(日付の新しいものから順にならべてあります)



                                  [参考資料28] 2019.05.20
      菩薩界から来た人


  このホームページの随想集(73)に「神界から来た人」という文章を載せている。佐藤愛子氏の『私の遺言』(新潮社、2002)に書かれている話を紹介した文章であるが、この同じ本に、佐藤氏が、中川昌蔵氏にも触れている箇所がある。佐藤氏は、自分に降りかかった霊障を取り除いてもらうために、いろいろな霊能者の力に頼っていたが、この「神界から来た人」相曽誠治氏とともに彼女に救いの手を差し伸べていたのが、菩薩界から来たといわれる中川昌蔵氏であった。
 『私の遺言』のなかでは、佐藤氏は中川昌蔵氏が菩薩界から来た人であることは書いていない。或いは彼女も、それには気づかなかったからかもしれない。しかし、別のところで、中川昌蔵氏が自ら、自分は「菩薩界から来た」ことを明かしていたことがある。霊界と自由に交信できる中川氏に対して、小林正観氏が、「霊界と交流していて、何か分かったことがありますか」と聞いたのに対して、中川氏は、「私は生まれる前、霊界の菩薩界にいて、菩薩として仕事をしていたらしいのです・・・・」と答えているのである。(小林正観『守護霊との対話―中川昌蔵の世界―』弘園社、2005、pp.200-201) この部分は、このHPの「学びの栞」(B:46-zzo)にも引用している。
 菩薩界から来たという中川昌蔵氏とは、どういう人であったか。それを改めて、佐藤愛子『私の遺言』から、以下三つの部分を抜粋しておきたい。(1)の冒頭には、中川氏は、「1914年生まれで今年(2002年)88歳になられた」とあるが、氏はその年、88歳で他界された。



     ******


 (1)
 ・・・・・・中川氏は1914年生まれで今年(2002年)88歳になられた。もとは大阪の家電販売会社の創設者である。60歳の時に思い立って会社を後継者に譲り、「大自然の法則と心の波動を上げる」ための活動に入られた。順調に繁栄していた会社経営から手を引いた次第というのはこうである。
 氏が60歳のある日のことである。突然発熱してそれが一週間ほど続き、それから血便が出るようになった。あらゆる検査をしたが原因不明のまま、とうとう臨終を迎えた。「ご臨終です」という医師の声が聞こえたが、目を開けても真っ暗で何も見えない。それから次に家族の人達が葬儀の相談をする声が聞こえた。

  「それからどれくらい時間が経ったかわかりませんが、次に私が聞いたのは四次元世界の声でした。2,3人居るようですが、そのうちの一人が『この者の使命は終わった』といいました。すると別の声で『ちょっと待って欲しい。この者にはまだ使命が残っているから、今死なすわけにはいかない』といい、それから何か、がやがやと互いに意見を言い合っている声が聞こえました。生命の終焉を告知した神の声は、重々しい感じでなく、事務的ですが確信に満ちた声でした。最近わかったのですが、死というのは神が管理しており、死を宣告する神がいるようです。本当の死は、三次元の肉体で決まるのではなく、四次元で決まるということです。
  『まだ使命が残っている』という声を聞いて、私は『ああ、そうだ、すっかり忘れていた』と魂の記憶が思い出したのです。私の魂は人々に大自然の法則を教え、各自の魂の向上をはかることを教える使命と目的をもって地上に転生輪廻してきたのに、60年間、事業と仕事に没頭して、本来の目的をすっかり忘れていたのです。このまま生命を失い、何も使命を果たさず霊界に帰ることを考えた時、身体がブルブル震え、私は跳ね起きました。死を目前にして、やっと本来の使命を思い出し、目覚めました。不思議なことに、目覚めてから病気の症状が全くなくなり、1ヵ月後、原因不明のまま退院しました」

 以上は中川氏の著書『運命の法則』から抜粋したものである。この運動を始めるに当たって、氏は守護霊から2つの約束を求められた。 第一は組織を作らないこと、第二はこの運動で金儲けをしないことである。
  「私も同感でしたので、現在もこの約束は守り続けております」と中川氏は結んでいる。
 (佐藤愛子、前掲書、pp.246-247)



 (2)
 「私のいうことを絶対だと思わないで下さいよ。あくまで一つの情報として聞いてくださいよ」
 氏はくり返しそういわれる。すると私は何かしら気が楽になり、却って信頼する気持が生れる。「私のいうことを参考にして考えて下さい」という中川氏に酸いも甘いも噛み分けた人の持つ、柔軟な、懐深い安心感が漂うのは、もしかしたら、中川氏の「人間的経験」の豊富さのためかもしれない、と私は考える。
 中川氏の著書に「幸福になるためのソフト」という5箇条が記されている。

 「今日一日、親切にしようと想う。
  今日一日、明るく朗らかにしようと想う。
  今日一日、謙虚にしようと想う。
  今日一日、素直になろうと想う。
  今日一日、感謝をしようと想う。」

 これを紙に書き、いつも見える場所に貼って(トイレが最適という)毎日見ては心に染み込ませることが大事であるといわれる。教訓カレンダーにあるようなそんな他愛のない言葉、と多くの人は思うだろう。実は私もそう思った。だが次につづく文章を読んだ時、私の中で何かが胸にコトンと落ちた。

  「実行してはダメです。
 意識して実行すると失敗します。
 なぜかというとコンピューターというハードにはソフトが不可欠なように、人間には肉体というハードがあり、そのハードにもソフトが不可欠なのです。親切というソフトが必要なのですが、ソフトをつくる前に人に親切にしたら失敗してしまうのです」

 人間の大脳は左右二つに分れているが、左脳は外部からの教育を受け、体験を積むことによって育つが、右脳は自分で啓発し反省することで成長する。右脳の感性は四次元世界の能力で、自分以外のものに価値を発見して喜びを感じる性質がある。
 宇宙は物質の世界とエネルギーと精神の世界から出来ている。神は人間の大脳を左右二つに分けて、左脳は物質の世界に、右脳は精神の世界に対応する能力を与えられた。そして左右の脳がバラバラに働いて混乱しないように脳梁という連絡路を作り左右の脳が情報を交流し合うように配慮してある。
 現代人の右脳はよく働かなくなっているが、それは物質世界の中で育ち、小学校から大学まで理論や数学や権利意識ばかり教育して左脳人間を作り上げた結果である。中川氏はいう。だから右脳にソフトをインプットすることが必要になってきたのであると。
 世には「善行をほどこせ」という言葉がある。だが善行をしなければならないという意識によって善行をすることは、波動を高めることにはならない。剛情我慢はいけない。無理に立派な人になろうとしてはいけない。大切なことは「想う」ことなのだ。その想いがいつか身についていること、それが大事なので、だからトイレに貼って朝夕眺めて、右脳に「すり込む」のである。考えてみれば昔のおとなはみな、子供にたいしてこの「すり込み」を行ったものだった。(前掲書、pp.249-251)


 (3)
 死後の世界つまり四次元世界は幽現界、幽界、霊界、神界にあらかた分れていることは既に述べてきた。人が死ぬと魂はその人の波動と同じ波動の所へ自動的に移動する。波動が低いと幽現界の下層や地獄(暗黒界)へ落ちる。この世での成功、栄誉や富は波動とは別のものであるから、たとえ天下を取ったと満足していても、波動によっては地獄へ行かなければならないのである。
 地獄というと針の山や血の池があって、赤鬼、青鬼が亡者を苦しめている絵図をたいていの年配者は思い出すだろう。昔の子供はそんな地獄相を聞かされて、悪いことはするまいと心に染み込ませたものだ(今は地獄もまたメディアによってエンターテインメント化されているから、今の子供は怖いものなしに育って行っている)。
 地獄の実相は勿論そんなものではない。中川氏は与えられた使命上、死後の世界を一通り見学させられたのだそうで、それによると、地獄は実際に何もない暗いだけの世界で、波動によって何層もの横割構造になっている。そこへ行った魂は自分が人を苦しめた罪を逆の立場で、つまり自分が苦しめた人の立場になって体験する夢を永遠に見つづけて苦しんでいるということだ。地獄の最下層は真暗闇でジトジトした強い湿気の中、何ともいいようのない悪臭が充満していて、亡者はただじーっとうずくまっているだけである。そこまで落ちるともはや苦しみを感じることもなく、いつまでもいつまでも永遠にそうしている。そこより少し上の階層ではそれぞれの罪の意識によって苦しまされているが、それに較べるといっそ、何も感じないで闇の中にうずくまっている方がらくだという考え方をする人もあるかもしれない。
 だが苦しむことによって魂は、そこから逃れたくて修行をするのである。少しでも上へ上るために浄化を目ざす。そうして幽界の下層へ上り、更に修行をして少しずつ上へと上って行く。更なる修行を目ざして三次元世界に生れ替り、そこでこの世の苦しい現実に耐えて前世の償いをする魂もある。いわゆる輪廻転生というのはそういうことなのである。
 では魂の波動を高めるにはどうすればいいのでしょうという質問に対して、中川氏はこう答える。

 「難しいことは全くありません。学問も知識も必要ありません。人は一人では生きられない。私は生かされている――。そのことを認識し、ありがとうという感謝の気持ちを表現すればいいのです。感謝することで魂の波動は上がります。実に簡単なことです」

 それは昔々から言いふるされてきた訓えである。あまりに素朴、当たり前のことなので、質問した人は拍子ヌケしてしまう。だがそれは真理なのである。真理とは本来素朴なものなのだ。いかに古くさくても真理は真理なのである。
 人に親切にしよう、お父さん、お母さんに感謝をしよう、人のものを欲しがったり羨んだりしてはいけない。年寄りを大切にしよう、嘘をつかず正直にしよう、我慢をしよう、欲張りはいけない。勇気を持とう・・・・・代々の子供たちに昔からくり返されてきたその教訓を、今の教師や親がどれほど子供に教えているだろう。物質的充足を幸福であると思い込んだ頃から、我々は我慢を忘れ要求することばかりを教え、不平不満を増幅させてきた。親が子に教えるのは、どうすれば得になるかということばかりになっている。正義も勇気も教えない。虐められっ子の味方をして虐めっ子に立ち向かえば、今度はあんたが虐められるようになる、見て見ぬふりが一番利口なのよ、と教える。
 悪想念はエネルギーであるから消滅することなく地球表面の4次元世界に堆積して神の光を遮断する。そうして国の波動は下がり、悪霊浮遊霊が憑依して苦しむ人や凶悪犯罪が増えるという循環が起こっている。
 時たま私はテレビの心霊番組を見るが、テレビメディアが心霊問題まで格好の「見世物」にしていることに腹が立つよりも心配になってくる。心霊番組を作るのなら、霊魂や死後の世界についての真摯な探求心を持ってほしいものだ。そこに登場する霊能者なる人を私はインチキであるとはいわない。霊能はその人の波動によって千差万別であるからだ。波動の高い人は高い波動の世界まで見えるが、低い霊能者は低いものしか霊視出来ないといわれている。それはともかくとしてそれぞれのやり方で除霊が行われ一件落着のように見えるが、本当は問題はそれで終るのではない。
 その時は除霊が成功したとしても、憑依されていた人自身の波動が高くならなければ、除かれた霊はまた戻ってくる。あるいは出て行った浮遊霊の後に別の浮遊霊がやってくる。体質が霊体質の人は特にその自覚が必要なのである。そのことを霊能者は声を大にしていわなければいけないと私は思う(あるいはいっていてもテレビ局が勝手に除去してしまうのかもしれないが)。
 力があるというので数多い信奉者に囲まれていた女性霊媒が次第に評判を落して行った。彼女の霊視が信用出来なくなったのだ。つまり力が落ちたのである。
 なぜ力が落ちて行ったか、その理由についてこんな話を聞いたことがある。彼女の霊視はよく当るので、依頼者がだんだん高額の謝礼金を置いて行くようになった。しかし前に記したように、霊能者にもその時々の体調の良否がある。依頼者が少い頃はよかったが、増えてくると疲労して集中力がゆるんできた。見るべきものが見えにくくなる時がある。
 しかし彼女は高額の謝礼金を貰っている。そのために、今日は調子が悪い、よくわからない、とはいえなくなった。金を取っておきながら、わからないといって帰すわけにはいかない。そこでつい、いい加減なこと、自分の当て推量をいってごま化すようになった。欺すつもりはないのだが、大家になってしまったために、正直に謝ることが出来なくなったのだ。一般に大金を受け取る霊能者を信じない方がいいといわれているのはそういうわけなのである。
 すべてが科学的に解明されてしまう世の中に倦んだ人たちが、わけのわからぬ不気味な現象に心を躍らせる。怖いねえ、不思議なことってあるのねえ、あれはヤラセじゃないの、そうかしら、でも・・・・・などと言い合って、日常生活の刺激にする人たちを目ざして、もっと怖がらせよう、もっと好奇心を刺激しようと、それのみを考えている心霊番組制作者の波動は下がりきっている。霊能者がしなければならないことは、霊を祓うことだけではなく、心の持ち方、神のルール、死後の世界を教えることだ。それは急を要していることなのである。(前掲書、pp.252-256)





