No.111~No.120





   私たちはなぜこの世に生まれてきたか      (2017.01.01)
      ― 生活と文化をめぐる随想 No.111 ―


 私たちは輪廻転生を繰り返しながら、霊性の向上を目指して永遠の旅を続けている。この世に生まれて、様々な人生の経験を経て死に、また生まれては、新しい経験を積み重ねて学びを深めていく。このように私たちが自分の意思によって生まれ変わりを繰り返していく場合、当然、新しく生まれ変わる場合の生活環境が、それまでに重ねてきた生活体験を基盤にして、少しでもプラスになるようなものになるのを選ぶはずである。プラスになるというのは、もちろん、少しでも悩みが少なく、楽な生活ということではない。学びのためには、厳しい過酷な環境を率先して選ぶ場合もある。このことをまず確認しておきたい。この誕生に際しての生活環境の選択をシルバー・バーチはつぎのように言っている。

 《地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。》(『霊訓1』1988, p.38)

 この認識は極めて重要と思われるので、もうひとつシルバー・バーチのことばを引用しておきたい。シルバー・バーチはこうも言っている。

  《地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につけるうえでそのコースがいちばん効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを承知のうえで生まれて来ているのです。その人生を生き抜き困難を克服することが内在する資質を開発し、真の自我――より大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。》

 このように、「自分がどんな人生を生きるかを承知のうえで生まれて来ている」のであれば、この世で自分の置かれた境遇を嘆いたり、他人の生活をうらやましがったりする必要はないわけである。もしそのようなことがあれば、折角自分が自分の霊性向上のために自由意思により選んできたことを、「肉体の鈍重さ」のゆえに、誕生前の自覚を意識の奥に閉じ込めてしまっていることを思い起こすべきであるかもしれない。シルバー・バーチは、この後、さらに続けて、こう付け加えた。

 《その意味では "お気の毒に・・・・" などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨することもないわけです。こちらの世界は、この不公平や不正がきちんと償われる世界です。あなた方の世界は準備をする世界です。私が "魂は知っている" と言う時、それは細かい出来ごとの一つひとつまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているということです。その道程における体験を通して自我が目覚め悟りを開くということは、時間的要素と各種のエネルギーの相互作用の絡まった問題です。例えば予期していた悟りの段階まで到達しないことがあります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻って来ることになります。それを何度も繰り返すことがあります。そうしているうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。》(同書、pp.109-110)

 私たちがこのように、自分の生活環境を選んで生まれてくるというのは、私たちがこの世に生きる意味を考えるうえで極めて重要である。それを認識するかしないかで、たとえば、自分の幸福感なども、大きく変わってくることがあるかもしれない。世の中には、他人の幸せを羨み、自分の不幸を嘆いている人が決して少なくはないが、本当は、シルバー・バーチがいうように、「"お気の毒に・・・・" と同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨することもないわけ」である。私たちは、生まれる前にあらかじめ自分が設定していたコースを、いまこの現世で歩んでいるに過ぎない。自分で決めて選んだことを自分で嘆いたりするのは、筋の通らない話である。この生まれ変わりの真実を繰り返し説いてきた一人がラムサであった。この高位霊は、私たちが自分で環境を選んでこの地上に戻ってきたことを、こう述べている。

 《あなたがここにいるのは、それがどんなところであろうと、自分がいたいからそこにいるのだ、ということを学ぶためです。叡智を学び、生の場でそれを実践するために、あなたはここにいます。この人生で(また、これから自分が望むだけ繰り返す幾度の人生でも)、あなたがここにいるのは、この幻を生き、魂が叡智という命を満たすのに必要なすべてを体験するためです。そして、この次元での体験から豊かな感情を得たとき、あなたはもはやここに戻る必要もないし、そう望むこともなくなります。そして、自分がいつここでの体験を全うしたのかを判断できるのはあなただけです。ほかに誰もいません。》(『ラムサ―真・聖なる預言』角川春樹事務所、1996、pp. 197-198)

 このような私たちの生まれ変わりの真実は、シルバー・バーチやラムサのような高位霊だけではなく、現代に生きる優れた霊能者たちによっても、少なからず伝えられている。ジュディー・ラドンもその一人である。彼女は、「人は自分の人生の境遇を選択する。もしこちらの領域に来てみたなら、みなさんの世界に生まれ出る機会を切に待ち望む、数知れない仲間たちを目のあたりにすることだろう。彼らは地上の喜びと豊かな環境を懐かしがり、切望している。また多くの人にとって魂の領域自体も学ぶべきことは多いのだが、『地球学校』という意義深い領域にとってかわることはできない」と述べて、こう続けている。

