真実の教えを求めて


   

 仏典の「涅槃経第十三」につぎのような話がある。

  むかし、ヒマラヤの山中に雪山童子(せっせんどうじ)と呼ばれていた若い修行者がいた。その雪山童子は、衆生を救うための法を求めて、いろいろと難行苦行を続けていたが、その修行の姿を、天上からじっと帝釈天がみていた。

 帝釈天というのは、東京でも柴又の帝釈天で有名であるが、もともとは、インド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』に出てくる英雄神である。むかしからインドでは、悟りを開こうとする求道者は数多くいた。しかし、固い意志で、難行苦行に最後まで耐え抜き、悟りに至る人はほとんどいない。帝釈天は、雪山童子もまた、そのような意志の弱い修行者のひとりではないかと思ったのである。そして、雪山童子の苦行が本物かどうか、試してみようとした。

  まず、帝釈天は、恐ろしい形相の羅刹に姿を変えた。羅刹というのは、インドの食人鬼である。羅刹となって天上から雪山まで降りてきた帝釈天は、雪山童子の近くまで来ると、過去生の仏が説いた教えを詩句にして、その前半を、声高らかに唱えた。

 諸行無常(作られたものはすべて無常である)
 是生滅法(生じては滅することを本性とする)

 これを聞いた雪山童子は、深い喜びに包まれた。これこそが長い間求めてきた真理のことばだ、どうしても、この後の句も聞きたいと思ったのである。けれども、そこにいたのは恐ろしい形相の羅刹だけであった。よもやとは思ったが、雪山童子は、羅刹に尋ねてみた。

 「いまのことばは、過去、現在、未来の三世にわたる仏の教えで、真理のことばです。この続きがあるはずですが、ご存じでしたら是非教えてください」

 羅刹は答えた。

 「私は幾日も食べ物が手に入らず、飢えている。お前の体を食べさせてくれるというのなら、教えてやってもよい」

 雪山童子は、しばらく考えて、静かに答えた。「わかりました。残りのことばを聞くことができたら、私の体はあなたに差し上げましょう。私の体は、たとえ天寿を全うしたとしても、どうせ獣か鳥に食われるだけです。それに、食われたからといって、なんの報いもあるわけではありません。それならば、悟りの道を求めるために、この体は捨てることにいたします」

 それを聞いた羅刹は、雪山童子の固い決意に迷いがないのを見届けると、やがて、居ずまいを正して、ゆっくりと、後半のことばを唱えた。羅刹の口からとは思えないほどの美しい声である。

 生滅滅己(生滅するものがなくなり)
 寂滅為楽(静まっていることが安らぎである)

 こう説いてから、羅刹は、約束通り、雪山童子の体をくれるようにと詰め寄ってきた。

 雪山童子は、覚悟の上のことであったから、体を捨てるのにはなんのためらいもなかった。ただ、後世の人々のために、このことばは残さなければならないと考えて、まわりの岩や木にそのことばを書き留めた。そのうえで、近くの高い木に登り、一気に地上へと身を投げたのである。

 その瞬間、雪山童子の体がまだ地上に着かないうちに、羅刹はさっと帝釈天の姿に戻り、空中で、雪山童子の体を受け止めた。そして、恭しく地上に降ろし、雪山童子にひれ伏して礼拝した。

 この雪山童子こそが、実は、お釈迦様の前世の姿である。

 この雪山童子が羅刹から聞いた真実のことばは、雪山にちなんで仏教では、「雪山偈」(せっせんげ)とよんでいるらしい。偈というのは、仏の教えや、徳を称えたりするときのことばを詩句の形であらわしたものである。

  この話は、日本文学の中にもとりいれられ、さらに、それが戦前の小学国語読本でも、六年生用の巻十二に「修行者と羅刹」というタイトルで取り上げられてきた。私が小学校の時にこれを教室で教えられたのは、考えてみるともう六十年以上も前のことになるが、この話は妙に印象深く、こころに染みこんでいったことをいまでも覚えている。

 ただ、私が、習ったときには、この雪山偈のところは、日本語に置き換えられて、いろは歌になっていた。いろは歌が、どこかから美しい声で聞こえてくる、というふうにこの話は始まっていた。

 色はにほヘど散りぬるを
 我が世たれぞ常ならむ
  (花は咲いても忽ち散り、人は生まれてもやがて死ぬ。無常は生ある者のまぬかれない運命である)

 有為の奥山今日越えて
 浅き夢見じ酔ひもせず
  (生死を超越してしまえば、もう浅はかな夢も迷いもない。そこにほんとうの悟りの境地がある)

