41. 魂はあらゆる空間に満ちて存在しています

  魂は一体、どこにあるのであろうか。「肉体の内部にあるのですか」という質問に、シルバー・バーチは、「あなた方は地上の尺度でものを考えます。だからいろいろと障害にぶつかるのですが、霊界にはそのような障害はありません。魂には、限定された空間はありません」と言って、こうつけ加えた。
   
  魂については、内部とか外部とかいう言いかたも適当ではありません。魂には、内もなければ、外もないのです。魂はあらゆる空間に満ちて存在しています。魂とは意識です。(「霊訓原文」206)

 さらに、「私たちの意識は、意の向くままにあなた方の世界のどこへでも出かけて活動できるのです」、「魂は肉体によって限定されるものではなく、永遠の中に行渡って、進化の頂点にまで達するものです。地上世界を一瞬にして飛び越えることもできます」とも述べられている。



 42. あなたは物質世界では一部分しか表現されていません

 「あなたも他の世界の意識体も、みんな一つの内奥の霊的実在がそれぞれに反映されたものなのです。それらは全体の部分であり、部分に分かれた分霊が全体の一部として表現されているのです」とシルバー・バーチはいう。

 このような分霊の概念をこの地上で理解するのは容易ではないが、「あなたは一つの意識体ですが、物質世界では、そのうちのほんの小さな一部分しか表現されていません。そのあなたと同じ意識体には別の世界で表現されている部分もあるのです」ということになるらしい。(「霊訓原文」174)

 ただし、この「別の世界」というのは、この同じ地上の別の世界を意味するものではない。一つ一つの分霊の目的は、あらゆる界層に分かれて経験を積むことであり、同じ界層に帰ってくるのは、そこで遣り残した何かが達成できる場合だけに限られる、と述べられている。



 43. 以前に再生したことを知っている魂は大勢います

 「なぜ霊界は再生の証拠を私たちに示してくれないのでしょうか」と問われて、シルバー・バーチは、「再生というのは、あなた方の意識の準備が整い、それが法則であることが明らかになって初めて、あなた方に受け容れられるのです」と答えている。

 霊界でも、再生の事実を知ることができる意識の段階に達していない者は、再生はないなどと言っているらしい。これは、「生命の最も不思議な神秘に触れる問題で、あなた方の言葉では、とても説明できそうにありません」と言って、シルバー・バーチはこう繰り返した。

 以前に再生したことを知っている魂は大勢います。知らないままの霊もいます。その場合でも、魂としては、あるいは、潜在意識としては知っているかもしれませんが、顕在意識では知らないのです。(「霊訓原文」179)



  44.キリスト教徒などとは言わないでください

 あなた方が本当に教えに従ってイエスと同じように生きることが出来たら、歴史には新しい一章が始まることになるでしょう。けれどもまだそうなってはいません。そのようになる兆しもありません。「キリスト教徒」などとは言わないでください。(「霊訓原文」87)

 シルバー・バーチは、このようにキリスト教徒を厳しく批判しているが、このあと、こう続けている。「彼らの生き方では、自分たちが仕えているというイエスを裏切っているのです。イエスも、『私に主よ、主よといっている者がみんな天国へ行けるわけではない。父なる神の意思を行う者が天国へ行けるのだ』と、言ったのではありませんか。」

 シルバー・バーチは、もちろん、イエスの教えを否定しているのではない。本当のイエスの教えを伝えないことを批判しているのである。そして、こうも述べている。「これまでキリスト教徒たちは、教義の名においてお互いに殺し合い、お互いに火焙りにしてきました。なんであれ、魂を縛り付けるもの、閉じ込めてしまうもの、魂が大きく伸びていくのを妨げるものは、捨て去らねばなりません。」