 《この話を聞いて衝撃を受ける人も少なからずいるにちがいない。みなさんは、「本当にそうなのだろうか」と訝しむかもしれない。これが、多くの社会の文化的枠組みの中で受け入れられている生についての考え方に反するものだからである。「赤ん坊はたまたま生まれてきただけで、みずから選択して生まれてきたわけではなかろう」。だが、これはまったくの間違いなのだ。赤ん坊はすっかり成熟した、完全に進化した魂であり、魂の領域では成人の姿をして見える。もし彼らの魂がこの世でさらに勉強するように駆り立てれば、彼らは自分たちが入っていくのにふさわしい環境を検討し、探す。彼らは母親を探し― 彼らは、すでに「妊娠している」女性を注意深く観察することがよくある― そして一種の宇宙の順番待ちのリストに登録する。家柄を慎重に調べ、適切な縁組を探すのはわたしたちの領域にいる多くの者たちの仕事だ。》(ジュディー・ラドン『輪廻を超えて』人文書院、1996、pp.18-19)

 この生まれ変わりの真実を退行催眠によって証明してきた精神科医もいる。アメリカのマイアミ大学医学部精神科の教授を務めていたブライアン・ワイス博士である。博士は、アメリカでベストセラーになった『精神療法』(PHP研究所、2001年)のなかで、「偶然でもなく偶然の一致でもなく、私達は私達の家族の一員として生まれます。私達は母親が妊娠する前に、自分の環境を選び、人生の計画を立てているのです。計画を立てる時には、愛に満ちた霊的存在に助けられます。そして彼らは私達が肉体に宿り、人生計画がひもとかれてゆく間、ずっと私達を導き守ってくれます。運命とは、私達がすでに選択した人生のドラマのもう一つの名前なのです」と書いている。そして、こう続けた。

 《私達は生まれる前の計画段階で、これからの人生に起こる主要な出来事や、運命の転換点を実際に見ています。そしてその証拠は、沢山存在しています。私を含めてセラピスト達が集めた、催眠状態ないし瞑想中に、または自然に、生まれる前の記憶を思い出した沢山の患者の臨床記録がそれです。私達が出会う重要な人々、ソウルメイトや魂の友人との再会、こうした出来事が起こる場所に至るまで、すべて計画されているのです。・・・・・・これはすべての人々にあてはまります。しばしば、養子や養女になった人々は、自分の人生計画は歪められてしまったのではないか、と考えます。しかし、答えは「ノー」です。養父母もまた、産みの親と同じように生まれて来る前に選ばれているのです。すべてのことには理由があり、運命の道には何一つ、偶然はありません。》(同書、pp.70-71)

 世の中には、自らの境遇に不満を持ったり、人間関係に悩んだり、事件や事故に巻き込まれて悲しんだりする人々で満ち溢れているが、それらの「不幸」も、すべて、自分が生まれる前に選んだ人生コースの一部になっていることを知らなければならない。実はそれらが、自分がこの世で学ぶべき教材になっているからである。日々の悩みや苦しみ、成功や挫折等のすべてが乗り越えていくために自らが課した教材なのである。そして、ワイス博士も言っているように、「すべてのことには理由があり、運命の道には何一つ偶然はない」とすると、自分に起こっていることはすべて必要であるから起こっていることになる。必要なことだから、起こっていることは何であれ、本来、自分にとっては「良いこと」なのである。

 私は、かつて、事件で妻と子を亡くして悲嘆の底に沈んでいたことがあった。立ち直るのに何年もかかったが、立ち直るきっかけを与えてくれたのも、生と死についての霊的真理であった。世の中の常識では、天真爛漫で清らかな性情の人が事故に遇うのは不条理であり、「あんないい子が」と思われている子供が早死にするのは不幸の極みである。しかし、それらも永遠の生命の霊的真理からみれば、決して不条理ではなく不幸でもない。私たちは、それが霊的成長にとって必要であれば、有徳の人でも遭うべくして事故にも遭い、幼児や若年者であっても、死ぬべき時には死ぬ。私は、長年指導を仰いできた霊能者のA師から、妻と子を亡くしたことを、「喜んでください」と言われたこともあった。

