61. 口にする言葉も心に思うこともあなたの一部です

 私たちが胸に抱く思念は、物理的な計量方法がなく、見ることも聞くことも、重さや大きさを測ることもできない。これは当たり前のことのように思えるが、しかし、私たちが霊界へ行けば、当たり前ではなくなる。霊界では、思念は霊的実在として具現化するからである。

 霊界から地上の私たちを見ると、私たちの身体は影のように見え、私たちが心に思っていることの方が実体があるという。例えば、私たちが夢を見る場合に、夢の中で乗る船も飛行機も、訪れる国も、みな実体があるように感じるのと同じようなものであるらしい。それを、シルバー・バーチは次のように教えている。

 生活は行い″だけで成り立っているのではありません。言うこと″も思うこと″も生活の一部です。行為だけが大事と思ってはいけません。口にする言葉も心に思うことも、あなたの一部です。その思念がコントロールできずに、それに振り回されている人間が多いのは悲しいことです。(「学びの栞A」9-h)



 62. 地上への誕生の目的は魂が目を覚ますことにあります

 人間は霊を伴った肉体ではなく、肉体を伴った霊である。そして、霊は永遠であるが故に死は存在しない。これは至って単純で明快である。それを霊界から一生懸命に伝えようとしているのに、これほど筋の通った真理がなぜ、理解されないのか、反撃されねばならないのか、とシルバー・バーチは嘆く。

 しかし、単純明快な真理であるとはいえ、それは簡単には手に入らない。理解する即席の方法というものもない。奮闘努力の生活の中で魂が目覚めて、必死の思いで獲得しなければならないのである。それが神の摂理で、そのために私たちはこの世に生まれてくるのだと、シルバー・バーチは次のように言う。

 地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。もしも魂が目覚めないままに終われば、その一生は無駄に終わったことになります。地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかったことになります。(「学びの栞A」59-k)



 63. あなた方は “物” の目でしか見てないのです

 「あらゆる地上の問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです」とシルバー・バーチは言っている。その事実とは、私たちは霊的存在であって、完全に公平な神の摂理の中で生かされているということである。

 「地上を去って霊の世界へ来る人たちに私はよく質問してみることがあるのですが、霊となって自分の地上生活を振り返ってみて、そこに納得のいかないことがあると文句を言う人は一人もいません」とも言っている。そして、こう教えた。

 見かけの結果だけで物ごとを判断してはいけません。あなた方は “物” の目でしか見てないのです。“霊”の目でご覧になれば、一人ひとりの人間に完全に公正な配慮がなされていることを知るでしょう。(「学びの栞A」61-i)



 64.死を悲しむのはまだ進化が足りないことを意味します

 「人間はあまりに永いあいだ死を生の終りと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました」とシルバー・バーチはいう。そして、死を生の挫折、愛の終局、愛する者との別れと見なすのは、無知であると批判する。

 死ぬということは別の生命を得ることである。だから、「死んだ人のことを悲しむのは間違いです」とまで言われることも、一応納得できる。しかし私たちは、さらに、死を悲しむというのは、次のように、「進化が足りないこと」という教えにも納得しなければならないようである。

 いったい何を悲しむというのでしょう。死に際して悲しみを抱くということは、まだ進化が足りないことを意味します。地上を去ることは苦痛から解放されることであり、暗黒の世界から出て光明の世界へ入ることであり、騒乱の巷から平和な境涯へと移ることを意味することを思えば、尚のことです。(「学びの栞A」2-e)



 65. 私たちは決してあなた方にただ信じなさい とは申しません

 私たちは決してあなた方に「理知的に難しく考えず、ただ信じなさい」 とは申しません。逆に「神から授かった理性を存分に駆使して私たちを試しなさい。徹底的に吟味しなさい。その結果もし私たちが述べることの中に低俗なこと、邪険なこと、道義に反することがあると思われたら、どうぞ拒絶してください」と申し上げております。(「学びの栞A」70-b)

 これは、ある時の交霊会で、シルバー・バーチが参会者に対して述べたことばである。「いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わないとき、不合理あるいは不条理と思えるときは、遠慮なく拒否するがよろしい」とも言っている。

