学びの栞 (B) 18. 苦難と悲しみ (苦労の意味) 18-a (障害や困難は大きな成長の機会) 障害や困難の克服が、霊的な成長を促進するということは本当です。重い精神病や肉体的な欠陥などのように深刻な問題を持つことは進歩のしるしであって、退歩を意味してはいません。私の見解では、こうした重荷を背負うことを選んだ人は、大変に強い魂の持ち主です。最も大きな成長の機会が与えられるからです。もし、普通の人生を学校での一年間だとしたら、このような大変な人生は大学院の一年に相当します。退行催眠で苦しい人生の方がずっと多く現れてくるのは、このせいでしょう。安楽な人生、つまり休息の時は、普通はそれほど意味を持っていないのです。 ブライアン・ワイス『前世療法(2)』(山川紘矢・亜紀子訳) PHP研究所、1996、p.217 ***** 18-b (障害の多い方が多くを学べる) 障害となるものが少ないよりも沢山ある時の方が、多くを学ぶことができます。困難な人間関係や多くの障害や悲しみに満ちた人生は、魂の成長にとってもっとも大きなチャンスなのです。霊的な成長を促進できるように、あなたはわざわざ、より困難な人生を選んだのかもしれません。 失業などの良くない出来事は、時にはより良いチャンスへのドアを開けてくれるものであったりします。早まって悲嘆にくれたりしてはなりません。運命がその複雑なタペストリーを織りあげるには、もう少し時間がかかるのです。苦痛と困難に加えて、この世界には愛と喜びとエクスタシーもあります。私達は他の人々の間にいることによって、愛を学ぶためにここにいるのです。そして他の人々もまた、私達と同じ道で、同じレッスンを学んでいます。愛は知的なものではありません。私達が気づかなくても、絶えず私達に流れ込み、通りすぎてゆくダイナミックなエネルギーです。私達は愛を与えることも、受け取ることも学ばなければなりません。人間社会の中で、人との関わり合いの中で、人々への奉仕の中でこそ、すべてを超えた愛のエネルギーを私達は本当に理解できるのです。 ブライアン・ワイス『魂の療法)』(山川紘矢・亜紀子訳) PHP研究所、2001、p.93-94 ***** 18-c (苦しみの果てに得たやすらぎ) 山茶花の美しい日でした。電話で解雇の知らせを受けた夜、私の心はキリキリ痛みました。眠るどころではなく、私は般若心経について書いた本を読みながら横になっていました。心を苦しむにまかせていましたのに、本を読み進むにつれて、その苦しみが少しずつ希望に変わっていくのを感じました。 やがて、長い冬の夜が明けて、障子が白々としてきたとき、突然、私は激しいめまいを感じ一瞬、意識がなくなったように思いました。次の瞬間、昇ってくる朝日に照らされながら、私は何か大きな暖かいものにすっぼりと包まれているのを感じました。 それは何だかわからないけれども、もう私は一人で悩む必要も苦しむ必要もないと確信できました。私のすべてを、現在も未来もその大きな力にまかせてよいのだと思いました。これまでも、いつも私はその大きなカに包まれていたのに、自分でそれに気づいていなかったのだと感じました。 そして、自分の進むべき道がはっきりと、本当にはっきりと目の前に見えてきました。解雇や病気は、私が仕事を辞める理由にはならない。この宇宙の中での私は小さい、けれどもそれが私である以上、私は最善の生を生きなければならない。私と同時代に生きた人々のために、まだ私には何かができるはずだと感じました。私の生きてきた人生経験が、私に動かしがたい何かを与えてくれたこと、そして、私が、十年、二十年前の不安定な私ではなくなっていることを、はっきりと感じました。私の得たものを成長させて、世の中に返す義務があると思いました。一睡もしませんでしたが、前の晩のみじめな私はもうそこにはいませんでした。 柳沢桂子『癒されて生きる−女性生命科学者のこころの旅路』 岩波書店、1998、pp.29-30 ***** 18-d (苦難は神からの贈り物である) わたしの死は、あたたかい抱擁のようにやってくるだろう。ずっと前からいってきたように、肉体にいのちを宿している期間は、その人の全存在のなかではごく短い期間でしかないのだ。 学ぶために地球に送られてきたわたしたちが、学びのテストに合格したとき、卒業がゆるされる。未来の蝶をつつんでいるさなぎのように、たましいを閉じこめている肉体をぬぎ捨てることがゆるされ、ときがくると、わたしたちはたましいを解き放つ。そうなったら、痛みも、恐れも、心配もなくなり・・・・・美しい蝶のように自由に飛翔して、神の家に帰っていく・・・・・・そこではけっしてひとりになることはなく、わたしたちは成長をつづけ、歌い、踊る。