 私たちは、富豪の家に生まれようと、極貧の家に生まれようと、それは永遠の生命のなかの一瞬でしかないこの世の仮の姿である。王侯貴族に生まれたものは、来世では、貧しい下男下女の生涯を体験しようとするかもしれない。非正規労働者として生活に苦労が絶えなかった人は、つぎの世では大企業の幹部としての体験を積む生涯を選ぶことになるかもしれない。それぞれが、自分の立場で、学びのために必要と思われるこの世での課題を自ら選択しながら、転生を繰り返していく。その課題は、易しいものから高度のものまで様々であろう。しかし、乗り越えられない困難はなく、克服できない悲しみもない。自分が乗り越えられない困難や悲しみの課題を、自らに課すことはないからである。それにもかかわらず、この世の生活の中で、挫折する人があれば、次の転生でまた思いを新たにしてチャレンジしていくことになるのであろう。

 私は、むかしの長年悲しみ苦しんできた経験から、霊的真理を知らないことの「恐ろしさ」を身に染みて感じてきた。「知らない」というのは本当に恐ろしいことで、生きている者も死んだと思い込み、人並みの、あるいは人並み以上の恵まれた環境にあっても、不幸のどん底にあると錯覚して嘆き悲しむ。溺れる者は藁をもつかむ思いで、必死になって助けを求めたりするが、誰からも助けてもらえることはない。「守護神」は実は自分の中にいること、つまり、ほかならぬ自分が自分を救う守護神であることにはなかなか気が付かないのである。悲しみや苦しみを克服していくためには、私たちは、やはり、なぜ私たちがこの世に生まれてきたのかという原点に立ち返って、考えていく必要があるように思われる。

 ここでもう一度確認しておきたいが、私たちはこの世の生活環境を自分で選んで生まれてきた。金持ちの家に生まれるのも学びのためであり、貧困家庭に生まれて生活苦に喘ぐのも、その体験が自分にとって必要だからである。成功で有頂天になることもあり、挫折して前途の希望をなくしてしまうこともあるであろう。みんな、私たちが一人一人の霊的成長のために描いてきた人生コースの一こまであり、それを現実にこの世で体験し、学び、乗り越えていくことによって、一歩一歩、神の光に近づいていく。だから、強い魂はこの世では、むしろ、波乱万丈の苦難の道を選んで生まれてくることもあるのかもしれない。私たちは、そのかつての選択を、この世への誕生の瞬間に、魂の奥深くに閉じ込めてしまっているのである。

 このような、私たちがこの世に生まれてきた時の原点に立ち返って見れば、この世で生きていく上での心がまえがどうあるべきかについても、自ずから明らかになってくるように思われる。それが、本当の意味で、私たちが幸せに生きていく道を指し示してくれるであろう。そしてその道とは、この世に生まれた以上、他人を押しのけてでも大いに蓄財して、贅沢な苦労のない人生を送りたいと望むようなことでは決してないに違いない。前にも触れた霊能者のA師は、この世に生まれて、何の苦労もなく贅沢に暮らして一生を終わる人があるとすれば、それは「神に見捨てられた人」かもしれない、と笑いながら言ったことがあった。

 この世で幸せに生きていく道の一つは、おそらく、物欲・金銭欲から離れて「足るを知る」ことであろうと思われる。私たちは、これまでひたすらに物質的な幸福感のみを追い求めてきた。特に21世紀に入ってからは、この追求が頂点に達したと言ってもいいかもしれない。産業や経済の発展は目覚ましく、インターネットなど科学技術の進歩は社会を一変させ、生活はますます便利で快適になってきた。私たちの周りには贅沢なものであふれ、食べ物に不自由することもなく、様々な娯楽が氾濫して人々も浮かれているように見える。このような風潮のなかで、いまでは、幸せとは金銭をたくさん持つこと、モノを好きなだけ手に入れること、と思われるようになってしまった感がある。このようにして欲望に駆り立てられた社会が精神的に健全であるはずはない。果てしなき人間の物質的欲望は人間そのものを腐敗させていく。モノはまわりにあふれているのに、こころは満たされず、人々の幸福感も、逆に、少しずつ失われてきたのではないか。

 特にいまの世界では、人々の金銭欲が野放図に肥大していった結果、貧富の格差がかつてなかったほど広がってきた。国際NGO「オックスファム」によれば、世界人口のうち、2016年に最も富裕な62人の総資産は、下位36億人の総資産に匹敵するという。下位36億人の平均資産が1人でおよそ5万円であるのに対して、最も富裕な62人の平均資産はおよそ3兆円といわれているから、貧富の格差もここまでくるとほとんど犯罪的である。イエス・キリストは2千年前に、「金持ちが神の国に入るのは、駱駝が針の穴を通るよりむつかしい」(マタイ:19-24)と言ったが、現代社会では、野放しにされた金銭欲へのあくなき追及が、社会に様々な歪みをもたらすようになってきた。金持ちがカネがあるゆえに幸せであるとは決して言えないが、カネのない人は、カネがないから不幸せであると思うような傾向も、ますます強くなってきているように思える。

