81.良心こそ神の声であり進むべき道を指示します
私たちは人間である以上、完全な存在ではなくしばしば過ちを犯しもする。しかし、同時に、私たちには内部に神性を帯びた潜在力があり、絶えず発達し進化していく存在でもある。私たちは、神の意図された通りのイメージにしたがって神性を発揮することもできるし、低級な感情と欲望のおもむくままに生き、この世の俗物を求めるだけの人生で終わることもあり得る。
それでは、その選択の基準になるものは何か。「神は一人一人に良心という絶対に狂うことのない監視装置を用意してくださっております。それがあなたの行為が正しいか間違っているかを正確に教えてくれます」とシルバー・バーチはいう。そして、良心こそ神の声であり私たちの進むべき道を示してくれると、つぎのように述べた。
世間がどう言おうと、まわりの人が何と言おうと、自分で正しいと思うことをしなさい。その方が都合が良いとか得策だからではなく、心の奥でかくあるべきと確信したこと、良心がそう命じていることを実行すればよいのです。いたって簡単なのです。良心こそ神の声であり、善と悪とを選り分け、進むべき道を指示します。(「学びの栞A」20-i)
82. 物的なものだけに目を向けている人間は大きな過ちを犯す
「大半の人間は地上だけが人間の住む世界だと考えています。現代の生活が人間生活のすべてであると思い込み、そこで、物的なものを、いずれは残して死んでいかねはならないものなのに、せっせと蓄積しようとします」とシルバー・バーチはいう。その生命についての無知が、戦争、流血、悲劇、病気の数々をもたらすともいう。
実際、私たちには、自分たちの肉体、身のまわりの家具や備品から、街に広がる道路や高層建築などに至るまで、何もかも実感があり、実質があるように思える。しかし、シルバー・バーチは、それは私たちが表面上の物的なことに目を奪われて、その背後の霊的実在のことを見失っているからであるといい、こう続けた。
物的なものだけに目を向けている人間は大きな過ちを犯します。なぜなら、その生き方は幻影を追い求めて永遠なるものを忘れているからです。いたって簡単なことなのですが、そのことがいまだに理解されておりません。(「学びの栞A」75-f)
83. 正しい生き方をしておれば病気にはなりません
病気はすべて治せます。さらに言えば、正しい生き方をしておれば病気にはなりません。病気とは根源からいえば不調和、不協和音、つまり神の摂理に適った生活をしていないことから生じています。(「学びの栞A」17-c)
私には耳に痛いが、シルバー・バーチはこう言って私たちを戒める。さらには「肉体に何らかの異常が生じるということは、まだ精神も霊も本来の姿になっていないということです。もし霊が健全で精神も健全であれば、肉体も健全であるはずです。精神と霊に生じたことがみな肉体に反映するのです」とも言っている。
真の健康とは精神と肉体と霊とが三位一体となって調和よく働いている状態のことをいうらしい。そして、「神は人間が宇宙の自然法則と調和して生きていくことによって健康が保たれるよう意図されている」ともいわれる。本来は、私たちはみんな老衰による死を遂げるのが自然で、病気で死ぬようなことがあってはならないようである。
84.人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます
人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。たとえば他界する″ということは地上では悲しいこと″ですが、霊の世界ではめでたいこと″なのです。(「学びの栞A」19-b)
シルバー・バーチはこう言って、物的な視野だけでものごとを判断してはならないと教えている。私たちにとって「時には大へんな不幸に思えることが霊的には大へんな利益をもたらすことがある」からである。
私たちの物的尺度というのはあまりに小さすぎて、そのために、世の中は不公平と不正しかないように思えたりする。しかし天の摂理は単純で明快である。不公平も不正も決してない。自分が努力した分だけを霊的な報酬として受け、努力を怠った分だけを霊的な代償として支払わされる。そして、その作用は完璧であるという。
85. 魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進される
宗教とは何か。「宗教とは人のために自分を役立てることであり、自分を役立てることがすなわち宗教です」とシルバー・バーチは極めて単純明快に定義している。宗教とは同胞に奉仕することによって互いの親である神に奉仕することであり、「本来の宗教は地上の世俗的概念とはほとんど何の関係もありません」ともいう。
