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                         【参考資料 15】 (2011.10.19 )
                         大空澄人氏 HP「いのちの波動」より転載


          死後の世界   (1,2,7,9,11を転載)

  1. 死後の世界はあるのか

最近のスピリチュアル系の本などの影響で死後の世界は存在するということは人々のコンセンサスになりつつあると思います。死んだら全て終わりと考えるのと死後の世界はあると考えるのでは人生は全く違ったものになってしまいます。

以下は私の実体験から得られた死後世界に関する情報です。

父が亡くなってから15年近くになりますが今まで数え切れないくらい情報交換がありました。夢で、仏壇で、墓で死者は我々に情報を伝えようとしています。しかし普通はこの世とあの世では波長が違うので我々が普通この世で用いるような手段ではコミュニケーションをとる事は出来ません。夢で意思を伝えようとすることは多いようですが残念ながら多くの人は目覚めた時に内容を忘れてしまっています。

数年前に私は奈良の法華寺の有名な十一面観音の写真の入った額を仏壇に置いたことがありました。その夜夢のなかではっきりと父の声がして「応接間の風通しが悪い」というのです。はて応接間とは?と思いましたが、ああ仏壇の事かとわかりすぐにその額を降ろしました。父は見知らぬ仏像の写真を置く事が気に入らなかったのでしょう。それから西国巡礼にも行きたかったらしく遍路の衣装で私と父と2人で巡礼に行っている夢もありました。それ以後私は巡礼などに行くときは父のことを意識しながら行く事にしていました。当時は仏壇の前でお経を唱え始めたころでした。その頃は読経をしているとピシッとかバキッという音(いわゆるラップ音)がしょっちゅうしていました。夜一人でやっていたら怖かったものです。お盆の時は一段と大きな音が聞こえ蝋燭の向こうに影が写ったり家の飼い犬が吼えたりとそれは賑やかなものでした。今思えば先祖の方々で成仏出来ていない人達だったのかそれとも私が拝んだりするのでビックリしたのかもしれません。今は皆さん成仏されたのか実に静かです。

仏壇で位牌や写真を見て父の声や生前の姿を思い浮かべていると大体意識が繋がっているようです。瞼の裏にかすかにイメージを感じることができるようになれば繋がっていると考えて間違いないようです。今父がどうしているかというと、これはごく最近の交信です。
父はあの世で学校のような所に行き何かを学んでいるようです。人間関係や時間に束縛されることもなく自由に楽しく生活できるのだそうです。「自分の生前の事を思い出すと一般に人が人生で追い求めるものは大して意味のあることではなかった。様々な事で葛藤してきたが今思えばそれは空しいものであった。今はとても良い所にいて快適だ、知り合いで苦しんでいる者がいるけど早くこっちに来ればいいのに。今の家や将来の事でもお前が好きなようにしたらいい」。そして何か馬のようなものに乗って去って行きました。もうこの世の事には殆ど関心がないという感じで仏壇の事で注文を付けていた頃とは違います。見えるビジョンはレースのカーテンを3枚ほど重ねて見たという感じです。我々がこの社会で普通に人々と会話したり姿を見たりする事に比べるとその鮮明度は低いものです。

さて亡くなった人たちは一体どこにいるのでしょうか?空の上や月にいるのではなくすぐ傍にいるようです。コインの裏表と言ったらいいでしょうか。彼らのいるところは我々肉体を持っている者たちには普通感知できないようになっているようです。説明に適切な言葉を見つけるのは難しいのですが次元の違う所にいるということです。我々がいる所は3次元の世界、亡くなった人たちがいるのは4次元の世界で向こうからはこちらの事はわかるけどこちらからはあちらの事がわからないということです。しかし眠った時には意識が自由になり4次元の世界に行ったり来たりしているのだそうです。

その4次元の世界では時間というものはこの世と測り方が違い過去、現在、未来が全て一つのものとして認識できるらしいのです。4次元の世界の上には5次元、6次元というレベルがありさらに上に上がると宇宙の創造主のところに到達するようになっている。霊が進化していくにつれ上の次元に登っていくらしいのです。地上界(我々のいる世界)、霊界、神界というような構造になっているそうです。詳しいことはスピリチュアル系の本に分かりやすく説明されています。

さて昨夜と今日の朝父との交信がありました。内容をここに載せるにあたっては父の了承を得ております。

10月19日夜
「こちら(あの世)に来てからそっちの世界(この世)で積もった塵をきれいにするのに何年もかかった」。向こうに山がありそこにはチベット寺院のような建物がみえる。そこは眩しいくらい光にあふれていてその前で父がにこやかに微笑んでいます。

10月20日朝
山と波静かな湖が見え手前が草原になっていてそよ風が吹いています。草が風になびいています。そこに父が立っていて付近に美しい女性も含め何人かの人がいますが皆優しい笑みを浮かべています。父のメッセージです。
「ここには心を乱すようなものが何一つなく人々は皆仲良く協力しあって生活している。こちらの景色は実に素晴らしい。その美しさは実際にこちらに来てみないとわからない。地上界(我々のいる世)での生活はものの道理を理解することが大切であり結果はあまりこだわる必要はない。なぜならそちらは仮の世界、修練の場なのであり真実の世界はこちらにある。そちらでは努力の結果が正しく出るということが少ないがその過程において学ぶ事に意味がある。成功して何かを手に入れるということが最終目的ではないのだから」。



 


  2. 死後世界とは

私は死後の世界は確実にあると思います。私が仏様を観想して得られた情報は次のようなものです。

「一般の人が考えている死ということは肉体がなくなるということで生命そのものは次の次元に移行するということである。多くの者は死んだということに気が付かない、何故ならまわりの環境は肉体を持ち地上界で生きていた時と比べて大きく変わらないように見えるからである。しかし死後の世界は肉体の束縛から自由になるので自分の想念がすべてを作る。自分の思うとおりの世界が現れるということ。例えば肉体を養う必要がないので金は必要なく自分がしたいことに打ち込むこともできるし行きたいところにも行ける。自分の意識の範囲内で自由であるということ」。

死ぬということは終わりではなく次の次元へのスタートである、または本来の所に帰るということではないかと私は思っています。弘法大師空海の言葉に「阿字の子が阿字のふるさと立ち出でてまた立ち帰る阿字のふるさと」というものがあります。これはご詠歌でもよく詠われています。人は阿字(真言密教でいう大日如来すなわち宇宙の命の根源)の分身でありその故郷からこの世に来ていたものが役目を終えて再び故郷(大日如来)に帰るということを謳ったものですが正にその通りであると思います。私の地方では中陰供養(初七日、二七日、三七日など)の時にこのご詠歌(梵音といいます)が唱えられていますがこれを唱える事によって死者を迷うことなく正しく導こうとしているのです。

以下は書籍などに一般によく書かれている死後の世界の説明です。

死者は自分の心の波動に合った所へ自動的に引き寄せられて行く。様々な煩悩や未練を持ったまま死ぬとそういう世界に行く。欲や恨みや怒りにあふれた世界、云わば地獄のようなところに行く事になり心が浄化されるまでなかなか上に行けない。そこにはこの世と全く同じものがあり自分が死んだという事が理解できない者もいる。一方死ぬまでに死後世界のことを理解し一応この世の欲などを卒業したものはもっと上のほうのレベルに進むことができる。これは閻魔大王が関所で振り分けるのではなく自動的にそうなる。魂は進化していくので次第に上のほうに上がっていくようになる。そしてある期間をあの世で過ごした後に本人が望めば再びこの世に生まれ出てくる。

最近の精神世界の主な説ではグループソウル(類魂)というものがありそこでは自分の仲間の集合体がある。霊の家族ともいうべきグループソウルは常に進化を目指しているのでいろいろな事を学ぶ必要がある。地上界でしか学べないことがあるのでそれを体験するために其の中の一人が地上に派遣されこの世で一生を過ごし学んだ事をその集合体に持ち帰り情報を共有する。派遣は本人の自由意志が尊重されるがテーマを与えられて地上に派遣される。自分の人生での宿命や生まれついての性格、考え癖などは自分ひとりのものではなく集合体として持っているものから来ている。派遣された者は死後に情報を持ち帰るだけではなく睡眠中に集合体本体に自分が得たものをフィードバックしている。

グループソウルは常に地上に派遣された者を見守りその喜怒哀楽をともにしている。派遣された者が死後迷った場合はグループソウルが助けようとする。最後はグループソウルに帰還して融合するが自己というものは失われることなく一個人として個性を維持する。そして再び進化の道をたどる。




  7. この世とはどういうところか

父の話や自分の感覚、書籍などに表されているあの世(様々なレベルがありますが)というのは共通の波動を持った者たちがそれぞれに階層を作って住み分けをしているようであります。霊界の上のほうでは安定していて平安寂静な世界なのだろうと思います。これこそが極楽というところなのでしょう。

