「東京ルート」 

  A. リーディング


 1.私の過去生について (1993. 11. 29)


  アトランティス時代に科学者でした。若手の有能な科学者として始まり、薬理学の研究について進めていました。あなたは、いわば、国家公務員であり、アトランティスという国の公立の研究所の中において、ケミカルなことの究明をはかる研究チームの一員としての仕事のスタートを切ったわけです。

  後にあなたは、その研究所のチームより、いわば、課長的な役職に任ぜられるようになり、現場からは遠ざかるようになり、もっと管理約な役に着くようになったのです。それでも、科学的なことに関して決定し、また、人事の管理、業務の管理ということをしていたため、科学的なことには結びついていたわけです。あなたが若年の頃実際に現場で技術者たちとともに研究していたことは、純粋な原理や理論に関することが主でしたが、あなたが長じて昇進し、課長から部長約な職に任ぜられるようになってから、アトランティスの末期の時代ゆえに国家的な紛争や戦争が増発するようになり、そのことにあなたの研究所も引き込まれるはめになりました。それであなたは直接、研究に従事していなかったとはいえ、あなたが管理していたあなたの下の研究は、そのケミカルなことを戦争の科学兵器に適用するということに方向づけられるはめになったわけです。

  あなたはそのことにうすうす気づくようになりました。それは国家的な秘密裏に進行していたものにせよ、あなたは直接その管理を任されていたために、そのことには当然気づくようになったわけです。けれどもあなたはそれを国家への忠誠を誓うということで、また職を失うことを恐れたために、結果的にそれを認めてしまったのです。それでそれが、実際の戦争に使われるようになって、多くの犠牲者を出すことになったわけです。あなた自身がその研究に携わっていなかったとはいえ、実際にあったことの責任の一部をあなたはとることになりました。けれども当時、あなたはただ、上からの指令によって気づいていてもそ知らぬふりで唯々諾々とそれをのんだために先程の質問にあるようなことの結果を、身に受けるようになったわけです。

  けれどもそれはすでにすんだことです。すんだことによって、つまり結果を受けたことによって、それは清算されたのです。それ故、もはや恐れる必要はありません。けれどもそれが起こったことの真意を、はじめてあなたが聞くことが出来たということは、カルマが解けた上に、あなたがそのようなことを聞くところにまであなた自身の準備が整ったということです。それだけあなたの魂が強くなり、成熱してきたからであります。

  ほかの転生もありました。アトランティスの後では、エジプトに2回ほど転生し、また、イスラエルやペルシアのあたりに、そのあと転生しました。そして日本に転生し、時は、大和朝廷、神功皇后という男装をした巫女的な存在と、その息子・応神天皇の時代に、朝鮮と日本との交流の中であなたの家族が見いだされます。一部のものたちは朝鮮人であり、また一部のものたちは大和人、つまり倭人だったのです。だいたい朝鮮の人たちが多かったのです。つまりあなたの家族、今の家族、家系、親戚の、あるいは知人の主なものは朝鮮の人たちが多かったのです。それで当時、流刑にされて関東の地に流れついたのです。それが現在あなたが住んでいるあたり、多摩から武蔵野、国分寺、三鷹、八王子のあたりだったわけです。

  つづく転生でも日本に生まれ、奈良朝末期から平安朝初期にかけて関西の大阪のあたりに暮らしていました。最澄や空海がもたらした新しい仏教に帰依し、献身約に職務を遂行する一方で、純粋な信仰につとめ、いそしみ勅んでいました。

  つづいて北海道の地に転生しました。今度はあなたは和人でした。和人としてアイヌの部落、北海道の村落へと入っていき、そこで開拓民として暮らすようになったわけです。今回のあなたのご家族、亡くなられたお二人を含めてのご家族は、北海道開拓時代の人生でも同じ家族だったのです。開拓者として渡ってから北海道の原野でお二人のお子さんが生まれたのです。

  つづく転生、最近の人生では、1700年代半ばから、1800年代初頭にかけて、ヨーロッパの地に住んでいました。主にイギリスに生きていたのです。当時、薔薇十字運動、フリーメイソン運動が盛んであり、また、スウェーデンポルグの研究などもなされていました。サンマルタンやサンジェルマン伯爵の活躍が際立っていました。あなたはイギリスの王家と多少つながりがある家系に生まれ、イギリスの王立協会のメンバーでした。フランシス・べ一コンについての研究を主にしていました。それで、フランス革命、アメリカの独立宣言に関するプランに関わるようになり、アメリカという新しい可能性のある新天地へと渡る計画がプロジェクトとして進行し、あなたがたの友人、知人の幾人かは、ピュリタンとして新天地へと移っていったわけです。あなたは特に移ることはありませんでした。けれども、あなたの前の幾人かはアメリカヘと移ったわけです。後に薔薇十字運動に関する研究にも、晩年、関わるようになりました。

  あなたがこの最近の人生で、最初はベーコン約な王立協会の学士院の会員としてのアカデミックな研究から、次第に霊界や神についての究明と道を歩んでいくようになった今回の人生は、このイギリスでの人生の歩みをたどり直しているといえます。また、たどり直すべく家族のお二人があのような行為を通してあなたを仕向けたわけです。


    

   2.長男・潔典の過去生について (1994. 1. 17)


  アトランティス時代にその大陸に生きていました。精神約なことに造詣が深く、精神的な分野を科学にしようとして、その研究に励んでいました。当初は学問としてそれに打ち込んでおり、その仕事の中でより民間の、いわゆる在野の研究者たちや実践家と出会うようになって、ひとつのショックを受けたことがあります。

  それは、それまで自分は精神的な分野のプロてあり、研究者として名を馳せつつあり、一人前であると思つていたのです。けれども、無名の民間の実践家たちの実際的な能力や活用方法においての秀でていた面や一般の大衆を惹きつける力や魅力というものにおいて、自分以上のものをそこに見たのです。それで彼はひとつのショックを受けて、果たして自分は自分を自分として認識していたのだろうか、私のは単なる理論であつて生きている人のために役立っていないのではないだろうか、ということで、悩み始めたのです。

  もし私が自分を自分として真に認識していないのならば、私のそれまでの研究は何だったのだろう、というふうに彼は考えるようなったのです。しかしながら、自分の立場というものがあり、精神的な分野を科学にするために、青年期よりその道一筋に生きてきたのです。いまさら民間の世界に入っていき、海のものとも山のものともわからぬ世界に飛び込むのは不安であり、また馬鹿げているようにも感じました。

  彼の中にそのような精神約な動揺やそれに伴う不安、そして次第にそれが恐れへと進んでいったのです。それは、後に転生するまでずっと彼の中に残っていました。普通の人でしたらそこまで深刻に悩むことはなく、彼が真面目で、真っ直ぐにものごとを捉え受け止める人であるためにこそ、そのような悩みをもつことになったのです。そして、それ以降の彼は、それを解決するための輪廻転生となっていったのです。

  彼は非常に純粋な人であり、魂の持ち主でした。エジプトに転生した時は、芸術方面に自分の能力を見い出し、自然の造形美を彫刻したり、あるいは絵に描いたりということに自分の天職を見い出していました。続くギリシアの人生においては、今度は詩人として精神的な心の美しさ、豊かさを美しい詩に創造し、人々のこころを強く打つことが出来ました。それで、彼の遠い過去生の精神的な不安や自信の喪失というものが、それによって多少癒されていったのです。

  そのような時に キリストの弟子たちがギリシアにやって来て伝道するようになり、キリストの愛の教えに触れるようになりました。すでに彼は心の準備ができていたので、キリストの説く無条件の愛、そして愛の力というもの、またその効果というものに触れることができたのです。それによって彼の芸術約な資質に愛が加わるようになり、彼の心は次第に、人々への献身、そして犠牲的な行為も厭わぬ魂へと成長を遂げることが出来たのです。

  そしてこの時代に、現在父親であるあなたの導きと教育があったということを非常に恩義を感じていたために、今回の人生で、芸術や教育、ひろくは文化的な資質を育ててくれたあなたに対し、また最終的には、キリストの愛へと導く間接約なきっかけを設けてくれた現在の父親であるあなたに対し、今度は彼がこの現代において、あなたを神の世界へと、特に、真の神の愛というものをあなた自身に再び知らしめるために、キリストの犠牲的な愛の行為にでることになったわけです。

  つまり彼の魂は、アトランティス時代に、精神的な科学の分野で名を馳せてきているほどの人物であったにも拘らず、民間の実践家にその効力というもの、実際的な力という点や魅力で劣っていたということから生じた精神的な不安がずっと残っており、それがキリスト時代にギリシアの芸術家として、あるいは詩人として、それがあなたの教育の下で育てられ後にキリストの愛へと導かれたことを通して、彼のアトランティス以来の不安があなたの導きで癒されたということの恩義を感じていて、それを今回の人生であなたに対して返してくれたという行為が、ひとつの出来事として起こったといういことです。

  彼はその後日本に転生し、神功皇后から応神天皇の時期にかけて、やはりあなたの息子として、朝鮮より日本に技術を導入し、朝鮮の文化や技術を日本の国にもたらすものたちとなったわけです。その時にやはり、親子であり、彼は日本で生まれ育ちました。日本に来てから生まれたということです。それから、日本の国内の政治的な策略によって関東の地に流されて、現在の武蔵野のあたりに住むことになったわけです。

  続く転生では、和人いわゆる日本人であって、新しい土地に入っていく開拓民として、やはりあなたの家族のひとりとして彼はそこに渡って行ったのです。この時もやはりあなたの息子でした。

  続く転生ては、1700年代にイギリスに生きており、ここではあなたの息子ではありませんでしたが、あなたの親戚の中にいました。やはり身内だったわけです。彼はこの時代は語学の達人であり、言語学者としての道を歩むようになったわけです。そして親戚の者の一人として、あなたは彼を教育したわけです。つまりあなたは彼の家庭教師であったわけです。その時の師弟関係が非常に実り多いものであったために、今回再び親子として生まれあわせたわけです。

  彼はカルマによって今回他界したのではありません。むしろ恵みによって、あなたへの愛のしるしを身をもって示したということです。それゆえ霊界に帰ってからも浮かばれぬ存在ではなく、しっかりしており、癒されています。そしてあなたの守護霊となって、あなたをさらに引き続き導こうと、日夜あなたに意識を向けています。


    

   3.イギリスにおける私の過去生 (a) (1994. 1. 17)


  ジェームズあるいはロバートという名前が浮かんできています。ジェームズというほうが強く響いてきています。おそらく幼少期の名前がロバートであり、長じてジェームズという名前になったか、あるいは洗礼名がジェームズなのかでしょう。苗字のほうは、ハンプトン、これは文字通り正確ではありませんが,これと似たような響きのセカンド・ネイムです。それでおそらく、ロバー卜・ジェイムズ・ハンプトンといったような名前であり、ファースト・ネイム、ミドル・ネイムすなはち洗礼名、そして苗字であるハンプトンらしき響きの名前というのが当時のあなたの名前でしょう。

  当時のあなたは、多少名が通っており、研究者として、あるいは学者として活躍していましたので、ロンドンの図書館や資料室へ行って調べれば、名前が残っている可能性があります。1675年から80年にかけて生まれており、おそらく1678年生まれくらいでしょう。1754年くらいまで生きていた人です。言語学者であり、いまでいう文化人類学に近いことも研究していました。専門は言語学です。現在の職業は、このすぐ最近のイギリスでの職業の続きであります。

  さらにその基盤となるものは、エジプトの転生において、文化交流の盛んであったアメンホテプ三世からアクナトンの時代にかけて、あなたはユダヤとヘブライとエジプトとの間の文化交流、また他の近隣の諸国との文化交流のなかで、エジプトの本国と近隣の諸国との間の文化間の交流のアドヴァイザーであったのがエジプトの人生でした。それがひとつの基盤となって、キリスト時代、AD 5〜60年の頂はギリシアにおいて、やはり近鱗のコリントやローマ本国や小アジアの諸地域との文化交流の比較研究者であったのです。
 
  ヘブライびとたちに関する研究も好きであり、それはエジプトの前生の時に遡れるのですが、それでキリスト時代に転生した時も、やはりヘブライびとたちの言語や文化にも関心があったために、キリストの弟子たちが訪れたときには、そのギリシアのアテネやコリントにおいて、キリストの弟子たちを通して、ヘブライの宗教、それから新しいキリストの教え、そして、それを通して、ギリシアのロゴスの秘儀を研究するように、ヨハネやその弟子たちを通して、勉学に努めるようになったのです。それで、ときどきエフェソスの地に渡るようにもなり、小アジアの言語学とギリシア語との関係で、ロゴスの秘儀ということがあなたの中年期以降の研究課題となったわけです。それらを受けて、イギリスに転生したときに、やはり国際的な文化交流ということに、あなたの関心が厚かったのです。

  現在のお嬢さんは、当時もあなたの娘だったのです。居住地はロンドン市内であり、ロンドン市の中心街ではなく、やや郊外寄りのところ、北西部です。当初は純然たるアカデミックな研究に身を置き、フランシス・ベイコンの設立した王立協会のアカデミーの会員だったのです。後にベイコンの研究を通して、ベイコンの神秘的な資質に多少気づくようになりました。気づかされたきっかけというのは、バラ十字団員がイギリスにもおり、またヨーロッパから渡ってきた人たち、神秘家たちからの感化もあったからです。

  当初、あなたはそれらを否定し、無関心でした。けれども現在のあなたの息子さんだった人が、あなたにもっと柔軟性を持つように促したのです。スウェーデンボルグの研究にもあなたは関心があり、同時代がスウェーデンポルグから大いに学び取るものがあったのです。また、現在の心霊科学協会の前身にあたるものがすでにイギリスにあって、そこで学び始めるようにもなっていました。

  中年期以降晩年にかけては、神秘家たちの促しで、バラ十字団やフリー・メイソンの研究に多少関心を持つようになり、関わるようになりました。しかし、それほど深くは関わらなかったのです。あなたはあくまで学者であり、正統的な道を歩もうとしたからです。それで今回の人生では、当時よりもっと柔軟に、当時未完域であったバラ十字などの神秘的な教えをより深く学び、習得し、それを自分の専門とうまく融合させて人びとを感化させるような役割が残されています。

  人びとの意識の開発ということに、当時多少関心を抱くようになったのです。しかし、自分の立場があるということと、またそれらをやる時間がなかったので、それを引き継ぐように今回、転生してきています。それで当時よりもやや柔軟になっており、それらの機会をより早くから求められるようになっています。けれども過去生からの流れが強かったために、どうしてもそのようになることができなかったので、奥様と息子さんが、あなたをどうしても使命を達成させ、カルマをバランス化させるためのきっかけを作ってくれたわけです。

  その二人の愛による行為をあなたは無駄にせぬように、あなた自身が使命を受け入れて、新しい時代の幕開けとなるところに向けて、人類のため、また世のために、あなた自身を生かし切るでしょう。


    

   4.イギリスにおける私の過去生 (b)  (1994. 9. 12)


  やはり、際どい生涯を送っていたのです。今よりもっと慎重でした。今でも慎重な部分もうかがわれるのですが、あなたはイギリスの人生において、アカデミズムの世界にどっぶりと浸っており、霊学や精神世界に関心は出てきたのですが、十分に使命に踏み切るということをしないまま自分の立場を擁護し、地位や評判を失うことを恐れて、やらずじまいで終わったのです。それが18世紀イギリスでのあなたの人生です。それで今回は、その時の穴埋めというか、やるべきであったはずなのにやらずじまいで終わってしまったイギリスでの直前の生涯の使命を今回は果たすために、同じような状況下に生きています。

  状況は非常に似通っています。違うところがあるとすれば、比較的早期に愛する身内の人を失わされたというところです。それは、あなたが今回は間違いなく冒険を冒してでも使命を遂行するようにという促しのサインなのです。あなたが霊的世界を学ぶポイントはまず、強く後押しをする力が作用したのです。そして学んだ後に、あるいは、ある程度学んだ後に、学びながら今度は実際に使命を遂行していく、ということです。そのために、前回はそれをしなかったから、今回は是非するようにということで、家族が先に召されたのです。それであなたの霊界でのご家族は、非常に、あなたがそれをしはじめたらそれをサポートし始めるでしょう。それが先程語られた「やり始めれば意外と出来るものです。そして二、三の方面から思わぬ助けがやって来るでしょう」ということのひとつの理由なのです。
 
  やはりロンドンのあたりに生きていたのです。バーミンガムの辺りにも行ったことがありました。ロンドンの近郊にはもちろん、足を運んだことは幾度かあります。いまのそのロチェスターというところも、あなたが確かに親しみを覚えたところであり、一時住んでいたことのあった地域です。しかし主に、ロンドン市内に暮らしていました。名前は「ジェームズ」という響きが感じられます。そのように聞こえるのですが、多分ジェームズという名前だったのでしょう。1685年、1687年ぐらいでしょうか、に生まれ1760年代後半から1870年代(筆者注:1770年代?)前半まで生きていました。もちろん男性でした。学者でした。法律そのものではなかったのですが、法学と文学の方面での仕事をしている研究者でした。英国学士院と、それから、英国の宮廷に関わるアカデミー、王立のアカデミーでしょうか、そこの会員でした。

  実はここに入っている間に、心霊学や精神世界に関わるようになったのです。そこの会員の中に、このような霊学に興味を抱いている人が何人かいたからです。あなたは最初、軽蔑し、怪訝な顔をしてそれを外から観察していました。少しずつ興味を持ち理解するようになりましたが、自分の立場を考えて踏み込んだことはしませんでした。まして、それを使命としてそこで何かをするということまでは控えたのです。何人かのまわりの同僚や後輩がそれをして、会員から除外されたのを見たからです。当時は薔薇十字団やフリー・メイソンという流れの中で、心霊学についての学びがあったのです。もちろんほかのプロテスタントのなかでも、神秘主義的な傾向もあり、流れは幾本もあることはありました。たとえば、スウェーデンボルグを学んでいる動きもありました。

  あなたはそれぞれに対して慎重でした。ただ、薔薇十字団やフリー・メイソンの動きは、なかでは学者や医者、またインテリたちにとっての評価をある程度得ていたものがあったのです。知識階級から見ても、おかしくはないというところが多少うかがわれたのです。それであなたは時々のぞき込みに行きました。そしてそこで出会った人達に今少しずつ出会い始めています。オランダやドイツに、あなたがいわば海外出張したときに、そのような帰りに覗いて帰ってくるというようなことをしていました。その頃、あなたがオランダやドイツに行って、帰りに尋ね歩いてあなたの興味をそそった当時の知人たちに再会し始めています。

  今回はより積極的で意欲的になってきています。当時あなたは守るものが余りにも多かったのです。そして、踏み込んで行くには用意が出来ていませんでした。非常に自信家で高慢なところがある人でした。今回は、非常につらい状況下で、謙虚さと信仰と素直さを学ばせられたということがありました。それだけあなたの魂が成熟し、用意が出来てきていましたので、そのような試練とテストに耐え得ると天でみなされたために、そのような出来事があなたの身の上に起こったのです。そしてあなたは非常に稀な一人として、そのテストに合格した一人です。それは、それだけあなたが今回、天からやってほしいと願われている使命を賦与されて生まれてきた人だからです。でなければ、そのようなむごいことを天は為されなかったでしょう。

  それだけのことが起こったということの背後には、神の期待と、あなたへの神の思い入れ、また、愛というのが感じられます。その出来事を裏返すと、あなたの使命の尊さと、それをして欲しいという願いがその分大きいということの表れなのです。そして、それをあなたがこれからしようというのは、願われるべきことです。

  もしあなたが必要を感じ興味があるならば、ロンドンを訪ねる機会があった折に、英国学士院や王立アカデミーの会員リストのなかで、1680年代から1760年代ぐらいまでに生きた「ジェームズ」あるいは「ヤコブ」といった名前の人で、いま描写したような人が見いだされるかもしれません。


   

   5.妻・富子の過去生について   (1994. 9. 12)


  いくつかの過去生があります。それらのうちから、最近の過去生に焦点を当てながら、また、主なる過去生なら遠いものも含めて、見ていくことにしましょう。

  最近では北米大陸での人生がありました。最近といっても何百年か前、多分、3〜4百年から4〜5百年前の北米大陸なのです。アメリカ・インデイアンとしての生涯でした。非常に熱意のある人でした。しかし表面的には穏やかな人でした。暮らしぶりは特に際立ったところはありません。ごく普通の、平凡な一人のインデイアンとして、ノーマルな生涯を送ったということです。性格的に見ていきますと、好奇心の強い人でした。自然との戦い、あるいは別の面から言えば、自然との共存、共生とも見られるのですが、ともかく自然と向かい合って、狩猟したり、時に牧畜を営んだり、自然を探索しては冒険をしたり、といったことをしていたのです。

  興味の範囲があちこちにあったために、何でも取って集めてきては、それを自分の研究の題材にするといったふうでした。決して学術的な研究ではなかったのですが、それでも彼女なりのやり方で、それを調査したり、研究したりといったことをしていたのです。知的好奇心が旺盛だったために自然に物知りになり、いろんなジャンルのことを知る人となりました。なかなか博学だったのです。主に実学や、あるいは雑学や趣味といったことでしたが、それでも人間的には知性を感じさせる人であったのです。根は恥ずかしがりやで、決して外向的ではなく内気だったのです。人助けというのに生きがいを感じており、自分を忘れて他の人のために奉仕をするということができる人でした。また、受け容れるということができる人でした。意識に広がりがあったのです。受容的であり、すべてを包み込むという広い愛と情熱を持っていました。そして人との関係をとても大切に感じていた人だったのです。

  ほかの人生もありました。日本では何度か生まれ変わっています。古墳の時代、大和朝廷の後期ですが、その後半の時期に、大阪のあたりに暮らしていたことがありました。応神天皇の頃の時代です。縫い物をしている姿が見えます。多分、部族の族長か、あるいはそれに代わるような責任ある立場の人の衣装を縫っているのでしょう。非常に手先が器用で、何でも一通りできるといったふうのまめまめしい人です。人に仕えることが好きで、お料理をしたり、部屋を体裁を整えて工夫して、快適に暮らせるようにしつらえたり、衣装や刺繍をほどこしたりといったことで、住居の中や、またその中の家具調度品といったものにも、一工夫をこらすといったふうの人でした。よく働きよく仕え、そして無私の人、つまり私心がない人でしたので、非常に好かれ皆から愛されており、非常に重宝がられていました。自分を忘れて、しかも依怙地にならず気持ちよく奉仕するので、人からは好かれたのです。

  けれども意外と強情っぱりな時もあり、自分の意思を貫こうとし、考えや意見を曲げようとしないというところもありました。性格的に二面性あるいは多面性を帯びていると見られていたのであり、また、言っていることとやっていることとの間に相反するものを感じさせるようなところがあって、なかなか複雑で読み取りにくい性格の人ともみられていました。けれども本人は悪気がないので、嫌われることはなかったのです。ただ、言動にちぐはぐなところがあるのが、嫌われるというよりかえって滑稽に見え、ユニークさと愛敬として、まわりには映じられていたのです。ところが本人は結構真剣で、真面目に振る舞って一生懸命だったのです。それが嫌みに感ぜず、かえって愛嬌であり親しみを覚えさせるのが人柄というものです。そしてそのような面が多分にあった人でした。本人は自分の多面性や複雑さに結構悩んでいたのです。そして自分の中で分裂した部分をいかにして性格的に陶冶するかということに戸惑いを感じながら、表面約には人に尽くすことを生き甲斐として生きていました。

  ほかの日本での転生は、鎌倉時代、ほかに北海道の開拓時代などがあります。順序としては、この古墳時代に続いて鎌倉時代があり、そのあと、北海道開拓時代と続くのです。北海道開拓時代は、非常に最近の人生です。17世紀の頃でしょうか、和人がまだ東北の地から北上して移ってきた頃のことです。アイヌの人たちはあまりそれを歓迎しませんでした。和人の一方的な侵略といってよいでしょう。非常に愛敬のあるおどけた性格の人でしたので、ここでも人から好かれ、まわりの空気を和らげるという調停役を知らず知らずのうちにかってでました。みな結構真剣で、あるいは深刻でしたので、このような存在は非常に重宝がられたのです。

  家庭においても、また部族間においても、みなの潤滑油として人間関係を、調和と安らぎ、そして、皆が意見を言いあってもそこに面白みが感じられるような方向に持っていくということのできる人でした。それで和人とアイヌが真っ向からぶつかり合うのを、この人がいるだけで大分和らげられたということがあったのです。歴史上には開拓時代このようなことがなされたということが記されてはいません。けれどもこのような人が蔭の功労者として存在し、またその働きをなしたお陰で、ずいぶんと和人とアイヌの人たちの関係は良好なほうへと導かれたことを忘れてはなりません。

  鎌倉時代は、関東の地に暮らしていたのです。非常に人を立てることの上手な人でした。しかし、それがどこか滑稽なところもありました。器用ではなかったのです。芸としては器用なことが多くできた人で、何でもできる人でありました。そのくせ、どこか人間関係では、とつとつとして不器用で、まわりから見ていると微笑ましいところがあったのです。どこかぎこちなく不自然で、それがまたかえって功を奏したところがある人でした。幕府の政権ができつつある項でしたので、人々の間に安らぎと安堵感をもたらした人なのです。そして非常に情に厚い人であり、結構、文化人でもあったのです。大衆約な文化人です。そして人間関係に非常に人間臭さと愛情をもたらすことのできる人でしたので、非常に温かい人であるとみられていました。

  一番最近の前世は、イギリスでのものです。18世妃です。やはりここでも、人に仕えることを使命と感じる人でした。自分は目立たなくてもよいといったふうでした。それでも没我的な感じのする人ではありませんでした。それなりにユニークな個性があったのです。けれども本人は個性があるとは多分自分では捉えていなかったでしょう。それに気づいていなかったでしょう。自分の中でいろんなこころが動く人で、自分の心をまとめたり、収拾をつけるということに苦労している人でした。まわりからは統一性がないように見えました。けれども人に好かれ、愛嬌があり、包容的でした。人を受け入れ、包み込むということ、そして何時までも人間関係を大事に出来る人でした。人によく尽くし、そして愛情を大切にする人だったのです。

  古い過去生では、紀元1世紀のローマ帝国の時代とか、ツタンカーメンの時代の古代エジプトの王国とかがありました。これらにおいてはあなたと共通しています。幾世代か幾人生かはあなたと共通しています。いまは霊界で大分安らいできています。数年前までは少し迷いと苦しみがありましたが、持ち前の愛敬のよさと、私心をなくして高い霊的存在に仕えるということ、そして、広い心、包容力、奉仕の心を持って霊的に成長を遂げつつあります。いまは苦しんでいるようには見えません。そして、息子さんと一緒にいます。地上界のあなたのことも、時々気にかけており、見に来ています。もともと、死んでも生まれ変わっても、愛情を大切にし、人との繋がりをいつまでも大事にする人だからです。それがいまでも生きています。




   6.霊界で熱心に学んでいる潔典  (1996. 6. 3)
 
  (しばらく同調します。)(いま捜しています。)以前とは違う領域に行っています。非常に繊細な魂の持ち主です。今の彼の状態は悪いようには感ぜられません。まずは安心してください。彼の魂を探索中ですが、悪いものは伝わってきていません。何かひとりで黙々と取り組んでいます。まわりにはあまり、ほかの存在たちはいません。少し離れたところには、ほかの存在たちもいます。彼の間近にはあまりほかの存在はうかがえません。彼自身は何かに向かって一生懸命に取り組んでいる最中です。勉強しているような感じです。何かに一生懸命に向かって取り組んでいるということで、一見するとキャンバスに向かって絵を描いているという格好です。あるいは、机に向かって何か本を読んだり書き物をしている・・・そういうふうにも捉えられます。

  一生懸命学んでいる最中なのでしょう。生前、学んでいたことの残りをいまこちらに来て、つまり霊界に来ても、続けようという意気ごみです。何か地上にいたときの続きのようです。しかし、つらいようではなく、とにかく一生懸命に学んでいる最中というところです。あまりまわりの動きには気づいていません。多少切迫した感じは受けるのですが、悲痛な感じはしません。苦しそうでもありません。ただ単純に、一生懸命励んでいるというのが伝わってきています。
 
  自分の学びで精一杯というところです。その意味ではまわりは見えていません。まわりを見ようともしません。もっともこのようなあり方は、こららの霊界では別段不思議なことではなく、珍しいことではないのです。よくこのように一生懸命、生前の中断したことにこちらに来ても励んで、没頭している魂は幾体も見うけられるのです。学びの領域に彼はいます。学んでいる内容は、語学のようでもあり、また絵を描いているようでもある。あるいは、歴史とか文化を学んでいるのでしょうか。どうやら、学びの対象は一種類ではなさそうです。いろいろ一生懸命に学んだりおさらいしたりして、励んでいます。

  活気が伝わってきます。とにかく一生懸命、無我夢中というふうです。それであまりほかに関心や意識が向いていません。家族の人達に対しても、あまり意識は向いていません。自分の学びの中断したことに対しての多少の焦りから、懸命に自分のやり残している学習に取り組んでいるところだからです。それでも、彼の母親が見守ってくれています。もちろんあなたの奥様です。守護霊のように彼を見守っています。あたたかい慈愛のこころで包んでくれています。それがためか、安心して励んでいられるのでしょう。

  それで彼の母親のほうは、わりと安泰であり、ゆとりが出てきています。ちょうどめんどりが翼をひろげてひな鳥を翼の陰で守り、安らぐように保護しているという、そんな関係です。それで、あなたの奥様のほうは大分成長し、ふっきれています。霊界に行って大分成長し、あなたのことをよく感じています。よくわかってきています。ゆとりがでてきており、とらわれもなく、霊界でわが息子に対して守り導こうということで、守護霊のような存在として、彼に向かい合っているのです。

  それで、彼の前方上方部に彼の母親の生きた波動や、そのこころがうかがえます。こちらに来ても母親としての自覚が強いのです。そして、息子の地上での中座してしまった学習の残りの部分を成し遂げさせようと見守っている最中です。それで安心して、あなたの息子さんのほうもその下で励んでいるという、そんな状況です。

  あなたの奥様のほうは、大きくひろがった意識で、とらわれもさほどありません。息子さんのほうは相変わらず若々しく、生前のころの20代前半のような若さや活力をいまだに保持しています。34才とかという感じではありません。むしろ、20代前半、22 〜3歳というくらいの年齢を感じさせます。それだけ、引き継いで、生前のやり残した学習を完成させようと無我夢中なのです。

  ただそれでも念頭に、父親であるあなたのことは、想っています。忘れたわけではありません。念頭にはあなたのことがあり、支えになっています。それで、彼の中での位置付けとしては、自分の前、前方上方に守護霊的に慈しみの母親がいて、翼の蔭で彼が黙々として学んでいるということ、そして、彼の脳裏にはあなたのことがあり、彼の頭上、後方部にあなたがいるという、そういった位置付け、あるいは関係としてとらえられます。彼にとっての父親と母親の、彼の中での位置付けです。