地上には多くの世俗的宗教が存在し、教義の対立から、過去において、しばしば、流血、虐待、殺戮といった狂気の沙汰まで生んできた。現在でもそれはなくなっているわけではない。そのような霊的真理から離れた教義・信条への忠誠心は、人間の霊性を
1インチたりとも増すことはない、とシルバー・バーチは厳しく批判する。そして、つぎのようにも述べた。
肉体が朽ちてしまえば、それまで永いあいだ後生大事にしていたもの、そのために争うことまでした教義のすべてが空虚で無価値で無意味で無目的なものであったことを知ります。魂の成長を微塵も助長していないからです。魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進されるものです。他人のために自分を忘れているうちに魂がその大きさと力を増すものだからです。(「学びの栞A」6-c)
86.亡くなった娘さん自身は大きなものを手にされています
肢体不自由児だった一人娘を亡くしたばかりの両親がいた。娘は十九年間一度も歩くことなくこの世を去っていったが、娘は両親のすべてであった。娘は地上で苦しんだだけ、霊界では報われることがあるのか、悲しみに打ちひしがれている母親はシルバー・バーチの助言を求めた。シルバー・バーチはこう答えた。
ご両親は大きなものを失われたかも知れませんが、娘さん自身は大きなものを手にされています。やがて時がくればお二人も死が有り難い解放者であることを理解され、娘さんの方もそのうち、死によって消えることのない愛に満ちた、輝ける存在となっていることを証明してあげることができるようになることでしょう。(「学びの栞A」41-a)
そのシルバー・バーチは、二人の息子を第一次大戦で亡くしたあと、悲しみの底から霊的真理を掴み取っていったある夫婦に対しては、「ご子息が二人とも生気はつらつとして常にあなた方のお側にいることを私から改めて断言いたします」と述べている。一時も両親の側を離れることはなく、お二人を守っていることも伝えた。しかし、それは、両親のこれからの人生に何の困難も生じないという意味ではない。なぜなら人生とは絶え間ない闘争であり、障害の一つ一つを克服していく中に魂が進化するものだからであることも付け加えている。
87. あらゆる地上の問題は霊的真理を知らないことに帰着する
私たちの本性は霊である。肉体を従えた霊であり、霊を伴った肉体なのではない。しかし、大半の人々においてはこの真理が理解されず、本性の霊は奥深くに押し込められて、潜在的な状態のままに放置されている。それが地上の四苦八苦の根源であるとシルバー・バーチは次のようにいう。
あらゆる地上の問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち人間は本来が霊的存在であり、神からの遺産を受け継いでいるが故に、生まれながらにして幾つかの権利を有しているということです。(「学びの栞A」61-l)
霊的存在である私たちは、永遠の生命のなかで、いつどこにいても等しく神の子として霊界からの愛と友情と親愛の念を受けている。その事実を真に理解すれば私たちの人生は一変するであろう。不安や悩み、不和、憎しみ、病気、利己主義、うぬぼれ等々から離れて安らぎの世界が拓けてくる。
88. 私はほぼ三千年前に霊の世界へ来ました
私はほぼ三千年前に霊の世界へ来ました。つまり三千年前に「死んだ」のです。三千年というとあなたには大変な年数のように思われるかも知れませんが、永遠の時の流れを考えると僅かなものです。その間に私も少しばかり勉強しました。霊の世界へ来て神からの授かりものである資質を発揮していくと、地上と同じ進化の法則に従って進歩していきます。(「学びの栞A」46-f)
これはシルバー・バーチのことばである。シルバー・バーチは2千年前のイエスキリストよりも千年古く、2千5百年前の仏陀よりも5百年古い。そのシルバー・バーチは霊界で「少しばかり勉強」
して、3千年の間に物質界からは遠く離れた高位霊となった。そして、生きることに疲れ果てているこの世の人々の魂を鼓舞し、進むべき方向を示唆するという人類救済の役目を引き受けて、わざわざこの地上へ戻ってきたのである。
腐敗と堕落の雰囲気が大半を占め、暗い影がおおっているこの地上に戻る決意をすることは容易ではない。シルバー・バーチも地上に戻るのは気が進まなかったが、地上の啓蒙のために敢えてこの難事業を引き受けた。そのお蔭で私たちはいまシルバー・バーチの膨大な真理の教えを好きなだけ学ぶことが出来る。私たちのシルバー・バーチへの感謝と思慕の念が「せめてもの慰めとなっております」と告白されている。