一方この我々が住む地上界はピンからキリまであらゆるものが混在している世界ではないかと思います。極端な貧富の差もあり、極楽のようなところもあり地獄のようなところもあります。人が10人集まれば必ず気の合わない人がいて問題が起きたりします。しかし嫌でも付き合わなければならないという事情があるとそこから抜けられません。これが天国なら気の合わない者が一緒のグループに入るという事はないのでしょう。

感情の面では喜怒哀楽全てのものが存在して極端から極端に動きます。喜びの感動に震える事もあれば怒りの感情が爆発する事もあり悲しみに涙する時もあり人を憎んだり妬んだりもします。良くないと知りつつ悪感情を持ってしまうのが人間です。そういう事が起きる原因は我々が物事を主に物質の眼で見るからではないかと思うのです。

人間はこの世で肉体を持ち、まずはそれを養わなくてはならず様々な物質に囲まれて生活しています。生き延びる為には他のものを犠牲にしなければなりません。果てしのない競争社会、思想や人種の違いから争いが起こり憎しみ合い、殺し合いにまで発展します。ここは嫌な所だと思っても肉体を持っている以上自由に移動する事はできません。またお金、家、土地、財産、社会的地位というものに無関心でいる訳にはいかず、どうしてもそれに捉われます。つまりここでの生活は自分の肉体も含め物質に縛られているといえるでしょう。

最近のスピリチュアリズムによれば宇宙の生命系全体を霊界と呼び私達が現在生活しているこの地上世界を物質界、それ以外を非物質界というふうに定義づけています。つまりこの世も霊界ではあるが物質に頼って生活しているので宇宙生命系から見ると特異な場所であるという事です。霊とは命という事です。私達の肉体も霊(命)が宿って初めて機能を発揮することが出来るのです。霊というと何かおどろおどろしいものという捕らえ方をされがちですがそうではないのです。霊という言い方に抵抗があるならば“意識”という言葉で表現してもいいと思います。

私達が日常感じられる意識を顕在意識と言いますがそれは本来の自分が持っている意識の一部にすぎないのです。意識の本体を潜在意識といい日常生活の上ではそれを自覚することは殆どなく夢とかひらめきという形で現われて来るものです。本来の自分が持っている意識の潜在能力は高いのですがこの地上生活では自分の肉体の中に封じ込められてその能力の一部しか使えないようになっているようです。本来の意識のポテンシャルは発揮できずそういう観点からはこの世は随分と不自由なところだと思います。そういう場所へ何を好き好んで人は輪廻転生してくるのでしょうか。



  9. 悠久の時を生きて

私達の命は宇宙の創造主から授かったもので悠久の時をこの宇宙と共に進化しながら生き続けるものだと思います。私達自身が創造主の分身であり神の子、仏の子であります。死というものはこの世の生活を終え肉体と別れ本来の場所に帰っていくことです。死んだら全て終わりでは断じてないのです。また我々がこの世にいる期間は極めて短いものだと思います。故郷に帰った私達はこの物質界の束縛を離れ自由なところでこの世で学んだ事を知恵として身につけ一段と成長していくのです。

私達がこの地上界に来る目的は学ぶ為でありそこは物質界、肉体があることによって一つの出来事を何倍にも実感として味わう事ができ、それは魂に深く刻み込まれます。そしてこの地上界は様々な事を実地してみる、テストしてみる場でもあると思います。それは一つの冒険であり楽しくもありリスクも伴うでしょう。新鮮な実体験をする場所がこの地上界(地球生命系)ではないでしょうか。生命系の辿るコースの中に必須として組み込まれているのでしょう。

そこは道場のようなところなので当然試練もありますが自分の身の丈以上のものは来ません。必ず自分の能力の範囲内で乗り越えることが出来るはずです。それを乗り越えた時一段の進歩があります。例え思ったような結果が出なくても悲観することはありません。それに向かって努力することに意義があるのですから。それによって人は多くのものを学ぶ事が出来るのです。

また自分の身の回りに起きる事は全て必然、無意味に起こるものはありません。自分が過去にやった行いの結果が現れてきているのでそれを素直に受け止めたらいいのです。全ては宇宙の法則によって動いているのでその流れに逆らうことなく乗っていけばいいのです。人との出会いも全て偶然ではありません。一期一会という言葉がありますがこの人生における出会いにも全部意味がありそれは現世だけでなく過去から続いていたかもしれないし将来どこかで再会するかもしれないのです。そういうことを考えると面白いものです。私も還暦間近、この世で生活する期間はもうそれほど長くないでしょう。残りの人生を新たな発見にワクワクしながら生きていきたいと思っています。



  11. この世を終わる前に

数年前から親族の高齢者が次々と病気や認知症などで人生の最終局面に向かう姿を何人も見てきました。彼らはいずれも家族の手を煩わせ、一旦は家族にとってこれ以上面倒を見るのはもう限界だと感じさせるレベルまで状況は悪化しています。しかしいずれのケースも予期しなかった事が起きて事態は劇的な変化を見ています。それらは何処からともなく救いの手が差し伸べられて収まるべきところに収まっています。世話をする人達にとっては救われたと感じられるものなのです。

認知症で家族の重荷になっていた老人が急に発熱して倒れ、熱が引いた後で空きが無かったはずの老人施設から空きが出た旨連絡が入り即座に入所する事ができた。そして入所後は今までとは別人のように性格が温和になり快適に施設で毎日を過ごしているというケース。

それからこれもかなりの認知症で問題行動が多くもう家庭内で世話をするのは限界なので老人施設に入所させた所、そこでも持て余すようになり家族は思案に暮れていたところ本人が突然の大怪我で入院、歩けなくなりほぼ寝たきりの入院生活をしているうちに今までの険しい性格は影を潜め穏やかな顔つきに変わってしまった。そして退院と同時に他の老人施設に空きがあることが分かりそこに入所、今では問題を起こす事も無く日々穏やかに暮らしている。

もう一つは2人住まいの老夫婦で夫は傍から見れば最近心身の衰えが目立ってきたにもかかわらず長年の自分の生活のペースを変えようとしない。自分の身の回りのことが出来なくなり妻や周囲の人の力を借りながら生活するようになった。それでも彼は周囲のアドバイスは聞き入れず医療機関で精密検査も受けることもせず介護サービスを受ける事にも消極的で頑固に今までのペースを変えようとはしなかった。もう年老いた妻による介護も限界に達し、このまま行けば共倒れになるしかないと感じさせるものであった。

そんな矢先ある朝彼はついにベッドから起き上がれなくなり、病院に運び込まれることになる。色々調べた結果様々な病気が重なり合っていることがわかり入院生活が始まる。老妻はそれにより今までの彼女の能力の限界を超えた介護から解放された。病気が発見されて入院するという結果だけ見るとそれは不幸な事と捉えられるかもしれないがそれは状況が一つ先の段階に進んだ、一つの問題が解決したと言える事である。

以上の老人達の状態を観察していると環境が変わった後いずれもよく眠るようになり、そうなると表情が以前と変わってきたのです。柔和な顔つきになり、子供のようなあどけなさを見せる事もあります。私は老人の問題で悩んでいる親類の家の仏壇を何度か拝んだ事がありますがその時そこに掛けられている先祖の写真や位牌がよく語りかけてきます。「おまえの力を貸しておくれ」とか「あれは(その人の子で今病気)子供の時甘えん坊だったからね、今まで一杯好きなことしてきたからもうこの辺でいいよ」というふうに意思を伝えてきます。以前私の母が深夜家で倒れた時は家の仏壇から一筋の光が母のほうに向けて差し込んできました。その直後母は動転した気持ちも治まり朝まで静かに眠る事が出来ました。

これらの現象を見ると人間が人生の終わりに近づく時、先祖の人たちは見守ってくれていて事ある時には救いの手を差し伸べてくれるのだろうと思います。そしてこれから赴く死という過程を問題なくクリアーできるように導いてくれているのでしょう。眠っている間に魂は先祖や守護霊の指導を受けているに違いありません。一生を振り返ってみて今後どういう心構えが必要なのかとか色々教育をされているのでしょう。「姑が私にありがとうと言ってくれた。こんな事は今まで何十年も一緒に暮らしてきて初めてよ」とは今まで一緒に暮らして世話をしてきたお嫁さんの言葉です。また頑固に自分のペースに固執してきた老人からも「ありがとう、ありがとう」という言葉が自然に出るようになってきました。いずれもよく眠るようになってからです。守護霊や先祖の人たちはその人間がこの世を去る時期も分かっているでしょうからそれに向けて色々と準備をしてくれているのでしょう。死ということは残された家族にとっては悲しい別れと感じるものかもしれませんが当人は今生での重荷から開放され喜ばしいことなのです。この世は修行の場であってリスクもあり大変な世界なのです。霊界では親しい人達との再開も果たせるし、先に行って待っていたペットが大歓迎してくれるのだそうです。誰よりも先に飛びついてくるので他の人たちが近づけないほどだとか。

