1,  どうぜ彼らだって死ねばわかることですから
     ―エリザベス・キュブラー・ロス(1926〜2004)

 エリザベス・キューブラー・ロス(1926-2004)は、アメリカのシカゴ大学精神医学部教授を勤め、末期ガン患者をどのように看護するかというターミナル・ケアの世界的な権威として有名であった。彼女は、患者の臨死体験の例を二万件も集めて、世間の無知と偏見のなかで、生命は不滅であり、人間は「死んでも」永遠に生き続けることを人々に説いてまわった。

  しかし、やがて、彼女は悟るようになる。人間は死後も生き続ける。本来、死というものはないのだということは、聞く耳を持った人なら彼女の話を聞かなくてもわかっている。しかしその一方で、その事実を信じようとしない人たちには、二万はおろか百万の実例を示しても、臨死体験などというものは脳のなかの酸素欠乏が生み出した幻想にすぎない、と言い張るのである。

 彼女は、臨死体験の例を集めて「死後の生」を証明しようとする努力をついに二万件でやめてしまった。その彼女が、少し自嘲気味に洩らしたのが、このことばである。「わかろうとしない人が信じてくれなくても、もうそんなことはどうでもよいのです。どうせ彼らだって、死ねばわかることですから。」(『死ぬ瞬間と臨死体験』鈴木晶訳、読売新聞社、1997、p.129) [2015.05.22]




 2.あなたの眼が明るく開かれていれば
   出会うものはすべて宝になります

     ― 空海(774−835)

 この前に、「あなたの心が暗闇であれば、出会うものはことごとく禍いとなります」ということばがある。眼が開かれてさえいれば、すべて宝となるはずのものも、自分の心が暗闇であれば、それらはことごとく禍にしかならないというのである。「性霊集」から。

 だから、空海は、「正しい道は、遠くにあるのではありません。あなたの心ひとつで、目の前に開かれるのです」(「一切開題」)ともいう。このようなことばは、いろいろな場面で、いろいろな人から言われてきたが、どこかで私たちは、きちんと受け止めておかねばならないのであろう。 [2015.05.29]




 3.見るべきほどの事は見つ 
   今はただ自害せん
        ―平 知盛(1152〜1185)

 寿永4年(1185年)3月24日、平家一門は、壇ノ浦の戦いで鎌倉軍と最後の戦闘に敗れ、追い詰められて入水による滅びの道を選んだ。安徳天皇、二位尼らが入水し、平氏滅亡の様を見届けた知盛は、乳兄弟の平家長と手を取り合って海へ身を投げ自害した。34歳であった。

 そのとき知盛は、「見るべき程の事は見つ。今はただ自害せん」と言い残したという。自害にあたり、生きたまま浮かび上がって捕らわれ晒し物になるなどの辱めを受けるのを怖れて、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にしたとも伝えられている。

 知盛はすでに、一ノ谷の敗戦で自分の身代わりとなった子供の知章を討ち死にさせていた。武勇の将であった34歳の知盛の、この「見るべき程の事は見つ」という 最後の諦観のことばを、私は時折反芻する。その度にこのことばは、あの『平家物語』の冒頭の一句、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」と重なり合って、切実に胸に迫ってくる。 [2015.06.05]




 4.腹が立った時は何も言ってはいけません
   何もしないほうがいいのです
            ―ティク・ナット・ハン(1926〜 )

 ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン師は、ベトナム戦争中は戦禍をくぐりながらどちらの側にも立たず、非暴力に徹した社会活動を推進した。1982年に南フランスにプラム・ヴィレッジを設立して社会的活動を継続するほか、その教えにひかれて集まる多くの人々への瞑想指導を始める。1967年度のノーベル平和賞の候補となり、プラム・ヴィレッジを西洋で最も大きく活動的な仏教僧院へと成長させた。アメリカの連邦議会で瞑想を指導したこともあり、世界中の多くの人びとをいまも導いている。私たちは腹が立ったらどうするか。師は冒頭のことばをつぎのように続けた。

 自分に戻って、ゆっくり息を吸って息を吐きます。それを何回か繰り返して、何か行動を起こす前に怒りの面倒をみてあげます。これは平和の行動になります。
 すぐに反応したりしないんです。自分の怒りの面倒の見方を知っていれば、ゆっくり呼吸しながら「今のはカチンときた。でも別に反応して行動する必要はない」と思われますし、「この人はいま幸福でないからあんなことをしたのだ」と思えますから、その人に対して思いやりをもち微笑むことができます。これは大きな勝利です。(NHK『こころの時代』「怒りの炎を抱きしめる」2015.05.07より)  [2015.06.12]




