(寄せられたお手紙のなかから)


      1974年度オレゴン大学研究員 0氏夫人

 あの頃の(パタソン・スクールに通っていた頃の)潔典君は、スポーツが大好きで、宿舎の芝生でダスツンを相手に、よくサッカーやバスケットボールをしていたのを思い出します。そしてユジーンを発つ時、「おばさん、ぼくね、自分のベッド・ルームの柱に、KIYONORIと書いたんだよ。大きくなったらもう一度アメリカに来て、ここへこの柱のサインを見に来るよ」とおっしゃつたことばが、今も忘れられません・・・・・・・




              東京外国語大学 T君

 半田先生のゼミは武本君が一番熱心に出ていた授業であったようですし、また先生の方でも、優秀な武本君を可愛がっておられました。
 
 同じ英語学を志した学徒としても、彼を失った悲しみは言葉には尽くせぬものがありますが、彼の分も精いっぱい頑張ろうと、来春の大学院の受験を目標に毎日はげんでおります・・・・・・
 




           東京外国語大学 丁教授

 ついにお目にかかる機会がありませんでしたが、悲痛きわまりない御手記によって、何と立派な奥様であり、優秀な御令息であったことか、あらためてうかがい知ることができ、運命の無慈悲さを思わないではいられません。

 それにつけても思い出されるのは、あの事件の後、大学内の会議があった際に事件のことが話にのぼり、その時、音声学の竹林滋さんが、「武本君は私のゼミで一番優秀な学生だったので、がっかりしました。あのままいったら、外語と東大の大学院は両方とも合格するのはまちがいないのに」と語っていたことです。本当に惜しんでもあまりあることです・・・・・・・

                     




        札幌北高校時代の同級生 H さん

 私は札幌北高で3年生の時、武本君とはクラスメートでした。私自身、武本君の悲報は非常にショックで、何度か伺おうとしながら、心のどこかで事実を認められず今日に至ってしまいました。こうして遅ればせながらもペンをとることができたのは、つい今しがた「潮」9月号を読んだからです。涙が止まりませんでした。あんなに明るく素直な心の持ち主を私は他に知りません。

 高3の時、私の志望校は東京外大でした。国連で働きたいと思っていたからです。受験勉強中はよく英語をききに行くと、武本君に答えられない問題はまずありませんでした。この人にはかなわないな、と幾度となく思わされました。

 その後私は、女性で国連入りを果たした人の助言で、志望を北大に変えましたが、「東京外大に行かなくとも四年後には負けないよ」などと(今思えば冷汗ものの)豪語を私がしたことに対しても、彼は笑いませんでした。真面目に感嘆されて赤面したのを覚えています。他の人なら笑い飛ばしたことでしょう。

 今、私は卒論に取り組んでいます。テーマは「大韓航空機事件」です。私は法学部なので、国際法、比較法的立場から事件の責任を追及する観点へのアプローチになると思います。269名の犠牲を黙って悲しむだけには終らせません。決して風化はさせません。
 九月になったら、宗谷岬まで行ってみようかと思っています・・・・・・・・




             東京外国語大学 T さん

 潔典さんとはバドミントンの合宿や語劇などでご一緒させていただくことが多く、高中正というミユージシヤンのテープや、1年生の時に小さなサンタクロースに入ったチョコレートを頂き、今も持っております。
 潔典さんはバイタリティーのある方で、勉強、スポーツ、音楽、読書など何にでも打ち込んでおられる様でした。社交的で礼儀正しく、明るくて人に弱い所をあまり見せない方でした。子供っぼい正直さのようなところも多少ありましたが、憎まれないお人柄だったと思います。
 1、2年生の時は、4、5人で品川プリンスホテルにスケートに行ったり、高尾山に登ったりしたこともあり、とても楽しい思い出を作って下さいました。今でも、ひょっこり学校に姿を現わしそうな気がしてなりません・・・・・・・・




            東京外国語大学 S さん

 潔典君とはそんなに親しかったわけではありませんが、潔典君の性格が明るくて、人を楽しませる人柄だったので、同級生の全員が潔典君のことが好きだったと思います。それに潔典君は勉強好きで、頭もきれる人でしたから、よけいに何と大切な人を失ってしまったのだろうという思いが強くいたします・・・・・・・・・

 




             東京外国語大学 0 さん

 私はいまだにこの出来事が信じられず、悪い夢を見ているようでございます。クラスの男子の中でも、私は特に潔典さんとは親しくさせていただいておりました。いつも馬鹿な冗談を言い、ふざけ合ったものですが、私にとってはかけがけのない男友達の1人であり、また私もあんな風にキラキラとした人間になりたいといつも思っておりましたのに・・・・・・

 私は潔典さんやお母様がきっとどこかに流れついて無事に生ぎていらっしゃるという気がしてなりません。何十年も経ってから、ひょっこり潔典さんが私たちの前に現れて、いたずらっぼい笑顔を見せながら「久しぶりだね」なんて言いそうな気がしてならないのです・・・・・・・・・