人生の最終局面にある人たちの心の動きについて弘法大師よりメッセージを頂いたので2月17日の神仏の声に掲載しました。

               (大空澄人氏 のホームページより許諾を得て転載)
               「いのちの波動」⇒ http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/





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                         【参考資料 14】 (2011.10.18 )
                         大空澄人氏 HP「いのちの波動」より転載

                  

      真理を求めて  1〜11を転載)


 1.始めに

私たちは今未曾有の環境変化のなかにあるようです。地球的規模の気候変動、スケールを増す自然災害、また民族間の対立激化、政治や経済の混乱、過去に例を見ない凶悪な事件の頻発など過去何十年、何百年のあいだにしか起きないことが極めて短期間に集中的に起こっているように感じます。一体この先どうなるのでしょうか。この不安感は誰もが抱いていることでしょう。科学の世界では色々な説が出回っていますが確定的なものはありません。また宗教界においても今の人心荒廃に対する的を射た答えは見当たりません。一体何がどう狂ってしまったのかテレビや新聞の記事を見るに付け不安感が増すばかりです。

そんな折、私は数年前から自分の人生の目的、人がこの世で生きる意味などを自分独自の方法で追求してきました。私は真言宗の信徒ではありますが僧侶でも神職でも学者でもありません。ごく普通の還暦間近の男性ですが子供達も自立し収入は減少したものの精神的に余裕が出てきたので仏教関係のことを学び始めたのです。きっかけは瀬戸内寂聴さんの法話集を聞いたことでした。それから四国遍路、西国巡礼などをこなす内に今までに見えなかったものが見えるようになりました。今流行の精神世界の事も研究しこれもその範疇に入るかもしれませんがヘミシンクといってある種の音響効果によって異次元の世界を探求できるというプログラム(自宅学習)も試みてみました。私の場合仏教を学びはじめた頃から不思議と絶好の環境に恵まれました。年齢、仕事環境、家庭環境、自然環境など全ての事が程よくバランスされそれはこの事を進めるために用意されていたかのようでした。何かに導かれてここまで来たというしか表現のしようがありません。

その結果今までの人生においては見る事が出来なかったものが見えてきて自分の人生の意味がわかり正しく自信をもって生きられるようになりました。私が今の時点で辿り着いたものは宇宙の摂理でした。そして因果律をもととして宇宙の全ての事は起こるべくして起きている、人の心の動きさえもがその中にあります。因果律すなわち因果の法則はお釈迦様が発見した事になっていますが日本では因果の法則と言えば何かそこはかとなく暗いイメージで捉えられているようですがそうではありません。宇宙はある目的をもって営みを続けているようです。その目的とは何か、それは愛と調和と進化を実現することであり因果律というルールを土台として全てのものが動いているようです。岩石や植物、動物など存在するもの全てです。何者もその法則から外れることは出来ません。そうであればそれに逆らうことなくその法則に素直に沿っていけばいいということになります。しかし日々の生活で次々に現われてくる目の前の出来事や洪水のような情報に振り回されてそんな事を考えてみる余裕などないというのが現実でしょう。

宇宙の法則はきわめてシンプルなものですが人は物事を難しく考えてしまうようです。わざわざ必要のない理屈をつけてそれに囚われるから余計真実が見えなくなります。私は殆どの人が回り道をしているのではないかと思います。宗教においても特殊な修行をした者にしか真髄が分からないとしたら一般の者がそこまで達するのは極めて困難ということになります。特別な修行をしなければ人は真理を知る事ができないのでしょうか。そんなことはありません。真理は単純明快、誰でもその中にいるのに気が付かないだけです。自由にものが言える一般人であるからこそ気付く事言える事をこれから表現していきたいと思います。2年前に弘法大師より受けた啓示があります。「真理はそれを捜し求めて見つけるものではない、いつも君達と共にある」

  2. 不穏な動き

この夏の異常な暑さは今まで体験した事のないものでした。9月の彼岸の頃でさえ30度以上の日が続きました。ちょっと前には新潟の地震、年金の問題、警察の不祥事、政界では突然の総理辞任、相撲界の混乱と今までの常識から考えられないような事件が休む間もなく起きています。特徴は今までなら隠し通せたようなことがあっという間に表面に出てくるようになっています。斧で親を切り殺すという事件がコピーでもしたかのように2件続けて起きました。異常に感じる事件を全部取り上げたらそれだけで終わってしまいそうです。マスコミは悪い事しか報道しませんから何故これほどまでと感じるのは当然のことです。私は自然災害も含めこれらの事は理由があって起きていると思っています。それは浄化の動きで悪いものを一斉に表面に炙り出そうという働きであると思います。今まで溜まりに溜まった人間のカルマ(業)を精算する動きのようです。それがスピードアップしているように感じます。

地球規模で地震、洪水、台風が次々と発生ししかもそのスケールが大きくなっています。地球は人間にとって母なる星、この地球は生き物が生きるために絶妙なコントロールのもとに置かれています。その母なる星も最近は人間による環境破壊でかなりダメージを受けておりその影響をどうにかしなければこのまま行けば人間が住めなくなるかもしれません。私は地球は単なる土と水で出来た物体ではなく意識というようなものを持った生き物であると思っています。当然ある外力が働けば反応が返って来るでしょう。自然災害もまた意味無く起こっているものではなさそうです。

私は空や雲を毎日のように観察していますが2年前あたりから太陽の光が一段と強まっているように感じます。夕焼けの美しさは素晴らしいものです。月も澄んだ夜空で妖しいほどに輝いており見ていると吸い込まれそうです。両手のひらをかざすとピリピリとするほどです。宇宙のエネルギーが強まっているようなのです。地上は混乱しているけれど宇宙は一段と浄化され清められていっているのではないかという感じさえします。私はオカルト趣味でも神秘主義者でもありませんが物のエネルギーに敏感でオーラが見えたり神社や寺に行くとよく声を聞きます。家の仏壇や神棚でも同じです。また予知夢というものも時々見ます。いわゆる霊能力というものが少し備わっているのでしょう。

ここからちょっとそういう世界に入ってみます。神社や寺などでそこの神様や仏様を観想し祈ると声が聞こえてくるのでこれを神仏の声ということにします。こういう話にはついていけないと言う人も多いと思いますが次の話をどう解釈されるかは個人の判断にお任せします。2年前に台風が接近してきている時に地元の八幡神社に行き台風がこの辺を直撃しませんようにと神様にお願いしたところ 「台風は自然現象が生むもの必然的におきるもの、晴れの日もあれば嵐の日もある。人間はこの自然の恵みのお陰で生きていられるのである。人間が自然のことをどうこうしようなどと考えることは思い上がりである。人は自然の中で生かされていることを忘れないように」というメッセージが返ってきました。

また家の神棚に奉っている天照大御神からは「台風など自然災害はある意味で新陳代謝の一つである。自然淘汰の意味がありそれにより新しいものが生まれてくる。人には試練かもしれないが何もなく平穏無事に生きていくならば鍛えられるということが無くなり進歩が止まってしまう。より一層の進化のために人類にとっては試練も必要なのである」ということでした。次にこれも家に奉ってあるお釈迦様からです。「自然は人が自然に接する態度に応じて反応する。やさしく接すればやさしく返ってくる。厳しく接すれば厳しく返ってくる。人間関係と同じこと、人も自然とつながっているから」。

こういう話は科学万能の現代社会では受け入れがたいでしょう。今まで現代科学は目に見えないもの、感じられないものは存在を認めないというスタンスを取ってきています。こういう神の啓示などという話をしていると下手をすると気違いあつかいされかねないのが今の社会ですが精神世界のことは未だ殆ど解明されていません。人の心の動きを科学でどう説明すればいいのでしょう。脳が全ての精神活動を司っていることになっていますが事実でしょうか。精神病患者の脳にどういう器質的な異変が起きているのでしょうか。何か目に見える変化が起きていることが分かればそこを治せば治癒することになりますがそれがわかりません。これら心の動きのことは未知の領域で殆どわからないというのが現実だと思います。他方私が得たこれらのメッセージの信憑性を証明する手段はありません。科学的に実証して見せることは現段階では不可能です。

このように神仏や死者の霊など普通はこの世界の人間には感知できないものと交信をすることをチャネリングといいます。チャネリングにも2種類あり一つはいわゆる神憑りという状態(トランス状態)でこの場合受ける側の自分の意識は殆どなくなりほぼ相手側の意識が流入して相手の言葉でしゃべるようになるといわれるものです。有名な恐山のイタコがそうです。また昔の神社の巫女もそうですが横に神審といって本物の神様が降臨してきているのか確かめる役の者が同席していたそうです。この神憑りは周囲の人が知らない時代の出来事や人名なども正確に伝えることがありうまく行けばかなり信頼性の高いもののようです。恐山のイタコは信頼できるのは一割に満たないという話もありますが真意の程は知りません。一方自分の意識はそのままで異次元の存在と通信する方法があります。これはどうしても自分の意識が入りという欠点があります。また自分の知識にないものを受信した場合それを言葉にして表現する事が出来ません。私が今までそういうメッセージを受けていたやり方は後者のほうですがこれは後でわかりました。誰でも実際は日常生活上でひらめきや夢という形で異次元との接触をしているけれどそれに気がつかないだけです。