 45. 霊が健全で精神も健全であれば肉体も健全であるはずです

 肉体に何らかの異常が生じるということは、まだ精神も霊も本来の姿になっていないということです。もし霊が健全で精神も健全であれば、肉体も健全であるはずです。精神と霊に生じたことがみな肉体に反映するのです。(「学びの栞A」17-b)

 健康を維持していくのは、自分の責任であることはわかる。シルバー・バーチも「人間は肉体という機械を通して自分を表現しています。その機械にもエネルギーの限界があり、バッテリーに充電してやらなくてはならない時期が来ます。それを知ってそれなりの手段を講じるのはあなた自身の責任であり義務なのです」と教えている。しかし、病気になるのは「精神も霊も本来の姿になっていないから」という指摘は、私のように、現に肉体の一部に故障を起こしている者には耳に痛い。

 では、その故障を治すのにはどうするか。人間には誰にも自己治癒能力が備わっているはずだから、治せるはずである。シルバー・バーチは「治せるだけでなく、げんに治しております」という。そして、こう続けた。「魂の優位を主張し、肉体という下等なものによって束縛され抑えられることを拒否することによって病気を追い払うのです。身体を従者にするのです。主人にしてはなりません。誰にでも出来ることです。ですが、大部分の人間は頭から出来ないものと思い込んでいます。だから出来ないのです。」(「学びの栞A」17-h)



 46.長生きをすること自体は大切ではありません

 「不老不死ということは有り得ないとしても、もしも完全な生活条件が整ったら150歳までは生きられるのではないか」と訊かれて、シルバー・バーチは、「肉体的年齢と霊的成熟度とを混同してはいけません。大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の成長・発展・開発の程度です」と答えた。そしてこう続けた。

 肉体が地上で永らえる年数を長びかせることは神の計画の中にはありません。リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えができると肉体が滅びるということでよいのです。ですから、寿命というものは忘れることです。長生きをすること自体は大切ではありません。(「学びの栞A」57-i)

 誰にも生まれるべき時があり死すべき時がある。もしも死すべき時が来ていれば、たとえ臓器移植によってもその肉体を地上に永らえさせることはできない、とシルバー・バーチはいう。しかし、人間には相対的条件下での自由意志が認められているから、定められた人生模様の枝葉末節なら変えることができるとも述べている。



 47. 誕生の瞬間から肉体は死へ向かいます

 「私はけっして肉体ならびにその必要条件をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません」と断ったうえで、シルバー・バーチは、「一般的に言って人間は肉体のことはおろそかにしていません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています」とも述べている。そして、人間の怖れる死について、こう続けた。

 誕生の瞬間から肉体は死へ向かいます。この現象は誰にも変えられません。もともと肉体は不老不死を目指すようには意図されていないのです。従わねばならないサイクルというものがあるのです。リンゴが熟すると自然に木から落ちるように、肉体も与えられた寿命をまっとうして死を迎えます。人間は本来そうなるようにできているのです。(「学びの栞A」5-g

 しかし、何よりも大切なことは、自分が誰であるかを知ることである。そのことを強調してシルバー・バーチは、こう訴える。「私は一人でも多くの人間に正しい視野をもっていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を具えた肉体だと思い込んでいる人が多すぎます。本当は肉体を具えた霊的存在なのです。それとこれとでは大違いです。」



 48. 地上というのは霊界の影であるにすぎません

 私たちは、霊を伴った肉体ではなくて、肉体を伴った霊である。しかし、私たちは本来、霊なのだと教えられても、霊というのは、どうも実体がないようで、イメージを掴みにくい。ある交霊会で、「霊界へ移った時に身につけるものは、私たちが残してきた肉体と同じように、本物で固い実体ですか?」と聞かれて、シルバー・バーチはこう答えた。

 地上を去るときに残してきた肉体よりも、はるかに本物で、ずっと堅固な実体です。地上というのは、もともと、全く実体のない世界なのです。霊界の影であるにすぎません。霊界こそが実体です。このことは、あなた方が霊界へやってくるまでは理解できないでしょう。(「霊訓原文」132)