  それで両親に支えられて、何か義務感を感じてやっているので、よほど真面目な青年なのでしょう。自分が地上では死んだことには、ほぼ気づいてきてはいるのです。ただ 、内的衝動はまだ残っていて、何とか完成させねば、というのが強いのです。それで両親からの期待も大きかったので、完成させねばということで、一生懸命なのです。なにか親の期待に報いなければという想いがいまだに強いのです。しかし、それほどとらわれているという感じではありません。誠意に応えたい、期待に報いたいという思いで、一心からやっているのと、自分自身も、自分に負けないように一生懸命なのです。

  それで、彼のこころのなかにあなたは住んでいます。それで、彼のこころのなかを読みますと、あなたに対しては次のようなメッセージが伝わってきます。「お父さん、頑張っているよ、こちらにきても挫けずに続けているよ、ちゃんと期待にそえるように頑張ります。こちらにお父さんが来たときに、お父さんに恥じないように、ちゃんと用意して待っています。お父さんがあと何年かして、13〜4年か、16〜7年くらいしてお父さんがこちらに来るまでに、恥ずかしくないようにあるレベルまでは完成しておこうと思います。それでいま一生懸命です。いま来られたらちょっと恥ずかしいです。しかし、いますぐこちらにお父さんが来るのではないことはわかっています。それでものんびり構えてはおれません。一生懸命励みます。見ていてください。」

  このように彼のこころをみますと、父親であるあなたが、この地上でどうしているかというよりも、自分のほうに差し向けられた父親のかっての期待や愛に対して、誠意をもって応えなければ、特に、父親がこちらに来て自分と合流するようになったときに恥ずかしくないように、備えておかねばというほうに意識が主に向いています。もともと受け身的で、おとなしい青年だったからです。

  あなたのことはとても慕い、尊敬し、信頼しています。それで、父親であるあなた自身が、この地上で残されて大丈夫なのかな、とか、そういったふうに案じているふうには見えません。なぜならあなたのことを信頼しきっており、尊敬しているので、地上に残されていてあなたが大丈夫なのかな、などと息子の立場として案じるということはありそうもないことだからです。むしろ自分が、父親からどう見られているか、あなたが霊界に来られたときに自分がどうなのか、というふうに意識が向いているということです。

  よほど生前、父親であるあなたからの期待や愛を感じていたのでしょう。とても真面目な子です。あまり早くあなたがこちらに来られると困る、と言っています。いずれ会うことになるでしょう。どのくらいあとあなたが地上に留まれるかは、先のリーディングでお伝えしたような寿命です。


    

   7.私と潔典の過去生について  (1996. 6. 3)


  オリエント地域での何度かの人生があなた方二人を結んできています。紀元以降は、オリエント地域からヨーロッパのほうへと舞台が移っていきました。同時に一方で、中国やロシアから日本列島の本土そして北海道などといったように、東アジアのほうにも生まれ変わっていったのです。一番最近の前世は、イギリスです。その前は北海道から東北にかけての地域です。その前は、同じく日本のある地域であり、時代は鎌倉期です。

  もっとさかのぽると、紀元後で、わかるのは関西の紀元4世紀のころの大和時代。紀元以降には、そのほか中国での前世もありました。さて、紀元1世紀のころは、ローマ帝国に生きていたのです。紀元前にまでさかのぼりますと、オリエント地域が主な舞台だったのです。すなはち、古代のエジプトやイスラエル、あるいはペルシアなどといった地域です。もっとさかのぼってしまえば、アトランティスがでてきます。アトランテイスあたりから、生まれ変わりが始まっている二人です。

  また、二人といいましたが、実際はもっとファミリィの絆は強く、かつ深く、あなたの奥様も、もちろん地上で元気に頑張っているあなたの娘さんも、同じファミリー・ソウルとして、アトランティスから地球上での生まれ変わりを開始しているのです。そのようななかで、いまは、あなたと今世で息子さんとして出てきた二人の関係をその中で探っていっています。

  アトランティスや古代エジプトでは、文化、特に文化間の比較研究のようなことに貢献していた二人でした。文化の方面の学者あるいは研究者だったのです。彼はあなたの弟子、あるいは生徒の一人でした。愛弟子といってよいでしょう。だいたい、諸世紀のあなたがたの関係を見ますと、父と息子との関係が主軸をなし、そのほか、先生と生徒、あるいは師匠と弟子といった関係がそれに準じています。ほかの関係であったことはあまりなさそうです。たとえば親戚のなかにいたとか、友人同士だったとか、そういうことは全然なくはないのですが、少ないのです。やはりほとんど、父と子か、でなければ先生と生徒という関係でした。もちろん、あなたのほうが先生だったわけです。だいたい、文化、異なった文化同士の比較研究ということで、先生と生徒だったのです。研究者として彼は後輩だったのです。

  古代エジプトに生まれ変わってからは、イスラエルをはじめ、アッシリや、ミタンニ王国、あるいは、エチオピア、スーダンとかシリア、そういった国々との文化あるいは言語、言語学的な観点からの文化の考察という方面での研究に従事していた先生と生徒でした。とりわけエジプトとイスラエルとの関係においてです。そのような研究者同士でした。

  紀元1世紀のローマ帝国においては、父親と息子の関係でした。もっと法律的な方面で、この時は、お互いに学びあっていました。親子としてです。あなたはかなり、当時のギリシヤ語やラテン語、あるいはヘブライ語などの、言語研究を深めていました。法律といっても現代のような法律ではなく、むしろ宗教的なモーゼの律法のようなこと、あるいはローマの法律などです。特に言語学の方面から文化的に考察していました。そして、宗教的なことにもかなり深く入っていきました。そして、彼を導いていました。わりと最近の北海道から東北にかけての前世では、非常に親しい間柄の二人でした。いつでもあなたを慕っていたのです。ただ、非常に繊細なので、あなたはいつも保護する必要を感じていました。

  さて一番最近の人生はイギリスです。17世紀から18世紀にかけてです。先生と生徒同士であり、かつ、父親と息子でもあったようです。穏やかな青年でした。霊的なものにはとても敏感でした。彼は芸術家を志したいと念願していましたが、あなたは、もっと論理的なことに彼をを導こうとしていたのです。


    

   8.潔典が語る霊界の状況  (1997. 6. 4.)

 
  十数年も経ちますと、あの世での過ごし方も分かってくるものです。最初は戸惑いがちでした。戸惑いながらのスタートとなったのです。みな大体、あの世に行くとそのようなのです。私の場合も、暗中模索といったところからのスタートとなったのです。最近ではよく分かってきました。みんなが助けてくれるものだし、自分でもいろんな事情に少しずつですが精通し、迷いや苦悶も消えてきました。自分ではまだまだだと感じているのですが、結構こちらの世界では、スムーズに次の境界へ進んでいけそうだというのです。そういった話を聞くにつれ、自分でも少しづつですが自信がついてきました。

  こちらでは、家族同士よりも同類のもの同土が、寄り集っています。もちろん同類のなかには、かつて家族や同族の親類であった者たちも含まれてはいます。けれども基本的な単位としては、家族としてよりも似た者同士として、寄り集っているのです。私は比較的早く、地上界から離れることができました。純粋さを保つようにという要請からです。何よりもそのことで自分の家族、お父さんや兄弟たちを精神的な世界へと導くようにという要請が強く出てきたことに基づくのです。私のように早くに取り去られる者の場合、親がかなり精神的に成長が遂げられるということが狙いとして強いものなのです。私は世にいた間のお母さんとは、いまは少しばかり離れ離れになりかかっています。それでも、時々は落ち合うことが出来、淋しくはなく、また不自由もしていません。

  私は、心配する気持ちや不安はいまはあまりなく、だんだんひとつの団体に向かい始めています。世を離れてから、冥界でオリエンテーションのような期間を数年過ごし、今は正式な霊界に向かって進んでいます。完全に子供のとき他界した者と大人が普通に他界した者の場合とのちょうど中間に位置していたため、こちらの世界では私の扱いには最初困った様子でした。過渡的な状態だったからです。大人扱いか子供扱いか、だいぶん霊界の住民たちも思案にくれていた様子でした。私は、純粋だというふうに認められ、子供の中に入れられることになったのです。それだけ特典もあって、大目に見られ、私は恵まれていたというふうに受け止められます。

  しばらくは母がついてくれていて、私を守ってもくれまた慰めてもくれたものです。私がだんだん霊界のことを知るにつれ、また母親も一方いろんな学びが進んできたので、それぞれの道を歩もうということになってきたのはごく最近からのことです。それでもつながりはあるもので、先程お伝えしましたとおり、時々は会うことを許されており、いわば連携のようなものが図られているから安心して下さい。こちらの世界では、会おうと思えばすぐ思い浮かべただけで会えるものなのです。空間の隔たりというのはなく、強いてあるとするならそれは意識の隔たりだけなのです。遠いという場合、意識がお互いに疎遠だということなのです。近いという距離感は非常にこころが通いあって親密で抵抗がないということなのです。意識の実感がこちらの領域では物差しとなっています。

  空間はそのようであり、それに対して時間の概念はどのようかといいますと、忍耐や成長あるいは自分という生命体の変化、そういった生命状態の変化や忍耐を感じる抵抗、そういったものがこちらの世界での時間の尺度となっています。客観的な時間というものはなく、状態が変化したという、ちょうど季節の推移のようなものが意識の領域にあって、その時になにか時間に似たような感覚を抱くだけです。本来、永遠で時間はありません。ですから、地上にいるうちにそのようなことを学べば、永遠という無時間が早くわかるようになると思いました。

  こちらの世界では意識の実感のようなものが、すべての尺度の基準になっているのです。特に最近はそのようなことを学んでいます。自分が早く変われば、時間がそれだけ早く経過したというふうに感じます。自分が完全に完成して本来の自分になりきれば、変化がなくなりまた変化も不要になります。それがどうやら時間を超えたということで、変化しない完成しきった、それが永遠のいのちということのようでした。そこに向けて、素直で素朴なこころをますます培うようにトレーニングを受けている最中です。そのためには正直で内面と外面を一致調和させるということが求められてきています。

  地上でのことは、まだ少し気にはかかっております。愛着もまだ少しあるのです。しかし、自分が地上にいたときほどは心配ないことが分かってきています。まだ、思いは残っています。でも不安は嘘のように消えています。それはいろんな宇宙の秩序や仕組みが指導霊から説明されて、私も学び始めたことによります。私は進歩は早いほうのようで、苦しくはありません。比較的上位のレベルの霊界で修行に励んでおります。

  4人の家族はお互いに、意識の深いところでつながりを今でも保っており、こころを通わすことができています。私のことやお母さんのことを思い浮かべれば私もそれに感応し、テレパシーで伝えることができるのです。それはやはりつながっていることに基づくのです。はっきりと声として聞こえなかったり、話した内容をはっきり捉えられない場合でも、何かニュアンスのようなもので感じられると思います。私のほうではもっとはっきり、お父さんたちのことは捉えられています。ほぼ、14年が経過しました。あとまた14年くらいで、こちらの世界で会えるかもしれません。その時は、私のほうが霊界では先輩ですので、いろいろとお役にたてると思います。お母さんも元気で頑張っているようです。

  苦しんでいる者たちもこちらの世界では多いのですが、私たちは事故に見舞われたとはいえ、さほど苦しむことなく、一緒に飛行機ごとこちらの世界にまとめて移されました。あまりにもそれが急だったので、苦しむことなく移されました。もともとあまりお母さんも私も、執着はないほうですので、ふっきれるのも早いほうでした。それに比べて残されたお父さんたちのほうが苦しんでいます。この世にいてもあの世にいても、あまり違いはありません。いづれまた数年後に会えることになっています。時間はすぐ経ちます。神様によくお祈りして、お互いのこころをあたためあうことを望んでいます。

  こちらに来るとほかの親族にも会えます。キリスト様にもお会いしました。あまりにも神々しくて、目を開けていられませんでした。顔を伏せ地にひれ伏し震えていました。みな目を開けて直視できないのです。でも救われた思いがしました。お父さんも残された地上での人生で、善きことをいっぱい行い、実践を積まれて下さい。そしたらキリスト様にお会いでき、目を開けて見ることができるかもしれません。神と顔と顔とを合わせるというペヌエル体験は、よほど素直で純粋なこころを育てておきませんと難しいことが分かりました。生きている間に何をなしたかが問われるのです。

  こちらの世界に来てからは私が先輩ですが、すぐお父さんに追い抜かれると思います。お父さんが生きている間に進歩を遂げて、善き業を日頃の生活の場で行ってくだされば、お父さんにこちらに来てから導いてほしいのです。そしたら家族共々、キリスト様のみ顔を仰ぎ見ることができ、魂が救われることが期待できるからです。職業としてばかりでなく、日頃ふだんの生活の中で隣人に何を為したかが大事だと、よくよく聞かされました。「もっとも小さき者に対して為したことは私に為したことである」と神はおっしゃられる方だからです。文句なくキリスト様を通して、神のことばが伝えられたのです。

  ときどき私やお母さんのことを思い浮かべてくだされば、喜びこの上ありません。お互いのこころの通い合いの中で絆も保たれ、さらに深まるでしょう。


   

   9.イギリスにおける私の過去生 (c) (1997. 6. 4)


  具体的なところを読むのはとても難しいのです。それでもできるだけ読めるように試みることにします。西暦1686年、あるいは1676年、74年、そのあたりのように捉えられるのです。西暦1786年とかではないでしよう。たぶん1686かそれより10年前後まえの生まれのように捉えられます。名前はヤコプにちなんだジェイムズといった名前だったように捉えられます。ロンドンの北西部に生まれたように捉えれます。郊外であり、地名は具体的には正確にはいまは捉えられません。ただ、なんとかバーグといったように受け止められます。名前は、ジェームズ二世、あるいは三世といった感じがします。

  比較的恵まれたなかで育ちました。学問を志しましたが、途中で大分ほかのことにも関心を寄せるようになった人です。けれども最後まで、自分の立場を失うのを恐れて、立場を守るためにひとつの学問の道を進みました。文科の方面ですが、国際交流に関しての教育論といったことが専門でした。英国のアカデミーの協会に所属し、伝統的な学問のなかで生きていました。霊的なことにも関心を寄せていたのですが、自分の立場を失うことを恐れていました。今世の人生では、否応なくひとつの悲痛な事件をきっかけに学問の世界から少し出すように促され、頑固なこころが鍛えられるということが起きました。そして、霊的な目を見開かれ、あの世についての関心、さらに神についての献身というほうに振り向けられたのです。

  アトランチティス時代、紀元1世妃のローマ帝国の時代、それらにおいても学んでいた人ですが、なかなか関心がありながらも完全には献身しなかった人でした。しかし時代の求めに応じて、20世紀の人生ではあの世のことや神様のことへと向かわされ、精神的成長を図られるように仕向けられてきています。英国の学問のベーコン以来の協会の登録簿の中に、あなたの名前が一行か二行だけ簡単に記されているように見えます。宗教に関心を抱きながらも、教育論に徹した人で、法律の心得もあった人です。


  

   10. イギリスにおける私の過去生 (d)  (1998. 6. 4)


  西暦1670〜80年代に生まれています。1686年、あるいは76年、そのあたりのようです。あるいは1678年かもしれません。86〜7年、あるいは1678年、そのあたりの1桁、10桁のところははっきりはつきとめられません。
 
  名前は、ジェームズ、ヤコブ、フランシスといったように今は受け止められます。ヤコブというミドルネイムは、洗礼名です。お父さんもジェームズを名乗っていたのでしょうか。あなたは、ジュニア・ジェイムズととらえられます。お父さんの使命を引き継ぐということが担われていたようです。
 
  今よりはもっと法律関係の仕事に就いていたようです。学問職についていました。政治にも多少関わっていました。政治家たちのサロンに出入りしたというよりも、政治関係の人たちの会議とか討論の場に列席したり、政治家のサークルの研究会に出席したり、などです。しかしそれはサブ的であり、やはり法律関係が主であったようです。
 
  一部お医者さんなどとの交流もありました。主に、医者や科学者の筋から霊界や神秘学関連の情報が入ってきていました。そして、宗教関係のことはだいたい皆、キリスト教を奉じていましたので、その筋から当初より入ってきていました。神秘的な霊界の探求などは、ずっと後からのことです。
 
  伝道的なキリスト教についていたため、霊界の研究などはあまり歓迎されませんでした。そして、仕事の立場上も、そのようなことは触れることはタブー視されていました。それで、興味はあって気にはなっていたものの、それを発言したり、分かち合うことは控えていました。どこか慎重でまた懐疑的なところもあったのです。そして、完全な価値はおいてはいませんでした。それで、あなたの脇を通り過ぎていきました、そのような流れが。
 
  あなたは、ロンドンの郊外で生まれました。ロンドンの南西部でしょうか。ロンドンの町の中心からどのくらいの距離でしょうか。300キロというのが伝わってきているのですが、300キロというとちょっと遠すぎるように感じます。130キロかもしれません。ロンドンの郊外、ロンドンの中心から郊外へ向けて南西の方角で、ロンドンのど真ん中から130キロ南西部のあたりというように捉えられるのですが、そのあたりで生まれました。
 
  お墓は、これはもう少しロンドンから離れたところで、ロンドンの延長部のエリアのなかで、3番目から4番目くらいに位置する、知られている墓地です。ロンドンの市民がだいたいよく知っている墓地の中で、一番目、二番目、三番目と列挙していって、3〜4番、4〜5番目くらいの墓地です。名前は出てきていません。3番目から5〜6番目くらいの、知られている墓地です。多分、お父さんの墓と並んでいます。当時のあなたのお父さんです。フランシスのあとに名字があったのかもしれません。しかし今は、浮かんではきません。


   

   11. 霊界の研究継続の願い (1998. 6. 4)


  多くの役目ある人たちの尽力によって、ご供養されてきているのがわかります。おもに宗教関係の人たちですが、その航空機事故へ向けて多くの人たちが祈念し、あるいはご供養してくださってきているのです。陰に陽にそれはなされてきています。特に人知れず、隠れたところでその事故へ向けてご祈願してきてくださっている方々のご支援は大きいものがあります。そういった祈りによって、みんなの思いが霊界に帰っていった魂たちを慰め、あるいは力づけてきており、それを受けて、一体また一体と、他界されていった魂たちが目覚め、そして元気を回復してきているのです。徐々にではありますが、このような方法で、もう大分そのときの他界されていった魂たちは救われてきています。

  息子さんと奥様もすでに救われておられます。割と早い時期にです。といいますのも、母と息子との間では、絆が強く、お互いに助け合い、また偲びあい、といった支援しあう関係が当初から形成されているため、ともどもに帰っていったのです。同時に帰っていくほど縁が強く、分かちがたいものが二人の間にはあったのです。そのため、向こうでも気を落とすことが少なく、目覚めも早く、立ち直りも早い時期にやってきました。

  ちょうど4人家族が、父親と娘、そして母親と息子というふうに二分し、男女のペア一対ずつとしてあの世とこの世に振り分けられ、相対しています。それは偶然ではなく、天の計らいだったのです。お嬢さんとの関係が強いのです。一方、奥さんと息子さんとの関係もまた同様、強いのです。その上で四人家族なのです。ほとんど twin soulといっても過言ではありません。父と娘、母と息子でおのおの、twin soulをなしています。そしてそのtwin soulどうしがまた、soul mateに近いものを関係として持っています。 

  この四人家族は、あの世とこの世でお互いに向かい合いながらバランスを取り合い、橋渡しともなっているのがわかります。そのようにして、武本家を支え、またあの世から、そしてこの世からも、浄化してきています。彼ら二人は、地上にとどまった二人の家族の守護者となってくださっています。地上に肉体をまとったまま四人で固まっていることで為しえないことを、緊密な四人家族が、とりわけ縁の深い二人同士として、住む世界を異にすることで、バランスを取りつつ、互いに二つの領域で支え合い守護しあい、全体が成り立つようにまわりにすら働きかけてきているのです。

  あと十年前後の余命がつきればあなたもまたそちらへ帰っていくこととなるのです。そのときはまた再会できます。まだ終わっていないからです。それがずっとあなたの中に思いとしてとどまっていることの説明となっているはずです。ただこだわっていたり、吹っ切れていないという、そういったようなことでは片づけられない何かがあるのです。もっと前向きなものを役目のようなものが目的としてそこにはあります。心の整理がついていないということだけではないのです。

  それゆえ、ずっと思いが留まっており、そしてそれは、絶えることなくこれから数年続き、そしてこの地上での役目を終えた時点で、その思いによって導かれていき、その思いが遂げられるときがついにやってくるのです。あの世での再会です。そしたら今度は、3対1となって、娘さんをあの世から守護し、そして導いていくこととなります。お互いあい関連しあっているのです。
 
  母と息子の結びつきは強力です。従ってあの世での立ち直りも、とても早かったのです。いま息子さんは元気で学びに取り組んでいます。語学の学習や文化全般、地球上での文化や地理学に学んでいます。あの世でもそのようなことを学ぶというのは、何か不思議な感じがします。けれどもあの世もこの世も、重なり合っている二つの領域なのです。この世のほかに別のところにあの世が存するわけではありません。完全に重なりあって在るのです。
 
  彼は思い半ばにして確かに帰っていきました。彼が学び究めたかった語学と、そしてたぶん彼の興味の中にあった文化地理学のようなもの、その領域にまだ思いがあり、あの世で学習を続けているのです。文化の面から歴史学もふまえて言語学について研究したいというものを抱いて生きていました。そして実は父親がこの地上で学んで関心を抱いていることにも影響をあの世で受けているのです。お互い男性の魂として、あの世とこの世とで、相互に影響を及ぼしあっています。
 
  あなたの衝動はそのまま彼の衝動にもなっているのです。このようにして父親の意志力を引き継いで今日にまで至っています。彼は今でも、あなたを父親と感じており、そうみなしています。そして、父親であるあなたからのサポートを必要としています。それに点火されて、彼はあの世で学びを続けていられるからです。そして彼が得た成果はそのまま今度は逆に、地上の父親であるあなたに返ってきます。相互に循環して巡っているのが感じられます。
 
  似たようなことは、あの世のお母さんとこの地上での娘さんとの間でも巡っています。同性の親のものをその子はおのおの引き継いで、それをさらに前進させ、出来うれば完成したいという思いを抱くようになるからです。その意味で娘さんは、あの世のお母さんの衝動を身に保ちつつ、それに動かされており、そのお母さんの思いを成し遂げるという人生を歩んでいる面もあります。
 
  ちょうどそのように、あの世とこの世はあべこべですが、父親のあなたの思いや衝動が、あの世の息子さんを駆り立てて学習を続けさせているのです。そしてそれは、親のところへ返ってきます。それはお父さんにも、またお母さんにも返ってきているのです。本当にバランスを取り合っている四人家族なのです。だから天の計らいだと言ったのです。
 
  そして霊界の研究を続けてほしいという便りがあの世のお二人からやってきています。それを是非お父さんにやっていただきたいということです。そのきっかけとして、あの事故も起きました。霊界について目覚め、あの世とこの世との成り立ちや相互関連、そしてその仕組みなどを重視し、それを世に紹介するという仕事です。その際、一つの具体的な実例を持って為すのが、迫真を以て多くの人々の心を打つことが出きるため、それは実際のこととなりました。そしてそれは、他の誰かに起きたのではなく、ほかならぬ自分たちのただ中に起きたのです。それで逃げられなくなり、それを引き受けることとなりました。そして、お尻に火がついたように、その方向へ向かわされ、つまり導かれていったのです。

  直前の前世でもそのようなことに興味を持っていたのですが、社会的な体面というのがあり、体裁を取り繕うことがどうしても自分には必要だと思いこんでいるところがありました。それが一つの妨げになっていたのです。それで興味を持って自分なりに研究並びに調査をしていたのですが、人には決して話しませんでした。それが直前の前世でした。
 
  今世においては、前にプッシュし、押し出された格好です。それによって前世にやり遂げられなかったことをやることで、自分の中でもバランスを取り、大切なものに目覚めてそれを重んじ、それを最後の仕事として今世やり遂げるようにという要請がきているのです。それで、身内の二人が捧げられ、文字通り死をもって呈し、父親をそちらに導き仕向けたという次第です。
 
  それがあなたの、特に大学を退官してからの仕事です。最後のこの地上での残された仕事です。前世でやり遂げられなかったことです。回避したからです。そこを、あの世に行ってあの世を学んでいる絆の強い魂たちが衝動としてあなたを駆り立て、今でも仕向けています。それが守護者という意味でもあるのです。導いて指導しているのですから。いやでもあの世に興味を持ち、認めざるを得なくしているということです。
 
  お父さん、僕は元気で励んでいます。どうぞ安心なさってください。こちらの状況は、イメージすればお父さんのその中に織り込んでいきます。それを手がかりに、最後の研究に取り組んでください。お父さんが前世で成さなかったその仕事を、特に大学を退官して後、やれるようにまず、二人でこちらに帰りました。そしてお父さんの興味をそこに向けさせ、あの世から支援し導きます。導かせていただきます。だから、お父さんの最後の仕事を果たしてください。それが四人家族の使命の一部であり、しかもその一部は、とても大事だと感じられるからです。


    

   12. 多くの人々の目覚めのために  (1999. 6. 5)


  僕は死んですぐ、霊界に行きました。といっても、すぐに、正式の霊界へ赴けたわけではありません。まず、黄泉の国といって、中間段階を経て行ったのです。そこで待機させられていました。どのくらいだったかは定かではありません。ただ、随分と長かったのは、いまでも覚えています。

  特に苦しんだことはありません。むしろ、肉体から解放されて、自由を感じることが出来ました。神様が居られるということを、あとでだんだんと、わからせられました。二人か三人の守護者達がついてくれていて、いろいろと教えてくれたりして、導いてくれているのです。最初はよく誰だかわかりませんでした。守護者たちのことです。でもなにか覚えているという感じは最初から自分のなかにはありました。なじみがあるような気がしたのです。けれど、誰だかはわかりませんでした。

  肉体を離れてから自由を感じました。特に痛烈な打撃とか痛みは伴いませんでした。肉体から魂を分離させたときのことです。お母さんと僕とはとても縁が強く、一方、お父さんとお姉さんとは縁が強く、お互いに対照的に位置しています。お互いに向かい合っているような関係にあるのです。

  あの世というのがあるのは、聞いていましたが、本当にあるということがわかり、安心できました。ひとつの扉を通っていくようなものです。ひとつの部屋といまひとつの部屋とがあります。二つの領域のことです。扉が間にはあります。そこからいまひとつの領域へ移行できるのです。あの世からこの世、この世からあの世、いずれの場合も同じです。ただこの世のほうが粗雑な世界で、重い感じがします。ちょうど鎧を身にまとって戦士として戦に赴くようなのがこの世です。それに対して、鎧を脱ぎ、家庭のなかで憩い安らぎ、自分の本心に帰れるのがあの世です。もちろん鎧というのは肉体の喩えです。そのぐらいあの世に来てみると、肉体の重たげなことがわかったのです。それ故、あの世に行って苦しんだり悲しむということはこの世にいる間想像していたほどのものはありません。最初は悲しかったり辛かったりというよりも、戸惑いを覚えました。この世に残っている人たちのほうが悲しむことがわかりました。

  あの世であるここに来てから、あの世側からはあまり寂しくはありません。何故というに、この世のことが見通せて、死んでも生きていることがわかったし、引き離されたというわけでもなく、いまでも身近に居るからです。それで、引き裂かれたという気はしません。だから、寂しくはありません。肉体をまとっていると鈍くなるので、引き離された感じになり、寂しかったり悲しみます。あの世とこの世とで、ご縁のある四つの魂が二つの領域で、縁ある二組でペアーをなし、向き合って暮らし続けています。別の世界に行ったわけではありません。いまでも一緒です。ただ次元が違うだけです。

  お母さんと僕とには、守護者がついてくれています。同様に、お父さんとお姉さんには僕たち二人が守護者です。守護者というのは、縁のある魂のなかで先輩格のことです。この世の年齢とは異なり、あの世や神様のことに精通している者たちが先輩ということになります。

 お母さんと僕とはとても縁が強く、一対をなしています。同じように、お父さんとお姉さんとは対をなし、とても縁があります。それでこの二人同士は引き裂かれません。多少、この世やあの世の都合や事情によって、もう一人が結婚したり、多少、別に居をかまえたりなどしたりしても、完全な別れは体験しないように考慮されています。でも、二人と二人との間は、このように、別な次元に分けられました。あの世とこの世の二つの領域を股に掛けてバランスをとるようにということでした。また、お父さんを目覚めさせ、導くために高い霊が動かれ、このようなことを起こされました。

  お父さんなら、頭も聡明で、苦しませるのは高い霊たちにとっても辛いことで、決断を要したということです。でも、必ず目覚めて立ち直る人だということがわかり、一人の苦しみが何百、何千人、いや何万人の人たちの魂を目覚めさせ、同様の苦しみや悲しみのなかで沈んでいる同胞に慰めと魂の癒しをもたらすことを、その聡明さによってやってくれるということが期待されたからです。僕は純粋だからということで、その純粋さを保持してほしいというので、早々と引き上げさせられました。あまり世俗の垢にまみれてほしくないということのようです。

  お父さんは僕に、仕事や勉強など、とりわけ語学の面と国際文化の領域で跡を継ぎ、活躍してはしいと期待をかけてくれていました。でも守護霊たちがが、もっとあの世のことに精通するはうへと導いていき、たいそう大きな力が働き、このような具合に流れ上、なってきました。

  お父さんと僕とは、前世において何度か、国際関係のなかで重要な役目を果たしてきた使命のパートナー同士でした。また、実際、肉の親子であったこともあり、たいそう可愛がってくれました。使命のパートナーであったときはいろいろと助言をしてくれ、教え導いたり守ってくれました。古代から近代にかけて、何度かお互い格別な関係を結び、特に国際関係において二つの国と国の間の調整役などを務めたり、学問の世界でも、言語学の分野でも、お互いに切磋琢磨しあいました。

  いまの時代、それをまたやろうと思っていたのですが、切迫していることがあり、霊界にも異変があるなどして、大きなカルマや意向がはたらき、僕たち家族に大きな力が介入してきました。アトランティスの当時のカルマが動いて、もっと人類が魂のレベルで目覚めるように僕たち家族に働きかけだしたのです。特に僕たちが前世で罪を犯したとか、いけないことをしたから苦しまねばならないということではなかったのです。もっとほかの人たちが目覚めるため、私たち、僕たちみんな四人が捧げられ、皆の目覚めのために尽力するように求められたのです。自分の場合は、純潔を魂の領域で保つようにということで、新しい守護者になるよういま訓練をうけているところです。

  お母さんとお姉さん、お父さんと僕との間には同質性のものがあります。それで比較的通信しやすく、目をつぶってリラックスし、自分に素直になりながら相手をイメージ上で立ち上らせて正直に向かいあえば、イメージ上の相手の表情や顔つきの変化でメッセージを受け取ることが出来ます。異なった次元問でのコミュニケーションは、このようにしてなされます。目をつぶって瞑想状態のなか、イメージ上でではありますが、相手の口が動き始めて声に聞こえたり聞こえなかったり、いずれにしても口が動いて、何かを語り伝えてくることが生じ始めます。