愛した人たちのそばにいつもいて、想像を絶するほどの大きな愛につつまれて暮らす。 幸運に恵まれれば、わたしはもう地球にもどってきて学びなおす必要のないレベルに到達するかもしれないが、悲しいことに、とわの別れを告げようとしているこの世界にたいしてだけは不安を感じている。地球全体が苦しみにあえいでいる。地球が生まれてからこのかた、いまはど衰弱した時期はない。あまりにも無思慮な搾取によって、地球は長いあいだ虐待されてきた。神の庭園のめぐみをむさぼる人類が庭園を荒らしつくしてきた。兵器、貪欲、唯物論、破壊活動、それらがいのちを支配するルールになっている。恐ろしいことに、いのちの意味について瞑想する人たちによって世代をこえて受けつがれてきたマントラ(真言)はカを失ってしまった。 まもなく地球がこの悪行を正す時期がくると、わたしは信じている。人類の所業に報いる大地震、洪水、火山の噴火など、かつてない規模の自然災害が起こるだろう。わたしにはそれがみえる。わが亡霊たちからも、聖書に描かれているような規模の大異変が起こると聞いている。それ以外に、人びとが目ざめる方法はないのか?自然をうやまうことを説き、霊性の必要性を説くためにとはいえ、ほかに道はないのか? 目には未来の光景が映っているが、わたしのこころはあとに残していく人たちに向けられている。どうか、恐れないでほしい。死が存在しないことを想起さえすれば、恐れる理由はなにもない。恐れることなく自己をみつめ、自己について知ってはしい。そして、いのちを、やりがいのある課題だとみなしてほしい。もっとも困難な選択が最高の選択であり、正義と共鳴し、カと神への洞察をもたらす選択なのだ。神が人間にあたえた最高の贈り物は自由選択だ。偶然はない。人生で起こるすべてのことには肯定的な理由がある。峡谷を暴風からまもるために峡谷をおおってしまえば、自然が刻んだ美をみることはできなくなる。 ・・・・・・・人生に起こるすべての苦難、すべての悪夢、神がくだした罰のようにみえるすべての試練は、実際には神からの贈り物である。それらは成長の機会であり、成長こそがいのちのただひとつの目的なのだ。 エリザベス・キュブラー・ロス『人生は廻る輪のように』 (上野圭一訳)角川書店、 1998、pp.372-374 ***** 18-e (辛い経験をすればするほど人はそこから学び成長する) 一九八五年、エイズ感染児を養子にするという意向を発表した直後に、わたしはシエナンドー谷でもっとも忌むべき人間になりさがった。やむをえずその計画を放棄したあとでさえ、脅迫者たちはわたしを追いだすために殺人をも辞さない卑劣な行為をとりつづけた。わが家の窓は銃弾で撃ちぬかれ、家畜たちが撃ち殺された。美しい土地での静かな暮らしは、打ちつづく脅迫によって惨めで危険なものになった。だが、それはわたしの家だった。わたしは頑強に引っ越しを拒んだ。 その一〇年前、わたしはそこヴァージニア州のヘッドウォーターズにある農場に移り住んだ。すべての夢をかなえるに足る農場だった。出版と講演で得た収入をぜんぶそこに注ぎこんだ。自宅を建て、近くに来客用の宿泊施設を建て、農場スタッフの宿舎を建てた。ヒーリングセンターを建て、そこでワークショップをひらいた。消耗する旅行のスケジュールは大幅に楽になった。エイズ感染児たちを養子にするという計画が浮かんだのはそのときだった。たとえ余命がほんのわずかでも、子どもたちはその美しい自然のなかの生活をたのしんでくれるはずだった。 農場での簡素な生活はわたしのすべてだった。長い空の旅を終えてわが家へとつづく曲がりくねった道にたどり着くと、からだの芯からくつろぎがひろがった。どんな睡眠剤にもまして、夜の静けさが神経をやわらげてくれた。朝は動物たちの鳴き声のシンフォニーで目がさめた。牛、馬、鶏、豚、ロバ、ラマたち……。旅から帰ったわたしを全員がにぎやかに歓迎してくれた。みわたすかぎり野原がひろがり、朝露がきらきらと光っていた。太古から生きている樹木たちが沈黙の叡知をたたえていた。 すべきことはいくらでもあった。泥だらけの両手はいつも大地に、水に、陽光にふれていた。ふたつの手がいのちの材料をこねまわしていた。 わたしの人生。 わたしのたましいがそこにあった。 そして、一九九四年一〇月六日、わが家に火が放たれた。 家は全焼した。資料も原稿も宙に消えた。もてるものすべてが灰燼に帰した。 家が火の海につつまれているという知らせを受けたのは、帰路の飛行機に乗るべくボルティモア空港を小走りで急いでいたときだった。