21.はだかにて 生まれてきたに 何不足
―小林一茶(1763〜1828)
一茶は、信濃北部の北国街道(現長野県上水内郡信濃町)の中農の長男として生まれたが、3歳の時には生母を亡くしている。8歳で迎えた継母に馴染めず、安永6年(1777年)、14歳の時、江戸へ奉公に出た。享和元年(1801年)、39歳のとき帰省して病気の父を看病したが1か月ほど後に死去、以後遺産相続について継母と12年間争った。遺産の半分を貰うことに成功したが、その取り分は村では中の上ぐらいの持ち高だったという。この句は、そのような継母との確執が背景になっているように思われる。
金銭で争うのは、醜く苦しい。考えてみれば、私たちはみんな生まれるときは裸で無一物である。それなのに、世の中で生きているうちにいつのまにか物欲に染まって、カネやモノを少しでも多く持ちたいと血眼になったりする。死ぬ時には、また無一物で裸で死んでいくのにである。私たちが学んできたように、本当の富は霊的本性の中に蓄えられたものだけであり、私たちの価値はそれ以上のものではなく、それ以下のものでもない。人間の物的欲望、富の蓄積は本来何の意味も持たないことを、忘れないようにしたいものである。
(2015.10.16)
22.私に頼ってくる人を、見捨てるわけにはいかない。
でなければ、私は神に背く。
―杉原千畝(1900〜1986)
杉原は1939年(昭和14年)にリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理となり、8月28日にカウナスに着任する。着任直後の9月1日にナチスドイツがポーランド西部に侵攻して第二次世界大戦が始まった。カウナス周辺には、大戦中、ナチスドイツとソ連の迫害を受けてヨーロッパ各地から逃れてきた多くのユダヤ系難民がいた。日本通過ビザを求めて日本領事館へ殺到してきた彼らに、杉原は日本外務省の指示に反してビザを発行し続けた。そのために救われた人命は6000人にもなったという。
杉原は、東京の学生時代にキリスト教と出会っていた。バプテスト派の宣教師ハリー・バクスター・ベニンホフの影響で、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という「ヨハネ伝」(15:13)のことばにも親しんでいたといわれる。冒頭のことばが口に出た時、杉原にはこのヨハネ伝の章句が心に響いていたのかもしれない。日本では、政府の訓令に反したことで非難を浴びたが、1985年(昭和60年)1月、イスラエル政府は杉原に、日本人では初で唯一の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を贈った。
(2015.10.30)
23. いのちが一番大切だと思っていたころ、
生きるのが苦しかった。
いのちより大切なものがあると知った日、
生きているのが嬉しかった。
―星野富弘(1946〜 )
世間ではよく、「何よりもお体を大切に」と言ったりする。だから、この「いのちが一番大切だと思っていたころ」の「いのち」は、「身体」と置き換えてもいいかもしれない。星野さんは、中学校の体育教師として、何よりも大切だと思っていた身体が、クラブ活動の指導中、頸髄を損傷して手足の自由が奪われてしまう。どんなに辛かったことであろう。しかし、星野さんはやがて神の愛に目覚めてクリスチャンになる。神こそは、「いのちより大切なもの」であった。
スピリチュアリズムの観点からは、一番大切だと思っていた「いのち」は、「この世のいのち」と捉えてみることもできる。この世のいのちがすべてで、それが終われば灰になるだけだとすれば、生きるのが苦しいのも当然であるかもしれない。刹那的な快楽を求めるばかりで、苦しみから学ぶという希望への歩みには思い至ることがない。実は、私たちはみんな、そんな「いのち」ではなく、「永遠のいのち」をもっているとわかったとき、「生きている」ことの意味も大きく変わっていくのであろう。
(2015.11.07)
24. 人生は、できることに集中することであり、
できないことを悔やむことではない。
―スティーブン ホーキング(1942〜 )
物理学者として著名なホーキング博士は、学生時代に筋萎縮性側索硬化症という難病にかかり、身体が不自由であるばかりでなく、声を出して話すこともできない。通常は、発症から