  お父さんにはお姉さんが、そして、僕にはお母さんがどうしても必要で、異性のペアー同士でお互い支え合い、またかばい合い慕い合う生活を支え共にすることが必要で、そのように二分されました。また会えます。通信上のことばかりではありません。あと数年か10年そこらで、また実際にお会いできます。でも急がないでください。こちらの世界で待っています。すぐ会えるということです。すぐというのは数年の「すぐ」という意味より、迷わずすんなりという意味です。そのためにもお姉さんにはパートナーが必要で、結婚するようになりました。お姉さんともいずれ会います。


    

   13. イギリスにおける私の過去生 (e) (1999. 6. 5)


 (あなたが生まれたところは)ロンドンの近郊地であり、ロンドンから北西部、ロンドンの中心街から8キロから12〜3キロくらいの距離の地点だったようにとらえられます。あるいは、北西部というのが逆に、ロンドンから見て北西部ではなく、その逆かもしれません。そこからロンドンが北西部という意味です。でもたぶん前者で述べたほうが正しいように感じ取れます。近くて中心街から5キロ、遠ければ15キロから17〜8キロくらいの地点です。

  地名は具体的には浮かんできません。ただこれは文字通りの地名ではないですが、浮かんできたものとしては、「ソールズベリー」とか「マクレガー」とかいうのが出てきます。地名そのものではありませんが、何かの関わりがあるかもしれません。手がかりになればと思います。また、「セ」とか「サ」とかいう響きが感じ取れますので、地名に入っているのかもしれません。あなた自身は、ロンドンの郊外ばかりではなく、当時の学生時代、ロンドンの中に住んで研鑽に努めていた時期もあります。

  当時の生まれは西暦1688年のように捉えられます。1678年というのも浮かんでくるのですが、78年より88年、あるいは87年。そのあたりのように捉えられます。名前は「ヤコブ」とか「ジェームズ」というのが伝わってくるのです。「ジェームズ・ヤコブ・フランシス」、ちょっと変な感じがしますが、ただ浮かんできましたのでそのままお伝えしました。ちょっと考えると、名前としておかしい気が、理性を働かせるとするのですが、そのように伝わってきました。またこれは、いまと関わりがあるのですが、「ソルボンヌ」とか、また、「エリーヌ」、これはなんのことかよくわかりません。そんなことばも浮かんできます。

  当時の職業は今と似ているのですが、今よりも政治とか法律学のほうにより重点が置かれており、いまよりもっと堅く慎重で、宗教、具体的にはキリスト教関係の人たちに対して自分を開かない人でした。自分の中では、本心、関心があったり気になったりしていたのですが、学問的な態度を堅持し、守り抜こうとしていました。今世では、守護霊たちがそれでは困るというので、あなたをバランス化させるべく、あることを起こして効果的に何かを習おうとしたわけです。

  当時もやはりスピリチュアリズムがすでに勃興していて、英国アカデミー、英国王立協会の前身があり、それはフランシス・ベーコンとの関わりがあったのですが、政治家や学者人、ときに医者や芸術家などが会員になっていました。キリスト教に対して学問の世界から霊的なことを学び理解し、生活に実践しようという啓蒙の協会です。一昔前の日本におけるロータリークラブに似ています。学識者たちの交流の場だったのです。あなたは形だけ所属していました。あまり出席はせず、名前だけ登録していました。時々出ましたが、無口で頑固な態度であまり心を開いてはいませんでした。

  当時の家族については、よくつかみとれません。家族がいたにしてもあまり浮かび上がってきませんので、家族がおられたにしても一人も同然という感じで、あまり家庭的な感じは当時のあなたからは受けません。

  さて、あなたのお墓の位置ですがロンドンから北東部のほう2、30キロ圏内、あるいは3、40キロ圏内、ロンドンの中心地から北東部3、40キロの地点の墓地のあるところ、30体から50体、あるいは100体ぐらいのお墓の規模のところにあるように感じ取れます。さて、以上の情報が正しいかどうかということの裏付けの取り方ですが、フランシス・ベーコンについての研究書やレポートを調べたり、あるいはフランシス・ベーコンとの関連における英国王立協会の登録簿の写しの資料、しかし、実際それ以上にどのようにあなたが物的証拠に突き当たれるかというと、むしろあなたの身の回りであなた自身のいまの仕事や立場から入手できたり遭遇する資料、または自分が学んできた世界の中で2〜3百年前のその時代に生きていた人で探すことが出来る、それが可能性として高いといえます。

  つまり、別の世界を探るというより、今世のここまでの学びの中で、自分の専門そのものか、それに準ずる関連領域の中で前世のあなた自身を見いだすかもしれないということです。つまり、案外身近なところにあなたが学んだり研究してきたなかに、埋もれている可能性のほうが高く、今までの文献を渉猟したり見直したりするだけでも突き止めて、突き当たるかもしれません。


   

   14. 国際交流に尽くしていた私と潔典  (2000. 6. 3)

  まずわかりますことは、同じ使命を分担しあって生まれ変わってきたということです。使命は同じ、役目が異なる、それ故協力しあって相補うかのように、バランスをとりながらともに進めてきています。もちろん違うといっても、共通の使命のなかで担う役目が異なるということですので、助け合い、補い合い、協力しあって、その使命を完成させようとしてきているわけです。
 
  二人とも大使でした。国と国、民族と民族との間を調停したり、国交が回復するように計らったり、あるいは文化や教育、ときに技術の面で互いの国が成長し、繁栄するために力を尽くしました。古代の日本の大和朝廷の時代には、朝鮮半島と日本との間で国交が始まり、朝鮮半島のほうから技術や文物を帰化人となった人たちがもたらしてきています。そのころの時代、二人は日本と朝鮮半島との間で、互いに有益となるように、またバランスがとれるように、計らいました。しかしそれは、なかなか難しいことでもあったのです。紀元4世紀から5世紀にかけての頃です。神宮皇后からその息子の応神天皇にかけての時代です。
 
  中国のほうとの国交も始まっていました。あなたは主に中国のほうとの間での国際交流ということで役目がありました。彼の方は、朝鮮半島との関わりで責任がありました。当時の世界といえば、日本にとって中国や朝鮮半島でした。あなたは中国との国交のほうで忙しく、責任も重かったので、ほとんどそちらに忙殺されていました。朝鮮半島との国交はなかなか難しい問題をはらんでいて、彼はとても大変でした。あなたは何となく気にはなっていたけれども、自分のほうでかかずらわされて、なかなか意識を彼のほうに向けることができませんでした。

  あなたは彼を含めて、何人か何十人かの規模の、国際交流に役目のある大使や外交官のような人たちのまとめ役、また育て役の親という立場にありました。彼を含めて何十人かの使節で派遣される者たちの育成者、また指導者だったのです。日本対海外での交流の派遣員らのあなたは元締め的存在でした。彼のことは、直接の息子ではなかったようですが、とても有望であると見なし、とても楽しみにしていました。朝鮮半島との国交が始まったので、とてもそれは日本にとっても重大だと思われ、有能で将来有望視されていた彼をそちらに振り向けることとなりました。

  しかし、気になっていることも残されていました。いまの時点で、リーディングによってすべてがわかるわけではありませんが、わかる限りでは、おそらく、彼の母親は今世の母親であって、同じ母と息子の関係にありました。一方、あなたのほうは、独身であったかあるいは結婚していたかは定かではありません。ただわかることは、あなの今世の奥様と息子さんとは特にあなたと血縁関係になく、しかし、母と息子という関係でお二人のほうは、やはり、同様の関係があったということです。
 
  一方、今世における二人の間の娘さんは、あなたと親密です。しかし、どのような関係にあったかまでは掴みとれません。ただ、いまわかりますことは、あなたはとても忙しかったということです。それ故あまり、家族がいても家族との交流はもてませんでした。あなたは仕事優先のところがありました。それは自分で選んでいたことですし、同時に一方、状況や形勢上、そのようにもなってきてしまったということも手伝っていました。

  今世における学びとカルマとしては、あなたの場合、一方で家族を大事に思いつつも、どこかでやはり仕事のほうに引っ張られがちで、自分でも価値を置き、その両者の統合とバランスが自分のなかで、いまだ取れなかったということが、今世ありました。しかし、前世の教訓をふまえて、今世においては家族を大事にしたいという念願を、最初からもっていました。しかしそれでも、前世の時の十分に家族を思いやってあげられなかったということが、カルマ的に今世表れて、あなたを再度、そちらに志気を振り向けさせたことが起きました。

  さて、ほかの前世も見てみましょう。ほかに前世としては、特に潔典さんとの関わりでは、アトランティス時代、そしてもっとずっと後のローマ時代、そしてさらにもっと新しい最近のイギリスを主とする前世、などです。アトランティス時代における二人の関わりは、師弟といった関係にありました。さて、アトランティスにおける前世は一度きりではありません。3〜4回、アトランティスで生まれ変わっています。そのうちいま述べましたのは、もっともいまとつながりの強いアトランティスの前世で、その時に師弟関係にあったわけです。しかし、別のアトランティスの前世では、いまと同じ親子の関係にありました。その時はいまと同じ家族構成でした。いまは二つのアトランティス前世を併行して述べています。

  まず、師弟関係にあったほうに再度意識を向けますと、あなたは教育者であり教える役目がありました。しかしあなたの当時のカルマとしては、愛をもって忍耐強く育て導くというところまではしませんでした。必要なことを教え伝え、そして卒業させました。その意味でとてもドライな関係でした。あなたは生徒や学生たちに対して、自分が身につけている知識を伝達し、それでこと足れりとしているところがありました。それがいいという学生たちもいました。しかし一方で、それでは飽き足らない、それでは十分に満たされないという学生たちもいました。彼はそのような一人でした。それで彼のなかに癒やされぬ思いが残りました。あなたが今世面倒をみてあげる必要があったんだということを知らされるようになりました。

  さてそれでもなお積極的に述べ直すならば、あなたと彼とは、二つの領域、二つの世界、比喩的に二つの国々、という両者間におのおの身を置きながら交信しあい、一つの世界を築き上げるための使命上のパートナーなのです。それ故、今世においてもそのことが早めに起きました。起きてしまったといえるでしょう。しかし、人情的に起きてしまったというのであり、もっと真実と高い愛からすると、それは「計らい」だったというべきです。いずれにせよ、二人の位置関係からすると、広い世界を作り出すためにおのおの共通の使命を担って対照的な両サイドを分担しあい、お互いに交信し、どこかで協力しあって一つの世界、たとえばあの世とこの世という二つの国を一つにするということを行っているのです。あなたがたとえ、通信したり交信したりしているという自覚や意識が伴わないにせよです。

  すでにあなたがいまでも、あちらの世界、そして、彼のこと、奥様のことを、常に思い念頭から離れないということ自体が、そちらに意識が向いていてどこかで無意識のうちにも交信が交わされているということを表しているのです。それ故、自分では意識できなくても、それが着実に為されてきているということをさらに確信してください。そうすると本当にだんだん遅ればせながら意識上にそれが上ってきて、自覚できるようになってきます。おそらくこれから、そのような意識になっていくのでしょう。そしてそれがかなり明確となり、確信が定まった頃、ちょうどあなたも他界し、そして、あいまみえることになるのでしょう。その時彼は、日本の大和式の装束に身を固めていることでしょう。あなたはそこで、みんなの世話役であり、まとめ役、教育の顧問官だったからです。そしてそれは遠いアトランティスにおける前世と合似通った役目とポジションの継承であります。

  ふたりが十分におのおのところで成長しきって使命を果たし、その上で再会するということが起きます。今度の再会はあなたが肉体という衣を脱ぎ捨てたときに起きます。二つの領域、二つの世界を一つにするためにおのおの家族で、二人ずつ、分かちもち合う関係性にあります。もともとどこかそのように、お互いに分けもつような関係性をこの世においてももっていた家族です。アトランティスにおける今ひとつの前世、いまと同じ家族構成であったときに、お互い協力し、分担し合って、足りないところを補い合い、世界が一つになるような日を夢見ていました。

  アトランティス時代は大規模な範囲で国際交流がありました。そのようななかで国のカルマのために身を挺して捧げた者たちがいます。そのように大きな単位のカルマ、国とか民族、国家間の目的のために、あなた方家族はありました。そしてそのように大きな単位での目的とカルマのために献身したということがアトランティス時代にあったために、今世その事故が起きました。亡くなられた方がすべてそのようであるという意味ではありません。あなた方にとってのその事故の意味や内容のことであります。一つの世界がもたらされるために大きな範囲での目的のために、というところに結びつけられた家族の魂だからです。

  さて、近代ヨーロッパにおける前世をみてみましょう。あなた方二人は、同士であり、学友の関係にありました。ライバルというよりもっとよき関係で、お互いに切磋琢磨し、将来を夢見ていました。いまよりもっと、法律とか文化とか、あるいは、心理学的な方面にも関心を寄せていました。でもあなたはとても堅く、頑固な人でした。興味があってもあまり介入してはならないと、自分の立場を守ることを優先させていました。今世においてそれをバランス化させるようなことが起きて、今世学ぶ機会を与えられました。それでもあなたの周囲には、霊的なことや心霊学的なことに関心を寄せる人たちがいたのです。それをあなた自身、ローマ帝国の前世や、また、古代エジプトにおける別の前世で、そのような者とどこか関わりがあったことに基づきます。

  それ故あなたは、生まれ変わるごとに再三、直接ではないけれども、そのようなことに自分が隣接しているのを体験してきています。とりわけ、ローマ帝国の時代、あなたは信仰もあり、そしてそこでも指導者でした。あなたは責任感の強い人でした。そしてそこでも、潔典さんは有能な弟子の一人でした。弟子以上の存在です。二人でよく、将来のことを夢見ながら語り合いました。しかしあなたの愛は、偏ったものでもありました。悪気はなかったのですが、ほかの生徒たちや研究生たちに対してあなたの愛は向けられませんでした。向けなかったつもりはなかったのですが、そのようになっていきました。それ故、今世において、カルマをバランス化させることが起きました。

  あなたは今世において、一つの出来事によって、大半のカルマを清算したのです。あなたの累積されてきたカルマは、たった一つのことでもって、ほとんど清算されました。そしてそのあと、学びが始まりました。長い期間かけてカルマを果たす人が多いのですが、あなたの場合、今世、一つに集約させて、一つの具体的な出来事でもって自分の大半のカルマを果たし、またそれを学びのきっかけとし、自分の傾向を矯正するために用いました。そして互いの試練のなか、お互いに干渉しあうことなく引き離されるような形で、おのおのが自分に向かい合い、浄められ、その上で、再びあえる時を待っているところです。

  長い長い魂の時間のなかでは、20年や30年はほんの一瞬なのです。後で振り返ってみて、その時には、お互いに別々でカルマを清算し、試練にとり組んでいたその2,30年間が夢のようであったことを気づかせられることでしょう。おのおの別々にというのはいまであり、試練期間なのです。そしてそれは長いように感じますが、ほんの一瞬なのです。いまの形態や関係はあなた方にとって一時的であり、基の関係ではありません。このようにしておのおの別々のところでカルマを果たし、試練に立ち向かい、それを終えたとき、あなたは他界し、ふたたび一つになれるのです。


    

   15. 霊界における潔典の消息  (2001. 6. 6)


  人間の心には周期があります。ただ一方的によくなっていったり、どんどん悪くなっていったりということはあまり起きません。実際には、周期を描いて、よくなっていったかと思うと、その後ちょっと落ち込み、しかしそのまま悪くなり続けるかというとそういうわけでもなくて、しばらく沈んだ後、また浮上してくるといったように、ある程度浮き沈みをしながら生きていきます。それはあの世に帰ってからとて同様です。生命体における一つの特徴なのです。それはさらに個別的にも、その生命体固有のリズムとかサイクルがあるものです。それがまた特徴ともなって、あの世でこれは同一実体だと捉えられる場合もあるのです。

  ちょうど昨日は、39回目のお誕生日にあたっていました。この世での直前の前世のお誕生日とか、あるいは命日とかいうのは、やはり生命のリズムにおけるひとつの印になっているのがわかります。それで日本でも昔から、そのようなときにお祭りとかそれに準ずることを執り行ってきているのです。あなたのリーディングということで、毎年ここに来られています。それは無意味なものではありません。今はちょうど周期の上で、ちょうど変わり目にさしかかってきているのがわかります。それは例えば、天候をみてもあらわれていますし、また、媒体となるものの体調にもあらわれたとおりです。いまはややあの世で不安定な状態にあるからです。でもいい方に向かいつつある節目なのです。むしろここのところ、落ち込んでいたということであり、ちょうどまた今日ぐらいから持ち直し、あの世で元気を徐々に盛り返していく感じがします。

  もともと彼は、影響を受けやすいたちです。とても繊細で鋭敏な人です。確かにそのまま生きていれば、語学の方面で活躍できる人になれていました。前世でも語学とかあるいは文芸の方面で活躍していた魂なのです。彼の場合前世では、語学や文章の面で卓越していたのと、ほかには経済や金融の方面で一見識をもっていたときもありますし、また、なかなかアイデアの人であったときもあり、工学、技術の方面で才能を発揮したときもありました。また、趣味として、楽器を、おもに弦楽器でしたが、奏でて、そして声もとても美しくきれいで、歌うことも出来た人でした。叙情的な詩や文章も好み、自分でも綴ったことがあった人なのです。それで今あの世でも、かなり創作活動に燃えてきているところです。

  非常に論理的で緻密な科学の頭脳と、同時に一方、叙情的なこころ優しい機微を感じさせる面とを併せ持った人であることがわかります。閃きがあるということでは直感型の人です。音楽と数学の才能、そして、文章と語学の才能が特に秀でています。そのようなきびきびした面をいま捉えています。ちょうど昨日から今日にかけてが、また一つの節目になってきており、この半年ぐらいはやや動揺して落ち込んでいましたが、ちょうど今ぐらいから、持ち直し始めてきているのがわかります。そのような意味では、このリーディングの働きかけが一つの浄化となり、彼自身また元気になってくるので、それが当然のことながらこの世のつながりが強い人たち、家族をはじめ魂の上でご縁のある人たちにも今後及んでくるに違いありません。

  彼はすでにかなり自立しており、確信を感じさせてくれています。もともと学究肌の人で、探求心が旺盛なのです。最近は活動に燃えています。あの世でもそのような活躍の舞台はあるのです。最近はあの世で、詩や文芸の創作と、また音楽、あの世の音楽にも興味を抱きはじめ、創作意欲に燃えだして活動を開始しようと、その動きを感じさせてくれています。体の動きです。あまり内容的なものは伝わってこず、座っていたのが立ち上がって体が動き出しているという感じで伝わってきているのです。ことばの上では物静かです。しかし、内面的な意欲がみなぎっています。さあやろうという意気込みが伝わってきているのです。

  何れにせよ、今回のリーディングが一つのきっかけとなって浄化が起き、彼自身また、父親であったあなたの力をいただいて活発に動き出そうとしているところです。ある意味で、リーディングをする時点で繋がり、父親と息子との間でまたこころのエネルギーの交換が為されたということがわかります。それであなたの意志が彼のほうに及んで、また元気になってやる気が出ているのが見られます。そのへんのところは以心伝心がちゃんと働いています。相互に影響を及ぼしあうわけですが、父親と息子という関係の場合、お二人の場合ですが、おもにあなたから彼にという方向の働きかけの影響が主流です。あなたが彼のものを受信するというよりも、そのような関係性にあるのです。そのため、リーディングということで、いってみれば取り次ぎ役を任じられ、それが始まる頃にそっとあなたの思いが彼のほうに届いて、彼は大分元気になりました。

  しかしその直前には、同調を始めると彼のものがまず媒体のほうに及んできました。しかしある程度、人間関係の心理といいますのは、こころの面といいますのは、相手に伝えると楽になるということがあるわけです。自分のものをうち明けたり、思ったことをぶつけたり、感情をあらわにしたり、などで、そうすると本人はそれで楽になります。それに対して受けとった側がそれを受けます。しかしそこで解消していくことが起きるということです。そのようなエネルギーの交換が今回かなり起きました。この6カ月ぐらいは彼はけっこう沈んで元気がなかったのです。しかしまたあなたの思いがこれを機に伝わって、張りきりだしています。また彼は別の前世では、園芸とか庭作りなどに興味を持っていたときがあり、なかなか純朴な魂の、素直な青年だったときもありました。

  さて、彼からあなたに対して伝えたいということでみてみますと、「お父さん、僕はこのように励んでいるよ。頑張りますから、見ててください」。そのような意欲に満ちたハッスルする精神が及んできているのです。本当に見ててください、という感じです。応えたいという思いが伝わってきます。なかなか元気です。元気になってきました。お母さんのほうはそれに対して、物静かでずっと背後に控えており見守ってあげているという感じで今でも一緒です。あまりまわりには人の気配といいますか、ほかの霊とか存在は感じ取れません。やはり二人でしのびあい基本的には二人で過ごしてきているのがわかります。霊界の一つのところで。

  あまり悪いところではありません。地獄とか低い霊界ではありません。まわりにはあまり景色とかは感じられません。一つの空間のような感じだけです。ずっと内省し、そこでそれ以降を過ごしてきているのです。つまり事故の瞬間みな同じところに移されたわけではなく、おのおののカルマや境涯、境域にしたがって己にふさわしいところに赴いていったということなのです。決して事故で亡くなられた方が同じところにずっと一緒に同様の状態で苦しみ続けているということはありません。亡くなった方が地獄にいっているとか苦しんでいるとかはありません。当初はそのようなことがありましたが、今は普通です。お二人とも元気です。 


   

   16. 今も母親と楽しく暮らしている潔典  (2002. 6. 5)


  いまは霊界において、楽しく過ごしています。生前お母さんであった人と、いっしょです。霊界において二人で過ごすことが多く、あの世に行っても強い絆で結ばれています。霊界の牧場のようなところで、静かにこころ楽しく二人で過ごしています。のどかで安らぎが感じられます。あまり周りに人がいません。緑の草原が広がっていて、土地は真っ平らではなく、多少起伏があり、しかしあまり急ではなく、なめらかな土地です。むこうの方には家もあり、生前と変わらぬ生活をしています。この世でもそのような場所はあります。このように、あの世に行ってからも、この世で過ごしていたときと比較的似通った暮らしをしていて、こころ安らかに過ごしています。苦しんではいません。困ってもいません。あまり多くを語りません。こころは満ち足りてきています。平安な感じが伝わってきます。

  牧場でお母さんと一緒に立ったり座ったり、少し歩いたり、二人でゲームのやりとりをしたりなど、動きはあります。しかし、非常に穏やかで、物静かに進行しています。静かなお互いのやりとりが交わされています。あまりことばによるコミュニケーションはしていません。もう以心伝心で互いにこころが通じ合っているので、ことば少なにこころを通わせあっています。そして、先ほども伝えましたとおり、まわりにはあまり人などの存在はなく、自然が広がっているばかりです。あまりほかの霊たちと一緒にいたり交流したりはしていないようです。

  このような状況の中で、心静かに二人で過ごすことを選んでいるのです。また、指導霊もあまりそれに干渉せず、遠くで、或いは背後で、見守っているのです。それをよしとしてくださっています。またこのような光景は、二人が望んでこころで紡ぎだしている世界ともいえます。そのような意味では、多少、いる場所といいますか、まわりの光景は変わります。いまはちょうど牧場が捉えられただけです。いつもいつも牧場でこのようなやりとりをしているということではありません。それにしましても、おおかた似たり寄ったりで、たいていこんな感じで過ごしているというふうにはいうことができます。

  前世では、文学者であったとき、語学の教師を務めながら言語学者であったときがありました。ほかには、絵を描くのがとても上手なときもありました。いくつかの前世にまたがって、職業の観点から述べています。また、とても器用であって、部屋に置く飾り物などを作っていたときもありました。例えば、雪をかぶったツリーを手作りで作ったりもしました。大きさは 23〜4センチくらいで、かならずしもクリスマス・ツリーではなく、どちらかというと雑木林に生えている白樺のような感じの作品です。でも実際は白樺ではなくて、普通の木が雪をかぶっているものです。そのようなものを手作りで作り上げていたときもありました。もちろんほかのものも、そのとき作ってはいました。例えば、橇を引っ張っていくトナカイを、上手に針金とか木の枝で作っていたときもあります。また、動物の目はビーズをはめ込んだりもしました。

  さて、前世を遡っていきますと、アトランティス時代まで行き着くことができます。そもそも因縁の場所となったアメリカのカロライナは、アトランティス時代にすでにご縁があったところで、そのときいまの家族4人が住んでいたのがそこでした。全く同じ地点ではなかったのですが、やはりカロライナのところです。当時はアトランティスの一部で、いまのノース・カロライナよりもっと南方部でした。そこで家族4人、仲良く静かに暮らしていました。

  彼は当時、歌が上手でした。明るく活気に富み、家族の前でも、また友達を招いてパーティーの席上でも快活に話したり、あるいは伸びやかな歌声でその場を明るくしました。また、母親を手伝ってお料理を作ったりもしました。当時彼は、作曲家を目指していたのでした。しかし、父親の影響を受け、語学の教師になりました。生徒たちの面倒見もよく、特に子供相手にしてゲームをして楽しませたり、歌を歌ってあげたりしたものです。そして家庭では、いま描写しましたように、家族の前で歌を披露したり、快活に話したりして家族を喜ばせていました。また、趣味で作曲し、とてもリズム感覚があって、指揮棒を振るくせがありました。よく手に指揮棒を持って振るくせがありました。また、棒をもたないままで、リズムを取って手を指揮者のように動かす癖ももっていた人でした。

  最近の前世は、イギリスにおけるものです。アトランティス時代よりやや深刻で、内向的な性格の人でした。よく考えるほうでした。その分、寡黙になり内向的になりました。とても真面目に人生について考えていました。自分の人生についても、同様でした。アトランティス時代はいまと同じ家族構成でしたが、この最近におけるイギリスの前世では、少し関係がいまとは異なっていて、あなたとは父と息子というより、先生と愛弟子のように捉えられます。あなたが贔屓をしていたということではなく、格別な弟子だったのです。

  また、二つの前世の間には、ローマ帝国に生きていました。そこでは彼は、様々な学びに取り組んでいました。必ずしも職業に関して迷っていたというわけではなく、とにかくいろいろなことをおこなってみたかったのです。例えば、演劇、文学、歴史、考古学、建築、言語学、宗教学などです。こころを豊かにし、他人に対して慈愛に富む人に成長しました。とても教養あふれる人となりました。人間について、また人生について、他の人に教える人となりました。

  紀元4世紀の頃は、日本に生きていました。古墳時代です。朝鮮半島との行き来があった頃です。日本と韓国の間で使節が行き来していました。それに関わる仕事をしていました。政治の仕事をしていました。しかし、どちらかというと、人間性に富むため、ひとの世話をしてあげていたというのが実際のところです。非常に人道的な面の強い人でした。形式的な人ではありませんでした。しかし、国際政治における矛盾も知り、悩んでいました。一部通訳を兼ねていました。二つの国の間の交流のなかでのずるい人たちの動きにとても悩みました。それを利用しようとしたり騙そうとする人たちについてです。

  日本の鎌倉時代には、きさくな青年でした。陶芸が上手であったり、建築に興味を持つ人でした。仏教美術にも興味を持ちました。


   

    17. 深く結ばれている母と子  (2002. 6. 5)


  母と息子とで、たいそう縁が強いのです。それは今世だけに限られていません。この二つの魂は生まれ変わりながら、親密な関係で分かちがたく結ばれているのです。そのため、冒頭でも描写しましたとおり、いま霊界においても、共に過ごしています。これからもそうでしょう。当分二人とも生まれ変わる感じではありません。それ故、父親であるあなたが今世他界するとき、自然の牧場とか自分たちが共に過ごしあったなつかしい思い出の光景を思い描き、その中で静かに幸せで暮らすお二人をイメージすれば、あなたが肉体を去った後、この二人のところに行きます。そのようにして合流することでしょう。

  さて、奥さんの前世ですが、前世から世話好きな人でした。その意味で自分を押し殺すところがあります。しかし、人のために尽くすのがもともととても好きです。世の中には自分のことしか考えない人とか自分のことで精一杯の人が大勢います。それと正反対のタイプの人です。こころが広く、相手思いで、面倒見のよい人なのです。人の気持ちがとても分かるのが特徴です。しかし、やや自分に自信がなく、迷いもありました。こころに動揺するところがありました。また、羞恥心があり、人見知りをしたり、眼が左右に揺れる特徴のある人でした。それはこころの動揺を映し出したものです。そのように瞳が左右に揺れる傾向をもっていた人です。しかし、霊界に行ってからいまは大分落ち着いて、そのようなところは、あまりいまはありません。すごく気遣う人だったのです。前世ではたいてい家族を主に、まわりの人たちに対して、世話役をかってでた人で、才能がありながら主婦業を選び、自分を後にした人でした。誰でもできるようなこと、例えば、お掃除とかお洗濯、お料理、買い物などを好んで引き受けました。

  でも、アトランティスの前世では、情報センターで働いていたときもあり、情報を保管したり管理したり、用途別にそれを運用することを指示する仕事も、きちんとこなしていた人です。中国の前世では、今生の娘さんと一緒にパタンナーの仕事をしていました。衣服の型ばかりではありません。そのご縁でペルシアに転生したときも、やはり衣服のパタンナーの仕事、織物業の仕事を共にしています。日本の鎌倉時代には、旅行が好きで、また、自然を観賞し、自然の中を散策するのを楽しみにしていた人です。いまでもあの世で、自然が好きです。また、前世で、文章がとてもすぐれていて、まとめる能力のあった人でした。


   

   18. 人々を導いていく私の使命  (2002. 6. 5)


  前世からリーダー格を務め、指導者の立場に立ってきた人です。人を導く使命があります。それは、様々なかたちで、人生ごとに行われてきました。今世において、特に後半生、一つの転機をきっかけにスピリチュアルな方面においての指導を果たしてきているのです。それは、あなたのなかにおけるカルマのバランス化でもあるのです。

  最近のイギリスにおける前世では、英国の王立アカデミーの会員の一人でした。スピリチュアリズムに関わっていた友人がいたのですが、あなたは内心惹かれ、興味を持ったのですが、自分の立場上、それはよろしくない、あるいはふさわしくない、とみなし、それを控えました。そして、学術の方面で自分を見出していったのです。その時のあなたをバランス化させることが今世の後半期に起きました。それは罪ということではなく、ただ、バランスを回復させる意図があってのことです。ジェームズ・ショコラー、そのような名前だったように捉えられます。あるいは、ショコラーというのは、何か特定のことに対する名称か階級名なのかもしれません。洗礼名はヤコブでした。