 5.あなたの先祖はみなあなたの中にいます
   あなたの細胞ひとつひとつの中に生きています
 
   ―ティク・ナット・ハン(1926〜 )

 もうひとつ、ティク・ナット・ハン師のことばを取り上げる。師が設立した南フランスの仏教僧院プラム・ヴィレッジでの集会で、出席者の一人が、「どうしたら自分を大切にできるのでしょうか。自分はそのような愛にふさわしいとは思えないのですが」と師に問いかけた。ティク・ナット・ハン師は、「あなたはなぜそのように愛を拒否するのですか」と言って、冒頭のことばを述べた。そして、その後をこう続けた。

 彼らは生きている間、十分な愛を受け取っていなかったかもしれません。でもあなたはいま愛の実践ができるのですから、自分を愛することでご先祖にも愛を与えてください。あなたは独立した存在ではなく、親と先祖の継続ですから、自分を愛し大切にすると、あなたの中の親と先祖を労わることができます。それが彼らへの優しさです。そういう実践は、同時に、まわりの人びとへの優しさでもあります。
  (NHK『こころの時代』「怒りの炎を抱きしめる」2015.05.07より)    [2015.06.19]




 6.盲目であることは悲しいことです。
   けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。

                                   ― ヘレン・ケラー (1880〜1968)

 ヘレン・ケラーはアメリカのアラバマ州で生まれたが、1882年、生後19か月の時に高熱にかかり、かろうじて一命は取り留めたものの、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。三重苦を背負ったまま、盲学校で訓練を受け、1904年にラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)を卒業してからは、教育家、社会福祉活動家、著作家として障害者の教育・福祉に尽くした。明日6月27日は彼女の誕生日にあたる。

 「目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです」ということばには、深い意味が感じられる。彼女は、「障害は不便ですが、不幸ではありません」(A handicap is inconvenient, is not a misfortune, though.)とも言っているが、少しも障害のない体でいることが、不自由がなくても、あるいは不自由がないがゆえに、かえって不幸であることもあるのであろう。彼女は1937年以来、日本へも3度訪れ、障害者との交流を深めて各地を講演してまわった。その社会的貢献に対して、日本政府は、彼女の死後、勲一等瑞宝章を贈っている。   [2015.06.26]




 7. 人間は何か問題がある方が良い。
   問題があるからそれを解決するために努力をする。そして自分が向上する。

                                            ― 大空澄人氏の「霊界便り」より

 大空澄人氏の格調高いホームページには、私たちが学ぶべき貴重な霊的真理が数多く宝石のように散りばめられている。これはその中の一つ、「続・いのちの波動」(2015.06.10)に載せられた霊界におられる氏のお父上からのことばである。シルバー・バーチの「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたものすべてが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです」という教えが改めて思い出される。この氏のお父上のことばは、さらにこう続けられている。

 「何も問題がなかったら人間は進歩しない。後で霊界に来た時にかつての問題に対して感謝するようになるだろう。それが自分を成長させてくれたことがわかるからだ。」      [2015.07.03]




 8.苦しみに会ったことはわたしにとってしあわせでした。
                                       ―星野富弘(1946〜 )

 星野富弘さんは重度の障害者で、首から下は自由にならない。その彼が口に絵筆をくわえて美しい草花の絵を描くようになり、それに詩を書き添えて何冊もの詩画集を世に出した。やがて星野さんはクリスチャンになり、教会で結婚式をあげる。そのときに参会者に配られた色紙に書かかれていたのがこのことばである。全文は、「わたしはあなたのみおしえを喜んでいます。苦しみに会ったことはわたしにとってしあわせでした」である。

 人は失ってからはじめて失ったものの価値に気づくといわれる。星野さんの詩にも、「神様がたった一度だけこの腕を動かしてくださるとしたら母の肩をたたかせてもらおう」という詩がある。しかし彼の場合はそれだけではなかった。それがこの「苦しみに会ったことはわたしにとってしあわせでした」に表されている。星野さんが、中学校の体育教師の時にクラブ活動の指導中、頸髄を損傷して手足の自由を失ったことの意味はなんであったかを深く考えさせられることばである。    [2015.07.10]