5年程度で死に至るといわれるが、ホーキング博士の場合は、途中で進行が急に弱まり、発症から50年以上たっても「健在」でいる。現在は意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置を使っており、スピーチや会話ではコンピュータプログラムによる合成音声を利用して車椅子で移動しながら、大学等で講演活動を続けている。通常ではほとんど考えられないことで超人というほかはない。その博士が、この病気にどのように付き合っているかと訊かれて答えたのが上に掲げた言葉である。
博士は、一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表して世界的に名を知られるようになった。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする「ホーキング放射理論」を発表し、量子宇宙論という分野を形作ることになった。筋萎縮性側索硬化症で不自由の極限状態のなかにおかれても、なおそれを悔やむことなく、できることに集中して、いまでも現代宇宙論に多大な影響を与え続けている。
(2015.11.13)
25.妬みぶかい人間は妬みによって自らを不幸にする。
妬みぶかい人間は、単に他人に不幸を加えようと望むだけではない。さらに彼自身もまた妬みによって自らを不幸にする。彼は自分の持っているものから楽しみを取り出す代わりに、他人の持っているものから苦しみを取り出す。
―バートランド・ラッセル(1872〜1970)
バートランド・ラッセルはイギリスの貴族として生まれた哲学者である。ケンブリッジ大学に学び、1950年度ノーベル文学賞を受けた。多くの名言を残しているが、冒頭の言葉はその一つである。感情にはエネルギーがあり、そしてそのエネルギーは往復する。他人に対する善意は善意となって戻され、悪意は悪意となって跳ね返ってくる。したがって、他人に不幸を加えようと望むことは、自分に不幸を加えることを望むことにほかならない。
彼には哲学者としてのみならず、教育者、社会運動家としても多くの著作があるが、1956年に出版した随想集 Portraits from Memory and Other Essays には、つぎのようなことばもある。
死の恐怖を征服するもっともよい方法は、諸君の関心を次第に広汎かつ非個人的にしていって、ついには自我の壁が少しずつ縮小して、諸君の生命が次第に宇宙の生命に没入するようにすることである。個人的人間存在は河のようなものであろう。最初は小さく、狭い土手の間を流れ、激しい勢いで丸石をよぎり、滝を越えて進む。次第に河幅は広がり、土手は後退して水はしだいに静かに流れるようになり、ついにはいつのまにか海の中に没入して、苦痛もなくその個人的存在を失う。老年になってこのように人生を見られる人は、彼の気にかけはぐくむ事物が存在し続けるのだから、死の恐怖に苦しまないだろう。
(2015.11.20)
26.充実した一日が仕合せな眠りをもたらすように、
充実した一生は幸福な死をもたらす。
―レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)
レオナルド・ダ・ヴィンチは、周知のように、「モナ・リザ」などで知られているイタリアのルネサンス期を代表する芸術家である。「人類史上もっとも多才な人物」などといわれ、絵画のみならず科学的創造力の面でも異彩を放っていた。レオナルドの庇護者であったフランス王・フランソワ1世は、「かつてこの世界にレオナルドほど優れた人物がいただろうか。絵画、彫刻、建築のみならず、この上なく傑出した哲学者でもあった」と語ったことが伝えられている。
彼は、「このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ」という名言も残している。死ぬ時には、最後の数日間を司祭と過ごして告解を行い、臨終の秘蹟を受けたともいわれているが、その時には「幸福な死」を意識していたであろうか。レオナルドが言うように、生き方を学ぶというのは、死に方を学ぶということである。私たちは、生き方を学んでいるうちに、死に方を学んで次の生活に備えていることになるのであろう。
(2015.11.27)
27.弔辞などというものは、生きる者の傲りであります。
―司馬遼太郎(1923〜1996)