その話の続きは後述しますが以上の神仏のメッセージを要約すれば人間は自然とともにありそれによって生かされているのだから自然の動きに逆らわずに生きるべきであるということを伝えていると思います。人は自然、宇宙と調和して生きるようにしないといけませんよと言っているのです。これは宇宙との一体化を謳う真言密教の教えと全く同じです。さて前述した自然環境の変動や社会の混乱は今後どうなるのでしょうか。私には分かりませんがここも神様や仏様にご登場願い意見を伺ってみました。

弘法大師
今世の中が大きく変化して動きが早くなっているがこれは時代の節目、今だけが特別というわけではなくそういうことは過去何回かあった。人生を大河を渡ることに例えるならば今は川の水が激流となっている。本物と偽者が振り分けられており偽者は生き残れなくなってきている。自分をしっかり定めて環境の変化に惑わされる事なく正しく物事を見つめ自分の心と向き合い本心に沿った生き方をするよう心掛けなさい。

須佐之男尊
今、地球を含めあらゆる自然環境が大きな変動期にある。物、財産、社会的地位や名誉など今までの価値観が大きく変わっていくことになる。真に価値あるものが判るようになるだろう。あらゆる生き物はこれからの環境変化により品種改良のようなことが行われるだろう。適応できないものは滅ぶ。今までの価値観は大きく変わることになるがこれは因果律の働きによる。誰かが意図的に行うものではなくそれはバランスを修正するための自然の働きである。それらの変化の後に人間は精神面の進化を見る。

観世音菩薩
今、宇宙のエネルギーが強くなっているため全ての現象が従来に比べて激しく現れるようになっている。それは今後も続くが物事に動じない強い心を持って生きなさい。

天照大御神
地球の自然環境の変化は必要があって起こっているもの。一人ひとりの人間はそれを認識しながらも過度に案ずることなく1日1日を精一杯生きればよろしい。どのような変化にも順応しなければならない。今のような現象は人類がかつて行ってきた業を清算するための動きでもあるがそれだけではなく様々なものが複合的に働いている。

お釈迦様
自然を注意深く観察していれば今後の変化が感じ取れるだろう。発想を柔軟にしておくことが大切である。今までになかったタイプの人間が現れてくるようになるがその準備は整いつつある。それは進化した人間の姿である。心にこだわりを持たずに生きていくことが大切である。

祓戸大神(穢れを払う神)
今の社会の混乱を引き起こしているものは人間のエゴである。科学技術の進歩に伴い人間のエゴは一段と強くなった。それがこれから削り取られて行くことになる。突出したものは因果律の働きによってバランスの修正が行われる。

これらのメッセージをどういうふうに理解するかは各自の判断にお任せします。誰もが潜在的にこのままではいけないという危機感を持っているはずです。占いや預言書の類も一杯出回っていますが皆が危機感を持っていることの現われだと思います。私個人的には人間は最終的には試練を乗り越えその後には今までよりも進歩したものが現われるのではないかと感じています。唯この先かなりの試練があるのでしょう。

人はこの世に生きていくうえでエゴというものはある程度必要でそれがなくなったら生きられません。生存本能から根ざした各種の欲はこの世で肉体を持って生きていくうえで必要なものです。機械文明が進み生活が便利になればなるほど人はわがままになります。日常生活の上で誰かの手を借りる必要が無くなって来るとどうしても自分ひとりでも生きられるかのような錯覚に陥りやすくなります。そしてお金、今やこの国では金のために生きている、金に魂を乗っ取られた人たちが増えてきました。聞くも浅ましい金銭に関する事件で新聞の第三面は溢れかえっています。人生の目的は金を稼ぐことでしょうか。誰もがそれを見てひど過ぎる、もう目にあまると感じるようになった時反省の心が芽生えます。人間はあんなになってはいけない、自分はああならないようにしなければと感じます。そして行き過ぎたものへの修正の力が働きます。多くの人がそう思えば大きな力になります。悪いニュースは問題点を社会に見せてくれていると思えば役に立っていると言えます。

このようにして物事は一方向に行き過ぎると戻りバランスをとろうとする習性があるようです。過去の人類の歴史をみてもいやと言うほどその実例を見せてくれています。ローマ帝国、蒙古、ナチスドイツ、旧ソビエト、日本では平家、織田信長、豊臣秀吉などなど。今の人間の行き過ぎた金銭欲による混乱にはすでに修正の動きが出てきているように感じます。何事も陰の極がくると事態は陽転するというところからみれば今は陰の極に近づいていると思います。天変地異なども恐怖を煽るかのように噂されていますがその事を心配したところで仕方がありません。どうせ私たちはこの地球の上で生かしてもらっているのですから。明るい未来を考えたいものです。



 3.神仏は実在するのか

私は以前から人の死後の世界など精神世界に対する興味を持ち、本などでは色々解説したものが多く出回っていますが唯そういうものを知識として理解するのでなく自分で直接見たり聞いたり出来ないものかと思っていました。また仏教にも親しんでいました。熱心に信心していたほうだと思います。するとどうしても出てくるのが本当に仏様はいるのだろうか?という疑問です。これは誰にでもあるのではないでしょうか?仏様がいないのであれば拝んでも意味がない、では死後の世界のことを仏様に聞いてみようと思ったのです。本当に仏様がいるなら教えてくれるだろう。今もそうですが当時私は観音様をとても信仰していました。そこで以下のようなことを試みたのです。

夜、家の仏壇の前で「観音様、人は肉体が死んでも魂は残り輪廻転生すると聞いています。しかし私は以前から疑問に思っていましたが人は多くの場合死期が近づくと精神の方もボケてきたりその機能は肉体と共に衰え死に向かっているように見えます。魂も肉体と一緒に無くなってしまうのではありませんか?どうか教えてください」と聞いてみたのです。するとその夜次のような鮮明な夢をみました。

10年以上前に亡くなった父が畑で懸命に農作業をしていてその横でこれも10年前に死んだ我が家の犬が若い時の姿で走り回っているのです。なるほど彼らは死んだけれどもこの世と違う所で生きているのだなと思いました。しかしまだ疑問点が残り、死ぬ時には魂は一体どういう状態になるのかわかりません。そこでその日の朝自室で瞑想し「観音様、そのとき魂はどんな状態になっているのか知りたいのです」。と心の中で再度質問をしてみました。するとすぐに以下のようなビジョンが瞼の裏に浮かんできました。脳の中で見るというか実際に肉眼でものを見るのとは違います。

プロペラ機が現われそれは着陸態勢に入っています。次第に高度を下げエンジンのパワーを落としゆっくりと着陸していきます。ビジョンはそれだけでしたが十分に理解することができました。魂は死という過程をスムースに通過できるよう飛行機のエンジンがパワーダウンしていくようにその活動を弱めていくということなのだろうと思いました。そして観音様にお礼を言いました。その時以来さらに観音様との関係が深まり私は悩み事や問題が起きる度観音様に意見を伺うようになりました。そしてこれまで直接指導と言っていいほどに問題解決のヒントや人としての生きる道を教えて頂いたのです。

そうこうするうちに伊勢神宮に参拝する機会がありその素晴らしい神気に打たれそれ以来神道の世界にも入るようになりました。もともと日本は神道の国、寺と同じくらい神社があるのに寺だけ行って神社に行かないのは不自然だと感じていました。そして神社にも行き始めた頃、地元の神社で「神道と仏教は入り口が違うだけ、行き着く先は同じである」という神様からのメッセージを受けました。その後は一段と多くの神仏との交信が広がり現在に至ります。

人は本を読んだり人の話を聞いたりして知識を得ることができますが本当に身に付いたものにするためには実体験をすることが必要でありそこで初めて分かったと言えるのだと思います。私は医療人ですがこの業界においてもいくら勉強して知識を頭に詰め込んでもそれだけでは実戦においては殆ど役にたちません。全ての分野がそうであり信仰、宗教においても実際に自分が身を持って体験して初めて確信が持てるのだと思います。参考までに私が今までに受けた思い出に残るメッセージを次に紹介します。

伊勢神宮で 2006年2月
よくお参りに来られた。人にはそれぞれ本分があり人生においてそれを尽くすこと。日々明るく前向きに、物事のマイナス面を見るのでなくプラスの面を見るように、自分をよく知り長所を伸ばす事、そなたは子供達(私の子供達)を自分の力の範囲で導いてやりなさい。