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 [参考資料 27]  2019.05.02

     「『五感』で死を受け止めると見えるもの」 


 青木新門『納棺夫日記』(桂書房)という本がある。1993年に出版されてベストセラーになった。この本を読んで感動したのが、俳優の本木雅弘氏である。本木氏は、この本を是非映画にしたいと意気込んで、10年以上スポンサー探しをし、とうとう映画化を実現させた。それが『おくりびと』で、この映画は2008年度の日本の数々の映画賞を受け、第81回米国アカデミー賞外国映画賞をも受賞している。
 この『納棺夫日記』の著者・青木新門氏は1937生まれで、早稲田大学中退後、飲食店を経営しながら文学を志していた人である。後に冠婚葬祭会社に入社して、納棺夫として働いたこともあった。『納棺夫日記』はその体験を基にして書かれた本のようである。氏は、自分の納棺夫の仕事で日常的に死者に接してきたことから、死に対しても、深い洞察をもつようになった。それを渡辺和子氏らと共著で出した『人は死ぬとき何を思うか』(PHP、2014)のなかで「『五感』で死を受け止めると見えるもの」と題して書いている。
 ここでは親鸞のいう「光明の世界」を強調して、「人は死後光り輝く世界へと往くのみ」で、「霊魂や死後の世界など、介在する余地はない」という言い方がされているが、こういう見方があることも、参考にしておきたい。以下、そのうちの一部を二つの章にまとめて、引用する。


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 1.どんなに死を恐れ、隠しても、死から逃れることはできない

 無縁社会、自殺・他殺、孤独死など、多くの人は「死」に不安を抱いている。それは、生にのみ価値を認め、死を忌むべき悪としてとらえ、隠蔽して生きているからにほかならない。
 私が納棺の仕事を始めた昭和四十年代は、死体は枯れ枝のようなものが多かった。自宅での死亡が五割以上あった時代で、とくに老衰による死体は蝉の脱け殻のような乾いたイメージだった。それが高度成長とともに、ぶよぶよした死体が多くなってきた。そこには多くの人が自宅ではなく、病院で死を迎えることが関係している。
 昔は口からものが食べられなくなったら、栄養補給ができず、痩せ細って枯れ枝のようになるしかなかった。ところが現代は点滴で栄養を補給するので、枯れ枝のようになることはない。遺体の腕には痛々しい点滴の針のあとが点在し、とくに下腹部から管などをぶら下げたまま病院から運び出されることもある。そんな遺体からは生木を無理やり引き裂いたような不自然な印象を受ける。
 今の医療機関では、死に直面した人でも、自然に死なせるということがない。体中に生命維持装置を取りつけられ、周囲は延命思想の医師や生に執着する親族たちばかりが取り囲んでいる。聞こえてくるのは「頑張れ」という言葉ばかりで、そんな環境のなか、彼らは死について考えることもできないまま、死を迎えることになる。
 国立がん研究センターの教授から聞いた話だが、ある末期がん患者が「頑張って」と言われるたびに苦痛の表情を浮かべるのに気づき、痛み止めの注射をした後、「私も後から旅立ちますから」と言うと、その患者は初めてにっこり笑い、その後は表情も変わったという。
 どんなに笑顔を取り繕ってみても、老いは必ず訪れ、死は確実にやって来る。その影に怯えながら、人々は生きている。だが生のみに価値を求めるのは、生物として自然な態度ではない。樹木は温度や環境の変化に対応して生きている。春や夏には緑の葉をつけ、それが秋になると紅葉となり、寒くなると枯れ葉になって落ちる。それを繰り返すから、命をつなぐことができる。
 飛行機も上昇した後に水平飛行に入るが、目的地が近づけば着陸に向けて下降を始める。乗客もシートベルトを締めるなど、着陸の準備をする。この着陸態勢に向けた準備をしようとしないのが、今の日本人である。
 かつて五十年と言われた寿命が八十年になり、延びた三十年を「いきいきと充実して送らなければならない」という思いにとらわれている。
 上野動物園の園長を長く務められた中川志郎氏から、以前こんな話を伺った。

 「自然界の動物は平均で五〇パーセントの余力を残して死んでいる。しかし動物園では、人間の科学技術で寿命いっぱい生かそうとする」

 動物園の動物に限らず、今の日本人にも同じことが言えるのではないか。余力を残して死ぬことをよしとしないのだ。(『人は死ぬとき何を思うか』PHP、2014、pp.133-135)



 2.死者が向かう「光の世界」とは

 人は死ぬと、どこへ行くのか。死に逝く人や死者たちから「死の実相」を教わりながら、私は親鸞の言う「清浄光明ならびなし」の世界を確信した。親鸞は『教行信証』のなかで次のように断言している。

 仏とは不思議な光であり、浄土とはその光が遍満する光明の世界である(仏はすなはちこれ不可思議光如来なり、浄土はまたこれ無量光明土なり)

 この「光」とは、太陽や蝋燭の光とは違う。太陽や蝋燭の光は、遮断物に遮られると影ができる。親鸞はこれを「不可思議光」とも呼んでおり、この光にあうと不思議な現象が起きる。
 まず生への執着がなくなり、死への恐怖もなくなる。安らかで清らかな、すべてを許す心になる。あらゆるものへの感謝の気持ちが溢れ出るのだ。
 危篤状態の人が死の床に際し、急に明るく柔和な顔になり「ありがとう」と感謝の気持ちを示すのは、まさにこの光に接したからである。それは、岨をも光って見える美しい世界である。霊魂や死後の世界など、介在する余地はない。死後の世界は、現世の延長線上にあるのではなく、だから閻魔大王や地獄なども存在しない。
 日本では死後、死者の霊魂がさまようことを前提に、仏教葬儀の作法が定められている。枕元に線香を一本だけ立て、二本にしないのは霊が迷わないようにするため、位牌が必要なのは霊の宿りのため、遺体の胸に守り刀を置くのは悪霊が入り込むのを防ぐため、三途の川を渡るため六文銭を持たせるといった具合である。死後の世界へ向かう死者の姿も、手甲脚絆を着け、草鞋を履いてとぼとぼ歩く姿である。
 だが人は死後、そのようなことにはならない。ただ人は、光り輝く世界へと往くのみなのだ。
 私自身、死者の顔が安らかで美しいと思えるようになった頃から、過ぎ去った青春も、老いも、死もまた美しいと思えるようになっていった。そう感じるようになると、死はもう恐ろしいものではない。どんなことがあっても、安心して明るく生きていけるようになる。
 (同書pp.139-141)




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                                  [参考資料26] 2019.04.08

    生と死をめぐる四つの考察


  霊能者といいわれる人々が、すべて、霊格が高く、人柄や言動も信頼できるというわけではない。霊能者といわれる人々の霊能力も、ピンからピリまであって、神技ではないかと思われるよう奇跡を現出できる人もおれば、わずかばかりの霊感を売り物にしている人もいるかもしれない。しかし、霊能者が霊界とコンタクトできる高い能力を持っている場合は、私たちの手の届かない、貴重な情報を伝えてくれる有難い存在である。そのような情報を私たちは、シルバー・バーチも言っているように理性を働かせながら、真実を見極めていくための資料として受け入れていくことができる。
 ここでは、江原啓之氏の『日本のオーラ』(新潮社、2007年)を取り上げる。江原氏は、霊能者の一人として、多くの著作を公刊しているが、この本は、氏が、2006年3月号から2007年8月号までに「新潮45」に掲載した「スピリチュアル世相診断」を加筆・修正したもののようである。そのうちの一部を4つの章にまとめて、その要点を以下に引用しておきたい。

     *****


 1.死は終わりではない

 人間は死とともに肉体という殻を脱ぎ捨て、幽体と呼ばれる霊的エネルギー体になります。そして、私たちが生きている現世と、霊的世界の中間にある「幽現界」と呼ばれるところへ行きます。一般に「死後四十九日はこの世にいる」と言われるのは、この世にいるわけではなくて、実は幽現界にいることなのです。この幽現界にいるときが、浄化されていない状態です。
 なお、成仏と浄化はどう違うのかと思う方もいるでしょうが、成仏というのは仏教用語です。したがって、スピリチユアリストとしては浄化もしくは放念すると言っています。
 なぜ、すぐに浄化できないのかと言うと、現世への執着があるからです。亡くなってからも「預金通帳はどうしよう」とか「子どもは大丈夫だろうか」とか、様々な執着が浄化を妨げます。また、霊的な世界を信じない人は、死んだことをなかなか受け入れることが出来ず、「まだ自分は生きているんだ」と思ってしまいます。こうした想いや執着がなくなるまで、たましいは幽現界にとどまるのです。
 例えば、朝の新宿駅に行くと、通勤しているサラリーマンの霊を視ることがよくあります。「俺が行かないと、仕事にならない」と、そういう執着を捨てることができない未浄化のたましいの姿です。幽現界にいるたましいは、このように自由に移動できますから、意外なことに墓場には霊がいないのです。墓場にいる霊は、「死んだら墓場にいるものだ」と思い込んでいる霊なのです。
 自分が死んだことを受け入れて、執着もなくなると浄化されて、次の段階である「幽界」 へと進みます。よく言われる「天国」や「地獄」は、「幽界」の高いレベルの層と低いレベルの層を指していることが多いようです。この「幽界」に行くまでに、普通の人でだいたい五十日ぐらいかかるとスピリチュアルな世界では言われています。昔の宗教家の人たちは、私に言わせればみんな霊能者ですから、そうしたことが分かっていたのでしょう。そのため、「四十九日はこの世にいる」と説法したのだと思います。
 また、ずっと独身でいて、「死んだ後に誰も供養してくれないから成仏できないのではないか」「永代供養で大丈夫なのかしら」と思っている人もいるでしょうが、心配はいりません。むしろ、家族がいない人のほうが子どもや孫への執着がないだけに、浄化が早いことが多いのです。
 生きている間も死んだ後も、いかに執着から自分を解放させるかということが大切なのです。
 幽現界にいるこうした末浄化の霊が他の人の肉体に乗り移ることを「憑依」と言います。憑依をやたらと恐れる人がいますが、先にサラリーマンの霊の話を出したように、実際には憑依といっても些細な霊であることが多いのです。強烈な悪霊みたいなものが憑依することはめったにないので、安心してください。
 なぜ、憑依という現象が起きるのでしょうか。これは以前にも言いましたが、「波長の法則」です。つまり「類は友を呼ぶ」という法則で、あなたの周りには、あなたと同じ波長を持っている人が集まってくるのだと説明しました。「私の周りにはロクな人がいない」とグチっている人は、その人自身がロクでもない人だから、ということになります。霊の場合もそれと同じことが言えます。
 喫茶店で似たもの同士の主婦が集って、他の奥さんの悪口を言っていたりします。同じ波長を持っている人同士が集まっているわけで、こうした奥さん同士は互いに「憑依」していると言えるわけです。生きている人間同士でも、このような共依存関係になっている場合は、憑依と言っていいと思うのです。
 そう考えると、生きている人間か死んだ後の霊であるかの違いはあれ、憑依というのは決して特別なことではないし、恐れることもないわけです。
 ですから、憑依というと、未浄化の霊が悪意で取り憑いているかのように思われるかもしれませんが、そうではないのです。「波長の法則」で霊を引き寄せているだけ。憑く霊が悪いのではなく、憑かれる方が悪いのです。先のサラリーマンの霊で言えば、同じように悩んでいるサラリーマンにも、憑かれる理由はあるのです。
 誰でも「なぜ、あのとき、あんなことを言ってしまったんだろう」と後悔した経験があるかと思います。普段は絶対に言わないことを、もののはずみで口にしてしまった――そのような場合も、だいたいは憑依であることが多いものです。
 酒乱で暴れるようなケースも、憑依だと判断していいことがあります。お酒をある一定量を超えて飲むと、意識が薄れてきますが、あれは非常に軽いレベルのトランス状態です。そうなると、酒乱気味の人は、酒場へ来ている酒乱の霊に憑依されやすくなってしまうのです。本人に酒乱の気があるところへ、酒乱の霊からも憑依されるわけですから、二乗に酒乱になってしまう。その結果、人に暴力を奮っていたり、酷いことを言っていたりする。気がつくと、まったく覚えていなくて、迷惑をかけた人に頭を下げて回るといった人も、短い時間ですが憑依されていたと言えるのです。
 意外に身近なところで、憑依という現象が起きていることがわかってもらえたかと思います。憑依というのは特に恐れる現象ではありませんが、どうしても憑依されるのが嫌だという人は、物質主義的な執着心を持たず、負の想いを抱かず、常に人格を高めるような努力をして下さい。そうすれば、そのような末浄化の霊を呼び寄せることはまずありません。
 さて、人間は死んだら浄化されるまで幽現界にとどまること、そしてそうした浄化されない霊は憑依することもあることを説明してきました。
 では、死刑になった場合、そのたましいはどうなるのでしょうか。死刑になるというのは、ある意味で全世界が敵に回ったようなものです。「お前は生きている資格がない」と烙印を押されたのと同じこと。それで本人が悔いて、「もう死なせてほしい」と思っていれば別ですが、たいていの場合は、自分を葬り去ろうとしている社会への恨み、つらみを抱いたまま、刑に処せられることが多いのではないでしょうか。「俺がこうなったのも世の中のせいだ」と想いながら死ぬと、そのたましいは幽現界をさまよい続けることになります。社会への恨み――その執着が非常に強いため、なかなか浄化されることがないからです。
 こういう霊は、自分が死んだことが分かると、今度はよからぬ人間が透明人間になったらやろうと思いつきそうなこと、例えば覗き見をするといった、そういうことを全てやろうとします。そして、次に自分と同じような社会への恨みを抱いている人間がいると、いつの間にか憑依して、完全に二人羽織状態になります。こうなると、生前と同じように、凶悪な犯罪を起そうとするのです。
 なお、こうした凶悪な霊に憑依され、コントロールされやすいのは男性のほうが多いようです。憑依霊がその肉体や精神に影響を及ぼそうとしても、女性のほうが頑固で抵抗するからです。男性のほうがたましいが弱いと言いましたが、憑依に対しても男性は素直で諦めやすい。一概には言えませんが、男性のほうが憑依霊を受け入れてしまいがちです。
 霊には時間も距離もないですから、どこでもいつでも現われて憑依する可能性があります。
 ですから、凶悪犯罪を減らそうとすれば、まず死刑を廃止することです。もちろん、だからといってすぐに凶悪犯罪がなくなるわけではありません。人の心に物質的な執着や不幸な生い立ちから生じる社会への恨みなどがある限り、残念ですが、犯罪はなくならないでしょう。出来るだけそういう想いを抱かずにすむ社会を作っていくべきなのは言うまでもないことです。(江原啓之『日本のオーラ』新潮社、2007、pp.45-51)