 経済的には比較的恵まれている日本の中では、貧富の差はともかく、私たちは、当たり前のように朝、昼、夜と三度の食事をとっている。考えてみれば、いや考えてみるまでもなく、これも本当は、当たり前ではない。世界では、いまでも、およそ7億9,500万人(9人に1人)が、健康で活動的な生活を送るために必要 かつ十分な食糧を得られていないという。かつて、太平洋戦争敗戦後の日本では、食糧不足で1千万人が餓死するのではないかと言われたこともあった。私自身も大阪で餓死寸前の状態になった体験があるので、食べ物の有難さはいまも身に染みている。いまはその日本でも飽食の時代で、まだ食べられるのに捨てられる「食品ロス」は、日本だけでも年間約630万トンにもなっているらしい。この量は、飢餓に苦しむ上記約8億人への、世界全体の食料援助量の約2倍にもなり、しかもその捨てられている食料の半分は家庭からのものであるという。

 住む場所についても、私たちは、大なり小なり、雨露をしのげる家屋に住んでいるが、これも本当は当たり前ではないであろう。国連人権委員会の報告では、世界には1億人のホームレスがいるという。いまでも、世界の約60人に1人がホームレスであるというのは、驚くべき事実といわなければならない。さらに、住む家があり、3度の食事がとれている人でも、歩けない人もおれば、目が見えない人、耳が聞こえない人も無数にいる。病気で寝たきりの人々も決して少なくはない。私たちは何よりもまず、なんとか健康に、手足を動かし、呼吸をしながら生きているだけでも有り難いと思うべきではないであろうか。

 金銭やモノが多く手に入れば幸せだと思っている人が大勢いても、本来が霊的な存在である私たちは、物的な豊かさだけでは幸せにはなれないのである。本当の幸せは、むしろ金銭やモノから離れたところにある。この認識が、果てしなく強欲な富裕層のみならず、貧困層をも含めた一般庶民に至るまで広がっていくのでなければ、この世界での未来に向けての展望は開けない。経済発展至上主義に対しては、もうとっくに背を向けなければならない時機にきているのではないか。人類の繁栄をもたらしてきたといわれる資本主義が人々の欲望に対するコントロール機能を失い、国境を越えて暴威をふるうグローバル企業の増大などが、庶民の幸福感のみならず、世界の平和と安寧をも脅かし始めている現在、物から心への転換こそ、今は何よりも強く求められているように思われてならない。

 その発想の転換のためには、私たちは、自分が持っていないものをさらに欲しがったり、手に入らないのを嘆いたりするよりは、すでに持っているものを数えてみることから始めるべきであるかもしれない。それらが如何に多いかに気がつけば、感謝の気持ちも湧いてくるはずである。本当は、つぎつぎに金銭やモノを欲しがるよりは、持っているものを他人に与えることを、先ず考えるべきなのであろう。他人に与えられるのは、もちろん、金銭やモノだけではない。優しさや思いやりのこころなど、無限の愛を分かち合うことが誰にでも可能である。そして、そのような愛の実践のなかでこそ、しみじみとした幸せを味わうこともできるのであろう。そして、おそらくそれが、私たちの一人一人が、生まれる前に、この人生コースで描いてきた生き方ではなかったであろうか。





    私たちはなぜ生まれ変わるのか           (2017.03.01)
     ― 生活と文化をめぐる随想 No.112 ―


 前稿「私たちはなぜこの世に生まれてきたか」でも書いているが、私たちはこの世に生まれ、やがて死に、そしてまた、生まれ変わってくる。生命は永遠だから、死によって生命が途絶えてしまうことはないのである。この世に生まれる前にも私たちは誕生を繰り返してきたし、死をも繰り返してきた。これからも、その死と誕生を繰り返していくだろう。一体、私たちはなぜ、死と誕生を繰り返すのであろうか。本稿では、その「生まれ変わり」を中心に考えてみたい。

 「生まれ変わり」でまず思い出されるのは、古代霊ラムサのことばである。ラムサは、「あなたは誰なのか? なぜいまここにいるのか? あなたの生きている目的と運命とはいったい何なのか? あなたは自分が単なる偶然の産物であり、ほんの短い時間だけこの世に生きて、つぎの瞬間には消滅するためだけのために生まれてきたと思うのだろうか?」と問いかける。そしてつぎのように言っている。