司馬氏は、心のこもった美しい弔辞を数多く残しているが、氏が敬愛する作家の藤沢桓夫氏の葬儀での弔辞の冒頭にあるのがこのことばである。(『司馬遼太郎が考えたこと』14 文春文庫) この世に生きる者があの世へ赴いた者を峻別して弔辞として哀惜の念を捧げるのは、なるほど、「生きる者の傲り」であるかもしれない。1989年6月14日の葬儀で述べられたこの弔辞は、6ページにもなる長い文章であるが、その最初の部分はつぎのように綴られている。
弔辞などというものは、生きる者の傲りであります。先生が世におられる、おられないというのは、仮りのことであって、空(くう)という絶対の場では、先生と私どもは、おなじ場所にいて、なんのちがいもないということであります。たった一つ、会えない、という小さなこと、こればかりは、どうすることも参りませぬ。しかし、先生はここにおられます。あまねく満ちみちておられます。その先生にむかって、独りごとを申しあげます。それが、いうなれば、弔辞であります。
(2015.12.04)
28. 死後の世界は存在しています。
私は「信じている」のではなく、「知っている」のです。
―ゴードン・スミス (1962〜 )
イギリスには、「霊とコンタクトをとれる」ミディアムが無数にいるが、そのレベルはピンからキリまでである。そのなかで、「最高のミディアム」の一人といわれているのがゴードン・スミス師である。師はスコットランドに生まれて、幼少の頃より霊能力を発揮していた。現在では、イギリス国内のみならず、諸外国へも出かけて、公開霊視や講演、セミナーなどを行っている。師にとっては、死後の世界の存在は当たり前のことで、文字通り「知っている」のである。「信じている」レベルなのではない。
冒頭のことばの後には、「私たちは死んだ後も、記憶、個性、知性を持ち続ける存在です。霊界は若さを取戻し、病気の人は元気になり、愛する人たちと再会する場所なのです」と続く。師は、無料で公開デモンストレーションを行なったり、数多くの人たちに霊界の家族たちとの再会を仲介してきたが、その霊能力を、グラスゴー大学のアーチ・ロイ教授は、「その正確さ、詳細にわたる情報、驚くべき特殊性において、比類なき存在として我々を驚嘆させる」と称賛している。冒頭の言葉は、その師のことばであるだけに一層の重みを持つだろう。
(2015.12.11)
29.人生の秘訣は与えることにある。
― アンソニー・ロビンズ (1960〜 )
アンソニー・ロビンズは、1960年にアメリカ合衆国カリフォルニアに生まれた。貧乏な家庭環境のため大学へ進学することができなかった。ビル清掃アルバイトをしながら17歳からの2年間で約700冊の成功哲学や心理学に関する本を読破し、さまざまな講演やセミナーに参加したという。その後膨大に蓄積した知識と経験を活かした独自のスタイルでライブ・セミナーを展開し、現在まで30年以上にわたり何千万もの世界中の人々に影響を与え続けているといわれる。
どんな人間関係であれ、まずは与えること、そして、与え続けることが大切である。アンソニー・ロビンズはそれが人生の秘訣であるという。その場合、その与える行為に損得勘定をはさんではならない。自分は与えたのだから今度は与えられる番だ、と考えるのであれば、それは、与えたことにはならないであろう。与えるという行為は、実は、与えられることである。「宝を天に積む」ことにもなる。逆に、与えられることのみを考えているのであれば、結局は何も与えられることはなく、まわりから人々は去っていくだけなのかもしれない。
(2015.12.18)
30.すべての出来事はあなたへのギフトである。
アンソニー・ロビンズ (1960〜 )
これは、ものの見方の世界的な「伝道師」ともいえるアンソニー・ロビンズのことばである。この場合、すべての出来事とは、よい出来事ばかりをいうのではない。当然、「悪い」出来事もそのなかに含まれる。どんなに辛いことであっても、悲嘆のどん底に陥るような出来事でさえ、それは天からのギフトとして、冷静に受け止めていくべきなのであろう。自分に起こることはすべて必要だから起こっている。だから、それは自分にとっていいことなのだと考えるのである。ターミナルケアの世界的権威といわれたキュブラー・ロスも、かつて、つぎのように言ったことがあった。