 この霊体が「堅固な実体」であることについては、浅野真樹氏の極めて詳細な、霊界からの証言などがあるが、そこでは、霊界の居住環境そのものも、「地上よりは遥かに自然で実体がある」世界であることが具体的に伝えられている。この地上では、私たちは肉体という障壁に閉じ込められてしまって、本当の自分が少ししか表現できず、本当の姿も見えないのである。



 49. その人は宇宙からの最高の贈物を断ったことになります

 「私たちからお贈りできるものは霊的真理しかありません。が、それは人間を物的束縛から解き放してくれる貴重な真理です。それがなぜ恨みと不快と敵意と反撃と誤解に遭わねばならないのでしょうか。そこが私には分からないのです」と、シルバー・バーチは嘆く。

 地上世界の出来ごとに知らぬふりをすることも出来ないわけではないが、それでも援助の手を差し伸べないでおられないのは、次から次へと地上生活の落伍者ともいうべき人間が何の備えも無いまま霊界へ送り込まれて来るのを見ているからだともいう。そして、つぎのように訴えた。

 ある時は魂を感動させ、ある時は眠りから覚まさせ、当然悟るべき真理を悟らせるのが私たちの仕事です。言ってみれば霊への贈物を届けてあげることです。それが本来自分に具わる霊的威厳と崇高さを自覚させることになります。その折角の贈物をもし拒絶すれば、その人は宇宙最大の霊的淵源からの最高の贈物を断ったことになります。(「学びの栞A」59-a)




 50.あなた方には生命の実体を理解することは出来ないでしょう

  あなた方にとっての生命とは、実際は、もっとも下等な形で顕現されたものなのです。そのあなた方には、あなた方の考えうるすべてを超えた高い意識でひたむきに生きている生命の実体を理解することはとても出来ないでしょう。(「霊訓原文」177)

 シルバー・バーチはこう述べて、私たちには生きるということの本当の意味を教えることは難しいと言う。「波動の遅い物質世界に閉じ込められて生命の実相がみえないあなた方に、意識体とは何か、どのようにして意識体が自分を表現できるのか、というような問題に、どうして私が答えられるでしょうか」と嘆いたりもした。

 私たちがこの地上で、神秘家の最高の体験、芸術家の偉大な霊感、詩人の恍惚などといっても、それらは、霊界でいう生命の実体に比べれば、かすかな一片の影であるにすぎないらしい。生命の実体とは、地上に比べられるものなく説明のしようもないから、「どうか、私の苦衷を察してください」と口を噤んでしまっている。



 51. 霊的成就への道は楽には定められておりません

 霊的教訓というのは、他人から受け容れればいいというものではないらしい。自ら艱難辛苦を経験して、そのなかから自らが学び取っていかなければならないという。「それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です」とシルバー・バーチはいい、次のように教える。

 霊的成就への道は楽には定められておりません。もし楽に出来ておれば、それは成就とは言えません。楽に得られるものであれば、得るだけの価値はありません。人のために役立つためにはそれなりの準備が要ります。(「学びの栞A」65-a)

 「地上には、自分を変えようとせずに世の中の方を変えようとする人が多すぎます。他人を変えようと欲するのですが、すべての発展、すべての改革はまず自分から始めなくてはなりません」とも述べられているが、これもまた、人のために役立つ者となるための鉄則であろう。



 52. ガンを治すというのは決して単純な問題ではないのです

 霊界からの力でガンは治せるか、と聞かれて、シルバー・バーチは「あらゆる種類のガンが治せるという意味での特殊な治療法はありません。全部が同じ原因から発生しているのではないからです。身体的なものに由来するものもあれば精神的なものもあり、また霊的なものもあります。その全てを同じ方法で治すことはできません」と答えている。