 《あなたはこの地上界に何千回と生きているのだ。まるで気まぐれな風のように、戻っては去っていった。あらゆる顔や肌の色、主義主張や宗教を体験している。戦争を仕掛け、仕掛けられ、王と召使いの両方を同じように生きてきた。船乗りや船長にもなった。征服者や被征服者にもなった。自分の歴史の理解の中にあるすべてのものにあなたはなった経験がある。それはなぜか? 感じるため、智慧を得るため、そして、あなた自身というもっとも偉大な神秘を解き明かすためだ。》(ラムサ『新・聖なる預言』川瀬勝訳、角川春樹事務所、1996、p.71)

 このあと、ラムサは、「あなたは、膨大な時間の中で繰り返し繰り返し生きることを通じて、いまの自分であるすべてになってきたのだ。そしてその生の一つひとつから智慧を得て、あなたという独自の美しい存在をつくり出してきたのだ。永遠という時間のほんの一瞬の間のためだけに創造されるにしては、あなたはあまりにも美しく、あまりにもかけがえのない存在である」と続けている。(念のためにこの部分の原文をあげておくと、こうである。You are much too priceless, you are much too beautiful to have been created for only a moment’s siege upon the eternalness of time.)

 ラムサはこのように、私たちは、一人ひとりがみんな「あまりにも美しく、あまりにもかけがえのない存在」であるというのだが、それをどれだけの人が自覚しているであろうか。私たちは、何も知らずにこの世に誕生してくるのではない。誕生の度に、さらなる霊性向上のためにはどのような環境でどのような身体に宿るのが最も効果的であるかを自ら判断して、この世に生まれてきた。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけのことである。このこともシルバー・バーチの教えとして、前稿でも触れてきた。

 しかし、ラムサからこのように、私たちは「この地上界に何千回と生きているのだ」と言われると、やはり考え込まされてしまう。私たちの魂の奥には、この何千回の生の記録が閉じ込められているのだろうか。人類の歴史のうえでも、私たち現代人と同じグループの新人類が登場したのが20万年前くらいといわれているが、ラムサはどれくらいの視野でそのなかの人間の輪廻転生を捉えているのであろうか。ラムサはこうも言っている。「あなたは何度も何度も生きる。あなたの種は永遠不滅の存在なのだ。あなたがどんなに疑念を持とうと、自分の世界を限定しようと、どれほど心配し、絶望しようとも、あなたがけっして消せないものがある。それが、生命というものだ」。つまり、生命が消せないものである以上、生まれ変わりが続き、それが「何千回」にもなるのであろうか。

 ラムサ自身は、この地上界では一度しか生きることはなかった。ラムサのことばによれば、3万5千年前にアトランティア南部に位置していた最大の港湾都市オナイに暮らしていたという。彼は地上初めての征服者になり、当時の世界の4分の3を征服した。その後、自分自身であらゆるものの内にある神について深く理解し、初めてこの地上界から高次元に昇華したらしい。だから、ラムサはこの世での人生を一度体験しただけで生まれ変わっていない。そして、おそらくそれが一番理想的なあるべき姿なのであろう。人間は「完全な」存在になれば生まれ変わる必要はないからである。いわば、不完全だから完全を目指して生まれ変わる。その生まれ変わりの回数が、霊的覚醒の度合いによりゼロ回から何千回ということになるのである。その生まれ変わりの理由についても、ラムサはこう言っている。

 《あなたは自分がなぜいまの自分なのかわかりますか? それはほかの役割はもうほとんど体験してきていて、今回はいまの自分を体験しているからです。なぜ飢えた子どもではなく、いまのような裕福な人間に生まれてきたのでしょうか。それはあなたが裕福な人間になりたがっていた、飢えた子どもだったことがあるからです。だからいまはそうなったのです。なぜあなたは家族を養うためにパンを焼くパン職人ではないのでしょうか。それはあなたがパンを焼いて家族を養っていたパン職人だったことがあるからです。そして今度は、パンを彼から買うほうの存在になっているのです。》(ラムサ、同書、pp.236-237)