 9. 憂き事のなほこの上に積れかし、限りある身の力ためさん
                                               ―山中鹿之助(1545?〜1578)

 山中鹿之介は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の優れた武将で、「山陰の麒麟児」などといわれた。尼子十勇士の筆頭として毛利氏に滅ぼされた尼子家再興のために、「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話はよく知られている。かつて新渡戸稲造は『武士道』のなかで、この毛利氏との戦いに敗れていく山中鹿之助の姿をつぎのように描いた。

 彼は次々と戦いに敗れ、山野を彷徨し、森から洞窟へと追いつめられた。そしてついには刀欠け、弓折れ、矢尽きて、ただ一人ほの暗い木のうろで空腹に耐えかねているおのれを見出した。 ・・・・・だがこのサムライはここに及んでも死ぬことは卑怯だと考えた。そして、キリスト教の殉教者の不屈の精神に近い心境で一首を詠じてみずからをはげました。「憂き事のなほこの上に積れかし、限りある身の力ためさん。」

 私は高校時代にこのことばに接して、それ以来、何か辛いことがあるような時には、時折このことばを思い出すことがあった。ただ、これは熊沢蕃山のものだという説がある。熊沢蕃山は江戸時代初期の陽明学者であるが、岡山藩の大胆な藩政改革を推し進めて守旧派の家老らと対立し辛苦を重ねた。朱子学を官学とする幕府側の保科正之・林羅山らの批判も受けて、遂に岡山藩を去っている。『蕃山全集』第七冊にこの歌が掲載されているというから、熊沢蕃山説には根拠があると言えそうである。    [2015.07.17]




 10.盗まれても微笑んでいる者は盗人から少しでも取り戻す。
    嘆いてばかりしている者は盗まれ損をするだけだ。

                         ― シェイクスピア(1564〜1616)『オセロ』より

 これは『オセロ』の第一幕第三場に出てくる言葉である。才色兼備の娘を黒人の将軍オセロの策略で奪い取られると勘違いしたデズデモーナの父親がベニス公に訴え出た。その時にベニス公が、デズデモーナの意志を確認した上で父親に諭して言ったのがこのことばである。盗まれても微笑むというのは容易ではないが、結局は、それが痛手から立ち直るためには最も有効であるかもしれない。時には小さなしあわせをもたらしてくれることもあるような気がする。

 高校生の頃にこのことばに接して以来、自分自身について、あるいは、まわりの人びとを見ていて、何度もこのことばをあてはめて考えたみたことがあった。特にモノに関しては「盗まれるようなモノには本来なんの価値もない」と単純に割り切ることもできる。やはり、盗まれることをどう捉えるかが大切なのであろう。原文は次のとおりである。

  The robbed that smiles steals something from the thief.
  He robs himself who spends in bootless grief.
              [2015.07.24]




 11. 一粒の麦もし地に落ちて死なずにあらば、ただ一つにてあらん。
    もし死なば、多くの実を結ぶべし。

                               ― 「ヨハネ」12:24

 このイエスのことばは、むかし学生の頃、フランスの小説家アンドレ・ジッドの本で出会って強い印象を受けた。聖書の記載では、このことばを口にしたとき、イエスは弟子ユダの裏切りにより、自分がまもなく捕えられて十字架にかけられることを知っていた。だからイエスは、この時、自分がまず地に落ちて死ぬ一粒の麦になることを告げていることになる。このイエスの死により、イエスの教えは燎原の火のように広がり、キリスト教は世界の宗教になっていった。

 聖書では、イエスはこのことばのあとに、「自分の命を愛する者はそれを失い、この世での自分の命を嫌う者は、それを保って永遠の命に至るであろう」と続けられている。「自分の命を愛する者」とは、死のうとしない一粒の麦であり、「自分の命を嫌う者」とは「死ぬことを選ぶ一粒の麦」である。翻訳の問題もあるが、このようにイエスのことばとして、この世の命と永遠の命を対比させているのは、この場合、真の信仰に目覚めさせるためのキリスト教のレトリックと考えればよいのであろうか。            [2015.08.01]