 このように、シルバー・バーチは、真理を伝えようとする場合、常に私たちの魂の最高の意識に訴えようとしてきた。私たちに内在する才覚と能力と資質とを存分に発揮させていくことが自分の願いであるといい、そのような人生を選ぶ判断を下すのが私たち自身の理性 であると言って、繰り返し、理性の働きを重視する姿勢を示している。



 66.  何も知らずに誕生してくるのではありません

 私たちは自分の自由意志で、両親や生活環境を選んでこの世に生まれてくる。自我の発達にとって必要な資質を身につけるために、その両親のもとでどのような人生を送るかということもあらかじめ承知している、という。それをシルバー・バーチはつぎのように述べている。

 地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。(「学びの栞A」36-a)

 そうであるとすれば、この世で大きな労苦や深い悲しみに遭うことになっても、それらは「お気の毒に」と同情されることではないのであろう。むしろ、苦労や悲しみを「予想通りの」チャンスとして捉えるべきなのかもしれない。人生をポジティブに生き抜き、霊性向上を実践していく大切なきっかけになるからである。



 67. 人間のこしらえたものを崇めるわけにはいきません

 人間は本来が霊であり、霊が肉体を使用しているのであって、霊を宿した肉体的存在なのではない。そして、地上生活の全目的はその内在する霊に修行の場を与え、さまざまな体験を通じてそれを育み、死後の肉体からの解放の時に備えて身仕度させることであるとシルバー・バーチはいう。従って宗教とは、霊が霊として本来の生活ができるように指導することでなければならない。

 原初形態の教会においては、霊の道具である霊媒がそのような指導を担当し、聖職者は聖堂や教会等、宗教的行事の取り行われる建造物の管理をしていた。この両者の協力関係は、しかし、ある時代から、神示を受ける霊媒にばかり関心が向けられるようになったことを嫌った聖職者が、霊媒を退けて、信条、儀式、祭礼、教説等を分類して綱領を作るという、神学的操作を始めるようになった。こうして、「真の宗教の観念が今日では曖昧となってしまいました」とシルバー・バーチは嘆く。そして、つぎのように続けた。

 私たちはいかなる神学、いかなる教義、いかなる信仰告白文にも関心はありません。私たちが関心をもつのは人間の霊性であり、私たちの説くこともすべて、絶対的に従わねばならない霊的自然法則に向けられています。人間のこしらえたものを崇めるわけにはいきません。宇宙の大霊によって作られたもののみを実在として信じます。(「学びの栞A」6-j)



 68. 英語が上手だからといって霊格が高いことにはなりません

 あなた方西洋人は時おり妙な態度をお取りになりますね。自分たちの言語がしゃべれることを人間的評価の一つとなさいますが、英語が上手だからといって別に霊格が高いことにはなりません。たどたどしい言葉でしゃべる人の方がはるかに霊格が高いことだってあります。(「学びの栞A」37-a)

 シルバー・バーチは、初めはぎこちない英語であったが、みるみる上達して文筆家も絶賛するような英語の達人になった。これは「なぜそんなに英語がお上手なのでしょう」と聞かれて、答えたことばである。この世の私たちを援助したいと望む以上、霊界でも最高の努力をしなければならなかったが、その中のひとつが英語の習得であったのである。シルバー・バーチはそれを、つぎのように述べている。

 私はこうして英語国民を相手にしゃべらねばなりませんので、何年もかけて困難を克服しなければなりませんでした。あなた方から援助もいただいております。同時に、かつて地上で大人物として仰がれた人々の援助も受けております。今でも言語的表現の美しさと簡潔さで歴史にその名を残している人々が数多く援助してくれております。



  69. 神は必要なものはすべて用意してあるのです

 「光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きるよろこびに溢れている人はほとんど見当らず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。」これは霊界からこの物質界を見たシルバー・バーチのことばである。この説明はさらにこう続く。

 この地上に見る世界は幸せであるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならぬ障害が存在するということです。(「学びの栞A」37-za)

 それでは、その障害をどうすれば取り除けるのか。それはあくまでもこの物質界の私たちの責任であり、為すべき義務である。そしてそれは、私たちが宇宙の摂理を学び理解していくことから始まるのであろう。その宇宙の摂理は、これまでもすぐれた霊覚者によって何千年もの昔から説かれてきた。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいということである。