「人が人生で直面するありとあらゆる困難、試練、苦難、悪夢、喪失などを、多くの人はいまだに呪いだとか神の下した罰だとか、何か否定的なものと考えているようです。でも、ほんとうは自分の身に起こることで否定的なことはひとつもありません。本当です。どうしてみんなはそれに気がつかないのでしょう。あなたが経験する試練、苦難、喪失など、あなたが『もしこれほどの苦しみだと知っていたら、とても生きる気にはなれなかっただろう』というようなことはすべて、あなたへの神からの贈り物なのです。」
(2015.12.25)
31.どんな困難も永遠に続くことはない。
アンソニー・ロビンズ (1960〜 )
人生に大きな影響を与える不幸な出来事に遇ったとき、成功する人は、それを一時的なものにすぎないと考える。逆に、失敗する人は、不幸が永遠に続き、すべての面で悪い影響が続くと悲観してしまう。しかし、実際には、どんな困難も決して永遠には続かない。むしろ、厳しい現実に直面することによって、私たちは生き方を修正し、霊性を高めていくための貴重なチャンスとして活かしていくことができる。
「続・いのちの波動」で大空澄人氏もこう書かれている(「摂理が働く」2015.11.18)。「何事においても同じ現象がいつまでも続くことはありません。必ず終わる時が来ます。それが摂理の働きです。そしてまた新しいことが始まるのです。苦しい時をじっと耐えていればやがては霧が晴れるように通り過ぎていきます。その都度人間は鍛えられ強くなっていきます。新しいものが生まれては消えていく。宇宙はその繰り返しです。」
(2016.01.08)
32.必要なものは、いますべてあなたの中にある。
アンソニー・ロビンズ (1960〜 )
人生には、打ちひしがれて絶望の淵に沈むことがある。それが事業の失敗であったり、勤務先の倒産であったり、あるいは希望の挫折や人間関係の深刻な悩みであったりする。カネさえあればと、思うかもしれない。能力の不足を嘆くこともあるであろう。自分は何も悪いことはないのに、なぜこんなに苦しまなければならないのかと涙を流したりもする。そういう場合にはどうすればよいか。どうしたらその苦境から抜け出せるか。このことばは、そんな時に思い出してみたいものである。
私たちはこの世に生を受ける時、この世で克服すべき課題を自ら選んで生まれてくるといわれる。当然ながら、それは自らが克服できる課題に限定されているはずである。だから、「天はあなたが解けない問題を用意しない」という。「この世に克服できない困難はない」ともいう。私たちが輪廻転生を繰り返しつつ、克服してきた課題のレベルは一人ひとりが同じではない。そして、一人一人が「自ら選んだ」課題を克服していくためには、「必要なものは、いますべてあなたの中にある」のである。
(2016.01.29)
33. 運がいい人も、運が悪い人もいない。
運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいるだけだ。
中谷彰宏(1959〜 )
中谷彰宏氏は早稲田大学在学中の23歳で作家デビューし、これまで800冊もの著作を出してきたという。現在、俳優としても、テレビ・ラジオ等でも活動しているようである。多くの名言を残しているのでも知られているが、冒頭のことばはそのひとつである。宇宙の摂理のもとで永遠の生命を生きる私たちの間には、本当は、不公平というものはない。その観点からみれば、このことばの真実性も納得できるように思われる。
少し前に、たまたま私は、縁談が破談になって数か月になる娘さんとその母親を含む小さな集いで、「もともと幸福な人というのはいないし、もともと不幸な人というのもいないのではないか。幸福と思っている人と、不幸と思っている人がいるだけかもしれない」ということを話していた。少し時間が経って、落ち着いて考えられるようになれば、あるいは、こういうことも分かってもらえるかもしれない、という気持ちであった。名言であれ何であれ、ことばを正しく伝えるためには、おそらく、相手と時を選ぶことも必要である。
(2016.02.06)
34. 苦しみや、死にさえ、意味がある。
ビクトール・フランクル(1905-1997)
ビクトール・フランクルはオーストリアの精神神経科医師で、第二次世界大戦の時には、ユダヤ人ということでナチスによって捕えられ、強制収容所へ送られた。このことばは、収容所で、他の囚人たちを鼓舞するために語られた。よく知られた彼の名著『夜と霧』のなかに出てくることばの一つである。彼は、「苦難と死は人生を無駄にしない。そもそも苦難と死こそが人生を意味あるものにする」とも言っている。