 2.個人ばかりではなくて国にも働くカルマの法則

 二〇〇一年九月十一日に起きた米同時多発テロは、約三千名が命を落とすという悲劇を生みました。その報復としてアメリカのアフガニスタン武力侵攻が起こり、ブッシュ大統領から「悪の枢軸」と名指しされたイラクへの攻撃へと続いていきました。
 なぜ、世界から戦争がなくならないのでしょうか。スピリチュアルな視点から国のカルマや戦争というものを考えてみたいと思います。
 人に「カルマの法則」が働いているように、国にもカルマがあり、「カルマの法則」が働いています。この法則は、簡単に説明すれば自らが播いた種は自分で刈り取るという法則です。
 アメリカにおける同時多発テロは決して許される行為ではありません。許される行為ではないけれど、ではスピリチュアル的に見た場合に、全く故なきことと言えるのでしょうか。
 アメリカという国が歴史上どのようなことをしてきたのか、そのカルマを考えてみるとどうでしょう。アメリカの国土そのものは、もともとネイティブ・アメリカンの土地であって、その土地とそこに住む人々を攻撃、占領することで国が出来ていきました。
 また、朝鮮戦争やベトナム戦争など、第二次世界大戦後も多くの戦争に関与し、他国で戦ってきましたが、決して自国が戦場となったことはありません。南北戦争のような内戦で国内が戦場になったことはあるにしても、基本的には「国内が戦場になったことのない国」だと言えます。アメリカでも戦争のたびに多くの若者が亡くなり、戦争の痛みや悲しさは知っていても、国として見た場合は、「自らが生まれ育った国が他国によって攻撃されて、多くの人たちが亡くなる痛み」を知らない国だったように思われます。ですから、同時多発テロによって、初めてアメリカはそういう痛みを知ったと言えるのではないでしょうか。
 世界貿易センタービル跡地をアメリカでは「グラウンド・ゼロ」と呼ぶようになりました。この言葉は、アメリカの原爆投下によって二十万人以上の犠牲者を出した広島・長崎の爆心地を一般的には指します。ですから、アメリカ人がそう呼ぶことに対して、不謹慎だという批判があります。しかし、この言葉を使うことからもわかるように、アメリカは原爆を落とされた日本の痛みを何十分の一かでも初めて知ることが出来たのかもしれません。
 誤解して欲しくはないのですが、私はテロを肯定しているわけではありません。テロに対しては怒りを覚えますが、「カルマの法則」は、個人ばかりではなくて、国にも働く法則なのです。ですから、もし「九・一一」がなかったとしても、いずれそのようなことが起きた可能性も否定できません。
 現在、アメリカは決して治安のいい国とは言えません。国内での銃による死者は年間約三万人(自殺者を含む)にも上ります。見方を変えれば、国内がプチ戦場化しているわけです。これも借金を少しずつ返済するように、播いた種を刈り取っていると言えなくもないのです。
 また、前にも説明したように「カルマの法則」は決して天罰ではありません。良い種を播いたら良い収穫を、悪い種を播いたら悪い収穫を刈り取らなければならないという法則です。一方でアメリカがあれだけの繁栄をしているのも、それだけ人類に貢献してきた面があるのだと見ることも出来るのです。
 この「カルマの法則」が働くとしても、「日本は原爆を落とされて二十万人以上の人が亡くなったが、それだけのカルマがあったのか」と思う方もいるでしょう。
 日本は、アメリカが原爆を落としたように瞬時に何十万人もの犠牲者を出すことはしていませんが、細かいカルマの種は播いているように思われます。
 北海道にしても、アメリカ人がネイティブ・アメリカンから土地を占領したのと同じように、アイヌ民族から土地を奪ったものです。一八九九年(明治三二年)に北海道旧土人保護法が制定され、アイヌ保護を名目に共有地を奪ってきました。この法律が廃止され、アイヌ文化振興法となったのは、一九九七年です。それまでアイヌ民族は法律上では「旧土人」扱いをされてきたわけです。
 北海道ばかりではなく、薩摩藩が琉球王朝を属国にしたり、近代に入ってからは中国の東北部に「満州国」を建国したりと、歴史的な流れの中での事情はあったにしても、日本も小さなカルマの積み重ねはたくさんあるように思われます。
 犬猿の仲と言われがちな韓国との関係に至っては、すでに『古事記』に記述が見られます。仲哀天皇(ヤマトタケルノミコトの子)が神託を問うたところ、神功皇后が霊媒になって、「西の方に国がある。金銀の財宝に溢れる国だ。わたし(神)は、その国を授けよう」と神の言葉を語りました。この神託によって行なわれたのが、新羅出兵(『日本書紀』によれば、新羅・百済・高句麗の三韓出兵)と言われています。戦後の史学では、この出兵は史実ではないとされていますが、四世紀頃には日本は朝鮮半島へ進出していたことを示す史料もあり、両国間に何らかの関係があったのは間違いないようです。
 日本最古の歴史書『古事記』(七一二年)に、こうした記述があるぐらいですから、日本と朝鮮の因縁は、根深いものがあると言えるのかもしれません。
 そのような歴史の積み重ねの中で播いてきた種を、ある時刈り取らなければいけなくなります。それはどのような形で刈り取るのか、その時にならなければわかりません。いずれにしても、私たちは(そして国家も)、常に種播きと、そのあがないの繰り返しをしているのです。
 ここまで読まれて、「もし神がいるのであれば、『カルマの法則』が働くに当たって、何も多くの人が犠牲になる戦争やテロを起す必要はないではないか」と思った方もいるかもしれません。しかし、神と呼ばれる大霊(グレート・スピリット)を含む霊的世界は、人間の本質を見抜いているためか、どうももっと大きな視点で見ているようなのです。
 私たちがこの世に生を受ける意味は、様々な経験と感動を積むことによって、自らのたましいの浄化向上に努めるためです。残念ながら、痛い目にあって初めてわかることも多いのです。ただ、それが戦争という形で、涙であがなわなくてはいけないという現実が悲しいと思います。
 ある意味、生死に関することについては、霊的世界はものすごく寛大です。しかし、この世に生まれてきたのは、たましいが様々な経験や感動をするためですから、安易に生を放棄するのも問題です。たとえ戦場で撃たれて致命傷を負ったとしても、最後まで生き抜く思いが大切なのは言うまでもありません。
 ですから、生死については、人間がどこまで霊的な真実を知っておくべきなのかは、実は大変難しい問題でもあるのです。
 戦争も、そして戦時下で行なわれる数々の殺人も、いいか悪いかと言えば、悪いに決まっています。戦争をするには各国ともに大義名分があります。しかし、戦争の発端の多くは、物質的価値観の中で、共存共栄が出来ないのが原因のように思います。結局、物質的価値観の中での奪い合いという側面は否定できません。奪い合うのがいいのか悪いのか、憎しみ合うのがいいのか悪いのか、その答えは小さな子どもにもわかるほど明白です。
 戦争も人殺しも、悪いに決まっています。けれども、繰り返しになりますが、人間は愚かなことに、経験してみないとそれが本当に悪いことだとはわからないのです。病気の辛さは、風邪一つ取ってみても、罹ってみないとわからないのと同様です。
 経験と感動という観点から言えば、平時と戦争中では違います。戦時下では、お米の一粒、お水の一杯、それだけで感動することがあるかもしれません。子どもの勉強ができなくても、無事でいてくれるだけで感謝するでしょう。私たちが平和な時代であっても、同じ気持ちでいればいいのですが、残念ながら人間は未熟です。今の日本を見ても、お水の一杯やお米の一粒に感謝していた気持ちが忘れ去られ、何処そこのミネラルウオーターでなければ嫌だとか、平気で食べ物を粗末に扱うとか、そのようなことをしている人が多くなってはいないでしょうか。
 しかし、人間には「想像力」が与えられています。たとえ平時であっても、個々の生活のレベルで、戦時中と同じような体験や感動に思いを馳せることは決して不可能ではないはずです。日常の中でのシンプルな出来事は、実は大きな戦争とは地続きであるということ、その意識だけは持つようにしてください。個人個人が、日常の経験と感動から、いかに深く内観し、学び取っていくか。「戦争という経験」をしないですむためには、それが何よりの方法かと思われるのです。(江原啓之、同書、pp.62-68)