  また、ローマ帝国における前世では、とても威厳のある人で、哲学者でした。多くの人たちを指導していました。哲学といっても、いまの時代の一分野としての哲学よりもっと広範囲にわたるものでした。人間教育に並々ならぬ情熱がありました。とても真面目に何でも捉え、真剣に臨むほうの人でした。クリスチャンたちとも真剣に対話していた人です。あまり笑わず、ものごとを真剣に受け止め、厳格に対処する人でした。古代のエジプトでは、そこでも教育に関わり、教育の見直しを計らせるために、てこ入れも行ったりした人です。アトランティス時代は家族と共に過ごし、教育に力を尽くしました。




    19. 霊界における潔典の近況  (2003 6 5)


  大分凛々しく立派になってきました。霊界においてもちゃんと成長し、順調に神のもと、育成されてきているのがわかります。もちろん、この世における肉体の成長とか年齢のようなものではありません。それでも内面の実質としては、ちゃんと成長し続けていくのです。そのことが彼のことによっても、確認することが出来ます。

  魂はもうすっかり癒され、全体として雄々しさ、たくましさが伝わってきます。頼もしい感じがします。威風堂々とした感じさえあります。しかし、あまり話しません。内なる自信と信頼に富みます。そのような落ち着きがあります。それで、ことばで伝えてこなくても、こちらを安心させてくれるのです。あまりまわりに人などの存在は感じられません。自立しています。霊界のなかでは比較的自由に各人が動ける境遇に位置しています。最近までは、生前のお母さんといっしょでしたが、いまではお互いの了承のもと、自由に行動するようになってきています。といっても、母と息子の関係が絶たれたわけではありません。いつでも会おうと思えばいまでも会えます。実際、ときどき会っています。不便なことはありません。すっと目の前に現れ、落ちあえます。

  いづれ霊界で彼は指導者になることでしょう。指導霊のようなスピリットになる養成あるいは訓練を受け始めているところです。当面は生まれ変わらないでしょう。こころとこころとのコミュニケーションの指導に主に当たるようになるでしょう。正直言って、地上での肉体をまとった生活は向いていませんでした。地上でそのまま生きれば、それなりに大成し、活躍したことでしょう。でも彼には、それよりも霊界における任務のほうが適っています。彼はいま満足して微笑んでいます。ちょうど地上の朝に対応する時間帯が霊界でめぐってくると、光のほうに向かってひざまずき、手を合わせて礼拝しています。敬虔深さがあるのです。ちゃんと敬うべきところを敬い、立てるところは立てているのがわかります。それも指導者の条件のうちにあるのです。

  生前、地上では四人家族の一員でした。ただ訳あって、二人ずつにさせられました。偶然ではなく、母と息子、一方、父親と娘、この二人ずつが特に繋がりが強かったことになります。四人家族として縁は強かったほうなのですが、とりわけこの二人ずつがもともと緊密でご縁が深かったので、そのようにおのずとなりました。その意味で、この二人ずつは一心同体であるのを感じさせてくれます。別にカルマがあってそのようになったのではありません。神の愛のもと、さらなる成長と浄化のために起きたことです。

  カルマとは負い目の意味です。ネガティブな出来事のすべてがカルマによって起きるのではないのです。実感としては、ネガティブ以外のものではとてもあり得ないと感じられても、神の観点からするならば、それらは恩寵であり、真の愛を知らしめるための機会としておとずれます。人は悲しみや辛さから逃げず、それを受け止めて体験するなかではじめて成長を遂げ、事態を乗り越え、立派な魂に育てられていきます。そのことが特に、地上界に留められた父親と娘との二人に起きました。また、生命は肉体の死を超えて引き続き存続することに眼を向けるためにも、起きました。

  地上に留められた父親であるあなたは、最近のヨーロッパの前世のとき、また遡れば、ギリシア・ローマ文明期の前世のときにも、霊界の存在や、人間の本質は霊であることを知っていながら、世間の体裁やポジションを考えて、自分の内なる信念と理解を控えました。カルマといえばそれがカルマです。しかし、いわゆるカルマそのものではありません。今生においても、それをあらためて確信する、つまり霊界があること、人間の本質は霊であることを再確認するとともに、それを自分の痛みと悲しみとを通して、実感しつつ成長を遂げ、そのことを救いを求めている方々に洗礼する、自分としては公言する、そのような行動にでることで、前世で控えたことにバランスを取らせるようなはからいが起きたのです。あなたはほぼそれを立派に、この20年間でやり遂げました。ほぼやり遂げたといえるでしょう。

  さて、以上述べられたことは、一般論ではなく、これもまた、息子さんから伝えるようにと委託された内容なのです。このようなことをお父さんに伝えて欲しいとのことです。彼の思いと意向とを汲んで代わってお伝えしました。そのようなことまで配慮できる余裕が彼のなかには生じてきています。そもそも、霊界に帰っていった者よりも地上に留めおかれた者のほうが、辛さと悲しみが大きいものでした。そういうものです。霊界に早く帰っていった二人よりも、置き去りにされた二人のほうが、はるかに辛い思いを体験しました。それが霊界に早めに帰った息子さんが、いまのように元気でたくましく、頼もしささえ感じて立派に霊界で生きて存在していることの説明になっているはずです。別に、地上に残してきた家族の二人に対する思いが少ない、小さいからではなく、霊界に向かっていったというのは、前向きであり、先のことに向かって行動に移したことなのですから、あまり辛さや悲しみはなかったのです。

 霊界は内面の世界です。この世では外側から、物事でも、人でも、自分自身のことでも見ます。しかし、霊界に来てみると、すべてはあべこべの世界に最初は思われます。内面がそのまま曝露されて、地上の作られたものは通用しない世界です。しかし、しばらくすると霊界のほうが正しく、地上は作られた世界、いわば虚偽の世界であることが判明してくるのです。建前は通用せず、本音や本性が露わになります。しかし、それに気づけば楽になり、その生き方が身につけばなかなか過ごしやすい領域です。彼はもともとそのような純朴で、素直で、正直なところがあり、つくる人ではなかったので、霊界向きでした。

 


    20. 霊界における妻・富子の近況 (2003.6.5)


  優しくて情に厚く、受容性が高く好奇心が旺盛な魂です。朗らかで、情緒豊かで、大きなこころの持ち主です。いまでも霊界においてそうです。そのような魂の特性に入っていくと、奥さんの魂を捉えられます。前世でも、生前においてでも、世話好きの人でした。いまでも霊界において、他者本位に過ごしています。自分のことを二の次にしています。霊界に帰った当初は、息子さんのために特に気遣っていました。いまは彼も自立し、立派になりましたので、安心し、彼女自身のこころもなぐさめられ、負担も軽くなっています。優しくて柔軟で朗らかなこころが伝わってきます。

  幸いなことは、二人とも霊界で苦しんだり迷ったりしておらず、比較的高い霊界に赴けたことです。このことによっても、飛行機事故などのアクシデントに基づく突然死が、特に地獄行きでないことが証明できます。また、同じ飛行機事故にあったからといって、事故の全員が同じ霊界にまとまって行くとか、あるいは、自縛霊のように飛行機が墜落したあたりに留められて地上のその場所にいて苦しんでいるわけではないことがわかります。飛行機の墜落事故は、肉体から魂が解放されるひとつのきっかけであったのです。死ぬ瞬間に恐れが走りました。しかし肉体のダメージに基づく苦痛を味わうか味あわないかで、すぐ肉体から解放されたので、痛みを感ずるいとまもなく肉体から解放され、霊界に向かいました。特に奥さんのことに関して述べています。そのことを伝えてくれるようにとの意向が捉えられたからです。

  さぞかし墜落した肉体の死を味わったときには、苦痛が大きかったろうと、その思いで張り裂けそうなものが、パートナーであるあなたにあったからです。そういうことはなかったとのことです。安心してくださるようにとの思いがあります。しかし、当分は寂しく、悲しい思いにとらわれていたことは事実です。むしろ、地上に残してきた二人の悲しみを心配するというところにとらわれていました。自分が悲しいとか,いやだというよりも、地上に残してきた二人のことが心配で、そのほうにむしろ意識は向いていました。奥さんらしい受け止め方です。

  でも、霊界に来て霊界のあり方がわかってくるにつれ、すべてが神がなさることだし、はからわれるからお任せすればいいと、達観出来るようになりました。いまでは朗らかに、こころの負担もさほどなく、救われています。平安を感じさせてくれます。強いていえば、地上に残してきたパートナーであるあなたが悲しんだり落ち込んだり、迷ったりしたときにそれが奥さんにもキャッチされ、それが彼女を動揺させました。連動しているからです。そのようなとき、奥さんはあなたのこころを受け止めてくれました。いまでもそうです。そのような優しい思いがあり、伝わってきています。  




    21. 私の生まれ変わりと今生の目的 (2003.6.5)


  数は58回というのと67〜8回というのと二通り伝えられてきています。おそらく、細かくすべて列挙すれば、70回 近く、しかし主立った前世が50数回ということなのでしょう。たとえば、生まれて数か月で他界してしまった人生を数に数えれば、増えます。しかしそれは、一生を十分に生きたという人生ではないので数えないと、回数が減ります。また、一年ですぐ転生したときは連続した人生のため、二つの連続した人生を一つと見立てると、回数は少なく数えられます。いずれにせよ、50数回から70回くらいが転生の数のようです。平均ぐらいです。厳密にいうと平均よりやや少な目です。平均は75回くらいですから。人類の平均の数です。

  あなたがつぎに転生してくるときにはよほど慎重になることでしょう。今回のことはやはり、あなたにとってインパクトが多大でした。それはしばらく抜けないような感じです。

  今生生まれてきた目的は、前世のバランス化にあります。あなたは古代のエジプト、ローマ帝国、日本の古墳時代、鎌倉時代、また近代ヨーロッパなどで転生してきている魂です。厳格で規律正しい人であったことがわかるのです。今生では、魂を柔軟にし、いろいろな価値観や捉え方、生き方を容認し、理解でき、さまざまな生き方や価値観を包括して、異なった多くの人たちと意義深い交流を持つために転生してきました。それは、ある程度、50歳くらいまで進行してきてはいましたが、その路線のままでは完全には遂げられないとみられました。そのためひとつの大きな出来事をきっかけに、あなたは苦しみ悶えました。そのなかであなたは、柔軟性を養われ、魂が浄化されました。練り上げられました。そして、あなたの価値観と人間関係の枠が押し広げられていきました。

  その大きな出来事をきっかけにして、あなたは別の世界の人たちを知り、交流がはじまり、執筆をしたり講演活動にも入りました。そのようにして、前世では避けてきた生と死の問題を通して、あなたの捉え方と価値観は柔軟になり、あのままの路線で行ったら前世のたどり直し程度で終わりかねなかった人生に対して、今生の後半期において多彩な人生となりました。普通では出会わない人たちと出会い、また、それまででは認めがたい人たちのことも理解し、受容し始めました。そしてそれは、あなたの大学における教員生活にも影響がもたらされました。

  そのようにして前世からの頑固な傾向が矯正され、魂が柔らかくなりました。何より慈愛に富み、慈しみに溢れた人になりました。今生は大きな試練にあった人です。それはあなたの人生を深めました。完全には拭いきれなかったり、納得したりがまだできずとも、ほぼ乗り越えて達観し、生きるところに至りました。生と死とを見つめるなかで、死に支えられた生命が感じられ、いのちの尊さが、ことばを超えて体感できる人になれたことが今生の最大の成果でした。それこそ、今生の一大目的だったのです。





   22. 霊界における潔典の近況  (2004 6 5)

 物静かで、静寂さが伝わってきています。落ち着いていてゆったりと過ごしています。まわりは平和で、静かなたたずまいです。時々ひとりで瞑想をしています。大分自信がでてきました。物腰は柔らかで、こころは安定し、自信に満ちあふれてきています。最近は活力に富み、後輩の指導にあたりはじめました。霊たちの指導にあたっています。あの世で教師としての認定を受け、一体一体が確信をもって歩むべき道をしっかりと歩み通すように指導にあたっています。

 もう、この世にいたときのしがらみや他界していたときの不安定さからは完全に脱却しています。もともと早いほうだったのですが、いまはとても元気がよく、清冽な感じが伝わってきます。はきはきして清らかです。あの世で生命について、こころの持ち方について、また、創造性について、霊たちを指導しています。たいていは数十体を相手に、それらの存在として向き合って、てきぱきと指示をされています。なかなか神々しく、生き生きしています。てきぱきとして、はきはきして、活力に富むというのが、見た感じから伝わってくる印象です。

 教えているとき以外は、ひとり退いて、静かに神といのちについて瞑想していたり、あるいは、自由自在に飛行し、飛び回っていたりします。時々は、この世にいたときの母親と落ち合って、必要最小限のやりとりを交わします。いつもいつもいっしょにいるわけではありません。高位の存在に彼は昇格しました。この世に生きていたときに世俗的なことに染まらなかったので、あの世に移ってからももたつかず、浄化のプロセスも比較的たやすく、すんなりと通過していきました。また、根が優しかったので、慈愛のこころがあの世で呼び覚まされました。いまはそのうえに、彼本来の賢さや活発さが表に現れてきて、感情と理性、愛と叡智が一体となって、彼の個性が生命として十分に発露されています。

 霊たちを指導しているといっても、おしゃべりではありません。よけいなことはしゃべっていません。むしろ静かです。必要なことだけをてきぱきと手際よく、また歯切れよく、快活な感じに伝えています。生き生きして快活というのが印象的で、大きいのです。また、爽やかさも感じさせてくれます。霊界でも随分上の方にいます。芸術的な感性に富み、ことばの才能がみられます。しかし、ことばの一人歩きはしていません。しっかりと生命に根を下ろして、まごころから真実を伝えています。また、音楽の才能もみられます。歌とも詩とも捉えられる叙情的な香りを放ちながら、叡智をもって霊たちに働きかけています。

 ちょっと見ると指揮者のようで、指揮棒を皆の前で振るって、交響楽団がそこにあるかのようです。そのような感じなのです。それによって、その場ばかりでなく、その周辺にも、やんわりと平和と静寂の波動が伝播していくのがみられます。そのような意味で、芸術家としての感性が十分に伝わってくるのです。たんに教えたり説教しているという感じではないのです。ハーモニーを造りだしています。それによって霊界に調和と均衡をもたらし、また、浄化する働きもしています。清らかな、あたたかい波動をまわりにもたらしています。たしかに指導霊の一体になったのですが、しかし、指導霊という感じではなく、むしろ、導きの天使という感じです。

 生前のお父さんに対しては、感謝と喜びを伝えてきています。自分が十分にあの世で浄められ、癒され、さらには昇格して、この世に留まっていた以上のすばらしいお役を授かり、とてもよい働きをするようになれたからです。もともとこの世に生き続けていても、濁りに染まることはほとんどなかったことでしょう。ただたんに、年齢が若いうちにあの世に取り去られたからばかりではなく、生来のその特性からしても、この世にいたのであっても、あまり俗化して俗物になったことはなかったでしょう。なぜ早めに還ったかといいますと、この世は重く、汚れに満ちあふれており、彼が生き続けるには適していない場だったからです。

 彼はとても繊細で、ただ、弱いという意味ではありません、むしろ、そのまま生き続けると、損なわれかねる、惜しいので取り去られました。もっと積極的な意味合いとしては、この世に留まって使命を遂行するよりも、あの世で、霊たちのためになれること、また、霊界全般に対してもよい働きかけが出来ることがわかったからです。あの世を通して、この世をもサポートできます。彼は、この世よりもあの世むきです。あの世でのほうが良さが保持され、また、その特質が遺憾なく発揮されます。この世には、適していません。それで、おのずと、一つの事故がきっかけになって、その通りのことが起きました。

 なにゆえ母親が、いっしょに還ったかといいますと、彼一人では孤独で、見守る縁ある者が必要だったからです。それで母親が同行し、ともにあの世に還って行きました。また、家族4人のうち、2体2で、この世とあの世とに、それぞれ分かれることによって、バランスをとる意味合いもありました。3対1では均衡がとれません。1対3でもだめです。やはり家族4人が、2対2で、あの世とこの世とで、バランスをとりあって、1人がもう1人を支え、またそれが、相手からも同じことがいえます。相互的なのです、あの世の2人もこの世の2人も。特に磁極の関係で、プラスとマイナス、すなわち、男性と女性というように、家族がパートナーを組んで、あの世とこの世とに分けられました。引き裂かれたというより、そのように分けられたのです。また、家族の男性と女性という場合、たとえば、あなたと奥さんがこの世に留まって、子供たち2人があの世に還るというのでは、あの世とこの世とでバランスをとりあえません。せいぜい、一番ぴったりした秩序が保たれる上で、唯一、今のような分け方が、ぴったりだとわかりました。それで、そのことが起きたのです。
 
 また、あなたが霊的なことに目覚め、価値観を正し、本当に大切なもの、すなわち、神と愛と命と心に目覚めるために、このことが必要だったのです。否が応でもあなたはその方へ駆り立てられていきました。あなたは、その一連のプロセスを経ていくことで浄化され、価値観が変わり、神を求める人に作り替えられました。また、それをもって、この世の認識の暗い人たちに、大事なメッセージを体を持ったまま伝える任務に就くようにされました。それは、あなたが最近の前世で、立場やメンツがあって、出来なかったことでした。ほぼ予定通りのことが、この21年で起きてきているのがみられます。なぜでしょう。その背後に、彼、長男があの世でそれをサポートしたり、働きかけたからです。あなたは、それとは知らず、無我夢中でこの21年生きてきました。

 彼はいまたいへん凛々しく、すっとした感じで、清冽な波動を放っています。凛々しくて、きりりとしています。日本でいえば菩薩です。そして表情は柔和で、慈愛の波動を、叡智を含む慈愛の波動をこの世にまで及ぼしています。寡黙です。多くは語りません。しかし、柔和で、あたたかく優しい波動がこちらにも及んできています。父親のあなたには、こころで有難く感じ、微笑んでいます。また、彼があの世で偉くなったといっても、謙虚で、生前の父親のあなたを、たいへん尊敬しています。感謝と尊敬が無言のうちに、波動として伝わってきています。十分感じ取ってください。





   23. 霊界における妻・富子の近況 (2004.6.5)

 自分の長男を見守る付き添い役を引き受け、共にあの世に還って行きました。当初、不安と悲しみでいっぱいでしたが、指導霊たちに励まされ、また、ことの真相を聞かされて、次第にこころが癒され、安心してきました。何よりも目の前で、自分の長男が順調にあの世に移ってからの成長を遂げてきて立派になっていくのを目の当たりにして、こころが癒され、確信を抱けるようになりました。

 責任感はかなり感じていました。見守りのお役を仰せつかって、同行したからです。でも、もう最初のうちから、逆に、自分の息子によって慰められたり、諭されたり、励まされていたのです。その意味では、どちらが付き添いだったかわからないほどです。それでも、互いに、総合的に、励まし合い、支え合い、また、わかったことを、情報を交換しあったりしたり、励まし合いながら、霊界で過ごしていたのです。いまでは、母親のほうが、こころが平安で幸せそうに見えます。

 夫のあなたに対しては、「あなた、私たちは大丈夫ですよ。あなたのほうはいかがですか」、そのように言ってくるほどに元気です。こころに余裕がでてきています。いまでは、朗らかで快活です。明るくて、何より幸せです。夫のあなたが、数年後、あの世に旅立って、まず出会うのが自分の奥さんなのです。それから、あなたはしばらく修行を積んで、備えが成ったときに、自分の長男に会えるように図らわれることでしょう。奥さんのほうが気さくで、あなたのことを真っ先に迎え、あなたのことを癒し、導いてくれることでしょう。いまでは、幸せで、笑顔がこぼれ、「もう少しで会えますね、また会いましょう」と、あの世で楽しみにしています。

 夫のあなたは、もう少し、あと何年と具体的にいまは言えませんが、あと数年くらいで勤めがあります。いわゆる仕事という形、形式的なことではなく、お役のことです。それはあなたがこの世で、自分が今生学んだこと、わかったことを世の人たちに伝えます。そして、もう、それでいいと神様が言われたときあなたは、息を引き取ることになります。そして、担当の霊にあなたは導かれていくことになります。そして、霊界に入って真っ先に出迎えてくれるのが奥さんです。「お互い大変でしたね」と言うことでしょう。

 彼女のほうはすでに癒され、幸せに満ちあふれています。あなたのことを慕っており、長男とは別の意味合いで尊敬してこられています。別の意味というのは、息子が父親に対してというのと、妻が夫に対してというものでは、おのずと尊敬の念が異なるというだけの意味です。それ以上の含みはありません。





   24. 私の使命と今後の生き方の展望 (2004.6.5)

 あなたの今生は、前半と後半とではっきりと二分されます。それを分かつのは、もちろん、航空機事故です。前半は、この世的な、唯物論者としての人生でした。しかし、いまは、ショック療法を受け、考え方も生き方も一変しました。形の上では、仕事はほぼ同じことを続行したものの、質的な転換が180度ほど起きました。それであなたは、世の中のすべての人の気持ちが分かるようになりました。つまり、対照的に、唯物的、世俗的な考え方と生き方のあと、霊的なことを認め、受け容れ、それを考慮に入れて生きることと、両方を一人生で体験してきているため、世の中のすべての人を包括できるからです。大きく二分すれば、世の中の人はどちらかに属するからです。

 さて、あなたが世の中のすべての人の気持ちが分かるというもう一つの理由は、自分が痛手を蒙ったことで、世の中の人たちの願いと悲しみ、つまり、喜びと悲しみの両方を極度なまでに体験したからです。それは、学問的な取り組みでは得られないことです。実際の生の体験をもって、身に沁みて体で掴み取っていくことです。魂がそれによって練り上げられていきます。多くの人との共感がわく人になりました。優しい人になりました。自分のその体験をもって、必要とする人たちにメッセージを伝えていくのが使命です。十分この世の仕事を勤め上げ、なおかつ、それをしている人です。そこが大事です。それで説得力があって、多くの人がそのメッセージを享受できるようになっています。

 これからの展望は、神様がよしと言われるまで、自分が得たもの、与えられたものを出し尽くすまで、ふさわしいやり方で行っていくことです。人生というレースを、最後まで走り通しましょう。それでこそはじめて,先程述べられたような予言が成就することになります。あなたならそれが出来ます。できるように体質改善が為されました。ただのがんばりや知恵だけでは困難であったことでしょう。体験があなたに、それを造りだしたのです。自分ができると思うことを精一杯、残された日々、行っていってください。





   25. 明るく爽やかに霊界で指導に励んでいる潔典 (2005.08.31)

 ほかの霊たちの前に立っています。そして、指導に当たっています。すでに霊界での生活にも慣れ、本来の彼の特性が生かされるように、尊く大切なお役をあてがわれて、その任につくようになりました。見たところ、はきはきして明るく、活発です。また、優しくて、他の霊たちを思いやり、ケア−もできています。

 堂々として、確信と自信にも満ちあふれている様子です。明るくて軽快な波動をまわりに放っているため、他の霊たちにとって、それが慰めや目覚め、あるいは浄化の役に立っています。それぞれの霊が清められ慰められ態勢が整ってきたのを見計らって、それぞれ行き先を指し示し、そこへ向かうように促したり、激励もしています。あるいは、最終的なすべての霊に共通する究極のゴールであるいのちの本源を指差して、最終的にはあそこに行くんですよ、と教えたり、諭してもいます。

 彼にはこの世、地上での物理的な生活は辛く、ふさわしくないものでした。苦労したり、世の汚れに染まっていったり、あるいは、あきらめて妥協したりするのは似つかわしくないことでした。そのため、純粋でよいものを保持したまま、世の汚れに染まったり、折り合いをつけたりするようになってしまう前に、引き上げさせられました。生前の名前のように、「潔」(きよ)らかな魂の持ち主です。また、生きるうえでの法則や宇宙の摂理などにも精通しています。生きる規範、あるいは、人生の規範などについて知恵が働きます。それも生前の名前に表れています。「典」(のり)というほうです。

 いまあの世では、生きる規範やいのちの法則について、教え諭しているところです。特に他の霊たちの魂を癒したり慰めたり清めたりする上で、効力を発揮しています。とても爽やかで、癒したり浄化する作用があります。それとともに一人ひとりが自分に目覚めて、あの世で本当の霊になっていくことが出来ます。そのような役目を果たすようになり始めています。

 また、時々はそれ以外の役目も、別の領域に行って果たすこともあります。迷子になったり道から外れかかっている霊に注意したり、教え諭したりです。また、ともに瞑想に入ったり、お祈りの仕方を教えたもするときがあります。

 生前の父親であるあなたとしては、この世に普通に留まって、主に語学の分野で出世街道を歩むことが願いでした。それも可能だったのですが、神様とその許に集っている守護霊たちの判断で、むしろ早くに引き上げさせ、彼を守り、あの世で清らかなまま、その任に当たらせたほうがよいという決定が下されたのです。カルマによるものではありません。多くの場合、事故死を遂げた者たちは、執着が残り、あの世に行って苦しんで、救われていません。しかし、彼の場合はほとんどそのような経過を経ることなく、すっと、よい霊界へ向かいました。しかし、当分は、守られ、あの世について教育されたり、いわば、使命のための研修期間を過ごしていたのです。

 最初は、控えめで、おとなしくしていました。しかしここ最近は、自信が出て、積極的にその任に当たるようになって活躍しています。他の指導霊や天使たちとも連携をとって、それぞれの役目を果たしています。

 もともと、この世での生まれ変わりが少なく、あまりこの世向きではない魂です。父親のあなたには生命の尊さや、人生において本当に大切なことについて、身をもって教え示すために、その長男として転生したのです。それは神の摂理に基づくことでした。もちろん、前世で縁があったからです。しかし、今世ではずっとこの世に留まって、跡取りのような人生を歩む計画ではありませんでした。むしろ、頑固なあなたに大事なことを伝えるために、その長男として出てきました。一番大事なこと、大切なものとは、いのちと愛です。そして、それこそが神なのです。そのことを身をもって示し、いのちは途絶えることなく永遠であるのと同様、愛も永遠で変わることがない、もっともこの宇宙で尊いものであることを、あなたに示そうとしたのです。それは、彼自身の願いであるとともに、彼を通して、もっと上位のご意思がそれをあなたになさりました。

 彼からあなたへのメッセージは、無言のうちに、「はい、この通りです。見ての通りです。分かってくださったんですね」、そのような喜びと安堵感が伝わってきています。もちろん彼にはマナーがありますので、高ぶることなく、生前の父親であったあなたに対しては、敬意を表し、また、感謝しています。お互いのかかわりで、本当に愛が体験できました。それこそ、もっとも貴重なことだったのです。ある期間、親子で、家庭において生活をともにした、それがとても有難く、すばらしいものでした。今でも彼のベースにそれはなっています。その意味でも感謝してきています。

 彼はいま、朗らかで、心が晴れ晴れとして爽やかです。自分でも安心して、爽やかさが伝わってきています。あなたに対しては、「有難うございます。よく耐えてくださいました。もうじきお会いしましょう。こちらで待っています。他界する時期は自分でもわかるでしょう。僕も分かっていました。」そのようなことが伝わってきています。

 「この世で寿命が与えられている限りは、この世でのいのちを大切にしてください。」 そのような思いも併せて伝えられてきています。彼はもう完全に苦境を抜け出て、悟りの心境に入っています。他の霊たちに対する思いやりに満ちています。それは、背後の神様のお心を体現しているからです。





   26. 慈母観音のように母親の役目を果たしている富子 (2005.08.31)
  
 いまは慈母観音のようになっています。かつての四人家族がこの世とあの世とに、二人二人ということで、分けられました。縁のある二人がそれぞれ、この世とあの世とにいることで出来ることがあるからです。人は誰でも、双方の世界を行き来すること、そのことを身をもって体現し、二つの領域の中垣を越えることが目指されています。潔典さんに対しては、縁のある母親が付いている必要がありました。特にあの世に行ってすぐの時期は、どうしてもそれが必要でした。それはちょうどあの世に行く、つまりこの世で他界する、というのはあの世での誕生に相当するため、直前の人生であるこの世での生活を早く切り上げてあの世に帰る際、その人生での母親であった役を引き続き引き受けて、彼がいわば、あの世に誕生するうえで、やはり母親の役目を任じ、同行することになりました。

 二人ずつというのは、ほかの例としては、キリストが十二弟子を遣わす際、二人ずつのペアーで必ず、おのおのの地に赴かせたのにも見られます。あの世に行って困ることがないように、縁のある母親と息子とが、ともに赴きました。十数年前よりは二人は少し距離を置いて、それぞれが出来ることを行えるようになっています。しかし、もちろん、つながりは緊密で、富子さんは今でも彼の背後で見守り、安心し、頼もしく感じて微笑んでいるところです。今でもつながりがしっかりあって、背後で支えています。また自分も、彼によって支えられているのです。言葉少なです。それだけ心が満たされ、充実し安定しているといえます。

 また、時々は自分の息子であった霊が他を指導していて、それに協力し、ほかの霊たちが戸惑ったり、まごまごしていたりしていると、面倒を見てあげたり、必要なことを教えたり指示したり、いたわって上げたりという助力をしています。生前の富子という名前は、心が豊かである、真に富んでいる、そのような魂だったから富子と命名されました。その名の通り、いまもあの世で、名前に恥じず、包容力があって、他の霊たちのことも包み込んで、背後で見守って支えてくれています。しかし、何よりも息子だった彼から、強力な愛といのちのエネルギーをいただいて元気でいられます。

 夫であったあなたに対してのメッセージは、すごく慕わしく、有難く、心温まる波動を送ってきています。生前と何の変わりもなく慕っている、暖かい尊敬と信頼の念が、言葉を超えてあなたの許にやってきているのです。癒したり、満たす包み込む波動が及んできています。いまでも夫婦なのです。「あなた、有難うございます。私はこうして元気でおります。私たちの息子も、立派に成長を遂げ、活躍しています。どうぞご安心ください。いづれお会いできる時を楽しみにしております。」 言葉に移すと、その思いは、そのようになっています。彼女の思いの波動を感じ取って、十分に受け止めてみましょう。





   27. 輪廻転生で私と潔典が共に歩んできた道 (2005.08.31)


 あなた方二人が、この世の輪廻転生において、緊密であったことは何度かありました。アトランティス時代以来、近代ヨーロッパに至るまで、もちろん今生も含めて、少なくとも5, 6回はありました。今生の直前は、17世紀後半から18世紀にかけてのイギリスでのものです。そのときは彼は読書家でした。ロマンチックな文学青年でした。音楽も試みました。あなたは法律を習わせようと思ったこともありましたが、結局は彼は、言語学の方面で生きていくことになりました。

 あなたは国際法を習わせようとしていましたが、彼は純粋に言語学に徹するようになりました。翻訳や通訳というより、研究が主でしたので、特に国際交流ということではありませんでした。もちろん、イギリスにとどまらず、研究や研鑽ということでは、ヨーロッパのほかの国々にも赴いたのです。そのときにあなたも同行したことが何度かありました。

 また、日本の平安末期から鎌倉初期にかけての時代にも、深いかかわりがありました。そのとき彼は教育者、指導者でした。わけ隔てなく誰のこともよく見てあげる、とても優しい先生でした。物分りがよく、自分をひけらかさず、ほかの人の気持ちを解することが出来る先生でした。