人間が生きることは、つねに、どんな状況のなかでも、意味がある。この存在することの無限の意味には、強制労働に駆り出される苦しみや明日迎えるかもしれない死さえも含まれているのだと彼は語ったのだが、強制収容所の死を目前にした極限状態の中で述べられたことばであるだけに、重みがある。フランクル自身は奇跡的に生き延びたが、このことばは、私たちに霊界からの真理の教えを思い起こさせる。
(2016.02.12)
35. 生きる理由を知る者は、どんな状況にも耐えられる。
ビクトール・フランクル(1905-1997)
前項に続いて、これも『夜と霧』のなかのフランクルのことばである。自分を待っている仕事や、自分を待っている愛する人のことを心に思い描いている人は、決して自分の生命を放棄することはない。なぜならその人は、まさに自分の存在が「何のため」であるか、その理由を知っているし、そのため、ほとんど「いかなる」状況にも耐えることができるからだ、とフランクルは言う。
収容所の過酷な労働の中で、フランクルは空を見上げながら妻の幻影を見た。その時の彼にとっては、「妻の微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした」のであった。そして彼はこう続ける。「収容所に入れられ、何かをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。」
(2016.02.19)
36. 霊的感性が居眠りしているうちは真理を理解できません。
シルバーバーチの本を読んでもわからないし心に響かないでしょう。
何故なら真理は物質を超えた目で見ないとわからないからです。
物質世界だけを見ている者には理解できないのです。
大空澄人「続 いのちの波動」より
たいへん有難いことに、私たちは大空澄人氏の高い志と霊能力によって、霊的真理を居ながらにして学ぶことができる。これも、氏がインスピレーションで得たことばのひとつである(「物質を超えた目で見る」2016.01.04)。物質世界に浸りきっている間は、私たちはこの世の様々な悩み事――自分の生死を含めて、財産、地位、名誉、人間関係等に振りまわされ、肝心の霊的真理にはすっかり盲目になってしまっていることが多い。それでいて誰よりも「幸せ」であることを願うが、その幸せとは一体、何であろうか。
大空氏の上のことばは、さらにこう続く。「物質世界の中だけでウロウロしている人間は霊的に見ると死んでいるのと同様です。霊的に成長するようになって初めて人はこの世に生まれてきた目的を達成できたことになるのです。この世の問題はひとえに人類が霊的に未熟なことから発生しています。これから人類が霊的に成長するには長い時間が必要です。一方で霊的に目覚めた者には真理を目覚めていない者のために広めていく義務が生じます。霊界の期待がかかるのです。」
(2016.02.26)
37. 明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
マハトマ・ガンジー(1869〜1948)
小学校時代のガンジーは、成績や素行も悪く、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返したり、タバコ代欲しさに召し使いの金を盗んだこともあったという。弁護士になるために18歳でロンドンに留学。インナー・テンプル法曹院卒業後に南アフリカで弁護士として開業したのだが、白人優位の人種差別政策下で強烈な人種差別を体験した。後には、「非暴力、不服従」運動によってイギリスからの独立運動を指揮して、1947年、ついにインドの独立を勝ち取り、「インド独立の父」と称えられるようになった。
ガンディーは自分の人生を何よりも真理探究に捧げた。この真理とは彼にとっては「神」であった。彼は、自分の失敗や自分自身を使った実験などから学ぶことを通して、この真理探究を続けた。小学校時代に成績や素行が悪かったこと、強烈な人種差別を体験したことなどのすべてが、彼にとっては学びの糧であったに違いない。そして彼は、「マハトマ」(偉大なる魂)と呼ばれるようになった。この世の人生は短い。だから「明日死ぬかのように生きよ」という。しかし、学びはこの世だけで終わるものではない。だから「永遠に生きるかのように学べ」と諭しているのであろう。
(2016.03.04)