 3.臓器移植と延命治療について

 私は「スピリチュアル的には脳死状態は死ではないので、脳死による臓器移植は賛成できない」というスタンスです。しかし、それを押しっけるつもりはありません。これまでも述べたように、大切なのは何をしたかではなくて、その動機だからです。
 よくある問題としては、小さなお子さんへの臓器移植があげられます。日本の法律では脳死した十五歳未満の子どもをドナー(臓器提供者)とする臓器移植は認められていません。従って、臓器移植を希望するお子さんは海外へ行って手術することになります。親御さんは子どもを救いたい一心で、藁にも槌る思いで海外へ手術に行くことでしょう。その愛情を否定するつもりはないのです。また、ドナーにしても、「自分の体が役に立つのなら、使ってほしい」というボランティア的な思いがあるのだと思います。それもまた否定するつもりはありません。
 ちなみに、脳死状態におけるドナーは、スピリチュアル的に言えば「まだ死んでいない」のに、心臓などを提供することによって死を迎えてしまうわけです。私は「自殺はいけない。たましいが浄化されないことがある」と主張していますが、ドナーになるのも自殺なのでしょうか。これもその動機が「大我」かどうかが、鍵を握っています。
 ただ、みなさんの考え方の中に入れておいてもらいたいのは、臓器移植によって命が助かったとしても、それで「命が助かってよかった」と思うのは、現世主体の考え方でしかないということです。霊的視点から見れば、臓器移植をせずに助からなかったとしても、それはそれで受け入れるべきです。長く生きることよりも、「いかに思いを込めて生きたか」のほうが大切。また、亡くなることは、たましいのふるさとである霊界に帰ることです。里帰りできるのですから、霊的には幸せということになります。
 もしそこで臓器移植もしくは新しい医療技術によって命が助かったとします。長生きできるということは、現世的にはいいことのように思えますが、その分、生きる苦労も続くことになるのです。ところが、見方を変えれば、それだけ自らのたましいが経験と感動を積むチャンスが増えたとも言えるわけです。
 つまり、スピリチュアル的には助かっても助からなくても、プラスマイナス・ゼロ。いいとか悪いとかいうことはありません。ですから、どのような治療を受けるにしろ、すべては動機が大切だということになるわけです。
 では、「江原は個人的にはどうなのか」と聞かれれば、臓器移植をしたら助かるような病気になっても、臓器の提供を受けるつもりはありません。また、ドナーとなって脳死状態での臓器掟供をすることも考えていません(ただし、私が死んでから使える臓器があったら、角膜や腎臓などは、いくらでも使っていただいて構わないと思っています)。
 なぜ、そのようなスタンスを取っているかと言えば、臓器移植という行為そのものに、臓器を物として扱う物質主義的価値観を感じるからなのです。
 臓器売買という事件が起きるのも、物質主義的価値観が原因のように思えてなりません。
 かたや病気でお金持ちの人がいる、かたや健康でも貧しい人がいるとなったら、今後もいくらでも臓器売買という問題が起きる可能性があるでしょう。腎臓を売ったからと言って、すぐに臓器の提供者が死ぬわけではありません。しかし、このように臓器を物として扱っていれば、「腎臓を金で買う」から、やがて「心臓を金で買う」ようになるかもしれません。
 医療が進歩すれば、そのうち自分の身体が欠損したら、クローンで作って補えばいいということにさえなるかもしれません。しかし、それができる人は一部のお金のある人に限られるでしょう。そうやって生命そのものの価値がどんどん物質主義的価値観に塗り替えられていくのではないでしょうか。
 「お金がある人だけが救われる世界になってはいけない」と言っているのではありません。お金のあるなしにかかわらず、臓器移植を認めていけば、そういう複雑な問題が次々と生じるのではないでしょうか。だからこそ、あえて未来の人たちのために、そういう複雑な問題の火種となるようなことは行なわないほうがいいだろうと私は考えています。
 人間は自然に生まれて、自然に枯れて死んでいくことが望ましいと思われます。寿命を人工的に延ばしていくことには賛成できません。ですから、臓器移植だけではなく、延命治療といったものに対しても、私は否定的なのですが、その点についても話しておきましょう。
 延命治療で使用される人工呼吸器といった機器は、本当に必要なものなのでしょうか。呼吸器は、末期がんなど不治の病で、回復の見込みがなく、最後に意識が混濁してしまっているようなケースに使うことが多いように思われます。つまり、もう手の施しようもない状態です。そうであれば、自然な死を迎えさせてあげたほうがいいのではないかと思うのです。
 病気によっては人工呼吸器のおかげで、助かったというケースもあるでしょう。何が何でも人工呼吸器がダメだと言うつもりはありません。しかし、先ほど臓器移植の話でも触れたように、スピリチュアル的には一概に「命が助かったからよかった」とは言えないものなのです。
 また、人工呼吸器を一回つけてしまうと、今度はいつ外すのかが問題になります。患者の家族の承諾があっても、「人工呼吸器を外したら殺人になる」と悩む医師も多いようです。しかし、悩むぐらいだったら、最初から人工呼吸器をつけないという選択もできるはずです。
 人工呼吸器をつけるときも、医師は患者の家族に「人工呼吸器をつけますか、どうしますか」「つけたら外せませんよ」ときちんと説明して確認を取っているのでしょうか。そういう説明をしてくれる医師のいる病院では、人工呼吸器を拒否して、そのまま安らかに死なせて欲しいと望む家族が多いように思えます。
 ですから、延命治療よりも、もっと研究するべきは緩和ケア(治癒の見込みのない患者の疾患の痛みや心理的問題、社会的問題など全人的にケアしていくこと)ではないかと私は考えています。医学界では「どうしたら患者を助けられるか」を医学として考えています。しかし、その一方で、「どうしたら安らかに死なせられるか」を考える緩和医療のほうも(以前よりは発展しているとは言うものの)、もっと発展してほしいと思うのです。
 私が臓器移植にも延命治療にも否定的だと書くと、なかには「江原は近代的な医療を否定して、早く霊界にいくことがいいのだと言いたいのか」と思われる方もいるかもしれません。しかし、誤解されては困ります。
 たとえば、ワクチンや抗生物質、そういう薬品は使うべきだと思っています。輸血にしてもそれで助かるのであれば、否定はしません。それで命が助かることによって長生きした分、カルマが生じるのは、これまでも述べた通り。しかし、完治することができる病気で、わざわざ死ぬことはないのです。そうした医療を拒否するのは、ある意味で「自殺」と同じこととも言えます。輸血も臓器移植も人の「命」をもらうことには変りありません。しかし、臓器移植がともすれば、人の命の犠牲の上に成り立つのに対して、輸血にはそうした問題はありません(現に輸血は生命倫理の問題として取り上げられていません)。
 基本的に、病気になったら医師の治療を受けて、命を大切にすることです。いざ大病をし、完治の見込みがないならば、それが「寿命」と受け入れ、安らかに死んでいく。そして、死んでいくときも、これ以上の火種をまかないように脳死状態での臓器提供はしない……これが私の考え方です。
 繰り返しになりますが、私が臓器移植も延命治療も賛成していないからと言って、みなさんにそれを強要しているわけではありません。自分の考えに従わせることがスピリチュアリズムではありませんから。それをしたら、「愛」がなくなります。臓器移植をしたい人はすればいいし、延命治療をしたい人もすればいい。最初から答えが決まっているのであれば、私たちはこの世に生まれてくる必要はないのです。ある意味で、この世は失敗するためにあるようなもの。だからこそ、そこに学びがあり、そこから経験と感動も生まれたりするのです。
 大切なのは自分の自由意志。人工呼吸器をつけるのも、臓器移植のドナーになるのかどうかも、あらかじめ自分が元気なうちに決めておきましょう。自分が受けることになる医療から、亡くなった後の葬儀や遺産のことまで、遺言書を作っておくことをお勧めします。
 私は自分の身内であっても、その自由意志を尊重したいと思っています。命のことに関しては、夫や父親である自分がとやかく言うことではありません。ですから、わが家では家族全員、どうして欲しいかという意志を確認しています。そういうことを家族に聞くことは残酷だと思われるかもしれませんが、そうではありません。かえって生きることの大切さを学ぶことになります。
 日本では、死について考えることは縁起が悪いと言って忌み嫌う傾向があります。しかし、結婚や出産はする人もいればしない人もいますが、死だけは誰にでも訪れるもの。ですから、死を見つめることは、いかに今を充実させて生きるかにつながるのです。(江原啓之、同書、pp.97-104)



 4.スピリチュアリズム実践のすすめ

 物質主義的価値観に浸っているのは、ある意味で心地よいことには違いないでしょう。冬の朝、目覚めたけど布団の中にいるみたいなもので、なかなか外に出る勇気がもてなかったりします。しかし、布団の中にいたままでは一歩も人生は前に進みません。物質主義的価値観の中にいれば、執着や嫉妬が生まれ、たましいの向上については多くを望めません。それが分かっていて、物質主義的価値観を貫こうとするのであれば、私はあえて否定はしません。でも、スピリチュアルな視点で見れば、「ご苦労なことですね」の一言に尽きます。結局、そのままでいれば、自分で自分の首を絞めることになるだけ。問題は、いつそれに気づくかなのです。
 環境問題に触れたときに、我慢することの必要性を訴えましたが、我慢することと「ノー」と言えることは、ある意味で一緒のことかもしれません。現代社会は、企業の経済活動によって成り立っています。企業が生産するものを人々が消費して、お金が回っていくシステムになっています。ですから、消費そのものを否定するわけではありませんが、日本人はCMや宣伝に踊らされて、あまりにも不必要なものを買いすぎていないでしょうか。ちょっと自分の家の中を眺めてみてください。使わないでホコリをかぶった物がありませんか。
 レコードはいつの間にかCDになり、今はパソコンで音楽をダウンロードするようになりました。ビデオテープは、ベータからVHS、レーザーディスクに変わり、DVDになりました。以前買ったものはゴミとなっていきます。
 新製品が出るたびに、それを買うために働いているようになってはいないでしょうか。人は物を買うために働いているのでしょうか。それではあまりにも生きている意味がないではないですか。ですから、「私は、DVDは見ません。ビデオで貫きます」とか「地デジになったら、もうテレビは見ません」とか、そういう家があってもいいかもしれないと思うのです。それは自分の中での判断で、自分が求める便利性、自分には必要のない便利性ということの選択をしていくということです。
 「自分は自動車には乗らない」というのでもいいでしょう。スーパーでビニール袋をもらわず、自分でバッグを持っていくのもいい。「実践スピリチュアリズム」で何から始めていいか分からない人は、このように「ノー」と言い、自分で不必要だと思ったものを使わないようにする生活から始めてみるのがいいかもしれません。
 そうした生活をしている人の中には、「ビニール袋を使う人はダメだ」とか、「ゴミを分別しない人はけしからん」とか、自分が絶対だと思って、人を裁くようになる人も多く見受けられます。それは決していいことだとは言えないので、要注意といえるでしょう。人を裁くことは良くないことです。環境問題に関しては、もはや「待ったなし」の問題になっています。それぞれの立場でできる実践を始めるべきでしょう。
 自分の思い、言葉、行動を常に大切にして生きていきましょう。イエスはヨハネの洗礼の後、荒野にさまよい、そこで悪魔から誘惑されつづけます。しかし、それは誰にもあることです。イエスは悪魔の誘惑に「ノー」と答えました。あなたの心に「あれがほしい」「これがほしい」という声が聞こえます。そんなときも、それが悪魔の声″か天使の声″かを考えて、常に天使の声″を選んでいくようにする。結局、人生はその葛藤の積み重ねでしかないように思います。
 日々の生活の中では、小さな選択がたくさんあります。ごみを分別するかどうかといった本当に小さなことから、人から悪口を言われてムッとするか、にこやかに応じられるか。自らの言動をネガティブなものではなく、常にポジティブなものに切り替えるようにする。ついつい選択に迷ってしまうのは、自らの欲望や快楽を刺激するような誘惑で、「こちらのほうが楽しいぞ」「こちらのほうが得だぞ」と悪魔の声″があなたに囁くこともあるでしょう。物質主義的価値観で見れば、そちらのほうが一見得に感じるかもしれません。しかし、そちらを選択した結果は、ねたみ、そねみ、恨みの世界に足を踏み入れることになるかもしれないのです。
 「大我の愛」や「真善美」に価値を置いて選択しても、すぐには結果が現れないかもしれません。「スピリチュアリズム」を実践したところで、お金持ちにならないかもしれない、不治の病が治るような奇跡は起こらないかもしれません。しかし、本当に人生の苦難に直面したとき、天使の声″を聞いてきた人は、決して恐れることなく、くじけることもないのではないでしょうか。 (江原啓之、同書、pp.164-167)





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                                 [参考資料 No.25]  (2019.03.14)

      30年の心の旅でみつけたもの


 山川紘矢・亜希子ご夫妻は、『アウト・ オン・ア・リム』をはじめ、多くの精神世界の本を翻訳していることで著名である。山川紘矢氏は東大卒業後は大蔵官僚になり、同じく東大出身の亜希子氏と結婚した。若いころは、神の存在にも否定的で、前世や、生まれ変わりなどについても全く懐疑的であったが、重度の喘息で苦しむようになり、大蔵省(現・財務省)の要職を退任せざるを得なくなった頃から、精霊に導かれて様々な前世での自分を知るようになり、神の存在をも強く信じるようになった。また、亜希子夫人も精霊に導かれて、精霊と自由に交信できるようになった。ご夫妻は、そのお二人の体験を『精霊の囁き』(PHP、2018)として出版している。そのなかで、紘矢氏が、前世を信じるようになるまでのご自分の体験を披歴している部分がある。それを以下に紹介しておきたい。


     *****


 前世を信じている人は日本にはどのぐらいいるのだろうか?
 スピリチュアルなことを学んでいる人は、ほとんどの人が、本当の自分とは身体でもなく、マインド(頭脳)でもなく、スピリット(魂)だと知っているのではないかと思う。
 ところが最近、精神世界ではやりの非二元論の世界を語る人たちは、「自分はいません、すべては自分の脳が創り上げている幻のストーリーであり、輪廻転生も、もちろんそのストーリーに過ぎない」と言っている。そして、これもまた一つの見方だろうと思う。
 確かに、輪廻転生はそれを証明する客観的な証拠も、それを事実と証明するものもない。本当のところはわからない。わからないから、輪廻転生はない、というのも、また一方的な見方だろうと思う。
 ただ、どの観点から見ているかによって、見え方は違うのだろう。
 同じように、神の存在も証明できない、だから神は存在しない、と言っている著名な物理学者もいる。が、それはそれで良し。ただ、僕にとっては驚きである。僕たちがここにいること、生きていること、一つの花、一匹の昆虫の完璧な姿形、動きを見るだけで、僕には神の存在は否定できないからだ。
 昔の僕はどうだったのかわからない。神なんて人間の創造物だと思っていた。それは僕が、深く物事を考えたこともなかったからだろう。幸いなことに今ではとても信心深くなり、神を信じている、いや、信じているというより、それよりはるかに深く、知っていると言ったほうがよい。そして、輪廻転生も信じている。
 二十代の頃の僕は輪廻転生や前世のことなどは、全くもって作り話だと思っていたことも本当だ。その頃は、前世を信じている人に出会ったら、おかしな人だな、あまり友達になりたくないな、と本当に思ったものだ。実際に、ある時不思議な人たちが集まっている場所に行った時、そこに前世のことを話す女性がいて、僕は自分とは合わない世界に紛れ込んでしまったような気がして、戸惑ったことがあった。
 前世を信じるようになったのは『アウト・オン・ア・リム』を翻訳してから、まさか自分には起こるはずのないこと、つまり、見えない世界に存在する精霊との交信が始まったからである。
 それ以降、それまでは全くあり得ないと思っていた見えない世界、異次元の世界の存在を否定できなくなった。そして見えない次元に存在する精霊から伝えられるメッセージを確かに受け取るようになったのだ。
 はじめは信じられなかったが、「もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない」と思い始め、次第に、「輪廻転生は確実にある」と確信するようになっていったのだった。
 その後、ブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』『魂の伴侶』などを翻訳し、輪廻転生はある、と積極的に思うようになった。そして、輪廻転生の考え方を広く知らしめる翻訳の仕事を本格的に始めたのだった。
 その後、いろいろな機会に自分の前世を教えてくれる人に出会うようになり、今では、前世があることは当然、そして当たり前のことだと思っている。自分たちの周りに集まっている人たちの間では、前世がある、と思っている人が大多数だ。意識の幅が広くなって、とても素晴らしい世界に生きるようになった。国境も越え、人種も超え、男女も超え、時代も超え、すべての人間は平等である世界が開けてきた。
 最初に僕の前世を教えてくれたのは一九八五年にアメリカのワシントンD・C・で出会ったリア・バイヤースだった。彼女はサン・ジェルマン伯爵(英語の発音は、セント・ジャーメイン)という精霊からのメッセージを伝えることができる女性で、僕が中国人の革命家だったこと、次にロシア人でやはり革命家だったこと、その次にはアメリカ人の農民だったこと、そして今生、日本人として生まれたということを教えてくれたのだった。
 荒唐無稽な話だったが、僕はとても興味にかられてどの時代の中国だったのか、どんな革命に遭遇して命を落としたのか、いろいろ調べてみたものだった。世界観が突然に一変し、びっくりしたことを憶えている。結局、歴史的にいつの時代だったのかは判明できなかった。特に英語で中国の古代国家の名前を言われても、それを日本では何と呼んでいるのかわからずじまいで、時代、国名などを特定できなかったのだ。
 中国の前世でもロシアの前世でも、世の中をより良くしようと頑張っていたようだ。そして、反乱を起こしたり、革命に参加したりして、悲しい結末(殺されたり、牢獄に入れられたりした)に遭遇したらしい。
 中国、ロシアの次にアメリカに転生した時にはカンザス州のウィチタに住んでいたそうだ。この三つの前世の話は、僕の頭の中に深く刻み込まれた。自分は中国人であったことも、ロシア人であったことも、アメリカ人であったこともある、と驚く一方で、意識が広がるような気がした。
 その後、亜希子がチャネラーとなり、聖白色同胞団の精霊と自動書記で交信するようになったので、聖白色同胞団やサン・ジェルマン伯爵などの情報を詳しく調べてみると、これらは決して荒唐無稽な作り話などではなく、歴史的にも多彩なエピソードがあるということがわかり、世界はさらに大きく広がっていった。
 サン・ジェルマン伯爵などは、すでに十八世紀のフランス革命当時に、フランス社交界に人間の姿をして現れていて、多くの人々が実際に会っていたとの記録がある。
 それがなぜ、今の時代に僕たちの前に精霊として現れたのかはわからないが、大きな歴史の流れの中で、何か僕たちに課せられた役目があるような気持ちにさせられたのは事実である。精霊たちは僕たちに、人々の意識を変えるためのお手伝いをしてはくれないか、と頼んできたのだった。調べてみると、これは神智学、あるいはニューエイジといわれる動きの中の一つであるようだった。