 この「いろは歌」は分かり易い。これは、空海が「雪山偈」を日本語に訳したものであると、長い間考えられてきた。しかし、いろいろと考証されてきた結果、いまではそれは否定されて、空海以後の平安中期から世に広まっていったとされている。訳者はまだわかっていない。

 日本語への翻訳にあたっては、和音の異なる四十七文字をすべて一度だけ使って重複させずに、七五調四句にまとめているというのは驚くべき技巧である。しかもそれで、深遠な雪山偈の意味を移しているとすると、もう神業というほかはないであろう。


   

 ところで、お釈迦様の前世の姿である雪山童子は、短い、これだけの雪山偈を聞いただけでも有難くて、その代償にいのちさえ投げ出そうとしたわけであるが、私たち凡人は、とても、それほど深い真理をこのことばからくみ取ることはできない。私たちは、お経をよむときに、よく、「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」というように、礼讃文を唱える。そして、「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し」とも続ける。

 「百千万劫」の「劫」とは、古代インドにおける最長の時間の単位で、たとえば、巨大な岩山を薄い白布で百年に一度さっと払う。それを続けて大岩石がすっかりなくなってしまうまでの時間が一劫である。それが、さらに百千万回も繰り返されるような、殆ど無限永久の時間がかかっても、なかなか聞くことができないのが、「無上甚深微妙の法」である。ところが、それを礼讃文では、「我今見聞し受持することを得たり」と唱えるのである。これは、私には、わかりにくい。

 ある宗教集団では、数百人が一堂に会して、一斉にこれを唱える。しかし、異をはさまず、ただ、いわれるとおりに唱えておればよいというものではないはずである。雪山童子ならいざしらず、少なくとも私などは、「我今見聞し受持することを得たり」とはいえない。いう資格はない。それでも、慣習に従って口には出すが、後ろめたい気持ちもないわけではない。それを抑えて、「願わくは如来の真実義を解したてまつらん」と唱えて、礼讃文を一段落させるのである。そして、そのあとでは、たとえば、般若心経が続く。短いが、これもなかなかむつかしい。

 般若心経は、周知のとおり玄奘訳のものがもっとも広く流布しているが、これはもちろん、玄奘がインドから持ち帰ったものを、サンスクリット語から漢語に翻訳したものである。その漢語への翻訳を私たちは、そのまま日本語読みにする。わかりにくいのは、「無上甚深微妙の法」のせいだけではないかもしれない。

 出だしの、「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦厄」は、まあまあ、なんとか理解できるような気がする。このうちの「度一切苦厄」については、紀野一義氏の『般若心経講義』によれば、玄奘が、サンスクリット語の原文にはないのに、勝手に入れてしまったらしい。それはともかく、「観自在菩薩が、深般若波羅密を行じたまいし時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり」と、一応、よむことはできる。まだ、こころから納得できたわけではないが、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 そして、つぎに来るのが、あの「色不異空・空不異色・色即是空・空即是色」である。これは般若心経のみならず、仏教そのものの神髄をあらわす核心であるだけに、いろいろな解説書があり、いろいろに解釈されている。しかし、やはり「空」はむつかしい。「あると思えばない、ないと思えばある」などと禅問答のようなことをいっている人もいるが、おそらく、いっている本人もよくわかっていないのではないか。「空」が目には見えないもので、「色」が見えるもの、というふうに考えると、少しは捉えやすくなるが、これも一面のアプローチでしかないであろう。要するに、読み出したばかりで、もうこの辺からだんだんわからなくなってくるのである。

 もう十年以上も前になるが、私がロンドンに住んでいたとき、京都のお寺で学んだというイギリス人の尼さんがいて、「仏教の会」というのを開いていた。ヴィクトリア駅の裏手にあるその会場に私も行ってみたことがある。そこでは、日本語の発音でよむ般若心経をそのままローマ字にして、それを、日本語はほとんど知らないと思われる数十人のイギリス人が、一斉に声を出してよんでいた。ローマ字は、音声記号にすぎないから、何の意味ももたない。日本人がカタカナで書かれた般若心経をよんでいる状態に近い。しかし、尼さんの説明では、般若心経そのものが「真理のことば」であって、それだけに、そのことば自体にエネルギーがこもっている。だから、それを唱えることに意義はあるのだ、ということであったように思う。写経が功徳があるといわれるのと、同じようなものかもしれない。

  しかし、一生懸命によんでいても、仏典の意味がよくわからないというのはどうしても気になる。意味がよくわからないのに、どうしたらついていけるのか。よくわからなくても、仏教は信じられるのか。そんな思いでいたときに、親鸞のことばを思い出したことがあった。『歎異抄』の第二段である。