  70. 誰にも生まれるべき時があり死すべき時があります

 私たちは、地上にいるかぎり霊はその肉体によって機能するのだから、肉体を粗末に扱っていいことにはならない。だから、霊的実在を無視しているのが間違いであるように、肉体を大切にしないのも間違いである、とシルバー・バーチはいう。そして、こうも述べている。

 ただ一言いわせていただければ、誰にも生まれるべき時があり死すべき時があります。もしも死すべき時が来ていれば、たとえ臓器移植によってもその肉体を地上に永らえさせることはできません。(「学びの栞A」3-b)

 シルバー・バーチによれば、もともと肉体は不老不死を目指すようには意図されていない。肉体は、誕生の瞬間から死へ向かう。まず、ゆっくりと機能的成熟を目指す。成熟すると同時に、やはりゆっくりと、全機能が衰えはじめる。そして、リンゴが熟すると自然に木から落ちるように、肉体も与えられた寿命をまっとうして死を迎えるのである。



 71. 彼らは霊的実相については死んだ人間も同然です

 「どこを見ても闇ばかりで、数え切れないほどの人々が道を見失い、悩み、苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、不安と恐怖におののきながら生きている世の中にあって、たった一人でも心の平静を見出し、自分が決して一人ぽっちの見捨てられた存在ではなく、無限の愛の手に囲まれているという霊的事実に目覚めさせることができたら、これはもう立派な仕事というべきです」とシルバー・バーチは言い、こう続けた。

 地上生活のそもそもの目的は、居眠りをしている魂がその存在の実相に目覚めることです。あなた方の世界は毎日を夢の中で過ごしているいわば生ける夢遊病者で一杯です。彼らは本当に目覚めてはいないのです。霊的実相については死んだ人間も同然です。そういう人たちの中のたった一人でもよろしい、その魂の琴線に触れ、小さく燻る残り火に息を吹きかけて炎と燃え上がらせることができたら、それに勝る行為はありません。(「学びの栞A」68-c)

 このように、「たった一人でも目覚めさせるための努力」を呼びかけているシルバー・バーチは、また、次のように繰り返している。「人のために役立とうとする志向は自動的にこちらの世界からの援助を呼び寄せます。決して一人であがいているのではありません。いかなる状況のもとであろうと、まわりには光り輝く大勢の霊が援助の態勢で取り囲んでおります。裏切ることのないその霊の力に満腔の信頼を置き、それを頼りとすることです。」



 72. 富の蓄積は何の意味もないということです

 地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。地上では "物"を有り難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。そんなものは死とともに消えてなくなるのです。が、他人のために施した善意は決して消えません。

 シルバー・バーチはこのように述べて、他人に対して善意を尽くすことが大切であり、地上での地位、財産、権力などは、なんの価値もないことを繰り返して教えてきた。しかし、それらが「なんの価値もない」ことを理解するのは容易ではないようである。私たちの本当の富はどこにあるのか。つぎの言葉をここでも噛み締めておきたい。

 物的存在物はいつかは朽ち果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。ということは物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味もないということです。一方あなたという存在は死後も霊的存在として存続します。あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもありません。(「学びの栞A」45-c)



 73. 生命の神秘を知らない人が多すぎるからです

 人間というのは、本来、肉体を通して自我を表現している霊魂である。それが地上という物質世界での生活を通して魂を生長させ、死後に始まる霊界での生活に備えているのだというのは、度々繰り返されているシルバー・バーチの教えである。だから、物的なものだけに目を向けている人間は大きな過ちを犯すことになる、と次のように諭した。

 大半の人間は、現代の生活が人間生活のすべてであると思い込み、そこで、物的なものを、いずれは残して死んでいかねばならないものなのに、せっせと蓄積しようとします。戦争、流血、悲劇、病気の数々も、元はと言えば、人間が今この時点において立派に霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。(「学びの栞A」75-j)