西国巡礼、総持寺で 2006年11月
人は時々自分自身のことを客観的に見てチェックしなければならない。ともすれば独りよがり、自己満足に陥り易くそうなっていないか自己反省する必要がある。

西国巡礼、善峰寺で 2006年11月
人は過去のものを全て持っていては前に進めなくなってしまう。不要なものは捨て去らねばならない。物事を理解するにはそれにふさわしい時期というものがありその時が来なければ本当に理解することはできない。

私はこれまで通常の方法で得た知識と実体験を比較検証しながら進んできました。実体験の骨格となっているのが神仏のメッセージです。そこから得た結論は神仏という存在は間違いなく存在すると思います。しかしこれを科学的に実証して見せることは出来ません。弘法大師、お釈迦様は歴史上人間として実在したことは間違いなく言い方を変えると人の霊との交信と捉えることも出来るでしょう。八幡神は応神天皇ということになっていますが天照大神、スサノオの尊など神道の神々はかつて地上に人間として存在していたことがあるのかはわかりませんから本当に存在するとしたら完全な神霊ということになります。精神世界の本などを見ると通常の人間が神など超高級霊と交信するのは不可能である。何故なら非常に次元の高い霊はその波動が霊妙すぎて人間の出す波動と合わせることは極めて難しい。神との交信をしたというケースは殆どが間に交信を中継する存在がいて双方の波動を調整する。その役を果たしているのはその人の守護霊であることが多いということです。私の場合もそうなのかもしれないと思います。




 4.神と仏はどう違うのか

私が感じるところではやはり違いがあるようです。神様の場合は一様にそのエネルギーが強く圧倒的な力を持っているように感じます。特に以前早朝に伊勢神宮の荒祭りの宮に行ったときは怖いほどのものを感じました。人間が一人で相対するということが恐れ多いと感じます。この国の最高神として非常に気高く尊く表現する言葉が見当たりません。伊勢神宮は宇宙エネルギーが直接降り注ぐ場所、天照大御神は宇宙神と言ってもいいかもしれません。伊勢は別格としてスサノオの尊を奉ってある島根の須佐神社もすばらしい神気が満ちています。スサノオノ尊は神話では悪役のようなイメージで捉えられていますが実は優しいところがあり私は時々アドバイスをもらいますがやはり底知れぬパワーを秘めた神様という感じです。総じて神様は自然系の超高級霊(そういう言い方が適切かどうかわかりませんが)という感じがします。この自然系をコントロールしたりしているのかもしれませんがやはり根本には愛というものを感じます。祈ると風が吹いてくることが多く偉大な自然の力を実感します。

一方仏様の場合は神様のようなパワーというものは感じません。知らないうちに心が溶け合っているような感じといったらいいでしょうか(真言宗の入我我入という感じです)目の前に圧倒的な存在感を感じるということはありません。やはり人間に近い存在、過去人間をやっていたのかもしれません。言葉で言い表すとしたら愛、知恵、悟りです。

これはあくまでも私の主観でありまたそれぞれの働きについては仮説なので人によっては感じ方が違うと思います。神仏は全知全能、人知の及びもつかぬ存在という捉え方をされているようです。確かにそう感じますが、必ずしもオールマイティではなさそうでそれぞれ得意分野があるようです。仏教に13仏がある意味からしてもまた僅かばかり感情というものもあるように感じます。神仏に可愛がられる人間というのも確かにありそうで社会的地位などは関係なく素直で飾り気のない性格がいいようです。神仏に接するととにかく清らかなエネルギーを感じ、心に持っていたわだかまりが一瞬のうちに溶けていきます。明らかにこの世の波動ではないことが肌で感じられます。そして全てをお任せしていいのだという気持ちになります。その時意識は多分違う次元にいるのだと思います。何も考えるな、考える必要はない、素のままで、己のありのままでいなさいという波動を感じます。

神仏など超高級霊は過去、現在、未来の時空に束縛されることなく瞬時に全てを把握出来るのだそうです。例えば人が問題を抱えていて救いを求めたとするとこちらが何も言わなくても全てをわかっています。交信は全てテレパシー、どんな遠くにいても瞬時に伝わり言語は必要がないらしいです。人が神様にお願いをしようと神社に行った場合、神様はこちらがものを言わなくてもすでに全部お見通しというわけで一切のうそは通用しません。

前に薬師如来を奉ってある山岳寺院に行った時のことです。仏様は人が来たらその人がどこが悪いかすぐ分かるのですかと尋ねると「一目見ただけで分かる、頭の色をみたらその人間がどこが悪いのかわかる」という答えがありました。その時はおかしなことを言うなと思いました。頭が皆ランプのように光っているとは面白いと思いましたが後でオーラが見えるようになってその意味がわかりました。確かに人のオーラの色はそれぞれ違います。ピンク、グリーン、黄色、紫、青など様々でそれは人の感情や性格、肉体の健康を表すとされています。仏様は人を見る時そのオーラを見ているのでしょう。実に面白い話です。私が今の時点で分かったと思っているのは神仏の実態のほんの一部だと思います。人間の力で測れるようなものではありません。



 5. 神頼み

我々はよく神仏に色んな願い事をしますが本当に聞き入れてくれるのでしょうか。内容によるでしょう。近頃は自分勝手な願い事が多いと神職がぼやいているそうです。
自分のエゴから出た願い事はまず聞いてもらえません。願い事が人や世の中の役に立ち愛の心からなるものはおそらく叶うでしょう。但し結局は自分が努力しなくては成就しません。一生懸命やっているのに自分の手に負えないような障害が現れたときなどは神仏もよしわかったなんとかしてやろうと思うにちがいありません。そんな時霊験が現れます。

普段殆ど信仰心のない人でも危急のときは神様助けてくださいと手を合わせますがそれは潜在的に目に見えない大きな力というものが存在していることを感じているからでしょう。そういう時は普段傲慢な人でも謙虚で純粋な気持ちになっていると思います。

神や仏を敬うということは突き詰めれば大自然の偉大な力を敬うことで信仰の原点であると思います。また言い方を変えると神や仏というのは高次元の意識体ですからそういうものに通じる為には普段から通信回路を開いておかないといざという時に間に合いません。神や仏への通信回路、それが祈りです。祈りにおいてはお経や祝詞の上手下手より真心が何より大切です。

そういう神様や仏様でさえ因果の法則を超えて力を及ぼすことは出来ないのだそうです。神や仏でさえ因果律のルールを破ることは出来ないと考えてよさそうです。また神仏がこの世に姿を現したり直接手を下すということはありません。人を媒介としてその神威を現します。




 6. 眼に見えない世界とエネルギー

オーラは生命体が出すエネルギーですがインターネットをみたら入門書があったので買って読んでみると意外と簡単に見ることができました。それから人のオーラを色々みて研究してみました。肉体の表面には薄いくっきりとした膜のようなエーテル体と呼ばれるものがありこれは肉体の健康状態を反映し色はあまり変わりません。次に厚さ10から20cmくらいの層がありアストラル体と呼ばれています。これは人の感情を表現しそのときの感情によって刻々と変化しています。その外層にはメンタル体、コーザル体という層が広がっていますが簡単には見えません。

オーラをみると仏像の光背にそっくりで人がオーラをみてそれを表現したことがわかります。大体において人が心静かにしているときは緑色になりこれは癒しの色だそうです。静かに読経などしているときは緑色が出ています。議論に白熱している人の頭を見ると赤いオーラに囲まれています。このあいだ歌手の島倉千代子さんが悲しい歌を歌っているのをテレビで見ると頭が大きな青い色に包まれていました。子供のピアノの演奏会を見る機会があり見ていると一人上手な子がいて弾き始まると頭が輪郭のはっきりした大きなピンク色のオーラに包まれました。後の自信なげに弾いている子をみるとオーラは小さくぼんやりとしています。

若い女性がはにかんだ時などはパッとピンク色になりそれは綺麗です。私は会合のときつまらなくなるとよく出席者のオーラを観察します。心はそこになくぼんやり他の事を考えていそうな人をみると幽霊のようにスーッとオーラが離れていきます。体から離れて浮き上がっています。温泉の露天風呂でもよく見えますがあるとき空を見て雲の観察をしている人がいて見たら頭から空に向けてまっすぐに高くオーラが伸びていきました。これはすごい、どこかの高僧なのかと思って後でみたら普通の中年男性でした。

空や宇宙というものに気を向けるとそういうオーラが出るのかもしれません。人のオーラを観察するとき許可なく前からまじまじと見るわけにはいきません。どうしても後ろからか距離をおいてということになります。 人の肉体をそこから外すとオーラが残りそれだけ見ると幽霊だということになるのでしょう。魂はオーラの中に存在し肉体が死ぬとエーテル体は肉体とともに消えるそうでそれ以外のものが幽界に移行していくのだそうです。オーラを見ていると生命の神秘を感じ人は肉体だけの生き物ではないということが実感としてわかります。