 親鸞におひては、ただ念仏して弥陀にたすげられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生ずるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべらん、総じてもちて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。

 「私は、ただ念仏をとなえて阿弥陀仏に助けていただくだけだと、法然上人に教えていただいたことを信じるのみである。そのほかはなにもない。念仏をとなえれば、本当に浄土に行けるのか、それとも地獄に落ちるのか、そんなこともどうでもよい。かりに、法然上人に騙されて、念仏したあげくに地獄に落ちたとしても、私は決して後悔はしないであろう」

 これは、ずいぶん思いきった表現である。親鸞の子で東国にいた善鸞の変節があって、信仰に迷いを来した信徒たちが、関東からはるばる命がけの旅を続けて京都の親鸞の所へ教えを乞いにやってきた。その信徒たちは、いま固唾をのんで親鷲の顔を見守っている。この緊迫した雰囲気のなかで、親鸞は、赤裸々な自分自身の姿をさらけ出して、信念を披瀝しているのである。しかし、このようないい方は、まかり間違えば、師としての信を失いかねず、仏道の教えにも疑問を抱かせることにもなりかねない。それでも親鸞はこのように言った。それを、確固たる信仰の証しとして信徒のこころに直裁にしみ込ませていったのは、おそらく親鸞のその時の気迫であったにちがいない。

 親鸞はさらに続ける。

 そのゆへは、自余の行もはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にもおちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてという後悔もさふらはめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定のすみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈、虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鷲がまうすむね、またもてむなしかるべからずさふらふか。せんずるところ、愚身の信心にをきては、かくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり。

 「そのわけは、念仏よりほかの修業を励んで悟りを開けるはずであったのが、念仏に打ち込んだために地獄に落ちたというのなら、その時は師に騙された、という後悔もあるかもしれない。しかし、私はどのような修業もできない身だから、どうせ私には地獄がはじめから定められた行き場所なのだ。阿弥陀仏の本願が真実であるならば、釈尊の教えにも嘘はない。釈尊の教えが真実であるなら、善導大師のお解きになったことにも誤りはない。善導大師のお解きになったことが真実であるなら、どうして法然上人の言われることが虚言でありえようか。そしてまた、法然上人の言われることが真実であれば、この親鸞の言うことも空ごとであるはずがない。これがつまり、私の信心なのだ。この上は、念仏を信じようが、捨てようが、それはあなたがたの勝手である」

 これは、信仰とはこういうものだと、親鸞が血を吐くようなことばで述べた真心からの告白である。私は、この、阿弥陀仏の本願からはじまって、釈尊、善導大師、法然上人と続き、自分にまで至っている一筋の教えに、うそ偽りがあるはずはない、ときっぱり言い切っている親鸞のひたむきな心情にこころを打たれる。そして、第五段の「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、いまださふらはず。そのゆへは、一切の有情は、みなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏になりて助けさふらふべきなり」には、私なりに、希望の光さえ感じ始めるようなった。

  親鸞は、いうまでもなく、日本最大の宗派・浄土真宗の宗祖であるが、考えてみれば、お寺で読誦されているのは、大乗教典の浄土三部教(「無量寿経」・「観無量寿経」・「阿弥陀経」)の一部のほかは、親鸞の主著『教行信証』の一部である「正信偈」や蓮如の「御文」であって、釈迦自身の阿含教典はまったく顧みられていない。これは、他の宗派でも同じで、日本の仏教では、開祖の釈尊よりは、宗祖もしくは宗祖に準ずる高僧などの文が、お経のように敬われて読誦されているのが普通である。だから、浄土真宗でも、釈尊を信じるというよりは、親鸞を信じるというのが、仏教徒ということになるのであろう。釈尊よりは、少なくとも宗祖のほうが身近に感じられやすいから、これはこれで、わからないことはない。

 しかし、それにしても、たとえば、「正信偈」を読誦して、そこからみ仏の教えを理解できる人がどれほどいるのであろうか。お寺で、あるいは、葬儀の式場で、「正信偈」を読誦している「仏教徒」の姿は、私には、ロンドンで般若心経をローマ字読みしているイギリス人「仏教信者」の姿と重なって見える。