 紀元3世紀末から4世紀にかけての日本の古墳時代には、中国との国交に続き、朝鮮半島との交流も始まりました。彼はそのとき知恵者でした。当時の世界情勢を汲んで、何をどのようにしたらよいのか、それを考え、その対策を立てる人でした。自分で直接、中国や朝鮮半島に出向くことはなかったのですが、双方を行き来する日本人であったり朝鮮の人などに対して、必要なことを指示したり教えたり、取り計らったりしました。

 あなたは、直接の仕事はそのことではなかったのですが、あなたの仕事の一部として、そのことに関して監督官のポストを与えられていました。あなたに最終責任がありました。すべてにおいての最終責任者ではありませんでしたが、ある部分においては、あなたは最終責任者でした。しかし、彼はきちんと、的確に行ってくれたので、あなたは最終責任を負うといっても、困ったり苦労したり迷惑を蒙ったりすることはほとんどなくてすみました。

 あなた自身、当時は、学者でした。当時の世界である東アジアに関して詳しく、細かいことまで知っていました。あるいは把握していました。そのため重きがおかれていたのです。

 二人のことの始まりは、アトランティス時代にありました。二人で協力し合い、教育普及に当たっていました。今でも、あの世とこの世とに分けられているとはいえ、目に見えないところで双方の架け橋となって理解を深め、他の人たちや霊たちのために、よき感化を及ぼしているのです。





   28. 高級霊として明るく指導に精励している潔典 (2006.06.07)


 以前にもまして自信が感じられ、確信をもってほかの霊たちに教え、指導に当たっています。優しい穏やかな波動で周りを包み、しかし自信と確信をもって指導に当たっています。つまり、指導霊の一体としてその任務についているのです。これまで以上に輝きを増し、風格すら感じさせるようになりました。迷いや陰りのようなものは一切なく、とてもてきぱきとして、ことにあたっています。明るくて覇気に満ちています。活躍しているといってよいでしょう。

 自分の役目と責任を感じ始めるようになりました。これまでは安らかに過ごすことが多く、天使のような高級霊の一体として、まわりからも守られたり慕われたりして、穏やかに過ごしていたものです。しかしもう十分機が熟し、自分でも、もうこのように過ごしていてはいけないと感じ始め、行動を開始しました。非常にてきぱきとして、活き活きしています。それでも優しく穏やかで、まわりを安心させています。たいていの場合、5,6体くらいの霊を相手にして、教えたり目覚めさせたり、大切なことに気づかせたりすることを、立ってまわりに諭すように働きかける形です。ほかの霊たちは座って彼の霊波をいただいて、次第に目覚めが生じ、また、清められていきます。

 生前の名前にもあるように、清らかで、ほかの者たちのお手本になるものを具えていたのです。それがここに来て開花し、はっきりと形になって現われ出るようになりました。元気よく明るく朗らかで、ほかの霊たちを備えさせ、とくに清めたり、目覚めさせたり、気分を楽にしてあげたりする働きかけが、彼の得意とするところです。陰りも重たさも暗さもなく、ほかの霊たちを安心させ、まわりの環境がとても生命に満ちあふれ、光があり、教育の場として理想的であることがすぐ分かります。

 このように彼がいま居る所は、霊界の中の霊たちに対する教育の現場です。生前からコミュニケーションに長けていました。もともと音楽や詩、文学、または工学的な技術などに長けた実体です。もしあのまま生きていたとしたら、語学関係からコミュニケーションに関する技術を、教えたり伝えたりする仕事についていたことでしょう。それが霊界に来てから実現しています。

 前世において研究者に留まることもできましたが、それを選ばず、人々の中に入っていって優しく親切に応じながら、お互いに分かり合い、人間関係がスムーズにいくために自分の智恵を使った人です。前世といっても一度だけでなく、何べんも過ごしていますので、それ以外にもいろんなことに取り組んできてはいました。しかし彼の特性と才能と役目は、いま霊界で明らかなように、ほかの人たちを清めたり備えさせる、特にことばの力によって浄化させたり目覚めさせたりすることです。

 生前から勘がよく働く人でした。とてもすばやく、ピンときて分かり、即座に的確に答える、また応ずるということが彼の才能だったのです。また彼はいま、音楽的な環境を好んでいます。生前からロマンチックなところが見られ、音楽や詩や文芸に親しむところがありました。また純朴で自然を愛する優しいこころの持ち主でした。

 天界において安らかに生前の母親と過ごしている時もあります。そして、ときどき何箇所かの霊界で、いま描写されたような任に当たっています。一箇所だけというのではなく、何箇所かに出向いていって行っているのです。時には、まだ正式の霊界に行く前の、いわゆる冥界において、新参者の霊たちを準備させることも必要に応じて行っています。

 あなたへのメッセージは、「お父さん、ぼくはこのように大丈夫ですよ。お父さんのお陰で活躍できるようになりました。改めてお礼を申し上げたいのです。いま、ぼくは満足しています。だから安心してください。とても活躍して、うれしく感じています。お父さんが来られたら真っ先に迎えに行くつもりです。お父さんもそちらで十分生き切り、悔いのない人生を送ってください。」そのように伝えてきています。





  29. 美しい天界でこころ安らかに過ごしている富子  (2006.06.07)


 こころ静かに、穏やかに過ごしています。たいていは潔典さんの背後に控えて、見守っています。たとえ彼が、あちこちに出向いて行って指導に当たっていても、心は離れず、彼と共にあります。

 天界で、普段は生前と同じ母と息子の関係で幸せに生活しています。つまり、彼がほかの霊たちの指導に当たってはいない間の時、休息の時は本来の天界にて、文字通り共にあります。彼が任についている時は、こころだけは共にあって、背後で盾になったり、サポートのエネルギーを送ったりしています。そして、彼が休息をとる時は、本来の住処である天界の美しく安らぐ生活環境に二人はそのまま共にいて、こころ穏やかに平和に暮らしているのです。

 あまり多くを二人は語り合いません。心が通い合っているからです。この二人はずっと前から縁があり、生まれ変わりのなかでも親密で、お互いにとって欠かせない格別の存在であり続けました。そのため、四人家族が二つに裂かれる際にも、お互いに特に縁のある二人同士となったのです。

 事故をきっかけに早くに去って行った二人は、特に清らかで、地上での粗雑な領域での修行や試みを慎重に回避しつつ、霊界での高い層へと向かいました。一方、地上に留められた二人は、とても我慢強く、克己的で、地上の修行や試みを引き受ける覚悟がこころの奥底で働いたのです。それを通り抜けることによって得られるものへの覚悟がみられました。そのため、わざわざ、あなたと長女は、留まるようになったのです。

 母親はどうしても、長男についていかねばなりませんでした。当面は守るため、そして、自分もそれによってエネルギーをいただけるようにです。いまでは切迫感は見られず、天界において、こころ静かに、何の気兼ねも心配もなく、二人で美しい穏やかな環境の下で過ごしているのです。

 彼女の役目は、彼の付き添いとしてです。霊界では、この世以上にカップルが通例となっています。カップルといっても夫婦とは限りません。夫婦であるとか親子であるとか、恋人同士であるとか、そのようなこの世での区別された関係ではないのです。ただ、お互いに理想的な一対のいのち同士の関係性というのがあるばかりです。それは、この世の常識や感覚から想像するのは難しいかもしれません。

 ともあれ、その二人は、いま一対をなして、互いに欠かせない存在であります。それが、ここに来てようやく明らかになってきているのです。もう少し分かりやすく説明しなおすならば、潔典さんが必要あって早くに他界されることが定められました。それによって対になる存在が必要になり、捜し求められました。それは、彼自身の母親であるのがよいとわかりました。そのため母親も連れ立って同行したのです。彼女にはその任に当たる覚悟が出来ていました。喜んでそれを引き受けることの出来る人だったのです。

 あなたに対するメッセージは、「苦労と心配をおかけして申し訳ございません。私たちはこうしてお陰さまでよいところへ迎えられていますから、安心してください。生前のことは、とても感謝しております。常識的には、十分して上げられなかったことが悔やまれます。申し訳ない気持ちです。でもあなたなら分かってくださると思っています。私たちはいまでも夫婦です。あなたのことは誰よりも深く尊敬しています。霊界にてお会いできたときは、またよろしくお願いします。私たち四人はいまでも家族なのですから。」

 とてもしっとりとしたものが奥さんから伝わってきているのを感じてください。





  30. 天使となって温かく優しい波動を送り届けている潔典(2007.06.05)


 心が平静で、とても澄み切っています。まわりは平安に包まれています。「平和の大使」として霊界で認められるようになりました。少し前までは、活発に他の霊たちを必要に応じて指導したり育成していたのですが、最近は「平和の大使」として任じられたために、あまり活発な動きはせず、霊界に平安と安全をもたらすために自らも鎮まって、その存在の在りかたでまわりを支えたり、包むようになっています。

 本来の在り様になり始めたのです。すなわち、もともとの彼の持つ属性なり特質にふさわしい在りかたとお役が与えられたということです。それはちょうど、仏陀が平安と寂静ともよばれる静寂の境地を体現し、地上にその波動をもたらしたことと似通っています。あるいは、主の前世の一つであられた平和の王子、メルキベデクが地上にもたらせた波動と似通っています。もちろんメルキベデクが最終的にイエスとよばれる人物として出てきた時に最大限にそれがなされました。

 霊界においても、平安と安全をもたらす役目の者が必要なのです。そのようなお役を授かった者が何体かおられます。たいていは天使です。そもそも彼は、地上での重たくて汚い世俗的な波動には似つかわしくなく、それがために21歳で娑婆世界から取り去られたのです。古来から、清らかな心を持つ詩人や文学者、音楽家や宗教者などには早くから他界する者がいるのも、単なる逃避的なことが原因であったり本人の意思が弱いからだけではありません。純粋なるがゆえにこの地上では生き続けられないのです。また、その純粋さを神が、保つために、見過ごしにされず引き上げられます。取り去られます。そうでないと、無理に本人は地上に合わせ、汚れていってしまいかねないからです。

 ひろくは人間の大半が、子供から大人になる時にそれが起きてしまっています。それゆえにこそ主は「幼子のようになりなさい、幼子のようになれば天国に帰れます」とおっしゃられたのです。そのように言い得る主ご自身が、清らかな心の持ち主だったからです。だからそれがわかるし、言い得たのです。そして実際、主もそのまた従兄弟の洗礼者ヨハネも、30台前半で地上から去って行かれました。

 潔典さんは、そのお名前にも表れているように、清らかな規範を備えています。そのために、それ以上地上に居ると彼自身が汚れてしまいかねませんでした。なぜなら彼は、それ以上居たら、地上に合わせ始めただろうからです。それを人は、大人になったとか、分別がついたなどと言います。しかし、仏陀がなぜ分別を好ましくないと捉え、無分別を説いたか、です。それはやはり、仏陀自身が、きれいな魂の持ち主だったからです。そのため仏教では、世間とは正反対に、分別がつくことをよろしくないとみなし、無分別の境地を説きすすめるのです。

 潔典さんは、そのまま21歳以降も地上に居ると、彼自身、素直で謙虚なので、地上に合わせ始めたことでしょう。21歳といえば7の倍数です。7×3で、ちょうど区切りのよい年数を地上で送りました。それで十分だったのです。たしかに地上にそのまま留まれば、地上でも有能振りを発揮して、言語学の大家になっていたことでしょう。あるいは外交官になっていたかもしれません。しかしそこまでの任務は、今生において与えられていませんでした。むしろ父親を導き、教育し、いのちの大切さと永遠性とを身を以って知らしめるために自ら去っていくことが重大な任務として与えられていたのです。ちょうど主が、ヨハネによる福音書のなかで、「私が去っていくと知って、あなた方は動揺し悲しみ始めている。しかし本当はそれはよいことなのだ」、そのように言われたことに通じます。

 主が使命半ばで去っていってしまったのではありません。そうではなく、自ら去るということで、最も大切ないのちの教訓を残すということこそが究極の使命だったのです。その使命の成し遂げ方が、主の場合なら十字架刑で命を亡くすというあり方をとったまでです。世間の常識や一般的な印象とは全く異なり、それは中途で挫折した形ではなく、むしろ霊的には成就した最高の形態だったのです。あの世や神様のことの真相を知るためには、価値観や捉え方を、ことによると180度転換しなければならないこともあるのです。それを霊的なコペルニクス的転回ということもできましょう。

 それを、もっとも彼は、つまり潔典さんは、父親のあなたに伝えたかったのです。また、彼を通して背後の高位の霊的存在方は、あなたに伝えようとしました。それが多大の犠牲と苦悩を伴うことになりました。それを経ないことには最も得がたい賜物をいただくことは起き難いのです。それはちょうど、シャーリーマックレーンの『アウト・オン・ア・リム』という本のタイトルにも通じます。すなわち、木に登って枝の先にある尊い実を手で掴むためには、危険を冒してまで枝の先端まで自分で向かっていかねばなりません。下手をすると枝が折れるか、折れなくても途中で滑って下に落ちて、大怪我をしたり、下手をすると死ぬことにもなるということです。それだけ尊い実が枝の先には実って着いています。

 あなたはそのような危険を冒して、今日にまで生き延びさせられているのも、背後の高位の存在方のお陰です。そうでもないと、あなたは今日までとても生き延びれなかったことでしょう。単にあなたが強い人だからということではありません。まして、地上での生きることへの執着心が強いからではないのです。逆に、あなた自身は、むしろ、早く地上から、また自分の肉体から去っていき、あの世で自分の息子や妻に会いたがっていたくらいです。

 人間は身を以って体験しないと、また、追い詰められないと、本当には悟って大切な資質を身に着けることは起き難いのです。そのような大切な資質が「枝の先端に生っている実」で例えられます。そして、それは確かにあなたの身に起きたことです。その意味であなたの愛する息子さんは、いまほっとしているところです。やっと霊的に同列に、あなたは自分の息子と向き合えるところにまで成長してきました。

 彼は清らかで、天的な存在なのです。そのため地上で天使の輝きと賢さを現し出しましたが、地上の任務は似つかわしくなく、過酷すぎました。それが予感された時点で、還っていくことになりました。彼は苦しまずに肉体から離れました。なぜ飛行機事故だったのでしょう。それは、彼が地上的な存在でなかったからです。それ故、地上でいのちを落とすことにはならず、空中を飛行する物体からそのまま天へと還っていくことが起きたのです。地上に飛行機が激突してその衝撃でいのちを落としたのではありません。その前に覚悟を定め、失神していました。そのため空中で体から離れ始めていました。それによって肉体的に苦しまずに、すっと、早々と、天へと向かって行けたのです。

 彼はいま、平安そのものです。天使の一体となって、静かに天界を巡ったり静かに回想して、温かく優しい波動を天界から霊界全体に送り届けています。この世の父親であるあなたと、今でも親密に繋がっています。21年間の共にある生活をときに回想して懐かしみ、また、あなたに感謝しています。また、父親のあなたをこころから尊敬しています。ことばにならない慕う気持ちと、憧れと、尊敬心が無言のうちに波動としてあなたに伝わってきています。その波動が、これまであなたを支え導いて、今日のあなたがあるのです。

 親子でしか分かりえない、こころの、血の通う温かい気持ちの交流が、いまお互いの間に伝播しています。それを再度確認し、受け留めてみましょう。





   31. 大役を果たして聖なる存在に昇格した富子 (2007.06.05)


 富子さんは霊界でほっとして、ようやく落ち着き始めているところです。非常な大役でした。やはり、肉体年齢としては21歳の愛する息子を天界に一人旅立たせることは難しいことでした。縁のある者で本当に愛し尽くす者が付き添わないことには危ういことでした。それがために母親である富子さんも同行し、それを喜んで引き受けました。

 最初はそれを指導霊に聞かされた時、一瞬びっくりし戸惑いました。しかし迷うことなくすぐに心から同意し、勇気を以てそのお役を引き受けました。飛行機が落下していく時も二人で身を寄り添って、そのうえに守護霊がカプセル状の霊的磁場でくるみ、包み込みました。それによって余計な苦悩や打撃を蒙ることなく、その二人を乗せた白い光のカプセルは、そのまま二人の霊体を乗せて、天界へと向かって行きました。

 最初は多少、二人に戸惑いがありました。ある程度の、いわばオリエンテーションとでもいってよい期間を黄泉の世界、すなわち、この世とあの世との中間の領域で過ごしました。そのあとは、これまで毎年この日に、霊界通信をしてきている通り、だんだんに二人はあの世で慣れ、指導もするようになり、母親は彼の背後で見守り、ときに立役者となって彼の後押しをしたり後見人として、そのお役を遂行してきました。

 いまは彼自身、静寂の中に入れましたので、富子さんもほっと一安心しています。そして、母性を発揮して潔典さんの背後霊、あるいは守護霊として、その母性で、背後にひとつの心の波動のような形で存在しています。つまり、一人の人間のような形でつき従っているというより、一つの雲のようなこころの集まりが、潔典さんの頭上後方、やや上方の位置に漂っているのが富子さんです。彼女もまた、聖なる存在に昇格したのです。

 次第に地上からの受け入れ態勢が出来てきました。あなた自身のことです。ただ、以前お伝えしたよりは、あなたは少し寿命が延びつつあります。それは、あなた自身、覚悟が定まったのと、この世で福徳を積んできたことに基づきます。たんに、からだ的に養生したということではありません。あなたは十年ほど前より成長を遂げ、世の中の苦しんだり迷っている人たちのために、大いに助けになりました。そのお陰であなた自身の寿命が少しばかり延びたのです。しかし、天界ではあなたの受け入れ態勢も整いつつあります。もちろん急ぐ必要はありませんが、することを十分にしたならば安心して旅立って大丈夫です。

 富子さんは夫のあなたに対して、やはり尊敬し慕っています。また、すまなかったという気持ちが強く伝わってきています。苦労をかけたことに対して、淋しく悲しい思いをさせたことに対してです。妻として付いてあげられなかったことに対する申し訳なさです。でも、どうしても息子に付いて行かなければならなかったので、あえて、夫婦であることを断念しました。ひとえにあなたの自立と成長のためです。いまでも慕っており、静かな心であなたを待っています。「待っていますからね」と伝えてきています。





 32. 地上的使命はほぼ果たして恩寵としての余命を受ける(2007.06.05)


 あなたの今生の地上的な役目は、ほぼ遂げられました。仕事の面はもとより、霊的な使命もほぼ果たしました。また、個人としての必要な学びも、ほぼ習得しました。カルマや罪も償いました。あとはただ、恩寵として余命を受け止め、自分の命と体力が続く限り、機会が与えられたことに応じ世の中の迷ったり苦しんだり、間違って捉えたりしている人たちに、あなたが体験を通して身を以て気付かせられたり身に着けてきたものを伝えて、それらの人たちの心の糧となってあげることです。

 多くの人たちと共感を味わうことで、溶け合い、本当の愛が伝わります。あなたはようやく共感が湧く人になりました。前生ではそれが足りなかったのです。学問はありましたが、心の面で人と共感が湧くことが足りなかったのです。人の悲しみや痛みや心配が、十分には感じられない人でした。これから、犠牲と痛みに会って自ら培われた共感が湧く資質を大切に、多くの人たちとの心の通い合いをして、支えたり、育て導いてあげることです。

 あなた自身の中で、経験を通して作られたその思いが役立ちます。それこそ、あなたが多大の犠牲を払って得られた「木の枝の先端に生る木の実」だったのです。それを得るためにあなたは、大変な思いをしました。しかし、確かにその犠牲を払って、代償としてその資質があなたの魂の一部に組み入れられました。それこそ、ほかの人たちに分かち合えるあなたからの最高の贈り物です。

 それを生きている限り、或いは生かされている限り、機会あるごとに、困ったり、辛い人たちと分かち合いながら、お裾分けをしていってあげるのです。そしてあなた自身は、霊界について改めて勉強し、死後に備え始めてください。さらに、来世に向けて、これからの残りの日々、何を伸ばしたいか、それをまた自分の中で無理なく取り組んでみるとよいのです。また、潔典さんたちの飛行機で犠牲に合われた方々をはじめ、世の多くの似たようなことでいのちを落とされた方々のために、お祈りを捧げましょう。





   33.明るく清らかな指導者として  (2008.06.05)


 人間が他界する場合、さまざまな亡くなり方があるものです。それによって、それ以降の状態や生まれ変わり方も、変わってきます。事故死や自殺、あるいは他殺などといった場合でも、その内容や動機はまちまちです。潔典さんの場合、事故死ということになります。しかし、本人のなかで、不本意で亡くなっていく自覚がないとあの世に行って苦しむ機会が長いものです。

 潔典さんの場合は、恐れはほとんど、その瞬間起きませんでした。また、自分個人のカルマや罪によって事故にあったのでなく、もっと大きな規模のカルマや事情によって、 いのちが移行していきました。そのような場合、個人のカルマや個人的な理由ではないので、あの世に行っても、さっぱりしています。しかし、大人になって執着が出ていたり、自分個人の罪によって事故にあった人は、同じ航空機事故でも自縛霊になって、亡くなった場所でそのまましがみついて苦しんでいる霊たちも多いのです。

 彼はすっと昇天していきました。したがって、もちろん、事故の現場や土地に張り付いてはいません。むしろ、このようなケースは珍しいのです。一般に純粋な魂の場合、また、子供だったり若いうちの場合、稀に、すっとそのまま天へ向かっていきます。しかし、みなが皆そうだと思ってはなりません。

 いま彼は指導霊として、おもに子供たちを相手に教えています。もちろん霊界において霊たちにですが、霊にも子供の霊がいるということです。子供の霊は純粋で吸収力もあります。人間の場合とその点似ています。純粋だし吸収力もあり柔軟なので、霊においても教え甲斐があるのです。子供たちに話し方やコミュニケーションについて教えています。明るくてはきはきして、手振りを交えて子供たちの霊にことばやあの世での読み書きを教えています。いろいろ霊的な指導霊というよりも、もっと実際的なコミュニケーションやことばについて担当しているわけです。子供たちから人気があるのが特徴です。

 主も子供たちから慕われていました。大人でも純粋で正直で愛があると、子供たちに好かれるのです。それはあの世でも同様です。彼自身、若い純粋なこころを保持したままあの世に移行したので、その良さが保たれています。ちょうど主や洗礼者ヨハネが若いうちにあの世に移行したように、この世でそのまま擦れていって俗人になるのは、合わなかったのです。

 この世では分別がついたとか、社会性が身についたとか、折り合ってやっていけるようになることを「適応」といって、よいこととみなしています。もちろんそれにも意味がありますが、やはり大人はどこかで妥協したり嘘をついたり、取り繕ったりしてようやくこの世で生きていけるものです。そのようなことが相応しくない者の場合、何らかの理由や手だてによって、あの世に移行し取り去られることになります。

 また、今生の生前の名前の通り、「潔らか」で潔白な魂です。また、模範的で、「典」という漢字のとおりの魂です。たいてい親が命名するものですが、命名者は無意識のうちにも神様や新生児の魂に導かれ、結局はぴったりの名前をつけるものです。模範となるのが彼の役目です。身をもって示して教える、それが彼の果たせる役目です。清らかな魂でいつまでも純粋でみずみずしいこころを絶やさず、まわりを明るくしたり清めたり元気にさせます。知識や業を伝達する教育というより、彼の場合、身をもって示すこと、その元気で溌溂な姿によって、子供たちもそのようなあり方が理想的であると認識し、そのようななかでことば上の知識や理解も増していきます。彼は模範としてのあり方をとっており、清らかなのです。元気ではきはきして朗らかで、手振りを交えて、子供たちの霊に教えています。

 以前は大人の霊たちも相手にしていましたが、最近は自分の役目に徹する方が自分にあっているし、また、辛くなく自分を十分に生かせると分かってきました。それで、子供たちの霊を相手にするのに専心しています。なかには自分と同様に、何らかの理由によって、子供のうちに取り去られ、あの世に移った魂たちも混じっています。やはり似たような者どうしがあの世でも関わるということです。

 なぜ父親のあなたが思いに駆られて、毎年、彼の生前の誕生日に通信を求めているのでしょうか。実際的な面からもその理由は説明できることでしょう。しかし、もっと霊的な奥深い理由があります。それは、父親のあなたの方からも気になったり通信を求めているばかりでなく、実は、彼自身が父親のあなたに自分のあの世での活躍ぶりや立派になった姿を、このように通信によって、伝えたい願が大きいからなのです。おそらく、父親のあなた自身は、自分の側から知りたい、そして自分も確信を抱いてこの世で精一杯いのちを大切に生き切りたい、気持ちを整理して楽になりたい、そのような思いで毎年、この場に来られているのでしょう。

 それはそれとして、見落とせないのは、いま明かされたように、その一方で、彼の方でこそ父親に示したいという思いがあり、彼はあなたという父親に対して申し訳ないという思いがあるのです。期待に応えられなかったという意味です。この世に留まって、成人し、父親の期待に応えて立派な大人として社会に役立ち、活躍する姿を父親に見せたかったのです。しかし、もっと大きな計らいや事情によって、早めに取り去られました。

 彼はそれを自分で知った時に一瞬とまどい、動揺しました。しかし、すぐに悟って気持ちを切り替え、あの世に適応していきました。そのような大きな摂理での動きで自分が取り去られたのだとするならば、この世で自分が立派になって活躍する姿を父親に見せられなくて申し訳なかった、その分、霊界では、ほら、この通りちゃんと生きていて、元気で活躍できていますよ、立派にもなりましたよ、そもそも立派になるということが何なのか、この世の価値基準は狂っていますよ、このような自分の姿が本当に立派になったということなのですよ、そのことも知っていただきたいのです。そのような思いでいっぱいです。

 彼は父親のあなたに、自分が立派になった姿や、活躍ぶりをどうにかして示したかったのです。それがあなたの気持ちにも伝わり、あなたにこの世の通信を何度も受けさせているのです。あなたの表面意識では自分が知りたいから自分の事情で受けているし、そう自分であなたは思っているのですが、もっとあなた自身、無意識のうちに自分でも気付かないところで動かされており、彼が父親のあなたにこのようにしてせめて答えたい、そして知っていただきたい、という思いが働いていたのです。

 なぜ毎年だったのでしょうか。それには理由がいくつかあります。一つ目の理由は、つながりを保つためです。人はどんなに記憶力があったり思いが強くとも、断絶すると次第に遠のき、ぴんとこなくなる悲しい面が人間にはあります。それですと困るので、毎年、定期的に通信を行なうようになっているのです。毎年行なっている二つ目の理由は、彼が自分の進展の具合、成長のプロセスを年々、追いながら、示していきたいからです。やはり子供の成長ぶりというのは、ずっと目を追っていき、その推移していくところに味わいが、嬉しさが伴います。それ故、毎年、同じ質問であっても、その都度、示すことによって、成長振りがうかがえるでしょう。これは気になって訊ねているというよりも、年々立派になり、ますます活躍していることを示すという、かなり前向きな理由によるのです。

 ともすると亡くなった方に対して、哀れみを覚えたり気がかりを抱きます。それは霊界に対して、いかにも否定的消極的な、この世の側の人間の捉え方なのです。確かにそのような霊が多いのですが、そればかりではなく、彼のように、常識的に見て不幸な亡くなり方で、中途で終わってしまった感が強くても、ちゃんと生まれてきた目的を遂げており、あの世に行って困っていない、罪によって亡くなったのではないというケースがあることを、この世の人間は知らねばなりません。

 そのような生きた実例が必要だったので、あなたを使ってあの世の側からその真理の一端を実例を以って示してきています。その典型は主・イエスです。普通に見ると、哀れで失敗者のような最後でした。しかし、そうでないことは、それ以降の人類の歴史にキリストが及ぼした影響からも端的に示されています。そしてそのように、明るく輝く、啓発をもたらすことが不幸な亡くなり方を通してすら起きえることを、潔典さんは示すお役を授かったのです。そして、あなたは父親として彼をあまりにも溺愛していたので、あなたの側にも学ぶべきこと、気付くべきことがあったため、いわば、自分の息子の教師として、あなたは学びなおすことがあの世の側からの働きかけで行なわれているのです。

 「お父さん、僕はこの通り立派になりましたよ、もうすぐ逢えますね、お待ちしています。あの世ではあまり時間の観念はありません。まだ、最近のことのように思えています。お父さんが来られたら、迎えに参りましょう。すぐ僕だとわかりますよ。お母さんも一緒にいます。」





   34. いまこの瞬間でさえ優しく微笑みながら (2008.06.05)


 なぜ一緒に行ってしまったのでしょうか。奥さんの場合、潔典さんとはまた異なった理由に基づきます。潔典さんの場合は、すでに説明したとおりです。そのお母さんの場合は、彼の付き添いとして同行することになりました。もう少し、当時の事情を明かしましょう。

 あなたの奥様は、逝く必要はなかったのです。この世に留まることも可能でした。そして潔典さんも、自分に付き添わなくてもいい、できたらお父さんにそのままついていてほしい、そのように願ったのです。しかし、霊的存在たちは、その気持ちは受け取りつつ、それでは実際、潔典さんが困る時もあるし、なによりもお母さん自身が潔典さんに同行し、これから母親としての責任をもって見守り続けたい、そして、自分の夫のことは娘がこの世で見ていてくれるだろうから、自分は息子に対して母親としての責任をとっていきたい、是非とも一緒に他界し息子に同行して付き添いの役目を果たしたい、そのような切なる富子さんの思いがあったのです。それが霊的存在たちに受け入れられました。それ故、最初から同行することが決まっていたのではありません。往く必要のない人でした。この世で生き続けることが可能な人だったという意味です。

 もちろん夫のあなたに対する思いは強く、非常に申し訳ないという気持ちと後ろ髪を引かれる愛の思いが漂っていました。しかし、気丈な女性でしたので、自分を律する賢こさがあり、自分の感情で左右される人ではありませんでした。それ故気持ちを振り切って、「潔典のためならどこにでもついていこう」と思い、自分の娘に夫のことを任せ、また、そのことを信じ、そして自分は一緒に他界して運命を息子と共にし、あの世でもずっと見守り続けたい、その思いが霊的存在たちに受け取られたのです。もちろん死んでいく勇気もありました。

 普通こういう場合、最後は怯えてしまい、自分はこの世に留まることを選びます。しかし、勇気と思い切りのある女性でしたので、また、本当に賢こくもあったので、死ななくてよかったのに運命を共にすることを選択しました。そして実際にあの世でもいつも一緒についており、今この瞬間でさえ、潔典さんの背後で優しく微笑みながら見守っています。

 彼女は自分の目で、潔典さんの成長していく姿を見守っていきたかったのです。その意味では生前における妻としての役目と義務よりも潔典さんに対する母親としての義務と役目が彼女のなかで勝ったのです。そして神様がその思いを受け取られ、家族を二人二人で二分しました。これが3対1ですと、この世とあの世が3対1でも、1対3でも難しくなるため、2対2にしたのです。