89. ドアを通り抜けて新しい生活へ入っていくだけです
ある時の交霊会で、夫を亡くして悲しんでいる妻に、シルバー・バーチは、「あなたもそのうち物的なつながりよりも霊的なつながりの方が大きいことを理解しはじめることでしょう。ご主人はこの世にいた時よりもはるかにあなたにとって身近な存在となっておられます」と言った。そして、こう続けた。
“死んだ人”たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死という名のドアを通り抜けて新しい生活へ入っていくだけです。その人たちにとって死は大きな解放です。決して苦しいものではありません。彼らにとって唯一の辛さは、地上に残した人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。(「学びの栞A」41-c)
霊界からみれば、この世の遺族の嘆きや悲しみは、死の真実を知らないことからくると捉えられるようである。確かに私たちは、肉体の枠に縛られて霊の世界を見ることもできず、霊の声を聞くこともできない。その為に、自ら愛する家族を死の彼方へ追いやってしまうようなところがある。シルバー・バーチも「多くの霊があなたの身のまわりに存在していることが分かっていただけたらどんなにか慰められるでしょうに」と嘆いた。
90. 常に基本的な霊的真理を忘れぬように
常に基本的な霊的真理を忘れぬように、と私は申し上げております。常にそれを念頭におき、その上に宗教観、科学観、哲学観、倫理観、道徳観をうち立ててください。私たちの説く真理はいたって単純であるがゆえに、誰にでもわかり誰にでも価値を見出すことができます。(「学びの栞A」71-b )
シルバー・バーチはこのように私たちに告げる。その基本的な霊的真理はいたって単純であり、誰にでもわかるともいう。その基本的な霊的真理とは、私たちは神の分霊を宿している神の子であり、人類全体が不変の霊の絆で結ばれている真の同胞で、神の前に平等であるということである。
シルバー・バーチは続けていう。「意気消沈した人、悲しげにしている人に元気を出すように言ってあげてください。不安は無知という暗闇から生まれます。勇気は自信から生まれます。すなわち自分は神であるとの真理に目覚めた魂はいかなる人生の嵐をもってしても挫かせることはできないとの自信です。」
91. 自分で自分を救うのです
霊界には私たちを救う「予定表」のようなものがあるらしい。それは一度に大勢を目覚めさせるのではなく、一人ひとりの霊的需要度に応じて霊的真理を授けるためにあるという。しかし、その真理を受け留めていくのはあくまでも私たち自身の責任であることをシルバーバーチはこう述べた。
「私たちが提供するのは、まず証拠です。それから各自がみずからの霊的新生を成就するための知識です。私たちがあなたに代わって救ってあげるわけにはまいりません。自分で自分を救うのです。その手段をどう活用するかは、その人の自由に任されております。」(「学びの栞A」39-d )
さらに、霊力は無限であって、そこからどれだけのものを受け取れるかは、私たちの現在までに到達した霊格の程度によって決まるともいう。私たちが霊的真理を真摯に学び、人のために役立っていくことが、その受容力を高めていくことになる、とシルバー・バーチは教えている。
92.あなたの霊的命運を定めていくのはあなた自身です
「埋め合わせと懲罰の法則があり、行為の一つ一つに例外なく働きます。その法則は完全無欠です。誰一人としてそれから逃れられる者はいません」とシルバー・バーチはいう。ということは、「正直に生きている人間にとっては何一つ恐れるものはないということです」ともいう。
良いことをすればそれだけ霊性が向上し、自己中心的なことをすれば、それだけ霊性を損なうことになる。これも「埋め合わせと懲罰の法則」であろう。あるときの交霊会で、「そういうことを裁定する神はどこにいるのでしょうか」と訊かれて、シルバー・バーチは、こう答えた。
良きにつけ悪しきにつけ、あなたの霊的命運を定めていくのは、あなた自身です。あなた自身のことに関して最後に責任を負うのはあなた自身です。もしも死の床にあって罪を告白し特別の信仰を受け入れれば立ちどころに罪が赦されて潔白の身になれるとしたら、それはまさにお笑いものであり、茶番劇というべきです。(「学びの栞A」25-d)
93. 自然の摂理との縁を切ることはできません