 シルバー・バーチはさらに、「人間はやはり神の摂理にのっとった生き方をしなければならないのだと思い知るまでは、混沌と破綻と悲劇と崩壊の止む時はないでしょう」と述べて、だからこそ、霊界の自分たちが「人間も本来は“霊”であることを原理とした摂理を説くほかはありません」と私たちに霊的存在であることを知る重要性を強調している。



 74. 有機的生命の存在する天体は無数にあります

 無限なる叡智をもつ宇宙の大霊が、無限なる宇宙において無限なる意識的段階にある無数の生命に無限の生活の場を与えることができないはずがありません。有機的生命の存在する天体は無数にあります。ただし、その生命は必ずしもあなたがたが見慣れている形体をとるわけではありません。(「学びの栞A」32-a)

 これはシルバー・バーチのことばである。かなり昔になるが、1977年に宇宙探査機ヴォイジャー1号と2号が打ち上げられた。興味深いのは、これらの二つの宇宙探査機には、地球外知的生命に対する人類からのメッセージを積載していたことである。当時の国際連合事務総長のクルト・ヴァルトハイム氏が、「地球上の147か国による組織された国際連合の事務総長が地球を代表してご挨拶申し上げます」とオーストラリア訛りの英語で述べていた。(武本昌三「随想」87)

 これらのヴォイジャー1号と2号に積み込まれている原子力電池の寿命は、1号が2020年以降、2号は2030年以降に尽きる予定というから、まだしばらくは、このヴォイジャーのよる宇宙探検は続くことになる。あれからすでに36年が経過して、いまでは天文学者の間では、銀河系だけでも地球型惑星は1000億個もあるという推定もあるくらいで、あとは地球にできるだけ近いところで、そのような星から生命体を見つけるのが焦点になっているようである。(NHKコズミック・フロント「1千億個の地球!?」2013.12.23)



 75. 真摯な祈りが見過ごされることは絶対にありません

 地位名誉を求めたり、物質的財産が増えることを神仏に願うのは、祈りではない。本人の霊的向上のためには何の役にもたたないからである。しかし心の奥底からの純真な欲求、より深い悟り、人の為になろうとする魂の願望は、霊的に一種のバイブレーションを引き起こして、当人の霊的成長に応じた分だけの援助が自動的に引き寄せられるという。シルバー・バーチはそれをつぎのように教えている。

 知識の領域を少しでも広めようとする努力、病める人を一人でも多く治してあげたいと思う心、死別の悲しみに暮れる人をもっと慰めてあげたいと思う気持、人生に疲れた人があなたという灯台を見つけられるように一層の輝きを増したいという願い――こうした真摯な祈りが何の反応もなく見過ごされることは絶対にありません。(「学びの栞A」4-y)

 祈りで大切なことは、やはり、祈る人の心のもち方であろう。祈りが、純真で素直な心で、自分を忘れ、ひたすら人を救ってあげたいという真情から出たものであれば、それはその人の霊格が高いことを意味する。祈りの効力は、「祈る人の霊格と祈る動機によって決まる」ともいわれるが、霊格が高ければ高いほど、動機が純粋であればあるほど、その人の祈りは確実に高級神霊界にも届くことになるのである。



 76. 取り返しのつかない過ちというものはありません

 この地上は体験学校のようなものとはよく言われることである。私たちの地上世界は完全ではなく、私たち自身も完全ではない。完全でないからこそ、この世に生まれて完全になるための学びと経験を積もうとしている。私たちは、不完全な世界で少しでも多くの完全性を発揮しようとしている不完全な存在なのである。

 これを理解していくために大切なことは、私たちの人生が死を迎えればそれで終わるのではないということであろう。私たちの人生がこの一回だけのものであれば、この世は不公平だらけで、不満の人生をやり直すことも出来ないことになる。永遠のいのちを生きているからこそ、私たちは過ちを恐れず、自分なりの最善を尽くしていくことが出来るのである。シルバー・バーチは、それを次のように言っている。

 これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対する償いをすることになります。そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです。過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。しかし、転んでも起き上がることができます。取り返しのつかない過ちというものはありません。(「学びの栞A」10-g)



