろいろと、学ぶというより学ばされてきて、やっと「卒業」を迎えようとする矢先に、「こういうことも学んでおくように」と、留年を宣告されたような気持ちである。

 私たち昭和一桁生まれの人間は、日中戦争や太平洋戦争のなかでの窮乏生活を体験し、敗戦後の飢餓状況に苦しみ、その後は貧困に喘ぎながら、復興への道のりを歩み続けてきた。その後の人生も決してバラ色であったわけではない。私個人としても、有為転変の世の中で、いろいろな悲しみや嘆きがあった。なかでも、1983年9月1日の大韓機事件で妻と子を失ったことは、生きていくことが苦しいほどの大きな衝撃であった。そして、最晩年のいま、私はこの新型コロナ・ウイルスのパンデミックを身をもって体験しながら、91歳にもなって、残り少ない余命を生きている。シルバー・バーチも言っているように、自分に起こっていることは決して偶然ではなく、すべて必然で意味があるはずであるが、このような私の生涯の、その意味とは何であろうかと、考えさせられることもしばしばである。

 もし今の私が、かつてそうであったように、死後の生については何もわからず、人は死ねば終わりで灰になるだけだと思っているのであれば、私の一生は、多分、人一倍不幸な人生であったということになるかもしれない。現実には、私の後半生は、生きる希望をも失い、悲嘆と絶望の深い淵に沈みこんでいただけであったから、その苦しみに耐えて、いままで生き続けてこれたかどうかも疑わしい。しかし、無明の闇の中の長年の彷徨を経て、いまは、大変有難いことに、シルバー・バーチなどの高位霊の教えに接して、霊的真理に目覚めている。霊界の妻と子の「生存」も確認して、長年の間「文通」してきたし、いままで味わってきた苦難の意味も私なりに理解できるようになった。そして、近い将来、私が霊界へ赴く時がくれば、霊界の懐かしい家族たちとも再会が待っていることもよく知っている。結局、この世での私の生涯は、決して、不幸であったということにはならないであろう。

 仏教の「般若心経」は、「観自在菩薩が、深般若波羅密を行じたまいし時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり」というようなことばで始まっている。ただ、このような仏典を何度読んでも、私たち凡人は、観自在菩薩(観音さま)のように、すべては空であると達観して一切の苦を乗り越えた、というわけにはいかない。煩悩にまみれた私たちには、それは、はるか彼方の手の届かない境地である。しかし、そのような私たちでも、「生命は永遠であり、人は死なない」という単純明快な霊的真理によっては、少なくとも、「五濁悪世」といわれるこの世での苦の意味は、ポジティブに捉え直すことが出来るような気がする。仏教によっても救われることがなかった私にとっては、このスピリチュアリズムの霊的真理こそが、「無上甚深微妙の法」であった。

 私たちは、何度もこの世に生まれては死んでいくが、死んだらそれですべてが終わるのではない。人は生き続けて、生命は永遠である。不完全から完全を目指して、生まれては死に、死んではまた生まれて、魂の向上を目指していく。私の場合は、後半生で、たまたま優れた霊能者たちの助力によって、過去数千年の間の数十回に及ぶ輪廻転生の姿も示されてきたので、この「永遠の生命」は、自然に受け入れることが出来た(私の『天国からの手紙』には、編集者が作成してくれた「現家族の過去生における関係性」という付表に、私自身の多様な過去生の具体例が示されている)。永遠の尺度では、この世で90年を生きても、100年を超えても、それはほんの瞬間であるに過ぎないが、私は、しばしば、その永遠のなかで、何度も何度も、その具体例に示されているような「瞬間」を繰り返しながら、様々な人生体験を積み重ねてきた。

 今生では、私の長男は、「世界史の転換点」ともいわれた国際事件に母親と共に巻きこまれて21歳でこの世を終えた。私は当時、この21歳という若さにこだわって深く悲しんだが、永遠の尺度では、この21歳も、現在の私の91歳も、その差は限りなくゼロに等しく、一瞬であることには変わりはない。それに、無数の生まれ変わりの中では、誰でも、幼年期や青少年期の死を一再ならず経験してきているはずでもある。大切なのは、その一瞬の人生で、様々な体験を経て、どれだけ霊的な成長を遂げたかということであろう。若くして霊界へ旅立つということは、若くしてこの世の学びを終え、使命を果たしたということでもある。その観点から見ると、今生のこの「魂の学校」では、21歳で早々に学業を終えた優等生の長男に較べて、91歳の私は、鈍才で学びが遅く、いまはまた「留年」して、卒業が遅れているともいえそうである。

 もともと私は、200年ほど前のイギリスにおける前世に至るまで、霊的真理に接する機会が何度もありながら、社会的地位や名誉が傷つくことを恐れて、霊的な領域には近づこうとはしなかったらしい。そのような私が、素直に霊的真理を受け容れるようになるのには、この世で、よほど大きな試練が与えられなければならなかった。これは、「生と死の真実を求めて」にも書いているが、優れた霊能者のA師によって伝えられた次のような霊界通信によっても、そのことは直截に示されている。

 「・・・・・あなたが霊的なことに目覚め、価値観を正し、本当に大切なもの、すなわち、神と愛と命と心に目覚めるために、このこと(大韓航空機事件で妻と長男が亡くなること)が必要だったのです。否が応でもあなたはその方へ駆り立てられていきました。あなたは、その一連のプロセスを経ていくことで浄化され、価値観が変わり、神を求める人に作り替えられました。また、それをもって、この世の認識の暗い人たちに、大事なメッセージを体を持ったまま伝える任務に就くようにされました。」(2004年6月5日)