 12.こまったことがたくさんあっても
    たくさんのたからものにかわる

                             ― 堀江菜穂子『さくらのこえ』より

 脳性まひのため寝たきりのベッドで詩を書き続けているという堀江さんが、昨年秋に20才を迎えて全51編の詩集を仕上げた。自宅で両親と暮らす彼女は、手足はほとんど動かず、言葉は話せない。その彼女が、「わたしのしをよむすべての人たちに わたしがたちなおったように あきらめずにいきて」とこの詩の読者に呼びかけている。(「朝日」2015.07.29) この寝たきりのベッドの上からの呼びかけのことばの重みをかみしめたい。冒頭の2行のあとに続くのは次のことばである。

 いまはつらくてこんなんでもね
 きっとあなたのたからものになる
 だからゆっくりがまんして
 のりこえたなら
 まえよりおおきな あなたになれる
                                   [2015.08.14]




 13.足るを知る者は富む
                        ―老子(生没年未詳)

 「知足者富」(足るを知る者は富む)は中国春秋戦国時代の思想家・老子のことばといわれている。 「足るを知る」という短縮形で私たちも聞き慣れているが、もちろんこれは、欲がなく満足することを知っている者は心豊かに生きることができるという意味である。英語にも Content is a kingdom.(満足は王国である)という似たようなことばがある。しかし、足るを知ることはなかなか容易ではない。そして、おそらく、足ることを知らないために、この世の多くの不幸や、争いが起こっているように思われる。

 いまの世の中の仕組みでは、まわりにモノが溢れているのに、なお次から次へとモノを買っていくことが助長されている。そのためにもっともっとカネを持ちたいという欲望が煽られている。そういう社会にどっぷりと浸かって生きていれば、しらずしらずのうちに、モノやカネが無いのが不幸であると思い込むようになるのであろう。しかし、人間はモノやカネがあるから幸せになるのではない。むしろ逆で、足るを知らず、モノやカネを血眼になって追いかけているうちにこころの豊かさからも幸せからも遠ざかっていくのかもしれない。
                                  [2015.08.21]




 14. 明日のことを思いわずらうな。
    あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
    一日の苦労は、その日一日で十分である。

                                     
― 「マタイ」6:34

 むかしは、このことばの響きに魅せられて、折にふれ口ずさむこともあった。しかし、まだその意味については理解が浅かったような気がする。いまは、これもまた真理のことばのひとつとして、こころに深く受け止めるようになっている。

 明日のことを思い煩うというのは、いつの世でも、誰にでもみられる、ごくありふれた情景であるかもしれない。しかし、苦境に陥っても、ただ明日を思い煩うばかりでは決してポジティヴな展望は開かれないようである。それは思い煩う者の魂を委縮させ、生命力さえ弱めてしまう。苦境そのものよりも、むしろ思い煩うことの弊害のほうが大きいのであろう。ここでは、イエスはさらに、こうも述べている。

 野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。(「マタイ」6:28-30)
                                                 [2015.08.28]




 15.失敗の連続もかなわないが、成功の連続もあぶない話である
                                ―松下幸之助(1894〜1989)

 「失敗は成功のもと」などといわれて、失敗者を励ます言葉は世に多いが、成功の連続も望ましいことでないという捉え方は珍しいかもしれない。いわれてみるとその通りで、納得できるような気がする。謙虚さを失ってしまえば霊性は落ちる。霊界からの援助も期待できないであろう。松下幸之助のこの語録は次のような文脈で語られた。

 失敗するより成功した方がよい。
 だが、三べん事を画して三べんとも成功したら、これはちょっと危険。
 ともすれば謙虚さがなくなって、他人の意見も耳にはいらぬようになる。
 だから、どんなえらい人でも、三度に一度は失敗したほうが身のためになりそうである。
 そしてその失敗を、謙虚さに生まれかわらせたほうが、人間が伸びる。
 失敗の連続もかなわないが、成功の連続もあぶない話である。
                                              [2015.09.04]




 16.涙があるからこそ、私は前へ進めるのだ
                      ―ガンディー(1869〜1948)

 モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)は一般的には"マハトマ・ガンジー"の通称で知られている。"マハトマ"というのは尊称であり、「偉大なる魂」という意味である。「非暴力、不服従」によってインドの独立に成功し、この思想は、植民地解放運動や人権運動における平和主義的手法として、世界に大きな影響を与えてきた。「最高の道徳とは他人への奉仕、人類への愛のために働くことである」という彼の信条は、シルバー・バーチの教えを思い起こさせる。冒頭の一行を含めてこのことばは次のように述べられた。