 確かに輪廻転生の考え方、僕の前世の物語は、僕の意識の幅を広げてくれたのだった。自分の前世や輪廻転生から学んだことは、僕にとってはとても重要なことだった。
 1、人は身体ではなく、魂が本質であり、死がすべての終わりではないこと。
 2、男に生まれたり、女に生まれたりしている私たちは、男女平等であること。
 3、人種、国家、宗教、肌の色、職業など、数え切れない過去生の中で、すでに様々な体験をしてきたこと。
 4、人間はすべて平等であること。
 5、私たちは過去にも生きていた、別の国でも生きていたということを知ることによって、自分という存在が時間を超え、国境を越えて存在すること。そして、死ぬことは表面的なものであり、人間の本性である魂は死なないこと。

 輪廻転生を知ることによって、僕の世界観や意識は村のレベルから、町のレベルへ、日本国レベルから地球全体、さらに宇宙レベルにまで広がったのだった。また時間的な制約を超えて自分が存在していたことから、歴史に対しても、いつのどこの時代のことであっても、そこに実際に生きていたのかもしれないと、より身近に感じられるようになった。
 自分は古代エジプト時代にもギリシャ時代にもイエスの時代にも存在していたのではないか、と意識が大いに広がるとともに、歴史の見方も深まった。
 この先、まだまだ生まれてくる子孫のためにというだけではなく、自分のためにも地球環境を守らなければならないという気になったことはとても嬉しいことだった。意識が広がる、とはこのようなこともその一部だと実感している。

    (山川紘矢・亜希子『精霊の囁き』 PHP、2018、pp.35-37 より)






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                          [参考資料 No.24]  (2019.02.22)

    ダライ・ラマ14世が説く幸せに生きる道


 私たちは誰もが、大きい小さいの違いがあっても、雨風を凌げる家に住んでいる。いまでは、冬の寒さも夏の暑さも冷暖房器具などで適度に室内温度を調節できるようにもなった。そして何よりも、普段の生活で水や食べ物に困って苦しむこともない。街では、自家用車が走り回り、スマホを手にした人々が、大人も子供たちも、安全な環境のなかで自由に食べ歩いたり、買い物を楽しんだりしている。戦後の焼け野原の中で、「1千万人が餓死する」といわれたりしながら、厳しい貧困と極度の飢えに苦しんだ体験をもつ世代からみれば、いまは夢のように豊かで贅沢な生活である。そして、それが当たり前のようになってしまっている。

 これだけ文明が発達し、豊かな生活になれば、人々は有頂天に喜び、幸せいっぱいになってもよさそうである。しかし、現実がそうでないのは何故か。豊かさから取り残された一部の人たちが深刻な逆境に追い落とされているのみならず、自殺者、いじめ、小児虐待などの悲惨なニュースも跡を絶たない。性懲りもなく、陰湿な振り込め詐欺などが横行し、「先進国で最悪レベル…。7人に1人の子どもが貧困状態な日本」といわれてもいる。一体、豊かさとは何か。何故社会はこのように歪んできたのか――。ここでは真の幸せへの道を説く、ダライ・ラマ14世のことばに耳を傾けてみたい。
 

        ===============


 どれだけ生活が豊かになっても、世界がものであふれても、私たちはいつも物足りずどんどん欲しくなる。膨れゆく欲望にこたえようと、技術はさらなる進化を求められ、企業はどんどん拡大を続け、経済活動はますます巨大化する。それでも欲望はとどまらず、社会への要求はどんどん高くなっていくのです。
 なぜ欲望がとまらないのでしょうか。
 それは幸福感が「外部からの刺激」によるものだからです。幸福の源が外にあるので、常にそれを求めずにはいられません。逆にいえば、欲しがらなければ幸せになれない。つまり自分ひとりでは幸福感を感じることができなくなってしまったのです。
 今もEUで金融危機が起き、ヨーロッパだけでなく世界全体を巻き込む事態になっています。これも元をたどれば、凄まじい欲望の果てに生まれた巨大な経済システムのひずみではないでしょうか。
 おおよそ普通の生活で必要のない巨額の金を動かし、財産を少しでも増やそうと眼の色を変えている。その背景には、お金があれば欲望は何でも満たされる、より深い幸福感が待っている、そんな呪縛があるのです。
 そうやって一部に莫大な財産が集められれば、貧富の差も広がります。こんなに豊かな世界がある一方で、食べるのに困って餓死する人がいるというのは、本当におかしなことでしょう。
 まさに欲望に駆り立てられた社会の腐敗、人間の堕落の象徴ではないでしょうか。

 まずは、「幸せとはなにか」ということについて今一度きちんと考えてみましょう。
 みなさんはどのようなときに「幸せ」を感じるでしょうか。いいことが起きたとき、好きな人といるとき、美味しいものを食べたとき、欲しいものを手に入れたとき……。人によって実に様々でしょう。
 それでは、この「幸せ」とはどのような感情、状態なのでしょうか。なぜこのようなときに「幸せ」だと感じるのでしょうか。
 たとえば美味しいものを食べたとき、私たちはまずその味を楽しみます。昧だけでなく見た目やにおいにも心を惹かれますし、食後の満腹感にも幸せを感じることでしょう。
 ただし、こうして考えてみますと、味覚、視覚、嗅覚など全て感覚器官によって、幸せを感じていることがわかります。つまり、より科学的に言えば「食事をして幸せだ」というより、「食事によって感覚が刺激され、幸福感という反応が起きた」ということでしょう。
 はじめに挙げた例も同じです。いいこと、好きな人、欲しかったもの……。そういった「自分にとって好ましい物事」が感覚器官を刺激し、その結果「私は幸福である」と意識するに至ります。
 こう考えると、私たちが普段「幸せ」だと思うことの多くは、快感による身体的反応に過ぎないということに気づきます。「幸せ」と言うとなんだか精神的なもののように思われていますが、非常に即物的、肉体的なものなのです。
 この類の幸福感の怖いところは、「自分にとって好ましい状況」であるかどうかで、自分の幸福感が左右されてしまうということです。美味しいものを食べて「幸せ」を感じている時はいいのですが、それが続くのはその時その一瞬だけ。食べ物がなくなればたちまちその幸福感は消え失せてしまいます。
 つまりこうした幸福感は、外的要因によって決められてしまうということです。

 それでも私たちは、これまでひたすらこの物質的な幸福感を追い求めてきました。特に二十世紀は、この追求が頂点に達した世紀と言ってもいいでしょう。
 産業や経済の発展は凄まじく、私たちは大変豊かになりました。科学技術の進歩は社会を一変させ、生活はますます便利で快適になります。世界は贅沢なものであふれ、機械によって面倒なことは排除され、様々な娯楽がどんどん提供されました。このままいけば、私たちはどんどん「幸福」になっていくはずだったのです。
 ところがどうでしょう。どれほど豊かになっても、「幸福」で満ち足りるということがありません。それどころか、欲望はどんどん大きくなっていったのです。
 どれだけ生活が豊かになっても、世界がものであふれても、私たちはいつも物足りずどんどん欲しくなる。膨れゆく欲望にこたえようと、技術はさらなる進化を求められ、企業はどんどん拡大を続け、経済活動はますます巨大化する。それでも欲望はとどまらず、社会への要求はどんどん高くなっていくのです。
 なぜ欲望がとまらないのでしょうか。
 それは幸福感が「外部からの刺激」によるものだからです。幸福の源が外にあるので、常にそれを求めずにはいられません。逆にいえば、欲しがらなければ幸せになれない。つまり自分ひとりでは幸福感を感じることができなくなってしまったのです。
 今もEUで金融危機が起き、ヨーロッパだけでなく世界全体を巻き込む事態になっています。これも元をたどれば、凄まじい欲望の果てに生まれた巨大な経済システムのひずみではないでしょうか。
 おおよそ普通の生活で必要のない巨額の金を動かし、財産を少しでも増やそうと眼の色を変えている。その背景には、お金があれば欲望は何でも満たされる、より深い幸福感が待っている、そんな呪縛があるのです。
 そうやって一部に莫大な財産が集められれば、貧富の差も広がります。こんなに豊かな世界がある一方で、食べるのに困って餓死する人がいるというのは、本当におかしなことでしょう。
 まさに欲望に駆り立てられた社会の腐敗、人間の堕落の象徴ではないでしょうか。

 欲望の肥大化は、人間を利己的で短絡的にもします。
 多くのものを手に入れれば幸せで、手に入れられなければ不幸になるというしくみである以上、限りある富を周囲と争い、他人から少しでも多く奪わなくてはなりません。
 他人に優しくしたり何かしてあげたりするのは自分の損につながります。そうしていつ も誰かと争った結果、途方もなく疲弊してしまうのです。
 また、「幸せ」が外的な刺激による反応に過ぎないということは、それ自体がとても不安定で危ういものだということです。自ずと目先の欲求や利益に踊らされることとなり、短絡的な考えしか持てなくなります。
 この最たる例が環境問題でしょう。冷静に考えれば、地球は、自分たちの代だけでなく次の世代もその先もずっと住み続ける場所です。替えが利きません。自分たちの瞬間的な都合や利益を優先して、未来にまで残るダメージを負わせていいはずがないのです。
 それでも、今の自分たちには関係がないからと「まあいいや」と思ってしまう。その短絡的な考え方が私はとても恐ろしいと思います。
 そして、行き過ぎた欲望とエゴが極限まで達すると「戦争」が起こるのです。
 特に二十世紀は「暴力と流血の世紀」だったと言ってもいい。人類の歴史を振り返っても、これほどまでに自分たちの欲望を主張し、暴力が横行した世紀はなかったでしょう。その結果、凄まじい数の人間の尊い命が失われました。第二次世界大戦だけでも数千万人が亡くなったと言われています。
 特に日本の広島と長崎に落とされた原爆は、一発で多くの人を死なせただけでなく、街そのものを吹き飛ばしてしまいました。科学技術の進歩が街を豊かにしたはずなのに、その科学技術で街が破壊されてしまったのです。

 もう私たちはわかったはずです。
 いくら欲望が満たされても本当の「幸せ」にはたどり着けない。それはもう二十世紀の歴史が証明してくれました。
 欲望を追求し、人と争い、挙句の果てに戦争まで起こしても、私たちは幸せになるどころかますます苦しくなり、世界は最も悲惨な姿になってしまった。欲望を追求した先は、幸せどころか自滅と崩壊の道につながっていたのです。
 二十一世紀を生きる私たちは、この失敗を認め、誤った認識を正していかなくてはいけません。これまで当たり前だと思っていた価値観を見直し、平和な世界を築く必要があります。それはこの地球に住む全ての人間の責任なのです。
 特に今は人口がどんどん増え、すでに七十億人に達しています。これだけ人間がいるのですから、それぞれが欲望のままに行動すれば、たちまち世界中が争いの場となるでしょう。
 こんな私たちですが、それでもやはり今も昔も「幸せになりたい」という願いは変わらないのです。それでは一体、本当に「幸せ」になるにはどうしたらいいのでしょうか。
 そのためには、これまでの固定観念を大きく転換させ、正反対の道筋をたどってみることです。正反対の道筋とは、欲望やエゴの放棄です。
 欲望やエゴは、これまではむしろ「幸せ」を追求するモチベーションともなっていました。それをあえて捨ててしまいます。そして、他人への「愛」や「慈悲」、「利他的な考え」といった正反対の観念を取りいれるのです。
 とはいえ、愛や慈悲や利他などというと、自分には何の得にもならない、むしろ損してしまう、そう思う人がいるかもしれません。
 しかし考えてみてください。欲望やエゴがあるからこそ人はいつも渇きを感じ、他人と争わざるをえません。争いに勝つためには、嘘をついたり、人を騙したり、貶めたりもします。他人からも同じことをされるのではと怯え、自分の財が失われる恐怖にも駆り立てられます。
 結局、欲望やエゴは自分の得になるどころか、自らを苦しめ悪い結果を生み出すものなのです。