 私は、ここでつけ加えておかねばならないが、だから、だめだといっているのではない。冒頭の雪山童子を改めて持ち出すまでもなく、仏教は「無上甚深微妙の法」なのである。その有り難さについて疑いをはさむほどの傲慢さはない。ただ、苦しいから何かに縋りたいのだが、縋りにくい。「溺れる者は藁をも掴む」の心境で、何かを掴みたいという思いに駆られて、仏典に向かう。しかし、私のような俄信者は、仏典の広大さと深さと、それから難解さを前にして、やはり、立ちすくんでしまうのである。

 私は聖書をも繙くようになった。


   

 聖書なら読みやすい。現代日本語訳が普及しているから、誰にでも読める。この聖書を読んで、親鸞が「よきひとの仰をかふむりて、信じるほかは子細なきなり」と言っているように、イエス・キリストのことばを無心に受け入れることができるか。そして、「たとひ、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」というように宣言できるまで、聖書と一体になりきれるか。結局問題になるのは、信仰である。そして、ほかならぬその信仰を、聖書のなかで、イエス・キリストは飽くこともなく熱心に語りかけているのである。

 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のバンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。しかしあなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終わりの日によみがえらせることである。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そしてわたしはその人々を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ六章 35-40)

 そしてまた、より直接的には、兄の死を悲しんでいるベタニアのマルタに、つぎのように言ったりもした。

 わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者はたとい死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。(ヨハネ 十一章25-26)

 これに対してマルタは、「主よ、信じます」と答える。そしてマルタは、その兄ラザロが死からよみがえるのを目の前で見ることになる。このような信仰は、イエス・キリストが十字架につけられたあとも燎原の火のごとく広がっていった。そしてこの、ガリラヤで発生したユダヤ教の一分派とでもいうべきキリスト教は、紀元六四年にはあの皇帝ネロの迫害を受けるまでになった。

 イエス・キリストの処刑が紀元三〇年とされているから、この迫害は、イエス・キリストの教えがわずか三四年で、ローマ帝国の首都にまで及んでいたことを示している。

 この布教の中心になっていた一人は、多くの迫害にもひるまず、不屈の活動を続けていたバウロであった。彼は生前のイエス・キリストには会っていない。しかも最初は、彼自身がキリスト教徒へのあくなき迫害者でさえあった。キリスト教徒の迫害に向かっていたそのパウロが、ダマスコ郊外で突然一筋の光に打たれ、復活したイエス・キリストのことばを聞く。この事実は、彼にとって生涯動かすことのできない神の啓示であった。この事実によって彼は回心し、その後は一層の勇猛心をもって今度はイエス・キリストの教えを説き続けたのである。彼にとっても、信じることは「救い」であった。彼のローマ人への手紙にはこうある。

 自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終わることがない」と言っている。ユダヤ人とギリシャ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。(ローマ十章 9-15)

 パウロにとっては、自己の救済を他者に及ぼしていくのが使命であった。「わたしには、ギリシャ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果たすべき責任がある」と述べ、「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である」(ローマ一章 14、16)と続けている。

  このように、キリストの教えを説き続けたパウロは、最後にはネロの迫害で処刑されたと考えられている。その伝道の足跡は、実に二万キロにおよび、それはそのまま、愛と救いを広めるためのイエス・キリストの足跡でもあった。

 私たちはこのような真理の教えに感動する。美しい人間愛にこころを打たれる。ただひとつあたまに残るのは、この聖書の話が、二千年の間、人から人へ、国から国へと伝えられている間に、どれだけ真実を保ち続けられたのであろうかというかすかな疑念である。聖書を伝える者の都合によって、たとえば、輪廻転生の記述が削除されたといわれるように、部分的にせよ、真実が歪められてきた可能性は否定できないのではないか。「イエスを見て信じる者だけが永遠のいのちを受ける」というのも、「イエスを信じる者だけではなくて、人というのは、本来、誰でも、永遠のいのちを持っているのではなかったか。


   

 実は、それを教えてくれたのは、ほかならぬ、シルバー・バーチであった。十年以上も前のロンドン在住時に、私はしばしば、大英心霊協会を訪れていた。そこではじめて私はシルバー・バーチの著作に出会った。感動して、その一部を日本語に翻訳したりもしている。長い間の彷徨の果てに、一筋の光を見いだした私は、そこでようやく、自分自身が何であるかを理解しはじめたのである。

 シルバー・バーチはつぎのようにいっている。

 いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
 ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見するこ とから始めなくてはなりません。これまであなたはその身体に包まれた「小さな自分」以上のものを少しでも発見された経験がおありですか。今あなたが意識しておられるその自我意識が本来のあなた全体の意識であると思われますか。お分かりにならないでしょう。
 となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。
 そのためには正しい物の観方を身につけなくてはなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。