 霊界からの援助は二重に行われるという。真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療に当っている時、霊界からその道の専門家が自動的に引き寄せられる。そして、その患者に受け入れる用意が出来ている時、霊的治癒エネルギーがふんだんに注ぎ込まれるというのである。しかし、それだけでガンが治るというものでもないらしい。シルバー・バーチはさらに次のようにも付け加えている。

 この他にも幾つかの要素があります。ガンの直接の(物的)原因にもよりますし、この度の地上への誕生の目的にかかわる問題もありますし、誕生以前に地上人類以外のなんらかの身体での生活の体験があるかどうかもかかわってきます。 決して単純な問題ではないのです。(「学びの栞A」17-d)



 53.守護霊の存在を自覚するとしないとでは大いに違ってきます

 私たちの目に見えようと見えまいと、耳に聞こえようと聞こえまいと、手に触れられようと触れられまいと、私たちを導き、援助し、支えんとする霊界からの力が常に存在する。その一つが守護霊であろう。シルバー・バーチは守護霊についてこう述べている。

 母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当る霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。(「学びの栞A」47-b)

 守護霊から常に守ってもらっていながら、そのことに気がつかず、感謝することも知らないのであれば、守護霊に対しても申し訳ないことである。霊的真理に遠いということは、光の中におれるのに、暗闇を好み、水が飲めるのに、喉をかわかしたままでいたがるようなものかもしれない。



 54.宗教とは人のために自分を役立てることです

 宗教とは何か。本来の宗教とは、地上の世俗的概念とはほとんど何の関係もない。シルバー・バーチによれば、宗教とは同胞に奉仕することによって互いの親である神に奉仕することであり、自分と神とのつながり、そして自分と同胞とのつながりを大きくするものでなければならない。

 だから、教会で神聖と思われているような特殊の行事や慣習、儀式、祭礼などに参加することが宗教なのではない。また、教会や礼拝堂が一般の建物などに比べていささかも神聖であるわけでもない。そのように述べた上で、シルバー・バーチはさらに、宗教を単純明快に次のように定義する。

 祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味がありましょう。ステンドグラスの窓にしたからどうなるというのでしょう。法衣をまとったからといってどう違うというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。宗教とは、いつどこにいても人のために自分を役立てることです。(「学びの栞A」6-d)



 55.受け入れる用意ができていないとだめなのです

 スピリチュアリズムは信仰ではない。宇宙の真理についての知識である。その知識の扉は誰にでも分け隔てなく開かれていて、人々を無知の牢獄から救い出す。あらゆる迷信と宗教家の策謀から解放して、人々が日蔭でなく日向で生きることを可能にする、とシルバー・バーチはいう。

 それでは、その真理を伝えていくために私たちはどうすればよいか。私たちにできることは、自分の理解力の光に照らして真理を受け取り、それをまわりの人にも分け与えることである。ただし、その真理は、心を固く閉ざした人の中には入ることができない。シルバー・バーチはそれをこう述べている。

 受け入れる用意ができていないとだめなのです。受け入れる能力のあるところにのみ居場所を見出すのです。真理は宇宙の大霊と同じく無限です。あなたが受け取る分量はあなたの理解力の一つにかかっています。理解力が増せばさらに多くの真理を受け取ることができます。(「学びの栞A」7-c)



 56.死は苦労への褒賞であって罰ではありません

 「霊格に関係なく地震などで一度に大量の死者が出るのはなぜか」と訊かれて、シルバー・バーチは答えた。「大自然の摂理の働きに偶然の出来ごとというものはありません。あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊みずから選択しているのです」。

 「地震などで大量の死者が出る」というのも、私たちが地上的感覚でものをみているからであろう。シルバー・バーチはこうも答えている。「あなた方も無限に生き続けるのです。たとえ地上で60歳、70歳、もしかして 100歳まで生きたとしても、無限の時の中での 100年など一瞬の間にすぎません」。そしてさらに、つぎのように続けた。

