81. 貧しくとも幸せになれる。
               ―ショーペンハウアー (1788 - 1860年)―


 アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)は、1788年、現在のグダニスク(ドイツ名ダンツィヒ)に富裕な商人の父と女流作家の母との間に生まれた。ゲッティンゲン大学医学部に進学したが、後にベルリン大学に移り、フィヒテの講義を受ける。ドイツの哲学者で、主著は『意志と表象としての世界』である。冒頭のことばはありふれて平凡だが、大哲学者のことばであるだけに重みがある。このことばについて彼は、「善良で慎みのある穏やかな性質の人は、貧しい環境にいても幸せになれるが、強欲でねたみ深く、意地悪な性格の人間はたとえ世界一金持ちであったとしても、みじめな気持ちから脱げ出せない。ところが、高い知性を備え、すばらしい人格を常に保っている人には、一般の人間が追い求める快楽の大部分が余分なもので、わずらわしいお荷物といってもいいほどなのだ」と、解説している。(『ショーペンハウアー・大切な教え』友田葉子訳、イースト・プレス、2010、p.29)

 ショーペンハウアーは、さらに、「富は幸せを邪魔するくらいだ」とまで言っている。その理由について彼が述べているのは、こうである。「富とは、厳密にいえば、あり余るぜいたくであり、私たちの幸福に役立つことはほとんどない。世の中には、本当の意味での精神的な教養や知識に欠け、知的職業にふさわしい客観的興味を持つことができないために、自分が不幸だと感じている金持ちが大勢いる。現実的な当然の生活必需品というレベルを超えて富を持つ行為が、人の幸福に影響することはまずないといっても過言ではなく、むしろ幸せを邪魔するくらいだ。資産を守るには、多大な不安がつきものだからである。」(同書、p.31) マタイ(19:24)の「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうが、もっとやさしい」を思い出すが、ショーペンハウアーも、貧しくとも幸せになれる、というより、貧しい人こそ幸せになれるのだ、と言っているようでもある。





 82. 爾(なんじ)より出づるは爾に反(かえ)る。
                           ―孟子(前372年?  - 前289年)―


 孟子は戦国時代中国の儒学者で、儒教では孔子に次いで重要な人物とされる。「孟母三遷」の話はよく知られているが、この真偽はあきらかではない。性善説を主張し 、仁義による王道政治を目指した。冒頭のことばは、『孟子』(梁恵王下)に出てくる。原文は「出乎爾者反乎爾者也」。「自分のしたことの報いは、自分自身に返ってくる」、つまり、因果応報で、善悪や禍福はすべて自分の身から出た結果ということであろう。シルバー・バーチも、「賞も罰も自分でこしらえているのです。自分で自分を罰し、自分で自分に褒美を与えているのです。それがいわゆる因果律、タネ蒔きと刈り取りの原理です。その働きは絶対です」と述べている。(『霊訓 (12)』 p.149)

 小林正観さんが書いた『幸も不幸もないんですよ』(マキノ出版、2010、p.138)には、彼がいう宇宙の「大法則」として、「投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返らない。愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない」とある。これも、因果応報である。私の高校時代に聞いたか読んだかした話で、出典は覚えていないが、「誰か汝を罰する」というのがあった。ある人が高僧のところへやってきて、自分の身に降りかかってくる悩みや不幸を綿々と打ち明けて助けを求めた。それを黙って聞き終わった高僧は、「誰か汝を罰する」と一喝した。お前を苦しめているのは、ほかの誰でもない。お前自身だと言ったのである。





 83. 人を相手にせず天を相手にせよ
                                      ― 西郷隆盛(1828−1877)―


 これは、『南洲翁遺訓』第25条のことばである。全文は「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽し、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」となっている。西郷南洲翁遺訓の編纂は、薩摩人の手によってではなく、旧敵の庄内藩の藩士達によって刊行された。明治維新の前夜、三田の薩摩屋敷を焼き払うなどして最期まで抵抗した庄内藩に対して、降伏後も新政府軍の西郷は報復しようとはせず、慈愛を持って寛大な処置をとった。そのことに感謝した庄内藩が、明治23年にこの遺訓集を作成して全国に広めたと伝えられている。

 西郷のこのことばは、「敬天愛人」の揮毫にも示されているが、西郷は天を敬い天命を知る人であった。第24条にも、「道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も、同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」とある。これは、「神を愛し、己を愛するがごとく他人を愛せ」というイエス・キリストの教えを思い起こさせる。西郷のいう天とは神のことであろう。そして、さらにいえば、神とは宇宙の自然法則である。大自然の摂理といってもいいかもしれない。シルバー・バーチは、それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになるといっている。(『霊訓(5)』p.155)