携帯電話の先の友人は、まだ家に帰るなと哀願した。しかし、わたしはそれまでにも両親や知人から「医者になるな」「瀕死の患者と面接するな」「刑務所にエイズ・ホスピスをつくるな」といわれつづけてきた。そして、そのつど、人に期待されることより自分が正しいと感じたことを頑固に実行してきた。そのときも同じだった。 だれだって生きていれば辛苦を経験する。つらい経験をすればするほど、人はそこから学び、成長するのだ。 エリザベス・キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』 (上野圭一訳) 角川書店、1998、pp.13-14 ***** 18-f[2-t] (学べば学ぶほど課題は難しくなる人生の学校) 人はいつもわたしに死とはなにかとたずねる。死は神々しいものだと、わたしは答える。死ほど安楽なものはないのだ。 生は過酷だ。生は苦闘だ。 生は学校に通うようなものだ。幾多のレッスンを課せられる。学べば学ぶほど、課題はむずかしくなる。 火事はその課題のひとつだった。喪失を否定しても無益である以上、わたしはそれを受容した。ほかになにができただろう? つまるところ、失ったものは「もの」にすぎない。いかにたいせつなものであれ、あるいはいかに痛ましい感情であれ、いのちの価値にはくらべようもない。わたしはけがひとつ負わなかった。すでに成人しているふたりの子どもたち、ケネスもバーバラも生きている。脅迫者たちはわが家と家財一式の焼き討ちには成功したが、わたしを滅ぼすことはできなかったのだ。 エリザベス・キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』 (上野圭一訳) 角川書店、1998、pp.15-16 ***** 18-g[13-i] (この世に存在する唯一の目的は成長することにある) 教訓を学んだとき、苦痛は消え失せる。 地球の反対側ではじまったわたしの人生は事件の連続だったが、けっして楽なものではなかった。それは愚痴ではなく事実である。困苦なくして歓喜はない。それをわたしは学んできた。苦悩なくしてよろこびはないのだ。戦争の悲惨がなければ平和のありがたさがわかるだろうか? エイズがなければ人類社会が危機におちいっていることに気づくだろうか? 死がなければ生に感謝するだろうか? 憎しみがなければ、究極の目標が愛であることに気づくだろうか? わたしが気に入っていることわざに「峡谷を暴風からまもるために峡谷をおおってしまえば、自然が刻んだ美をみることはできなくなる」というものがある。 三年前のあの一〇月の夜は、たしかに美がみえなかったときのひとつだった。しかし、それまでの人生でも似たような岐路に立たされ、ほとんど闇と化した地平線に目をこらしてなにかを探しつづけたことは何度もあった。そんなとき人にできるのは、拒絶しつづけて責める相手を探すか、傷を癒して愛しつづけることを選ぶかのいずれかである。存在の唯一の目的は成長することにあると信じているわたしは、後者を選ぶことをためらわなかった。 エリザベス・キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』 (上野圭一訳) 角川書店、1998、p.16 ***** 18-h[13-n] (痛みに耐えることは魂の進化に貢献することである) パーソナリティーにひずみを生じさせる恐れや怒り、嫉妬などを理解するには、それらとカルマとの関係を考慮することが不可欠である。もしあなたが、人生を通じて手にする体験の数々は、自身の魂のエネルギー・バランスをとるために必要なことなのだと理解していたなら、そのときあなたは、それらに過剰に反応しなくてもいい自由、すなわち、自分の魂のために新しいネガティブなカルマを創造しなくてもいい自由を手にすることになる。 痛みはそれだけなら、たんなる痛みにすぎない。しかしそれは、「痛みは価値ある目的に奉仕する」ということを知っている人間にとっては「試練」である。試練には意味がある。試練は耐えることができる。なぜならば、それは耐えるに値するものであるからだ。痛みに耐えることは、魂の進化に貢献することである。それ以上に価値のあることがあるだろうか? ゲーリー・ズーカフ『魂との対話』坂本貢一訳 サンマーク出版、2003、p.212 ***** 18-i[36-r] (生まれる前に想像を越えた悲しみを選択することもある) この世に来る前、私達がスピリットの存在であった頃、ある時点で私達の意識は地上界で起こることを選択することになっている。