 このように富子さんの場合、極めて利他的で、自分がどうしたいとか、どうすると自分にとって快適かとか、そういうことは全く考えず、どのようにすると家族にとってよいか、そして、どのようになると自分の役目を最も果たせて家族全体にとって滞りなくいくか、その観点で考え、そして実際に動きました。それを霊的存在方が受けとられました。それで、一緒にあの世に移ったのです。移る必要がない人が移ったのです。それゆえ、亡くなる瞬間も、全く恐れも未練もなく、覚悟ができていました。普通、40台も半ばになれば、この世に対する未練や、思いが残る年齢だったのですが、その年齢にしては珍しく一緒に天へと向っていきました。

 富子さんは、事故の瞬間祈っていました。こころは平安で、静かにこころで祈っていました。とても静かで、静寂がそこにはありました。「あなたなら分かってくださるでしょう。私はこのようにしてこの運命を息子と共にしました。どうか許してください。もうじき逢えますね。そのときは共に、こころを分かち合いましょう。」






   35. これからも悔いのない人生を送るために (2008.06.05)


 人生は一大作品です。より完成度の高い作品としましょう。そのために、これまでのライフワークを見直し、まだ洩れ落ちたところを埋合わせる仕事に取りかかりましょう。スピリチュアルなことを中心に、今世の自分の仕事においてまだ遣り残したところや、洩れ落ちているところを、全体を見直すなかで、気付かせられ、それを補ったり、不明確な部分は明確にしたり、間違いは正したり、誤解されやすいところは誤解されないように書き改めたりして、全体の巨大な一個の作品として仕上がるように、ライフワークの完成に向けて推し進めていきましょう。

 いつ息を引取っても困らないように、重要なところから優先して、行なっていきましょう。重要なことほど、前倒しにして明日から取り組むのです。神様と一致する心がけと生き方をしていれば、作品の中途で他界することは起きません。それ故、不安や焦燥感に駆られて行なうのではないのです。それにしても、より重要度の高いことから先行して、書いたり打ち込んだりしましょう。

 また、このライフワークとの関連で、自叙伝もまとめましょう。ライフワーク自体が自叙伝風の面もあるでしょう。それにしても、自叙伝としてもより完成度の高いものとするべく、事実と自分の思いと両方を書き綴りましょう。記録に残すことが重要です。人間にとって記録に留めることは、どんなにか大事なことでしょう。また、間をおいて振り返ってみると、忘れていたことに気付いたり思い出されることもありますので、その都度追加したり修正していきましょう。それまでは神様が生かしてくださいます。

 それと共に、個人的には遺書も作っていきましょう。そのようにしてきっちりとすべてを仕上げて、安心して旅立つことです。






   36. 霊界の指導者として美しく清らかに輝きながら (2009.06.06)

 
 潔典さんは、父親のあなたのことをとても尊敬しています。あなたが父親であったことに、誇りを持っています。今でもあの世で、そのことをはっきり覚えています。あなたのことは忘れていません。むしろ確信すら抱いています。その確信は時が経つにつれて、しっかりしたものになりつつあります。

 生前、潔典さんは父親のあなたを目標として生きていました。もしそのまま生きていたとしたなら、外交官、たとえば外務次官などになっていたかもしれません。大学の先生になるよりは、多くの人たちのために国際的に飛び回って、世界の架け橋になることを彼は選んだことでしょう。それでも、父親のあなたのことは自分の目標であり、理想とするべき存在として心に抱いて生き続けたことでしょう。

 前世では、文学や音楽を好んだり、また翻訳をしたりしていたことがありました。しかし今世では実務的な方面に、潔典さんは生き続けていたなら、自分を向けていったことでしょう。いずれにせよ語学を活かし、多くの人に理解をもたらせたり安堵感を与え、世界の架け橋となったはずです。

 霊界へ早めに還り、霊界において自分の夢を実現させています。霊界において、異なった層の間で行き来しながら、霊界をひとつに結ぶことを行なっているのです。

 霊界にも、いくつかの国に相当するものがあります。霊界ではテレパシーで通ずるのですが、それでも、異なった層にいる霊たちの間では、コミュニケーションが容易ではありません。思い方や思いの種類が霊によってそれぞれまちまちなので、テレパシーといってもそれほど実際は簡単ではないのです。彼はそのような間に入って、お互いに理解し行き来ができるように取り計らっています。また、一人ひとりを指導し、時にはカウンセリングに応じながら、異なったところにいる霊たちのことを理解し考慮しながら、自分自身の成長を遂げ、より立派な魂になるように見てあげているのです。

 彼は教育者であり、指導者の一人です。懇切丁寧にやさしく一人ひとりに相対し、導きつつあります。たいていは霊たちが座っていて、彼は立って指導しています。彼は活発型で多くの霊たちと向かい合い、清らかで美しく輝いています。身体はやや細身であり、若さを保持しています。それでも年齢を経るごとに風格が備わり、誠実味を帯びてきているので、単に若くて純粋ということではなく、少しずつ落ち着き、円熟味を増しているところです。

 霊界では霊たちが単に年とっていくのではありません。その時の意識状態や、あるいは疲労の度合いなどや行なったことが、外見に投影されて出てくるのです。この世で老けていくというようなことはあの世ではありません。もしそれに近いことがあるとするならば、疲労や倦怠感が老けたような状態を霊にあの世ではもたらします。元気でエネルギーに満ちていれば若く、希望があれば輝いており、意図が良ければ美しいのです。彼は小気味よく、よい光を放って、朗らかに応対しています。

 霊格は、もし9段階に分けるとするならば、7段目から8段目に向かいつつあります。上の下から上の中に向かいつつあるところです。ちょうど学校の偏差値と似たように、非常に低いレベルと非常に高いレベルとは数が少なく、山の形をしていて、中くらいのレベルに数多く集中しているのです。この世でも、あの世でも、凡人のように普通程度の霊が集まっているものです。

 最近はアンバランスがこの世でもあの世でも生じており、あまりよろしくない霊たちの数が膨らんできています。きれいな山型の波に異変が生じてきているのです。それをなくするためにも彼はあの世で、一生懸命、霊たちに関わっています。清らかで無心になって、人のため霊のために関わっています。また時に、自分で鎮まりながら、自分を感じ内省し、調整しています。より高い霊に、時に向き合い、自分を同調させて、神様から来るエネルギーをいただいて取り入れて調整もしています。

 食べたり飲んだりすることはほとんど無くなりました。ちょうど 「仙人は霞を食って生きている」 といわれるように、霊気をチャクラで吸い込むことで、住むようになっているのです。あの世に行っても普通の霊たちは、食べ物や飲み物が必要です。この世でその習慣が身についているからです。そのような霊にとって、子孫がご供養をしてくれることは、またとない機会になっています。しかし、ある程度以上に高くなると、ご供物は必要なくなります。

 父親のあなたに対しては、信じて安心しています。再会できる時が近づいてきているので、彼も自分を備えているところです。






   37. 背後からつつましく長男を見守り支えている母親 (2009.06.06)


 神様のご配慮によって、家族が分かれ分かれになる場合でも、二人ずつ一組にされて、おのおのの領域に振り分けられました。もし4人が二人ずつに分けられるその組み合わせや別れる時機が狂えば、神のご計画に支障をきたすことになったはずです。お互いが引き離されるのがもっと早い時機に起きたり、もっと後に起きたりすると、もっと苦しんだり、対応できず、そのあとが困難になっていたことでしょう。

 たとえば、潔典さんの場合でしたら、21歳というのが、7×3で7の倍数です。若さを保持し、しかもほぼ成人した年頃で、その状態を保持して霊界へ行きました。21歳は、天界へそのまま行けるぎりぎりの年齢なのです。21歳を過ぎると、天使のままで天界に入ることが困難になります。

 基本的に、子どものうちに他界すると、不成仏霊にならず、神のご配慮によって、早くに亡くなった魂は天使になるのです。小さいうちに不幸な亡くなり方をしたり、問題がある子が亡くなっても、天使になるのです。それはカルマの法則を越えた天の法則です。神のご配慮です。もちろん、潔典さんなら21歳を過ぎても、他界して天界へ行けたことでしょう。しかし、やはり21歳の若さを保持してあの世で生き続けられるのが彼の役目や特質に似合っていたのです。

 それで組み合わせということでみるならば、やはり、家族の中の男性と女性がそれぞれ組になるのがよいものです。その場合、家族の男女の組み合わせが、もし、あなたと奥さんとがこの世に留まり、長男と長女の組があの世に他界したならば、子孫は絶えてしまいます。また、親だけが残り、子どもが逝ってしまったら、これほどむごいことはありません。仮に、奥さんが自分のもとに留まってくれても、あなたは耐え切れなかったことでしょう。また、あなたは強い魂であり、レッスンを学んで真実を伝えたいという思いがあったので、まずあなたは、この世に留まる側を選びました。

 あなたはこころのなかで、「自分こそは死んであの世へ行けばよかったのに、息子をこそこの世に留めてあげたかった」、そのような思いを何度抱いたことでしょう。しかしそれは、人間的な思い方です。彼は純粋さを保持したままあの世へ行くのがふさわしかったのです。一方のあなたは、この世に留まって、レッスンを学び、辛さに耐え抜き、真実のメッセージをあなただからこそ伝えられたのです。実際あなたはそれに向かって否が応でも駆り立てられていきました。

 前世であなたは懐疑論者であったことが何度かあったのと、ある程度、霊的な世界があるかもしれないとは思いつつも、体面を保つためにそのことを表明せずに控えました。今世では、自分がわかってこうだと思っていることを伝えねばならなかったのです。そしてあなたは、それだけの表現力や社会的な信頼があるので、世のためになれるのです。そのためにあなたは留まらなければなりませんでした。そして、男女の家族の組み合わせとして、長女があなたと一緒にこの世に留まることであなたを見てあげることができ、あなたは長女が結婚できるまで、ちゃんと見守って育てていきました。そして、ちゃんと子孫も続くように計らわれました。二重の苦しみを味わったので、二重の恩寵が授かりました。象徴的に双子が授かったのです。

 潔典さんがあの世に行くことは、ほぼ定められていました。彼はこの世で、実務的な仕事で奔走するのには清らかすぎて、大変な目にあったことでしょう。それ故、あの世に戻ることになりました。その際、母親が、あの世に行く彼に同行する役をかってでました。富子さんは、そのように献身的で、子ども思いでした。

 夫のあなたをおいていくことは身が引き裂かれる思いでしたが、全体のためを思って、還っていくほうを選びました。その意味で、愛が大きく、そして賢い女性でした。自分がいのちを失うことに対する怖れや抵抗はほとんどありませんでした。家族全体のために自分がどう動くのが一番よいのか、その観点だけでみて、そして決めました。そのようなことができる勇気と賢さがある女性です。

 あの世でも、もちろん、潔典さんの背後霊のように、いつもかしこまって静かに控えています。ずっと一緒にいます。一緒にいるその居かた、どのように一緒にいるかは、いま説明されたとおりです。並んで一緒にいるのではありません。自分の息子をたてて、自分はかしこまって後ろで正座しています。自分の息子は立って、多くの人たちを指導し、手振りを交えて潔典さんは多くの霊たちに説明したり、指示を与えて快活です。快活な波動をしています。

 そのような息子を前面に立てて、富子さんはその背後で、かしこまって控え、静かにしています。控えているだけではありません。見守って支えになってあげています。エネルギーの交流が母と長男の間であって、エネルギーを与えています。同時に自分の息子から、清らかなエネルギーを受け取って、富子さん自身も元気になったり清められつつあります。

 霊格は、ほぼ長男と同じ程度ですが、厳密にいえば、息子のほうがやや上です。富子さんは、中の上から上の下へ移行しつつあります。常に自分の長男の背後に控えて見守り、霊的な交流が親子でなされながらともに在ります。その意味で一緒に同じ仕事に従事しているのです。

 いつも背後に控えていますので、生活状況も似たようなものです。彼が瞑想している時は、富子さんも瞑想に入っています。彼が自分を調整している時は、富子さんも自分を調整しているし、彼が内省しているときは富子さんも内省しています。息子としてこの世で生み育てた責任を感じ、あの世まで付いて行かねばならないと、よく感じました。21歳にはなっていたものの、まだ精神的に成熟はしていなかったので、そのまま息子があの世へ行くのを、行くままに任せることはとてもできませんでした。それで、自分もあの世に還ることを申し出て、それを許され、同行したのです。

 富子さんは、夫のあなたに対して、申し訳ない思いを抱いています。しかし、あなたなら耐えられるし分かってくださるということで、謝罪の気持ちと感謝の気持ちをあなたに送ってきています。すまないということで詫びてきています。同時にあなたなら分かって受け入れてくださる、という期待も込めて生きています。夫婦の間で思いが十分に通じ合っているのが確認できます。あなたの悲しみや淋しさや不安感から脱却し、こころが平静になるにつれ、そのことが自分の中で自覚されるようになりました。

 人は体験しないと分からないところがあります。あなたは貴重な体験をいただいて、より賢く、愛が深い魂になりました。あの世が確かにあること、人は死んでも生き続け、あの世に移行するだけだということが、十分に感じられるようになりました。






   38. 私は何時この世を去ってどこへ生まれ変わるか (2009.06.06)


 つぎの人生、すぐあとの来世は、アメリカ合衆国になることでしょう。ヨーロッパの可能性もありますが、一番可能性が高いのは、アメリカ合衆国です。次に可能性があるのは、イギリスです。3番目に可能性があるのは日本です。4番目の可能性は中国です。たいていの日本人は、来世も日本になりそうですが、あなたは大きな魂で、これまでの生まれ変わりの程度からしても、むしろアメリカになりそうなのです。アメリカのなかの何処ということまでは特定しがたいですが、ユタ州あたりの可能性が高い感じです。すでにその兆候がお孫さんに表れているのです。

 来世では、霊的なことと現実的なことが程よくミックスして、バランスのとれた紳士として生きていくことになりそうです。日本にも理解と親しみのあるアメリカ人として、生きていくことでしょう。今から、170年から180年後にアメリカに出てきそうです。遅くとも、いまから220〜30年後には生まれてきそうです。もちろん男性として出てくるでしょう。

 今世の寿命ですが、すでに初期のリーディングで示唆されたように、本来のあなたの寿命は78歳くらいでした。しかし、それを越え始めています。78歳より生きられたらあなたの福徳であり、いわばおまけです。すでにその年齢に入りつつあります。このままいくと、健康状態やあなたの意識状態などからして、83〜4歳ぐらいまで生きれそうです。苦しむことなく、自然死に近い形で他界するでしょう。多摩市か八王子市の病院で静かに息を引取るでしょう。

 まだ遣り残したことは、ありません。すでにほぼ遣りつくしました。しいていえば、これまでの本や、ホームページを集大成したような、主なものを網羅したボリュームのある伝記、自叙伝を作っておくと、後世の人たちのバイブルになります。多くの人に啓発と励みを与えていけるものを遺していきましょう。






  39.生まれ変わる必要がない霊格になって輝かしく  (2010.06.04)


 霊界において、教師の役目を果たしています。霊たちに対して、生きる心得や、生命とは何か、いのちの尊厳とはどのようなことか、霊界に来て何をしなければならないのか、次に人間として物理領域に生まれるに際してどんな心がけをもたねばならないのか、などを教えています。時に、霊界の構造や仕組みに関しても説明します。

 霊界入りを果たした霊たちに対して、生前の行いや、心の持ち方について回顧し、反省することも手伝っています。つまり、潔典さんは霊界で指導霊になっているのです。以前にも増して積極的で、活き活きと指導に当たっています。ある場合は、霊界でのコミュニケーションの仕方について物理領域での様々な言語との関連で、霊界ではテレパシーとして通ずることを教えています。霊界では、純粋さと正直さと誠実さが特に求められることなどを強調しています。

 潔典さん自身は、他の霊に教える以外の自分の時間帯において、精神統一をしたり、心の念の使い方で工夫し、さらに自分を浄めたり、愛と命の本源の御光に浴し、波長合わせをしたりして静かに過ごしています。霊界の修行の多くが、以前のことの回想と告白懺悔、そして精神統一にあります。

 潔典さんの修行は、大分進んでいます。9段階で分けるならば、上の下から上の中という、7段目から8段目まで来ようとしているところです。そこまで行くと、一般には人間として生まれてこなくなります。生まれてくる必要がなくなるからです。ただ、父親であったあなたをはじめ、縁のある者たちとの繋がりで、必要とあらば来世また一緒に出てくることが十分あります。その時は来世において、まわりの手本となり、まわりを整え、人間の在り方や生き方を身をもって示し、多くの人たちに希望と自信をもたらせていくことになるでしょう。

 このように、普通にみれば生まれ変わる必要のないところまで来ていますが、縁のある者たちとの関連で来世に出てくることが起こり得ます。本人もそれを予感していて、少しずつ、内省に備え始めてもいるのです。

 父親のあなたに対して伝えたいことは、霊界で再会した時、自分の息子に対し誇りを感じられるように今から準備し、お父さんを歓待したい、十分な尊重と敬意を持って迎え入れたい、そのために霊界で状況を整えておきたい。それが父親であった人に対する礼儀であり、また感謝のしるしである、このように自分の中で心得て、あなたを迎え入れようとしています。そのこころづもりを伝えたがっています。

 あなたに対しては、ただただ感謝と、父親であるということへの誇り、また、惜しむらくは(親子関係が)短い期間であったこと、その分、霊界では十分にもてなして共に過ごし、交流をはかりたい旨、伝えたがっています。生前、父親の恩義に報いられなかったため、霊界に来てその分、霊界では自分が先輩になったので、いろいろと霊界のことを教え、何よりも優遇させてくださいという思いがあります。それが潔典さんにできる父親に対する恩義だと本人は捉えています。

 つまり、どのように礼に報い、恩返しをするかについて検討しているのです。そして、あなたが霊界に入ってくるのを、ただ待つのではなく、自分が霊界で輝いており、活躍して多くの良いものをまわりに与えつつある姿を、今のうちから定期的に、あたかも実況中継のように伝えたい意向があるのです。それは、本人ばかりでなく、関連の指導霊や天使も同様に思っているため、それがあなたの心に伝わり、たとえばリーディングの機会をあなたが活用して、潔典さんやまわりの指導霊のその意向が、このような形で毎年、実現してきていることもあるのです。

 ただあなたが知りたかったり、思いが残っているということだけではありません。それ以前にまず、潔典さんやかかわりのある指導霊が、潔典さんがあの世で輝いて活躍していることを是非いまのうちから、父親のあなたに伝えたいし、伝える必要がある、それがあなたが天寿を全うする上で必要だということなのです。それによって、あなたが地上に留まりつつ、確かに霊界があり、神様をはじめとする高位の霊的存在がおられることを深く認識し、前世の時の懐疑的な面を払拭する願いがあります。

 あなたは最近の前世において、密かに霊界や霊的存在を認め、関心を寄せていたものの、自分の立場を失うことを懼れて、またまわりから怪訝にみられることを回避したくて、このようなことには一切触れなかったのです。たとえ話題が出たときも、笑って話題を逸らしたものでした。そのときのあなたが取った態度がカルマとなって、生まれ変わった今世で、あなたは自分が学者のうちから霊的なことを認め、活動するように仕向けられたのです。また、それによって学者である立場が生かされ、多くの人たちがこのような霊的世界とその働きがあることを、あなたが学者であることで、あなたの話すこのようなことが信じられるようにする狙いがあるのです。

 あなたは前世の時に自分が取った態度が好ましくないことがあることを悟り、そのために生まれ変わった今世では、そのことに対して素直になって行動を起こしました。そのために、潔典さんというあなたにとって縁のある魂が早くに霊界に行って、霊界の存在とその様子をあなたに知らせ、あなたがこの世に留まって、それを多くの人に伝え啓蒙することを、あなたは後半生の役目として引き受けたのです。

 あなたがそのカルマを果たすために、あなたの縁のある潔典さんが、早くにあの世に迎えられました。それによって前世のあなたのカルマを果たさせるように、彼が霊界で導いたのです。あなたはその通り、後半生をこうして生きているのです。このように、あなたは学者であったことを妨げにせず、それを上手に用いて多くの人たちを説得し、霊界や霊的存在のあることを現に伝えつつあります。カルマを果たし使命を遂行することは、縁のある者たちとのチームプレーで為されることがあるという、よき実例となっています。






  40. 霊界から許されて使命のために長男と同行する  (2010.06.04)


 富子さんは潔典さんと離れたことは一度だってありません。潔典さんの使命が霊界に行っても滞りなく果たされるよう、母である富子さんは随行しました。形に影が付き添うかのように、潔典さんが間違いなく霊界入りを果たし、霊界で育て導かれ、立派な任務につけるよう母親としての責任を感じ、ついてきています。それによってまた、富子さん自身が潔典さんから恩恵を受けたり、学べたり、癒やされたりもしています。

 潔典さんが他の霊たちに教えている際、その斜め後ろに座って控えています。見守り、また自分も教えを受けているという形です。彼が精神統一や、態勢の備えをしている時は、自分もまた修行に入り、ともに来世へと備えています。霊格は9段階のなかの6段目から7段目に移行しようというところです。

 夫のあなたに対する思いは、申し訳なかったということと、感謝、信頼と尊重、愛情などです。申し訳なかったというのは、夫婦でありながら、息子の使命遂行を優先して、息子に随行することを選び、妻としての務めを十分に果たさないまま息子と一緒に旅立ってしまったことについて、です。しかし、あなたなら分かってくれるでしょうし、むしろ、そのような事情や理由が説明されれば、誰よりもあなたが、自分よりも潔典について行ってもらいたいということを、富子さんは痛いほどわかっていたからです。

 それで、あなたがそういう人であることを信頼し、夫婦である務めより自分の大切な息子が一人で霊界で、はたして困ることがないよう、その子を産み育てた母としての責任を全うするべく、随行しました。それでもなお、夫に対して責任を果たせなかったことを、すまなく思っているのです。そのことをいまさらながらわかってほしいという思いと、謝罪と懺悔のこころがあります。あなたなら分かってくれるという、あなたへの深い信頼と尊敬の気持ち、そして愛情があります。そして、本当の意味で、息子について行くことが、結局は夫に対して、最もよいことになることを予感したのでそちらを選びました。

 早くに旅立つカルマはなかったのですが、使命を滞りなく果たすために、そちらを選び、霊界でもそのことが許諾されました。あなたが地上に留まって生きていくことが困難になることは十分承知していましたが、あなたならそれに耐えられ、一人でやりくりしていけるだろうと信じているのです。そして、時々合間をみて、あなたの側に降りてきています。あなたが困って、どのようにしてよいかわからない時、ふっと思い浮かんだり、できてしまった場合、富子さんが身近にいてサポートしていることが多いのです。






  41. 真理を伝えるために生かされているいのち  (2010.06.04)


 あなたはすでに今世の寿命を超えています。普通にいけば76歳あるいは78歳くらいまででした。しかしあなたは命の大切さを次第に感ずるようになり、また、自然のリズムに合わせて生かされて生きるようなあり方ができてきました。大いなる存在と働きに身をゆだねることもしました。不安やストレスも少なくなりました。前世のカルマもほぼ果たしました。その結果、今でも生かされているのです。

 また、あなたがより長く生きることが、霊界と霊的存在の真実をより多くの人々に教え、啓蒙をはかることができるため、あなたを早くに取り去ることが惜しくなっています。そのため予定より長く生きています。普通にいくと84歳で亡くなるでしょう。早ければ82歳です。あなたがさらに大いなる存在と一つになり、自分の働きが世の中にとって必要だと天で判断されれば、86歳ぐらいまで生きることも起こりえます。普通にいけば84歳です。

 ほぼ自然死のかたちをとるでしょう。病気というより衰弱死です。生きる気力がふっと消えて、息を引取るかたちです。苦しむことはほとんどないでしょう。最後まで元気で動くことができ、人の厄介にならず、ふっと火が消えるように命を終えそうです。

 つぎの来世は、いまから220年後くらいです。最も可能性が高いのはアメリカ合衆国で、2番目に可能性が高いのは、今世と同じく日本です。それ以外の国はほとんど考えられませんが、イギリス、中国、韓国なども数パーセント程度それぞれにあります。しかし、ほとんどアメリカ合衆国でしょう。アメリカ合衆国の何州というところまではまだ定まっていませんが、ユタ州やオレゴンなど、今世であなたがご縁をいただいたところに生まれる可能性が高いです。

 あなたは生まれ変わってくることでしょう。それに応ずるかのように、潔典さんも再び転生することを選ぶのでしょう。今度もあなたの息子になって出てくる可能性が高いのです。そのようにして使命を完了するのでしょう。富子さんは、今世に責任を取るべく、再びあなたの身近に生まれてくることでしょう。妻になる可能性が最も高く、ほかにあるとしたら、あなたの妹、あるいは母親となるか、です。

 あなたは生きて、体が動く限り無理のない範囲で、自分がわかったこと、感じたことなどを、より多くの人に分かち合い、伝えていきましょう。






  42. 私は何処でどのように生まれ変わってきたか (2010.08.17)


 あなたは日本ばかりでなく、世界のいたるところで生まれ変わってきました。日本でも、数回は生まれ変わってきています。

 最初にあなたが地球上に人間として生まれてくるようになったのは、いまから32,3万年前の頃です。現在は太平洋になっているハワイ諸島のあたりにレムリア大陸がありました。そこに一人の人間として現われました。

 その前は、霊的世界に霊的存在の一体として、在りました。その期間は、地球の物理的な時間軸では表示するのが困難な長さでした。状態も異なっていたので、ただ長かったというだけでなく、地球の物理時間の単位では表しようがない理由によります。

 最初に、いわゆる創造主から霊的存在の一体として創られました。そして、計り知れない長い間、霊的世界に在りました。しかし、一つの流れで、太陽系のなかの地球の物理領域に、動物のように肉体を持つ存在として現われる方向にあなたも向かい始めたのです。そのようにして今から、32,3万年前に、レムリア大陸に褐色人種の一人として登場しました。

 純粋で純朴、真っ直ぐな性格の人でした。まだ何もよくわからないながらも、きりっとして、こころが真っ直ぐで、純粋でした。まわりを観察しながら、見よう見まねで生き始めました。食べることや、寒さ暑さを凌ぎ、また猛獣や病気から免れ、愛する家族を守るために生き始めました。真面目でひたむきで真剣に取り組んだお陰で、ほかの人たちよりも早く生きる術を身につけ、まわりから頼られ、おのずとまわりを守り導く長(おさ)的な存在になっていきました。以上のことはひとつの人生だけでそうなったのではなく、レムリア大陸で二度三度生まれ変わりながら起きてきたことでした。

 また、その頃はまだ、現在のように一つの生涯で80年前後生きるという固定化したものではなく、霊的世界と物理世界とがそれほど隔てられていなかったので、一つの人生の中でも、霊的世界に行ったり来たりする幽体離脱のようなことが普通でした。物理領域自体が霊的世界に浸透していて、霊的世界は隔絶したものではなかったのです。

 次第にあなたは自信と確信をもつようになり、それとともにこころに余裕ができてきて、まわりを見たり世話をすることもできるようになり、心も安定してきました。すでにシャーマンのような存在が霊的世界と物理世界を媒介する役目を引き受けており、あなたはそれを当然のこととして受け入れ、認めていました。

 その後、アトランティス大陸に生まれ変わるようになりました。今から10万年から12万年前以降です。つまり、レムリア大陸で長の存在になり、まわりを見て確固たる精神を身につけ、あなたは前進することが出来るようになったので、好奇心にもかられ、アトランティス大陸に移っていくようになったのです。アトランティスへ生まれ変わりが移っていったということです。

 アトランティスだけでも5回くらい生まれ変わりました。次第に霊の世界と物の世界が分けられ、固定化してきました。それもだんだんに、でした。そのような移行期をアトランティスで過ごしました。現在の大西洋にあった大陸です。アトランティスの初期の頃は、白い靄に包まれ、いつも霧がかかっているような状態でした。そのような中で、好奇心に富む者たちが科学技術や学問などに打ち込み始めました。

 あなたは人とのコミュニケーションや人をまとめることに主に向かいました。アトランティスの初期の頃に、現在のイギリスからスコットランドにかけての地域に近いところで、多くの人たちを集めて教えたり、説明したりしていました。主に、野外学習でした。あなただけ立っていて、ほかの人たちは座ってあなたを仰ぎ見ながら説明を聞く場合が多かったです。

 あなたは自分が経験や学習を通して身につけたことを披露し、教えていました。あなたは朗々とした話し方で声がよく通り、自信と気迫に満ちていました。また、親切でした。しかし、とても真面目でひたむきの分、頑固で一途のため、よくわからない生徒ならともかく、よく聞こうとしない生徒に対しては、かっと怒ることがありました。厳格な面がすでに現われ出ていました。

 霊的な世界に創造された時点で、すでに、魂の兄弟姉妹として縁のある者たちが何体かいました。それらの者たちは主に、あなたの家族となることを選んで、それ以降、地球上に生まれ変わっていきました。特にあなたが信頼と重きをおき、また有望視し楽しみにし、自分の片腕としていた者が今世ではあなたの長男に生まれてきたのです。

 アトランティス初期のイギリスのあたりで、あなたが人々を指導し始めていた頃、すでに彼はあなたの助手を勤め、あなたがほかに用事で行っていたり、またはくたびれたりした時は、彼が代わって人々に教えていました。また、二人の世話役として今世のあなたの妻がいました。それに、あなたがとても可愛がって楽しみにしていた人が、今世ではあなたの長女として生まれ変わってきました。

 アトランティスの前世の後半期には、現在の北米大陸の東部のカロライナの辺りにあなたは拠点を置くようになりました。アトランティス後期において、そこは最も進んでいる場所だったからです。すでにアトランティスは変動を受け、一つの大きな大陸が幾つかの小大陸や島々に分断されていました。あなたは預言にも耳を傾けていました。しかし、責任をもって、アトランティス末期の残された島々で、アトランティスの赤色人種たちを教えていました。

 これまであなたは、55回から60回程度生まれ変わってきました。おそらく58回くらいでしょう。ここで、霊界にいた時について、総括してみてみます。

 あなたは地球上での人生と人生との間に、その都度霊界に還って自分の内省を深め、また休養し力を注がれて、また挑むように生まれ変わっていきました。とても内省が素早く吸収力がよく、自分にもよく言って聞かせ、決意して、時機がきたら迷うことなく生まれ変わる特徴がありました。割と慌てるほうで、時機が来るまで霊界で待機させられていたこともしばしばありました。前向きだったのです。

 自分は用意ができているから、すぐにでも生まれ変わってまた取り組みたい、自分が出来ることを行ないたい、そのような思いが強かったのです。しかし、ほかに縁のある魂たちとの兼ね合いで、また、地球上の歴史の進展具合で自分が生まれる時機や場所が定められているので、よく待たされていました。あなたは半ばいらいらしながらも、納得し自分を収めて待機していたものでした。

 霊界にいた時も、他の霊たちを教えたり、その一方で、指導霊からの教えを受けたりしていましたが、あなたは霊界にいるよりも地球上に肉体を持って人間として生きることを好み、そこに意義や価値を見出すほうでした。霊界での暮らしにあなたは飽き足らないところがありました。身をもって体験し学び取り、地上の物理領域をよくしていくため、また人間を育て大事なことに気付かせることにインパクトを感じ、それに自分の遣り甲斐を見出していたのです。