人は死んでも死なない、死後も生き続けると聞かされても、死後の生命なんか欲しくないと思っている人もいるのであろう。「本心からそう思っている人がいます。そういう人たちにどう説かれますか」と訊かれて、シルバー・バーチは人間の死後の実状をつぎのように答えた。
それは、いかんともし難いことなのです。自然の摂理との縁を切ることはできません。あなたがどう思うかに関係なく摂理は働きます。開けゆく大自然のパノラマが人間の小さな欲求や願望、あるいは反抗にもお構いなく展開していく姿をご覧になれます。(「学びの栞A」2-x)
霊界へ行って自分が生き続けていることがわかっても、今度は、地上なんかに二度と生まれたくないと本心から思っている霊もいるらしい。しかし、人は強制されてこの世に生まれてくるわけではない。これも自然の摂理のなかで与えられた自分の自由意思によって、生まれ変わりを自分で選ぶことを学んでいくようになる。
94.思念は物質よりはるかに実感があります
地上人類は自我を表現するためには物的手段によらなければならない。つまり、私たちは思ったことを五感で表現し行為によって実現していく。しかし、霊界では思念は実在そのものであるとシルバー・バーチはつぎのようにいう。
「肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現、または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。」(「学びの栞A」9-j)
私たちが霊界へ還れば、こころに思うことはすべて実在になる。地上では潜んでいた金銭欲や名誉欲なども霊界ではことごとく露わになって魂を貶めることになる。子供のような純真な気持ちを失わないことが大切で、霊界では一切ごまかしが利かない生活が待ち受けていることを、私たちは時には考えてみるべきかもしれない。
95. 困ったことがあればいつでも私をお呼びください
3千年前に死んだシルバー・バーチは、地上に永いあいだ埋もれてきた霊的真理を伝えるためにこの世に降りてきて、「あなたがた人間世界における私の仕事が暗闇に迷える人々の心の灯となり慰めとなったら、それだけで私は幸せなのです」と述べていた。そしてこうも言っている。
どうか、困ったことがあれば、いつでもよろしい、この私をお呼びください。もし私にできることであればご援助しましょう。もし私に手出しできないことであれば、あなた方みずからが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう。(「学びの栞A」37-d)
このあたたかいことばに励まされて、これまで何百万もの人びとが世界中でシルバー・バーチの教えに導かれてきた。私もその中の一人である。無償の奉仕に徹して、自分個人に対する賞賛のことばは決して受け入れようとしなかったシルバー・バーチは、「私はあなた方お一人お一人の親しい友人でもあるのです」とも言ってくれている。
96.人間として最善を尽くしてくださればよいのです
私たちが霊的真理を理解できるようになったのであれば、まわりの悩み苦しんでいる人々にもできるだけその真理を伝えていく努力をしなければならない。一人でも多くの人々と共に学びをさらに深めていく努力も必要であろう。霊界でも、片時も休むことなく研究に勤しみ、病気治癒、霊視能力、入神現象の質を高めるための新しい方法、アイディアを実験しているという。
シルバー・バーチはこの世に降りてきて私たちを導きながら、「献身こそ霊の正貨です。大義のために献身することこそ気高いのです。なぜならその時あなたは内部の神性を発揮していることになるからです」と無償の愛の奉仕で人に尽くすことの大切さを強調して、つぎのように続けた。
私たちからお願いしたいのは、倫理的意識をできるだけ高く持っていただきたいということです。私は常に皆さんを成就というゴールへ向けて、ゆっくりではありますが確実に進歩するよう援助しています。申し上げていることは至って単純なことです。人間として最善を尽くしてくださればよいのです。(「学びの栞A」80-e)
97. あなたは死んでから霊的存在になるのではありません
私たちは霊的存在である。身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現するための道具にすぎないといわれる。鏡に映る私たちの姿は私たちの外見に過ぎず、本当の私たちではないことも教えられてきた。それは死ねば自ずからわかることであろう。しかし、シルバー・バーチはつぎのように言う。
あなたも今のこの時点において立派に霊的存在なのです。死んでから霊的存在となるのではありません。死んでから霊体をさずかるのではありません。死はただ単に肉体という牢獄から解放するだけです。小鳥が鳥カゴを開けてもらって大空へ飛び立つように、死によってあなた方は自由の身となるのです。(「学びの栞A」54-f)