その際、重篤な病気、ハンディキャップ、未熟児死亡、あるいは愛する人を失うなどのように、自らすすんで困難や試練を選ぶこともある。自分に近しい人を失くす事は心臓がやぶれるほどの経験であろう。恐ろしい歴史的な事件に巻き込まれたり、想像を越えた悲しみを選択するスピリットもいる。 しかし、地上界に降り立つときは、その計画のこともスピリットとしての強い意識も忘れてしまう。それは人生で成長するためにもう一度見つけなければならないものだからだ。たとえば12歳のあなたが、35歳で非業な死をとげることを覚えているのなら、あなたの地上生活はどんなものになるだろうか。しかし、スピリットとのコミュニケーションにせよ、他の方法にせよ、将来起こることをちらっとでも見せられたとしたら、それは自分の人生のストーリーを解き明かすのが目的ではなく、何か大きな計画があることを意味している。 ゴードン・スミス『なぜ、悪いことがおこってしまうのか』 (ノーマン・テイラー・邦子訳)ナチュラルスピリット、2011、pp.202-203 ***** 18-j (肉親を亡くして喪失感を味わうのにも意味がある) 大事な家族や親しい方との死別には、特別な感情が湧き上がるものです。 私自身は両親ともに他界しており、これからは弟と二人きりだと思っていたら、そのたったー人の弟が、二〇一三年九月中旬、五十六歳で他界しました。末期の転移性肝臓がんでした。亡くなる一カ月ほど前の八月初旬、本当に久しぶりに弟から連絡が来ました。お互いに忙しくて、それまでろくに会っていなかったこともあり、久しぶりにどこかで食事でもと切り出そうとすると、何だか弟の様子が違います。 「どうしたの?」 私が尋ねると、弟は意外なことを口にしました。 「兄貴、末期のがんだって言われたよ」 弟は淡々と話しました。近所のクリニックでそう診断され、そこの紹介で総合病院で検査を受けるというところでした。しかし、今一つ様子がよくわかりません。その検査結果を持って東大病院に来てもらって、急いで肝胆膵外科で腹部超音波検査をしてもらった結果、大きく膨れ上がった肝臓の大半はがんに占められ、パンパンに腫れ上がっていました。残念ながら、西洋医学ではどうにもならない状態でした。 弟はしばらく自宅で療養していましたが、強い痛みのために睡眠障害に陥ったことから、私の友人が勤務する病院で緩和治療を受けることになりました。最期まで大変だったと思います。私への連絡から一カ月と少し後、弟は静かに逝きました。長患いしなかったことが、せめてもの救いだったかもしれません。 義妹(弟の妻)の喪失感はいかばかりだったことでしょう。弟夫婦には子どもがいないので、彼女は一人になってしまったわけです。教師をしながらアスリートとして陸上競技に打ち込んでいた健康優良児の弟が、こういう最期を迎えるとは想像もしていなかったことです。 家族との死別を経験した人は、強い「喪失感」を持ちます。 これは経験者でないとわかりません。喪失感を味わうことも、私たちが輪廻転生を繰り返している大事な目的の一つですから、そこでの悲しみは十分に味わったらよいかと思います。他界された方への、それが一番いい供養です。 しかし、その悲しみの中にいつまでもいるわけにはいかないのです。 亡くなった方を偲ぶ、その人との思い出を懐かしむことも大切ですが、それは時々でいいのです。私はそのことを亡くなった母との交霊で教わりました。そのためにも「日にち薬」、つまり時薬が大切です。どんなに切なく、どんなに悲しい状況も、時間が解決してくれます。 矢作直樹『悩まない―あるがままで今を生きる』ダイヤモンド社、2014、pp.143-145 ***** 18-k (死別も人生の学びの一つである) 喪失感は、決して一人で背負わないでください。 もっと話をすればよかった、ケンカしなければよかった、高度な治療を受けさせればよかった……、そういう後悔はまったく必要ありません。 他界された方は、もうそういうことを気にされていません。もし心おきなく話せる方がそばにいるなら、遠慮なく話してみてください。思いを吐き出すことで大きなストレスを解放することができます。 人生は出会いと別れの繰り返しです。私たちの生涯はその繰り返しなのです。その中に死別もあります。出会いには出会いの、別れには別れの、それぞれ固有の学びがあります。そんなエピソードを繰り返しながら、泣いたり笑ったり悔しがったりして、その時々の感情を味わう。そこに私たちがこの世に転生する最大の目的があります。 先述した弟の話には後日談があります。 