 この事実に気づいた私たちは、今こそ正反対の考え方へと転換するべきです。
 他人に思いやりを持ち、広い視野で物事を見つめる。利他的な行動をとり、自分が今持っているもので満足する。人を信頼して正直に生き、他人への思いやりや優しさを人間関係の基本にする・・・・・。
 そうすれば渇きや争いから解放され、心が平穏になることを感じるでしょう。他人への恐れや後ろめたい感情は消え、自分のことを自分で信じられるようになるはずです。
 このとき心の中には、これまでと別の種類の幸福感が生まれてくるはずです。刺激による心の高まりとは違う、静かで穏やかな「心の平和」です。これこそが私たちが追い求めてきた「幸せ」の本当のありようだったのです。
 これまで言及してきた「幸せ」は、全て肉体的・外因的な幸福感でした。外的な刺激に感覚器官が反応し、快感を覚えるというものです。だからこそ、外部の世界にそれを求めて、どんどん欲望が肥大化していきました。
 しかし、「心の平和」は、精神的な幸福感です。あくまで自分の内部に生じるもの。外部に快楽の種を求めるのではなく、自分で「幸せ」を生み出すものなのです。外的条件に左右されることもなければ、誰かと争う必要もありません。
 また、刺激による反応に過ぎなかった肉体的幸福感は、とても不安定で刹那的なものですが、精神的な幸福感は自分の力で深めることも長く維持することもできます。純粋な精神活動による自律した「幸せ」なのです。これは肉体的な幸福感よりずっと確かなものだといえるでしょう。
 こうして一人一人に確かな「心の平和」が確立すれば、それはやがて全体の平和にもつながっていくでしょう。個人の幸せが家庭の幸せを生み、家庭の幸せが社会、国家、そして世界の平和にもつながっていくのです。
 一人一人の心の中に平和があってこそ、グローバルなレベルでの平和が達成できるのです。人々が互いに「幸せ」を求めて争い、欲望に駆られ、自分のことしか考えていなければ、いつまでも世界が平和になるわけがないのです。戦争や紛争の根絶はまさにここから始まるのだと思います。

      (ダライ・ラマ14世『傷ついた日本人へ』新潮新書、2012, pp.35-45より)





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                       [参考資料No.23] (2019.01.25)

    『方丈記』に見る鴨長明の人生観


 『方丈記』は建暦2年(1212年)に鴨長明によって書かれた和漢混淆文で、日本の三大随筆の一つといわれている。「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」が冒頭のことばで、この流麗なことばの響きは学生時代から私の頭の中に消えずに残っていた。
 著者の鴨長明(1155−1216)は、平安時代末期から 鎌倉時代前期にかけて生きた人で、 下鴨神社の神事を統率する禰宜であった鴨長継の次男として久寿2年(1155年)に京都で生まれた。誕生の翌年、1156年(保元元年)には、京の都で「保元の乱」があり、続いて3年後の1159年(平治元年)には、「平治の乱」が起こって、この二つの戦乱で、政権は貴族から武門の平家に交替している。
 このような騒然とした世情のなかで育った長明は、18歳の頃、父の長継が病死し、一族のなかで跡目相続の渦中に放り込まれて最初の大きな挫折を味わう。その後、結婚にも失敗しているようである。また、その同じ頃に、「安元の大火」(1177)、「洛中大火」(1178)、「洛中大竜巻」(1180)養和大飢饉(1181)、文治大地震(1185)などの天変地異が相次いで起こっている。1180年に福原遷都を敢行した平家も、1185年には滅亡して、無情の世の中は、目まぐるしく変わっていった。
 そのような世情のなかで、鴨長明は、1204年には出家して大原に転居する。1207年にも、洛中大火があり、夏には疱瘡の大流行があったりしたが、その翌年、日野の外山に移り、方丈の庵を結んだ。この『方丈記』を書いたのは、その4年後の、建歴2年(1212年)であった。武田友宏編『方丈記』(角川ソフィア文庫、2007)では、冒頭のことばは、現代文でこう訳されている。

 「河の流れは一瞬も休まない。それどころか、河の水は後ろの水に押されて、つねに前へ進み、元の位置に留まることはない。休むことなく位置を変えている。
 流れていないように見える淀みもそうだ。無数の水の泡が、留まることなく浮かんでは消えて、元の形を保つという話はいまだ聞かない。やはり、休むことなく形を変えている。
 このような変化の継続する中に「無常」という真理が宿っている。この真理は、そのまま人間の世界にもあてはめることができる。人と住まいもまた、ちょうど河の水や水の泡と同じなのだ。」

 『方丈記』は、このあと、天変地異の凄惨な状況を次つぎと描き出していく。その渦中で、犠牲になった数多くの民衆の地獄絵が涙を誘う。それを読む者にも、世の無常と人の命の儚さが胸に迫ってくるような生々しい筆遣いである。その部分はここで再現することはせず、ここでは、その悲惨な状況を目の前で見てきた鴨長明の出家後の、人生観といえるものを同書から抜き出して 7つの節にまとめてみることにしたい。


 1.私にはわからない― いったいこの世に生まれ来て、死んでいく人は、どこからやって来て、どこへ去っていくのかが。さらにまた、わからない― ほんの短い人生の間しか住まない仮の宿である家を、だれのために苦労して建て、なんのために見た目を飾り立てて嬉しがるのかが。
 住まいとそこに住む人間とは、はかなさを競い合うように、あっけなく滅びていく。そのさまは、まるで朝顔の花とそれに宿る露との関係に同じである。ある場合には、露が落ちてしまっても花は咲き残る。残るといったところで、朝日の輝くころには枯れてしまう。また、ある場合には、花が先にしぼんで露はなお消えないでいる。だが、消えないといっても、夕方まで永らえることはできない。それほどに花も露も命は儚い。

 2.だいたい、この世を生きていくことじたい、なかなかたいへんなことなのだ。人間である自分自身と住みかとが命短くて頼りないさまもまた、これまで述べてきた災害の例からもわかるとおりだ。
 自分一人でさえそうなのだから、まして、人それぞれに、住んでいる環境や身分・立場に応じて生まれてくる苦労の種は、いちいち数えあげたらきりがないほどに多い。

 3.さて、露の消えるようなはかない人生の晩年、六十歳を迎えるころになって、心新たに余生を託する住まいを構えたことがある。たとえて言うなら、旅人がたった一晩だけのために無駄に宿を設け、老いた蚕が自分の入る繭を作って死に急ぐようなものだ。一夜の旅人が去った後の宿はむなしく、繭づくりを終えた老蚕ははかなく命を終えるしかない。
 この小家は、中年のころに賀茂の河原近くに建てたものに比べると、大きさはその百分の一にも及ばない。人生なんやかや言っているうちに、年齢は一年ごとに増えていき、住まいは転居のたびに狭くなる。
 新たに作ったその家構えは、世間一般のものとはまるで違う。広さはやっと一丈四方(約3メートル四方。今の四畳半)で、高さは七尺(約2メートル)にも満たない。建築場所を特に選ばなかったので、宅地を購入して建てたわけではない。土台を組み、簡単に屋根を葺いて、部材の継ぎ目には、解体・移築に便利な掛け金を掛けてある。もし、その土地で気に入らないことが起こったら、さっさとよそに引っ越すためだ。その家を組み立て直すのに、どれほどの面倒がかかろうか、わけもない。解体した建材や道具類を車に積んだところでたった二台分、車の運賃を支払う以外、まったく他の費用はかからない。

 4.住まいの外のようすを述べてみよう。南側には、湧き水を導くための管が長くかけわたしてあり、水の出口は岩を立てて囲い、水を溜めてある。林が家のすぐそばにあるので、薪用の折れ枝を拾うのに不自由はしない。このあたりは音羽山と呼ばれている。マサキノカズラが繁って人の通る山道を覆い隠し、谷は草木に覆われてほの暗い。だが、西の方は開けて見晴らしがよい。念仏を唱える者を救う阿弥陀如来のいらっしゃる西方浄土の光景を心に描いて修行するのには、なかなか好都合ともいえる。
 春になると、この西方に藤の花が咲き誇る。まるで極楽往生の際に阿弥陀如来の一行が乗って現れるという紫雲のようであり、西方に美しく照り映える。
 夏にはホトトギスの鳴き声を聞く。私に声をかけるホトトギスと語りあうたびに、死後は霊界の道案内を頼むと約束を交わすのだ。
 秋にはヒグラシの声が耳の中に満ちあふれる。その声は、はかないこの世を悲しんでいるようにも聞こえる。
 冬には雪景色をしみじみと眺め味わうことができる。雪の繰り返し積もっては消えるさまは、人の心の中に積もっては消え、消えては積もる罪障の深さにとえることができよう。
 もし念仏に身が入らず、読経に心が集中できないときは、自分で勝手に念仏を止めるし、平気で読経を怠ける。それを注意する人もいなければ、怠惰を恥ずかしく思うような相手もいない。意識して無言の行をしているわけではないが、独り住まいで話し相手もいないから、口が災いを招く罪は犯さないですむというもの。また、仏道修行の戒めを絶対に守ると意気込まなくてもいい。戒めを破るような環境にいないのだから、何によって破ろうか、破るにもきっかけがない。
 ここからは宇治川沿いの船着き場、岡の屋(宇治川東岸)あたりを行き交う船を眺めることができる。もし、船が通った跡に立っては消える白波に、はかないわが身を思いくらべるような朝であれば、沙弥満誓の風流をまねて歌を詠む。満誓は、人世の無常をはかなく白い航跡にたとえて詠んだ。
 また、桂の木を吹く風が葉を鳴らす夕べであれば、その葉音に誘われて琵琶を弾く。昔、中国の詩人白楽天は、尋陽江(江西省)で琵琶の演奏に心打たれて、『琵琶行』という長詩を作ったという。その故事を思い浮かべながら、琵琶の名人、源経信(1016〜97)の演奏に倣ってみる。桂の木は、大宰府副長官の経信が桂大納言の異名を持つことや、琵琶桂流の祖であることを思い出させる。
 歌を詠んでも琵琶を弾いても、なお感興があふれて尽きない時には、何度も松風の音に合わせて筝の琴で「秋風楽」を弾いた。あるいは、谷川の流れる音に合わせて琵琶の秘曲「流泉」を奏でる。私の腕前はつたないが、人に聞かせて喜ばせようとするつもりはないから、だれにも遠慮はいらない。独り楽器を奏し、独り歌って、自分で自分の心を風雅の世界に遊ばせているだけだ。

 5.だいたい、世間とのつきあいを絶ち、出家してからというもの、人を恨むことも、ものを恐れることもなくなった。自分の命は天にまかせているから、命の尽きるのを惜しんだり、死を忌み嫌ったりしない。また、自分自身をはかない浮き雲と見なしているから、将来をあてにしたり、現状に不満を抱いたりもしない。ありのままの自分をすなおに受け入れている。
 わが人生で一番の楽しみは、のんびりと肘枕でうたた寝して、自由の境地を味わうこと以外にない。また、生涯で最後の望みは、四季折々の美しい景色を味わって、大自然に遊ぶことである。
 いったい、仏教で「三界」と呼ばれる人間の世界は、ただ心の持ち方しだいで、どのようにも変わる。だから、もしもそれによって心が安らぎを失うことになるのならば、象・馬・七宝といった財宝も欲しくはないし、また宮殿・楼閣のような豪邸も住みたいとは思わない。心の安らぎは何ものにも換えがたい。
 今、私は山中で寂しい独り住まいをしている。たった一間の小家だが、心の底から満足している。だから、たまたま京の街に出る機会があって、自分が浮浪者同然の姿になっていることを恥ずかしく思うものの、ここに戻って来ると、街の人々が俗事にとらわれて、安らぎを失い、あくせくしている姿を気の毒に思う。
 とは言っても、みすぼらしい小家の住人の言葉を、たんなる負け惜しみぐらいにしか思わない人が多いだろう。だから、もし、私の言葉に疑問を抱く人がいたら、魚と鳥の生き方を見てもらいたい。人間は水の中では生きられないが、魚は水の中で満ち足りた生活をしている。魚でなければ、その安らぎはわからない。同じく、鳥は林の中で暮らすことを望んでいる。その安らぎは鳥にしかわからない。林の中で暮らさない人間にわかりようがない。山中独居の味わいもまた同じ。実際そこに住んでみないで、だれが安心の境地を理会できよう、できるわけがない。

 6.改めて思うのだが、私の一生も、西に沈もうとする月が山際に近づくように、余命わずかである。すぐにも死が訪れて、死者のたどる三途の闇路に向かおうとしている。今となって、これまでの自分の行為を反省したところで始まらない。もうなんの愚痴も言うまい。
 仏の説かれた教えの趣旨は、何事においても執着心を持ってはならない、ということに尽きる。そうすると、今、この仮住まいの小家を愛するのも罪となる。独り静かな生活に執着するのも、極楽往生の妨げになるはずだ。
 どうして、役にも立たない楽しみを述べ立てて、もったいなくも、残り少ない時間を無駄に過ごしてよいものか。もうおしゃべりは止めた。