生きている現在も、実は、私たちには霊としてのあらゆる才能、属性、資質が具わっていて、それが未発達の形で潜在しているのだという。その未発達のものを発現させ、より大きな自我を悟って本当の私たちを表現していくのが私たちの課題のようである。日々の生活の中で霊性の向上に努めていくということであろう。
98.型にはまった祈りは人類にとって何の益ももたらさない
聖書の「マタイ」(6・9〜13)、「ルカ」(11・2〜4)には、「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように・・・・」で始まる「主の祈り」がある。父なる神は必ずしも天にいますわけではないから、シルバー・バーチも「イエスがあの通り言ったわけではない」と断ったうえで、つぎのように言いきった。
あのような型にはまった祈りは人類にとって何の益ももたらさないことを断言します。単なる形式的行為は、その起原においては宿っていたかも知れない潜在的な力まで奪ってしまいます。儀式の一環としては便利かも知れません。しかし人間にとっては何の益もありません。(「学びの栞A」4-i)
型にはまった祈りには効果がないことを強調して、シルバー・バーチは「ただ単に願いごとを口にしたり決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。テープを再生するみたいに陳腐な言葉を大気中に放送しても耳を傾ける人はいませんし、訴える力をもった波動を起こすことも出来ません」とも言っている。
99.地球には科学者が言っているような終末はありません
これからは科学の研究が物的次元の研究から高度な次元へと進歩して神理に近づいていくといわれることがある。一方では、科学の発達が地球そのものをも破壊しかねないという危惧が述べられたりする。ある時の交霊会で、科学の研究が高度な次元へ進歩するまでには多くの人間と多くの物を犠牲にすることにならないかという質問が出た。
シルバー・バーチは、大自然の摂理によって、「いかなる事態が起きようと、あるいは人間がいかに愚かしいことをしでかそうと、大霊の意志はかならず行きわたるとの確信をもつことができます」と答えた。その大霊の意志や計画を挫けさせられる人間は地上にはいないと言い切って、こう続けた。
科学も絶対に誤りを犯さないわけではありません。科学者とて間違いを犯す可能性をもった、ただの人間にすぎません。私は科学を神のごとく絶対視してはいません。地球には科学者が言っているような終末はありません。永遠に存在し続けます。(「学びの栞A」80-c)
100. 聞くも聞かぬもあなた方の自由です
交霊会では、シルバー・バーチはどんな質問にも明快的確に即答しているが、ある日、「霊界についてテレビで講演することになったとすれば、どういうことを話されますか」という質問が出された。それに対する答えは、シルバー・バーチの教えを要約したものとして分かり易い。ここではまず、「生命に死はなく、永遠なる生命力の一部であるが故に不滅である」ことをのべたあとで、視聴者に、「死後存続の問題と虚心坦懐に取り組んで真実のみを求める態度」を要請している。それから、こう続けた。
私はその霊的真理を平易な言葉で概説し、視聴者に対して果たして私の述べたことが理性を反発させ、あるいは知性を侮辱するものであるか否かを訊いてみます。私には何一つ既得の権利を持ち合わせないことを表明します。こんなことを説いてお金をいただかねばならないわけでもなく、仕事を確保しなければならないわけでもありません。私には何一つ得るものはありません。霊界での永い永い生活を体験した末に私が知り得たことを教えに来ているだけです。聞くも聞かぬもあなた方の自由です。(『霊訓』3、pp76-78)
さらにシルバー・バーチは強い言葉で繰り返した。「人間は不滅なのです。死は無いのです。あなた方が涙を流して嘆き悲しんでいる時、その人はあなた方のすぐ側に黙って立っている……本当は自分の存在を知らせようとして何度も何度も叫び続けているのです。あなた方こそ死者です。本当の生命の実相を知らずにいるという意味で立派な死者です。神の宇宙の美が見えません。地上という極小の世界のことしか感識していません。すぐ身のまわりに雄大な生命の波が打ち寄せているのです。愛しい人たちはそこに生き続けているのです。」
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