38.成功は幸せの鍵ではない。幸せが成功の鍵である。
― アルベルト・シュバイツァー(1875-1965)
アルベルト・シュバイツァー(Albert Schweitzer)はドイツに生まれた。ストラスブール大学で学び、神学、哲学、医学で博士号を取得した。アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、住民への医療などに生涯を捧げたことで有名であり、その献身的な医療奉仕活動が評価され、1952年度のノーベル平和賞を受賞した。上のことばの後には、「もし自分のしていることが大好きなら、あなたは成功しているのである」と続く。
私たちは、何かを望んで、それに成功すれば幸せであると考える。当然、成功しなければ、幸せではない。しかし、シュバイツァーは、幸せであることが成功の鍵であるという。自分が不幸であると思っている人間は、おそらく、そう思っているがゆえに不幸なのかもしれない。その思いが、自分の能力を委縮させ、成功からも遠ざける。幸せな人は、自分のしていることが好きになれる人である。そして、好きになれば成功への道は開ける。それが大好きになっていれば「あなたは成功している」のである。
(2016.03.11)
39. 人生は学校である。
そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
― ウラジミール・フリーチェ(1870‐1929)
フリーチェ(Vladimir Maksimovich Friche)は、モスクワ大学を卒業して、「文学とマルクス主義」誌編集長などをつとめたロシア・ソ連邦の文芸学者である。彼のこのことばは、古今東西、真理は一つであることを思い起こさせる。おそらく、「人生は学校である」ことを知っている人は、「幸福より不幸の方が良い教師である」ことも理解していることになるのであろう。アメリカの詩人・ホイットマンも言っているように、「寒さにふるえた者ほど太陽を暖かく感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」ことができるからである。太陽が当たり前のようにあると思い込み、命を育む暖かさを喜べない人間は、不幸であるに違いない。
同様のことばを、私たちは、しばしば、霊的真理の教えとしても受け止めている。シルバー・バーチはいう。「日向でのんびりとくつろぎ、何の心配も何の気苦労も何の不安もなく、面倒なことが持ち上がりそうになっても自動的に解消されてあなたに何の影響も及ぼさず、足もとに石ころ一つなく、自分でやらねばならないことが何一つ無いような人生を送っていては、向上進化は少しも得られません。困難に遭遇し、それに正面から立ち向かって自らの力で克服していく中でこそ成長が得られるのです。」
(2016.03.18)
40. 最大の栄光とは失敗しないことではない。
失敗するたびに立ち上がることにある。
― ラルフ・エマーソン (1803-1882)
エマーソン(Ralph Waldo Emerson)は、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人であり、一方では、無教会主義の先導者でもあった。アメリカのボストンに生まれ、18歳でハーバード大学を卒業しが、その後ハーバード神学校に入学し、牧師になる。しかし、「イエスは偉大なる人間であり、神ではない」と宣言するなど、過激な牧師として教会からも追われる。南北戦争時代には断固として奴隷制に反対するなど、社会的には多くの試練を乗り越えなければならなかったが、上のことばは、そのような彼の経歴が背景になっている。
おそらく失敗は、成功の反対ではない。失敗は、成功のために欠かせない要素で、その意味では、失敗は成功の一部といえるかもしれない。私たちはもともと不完全で、むしろ、失敗をするために生まれてきた。決して失敗することなく完全であれば、生まれてくるはずもなかったのである。トーマス・エジソンは発明王として有名だが、その生涯は「失敗」の連続であった。それを彼は、「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ」と述べていたのを興味深く思い出す。
(2016.03.25)
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