 この世の、瞬間的な尺度によってのみものを見るのであれば、永遠の世界の生と死の真実を把握することはできない。この世は「五濁悪世」でしかなく、喜怒哀楽の波に飲み込まれて、自分を見失うだけで、生きてきた意味も分からずに一生を終えてしまうことになりかねない。しかし、私たちは、本来が霊的存在である。霊を宿した肉体ではなく、肉体を伴った霊である。霊本来の永遠の立場で、自分を見つめ直すことによって、いままで見えていなかった自分の人生の悲しみや苦しみの実相も見えてくるようになる。シルバー・バーチも、「全ての魂がそうであるように、あなたの魂も、地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していたのです」と言ったあと、こう続けている。「その人生で遭遇する困雄、障害、失敗の全てがあなたの魂を目覚めさせるうえでの意味をもっているのです」。(『霊訓 (1)』p.71)

 つまり、この世で私たちが体験するあらゆる困難、障害、失敗などはすべて、実は、私たちの霊性向上のためのいわば「教材」である。不幸そのもののように思える悲嘆や苦悩、絶望なども決して例外ではなく、その教材と取り組むことによって学力が伸びていく。そして、これもシルバー・バーチが言っているように、私たちは「地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していた」。言い換えれば、それらの様々な教材を自ら選んで学ぶためにこの世に生まれてきた。だから、そのような困難、障害、失敗などの教材を体験するのは、偶然ではなく必然である。自分が選んでいるのだから、自分にとって必要な体験で、自分の霊性向上のためには、いいことであるに違いない。ただ、科学万能のこの物質社会にどっぷりと浸かっている間は、そのことに気がつくのが、あまり容易ではないだけである。シルバー・バーチは、そういう霊的真理を理解するためには、魂に受け入れる準備が必要で、そのためにこそ試練が与えられるのだと、次のように述べている。

 《苦を味わわねばならないということです。不自由を忍ばねばなりません。それは病気である場合もあり、何らかの危機である場合もあります。それがあなたの魂、神の火花に点火し、美しい炎と燃え上がりはじめます。それ以外に方法はありません。光を見出すのは闇の中においてこそです。知識を有難く思うのは無知の不自由を味わってこそです。人生は両極です。相対性といってもよろしい。要するに作用と反作用とが同等であると同時に正反対である状態のことです。
 魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、光明も導きも無くなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします。ドン底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。》 (『霊訓 (10)』 pp. 22-23)

 このようにみてくると、苦しみ悩むことの多い人生体験も、あまり悪いものではないようである。難しい教材に取り組んでいる者は称えられるべきであっても、決して惨めではないのと同じである。私たちはこの世への誕生の時に、潜在意識の奥深くに閉じ込めてしまっているが、もともと、この世の様々な体験は、前述のように、私たちが生まれる前に、自分で必要と思われるものとして選んできた。それなのに、それらの自ら選んだ体験で苦しみ悩むというのは、大きな心得違いといえるのかもしれない。この意味でも、この世で幸せに生きていくためには、やはり、刹那的な狭い常識に捉われることなく、霊的存在としての広い視野をもつことがどうしても必要であろう。

 たとえば、金銭的に貧しいことが、必ずしも不幸を意味しないし、何の不自由もない平穏無事の生活の継続が幸福のための必須の要件なのでもない。聖書には、よく知られているように、「富める青年」という話がある。ある資産家の青年がイエスのところへやってきて、人としてのいましめを守ることのほかに、どんなよいことをしたらいいでしょうか、と訊いた。イエスは、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物をすべて売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう」と、答えた。そのことばに従えそうもない青年は、悲しんで立ち去っていった。イエスはまわりの弟子たちに、「富んでいる者が天国に入るのは、難しいものである」と言った。さらに繰り返して、「富者が神の国に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」と続けた。(「マタイ」19章16-24) 金銭的な豊かさだけではなく、何の不自由もない無事平穏な生涯も、決して、本当の幸せではない。それは、何の教材も与えられずに学校も休んでいるようなもので、折角この世に生まれてきても、心を磨いて進歩発展することは期待できないからである。私が親しくしていた前掲の霊能者A師は、そのような「無事平穏」だけの人がいるとすれば、それは「神様にも見放された哀れな人だ」と笑いながら言ったこともあった。

 私自身は、ちょっと大袈裟にいえば「波乱万丈」ともいえるような苦難の体験を経てきて、そして最晩年のいまは、日本の片隅でコロナ・ウイルスのパンデミックを体験している。91歳にもなって余喘を保っているが、それは、冒頭でも述べたように、この世の「魂の学校」で卒業適齢期を過ぎていても卒業できず、いわば、「留年」を続けているような形である。しかし、この世の悲しみや苦しみにも、それぞれにポジティブな意味があるのであれば、予想外であった私のこの「留年」にも、それなりの意味があるはずである。留年していても、与えられた課題が無くなったわけではなく、学ばなければならぬことは多い。コロナ禍のなかで、人より遅れて歩んでいることに劣等感を持つことなく、いまは、無事「卒業」できる日の来ることに希望を繋いで、黄昏の道を何とか前向きに、歩み続けていきたいと思っている。










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