 要するに、自分の霊的進化の学びのためには、生まれ変わりを自ら選んで、富豪にも貧者にも、大会社の社長にも日雇い人夫にも、愛する者にも愛される者にも、権力者にも奴隷にもなっていくということである。このような生まれ変わりの事実は、最近数十年年来、科学の分野でも実証され始めるようになってきた。欧米の大学医学部で、「退行催眠」という精神医学の治療法が発達してきたからである。なかでもよく知られるようになったのが、アメリカのマイアミ大学医学部精神科教授の経歴をもつブライアン・ワイス博士である。博士は、自分の患者のキャサリンが、退行催眠によって過去生を明らかにしていく様子をつぎのように記録している。(ブライアン・ワイス『前世療法』、山川紘矢他訳、PHP研究所、1996、pp.232-233)

 「あなたは今まで何回生まれ変わりましたか? いつも地球に生まれていますか? それとも他の場所にも生まれたのですか?」
 「地球上だけではありません」と彼女は答えた。
 「それはどこですか? あなたはどこへ行くのですか?」
 「私はここでしなければならないことをまだすませていません。私は人生のすべてを体験しないうちは、他の場所へ進むことはできません。私はまだ終わっていません。何回も人生をくり返さなければなりません。すべての約束を果たし、すべてのカルマを返すためです」
 「でもあなたは進歩しているでしょ」と私の意見を述べた。
 「人はみんな進歩するものです」
 「あなたは地球上に何回うまれましたか?」
 「八十六回です」
 「八十六回?」
 「そのとおりです」
 「そのすべてを覚えていますか?」
 「思い出す必要があれば思い出します」

 こういう調子で、ワイス博士と退行催眠で超意識の状態にあるキャサリンとの間の会話は長々と続けられている。キャサリンは、思い出した過去生での人物になって叫んだり、泣いたり、興奮して表情を変えたりするが、生まれ変わりの回数などは、彼女が「マスター」と呼んでいる守護霊に教えられているようである。時には、守護霊が彼女の代わりに答えたりもしている。これとは別に、キャサリンは、過去生のリーディングで有名な霊能占星術師・アイリス・サルツマンのところへも訪れたことがあった。ワイス博士のところで退行催眠を受けていたことは触れず、彼女はアイリス・サルツマンによっても生まれ変わりを再確認してみたかったようである。その結果もワイス博士は、つぎのように記録している。

 ――アイリスは手を自分ののどにもってゆき、キャサリンが前世で首をしめられたことと、またのどを切られたこともあると言った。のどを切られたのは、戦争の時で、アイリスは何世紀も前に村が炎に包まれ、破壊されている状況が見えると言った。そしてその時、キャサリンは若い男性だったと言った。
 ――キャサリンはかつて海軍のユニフォームを着た若い男性であった。その時、短い黒いズボンと奇妙なバックルのついた靴をはいていた。突然、アイリスは自分の左手をつかむと、そこに鋭い何かが刺さり、手に大きな傷あとを残すようなけがをしたのだと説明した。彼女は左手にズキズキとした傷みを感じるとも言った。大きな海戦があった。場所はイギリス海岸だった。さらにアイリスは航海の人生について描写した。
 ――パリでの短い一生があった。その時、キャサリンはまたしても少年で、貧困のうちに若くして死んだ。
 ――ある時は、アメリカのフロリダの南西部でアメリカインディアンの女だったこともあった。この転生では、彼女は病気をなおすヒーラーであり、はだしで歩きまわっていた。
 ――他の転生では、キャサリンはスペイン人で、その時は、売春婦をしていた。そして、名前はLで始まっていた。また、ずっと年上の男性と同棲していた。
 ――またある時は、非常に裕福で、多くの称号をもつ貴族の私生児だったこともあった。大きな屋敷の中にあるさかずきに家紋がついているのが、アイリスには見えた。その時、キャサリンはとても色が白く、先の細い長い指先をもっていた。ハープを演奏していた。結婚は親が準備したものであった。キャサリンは動物、特に馬が好きで、馬をまわりの人達よりも大切にしていた。
 ――モロッコの少年だった時も短い一生で若くして病気で死んでいた。ある時はハイチに生まれていて、その土地の言葉をしゃべり、魔術師の一味だった。
 ――大昔、エジプト人であった時は、彼女は埋葬に関わる仕事をしていた。その時、彼女は女性で頭髪を編んでいた。
 ――また、彼女はフランスとイタリアに何回も生まれていた。ある時はフローレンスに住み、宗教に深く関わっていた。後にスイスに移り住み、尼僧院に入った。その転生では二人の息子があった。彼女は金と金の彫刻が好きで、いつも金の十字架を身につけていた。フランスでは、冷たい牢屋の中に閉じ込められていた。
 ――また、ある時は赤いユニフォームを着た男性で、馬や兵隊と一緒だった。ユニフォームは赤と金色で、多分それはロシアだろうということだった。またある時は、古代エジプトにおいて、ヌビア人の奴隷だったこともあった。その時は、捕えられて牢獄に入れられた。日本の男性に生まれた時は学者で、教育に携わっていた。学校関係の仕事をして、非常に長生きをした。
 ――もっと近い過去生では、ドイツの兵士だった。その時は戦闘において殺されている・・・・・・。