 地上では死を悲劇と考えますが、私たち霊の立場からすれば悲劇ではありません。解放です。なぜなら、魂の霊的誕生を意味するからです。地上のあらゆる悩みごとからの解放です。よくよくの場合を除いて、死は苦労への褒賞であって罰ではありません。死は何を犠牲にしてでも避けるべきものという考え方は改めなくてはいけません。(「学びの栞A」57-b



 57.原因と結果の法則は容赦なく展開していきます

 自然法則の根本はあくまでも原因と結果の法則、つまり因果律である。業もその法則の働きのなかで消されていくのであって、途中の過程を飛び越えていっぺんに消えることはない。原因があれば必ず相当の結果が生じ、その結果のなかに次の結果を生み出す原因が宿されている。そして、これはほとんど機械的に作動する、とシルバー・バーチはいう。

 だから、ある人が急に愛と奉仕の生活に入ったとすれば、それはそれなりに業の消滅に寄与することにはなる。しかし、一度にというわけにはいかない。愛と奉仕の生活を積み重ねていくうちに徐々に消えていき、やがて「業」という借金をすっかり返済したことになる。その因果律の厳しさを、シルバー・バーチはこう説いている。

 原因と結果の法則は容赦なく展開していきます。その因果関係に干渉できる人はいません。原因と結果の間にはいかなる調停も許されません。あなた自身の責任を他人の肩に背負わせる手段はありませんし、他人の責任があなたの肩に背負わされることもあり得ません。各自が各自の人生の重荷を背負わねばなりません。(「学びの栞A」50-d



 58. この世の中には心配することなど何一つありません

 何千年という歳月を生きてきたシルバー・バーチが、自分の長い旅路を振り返って、ただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりだという。一つとして偶然ということがなく、偶発事故というものもなく、すべてが不変絶対の法則によって統制されている、と断言している。

 この地上には、恐怖心や取り越し苦労の多いことを嘆いて、「あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身をゆだねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って、神の御胸に飛び込むのです」とも言った。そして、さらにこう付け加えている。

 私は自信をもって皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません。人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。(「学びの栞A」1-d



 59.本当はあなた方と私とは同じ宇宙の中に存在するのです

 霊界の壮大さや無限の豊かさについて知ることは難しい。「地上のどの景色を引き合いに出されても、それに匹敵するものはありません」とシルバー・バーチはいう。それでは、その霊界はどこにあるのだろうか。別のところではつぎのように述べられている。

 物質界は生活の一側面にすぎません。あなたの生活の全体ではないのです。人間の多くが悩みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。本当はあなた方と私とは同じ宇宙の中に存在するのです。(「学びの栞A」1-c

 ここでは、さらにこう続けられている。「霊界と地上とが水も漏らさぬように区別されているのではありません。互いに融合し合い調和し合っています。死ぬということは物的身体による認識をやめて霊的身体によって魂の別の側面を表現しはじめるということに過ぎません」。



 60. 霊もこの同じ地上にいると考えてもよいのです

 「宇宙は一つで、その中に無数の生活の場があります。生命は一つです。ただそれには無数の進化の段階があるということです」とシルバー・バーチは教える。しかし、それを地上の言語で説明することはできない、というのは理解できる。一つのことばは一つの文化であって、地上でさえ、特定の文化を一応過不足なく表現できるだけにすぎないからである。

 その不完全不自由なことばで、シルバー・バーチは繰り返す。「生命は一つです。宇宙は一つです。境界線というものは存在しません。国境というものはありません。死んで行った人も相変らず同じこの宇宙で生き続けているのです。」そして、こう続けた。

 ただ地上とは異なるバイブレーションの世界、異なる意識の段階で生活しているというだけです。霊も、あなたの目には見えなくても同じ地上にいると考えてもよいのです。それはちょうど、あなたもご自分では気づかなくても、私と同じ霊界にいると考えてもよいのと同じです。(「学びの栞A」22-g