 7.静かな夜明けがた、執着心を捨てよという仏の教えを考え続けた果てに、自分の心にこう問いかけた。
  ― 俗世間のつきあいを捨て、山中に入って修行生活を始めたのは、仏法によって心を磨き、仏の道を実践しよとするためだった。ところが、お前は、見かけは清らかな僧でありながら、心は欲望の汚れに染まったままだ。
 住まいは、ほかでもない悟りを開いた浄名居士の住んだという方丈の小室を、厚かましくもまねている。しかし、戒律を守るという点では、あの出来損ないといわれる周利槃特の修行にさえかなわない。もしかしてこれは、前世の報いを受けて貧しく卑しい身に生まれたために、自業自得のせいで煩悩を断ち切れないからなのか。それともまた、心が迷い に迷ったあまり、頭がおかしくなったからなのか。どちらなのだ。
  ― この問いに、心はまったく答えようとしなかった。そして、ただ自分に代わって、汚れた舌に命じて返答を任せた。すると、舌は動いて、ごく自然に「南無阿弥陀仏」という念仏が口をついて出た。この念仏は、仏に対して請い願うことのない無心の境地から出たものである。それをほんの二、三度唱えて事は終わった。
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      この現代文訳は武田友宏編『方丈記』(角川ソフィア文庫、2007)による





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                              [参考資料No.22] (2019.01.14)

  
今なぜ「霊性の目覚め」が求められるのか


 人類は、近代に入り、科学や医学の分野で目覚しい発展を遂げてきた。原子を開放し、月に人を立たせ、人間の肉体を生きたまま輪切りにするなど、特に今世紀における技術革新は、まさに目を見張るばかりであった。その結果、人々は多くの便利さと快適な暮らしを享受し、海外旅行は日常茶飯事となり、人の平均寿命も20年以上も延ばすことがかなえられた。
 ところが、このような華々しい成果とは裏腹に、人間は数多くの過ちをも犯してきた。そして、もはや人類が持つ知識や智恵では、もはや解決不可能なところまできてしまったかの感すら与えている。
 中でも核の問題は根が深く、その脅威は戦争だけに限らない。平和利用と称してもてはやされた原子力発電においてさえ、スリーマイル島やチェルノブイリのような大事故が起きたし、その恐怖は今もなお人々の脳裏から消えていない。最終汚染物質の処理もまた、人類が抱える大きな悩みのひとつである。ロシア北部ノバヤゼムリヤ島近くの海域に、原子炉7基が使用済みの核燃料とともに投棄されたというニュースは、世界中の人々を震憾させた。
 フロンガスによるオゾン層の破壊や、硫黄酸化物・窒素酸化物による「大気汚染」も、想像以上のハイテンポで進行している。発展途上国の南米や東南アジアの国々における熱帯雨林の伐採や、焼畑農業による潅木の焼失は、自然が持つ大気の浄化能力を低下させ、先進国の工場や、クルマが吐き出す大量の炭酸ガスがもたらす地球温暖化に追い打ちをかけている。また、海に棲む多くの生物の生命を脅かしている工業廃棄物や除草剤に含まれる種々の化学物質は、ほどなく、人類に大きな災いをもたらすことになるだろう。
 人類にとってかけがえのない「惑星地球号」が、長い間保ち続けてきた自然のバランスや動植物の相互依存の生体系は、大きく崩れようとしているのだ。それを裏づけるように、毎日のニュースは世界各地から、自然破壊が元凶と思われる異常気象と、それがもたらす歴史的規模の大災害の様子を伝えている。
 このように、パンドラの箱のいくつかを開けてしまった人類は、自分の愚行にようやく気づき、その箱をどのように閉じたらいいのか、暗中模索を始めたところである。
 一方、人類が性懲りもなくくり返す戦争という名の蛮行は、多くの人々の心に深い傷跡と怨念を残し、新たな紛争の種を世界各地に撒き散らしている。2001年9月11日に起きたアメリカの同時多発テロとその後のアメリカの軍事行動は、強大な戦力と経済力を楯にした大国(マジョリティー国家)と貧困にあえぐ弱小国(マイノリティー国家)との亀裂を一段と深め、際限のないテロの報復合戦へと人類を導こうとしている。
 そして争いは集団同士の紛争に止まらず、個と個の間の争いにおいても一段と陰惨さを増している。親子間の殺人事件は、その最たるものだろう。かつては稀だった尊属殺人のニュースでさえも、最近は見る人に特段の驚きを与えなくなってしまっている。
 このように見てくると、有史以来綿々と続いてきた人類の戦争と殺我の歴史は、今やその総仕上げの時期に入ったかの感すら与えるほどである。人はなにゆえに、これほどまでに愚かな生き物なのだろうか。
 私たちが今日のような混迷状態に陥った真の要因は、精神文明をないがしろにしてきた唯物論的思考と、そこから生まれた自己中心的、物質至上主義的な考え方にある。
 産業革命とダーウィニズム(自然淘汰に基づく進化論)の追い風に乗った唯物論的思考は、19世紀から20世紀にかけて次第に人々の心に、刹那主義、自己主義、物質至上主義的な考え方を広めていった。
 肉眼がとらえる「現象世界」以外は一切実在せず、「死」は、人の全てを無に帰するとする唯物論的思考によって、古来、人々がその行動や考え方の規範となしてきた、目に見えぬものに対する「畏怖の念」はないがしろにされ、「利他心」(他人のために尽くす心)や「自己犠牲心」が人々の心から消え去り、「精神文明」は次第に衰退の道をたどることになった。そのあげくにたどり着いたのが、混迷を窮めた今日の世界なのだ。
 となれば、唯物論的思考に対時する唯心論なり二元論的思考、つまり、心は肉体とは別の存在であり、「現象世界」の他に、私たちの目には見えない「霊的世界」が実在するとする考え方を基盤にした、精神文明の復興が求められることになる。
 そのことは、今から2000年前、初期キリスト教「グノーシス派」の人々が投げかけた人類に対する根源的な問いかけ、つまり、「人間とは何か」「自分とは誰か」「なぜ、自分は今ここに存在しているのか」といった問題に、人類の存亡を賭けて真正面から取り組まねばならない時代を、私たちは、ふたたび迎えたことを意味している。
 人は、脳の内深部に「間脳」と呼ばれる部位を持っており、この間脳に霊的世界の存在を認識する「霊性」の場があることが、古くから説かれている。釈迦、孔子、ソクラテス、プラトン、キリスト等が百花繚乱のごとく出現した紀元前6世紀から紀元前後にかけて、「間脳」は大いに開発され、「霊性」に目覚めた人々が輩出された。
 しかしその後、精神文明の衰退とともに 「間脳」 の働きは次第に弱められ、人々の心から「霊性」は失われていった。特に近代に入ってからは、その傾向が一段と加速されたのである。
 阿含宗管長・桐山靖雄師は、「霊性」 について次のように述べている。
 
 人間の生命は多くのひとたちが考えているように、決してひとつの生涯で終わるものではないのである。ある生涯が終わったら、またひきつづき次の生命形態に移ってゆくのである。
 多くのひとたちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるものだと思っている。ここに、決定的な、そして、致命的な欠陥があるのである。
 「霊性」とは実にそれを知る趨性なのだ。ひとの依ってきたるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。いわゆる来所を知り、往所を知る智慧である。これを得れば、ひとはおのずから、何をなすべきか、何をなさざるべきかがわかってくる。そこから人間の真の進歩、発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよいあるいているのである。
 いやそれだけではない。その果てに、人間は、自分の住む大切な世界を、みずからの手で壊滅させてしまうことになるのである。その無知を、シャカは、「無明」と名づけたのである。(『間脳思考』)

 つまり、今日の「混迷の世界」の要因は、人間が自分の来所・往所を知る智恵、つまり「霊性」を失ったことにあるというわけである。まったく同感である。そこで私は、人類が失ってしまった「霊性」をふたたび人々の心に取り戻すべく、「心霊現象」と呼ばれる超常現象の探究に取り組むことにした。この種の現象を探ることによって、人間の根源的な問題、つまり、私たちがどこから来て、どこに行くのかが明らかにされ、人々の心に「霊性」を取り戻すことができると考えたからである。
 昨今、「臨死体験」をはじめ、「生まれ変わり現象」や「霊姿現象」、「憑依現象」といった超常的な「心霊現象」は、研究者の地道な努力によって、従来考えられていた以上に「現実的」で「普遍的」な現象として、その実体が次第に明らかにされつつある。そこで、これから種々の心霊現象をさまざまな角度から検証することによって、「人の来所・往所」を探る試みに挑戦してみようと思うのである。
 その結果、私たちが「死」と呼ぶ現象が、唯物論者がいうように、人の生命を無に帰するものではなく、人間の本体(心・自我)が「現象世界」から「霊的世界」へ移行する際の、「脱皮現象」に過ぎないものであることが明らかになるはずだ。また「人の一生」が、私たちが霊的に進化を遂げる途上の「一里塚」でしかないことが確かめられたなら、人々が持ち続けてきた伝統的な価値観や考え方も、大きく転換することになるだろう。同時に、長い間閉ざされてきた「間脳」が刺激され、精神文明の復興とともに、人々の心にふたたび「霊性」が取り戻されることになるに違いない。
 その結果、初めて、人類は真に歩むべき道、目指すべき目的がいかなるものかを知る智恵を手にすることがかない、今日の危機的状況から脱出する光明を、暗くて長いトンネルの先に見出すことになるであろう。

   淺川嘉富『人間死んだらどうなる?』(中央アート出版、2011)(pp.20-26)




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                                    [参考資料No.21] (2018.12.27)
      宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』


 メーテルリンクの『青い鳥』は、世界ではじめて臨死体験を描いた童話であるといわれている。霊界からの通信で、コナン・ドイルがこの『青い鳥』について触れ、この本が霊界の真実を伝えていると称賛したことがある。そのメーテルリンクの『青い鳥』および『死後の存続』を愛読した日本人の兄妹がいた。宮沢賢治と妹のトシである。もともとはトシがメーテルリンクを愛読し、兄の賢治にも勧めたようであるが、彼女は若くして亡くなる。その死を心から悲しんだ兄は、ひとつの物語を書き上げた。それが『銀河鉄道の夜』である。
 前稿と同じく、東日本大震災の犠牲者遺族に向かって書かれた、一条真也『のこされたあなたへ』(佼成出版社、2011)には、この宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』について、次のように述べているくだりがある。その部分を引用しておきたい。ここでも、小見出しには、便宜上、私が番号をつけた。



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 1.宮沢賢治のひみつ


 今回の大震災で被災した岩手県の花巻が生んだ偉大な詩人であり童話作家である宮沢賢治は、また偉大なシャーマンでもありました。
 賢治が生前に出した唯一の童話集である『注文の多い料理店』の「序」を思い出してください。そこで、賢治は自分の物語のことを「虹や月あかりからもらってきたのです」と書いています。わたしは、その言葉は比喩でも誇張でもなく、事実そのものだったのではないかと思っています。賢治は虹や月あかりからのメッセージを受けとれる一種の霊能力者だったのではないかということです。
 森荘己池氏という、岩手県盛岡市出身の直木賞作家がいます。花巻農学校教諭時代の賢治と文学仲間だったことでも知られていますが、その森氏が賢治の霊的能力について明かしています。
 森氏が『春と修羅』に対して好意的な評論を書いたことがきっかけで、賢治は森氏の自宅をよく訪れて文学談義をしたそうです。その際、賢治はいろいろと不思議な体験のことを話してくれたというのです。たとえば、木や草や花の精を見たとか、早池峰山で読経する僧侶の亡霊を見たとか、賢治が乗ったトラックを崖から落とそうとした妖精を見たとか、そういったおどろくべき体験です。また、賢治が窓の外を指さして「あの森の神様はあまりよくない、村人を悩まして困る」と語ったこともあるそうです。
 賢治には、迷った霊魂が見えたようです。今でも花巻の地元では、賢治のことを「キツネ憑き」と呼んで敬遠する人々がいるそうで、宮沢家の人々も賢治の不思議な能力については知っていましたが、タブーとして決して語らないそうです。
 また、どうやら賢治は人生のさまざまな場面でアストラル・トリップ、すなわち幽体離脱を繰り返していた節があります。
 『銀河鉄道の夜』は、高い霊能力を持っていた賢治が書いた大いなる臨死体験の物語であると、わたしは以前から思っていました。
 ここで『銀河鉄道の夜』がなぜ臨死体験の物語かという説明をしなければならないでしょう。まず、簡単にストーリーを追ってみます。