 私たちは本来が霊であって、肉体は霊に従属するものに過ぎない、という教えは、暗闇の中ではじめて光を見るような大きな啓示であり感動であった。何も知らずに無明の闇の中ですくんでいた私は、さらに続くつぎのようなことばにも、強くこころを打たれることになる。

 それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる「神」の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。
 身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家 である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。
 この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。生命は物質ではありません。霊なのです。そして霊は即ち生命なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。
 あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無 限の創造進化の過程に参加することができるのです。その生命力は必要とあらばいつでもあなたの生命の 井戸からくみ上げることができます。その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命 活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。
 あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があります。それを果たすためこうした知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。そうすることは暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることであり、そうなればあなたのこの世での存在の目的を果たしたことになります。

 これは、『シルバー・バーチの霊訓(一)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八八年、からの引用であるが、極めて重要な教えを伝えていながら、ことばはあくまでも平易で分かり易い(原文の英文がそうである)。

 シルバー・バーチはここで述べるまでもなく、心霊主義の世界ではあまりにも有名で、一九二〇年代から実に五十年間にわたって、イギリスで霊界の真実を伝えるためのメッセージを送り続けてきた。シルバー・バーチというのは仮の呼び名で、紀元前千年ごろ地上で生きていたといわれるから、イエス・キリストや釈迦よりもさらに、はるかに古い。

 本人は最後まで身分を明かそうとはせず、「人間は名前や肩書きにこだわるからいけないのです。前世で私が王様であろうと乞食であろうと、そんなことはどうでもよろしい。私の言っていることがなるほどと納得がいったら真理として信じてください。そんなバカな、と思われたら、どうか信じないでください。それでいいのです」と答えている。

 シルバー・バーチのことばを取り次いだのは、有能な著作家、編集者として知られたモーリス・バーバネル氏であった。彼は、シルバー・バーチのことばを「霊の錬金術」として、『シルバー・バーチの霊訓』(一)のなかで、つぎのように激賞している。

 年中ものを書く仕事をしている人間から見れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けるということ自体が、すでに超人的であることを示している。誰しも単語を置き換えたり消したり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っ引きでやっと満足のいく記事が出来上がる。ところがこの「死者」は一度もことばに窮することなく、すらすらと完璧な文章を述べていく。その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を高揚し、気高さを感じさせるのである。

 「語りかける霊がいかなる高級霊であっても、いかに偉大な霊であっても、その語る内容に反発を感じ理性が納得しないときは、かまわず拒絶なさるがよろしい」とくり返していたシルバー・バーチのことばは、読むたびに、強く胸に迫ってくる。つぎからつぎへと読んでいきながら、私は、その高遠な真理と、それを綴る美しいことばに、ただ有難くて頭が下がるだけであった。

 いのちとは何か、人間は死んだらどうなるのか、というおそらく人類最大の命題に対しても、シルバー・バーチは、あなたは死後も生き続けると、明快につぎのように教えている。

 すでに地上にもたらされている証拠を理性的に判断なされば、生命は本質が霊的なものであるが故に、肉体に死が訪れても決して滅びることはありえないことを得心なさるはずです。物質はただの殻に過ぎ ません。霊こそ実在です。物質は霊が活力を与えているから存在しているに過ぎません。その生命源である霊が引っ込めば、物質は瓦解してチリに戻ります。が、真の自我である霊は滅びません。霊は永遠です。死ぬということはありえないのです。
 死は霊の第二の誕生です。第一の誕生は地上へ生をうけて肉体を通して表現しはじめた時です。第二の 誰生はその肉体に別れを告げて霊界へおもむき、無限の進化へ向けての永遠の道を途切れることなく歩み始めた時です。あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです。(『シルバー・バーチは語る』)

 かつて、ロンドンで開かれていた交霊会では、シルバー・バーチが、一旦口を開くと、「何ともいえない、堂々として威厳に満ちた、近づきがたい雰囲気が漂い始め」て、交霊会の出席者たちは、思わず感涙にむせぶこともあったといわれるが、その状況は想像するに難くはない。しかも、これらの膨大なシルバー・バーチの教えは、三千年の時空を越えて、じかに私たちの魂に訴えてくるのである。これは、現代の奇跡といっても決して過言ではないであろう。私は、その教えに深く納得し、こころの底からの安堵感をも覚える。

 シルバー・バーチの教えこそは、私にとっては、ついに巡り会えた、「無上甚深微妙の法」であった。 (2004.04.20)


  International Institute for Spiritualism 「LIGHT WORKERS」
    2004年夏号所収