 ワイス博士は、霊能者のアイリスが、キャサリンの過去生をこのように次々と明らかにしたことについて、「私はアイリスが過去生のことをあまり詳しく描写していたので感心してしまった。キャサリンが催眠時に思い出した過去生との符合は驚くほどだった」と述べている。キャサリンが海戦で手を負傷したことや、その時着ていたものや靴のこと。スペインの夜の女であったルイザの人生、エジプトの埋葬に関わったアロンダの人生、若いヨハン、その時彼女はスチュアートの前世である人物にのどをかき切られて殺されている。それにドイツのパイロット、エリックの暗い人生等々、これらすべてのことは、キャサリンが催眠時に思い出した過去生と符合していたのである。(ブライアン・ワイス、同書、pp.246-249) そして博士は、「もちろん、このような体験が科学的に有効な実験だと言うつもりはない。条件を一定にすることは不可能だからだ。しかし、これは実際に起こったことであり、これを書き記すことは重要だと思う」と付け加えている。

 この生まれ変わりについては、私自身にも数十回の記録がある。亡くなった妻と子の行方を探し求めて、何年もの間、数十人の霊能者に接触している間に、私の生まれ変わりについても度々聞くようになっていた。そのうちの二十数回分を、2011年6月刊行の『天国からの手紙』(学研パブリッシング)のなかで、編集協力者の宇田依里子さんが付表にまとめてくれている。「現家族の過去世における関係性」と題したこの付表には、アトランティス時代以降の、私と家族の生まれ変わりの模様を年代順に略記してあるが、それが数十回の記録のうちの二十数回分である。私はこの本の「あとがき」のなかで、「生まれ変わりというのは、事実であるにしてもいろいろな見方がある。この付表は、あくまでもひとつの参考例としてご覧いただければ幸いである」と、書いた。

 私が数多くの霊能者と接触してきた経験からいっても、過去生を的確に捉えることのできる霊能者は決して多くはない。ロンドンで付き合っていたアン・ターナーも、過去生については「専門外」だと言っていた。逆に、優れた霊能者であるT氏のように、イスラエル、ロンドンでの私との邂逅をかなり具体的に話してくれる人もいる。なかでも私が長年教えを受けてきたA師は、過去生を読み取ることができる数少ない霊能者の一人である。そのA師によれば、私の今回のこの世での生まれ変わりは、18世紀のイギリスでの前世と深いかかわりがあるという。A師はそれを、つぎのように言った。

 《あなたは、主に、ロンドン市内に暮らしていました。名前は「ジェームズ」という響きが感じられます。そのように聞こえるのですが、多分ジェームズという名前だったのでしょう。1685年、1687年ぐらいに生まれ、1760年代後半から1770年代前半まで生きていました。もちろん男性でした。学者でした。法律そのものではなかったのですが、法学と文学の方面での仕事をしている研究者でした。英国学士院と、それから、英国の宮廷に関わるアカデミー、王立のアカデミーでしょうか、そこの会員でした。実はここに入っている間に、心霊学や精神世界に関わるようになったのです。そこの会員の中に、このような霊学に興味を抱いている人が何人かいたからです。あなたは最初、軽蔑し、怪訝な顔をしてそれを外から観察していました。少しずつ興味を持ち理解するようになりましたが、自分の立場を考えて踏み込んだことはしませんでした。》 (1994. 9. 12)

 私は、実は、今世の生まれ変わりが18世紀イギリスでの前世とのつながりが深いと聞いて、1994年から5年間にわたって、意図的に執拗に繰り返し、イギリスの前世のことを聞き出そうとしてきた。ほぼ一年くらいの時間をおいて聞き直したことが、どの程度一致するか、あるいはまったく符合しないか、確かめたかったからである。「ジェームズ」という名前は、毎回一致し、年代もほぼ符合している。英国学士院会員も間違いないようである。職業も法律関係でほぼ一致し、T氏も、厳格な裁判官であったと言っていた。そして、そのような前世での私が、霊的真理に関心をもちながらも、地位や評判を失うことを恐れて真理普及の使命を果たさなかったことが今世での生まれ変わりにつながっている、ということも毎回のように聞かされていた。その状況は、私の生まれ変わり以外の、大量の妻と子からの霊界通信の内容とも矛盾していない。例えば、霊界の長男・潔典からの通信でも、今生で体験した事件に関して、後につぎのように言われたことがあった。