  77. 遺体は火葬までに最低三日間は置いてほしい

 ある日の交霊会で、「遺体を一定期間そっと安置したほうがいいと信じている人がいます。それというのも、最近では死体を実験室へ持っていくことがよくあるのです。こうしたことは魂ないし霊にとって害があるのでしょうか」という質問が出された。それに対して、シルバー・バーチはこう答えた。

 ぜひ知っていただきたいことは、火葬までに最低三日間は置いてほしいということです。というのは未熟な霊は肉体から完全に離脱するのにそれくらい掛かることがあるからです。離脱しきっていないうちに火葬にするとエーテル体にショックを与えかねません。(「学びの栞A」3-a)

 魂と肉体は霊子線(シルバー・コード)で繋がれていて、このコードが切れた時が人の死である。ただし、このコードが切れた後も、地上での長いあいだの関係によって魂と肉体との相互依存の習性が残っているから、特に未熟な霊の場合には、すぐ火葬にしてはならないという。



 78. 人間は例外なく心霊的能力をそなえております

 
人間は例外なく心霊的能力をそなえております。これは大へん大きな意味をもっております。歴史を勉強なされば、この事実は世界のすべての宗教の起原に結びついている基本的真理であることを理解なさるはずです。偉大な宗教家の教えの中には必ずそのことが述べられています。(「学びの栞A」73-f)

 
シルバー・バーチは人間の心霊的能力についてこのように述べている。それでは、偉大な宗教家の教えとは何か。それは、人間は成就すべき霊的宿命をもった霊的存在であること、死後に待ちうけるより大きな生命活動にそなえるためにこの地上に来ていること、そして死ぬ時には地上でみずからの力で身につけた愛、みずから築いた性格、みずから開発した霊的才覚をたずさえて行くということ、であるという。

 私たちは、物質中心の生活の利便の発達と引き換えに、このような偉大な宗教家の教えから離れ、本来、誰でももっていた心霊能力を失ってきたようである。「古い記録をごらんになれば、太古にさかのぼるほど超能力が使用されていたことがお分かりになるはずです。それが物質文明の発達とともに次第に萎縮し」、今日では心霊能力を発揮できる人が極めて少数になってしまったのだと、シルバー・バーチは慨嘆する。



 79. 一つの家族が霊界で自動的に合流するわけではない

 ある時の交霊会で、「霊界へ行った時かつての地上での仲間や親族と一緒になれるか」という質問が出された。霊界は階層社会であるから、魂の発達レベルが異なれば当然、住む社会も違ってくる。だからシルバー・バーチは、この質問に対して、「あなたがその人たちと同じ霊的発達段階に至ればいっしょになれます」と答えている。そして、次のようにも言った。

 一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性をもっている場合にのみ、それが有りえます。親和性がなければ再会はありません。意識のレベルが違うからです。夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界での再会は不可能です。(「学びの栞A」21-h)

 しかし一方では、「人間が死ぬと肉親や愛する人たちが出迎えて手引きしてくれるそうですが、それらの霊は他界者と同じ霊格の者ばかりでしょうか」と言う質問に対して、「そうではありません。なぜなら、その霊たちは死後も霊的に進化しているからです。他界してきた者のレベルに合わせて交信するために、言わば階段を下りてくるのです」とも答えている。つまり、上の階層から下へ降りることは可能だが、下の階層から上へは上がれないということのようである。



 80.肉体はあなたのものですからその健康管理はあなたの責任です

 休息が不足すると身体がその代償を支払うことになる。そして、その代償の度合が大きすぎると、完全な休息を要求されて、私たちは病気になる。肉体は所詮は機械だから、私たちもその限度を超えたことを肉体に要求してはならないと、シルバー・バーチは次のように言う。

 皆さんは肉体という機械をお持ちです。どんなに優秀な機械でも休息が与えられます。皆さんの肉体のように片時も休むことがないという機械は他にありません。機械は休ませないと故障します。肉体はあなたのものですから、その健康管理はあなたの責任です。(「学びの栞A」17-p)

 私たちの肉体は自我を表現するための道具であるが、その道具としての能力を十分に発揮していくためには、やはり肉体の手入れが必要になってくる。そこで神は、その無限の叡智によって、肉体を休息させ、活力を取り戻させるための睡眠を用意したというのである。