 2.『銀河鉄道の夜』と臨死体験


 少年ジョバンニは貧しい家の子です。父親は監獄に入れられて、母は病気で床についたままです。そのため、彼は学校の帰りに活版所の手伝いをして母親を養っています。友達はみんな彼に意地悪をしますが、カムパネルラだけはやさしい目で彼を見てくれます。
 それは星祭りの夜のことでした。ジョバンニは病気の母のために牛乳を買いに走ります。街は星祭りを祝う人出でごった返し、みんな祭り気分で浮かれていて楽しそうです。しかし遊ぶことが許されていないジョバンニは、楽しげな親子連れを横目で見ながら、牛乳屋に走るのです。
 ところが、せっかく大急ぎで走って来たのに牛乳屋の主人は留守で牛乳を売ってもらえません。留守番の老婆に、「ではもう少したってから来てください」といわれて、ジョバンニは仕方なく、牧場の近くの原っぱに行って寝転がりました。空には一面に星があり、銀河がジョバンニに語りかけているようです。
 すると突然、力強い汽笛の音がしたかと思うと、汽車がジョバンニのいる草原を走って来て、彼の前で止まりました。この突然の汽車の登場こそ臨死体験のはじまり、つまり幽体離脱を表現しています。
 ジョバンニが汽車に乗ると、すぐに汽車は走りはじめます。車内を見ると、カムパネルラが乗っています。カムパネルラに向かってジョバンニは、「僕たち、どこまでもどこまでも一緒に行こう」といいます。
 カムパネルラは「うん」と弱々しく答えますが、それがどことなく暖味で、ジョバンニの不安をかきたてます。ジョバンニは自分の降りる駅も知らなければ、なぜこの汽車に乗り合わせたのかもわかっていません。でも、カムパネルラはそれを知っているのです。
 人がまばらだった汽車には、いくつかの駅を通過するにつれて、さまざまな人々が乗ってきます。じつは、彼らは死者であり、この銀河鉄道は死者たちを彼らが行くべき場所へと運ぶ汽車だったのです。カムパネルラはすでに死んでおり、死後の世界へと旅立っていたのです。
 賢治はこの世界を「幻想第四次の世界」と呼んでいます。すなわち、そこは四次元であり、幽界つまりアストラル界なのです。
 銀河鉄道の乗客でただ一人だけ死んでいないのが、ジョバンニです。だから彼は自分の降りる駅を知りません。死者の降りる駅は、彼らの生前の行ないに対して決まるものであり、各人によって異なります。しかし死んでいないジョバンニは、汽車を降りてそのまま行ってしまうことはありません。途中下車してさまざまな場所を見学することはできても、必ず汽車に再乗車しなくてはならないのです。
 ジョバンニは切符も持っておらず、検札係が来て切符の提示を求められても、どうしていいかわかりません。自分と同様に切符を持っていないだろうと思われたカムパネルラは、ちゃんとポケットから切符を出して検札を受けています。ジョバンニもポケットの中を探してみると、切符らしきものが出てきました。それを見て、隣の席に座っていた鳥捕りの男がいいます。
 「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、本当の天上さえ行ける切符だ。天上どころじゃない。どこでも勝手に歩ける通行券ですよ」
 死者たちは自分の行き先がもう決まってしまっているのに、ジョバンニはどこにでも行けるというのです。本人が希望すれば、天上でもどこでも自由に行けるというのです。すなわち、生きているうちはどんな可能性でもあるということです。死後の世界は生きているときの過ごし方によって行くところが決まるので、生きている間は行くところを選ぶチャンスがあるのです。天上へさえ行ける切符というのは、努力次第で天上に行けるほどのレベルまで自分が成長することができるということなのです。
 死者たちの降りる駅はそれぞれちがっていますが、ほとんど全員が降りてしまっても、カムパネルラだけは降りません。彼は、最後の駅で一人だけ降りていきます。なぜなら、カムパネルラは自己犠牲によって死んだからです。同級生で、いじめっ子のザネリが川に落ち、それを救うためにカムパネルラは川に飛び込みました。ザネリは助かりましたが、カムパネルラは命が尽きて死んでしまいました。そのためにカムパネルラは死後、高いところに昇ることになるのです。
 カムパネルラが下車したあと、たった一人で車内に取り残されたジョバンニは、ブルカニロ博士という不思議な人物に出会います。そして彼と話しているうちに、ジョバンニは自分の生き方の根幹となるものを見いだします。
 ブルカニロ博士と話をして汽車から降りるとき、ジョバンニは次のように言いました。
 「ああマジエランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のおっかさんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」
 この言葉こそ、臨死体験によってジョバンニが学んだことでした。博士は、ジョバンニとの別れ際にこういいます。
 「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」
 そして、博士はジョバンニに向かって、次のような謎めいた言葉を吐くのです。
 「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で、遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。おまえの言ったことばはみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。おまえは夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談においでなさい」
 「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」
 ジョバンニは力強く答えます。博士は切符をジョバンニのポケットに入れて消えてしまいます。
 そして、ジョバンニは目を覚まします。そこは、もとの原っぱでした。彼の顔はほてり、頬には涙が流れています。でも、すぐわれに返り、あわてて起き上がって牛乳屋へと走ります。今度はなじみのおじさんが出てきて、まだ熱い牛乳を手渡してくれます。
 家路を急いで街に入ると、星祭りの騒ぎはやんでおり、街かどや店の前に女たちが七、八人ぐらいずつ集まって、橋のほうを見ながら何かひそひそ話をしています。橋の上もいろいろな明かりでいっぱいです。
 そこで初めてジョバンニは、ついさっきまで自分と一緒に汽車に乗っていたカムパネルラの死を知るのです。このとき、ジョバンニはすべてを悟ります。

 以上のように、『銀河鉄道の夜』が臨死体験の物語であることは明らかだと思います。しかもこの幻想的な物語は、死が霊的な宇宙旅行であり、死者の魂は宇宙へ帰っていくということをうまく表現しています。さらになによりも重要なことは、ジョバンニが死後の世界からの帰還後、「ほんとうの幸福」の追求を決意する点です。
 チルチル、ミチルやジョバンニは、蘇生後、幸福を求めて二度日の生を精一杯に生きる数多くの臨死体験者そのものの姿です。彼らはこの世に戻って来たとき、大いなる普遍思想に目覚め、その瞬間から幸福、愛、平和といったものを追い求めずにはいられなくなるということが、たくさん報告されています。
 このようにメーテルリンクや賢治は、霊的真実をファンタジーとして子どもや一般の人々に提供したわけです。ブツダにしろ、イエスにしろ、たとえ話の天才でした。こういった物語づくりのセンスはいつの時代にも求められているといえるでしょう。
 そして重要なことは、メーテルリンクがその少年時代に実際に臨死体験をしているのと同じく、賢治も臨死体験をしていたということです。
 賢治が亡くなった一九三三年九月二十一日の早朝四時半から五時。賢治は森荘己池氏の自宅を訪れたそうです。
 森氏が寝ていると、階下の土間をゴム長靴をはいた人の歩く昔がしました。二度も三度も行き来するので、隣に寝ていた夫人も目を覚まし、泥棒かと思って階段を降りました。
 すると下から三段目まで降りたところで音はパタリとやみ、土間には誰もいませんでした。鍵もかかったままで、外から人が入った形跡はありませんでした。
 そんなことがあって間もなく、その日のうちに森夫妻は賢治の死の知らせを受けました。死亡時刻は午後一時半であり、朝の四時半か五時には動けない状態で床に臥せていたはずです。午前十一時半、にわかに起きて、父親に国訳法華経を千部つくって知人に配るように遺言しました。その後は安心して、自分の手で体をオキシフルで拭い、それが終わって母親に頼んだ水を飲んでから、賢治は午後一時半に他界しました。
 生前の賢治はいつもゴム長靴をはいていて、ゴポゴポという音をさせながら森家にやって来たそうです。森夫妻は、臨終の日に賢治が会いにやって来たのだと確信しています。明らかな幽体離脱現象だといえるでしょう。つまり、賢治は臨死体験をしたのです。

 さて、ジョバンニは賢治自身であり、命を失う級友カムパネルラは亡くなった彼の妹に重ね合わせることができます。
 賢治の妹は、宮沢トシといいました。日本女子大学を卒業し、教師も務めた才媛でした。二歳ちがいの妹を賢治が心から愛し、その死を心から悲しんだことは、有名な「永訣の朝」をはじめとする挽歌群からよくわかります。悲しむだけでなく、その死後のゆくえを兄は強く求めました。そして、最愛の妹の死の直後に『銀河鉄道の夜』は書かれたのです。



 3.タイタニック号から銀河鉄道へ


 トシは、自身のはかない生命を予期していたのか、少女のころから死後の問題をきわめて重視していました。彼女の祖父宛ての書簡の内容から、死後の魂の存続を信じていたことがわかります。当然ながら、当時流行していた心霊学にも大きな関心を寄せました。
 トシの愛読書は、メーテルリンクの『死後の存続』(当時の書名は『死後は如何』)でした。恩師である日本女子大学創立者の成瀬仁蔵の影響があったようです。トシは自ら記した「自省録」に、自分を力づけてくれた「メーテルリンクの智慧を信ずる」と書いています。
 そして、『青い鳥』を読んだ彼女は、『死後の存続』に書かれたメーテルリンクの霊界観が夢のあるファンタジーとして見事に表現されていることにとても感激しました。そして、仲のよかった兄の賢治にその感激を伝えたのです。
 賢治もトシも結核という病に苦しんでいました。思うに、ともに不治の病を抱え、つまり死の影とともに生きている自分と兄を、トシはチルチルとミチルに重ね合わせたのではないでしょうか。そして、妹から勧められた『青い鳥』を読んだ賢治は、さらにイマジネーションを膨らませて、『銀河鉄道の夜』を書いたのです。チルチルとミチルはジョバンニとカムパネルラになり、「青い鳥」は「ほんとうの幸福」に言い換えられたのです。
 そして、賢治とトシの兄妹は宗教の枠を超えた普遍宗教のようなものを意識していたと考えられます。トシに強い影響を与えた成瀬仁蔵は名高い教育思想家でしたが、メーテルリンクやタゴールなどとも親交があり、すべての宗教のもとは一つ、めざすところも一つという「万教帰一」思想を唱えていました。
 『銀河鉄道の夜』には興味深い記述がいろいろと見られます。まず、世界の海難史上最大の悲劇とされるタイタニック号の犠牲者とおぼしき人々が乗り込んでくるところです。船が氷山にぶつかって沈んだという点、救命ボートに子どもや女性を優先して乗せようとしたけれどボートの数が不足していた点、沈みゆく船で賛美歌が歌われた点など、タイタニック号沈没事件をモデルとしていることは明らかです。
 賢治はこの事件を「岩手日報」などで知り、大きな関心を持ちました。また事件の直後、それまでの人生で海を見たことのなかった賢治が盛岡中学の修学旅行で船に乗り、初めて海を見たばかりか船で外洋に出ています。彼の心はさぞかし揺れ、タイタニック号の多くの犠牲者の魂のゆくえに想いを馳せたことは想像に難くありません。
 また、タイタニック号の犠牲者たちが賛美歌「主よみもとに」を合唱したことは有名です。賢治も『銀河鉄道の夜』に「いろいろな国語で一ぺんにそれをうたひました」と書いたように、死を前にしてあらゆる国の人々の心が一つになった出来事に大いに感動したようです。言葉の違いが乗り越えられたという現実は、彼をしてエスペラント運動へ向かわせる原動力となりました。
 ほかにもタイタニック号がらみの描写では興味深い部分が多いのですが、『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』(朝文社)で著者の山根知子氏が指摘した「沈没船から銀河鉄道への乗り換え」というテーマはとくに注目すべきです。山根氏は次のように述べています。

 「タイタニック号は、二十世紀初頭の近代科学技術を結集した、人間の驕りの乗り物として出航した。しかし、それがもろくも沈んだ事件によって、人びとは科学万能の価値観を同時に沈ませ、代わりにそれを超えて沈まない真の価値観を再確認した。賢治は、そこに浮上してきた信仰の世界の真の価値観を求める乗り物として銀河鉄道を想定し、タイタニック号と思われる船から銀河鉄道へと乗り物を乗り換えてきた青年たちの思いを語らせ、さらにジョバンニがその青年と『ほんとう』の生き方を求める問答をすることで、その価値観を吟味させたといえるのではなかろうか」

 乗り物の問題はとても重要です。仏教では多くの人々を救う教えを大きな乗り物にたとえて「大乗」といいますが、銀河鉄道こそは大乗のシンボルとして描かれているのです。
 そして、ほかの乗客に救命ボートを譲ったキリスト教徒の青年も、友人の命を救ったカムパネルラも、ともに「犠牲の愛」を実行して命を落としました。
 しかし、青年たちは「サザンクロス」で降りましたが、カムパネルラはもっと先のおそらくは銀河鉄道の終着駅である「天上の野原」まで行きます。ここの部分には、キリスト教の犠牲的精神に強い共感を示しながらも、「たったひとりの本当の神様」という考え方にはどうしても賛同できなかった賢治の信仰上の本音が出ているように思います。



  4.宗教、哲学、科学、そして物語


 死後の世界を考えるとき、多くの人はまず「宗教」を思い、次に「哲学」や「科学」を思います。しかし、そのほかにもう一つ「物語」という方法があるのです。
 「死んだら星になる」とか「海の彼方の国に住む」とか「千の風になる」とかのファンタジーの世界があるのです。そのことを『銀河鉄道の夜』はやさしく教えてくれます。
 二〇一一年三月十一日、日本に未曾有の大災害が起こりました。東日本大震災です。一万五〇〇〇人を超える人々が亡くなりました。
 この多くの死を前にして、日本人はぜひ、壊滅的な被害を受けた岩手県が生んだ宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』を読んでいただきたいと思います。
 わたしは、『銀河鉄道の夜』とは宇宙的視点から地球をながめ、「人類愛」を訴えた奇跡のような物語だと思います。
 そして「死」について語るとき、「宗教」や「哲学」や「科学」のほかに「物語」という方法があることを教えてくれます。
 涙は世界で一番小さな海です。
 あの大津波によって多くの人命を奪った三陸の海と、愛する人を亡くした悲しみであなたが流した涙とはつながっているのです。
 そして、あなたが流した涙と、ほかの多くの方々が流した涙もつながっているのです。
 涙でかすむ風景の向こうに、幻の銀河鉄道の姿が浮かび上がってきます。
 わたしは、東日本大震災で亡くなった方々が東北発の銀河鉄道に乗って、「ほんとうの幸福」が待つ場所へと向かわれ、無事に目的地に着かれることを心より祈っています。

   (一条真也『のこされたあなたへ』佼成出版社、2011、pp.228-241)