オーラは人間や動物だけでなく植物や人が愛用しているもの、携帯電話、財布、お守りからも出ています。特にお守りは強いエネルギーが出ているようで手のひらを近づけるとチリチリするものを感じます。いわゆる期限切れのお守りを確かめてみると有効期限中?のものと比較しても全く変わりません。寺社は毎年取り替えて欲しいでしょうけど。仏像や位牌に手のひらを近づけるとぬくもりやしびれ感を感じることが出来ます。よく家のお大師様の頭の上でチェックしているので間違いありません。その事でお大師さまや先祖に「お前、ええ加減にせいよ」と叱られた事はまだありません。

こうしてみると寺社でお札やお守りの炊き上げをすることは意味があることになります。それぞれエネルギーがこもっているので埃まみれにしたり粗末にすることは良くないのでしょう。清浄な気のあふれた神社に行き入り口のところで仏像の施無畏印のように手のひらを拝殿にむけると手のひらにジリジリするものを感じることがあります。エネルギーが放出しているという事でしょう。それによって良い神社かどうかわかります。

手のひらは癒しのエネルギーが出るところで霊気といってそれで身体のヒーリングを行う方法があります。人は身体のどこかが痛いとき思わず手のひらを当てますが手当てという言葉はそこから発生したということです。確かに霊気は効き目があるようです。しかも一切費用はかかりません。よく祈る人は体に気が一杯溜まっているのでその手のひらはかなりの癒しの力を持っていると思います。よく行者さんが数珠で撫でてくれたら悪いところが治ったという話を聞きますが強い癒しの力が放出されたのでしょう。

私たちは常に目に見えないエネルギーに囲まれて生活しています。上にあげたものは気のエネルギーですがその他に多くのエネルギーを知らすに浴びていることでしょう。また満月の夜月に向けて手をかざすとかなり強いピリピリしたものを感じます。月は色々なものに何らかの影響を与えているに違いありません。それらのものは何時の日か科学で説明できる日が来るのでしょう。

この間ムーという雑誌にロシアのロマノフという著名なヒーラーがロシアから日本の読者に向けてエネルギーを送るという記事が載っていたので試してみました。紙に図形が書いてあってそれを手のひらに挟んでいればよいということでした。エネルギーが送られる時間は日本時間の夜8時から40分間です。それをやっていると両手の平がジーンと熱くなってきてピリピリしはじめ次に体も熱くなってきました。指定の時間が終わると元に戻り明らかにエネルギーを受信できたという実感がありました。エネルギーの質は運命を好転させるパワーを持ったものということでした。それから何日かして500kmくらい離れたところに住んでいた娘とメール交信したところ同じ内容の夢を見ていたことがわかりました。親子の関係もスムースになったように感じました。娘はこの実験に関して全く何もしていません。エネルギーというものは距離に関係なく伝わるということが実感としてわかります。遠隔ヒーリングというのは送信側と受信側が波動を合わせれば十分に効果をあげることができるのでしょう。



 7.人の人生は決まっているのか

人は時々先に起こる事の夢を見ることがあります。世間で人が亡くなる前に虫の知らせがあったというのはよく聞く話です。またそれ以外にも社会で起きる事件を前もって夢で見たというのもよく耳にします。潜在意識は覚醒中は気が付かないが寝ているときはふるさとのあの世に行っていろいろな事を学んでくるという話を聞きます。潜在意識は次元を超えて広がりすべてのことを知っているが人間はこの世に生きているときは肉体の中に封じ込められ本来の魂(意識)が持っている能力の何分の一しか発揮できない。あの世、4次元の世界ではこの世のようにはっきりした時間がなく過去、現在、未来というふうにはっきり分れていないという説があります。それらの説が正しいとすれば寝ている間に潜在意識が4次元の世界に行き情報を収集してくれば未来を知ることが出来ることになります。唯目覚めた時にはその多くを忘れるようになっているようです。確かに歴史上多くの預言者がいます。また星占いなどでその人間の未来のことが結構当たるということを聞きます。そういうものが的中する(当たらないことも多い)という事はやはり未来はある程度確定したものがあるのかもしれないと考えるのも不自然ではないと思います。前から時空というものに関心を持っていたのでこれをお大師様に聞いてみました。人は自分の未来を知る事は出来るのですか?すると答えはこういう事でした。

「人の未来は大体の骨格が決まっていて後は自分の自由意志で肉付けして仕上げていくようになっている。また自分が将来こうしたいと思う事は未来からの波動を受けてそう思うようになっていく。人の人生の大筋はあらかじめ決められていて西に向かって進んで行くようになっているものが急に東に行くようなことにはならない。一時的にそうなっても後で修正の力が働く。人はそれぞれに目的をもってこの世に生まれてきておりその目標を達成しなければならないからである。もし自分の未来を予測したいならば今まで歩んできた道を振り返ってみればその延長線上に未来があるということになる。未来の出来事を具体的に知るということは人間には原則的に出来ないようになっている。考えてみればよい、あるスポーツの試合で勝敗がわかっているなら誰が見に行くだろうか?自分の将来の出来事が、また政治や経済界で起きる事が予め全て分かっていたとしたら一切努力する必要はなくなるではないか。人は先のことが分からないから一生懸命に努力するわけで分かっていたら努力というものを放棄してしまうだろう。事を成し遂げた感動、勝利の喜び、敗北の悔しさ、別れの悲しさ等そういう喜怒哀楽は先の見えないこの環境のもとでこそ体験し学べるものであり人はこの世でそういう体験や感動を通して魂の成長をしていくようになっている。この仕組みは人の進化のための絶対不変の宇宙の摂理でありもしそれが崩れたら世の中は成り立たない。故に人は先のことはあまりわからないほうが良く、その日その日を精一杯生きればよい」。

もう60近くなると自分の先のことが見えるような気がします。確かに先の出来事が分かってしまっていたら日常の営みが意味を成さなくなってしまいます。私は人の人生というのは本当は多くのことは決まっているのではないかと思うことがあります。宿命という言葉がそうです。特に生まれる時、結婚相手と時期、仕事、人との出会い、死ぬ時期など人生の大きなイベントはあらかじめ決まったものがあるのではないかと前から思っていました。自分や家族の事を振り返ってみるとそれを強く感じます。あれは初めから決まっていたのかと。主要な人生のターニングポイントを振り返って見るとおぼろげながら自分のコースが見えてきます。大きな骨組みが決まっているならあとの肉付けをするのが自分の自由意志ということになります。

パチンコ台を連想してみましょう。はじき出された玉は釘に当たってカンカンと弾き返され何通りかあるルートのどれかを通って最後は必ず下の穴に転がり込むようになっています。釘は想定以外のルートを玉が通らないように巧妙に設置されています。自由意志は殆どありません。その玉が昆虫など下等動物の一生です。人間はそんなことはありません。それではあまりにもみじめです。地上で最も進化した生き物ですから自由意志で行動できます。しかしすべてに自由でしょうか。

後に出てくるお釈迦様のメッセージの7月28日、4:50pmのところに「人は自分の力で何でも出来るように思いがちだが実際はこの大きな宇宙の摂理の元に生かされているのである」というくだりがあります。そして弘法大師の「人の人生の骨格は大体決まっていてあとはそれを肉付けしていくだけ」という啓示、そして私たちは結局因果律という秩序の中で生きているという事などを総合的に判断してみると定められた枠の中での自由ということになるのかもしれません。

そうだとすると将来を案じたところで意味がないことになります。私たちは人生の青写真で大方の事を決められてこの世に生まれて来たのではないかと感じます。それならばその決められたコースの中で精一杯やるしかありません。人生の岐路で迷い悩んだ挙句に決断して道を決めたということがよくあります。結果がわかっていたら何も苦労する事はありません。でもそれでは何の進歩もありません。だからそういうことを知らないほうがいいのでその最中にいるときは分からないようになっているのです。人は進化しなくてはいけません。それが宇宙の摂理のプログラムだと思います。一体どんな形でそんなプログラムを設定することができるのかそれは全くわかりませんが宇宙の英知は私たちには計り知れません。余談ですが私は今まで自分の寿命を方々の神様や仏様に聞いてみましたがこれだけは絶対に教えてもらえませんでした。神仏は知っているはずですがそれを教えるのはタブーなのでしょう。もしそれをやるとルール違反、私はこの世にいられなくなるのでしょう。とにかく余計な事を考えず一日一日を命輝かして精一杯生きるということが宇宙の摂理に合う生き方だと思います。



 8. 宇宙の摂理

惑星の軌道、地球の自転、潮の満ち引き、海流、四季の移り変わりなど森羅万象の全てを司っているものが宇宙の摂理です。またそれは植物や動物、人間などあらゆる生き物の営みをもコントロールしています。人間では男女の2次成長、昆虫がサナギから孵化して成虫に、一粒の種子から間違えることなくそれぞれの野菜や木に成長して実をつける。卵から違える事なく爬虫類や鳥類が生まれる。自然をよく観察すると私たち人間も実は宇宙の摂理によって生かされているということが分かると思います。もしちょっとでもこの摂理が崩れると自然界はメチャクチャな事になります。人は到底この地球上で生きてはいられません。もし宇宙の創造主が今の人類は心掛けが悪すぎる、一度滅ぼしてしまったほうがいいと考えたとしたらそれは雑作もないことでしょう。