 束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
 悲しみがあるからこそ、高く舞い上がれるのだ。
 逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
 涙があるからこそ、私は前へ進めるのだ。
                                          [2015.09.11]




 17.私はこの世界に何かをやりとげるために生まれてきたのだ
                    ―野口英世 (1876〜1928)

 野口英世は日本では最も人気のある科学者の一人で、千円札の肖像画にもなっている。福島で生まれて1歳の時に囲炉裏に落ちて左手に大やけどをした。15歳で手術を受けて指が動かせるようになったことに感激して、医師を目指すようになる。苦学の後に渡米して、梅毒スピロヘータの研究で世界的に有名になったが、ガーナで黄熱病研究中に自らも感染して死亡した。

 私たちは不完全な存在であるがゆえに、輪廻転生を繰り返してこの世に生まれてくる。不完全なところを少しでも無くしていくために、さまざまな体験をしながら学んでいく。それがこの世に生まれてくることの目的であるといってよいであろう。だから完全になれば、もうこの世に生まれてくる必要もない。私たち霊界について学んでいる者は、そのように教えられてきた。野口英世に限らず、実は私たちすべてが、霊性向上を目指して「何かをやり遂げるために」自ら両親を選んでこの世に生まれてきたはずなのである。
  [2015.09.18]




 18. 父母に棄てられた子は、家を支える柱石となり、
    国人に棄てられた民は、国を救う愛国者となり、
    教会に棄てられた信者は、信仰復活の動力となる。

                         ―内村鑑三(1861〜1930)

 内村自身は、父母に棄てられたことはないが、国人に棄てられ、教会に棄てられた苦しみを体験している。第一高等学校講師の時には、教育勅語への拝礼を拒否して免職となり、日露戦争では非戦論を主張して「国賊」呼ばわりされた。熱心なキリスト教信者であったが、「無教会主義」を唱えて、世の教会からは白眼視された。逆境にあっても、非難を浴びても、むしろそれが故に、不屈不撓の精神と志を高く持つことによって救いがもたらされることを訴えているといっていいであろう。
  [2015.09.25]




 19.下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。
    そうしたら、誰も君を下足番にしてはおかぬ。

                     ―小林一三(1873〜1957)

 小林一三は山梨生まれの実業家で、阪急電鉄社長になり、宝塚少女歌劇、東宝映画などを創設した。戦前の内閣で商工大臣、国務大臣を務めたこともある。私鉄経営で手腕を発揮し、「乗客は電車が創造する」という名言を遺した。沿線の地域開発により人口が増加し、その住民の需要を満たすために住宅団地を開発するなど、日本の私鉄経営モデルの祖としても知られている。

 下足番を命じられて、不平不満の仕事ぶりを続けるような人は、おそらくほかの仕事をやらされてもまともにはやれない人であろう。同様のことを小林は「サラリーマンに限らず、社会生活において成功するには、その道でエキスパートになる事だ。ある一つの事について、どうしてもその人でなければならないという人間になることだ」とも言っている。「カネがないから何もできないという人間は、カネがあっても何もできない人間である」という言葉もある。これも名言である。
 [2015.10.02]



 20. 人生は一種の苦役なり。
    ただ、不愉快に服役すると
    欣然として服役するとの相違あるのみ。

                       ―徳富蘇峰(1863〜1957)

 徳富蘇峰は熊本生まれの評論家、歴史家として著名である。明治時代に雑誌「国民の友」と新聞「国民新聞」を創刊し、進歩的平民主義の立場で世論の動向に大きな影響を与えた。彼の著作『近世日本国民史』は全100巻で、その執筆に34年を費やしたといわれる。冒頭のことばには、このような執筆体験も裏打ちされているのであろう。「欣然として服役する」気概がなかったら、この超大作を生みだすことはできなかったにちがいない。

 霊的観点からみても、人生は確かに一種の苦役である。しかし苦役であるからこそ、そこに私たちがこの世に生まれてきた意味があるのであろう。それを「不愉快に服役」すれば、生まれてくる意味は見失われてしまう。苦役を克服していくことで私たちは霊性を向上させ、多くの実りを得ることも期待できる。「欣然として服役する」態度と気概が、私たち一人一人にも求められていると考えていきたい。
 [2015.10.09]