 話が前後しますが、レムリア大陸に生きていた時のあなたの名前は、「ラーフラー」、それが初期の頃であり、レムリアの後期の頃の名前は、「リンドゥー」などといったものでした。アトランティスに生まれるようになってからは、初期のイギリスの近くにいたアトランティスの前世では、「タカゥーン」、そのような名前でした。アトランティスの後期のアメリカ東部に近い所で指導していた時は「アトゥー」、そのような名前でした。

 アトランティスのあと、古代のエジプトに生まれ変わっていきました。エジプトで3回から5回、生まれ変わりました。最初はピラミッドとスフインクスが建造された直後の頃でした。あなたは学級肌の人で、調べものに夢中でした。文献学者であり、解読や異なった言語の比較研究を行なっていました。まわりから声をかけられて、いらいらして答えたりしました。自分のするべきことを妨げられたくなかったのです。仕事を大切にしていて、完璧主義者でした。その時の名前は、「ムゥー」と呼ばれていました。

 アメンヘテプ三世からアクガテン、そしてツタンカーメンにかけての時代のエジプトにも生きていました。あなたは大臣になる候補にもあげられましたが、煙たがられ、顧問の役に就きました。とても真面目な人でした。頑固で頭が固い人でもありましたが、いざという時とても頼りになり、真剣に考え責任感も大きいので、まわりが混乱したりいい加減になった時に、あなたがいつでも呼ばれ、頼られました。あなたは知恵者であり、国の総務省の顧問でした。「タチバナ」、それに近い響きの名前だった感じです。日本人ではありません。

 イスラエル統一王国時代にも生まれ変わりました。あなたは国家の機密情報を管理する役目を仰せつかりました。イスラエルの国とまわりの民族との調整と管理の役目を勤めていました。ときに翻訳をしたり言葉を整えて記録をする部門の人たちの監督も勤めていました。霊的なことに関して、真面目で厳格な人でした。「エルシャガール」、そのような響きの名前でした。

 バビロン捕囚の時代にも生きていました。歴史や預言に関する文献を管理していました。その傍ら、多くの人たちに話し方や読み方、正しい解釈も教えていました。研究のほうが主で、教えるのは求められて行なう程度でした。しかし、後半になって、そのことにも意義を感じ、遣り甲斐も覚えるようになりました。「プント」、そのような響きの名前でした。

 ローマ帝国の時代にも生きていました。あなたは律法学者でした。キリストの登場を知りました。キリストはほんものかどうか、慎重でした。こころではとても興味を持っていましたが、自分の立場を考えて、発言には、また身の振り方にも、慎重な人でした。しかし真面目な人ですので曲げることはせず、感銘を受けたところはあり、密かに学んでいました。「タイシン」、それに近い響きであったように捉えられます。

 日本の飛鳥時代にも生まれ変わりました。日本が朝鮮半島や中国と国交を盛んに行なうようになった頃です。文化の交流にあなたは一役かっていました。しかし、自分が納得できないことは役目でも行ないませんでした。気難しい人でした。しかし、本当で重要なことだと思えたときは、むしろ率先して行なう人でした。言語学の感性を具えており外国に興味をもっていて、中国や朝鮮半島の人とコミュニケーションを交わすことが出来ました。そのため、海外からの大使や使者に対して、要人とコミュニケーションをし、取り決めを行なう際にあなたは求められました。

 以上があなたの重要で主だった前世です。あなたはそれ以降、鎌倉時代の日本、そして近代ヨーロッパに「ジェームズ」という名前で生まれ変わり、今生、日本に生まれ出てきました。最近の前世に関しては、以前述べられて通りです。






  43. より気高く神々しい霊界の領域におかれて (2011.06.07)


 潔典さんは、これまでは主に後輩の生活の指導や教育に当たっていましたが、今は神聖な祈りの時を持つことが増えてきました。今でも変わらずに、後輩の霊たちの教育や指導に当たっているのですが、新たに少しずつ神聖なセレモニーをささやかに主宰し、霊たちを祈りによって清めたり、安らかさをもたらせたりすることも行なわれるほどまでに潔典さんのみ霊は、昇格し優れた存在になってきました。

 お母さんの富子さんの霊は、彼が指導霊になれるよう随行し、一緒に霊界へと旅立ちましたが、これまで背後に退いて潔典さんを見守り、守り立てながら控えていました。最近は富子さんも確信と自信を持てるようになり、少しずつ前に出るようになりました。といっても控えめで、自分の息子であった霊を立て続けていますが、自分もセレモニーのお手伝いをして動くようになりだしています。少しずつ共同で大切なことを行なうようになっているのです。

 教育や指導では、自分は黙って背後に退いて見守って、頼もしいと思いながら控え続けていましたが、セレモニーは、男性のエネルギーと女性のエネルギー、或いは、息子のエネルギーと母親のエネルギー、そのように双方のエネルギーが必要ですし、その方がより多くの霊に届き包みこめるため、母親の方も今までよりは動くようになり、控えめに後ろから息子のすることを立てながらも、そのことに依然変わりはないものの、しかし自分もお役を担い、一緒に果たすというように積極的になってきているのです。

 以心伝心で、親子で分担しあい協力し合って、しかも二人のエネルギーがハーモニーをなし、渾然一体となって、穏やかで柔らかく周りの霊に及び、霊たちにそのエネルギーが注がれて、安らかになり穏やかさを取り戻しつつあります。このように、潔典さんは神聖さも加わり始め、そのお役を果たす際、母親の霊も動くようになってきたという進展がこの一年ほどでみられています。それが一年前までとの変化です。単なる純粋以上の、もっと神聖な穏やかな特定の宗教の枠組みを越えた、どのような霊にも有り難い、お清めと育成のエネルギーが注がれつつあります。

 霊の世界では、その姿は内面をそのまま反映し、見ただけでわかるようになっているのが特徴です。この世の物理領域では、そうはなっていません。外見が整って美しくても、内面が汚かったり好ましくないのを持っている場合があります。逆に、姿かたちや表情はそうではなくても、内面は美しく立派である人もいます。しかし、あの世ではごまかしがききません。内面がその通り、外面の姿や動きとなって現われ出ます。仏像などにはいろんなしるしがかたどられ象徴化されて、仏像をみる者が仏様や菩薩様の優れたところが分かるように作られています。実際、霊界や神界では、そのようなお姿をしておられます。

 あの世では、ピンからキリまで、いろんな存在がありますが、それぞれの象徴が形として見えます。そのため、潔典さんや母親の富子さんの姿も、前とは違ってとらえられるのです。一段と成長し、清らかで荘厳な姿かたちになっており、より透明度を増して輝きを放っています。頭には、貴人、つまり尊い人を表わす冠も見えます。富子さんのほうは、ふくよかで穏やかで優しく、全体としてふっくらした姿です。ふっくらしていても均整が取れて、すっきりしている姿です。古代日本のいでたちや衣装の感じです。このように親子で益々調和がとれて、ひとつの素晴らしいエネルギーが二体から醸し出されています。当然、自分たちに似合う、より気高くて神々しい霊界の領域におかれています。

 潔典さんは、生前の名前の通りになりつつあります。清らかで多くの者たちの規範となる、お手本となる存在になってきているのです。もともと、そのような資質の魂だったのです。それがここにきて現実のものとなってきています。富子さんのみ霊は、もともと、こころの豊かさや、本当の富、宝を抱いている生命存在です。自分の命も豊かで、豊穣であるばかりでなく、自分と関わる人や霊をも豊かにし、伸びやかに拡がる立派な魂にしつらえてあげられます。一人ひとりの存在を認め、本人が相手の霊も自分でそのことに気づき、生命本来のありようができてくるように位置づけます。

 このように親子の使命に向かう際の位置づけや関係性の図式が前と変わりつつあります。その意味では、指導霊的なあり方から、もっと守護霊的な神聖味を帯びた、触れる者たちを慰め、育み、清める働きを始めています。より神々に近い存在に昇格しつつあるのです。

 このようになってきた理由はいくつかあります。一つ目は、本人たちの努力と精進のお陰です。本人である潔典さんと富子さんの努力と、これまでの働きが機が熟したことによります。もう一つ見落とせない理由は、この世に留まっているあなたと娘さん家族です。あなたがこの世で父親として踏みとどまり、試練によく耐えながら成長を遂げ、多くの方たちに真実を知らせ、心を解放し啓蒙したお陰です。

 やはり、この世とあの世とで、縁のある魂たちは関連し、影響を及ぼしあっているのです。このように、富子さんと潔典さんの霊界での精進の賜物ばかりでなく、この世で父親のあなたが試練によく耐え、ものごとを否定的に捉えずに天からのテストに合格できるよう、誠実にこれまでのことを検討し、よく学び取って、その学び取った成果を多くの人たちに啓蒙していることが、人々を助け、霊界でも喜ばれていることによります。

 特にこの一年で、あなたは確信を持ち、自分の気持ちの中での整理がついて、ふっ切れてきました。そして、多くの人への慈悲心から、多くの人も気づいて楽になってほしい、そして何が大切であるかを知って、この世でいのちを大切に励んでほしい、そのような菩薩的な思いがあなたのなかに湧いてきたことによります。それが今回の本にも結実しています。これまでの本とは違ったものになっています。しかも、これまでの本を出してきたからこそ、出せた本です。

 このように、ほぼ、あなたがこの世に留まってするべきことや耐えるべきことは、果たしてきました。このように縁のある四人の家族が、あの世とこの世に引き裂かれながらも試練に耐えて前進し、神様の御心の方向でそれぞれがおかれたところで励んできた成果です。それは、多くの人たちや霊たちのためになり始めているのです。あなたも、前世のカルマをほぼ果たしました。

 富子さんと潔典さんからのあなたへのメッセージは、感謝と尊敬心と信頼、この三つが波動としてあなたに届けれられています。ことばにならないような思いが一つの思いに込められて、あなたに届けられています。その思いがまた、あなたを支え、為になることを人々に向けてさせている原動力にもなっています。つまり、お互いに相手のためになるように、あの世とこの世とで働きかけあっているのです。あの世とこの世との関係は一方的ではありません。この世からあの世へ、また、あの世からこの世へ影響が及んでいるのです。そのよき実例があなた方4人の家族には見受けられます。

 このように引き裂かれた理由は、単なるカルマによるものではなく、もっと前向きで、神のご計画の一環として起きたことです。これからの時代、日本を主として、世界中の人たちが、あの世の存在と霊の存続、そこに働く法則や摂理、それらに目覚めて、人生を豊かに、清く正しく生きれるようにという意図で、あなた方家族が選ばれて、それが身に起きたのです。その中であなた方の個人的な、また、家系的なカルマも果たされるように計らわれました。

 またこの一年で、なぜ潔典さんと富子さんが昇格し、神聖な業をするようになったのか、それは、あなたのこの世での成長と進展とともに、東日本大震災の影響もあったのです。また、東日本大震災に間にあうように用意されたという面もあります。それで、多くのみ霊が東北から霊界へ向かい、それらのみ霊も含めて、癒し、清め、神聖さで包んであげているということが起きているのです。

 

 


  44. これからは死後の霊界に備え始めることになる私 (2011.06.07)


 今生の目的はほぼ遂げました。これからは義務として何かをしなければならないということはほとんどないのです。ただ、まわりから求められ、役立つことならば応じていくということになります。これこれをしなければならないという義務は、あなたにはもはやありません。やり遂げたからです。カルマもほぼ果たしました。少なくとも今生果たすべきカルマは果たしました。それで後は、無理をせず、これまでの人生を振り返って消化し、死後の霊界に備え始めることです。

 この世の中で、これまでの講演や数冊の本を出してきたことなどにより、また、ホームページをご覧になった方々など、あなたが求められ、頼られることは今後とも続くし、ますます多くなるでしょう。そのようなことにあなたが快く無理なく引き受けるということならよいのです。しなければならないからというより、すると役に立てるし、自分も充実するからです。

 霊界を9層に分けてみると、「下の下」から「上の上」までの9段階になります。これは世間的な基準とは全く異なります。霊的成長の段階です。あなた自身は、「中の上」ぐらいまでいっていました。「中」の段階から「上」の段階まで上がるところで試練がくるのです。大きな関門です。あなたや、あなたに繋がりのある魂たちには大変なことでした。

 あなたはやはり、家族の魂のかしらになる存在なので、非常にきつい形でやってきました。しかし、あなたが耐えれば繋がりのある魂を支えられます。それによってあなたと、また繋がりのある魂たちも、「中」の段階から「上」の段階に昇格しました。それによってあなたは、今生が終わったら、「上の下」に入って行けます。それぐらいの段階の霊界です。

 ちなみに、「上の上」はほとんど人間として生きていた存在はいません。「上の中」もほとんど稀です。「上の下」が数パーセントいる程度です。潔典さんは、「上の下」に完全に入りました。「上の中」の準備にかかりだしているところです。



 


  45. 私の霊界入りに備えて準備を始めている潔典   (2012.06.06)


 半年ほど前から天界において霊たちの指導を後任の者に任せ、潔典さん自身は解放されて、静かに自分ひとりでくつろいでいることが多くなりました。それでも時々は、尋ねられ、呼ばれて霊たちの前に立ち、以前のように話をしたり説明をして、霊たちの指導に当たるときもあります。

 ただ、前のように専任ではなくなり、その任から解かれ、最近はくつろいで、ほっとしているようです。おそらく時期がくれば別な霊界へと導かれ、迎え入れられるのでしょう。そのことと父親であるあなた自身の霊界入りとは無関係ではなさそうです。察するところ、家族が再び一つになって、ふさわしい霊界の場所を与えられ、そこで生前のように暮らすようになるのでしょう。

 潔典さん自身は、他の霊たちの指導に当たるのに値するものを十分に備えていて、これからもそれが出来たのですが、生前のことがまだ終わっていないのと、父親のあなたの想いが残っていて、それが強いのとによって、あなたの寿命が尽きて霊界に招き入れられた際、この世での人間的な生活が与えられるのでしょう。それは天界というより、この世のごく普通の、あたたかで安らぎのある生活になりそうです。それを、あなた方親子は望んでいるからです。

 そのあり方へ向けて、潔典さんは霊たちの忙しい指導から解放されて、しばらくは一人でのんびり過ごして休むよう、(休みを)とるようになっているのです。あなたが何時までこの世に留まるかは、いまは明かすことが出来ません。ただ、すでに潔典さんが待機するような動きに入っているので、その方向でことが動き出していることは分かります。あなたとしては、特に自分の寿命を意識することなく、自分としては早めようとも、遅めようともする必要はなく、普通にこの世で生活を続けていてください。それが天寿を全うすることになります。

 人によっては、早くあの世に帰ろうという人もいれば、一日でも長くこの世で生き延びようという人もいます。最近は長寿社会で、日本人は少しでも長く生きたいようです。でも普通に暮らすのが大往生の条件なのです。自然の形で息を引き取ることで、霊界へとすっと移行して、霊界での生活が無理なく始められるからです。

 また、生前、あの世や霊界のことや、神様や指導霊の存在と働きを信じて受け容れて素直な人ほど、この世とあの世の隔たりが少ないため、あの世に行っての生活に適応しやすいです。あなたには、そのようにしてほしいものです。それによって、あなたの悲願であるこの世での家族四人での家庭生活が、分断されたところから残りの部分をあの世に行って過ごせるようにしてあげましょう。潔典さんはそれを充分に分かっていて、あの世に行って清められ、力をつけて昇格し、親孝行しようといま備えだしているところです。

 天界に行こうと思えば行ける家族ですが、あえて、この世に似たあり方の霊界へと家族三人が迎え入れられ、あの頃のような家族の生活が始まることでしょう。四人のうちの三人が、あなたの妻も含めて三人が再会し、あなたは満たされることでしょう。この世で遂げられなかったことは、この世での役目を果たせばあの世で与えられることがあるのです。この世だけを見ては分からないこと、またこの世だけでは辻褄があわないことでも、あの世まで含めれば、報われ、遂げられることがあるのです。

 潔典さんからあなたへのメッセージは・・・・・・

 《お父さん、ぼくは待っていますよ。もう少しですから楽しみにしていてください。こちらですばらしい場を用意して最高の接待で迎え入れます。生前は悲しませてしまいすみませんでした。でも、これからがあります。また、一緒になります。そちらの世の中では充分に生きることが叶わず、自分でも残念な思いがありました。でも、天のご計画を知って、納得し受け容れられました。そちらの世の中にずっといると、世の中に妥協し、人間が穢れるのですね。自分に与えられた「潔典」という名前の通りに、清らかで他の規範となれるような存在として生きねばならなかったのです。そのために、自分の活躍の場は天界へと移されました。

 また、お父さんに霊界の存在と真実を学ばせるための試練が天から与えられました。人は引き離されると真剣に考え始め、魂が磨かれ、目覚めます。お父さんは忍耐と謙虚さを身につけさせられました。ぼくのほうは、清らかで純粋な面を保たれました。引き離された分、引き寄せられる力が強く働くようにもなりました。それぞれが神から試練を与えられました。でも一人であのことに取り組むのは大変なので、お父さんにはお姉さんが、ぼくのほうには母が与えられました。そのようにして家族四人が、二つに分けられました。

 お姉さんは結婚して子どもを授かったことをとてもうれしく感じ、ほっとしています。お父さんがそちらの世界に留まって大変だったことは痛いほど伝わってきています。そちらの世界で、世の中を啓蒙したことは霊的世界にも影響を及ぼし、助けになっています。お父さんは二つの領域を繋ぐことができました。お父さんだから出来たことです。一緒になったらまた家族として、こちらで生活しましょう。お母さんも、いつも傍にいて見守ってくれています。たいへん助かっています。お母さんはしっかり者になりました。》



 


  46. 天の計らいで事件後も常に潔典の背後にいて見守る   (2012.06.06)


 冨子さんは霊界で無事です。いつも控えめにしていて、潔典さんの背後にいます。潔典さんから離れたことは一度たりともありません。霊界の存在たちのお計らいで、いつも一緒にいられるようにされています。もともと、そのような天のご計画で、ふたりは一緒に霊界へと移されました。航空機事故で亡くなる瞬間も、冨子さんは潔典さんをかばうように体を守り、自分の身を寄せていました。そのようにして二人は、そのような状態で霊界へと向かっていきました。

 航空機事故で多数の犠牲が出た際、それぞれの乗客は、直後はこの世とあの世との中継地点に亡くなったときの状態で一緒にいましたが、しばらくするとそれぞれが、ふさわしい霊界へと導かれていって、亡くなった乗客の方々は別々になって行きました。今もっているものやその後の運命が違うからです。冨子さんと潔典さんは、いついつまでも一緒にその事故の後、過ごすことができています。それは、二人が同じような特性と目的と願いをもっていたのと、天の計らいによるのとで手放されることがなかったからです。

 いつも言葉少なで、潔典さんの霊の背後に佇んでいます。いつも潔典さんのことを気にかけ、誇りに思っています。また、夫のあなたのことをいつも気にかけ、案じています。もちろん自分の娘のことも思っています。母親としての責任をいつも忘れず、抱き続けています。直接には、目の前にいる潔典さんのことを見守り、背後で支え、また自分のほうのことでも潔典さんからお力をいただいています。そばで見守ったり、母親として用を足して、助けたりしています。時には潔典さんから指導を受けたり、教えられたりもしています。

 母親として客観的なこころが自分のなかにいつもあって、目の前の潔典さんと共に、そちらの世界の夫や自分の娘のことも、あわせていつも気にかけているのは母親や妻らしいありようです。気丈で優しく、こころのひろい女性です。責任感が強い女性です。なんとか最後まで自分の責任を果たさねばという思いがあります。直接には、目の前にいる潔典さんのために、自分はなり続けようとしています。潔典さんの使命が遂げられるよう霊界にも付き添うことを自らの生き方として進んで引き受けたほどです。

 縁の深いひとつの存在に自分の命を捧げ、運命を共にすることは何と尊く美しい姿であることでしょう。そのような典型的な女性なのです。潔典さんといっしょに天界の霊たちの指導のところに身を置いていましたが、いまは潔典さんと共に任を解かれ、ひとつのスペースを与えられて、次のあり方に備えて、休みを取らせていただいています。

 夫のあなたに対しては、ひたむきな思いを抱いて、再会したときにどのように伝えようかと思案しています。軽々しく会って話のできるような状態ではありません。こころして臨まねばと、今から再会したときの自分の身の振り様を考え始めています。思うところ、言いたいことはいっぱいあっても、どのように自分の心境を伝えたらいいものか、あなたの心を察してあまりあります。



 


 47. 古代日本では中国や朝鮮との交流に深く関わってきた  (2012.06.06)


 昔の朝鮮半島や中国と、二度ほど生まれ変わりのなかで、あなたはかかわりがありました。一度目は、日本の古墳時代、応仁天皇が日本を治めていた頃です。あなたは学問の造詣が深く、知恵者として国が政策を決める際、呼ばれ尋ねられることが何度かありました。ふだんは、日本国内で教育の任に当たっていました。

 その当時、潔典さんは、学術的な研究に従事し始めていました。日本が国際社会として、確立するために日本の国内の教育レベルを上げることが彼の念願でした。あなたはそのような彼を頼もしく思い、期待して、師匠として、また父親として思い続けていました。そして、実際にも見てあげていました。

 二度目の人生は、飛鳥時代です。推古天皇が日本の国を治め、聖徳太子が顧問に当たっていたころです。あなたは監督者でした。当時の中国や朝鮮半島との文化交流において使節を派遣する際、あなたが決めたり取り計らったりしていました。その時にも潔典さんが傍にいて、外交官の一人として育成され、二度ほど、朝鮮半島に派遣されました。このようにあなた方親子は、学問と使命の両方で深く関わっていたのです。



 


 48. 指導的立場から一段昇格して静かにくつろいでいる潔典  (2013.06.06)


 これまで潔典さんは霊界での教育指導にあたってきましたが、それも一段落し、最近はあの世で時間を与えられ、自分だけでゆったり過ごして、疲れをとって自由時間を過ごしていることが多いです。しばらく休みを取ったら、次の役割を与えられるのでしょう。この世での時間も30年が経過しました。30年というとほぼ一世代の長さです。

 あの世にも時間の感覚はあります。ただ、この世の時間とはやや異なっています。それはちょうど夜眠っている時の時間の感覚に似ています。夢を見ているとき、時間は感じられても普通に起きて活動している時とはやや異なっています。あの世においても同様です。時間らしいものが働いていて感じられるものの、この世ほどには時間や空間の観念がありません。それだけ時間や空間から自由なのです。どちらかというと夢を見ている時と同様、あの世では速く感じられます。でも逆に、短い期間で永遠のように長く感じることもあり、単純ではありません。意識の状態によって、またあの世で何をしているかによって、時間が違って感じられます。

 潔典さんは一段落して、若い魂や子供たちの指導にあたってきましたが、その任から解放されたのは一段落したという理由からだけではありません。この世でもあの世でも周期が働いていて、生前父親だったあなたをお迎えするという準備にこれから時間を費やすこともあるからです。といっても、あなたがすぐにあの世に還るということではありません。数年かけてあの世で準備をするということです。あの世では肉体がないので年はとりませんが、魂の状態に応じた外見や雰囲気にはなります。また、与えられた役目に応じた状態になります。

 潔典さんはあの世で成長を続け、魂が成熟して落ち着いてきました。そのため直接教育の現場で他の魂たちの指導にあたる、教えるという動きからもう一段昇格し、霊界の幹部や、個人的に見てあげたほうがいい魂のカウンセリングをしたり、いままでより自由に、ゆったりと過ごすことが多くなりそうです。いまはまだ、お休みの期間に入ったばかりなので、つぎの役目は行い始めてはいません。自分の身辺の整理をしながら、ひとりで静かにくつろいで過ごしていることが多いです。

 いままでより家庭的なことに時間を費やせそうです。生前の母親も、時々見にこられています。見に来ているばかりではありません。連絡を取り合って、何かを伝達して帰っていったりしています。どうやら、家族やもう少し広がりのあるコミュニティーのような、魂の同属の中に潔典さんも迎え入れられるようです。母親がそのために行き来して、父親のことを伝え、潔典さんは一人でゆったり過ごし、身辺の整理をしながら、今までの休みをとる傍ら母親から知らされたことを念頭において、自分の心構えを作り始めています。

 やはり30年ということに意味があるようです。一つの周期が終わり、もはや現場で忙しく教育にあたっている在り方から、もう少しゆったり過ごしながら、家族や親族の魂たちと霊界での生活を始めるようです。ある意味で、これまでの30年間は、この世とあの世との間を取り次ぐ役目を果たしていたのです。この世からあの世へ、また、あの世からこの世へ、魂たちは移行しますが、それがすんなりいかない魂たちがいます。それは例えていえば、日本からイギリスへ、また、イギリスから日本へ国際的に移動する場合、すんなり適応できない人がいて、それを見てあげて、必要なことを教えてガイダンスをする役目が要るのと似ています。

 潔典さんは自ら、早めにあの世に戻りましたので、自らの体験を踏まえ、ほかの魂たちもスムーズにこの世とあの世を行き来できるよう、教えたり世話をしてあげていました。といっても、潔典さんがこれまで教えていたことはこの世とあの世との移行に関する智慧だけではなく、もっと広範囲なことに亘ってはいました。それにしても、この世から早めに霊界へ還って、天使のようになり、若くて溌剌として体力もあったので、その勢いであの世でも自ら成長しつつ教育にあたっていたのです。

 なぜそのような流れに彼がなったのかというと、もし彼が、30年前に航空機事故で亡くならなければ、大学で学び、大学院にも進み、この世で学生たちを教える人になっていた可能性が高かったのです。先生になっていたか、そうでなければ外交官など外交使節の役目を果たしていたことでしょう。ちょうど学校で教える者として教壇に立って学生を教えるように、あの世で引き続き成長し、学び、魂たちを教えていたわけです。またこの世で、別の道として、外交使節の役目を果たしたであろう、そういうものをもっていたため、この世とあの世との異次元の行き来の使節として役目を果たせたのです。

 彼自身、生前、学校で学びながら将来の自分の役割についてすでに考えはじめ、心構えを作り出していたのです。ですから、唐突にあの世に還されたからといって、自分の中の将来像が消えてなくなることはありません。むしろ、ますます学んで成長を遂げ、役目を、おかれた状況で果たすものです。そういうことを霊界でも読み取られ、若くて溌剌とし教える意欲や智慧が旺盛であったので、この世で仕事につく代わりにあの世に戻って、あの世で似たようなことを果たすように任されたのです。

 あの世ではこの世のように年は取らないため、まだ元気なのですが、それでも一段落し、家庭的な面を満たすことをすることでしょう。この世とあの世の生まれ変わりの中で、縁のある魂たちが何十体から二、三百体います。そういった者たちが家族になることが多く、また、親戚になったり友人や仕事仲間になったりします。そういったグループ・ソウルがあの世でも行き来し、ひとつのコミュニティーを形成して一緒に助け合って生活しています。そこにようやく迎え入れられそうです。お母さんのほうはすでに行っています。

 潔典さんは、どんなふさわしい役目がコミュニティーのなかで待ち受けているか、まだ検討されているところです。大世帯の一員として迎え入れられることでしょう。そればかりでなく、そのような大家族の一員であると同時に、そのようなコミュニティーのなかでも役目やポジションを与えられるのです。そのためにお母さんが行き来して、教えたり心構えを作るようにさせてあげています。おそらくコミュニティーにおいても、いままでとはやや異なった形で、教えたり見てあげたりすることを果たしていくのでしょう。また、異なったコミュニティーや大家族同士の交流や調整もしていくことでしょう。いままでより霊界での役割に集中していくことになるのです。いままでは、この世の側に近い霊界で指導や教育にあたっていたのです。

 また、縁のある大家族という霊界に彼が移行する理由は、やはり父親のあなたとの関連があります。あなたがあと数年で霊界に行った時、あなたを大家族に迎え入れられるように、まず自分の態勢を作ろうとしています。あなたの場合、この世で十分に役目を果たしましたので、あの世に移って潔典さんのような、他の者たちの教育にあたるというようなことはないでしょう。むしろ、お疲れ様という感じで迎え入れられ、しばらく休養をとるようにあなたはなるはずです。あなたが休む場は、生まれ変わりの中で縁のある者たちの集まる魂たちの家族の所です。そこに、少し早めに潔典さんは入って、自分の父親の居る場所を整えることでしょう。

 彼が父親のあなたに伝えたいことは―― 「お父さん待っていてください。どうも長い間、この世でお疲れ様でした。これから疲れをとって、一緒に暮らしましょう。生前、途中で取り上げられ叶わなかったことです。これからは安心し、愛情に満たされて十分に休みをとってください。いろいろお伝えしたいこともあります。霊界での事情もお教えします。お父さんにはお父さんにふさわしい霊界での場所や待遇があります。」



 


 49.再会の日に備えて静かに待機している富子 (2013.06.06)

 奥さんの富子さんは、長男の潔典さんを見守るために一緒にあの世に向かって行ったのです。彼は成人していたものの、まだ成人したばかりでした。そのため母親として自分も同行し、見守らなければいけないと感じました。そのため一緒にあの世へ向かって行ったのです。つまり、一緒に亡くなったということです。同じ大きな事故で亡くなったからといって同乗していた者たちが同じ霊界に行ったのではありません。この世では同じ所で亡くなっても、あの世へ移行すると、それぞれにふさわしい所へ向かいます。ただ、もちろん、潔典さんと富子さんは一緒に同じ霊界へと向かいました。もともと付き添いでお母さんはついて行ったくらいです。

 この世とあの世でバランスを取らねばなりません。たとえ不幸な事故がきっかけにせよ、神の摂理は働いています。そのため四人家族は二人ずつそれぞれ支えあって生きていくように計らわれたのです。当然、あの世に移っても、富子さんは息子の潔典さんの身を案じ、付きっきりでした。幸い彼はしっかりして、何が起きたかはすぐ悟り、気持ちを切り替えてあの世でも学び続け、そして、予定通り教える人になったのです。この世では叶えられなかったけれども、あの世で叶えられたのです。同じことです。

 父親のあなたにとっては、ことばに出来ないほど無念だったことでしょう。この世でそれを見ることは叶わなかったからです。でもちゃんと潔典さんは、あの世に移ってもそのまま学び続け、あの世で立派に教える仕事をしてきました。この世でしたであろうことを、また与えられたであろう地位や名誉も、あの世で与えられました。失われるものは何もありません。すべて、その時や魂にふさわしいことが体験されます。あなたもそのことを知って、安心し確信してください。ちゃんと潔典さんは、このあとも学び続け、立派に他の者たちを教えることを30年もの間、果たしたのです。その間、ちょうどこの世で生きていたら母親が見守ったり、必要なことをしてあげたように、母親としてあの世で背後にいて見守ったり、協力してあげていたのです。