しかし宇宙は明らかに意思を持っていて目指すものは愛と調和と進化ですからそのようなことはあり得ないでしょう。全体としては進化の方向に向かうようになっているけれども一方的に進むのではなく短いスパンで見ると3歩進んで2歩下がるというようなことを繰り返しているのかもしれません。




 9. 生命の神秘と科学

今まで科学は検知できないものは実在しないという見方をしてきました。科学で分かっていないものはまだ山ほどあると思います。分からないことのほうが多いでしょう。遺伝子を例にとっても体重60kgの人間は60兆個の遺伝子を持っていてその細胞一個一個に例外を除いてすべて同じ遺伝子が組み込まれているそうです。たった一個の細胞(受精卵)からスタートして分裂を繰り返しながら人の体の各組織を正確に形づくりそれぞれの細胞が間違えることなく遺伝子のプログラムに従って設計図どおりに人間の体を仕上げていく。人の細胞1個の核に含まれている遺伝子の基本情報は30億の科学の文字で書かれているのだそうです。これを本にしたとすると1000ページの本で1000冊分になるということで天文学的な数字です。

人の心臓から各臓器を回って再び心臓に帰ってくるまでの血管の全長は約9万kmあるそうです。また人の体は怪我などで欠損した場所があってもきちんと元通りに修復される、別の組織が間違ってそこに再生されるということはありません。怪我などで出血したらその場所に血小板が集まってきて破れた血管を塞ぎ、血管が収縮してそれ以上の出血を防ぐ、また大量に出血すると全体の血液量が減ると困るので体液が移動して血漿の量を一定に保とうとする、そういうような働きが自然に起きるように設計されています。そして外から菌やウイルスが侵入してくると白血球が集まってきてそれを封じ込めようとします。

現在歩いたり話をしたりするロボットが出来てはいますが人体のレベルとは比較のしようがありません。また現代科学は未だに細胞1個つくることも出来ません。こういう人間の肉体をいったい誰が作ったのか?進化の結果偶然にそうなったのか?そう考えるにはあまりに無理があり過ぎます。人間だけでなく他の生き物を見渡しても考えれば考えるほどその技術力というのは到底人間の及びもつかないものだと思います。地球上の生き物も含め全宇宙をコントロールしている存在こそが宇宙の摂理、創造主、(最近はサムシンググレイトと呼ばれることも多い)であると言えるでしょう。私たちが通常認識することの出来る範囲は極めて狭いものに過ぎず限られた場所でうろうろしているだけかもしれません。我々の周囲には人間が感知することの出来ないものが一杯存在しているにもかかわらず私達はそれに気が付きません。目隠しされているようなものだと思います。



 10. お釈迦様のメッセージ

去年の夏僧侶である娘婿から貰ったお釈迦様の像を観想して得られたメッセージを記します。こういうものはまとまりのある文章にするのは甚だ難しく理解しづらい文章になっていると思いますが一人で聞いたものを筆記しながら作成しました。一切の修正を加えていません。こういうものをもし私が勝手に自作してそれを神仏の言葉であると言って公表したりすると私は大きなカルマを背負い込んでしまうことになります。そういう事は恐ろしくて出来るものではありません。お釈迦様というと因果の法則をはじめとして哲学者的なイメージが強いように思いますが現在その実体を正しく知る事は不可能に近いと思います。私はそのことについて議論したりする程の知識はありませんし史実云々を議論するという事には関心もありません。唯自分が感得したものをそのまま文章で表現してみました。

お釈迦様のメッセージ  2006年7月28日  6:50AM
私が説いた教えは人がどうすれば幸せにこの世を生きられるかという方法である。内容は物事へのこだわりを捨て楽しく生きようということである。人が苦しむ時その原因は自分が作り出しているものであり私の教えはそうならない為のものである。仏教は後で色々な解釈や宗教的作法、行事などがついてきているが実際は単純明快なもの。今の時代は複雑で考えなければならない事が多いが真実は今も昔も変わらない。仏教について難しく考えすぎないように。本来の教えはシンプルなものである。難しく考えすぎると本質が見えなくなる。

 同日  4:50 PM
八正道とか苦集滅道とか色々難しい言葉があるがそういうものを理屈で理解して実践しようとしても意味はない。私が悟ったのは地上の全ての生命を育む偉大なエネルギーであり理屈ではない。人は自分の力で何でも出来るように思いがちだが実際はこの大きな宇宙の摂理のもとに生かされているのである。この偉大なエネルギーの流れに溶け込み一体となれば自然に色々な煩悩は消えていき苦しむことはなくなる。難解な教理に振り回されたり欲望を無理に押さえつけたりする必要はなく意味もない。 この偉大な宇宙の摂理の中で生かされていると感じられるようになった時以前のような悩みや苦しみが消えていることがわかり幸せを味わうようになる。世界の宗教はすべてこの偉大な宇宙の真理より源を発している。宇宙には全てを支配するものが存在する。それに気づき身をゆだねることが悟りへの道である。

 7/29 6:40 AM
素直さが悟りへの鍵である。人は自分が一人であると感じると不安になるがそうではなく自分を支え見守ってくれる大きな存在があることに気がついてくる。素直に疑わずに信じていればそれがわかる。八正道とかその他の理屈はすべて宇宙の理のなかに含まれており理屈に囚われていると真実を見ることはできない。理論は教えを体系化し説明する為の手段であって現実的ではない。学問としてそういうことを論じるなら意味もあろうが現実にそれらを実践するのは難しく意味がない。私はそういう理屈ではなく直に人々と触れ合い心で導いてきた。人は八正道などのルールを厳格に守ろうとすれば生き生きと人生を生きられるものではない。

人は形に捉われず伸び伸びと楽しく生きねばならない。そういう生き方こそが宇宙の理に調和できるのである。楽しいと感じる時生きる力が湧いてくる、そして楽しいと感じるものが最も自分を生かせる道なのである。また苦境に立ったときは物事を大きな視野から客観的に見るようにすれば自分の今置かれている状況がわかり解決策が浮かんでくる。

日々楽観的な気持ちで暮らすのが良い。悲観的になると次々に悪いものが吸い寄せられてくる。次々と悪い事が起こるような人間は心が暗く悲観的になっているからである。これも宇宙の法則であって自分の思いが実際の現象を生むのであり日々の心がけが大切である。心静かに大らかな気持ちでいるようにすること。私は常に人々が幸せに生きられることを望んでいる。

 7月30日  7:00 AM
今後は仏教も次第に形を変えていくだろう。宗教は人や世の変化に伴って変化し、進化していくものである。仏教においても他の宗教においてもこれからは一つの宗教の殻に閉じこもっていては時代遅れになる。科学をはじめ他の様々な分野のことを取り入れより幅広く柔軟に時代の変化に適応していかねばならない。 旧来の教えのみに固執していてはとり残されるようになる。

この国では葬儀や法事など宗教的行事をやるのが仏教という認識が強いが実生活のなかで真に役立つものになるよう形を変えていかなければならない。仏教は人を幸せに導かねばならない。常に真理を追究する姿勢とそういうことを理解し実行する人間がこれからの仏教界には必要である。

 同日 3:45 PM
人が考えたり行動したりする事は見えざる大きな世界の影響を受けている。人は皆その世界に繋がっているからである。皆が良い感情を持って生活すると世の中が良くなっていく。逆に悪い感情を持つと悪い出来事が起こるようになる。 良い思いを持つ人間が増えていく事で世の中も地球環境もよくなる。

人間は皆同胞、お互いに繋がっているのでその動きがあるレベルにまで達すると急激に変化する。物事を否定的に考えるのでなくプラス思考の人間を一人でも増やしていかなければならない。

宇宙の真実を知る事が悟ると言う事である。真実を知れば自然に物事の価値判断も出来るようになり迷いも無くなる。何が自分にとって重要か何が不要なものであるか判ってくる。宇宙の愛のエネルギーを受け入れること、これは真実を知ればそのエネルギーが入ってくるのである。人は喜び、歓喜を味わう時最もよいエネルギーを出す。暗い思い、疑い、怒りなどの悪感情は真理への道を閉ざしてしまう。リラックスして満ち足りている時が最も宇宙エネルギーと通じ易い。私は今も生き続けこの世のことを見ている。宇宙の真実を理解する者は私と通じる事が出来、知恵を授けることができる。人類や地球の危機が叫ばれているが危機感が現われた時には実際には修復機能が働き始めているのである。人々が危惧した通りに最悪の結果にならないことが多いのはその為である。これもまた宇宙の法則である。私に通じ教えを授ける事の出来る人間が現われることは私にとって喜びである。