 《お父さんなら、頭も聡明で、苦しませるのは高い霊たちにとっても辛いことで、決断を要したということです。でも、必ず目覚めて立ち直る人だということがわかり、一人の苦しみが何百、何千人、いや何万人の人たちの魂を目覚めさせ、同様の苦しみや悲しみのなかで沈んでいる同胞に慰めと魂の癒しをもたらすことを、その聡明さによってやってくれるということが期待されたからです。僕は純粋だからということで、その純粋さを保持してほしいというので、早々と引き上げさせられました。あまり世俗の垢にまみれてほしくないということのようです。お父さんは僕に、仕事や勉強など、とりわけ語学の面と国際文化の領域で跡を継ぎ、活躍してほしいと期待をかけてくれていました。でも守護霊たちがが、もっとあの世のことに精通するほうへと導いていき、たいそう大きな力が働き、このような具合に流れ上、なってきました。》(1999.06.05)

 1983年9月1日の大韓航空機事件で、妻と長男をなくしたことは、私の人生の最大の試練であった。長年の間、悲嘆の底に沈んでいたが、1992年2月にロンドンの大英心霊協会でアン・ターナーと出会って、私は生き返ることができた。その時は、1991年4月からの1年間のロンドン大学客員教授を終えて帰国する数週間前であったが、心霊協会の別の霊能者からは、あなたはこれから教師になると言われたことがあった。私が、実は私の職業は教師なのだと答えると、その霊能者S氏は微笑んで、「私が言っているのはそう意味ではない」と言った。私が帰国して以来、真剣になって霊的真理を学び、本や雑誌に書き、講演などもするようになることを、S氏は見通していたのかもしれない。そのことを、A師からも、つぎのように言われている。

 《今回の人生ではより積極的で意欲的になってきています。当時(18世紀の前世)、あなたは守るものが余りにも多かったのです。そして、踏み込んで行くには用意が出来ていませんでした。非常に自信家で高慢なところがある人でした。今回は、非常につらい状況下で、謙虚さと信仰と素直さを学ばせられたということがありました。それだけあなたの魂が成熟し、用意が出来てきていましたので、そのような試練とテストに耐え得ると天でみなされたために、そのような出来事があなたの身の上に起こったのです。そしてあなたは非常に稀な一人として、そのテストに合格した一人です。それは、それだけあなたが今回、天からやってほしいと願われている使命を賦与されて生まれてきた人だからです。でなければ、そのようなむごいことを天は為されなかったでしょう。》 (1994. 9. 12)

 私が今回、この世に生まれ変わってきた理由は、もちろん、大きなショックによって高慢な性格を直し信仰と素直さを学ぶということだけではないであろう。しかし、それらをも含めて、少しでも霊的真理に目覚め、霊性が高められることを目指して生まれてきたことには疑いを挟む余地はない。私のみならず、人々はすべて、このようにして生まれ変わるたびに少しずつ学びを深め霊性を高めていく。不完全から一歩一歩、完全へ近づいていくのである。そして遂には、生まれ変わる必要がない境地にまで達することになるのであろう。その意味でも、私たちは、一人一人が、長い霊的巡礼の途上にある旅人のようなものである。

 旅を続けながら、中には足取りの早い人もあり、遅い人もある。もうすでに到達点に近い人もいれば、途中で迷ったりして遅れてしまっている人もいるであろう。つまり、霊的進化の点では、決してみんな「平等」なのではない。しかし、遅かれ早かれ、やがては到達点に達することになるという点では同じである。それを、このようにも譬えて言えるかもしれない。私たち一人ひとりは、いわばダイヤモンドの原石である。研磨が重ねられて光輝を放っているものもあれば、埃にまみれたままで光沢が顕れていないものもある。研磨次第で、それぞれの輝き方は同じではない。しかし、繰り返し磨いてさえいけば、いずれは燦然と輝くダイヤモンドであることには変わりはない。だから私たちは、その研磨のために生まれ変わりをくり返す。私たち本来の光の存在に還っていくためである。はじめに掲げたラムサのことば、「あなたはあまりにも美しく、あまりにもかけがえのない存在である」というのも、そういう私たちの霊的本性の姿を意味しているのではないであろうか。