 人がおかれる状況や体験することは、この世であろうとあの世であろうと、大差ないのです。その時点のその魂のあり様に応じたことがどこに居ても起きるのです。それが法則だからです。そういうことで、父親のあなたとしては無念だったのですが、ちゃんと潔典さんは志を遂げ、この世ではなかったけれども、あの世においてまわりの為になり、まわりから慕われ、立派な職についたのです。そしてちょうど歩調を合わせるかのように、あの世では母親がそのことに協力し、また父親のあなたはこの世で役目を遂げ、霊界通信を本にしたり、多くの人たちに伝える役目をこの世の側で果たしたのです。自分が願ったりするような形で叶えられるとは限らないのです。でも、違った形になっても叶えられるということなのです。ただそれが、あなたにはわからなかったのでこうしてお伝えするのです。あなたは自分に十分な準備が整っており、このようなことがわかるようになったからです。

 そういうことで、この世にいた時と同様、富子さんはあの世に移っても家族の支えになり続け、母親としての役目を息子に対して果たしました。この世に留まって自分の娘のためには果たせませんでしたが、息子のためにはちゃんとあの世で果たしました。長女に対しては、父親のあなたがちゃんと果たしました。そのようにそれぞれが分担し、協力し合って役目を果たしてきました。それが終わるとまた再会し、つぎの学びや体験へと向かっていくのです。

 輪廻転生のドラマは長く、さまざまなことが待ち受けています。別れは絶対的なものではありません。大きなドラマの一部で起きることです。そこで果たされることや学べることがあるからです。そういうことで富子さんは、潔典さんの背後にいて彼の教える役目の支えになり、それがほぼ終えられて、一足先に家族たち― 大きな家族ですが― その霊界の場所に迎え入れられました。そして潔典さんも入ってこれるように、いま取り次いでいるところです。

 夫のあなたに対しては、尊敬と信頼の心を抱いています。また、申し訳なかったという思いを、そして感謝の思いを抱いています。感謝というのはあなたが真面目に一生を貫いたことに対して、また自分たちが長女に対してするべきことを果たしてくれたことに対してです。また、この世から霊界にあなたが力を振ってくれたからです。あなたに対する深い信頼と尊敬の気持ちで、また合えることを信じて静かに待機しています。



 
 


 50. 他界する時には殆ど苦痛はなく晴れやかに  (2013.06.06)

 

 あなたの今生の寿命は78年くらいだったのです。でもあなたがこの世に生きることに意義を感じ、この世の側としてもあなたがいることで助けになる部分があったので、78歳よりも生かされています。いのちを大切にすることを学び、多くのいのち達のためになっているので、与えられた寿命より生き永らえています。86歳ぐらいが一つの区切りになりそうです。早ければ85、長ければ87〜8です。これからの思い方や行い方によって多少前後します。

 亡くなる場所は、***市内の病院の可能性が高いです。安らかに、苦痛は殆どなく、気持ちがふっ切れて、晴れやかに他界していくことでしょう。やっと苦しく充実した人生を終えられるという思いをもって、です。

 霊界では、先程説明があった大家族のもとに直接迎え入れられることでしょう。厳密にいうと、その前に、一生の疲れをとるような休憩所でしばらく休ませていただけます。それで、ほぼ回復したところで、大家族のもとに迎え入れられ、多くの縁ある者たちと再会することでしょう。この世で十分に生きてきたからです。あの世では、縁のある者たちと共に、こころ満たされて過ごすことでしょう。






 51. 昨年はベランダのサボテンがなぜ7回も開花したのか (2013.06.06)


 「7」は生命の進化の段階を表わしています。よりよい霊的な働きは「7」で表わされます。あなたがこの世で病気になったので、富子さんや潔典さんをはじめ、あなたと繋がりがある、あなたをこころから思う霊界の存在たちが、あの世から生命力を送ってきていたのです。そのため驚くほど沢山、たて続けに咲いていました。その生命力のお陰であなたは手術がうまくいき、恢復したのです。

 そしてその霊界からの支援は、いまでも続いて今年も咲き始めています。あの世とこの世との緊密な関係が感じられます。あなた自身、霊界に大分近づきつつあります。これからますます、霊界の雰囲気や霊的存在たちの臨在感を感じられるようになることでしょう。霊界とより緊密になっていき、徐々にあの世へと移行していくことでしょう。この世の側の身辺の整理や処理なども、少しずつしていってください。



 


 52. 朗らかで無邪気で生き生きしている妻と長男  (2014.09.02)


 お二人とも元気です。明るく朗らかにしています。霊界とは階層を成している世界です。下の階層ほど重く窮屈で冷たく、怖くて暗いです。一方、上の階層ほど明るく軽快で自由で活き活きして、清々しいです。清らかで綺麗です。生前の生き方と死後移ってからの心がけや過し方如何によって、各自が自分にふさわしい所に引き寄せられ、ちょうど合ったところで収まり、長く居られます。潔典さんも奥さんも、明るく健康的で朗らかなので、高い階層の霊界に居ます。そこが自分に合う所だからです。さらに愛と智慧が目安となります。愛と善意に満ち溢れ、他のいのちを思い、助け、また助ける智慧と力が備わっているかどうかで、どの階層に留まるかが決ります。

 潔典さんは明るく、愛と善意に満ちているばかりでなく、智慧と助ける力も備わっているため、その分、高い霊界に居ます。それが彼にふさわしい所だからです。生前の名前「潔典」にふさわしく、清潔感に溢れ、模範的で法則に則って過しています。まわりの霊たちのお手本となっているのです。少し前までは霊たちの指導に当たっていましたが、いまはその任から解放され、のびのびとまわりの霊たちを思いやりながら過しているところです。

 母親の富子さんは、始終、潔典さんに付き従い、後見人的な立場でいつもついています。彼を見守ったり庇うという以上に、むしろ息子だった者がしっかりしてきているため、母親が付き従う、息子を尊敬さえしています。本来の互いの関係性が現われ出てきているのです。霊界は自分を取り戻し、自分になる場です。良くも悪くも自分が露わになって、自分になっていくのです。

 潔典さんは優しく繊細で、朗らかで無邪気です。高貴で智慧に富みながら、朗らかで自由でのびのびと過ごしています。最近は自由を楽しみながら、生命の世界、愛と光の世界でのびのび活き活き過しています。富子さんは朗らかに安心して、また誇りも感じながら、背後についています。父親のあなたが霊界に還れば逢うことができます。それまでは二人は、霊界の清らかで清々しくあたたかい光に包まれて、楽しく過しています。二人のなかの、家族と別れて引き離された時の苦しみや葛藤、疑問や不安、悲しみなどはすっかり拭い去られ、あたたかいみ光に包まれて幸せです。

 他界する者よりもこの世に残されたほうに苦しみや悲しみが留まる場合が多いです。あなたもそうでした。それを二人は十分承知しています。あなたにとって試練でした。二人にとっても試練でしたが、その二人は、霊界で前へ前へと進むように促されていきました。あなたのほうはこの世に留められ、苦しみのなかで喘ぎながら働き続け、真理を求めて成長し続けました。あなたは柔らかく謙虚になり、忍耐という得がたい特性を衣のように身に纏い、前世の時の欠点がなくなりました。あなたは作り変えられたのです。

 潔典さんと富子さんは、あの世でそのことをちゃんと見て知っています。それもあって、あの世で二人は安心し、朗らかにしていられるのです。ただ二人だけで楽しんでいるとか、楽であるとか、そういったことでは全くありません。またその二人が朗らかで清々しく感じているのは、また一緒になれる時が近づいていることが予感されているからです。このように二人が朗らかでいられるのは、あなたが苦難に遭いながらそのなかで成長を遂げ、前世の欠点が直されたことと、再び逢って一緒になれる時が近づきつつある、この二点からです。あなたが成長を遂げたことをとても二人は嬉しく感じて、ますますあなたのことを尊敬しています。生まれ変わった状態で再会することでしょう。その時を無邪気に二人は待ち望んでいるのです。

 「お父さん、もうすぐ逢えるね。よく一人で耐えたね。さすがお父さんだよ、立派だったよ、ますます尊敬しています。こちらに来れば楽になれます。すでにモノの世界で達観視でき、大変な中にあっても生きられるものを身につけたのですから、霊界に来れば解放され、ますます輝きを放ちますよ。そういう状態になって再会できることが嬉しくて有り難く感じています。また一緒に暮らしましょう。今度は天国で。お父さんは十分耐えて、徳を身に纏うようになりました。」 ― このように伝えてきています。

 朗らかで無邪気で、活き活きした状態で二人はいるのです。そしてあなたがよく耐えて生き続け、自分たち二人の分まで現世で生き続けたことに感謝しています。あなたなら必ずやってのけることを確信していたからです。神様は先のことまで見通され、あえて家族を引き離してあなたに忍耐と謙虚さを身につけさせ、また霊界の存在を確信させ、必ずやあなたは耐えるだろうし、また愛する家族のため霊界に心を向け、霊界通信を行い、それを世に知らせるだろうと神様は見越して家族を引き離したのです。

 それによってあなたなら、耐えながら、また喘ぎながら前に進み、家族を追い求め、霊界通信をさせて世に残し知らしめて、この世の人間の不信感や傲慢さを正すことを、つまりそのような本当の魂の教育をあなたがしてくれるだろうということを神が見越されて、家族を引き離したのです。あなたより先に、潔典さんと富子さんは霊界に行ってこのことを聞かされて、起きたことの真意を悟ったのです。あなたは霊界通信を通して、このことを徐々に聞かされ、悟るようになっていきました。



 


 53. 飛鳥時代の前世で聖徳太子から一目置かれて  (2014.09.02)


 日本の飛鳥時代の前世において、あなたは教育の仕組みを作るために智慧を提供し、日本の国のために尽力しました。このように、新しい日本の国造りの教育の部門を引き受け、幅広く文化を含めた広い意味での教育の仕組みを外国との交流のなかで良いものを取り入れ、作り上げたのです。その時にあなたが最も頼りにし期待していたのが、現在の潔典さんです。彼はあなたにとって有望な青年でした。あなたは後事を彼に託しました。

 聖徳太子はあなたに一目おき、必ずやあなたが国の新しい教育のあり方を作り上げるに違いないと期待し、役目と責任を与えました。あなたはほぼ、聖徳太子のその期待に応えました。役所的な仕事としてみれば、あなたの仕事は裏方の一部ではありましたが、とても重要なものだったのです。あなたはその仕事をとても重要なものと捉え、責任を自覚し、打ち込みました。














  















 
 

    「ロンドンルート」

 A. SAGBにおける個人セッションのいくつかの例

 SAGB (大英心霊協会)では、数十回の個人セッションを受けていますが、むかしは、いまのようにテープレコーダによる録音はしていませんでした。メモをとっていたもののうち、いくつかを、以下に再現してみます。





   1.Ann Cooper  (at SAGB, 1992.01.30)

 ― 二人のレディーが現われている。一人はまだ若い。一人は老人だ。若いレディーは、親しげにすぐあなたのそばに立っている。A beautiful lady. あなたの妹か?
 (いや、wife だろう。どのように見えるか)
 ―髪は黒く・・・(というように顔の表情を説明して)、特に化粧してはいないようだが、美しい。控えめな態度で、洋服を着ている。もう一人は、あなたの母親だ、traditionalな服を着ている。
 ― 二人の若い男性が出てきた。あなたは霊界に二人の息子がいるのか。
 (いや、息子は一人だけだ。その息子が霊界にいる。あとは娘が一人いる。)
 ―それでは、もう一人の男性は、近親者の誰かだ。(註1) あなたの息子は、身長5フィート8インチくらいに見える。黒い髪、美しい顔だ。非常に好ましい青年。
 ―あなたの息子は、何か忙しく仕事をしている。あっ、図書館が見えてきた。彼は、図書館を指差して、研究をしている、と言っている。
 (どのような勉強をしているのか)
 ―あなたの息子は、たいへん知能が高い。難しい知的な研究で、私には説明しにくい。心理学のようなものだろうか。人間のこころを世代を超えてcommunicateさせる方法のようなものを研究しているらしい。霊界の上層部の人々からの指導を受けて、やらなければならない仕事がたくさんある、と言っている。
 (私がいま、ここにいるのを彼は知っているか)
 ―もちろん、知っている。あなたに強い感情を送っている。姉とは、年齢があまり違わないのではないか。
 (そうだ、一年と少しの差しかない)
 ―姉が子供たちに囲まれて、desk workをしている姿を見ているらしい。
 ― "Father"と、あなたを呼んでいる(Daddyではなく)。息子はけじめの正しい性格のようだ。お父さんに、姉に伝えてほしい、と言っている。「お姉ちゃんは、机に座って仕事をしている時、ぼくはそばに行って、手伝ってあげようとしているのだけれども、お姉ちゃんには、まだ悲しみのしこりが残っていて、こころが固く閉ざされている。しかし、お姉ちゃんには、霊的に大きく伸びていく才能が内面に備わっているから、いまは、少しこころが閉ざされているが、やがて明るく、花開くであろう。ぼくがついていることを、お姉ちゃんに知らせてほしい。」
 ―息子の後ろから、祖父が出てきた。息子もそうだが、祖父も強力な霊的エネルギーを持っている。二人は霊界で活躍していて、祖父と孫というよりは、同僚のようなところもある。レベルの高い人たちで、こういう人たちの話を紹介できるのは、ミーディアムとして、たいへん光栄だ。
 ―広い大きな居間のなかに、ハスの花が浮かんでいる大きな円形の鉢があって、あなたの息子が、そのなかからマグノリアに似た花を一本抜いてあなたに手渡している。非常にあたたかい家庭的な雰囲気だ。こういう雰囲気を伝えられるのは、私もうれしい。

  (註1) 弟かもしれない。40代であった弟は、私が渡英する直前、1991年の春、心不全で
        急逝した。






   2.David Smith  (at SAGB,  1992.02.15)

 ―You are a good man. You have a very strong aura, very brilliant, remarkable.
 ―Many people in the Spiritual World are leading you, helping you. You are doing writing work which is helped from heaven. I am very happy to be able to feel a very strong, brilliant light around you.
 ―1991 was an unhappy year, a lot of problems. But 1992 is a year of progress. In 1992 you will make a lot of progress, especially between April and October. (註1)
 ―1983 was a year of cry. I can hear crying voices. It was a very sad year. (註2)
 ―Your mother stands now besides you. I feel her very strong love to you. Your grand parents love you very much. You have a very closely united family, a very strong family tie.
 ―I can see your passport. You are travelling a lot. All your family members are travelling with you.
 ―You will be able to feel the vibration and the spiritual voices from Heaven. There is no doubt about that.
 ―You are making a remarkable progress. Bright color, light, music……all around you.
 ―You are a very busy man. You have a lot of things to do. I feel an artistic impression.
 ―Meditation is very important. You can hear the voices of your family through meditation.
 ―You are going to influence many people. You will be leading many people in the future.
 ―I like your hands. You are a perfectionist.

   (註1) 4月に帰国したが、霊界実存の確信を得て、初めて長年の苦しみから解放された。
   (註2) 大韓航空機事件が起こった年





  3. Amna Norman  (at SAGB, 1992.02.17)


 ―最近、亡くなった人がいる。それは誰か。
 (弟が昨年、亡くなった。)
 ―その人だ。その弟が、いま、ここに来ている。
 ―それから、Lady が来ている。まだ若い。50歳くらいか? あなたに近い人だ。
 (Wifeか?)
 ―その通りだ。あなたの仕事を理解して、熱心に手伝おうとしている。あなたは哲学的な性格、神の教えを学んでいる。すでにpreachしている。
  (いや、私は教員だから、教えはするが、preachはしていない。Preach する前に、いろいろと勉強しなければならないと思っている。)
 ―その教育そのものが、あなたの場合、preachなのだ。
 ―あなたのfamily lawyer はいるか?
  (いない。)
 ―あなたは裁判に巻き込まれている。(註1)
  (その通りだ。)
 ―それは、うしろ暗い裁判ではない。あなたのお父さんが、霊界から助力しながら見守ってくれている。あなたのお母さんも来ている。強い愛情をあなたに示している。あなたの家族は、みんな強く結ばれているようだ。
 ―あなたの奥さんが、若い男性を連れてきているが、あなたの息子さんか? 年齢は、20歳くらい。彼は、非常に高い知能指数(I.Q)の持ち主だ。特に、音楽の才能がある。霊界では、音楽を学びながら、同時に、教えている。(註2)
 (私が、妻や息子について書いた本は読んだか、聞いてみてほしい。)
 ―もちろん、そんなことはよく知っている。あなたが、奥さんや息子さんの持ち物を、たくさん持ち続けていることも知っている。
 ―あなたの仕事に大きな発展がある。霊界の多くの人々が、あなたを見守っている。
 ―先祖の出身地には高い山があり、その麓に住んでいた。Traditional clothes を着ている人が見える。帽子をかぶっている。口ひげを生やした紳士だ。強い愛情をあなたに送っている。
 (その着ている服の色は、何色か?)
 ―明るい、brightだ。
 ―奥さんと息子さんが霊界へ行ったのは、crash(乗り物の激突事故、飛行機の墜落)があったからだ。息子さんは20歳くらいでまだ若いが、この世での仕事はすべて完成していた。あのcrash のことは、はじめからわかっていたことだ。(註3)
 ―あなたは、奥さんや息子さんの話しかけや音楽をいつでも聞くことができるはずだ。
  (どのようにして?)
 ―たとえば、あなたが朝起きる前、奥さんも息子さんも枕元に立って、あなたを見守っている。時には、夢の中で語りかけることもあるだろう。それは、本当に語っているのだ。また、瞑想することによって、彼らの話や音楽が聞こえてくるようになるだろう。
 ―あなたは奥さんや息子さんや、そのほかの家族の人びとに逢えるが、その前にしなければならないことが多い。まだまだ、長い道のりだ。
 ―ヒマラヤの山が見えるが、何か思い当たることはないか?
 (ヒマラヤを見るためにネパールへ行きたかったが、まだ行けないでいる。インドには、来月、行く)
 ―インドでも、あなたを導いてくれる人が霊界にはいる。あなたは、よく旅行をするが、霊界の家族はみんな、それを見守っている。
 ―息子さんは、父親のあなたを非常に尊敬している。
 ―あなたの弟が、身内の中に自殺した人がいると言っている。(註4)
 (それは、姉の末娘だ)
 ―奥さんは、humble(つつましやかな)な人だ。奥さんも息子さんも、たいへん幸せに過ごしている。奥さんは、humanity(博愛、慈善)に関する仕事をしている。あなたは、悲しむことはないのだ。

   (註1) 当時はまだ、大韓航空機事件遺族による、大韓航空とアメリカ政府を相手
        の裁判が 継続されていた。
   (註2)長男の潔典は、小学校の時からバイオリンを習い、大学時代には、ギター
        の名手といわれていた。言語学者になるのでなければ音楽家になりたい、
        と言っていたこともあるらしい。
   (註3) 死亡原因をほぼ正確に見抜いている。
   (註4) こういう内輪の情報を口に出すのは、身内であることを証明するためか?





   4. Alma Brown  (at SAGB, 1992.02.19)


 ―あなたに非常に近いレディーが来ている。奥さんは霊界にいるのか?
 (そうだ。)
 ―奥さんが、あなたのすぐ横にいる。にこにこしている。”I am still pretty.” と彼女が言っている。
  ( How does she look like? )
 ―髪を少し長く垂らしている。美しいレディーだ。あなたの後ろに廻って、後ろからあなたを抱きかかえるようにしている。誕生日が近いようだ。バースデイ・ケーキが見える。あなたの誕生日か?
 (いや、wifeの誕生日で2月24日だ)
 ―奥さんが、ローソクに一本だけ火をつけて、あとはあなたにつけるように言っている。何か願いごとを書いた紙を、こういうふうにして(手つきで示す)、ローソクにかざしている。
 ―強い愛情を送ってきている。あなたが来るまで待っている。あなたが来たら、また一緒に暮らせることを楽しみにしている、と言っている。
 ―あなたの前途には三つの道がある。右にも左にも進まず、真ん中の道をまっすぐ歩き続けなさい。困難はあっても道は開けてくる。大丈夫だから真っ直ぐに歩き続けなさい。真ん中の道を力強く歩くあなたを、奥さんはいつも見守っている。
 ― Monk が、あなたのあとについているようだ。
 ―奥さんが、この世にいる娘のことを話している。娘のことは心配しなくてもよい。私(Wife)がこの世にいれば心配するかもしれないが、こちらでは、心配しなくてもよいことがわかる。娘には婚約の兆しがある。婚約するだろう。(註1) 孫たちの姿も見えてくる。(註2) この世にいる私(Wife)の妹に、娘のことを相談すればよい。
 ―耳をこういうふうに押さえているが(手で耳をふさぐ仕草をする)、耳が痛いのかな。 誰か、耳の悪い人がいるのか?
 (No, いない。)
 ―ちょっと待って。なぜ耳を押さえているのだろう? I must find out. (少し瞑想したあと笑い出して)、なんだ、あなたが何か聞きたくない時には、こういうふうに耳を塞いでいたと、真似をしているのだ。
 ―奥さんは、テーブルの隅をコツコツと指で叩く癖がある。あなたがテーブルのそばで静かに瞑想していれば、その音を聞いたり、テーブルが揺れるのを見ることができる。奥さんは、話しながら手を振る(手振りを示す)癖がある。
 ―あなたの弟の姿も見える。
 ―家は、changeしないほうがいい。
 ―将来のことは、何も思いわずらう必要はない。これから、多くの仕事を成し遂げなければならない。成し遂げるであろう。自分の体を大切にすること。あなたは心霊の勉強をしているし、神への道を歩んでいる人だ。
 ―奥さんは4本の指に花飾りをつけている。Cの数字は、大切な数字になる。
 ―奥さんは、小さな犬をつれている。タペストリーを二人で仕上げるように、奥さんはあなたの仕事を手伝っていくであろう。
 ―奥さんが手を振って、こんなふうに(と言ってバイバイの仕草を示す)、手を振りながら帰っていく。

  (註1) 全く予想できなかったことだが、娘はこのあと間もなく婚約し、この年の11月
        に 結婚した。
   (註2) 結婚後何年も子宝に恵まれなかったが、2005年春に健康で元気な女児の
        双子が生まれた。この二人の子供たちのの誕生は
他のミーディアムから
       も次のように予言されていた。


      「あなたの娘さんは子供ができないかもしれないと気にしているが、心配する
       ことはない。 子供は二人生まれる。霊界の母親(富子)も、祖母になれることを
       喜んでいる。 弟(潔典)も、叔父になることを喜んでいる。」

                            ―Ann Turner (1993.07.31)

      「あなたの娘さんには、子供が二人生まれる。本人は知らないが、これは決まって
       いることだ。体重の重い子が生まれる。子供は二人生まれる。」 
                                   ―Ann Turner (1993.08.13)

     「あなたの娘さんも、知性の高い人だ。子供は二人生まれるだろう初めて子が
       生まれたとき、あなたは霊界の奥さんと息子さんの顔をみるであろう。」

                            ―Amna Norman (1993.08.17)








 B. Ann Turner による通信

 「プロフィール」のなかの「アン・ターナーと私」で述べた霊能者・アンとの交流は、 1992年4月に私がイギリスから帰国して以来、いまも続いています。毎年、6月5日の長男・潔典(きよのり)の誕生日には、彼女を通じて、潔典と手紙のやりとりをしていますが、それも10年続いてきました。アンが潔典から受けとったメッセージをトランス状態でテープに吹き込んだものを送ってきてくれるのです。この「ロンドンルート」の手紙の一部を日本語に訳して、つぎに紹介させていただきます。

     *****


  また会える日まで  (2000.06.05)


  お父さん、誕生日のお祝いの手紙をありがとう。大変うれしく、こころから感謝しています。ぼくは、いまでは生まれた時からだいぶん年もとって、分別もある大人になっているつもりですが、お祝いをいわれると、やはりうれしいです。

  誕生日というのは、特別の日で、なかなか忘れられません。お父さんの70歳の誕生日のお祝いには、ぼくたちも出ていましたが、ぼくたちがいたことを感じ取ってくれましたか。ぼくたちもあの席で、お父さんの誕生日をこころからお祝いしていたのです。誕生日というのは、生きている証しの日であり、こころの成長と語り合いを通じて家族の絆が確かめられる日ですね。愛情で深く結ばれているぼくたちが、いっしょに喜び合う日でもあります。ぼくは、お父さんが大好きです。

  ぼくがお父さんと、この世で最後の会話をしたときからも、長い年月が流れました。どうか、あのときの不安がっていたぼくの態度を許してください。少し甘えながらあらためてお詫びします。(註1)

 考えてみるとこの17年の間に、お父さんにもぼくにもいろんなことがありました。お互いに、多くのことを学び理解してきましたが、それらのことはしっかりと身について離れることはないでしょう。ちょっと淋しいとき、悲しいときには、ぼくたちの楽しかった日々、うれしかった出来事などを思い出すことにしましょう。 

  お父さんはぼくのあの小さなおもちゃの時計をまだ持っているのですか。 (註2)ぼくはお父さんの息子であったことが本当によかったと思っています。ぼくの誇りです。ぼくたちは、生まれるときには、好きな家族を自分の責任で、自分で選んで生まれてくるのですね。友だちなどもやはり、生まれるときに、自分の責任と好みでえらんでいるのです。こういう特別の愛があることも、いまのぼくにはわかってきました。

  お父さん、来年、70歳の定年を迎えることになって、おめでとう。長年、お父さんは立派な充実した仕事を成し遂げてきました。これからも、お父さんがこころに抱いてきた夢を実現させるためには、何年もかかります。多くの人々と会ったり、あちらこちら旅行をしたり、それに、本を書いたりとかで、まだまだ、することがたくさんありますね。

  お父さんの書いた『生と死の彼方に』は、確かに、この霊界とそちらの世界とを結びつけてくれる本です。お父さんが書きたいと思ったことは、これからも何でも書くようにしていってください。霊界やこちらでの生活を多くの人々に知ってもらうためにも、お父さんの知識や思いやりのあることばが必要なのです。
 
  お父さんが書くような本などで、霊界についての理解が深まっていくと、そちらの世界との溝が取り除かれ、死後の世界の恐怖心とか迷信もなくなっていきます。霊界がそちらの世界からはもっと身近になって、死のもたらす悲しみや苦しみも、消えていくことでしょう。死というのは、次元が違っても隣の部屋に一歩足を踏み入れるようなものです。こころは満ち足りて平静です。

  お姉ちゃん(由香利)のことは決して忘れていません。お姉ちゃんは感受性が豊かで、困っている人々の面倒をみたり、まわりの人々とうまく歩調を合わせていく特別の才能があります。わざとらしさのないおだやかな調子で、人々に話しかけたり、助言を与えたりするのが上手です。大きなからだのぼくに代わって、抱きしめてやって下さい。お姉ちゃんはちょっと驚くかもしれませんが、ぼくからの愛情の表現であるとわかってくれるでしょう。

  ぼくの義兄になるお姉ちゃんのご主人にも、ぼくに代わって強く握手してくれませんか。お兄さんに、あの3月の特別の記念日には、どうかおおいに楽しんで、お祝いをしてくれるようにお伝えください。こちらにいる家族のみんなも、ぼくも、お兄さんが家族の一員に加わったことを、たいへん喜んでいます。

  お母さんが、お父さんにお話ししたいというので、ここでちょっと代わります。 

  お父さん、こんにちは。あなたは年を取ってからは心配性になりましたね。こちらでもわかりますよ。あなたは沢山考えていることがあるのに、いまでもたいへん遠慮がちで、あまり口数も多くありません。由香利は大丈夫です。ごらんのようにあの子は、仕事にも精を出して楽しんでいるでしょう。それで、少しくらいつらいことがあっても、気が紛れているのです。由香利のためにも、お父さんはもう少し強くなってください。あなたが心配したり悩んだりしたら、あの子も気をつかいますから。

  由香利に、毎日2リットルずつ、きちんと水を飲むように言ってください。あの子が、そんなに水を飲むのは好きではないことはわかっていますが、体のためにいいし、体内組織をきれいにしてくれます。

  最近では由香利も、穏やかな気持ちでいることが、私にも感じられます。私たちはみんな、神のみ手にゆだねられていることを由香利に伝えておいてください。神には崇高で遠大な計画があって、いづれその時が来れば、大きなよろこびを迎えることができるのです。やがて、みんなで幸せな年月をおくることになるでしょう。みんなで揃っていっしょに幸せな日々を過ごすでしょう。

  私は、いつでも由香利のそばにいます。遠く離れたことはありません。この問題で、どんな気持ちでいるのかもよく知っています。でも、急がないでください。「ローマは一日にして成らず」です。焦ってはいけません。これから何をするのにも私がついていますから、よくご主人のいうことに耳を傾けるように伝えてください。由香利のことは、いつも大切に見守っています。

  お父さん、あなたのことはとても誇りに思っています。どうかこれからも精一杯に生きてください、生きるということは楽しいことですから。こちらにいる家族のみんなが、こころからの愛情をあなたに送っています。

  いつでもみんなであなたを近くから見ているのがわかりますか。あなたの生活に差し障りがないようにしながら、いつでもあなたのそばにいて、必要なときにはいろいろと手助けをしているのです。それを感じとってください。潔典からのメッセージに耳を傾けながら、私たちの存在に気がついてください。私たちは、おじいちゃんやおばあちゃんもいっしょに、あのメッセージのなかに私たちの思いをこめているのです。

  あなたがこちらに来て、私たちが再会し、テープレコーダーでこれらのメッセージを聞き直すようなときがくれば、あらためてあなたを包みこんでいる私たちの愛情と熱気を感じることでしょう。そのときには、みんなが集まってあなたを取り囲んでいることでしょう。私たちの家族の絆はとても強いのです。互いに結ばれた私たちの愛情によって、こちらの世界とそちらの世界が一つになり、私たちがまた相まみえる日が来ることを楽しみにしています。私はあなたのことを思い続けています。いつまでも、私はあなたの妻です。

 (ここで潔典に戻って)

  ぼくは、お父さんも知っているように、こちらでは霊界通信の勉強をしています。お父さんなら、ぼくの勉強ぶりに10点満点で何点ぐらいくれますか? お父さんの評価次第で、ぼくの勉強はますます進むようになるかもしれませんよ。これは冗談です。ぼくが笑っているのがわかるでしょう。でも、試しに、お父さんの評価を想念で直接ぼくに送ってみてください。
 
  アンが疲れてきました。この貴重な通信を仲介するために、彼女が大きな霊的エネルギーを消費しなければならないことは、お父さんも知っているとおりです。彼女のそのエネルギーが弱ってきたようです。だから、もうこの辺で終わらせることにします。さよなら、お父さん。家族のみんなもお父さんに、さよならを言っています。最後に、お父さん、ぼくのお父さんでいてくれてありがとう。お父さんのことは忘れません。
                      潔典より


  註1 潔典には、日本へ向かう大韓航空機に乗り込む前から、これから起こることを
       あたかも予想しているかのような、不安な雰囲気とことばがあった。
  註2 潔典の机の上にぶらさげてあって小さなおもちゃの時計。彼がいなくなってからも、
      一日一回、セットされた時間に可愛らしいメロディーを 14年間、鳴らし続けた。