地球も含めて宇宙にはプラスとマイナス、善と悪、陰と陽が存在しお互いにバランスをとろうとしている。どちらかに傾いた時には復元作用が働き元に戻るようになっている。良くない出来事が起きても過度に悲観的になる必要はない。それは必ず元に戻り次には良い事が起きる。日々の生活では何かに偏ることなくバランスの取れた態度が望ましい。私はそなた達が幸せに人生を暮らせるように見守っている。

 7月31日 7:00 AM
家族はお互いに認め合い許しあう事、家庭はその訓練の場でもある。川や海岸の石が角が取れて丸くなっていくように人はその環境の中でお互いに自分自身のことをよく認識し向上させる事が出来る。社会は家庭を大きくしたようなものである。

 9:00 PM 悟りへの道
物の道理を理解し、豊かな感受性と深い洞察力を持ち、物事を偏りなく客観的に見る事、情報に流されず事の真相を見抜く事。日頃の行いがバランスが取れている事、人を愛する、愛を与える事。自分の感情をコントロールする事。

また感性を磨く為には自然のもの、植物、動物、人が出すエネルギーを感じる練習をする。高度な芸術にふれる、自らも芸術をやる。それらをそのまま受け入れ感じてみるようにすればそれぞれが意思を持っていることが分かるようになる。プラスの波動、マイナスの波動がわかるようになる。対人関係においては相手がものを言わなくても考えていることが分かるようになってくる。

次第に自分とその他自然界のものが意識で繋がっている事を肌で感じられるようになる。そのうちに自分の思い、想念が外部に影響を及ぼす事が出来るようになる。良い神社仏閣に行き、祈ることは自分のエネルギーの流れを良くし自身の波長を整える効果がある。それにより高い次元の波長と合うようになってくる。自分が宇宙と繋がっている事を実感し、人を幸せに出来るようになってくる。宇宙の愛のエネルギーを周囲に分け与えることが出来るようになる。そういう人間が増える事によって世の中が良くなる、そして地球を救うことになる。

次々と悪事を働く者は自らの波長をそのレベルの波長に合わせており、悪いものしか入って来なくなる。そして世の暗闇ばかりを見るようになってくる。マイナスのことを積み重ねるとやがて限界点に達し自壊作用で潰れることになる。良い波動を持つものは良い波動と合い、良いエネルギーがどんどん入ってきてさらに良くなる。悪とは反対の事が起きる。

 8月1日  6:50 AM
悪い波動、想念に染まっている者を救うにはどうすればよいか。愛のエネルギーを注ぐ事、宇宙のエネルギーは大いなる愛であるから全てのものを凌駕する。



  11. 因果の法則と実証

 悪い事をするとばちが当たる、良い事をすればよい事があるというのは我々が子供の頃からよく聞かされてきましたがこれは事実です。神様や仏様が罰を下すのではなく因果律によって裁かれるということだと思います。私自身のことで思い当たることは山ほどありますがプライベートなことなのでその中から一つだけ紹介しましょう。

3年前に西国巡礼に行ったときの事です。滋賀県の琵琶湖の北部に国宝級の観音像を収めている寺や庵があります。日本で最も美しいとされる観音像もあります。そのなかのある小さな寺で綺麗な観音様が安置されていて写真撮影禁止になっていました。私は管理人が居なくなった隙にその観音像の写真を撮ってしまいました。うまい事やったなと思いながらそこを後にし次の札所である琵琶湖に浮かぶ竹生島にある宝厳寺に渡る船を待っていました。空腹だったので船着場のベンチでコンビニで買った弁当を開けて食べることにしました。食べ終わってほぼ空の弁当のパックをベンチの上に置くとそれまで無風だったはずなのに急に一陣の風が巻き起こりパックが舞い上がり私の頬をパシッと叩いたのです。醤油が私のシャツを濡らしました。ハッとしてこれは写真を写したことの罰だなと思わずにはいられませんでした。因果律が働いたのかどうかは実証することはできませんが人間の直感はほぼ正しいと思います。

私たちは見つからなければ悪い事をしてもやり得だと思ったりします。本当にそうでしょうか?しかし過去社会の目に触れる形で現われてきたものを見れば一目瞭然だと思います。政治家、官僚、事業家、芸能人などの悪業が暴かれていく様をみればよく分かります。誰も知らない、見ていないから何をやっても良いと思っても天は絶対に見逃してはくれません。全ての事が記録されて残っているのです。そして然るべき時が来たらそれを自己責任において精算しなければならないのです。内部告発で発覚するという形で出てきても因果律が働いた結果そうなったのです。最近の動きを見ているとその働きが活発化しスピードアップしているように感じます。

誰も因果律の働きから逃れることは出来ないのです。多くの人は何か自分にとって不都合なことが起きたとしてもそれが因果律が働いた結果そうなったという事に気付いていないのです。事実それは普通わかりません。人の行為や思考というものは全部モニタリングされていると私は思っています。また僧侶、医者、教師など人を導かなければならない立場の者が悪いことをした場合その罪は無知ゆえに何も知らずに犯した罪に比べて何倍も重くなります。また家族、地域、国のレベルにおいてもそれを単位とした因果律があるようです。アメリカ、イラン、イラク、中国、朝鮮半島などの動向を見ても表面的な動きの下にそれを感じる事ができると思います。

以下は仮説です。

「私たちが今までにやってきたことの記録は自身のオーラの中に全部記憶されて残っている。プラスの事マイナスの事が一杯入っています。しかしそれらはいずれ中和される必要があります。宇宙のエネルギーはニュートラルに向けて働くので全てのものを中和させなければなりません。例えばマイナスのエネルギーが溜まってくるとどこかでそれを放出する必要がありじっとその機会を待っています。そこでその対象が現われるとそれに向けて放電するようにエネルギーが放出される。そういう仕組みでカルマの精算が行われるのかもしれない。因果律の働きは数学的ですから機械的にそれは行われる。閻魔大王がそれをやるのではありません。その人間が今生でそれを精算できなかったら次の世に持ち越されるということもある。一体誰がそんなシステムを作ったのか?宇宙の創造主でしょうか?遺伝子の働きの凄さを見るに付けそれぐらいのことは出来てもおかしくないと思ってしまいます」。

それでは一体何を基準にして人の行為の善悪、プラスとマイナスが決まるのかというと大まかに言って宇宙の理(愛、調和、進化の道)に反する事はマイナス、それに貢献することならプラスということになるかと思います。これは仏教の教えをみれば一目瞭然だと思います。仏経の中に十善戒という教えがあり仏教徒はそこに挙げられたような悪い事をしませんと誓うものです。ですから正しく仏教の教えを守っていれば間違いありません。しかし厳密にそういうものを守ろうとすると現代社会の中では生きていけません。それにこだわると息苦しくなります。そして束縛されているように感じてしまいます。そういう気分で家の弘法大師像の前に来たら次のインスピレーションが降りてきました。

「因果律を否定的に捉えるのではなく進化の為のプログラムと考えるべきである。それによって反省しそれをバネに自らが進歩することに意味がある。因果律は人を縛り付ける為のものではなく正しく導く為にあり実態は大いなる愛の摂理なのである」。

さすがはお大師様!もう合掌するだけです。孫悟空が雲に乗り世界の果てまで飛んでいったと思ったらそこはお釈迦様の指の間を行ったり来たりしていただけだったという話がありますが、なるほどそういうことだったのかと思わせます。

仏教で陰徳という言葉がありますがこれは人知れずに奉仕などの善業を積んで行くということです。普通なら、誰も見ていないのにやっても認めてくれないから、と思いがちですが実はそうではなくちゃんと天のスコアーにつくようになっているのです。改めて仏教の奥深さを知る思いです。例え過去に悪い因を作ったとしても心を入れ替えて善業に励めば悪因は解消されていくのではないでしょうか。そう思いたいものです。

善を成すようになってくれば心の波動が高くなってきて高い波動のものと引き合うようになり一段と上を目指すようになります。そうなれば怒り、恨み、妬みなどの低いマイナスの波動には感応しなくなります。そうすることで霊性の進化が得られるのではないかと思います。マイナスのエネルギーで作られた過去の悪因とも引き合わなくなるのではないでしょうか。

日頃の生活で細かく因果の法則などを気にしていたら到底伸び伸びとは生きられません。誰でも感じる事ですが良い事をすれば後が気持ちがよく、逆に良くない事をしたら後味が悪いです。悪いと感じることをしなければいいのです。人は誰でも本能的に知っているのです。明るく前向きに生きていれば自然に悪い事をしようという気はなくなります。

              (大空澄人氏 のホームページより許諾を得て転載)
               「いのちの波動」⇒ http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/




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                    【参考資料 13】 (2011.06.30 )
                          =『天国からの手紙』関連原稿=