弟夫婦はごく一般的な人たちで、私が著書に書いているような見えない世界の話にはまったく無関心でした。それが、弟が亡くなってしばらく後、義妹が「(弟の)声が聞こえる」と言い始めたのです。家族を失ったショックで、幻聴が聞こえたり幻影が見えたりすることは往々にしてあります。しかしながら、それがあまりにもはっきり聞こえるというのです。 本人も初めは空耳かと思っていたようですが、弟が彼女と話す時だけの独特な言い回しをして、自分が話しかけていることを念押ししてきたそうです。そういう類の情報にはまったく触れてこなかった、そんな普通の人が言うのですから、興味深い話です。 私も気になったので、知人の霊能力者に調べてもらったところ、「あなたの弟さんは他界のルールとしては異例ですが、亡くなってすぐに奥様の守護霊団(サポーター)のメンバー入りを承認されています」と告げられました。何とも不思議な話ですが、そういうこともあるのだろうと素直に受け入れています。 いずれにせよ、他界した人々が現世で生き続ける私たちを見守ってくれていることは確かです。そういう私たちだって、亡くなると彼らと同じ場所に行き、同じことをすることになります。 さらに加えると、亡くなった人が成仏しているかどうかを心配してはいけません。そんなことを心配すると、あの世に逝かれた方が逆に心配します。時々懐かしく思い出す、ただそれだけで逝った方々はうれしいのです。 矢作直樹『悩まない――あるがままで今を生きる』ダイヤモンド社、2014、pp.146-148 ***** 18-l (死別の悲嘆によって初めて真の人間理解が可能になる) 西田幾多郎は、藤岡東園著『国文学史講話』の序で以下のように述べている。 「人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという。しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。時は凡ての傷を癒すというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である」 かつて、西田は藤岡と机を並べてワシントン・アービングの『スケッチブック』を読んだという。そこに、他の心の疵や苦しみはこれを忘れ、これを治すということを欲するが、ただ死別という心の疵だけは人目を避けてもこれを温め、これを抱くというを欲すると書いてあった。 西田は「今まことにこの語が思い出されるのである」と告白し、さらに以下のように述べている。 「折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰籍である、死者に対しての心づくしである。この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう、しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである」 また西田は、教育学者の堀維孝に対しての手紙でも幽子の死について触れ、次のように書いている。 「丁度五歳頃の愛らしき盛の時にて、常に余の帰を迎えて御帰をいいし愛らしき顔や、余が読書の際傍に坐せし大人しき姿や、美しき唱歌の声や、さては小さき身にて重き病に苦しみし哀れなる状態や、一々明了に脳裡に浮び来りて誠に断腸の思いに堪えず候。余は今度多少人間の真味を知りたるように覚え候。小生の如きに鈍き者は愛子の死というごとき悲惨の境にあらざれば真の人間というものを理解し得ずと考え候」 近代日本の哲学における最高峰とされる西田幾多郎をして、愛する我が子との死別の悲嘆によって初めて「真の人間理解」が可能になったというのである。西田幾多郎から田辺元に至る京都学派の哲学の核心には「グリーフケア」の問題が存在したといっても過言ではあるまい。 一条真也『唯葬論』(三五館、2015)pp.297-298 ***** 18-m (人はなぜ苦しみや悲しみを体験する必要があるのか) 答えは簡単です。 宇宙には「自分が発したものを自分が受け取る」という原理があります。この原理については前にお話ししました。自分の行ないが、いずれ自分に形を変えて返ってくるという意味です。ここで、行ないには体での行ないだけでなく、言動や心で何を思うかということも含まれます。 人はともすれば、ネガティブ(否定的)な思いを持ち、それに基づいた言動や行動をとります。 ここで、ネガティブな思いとは、怒りや怖れ、悲しみ、苦しみ、恨み、憎しみ、ねたみ、不安、心配、つらさ、罪悪感、不平不満、愚痴、フラストレーション、執着、未練、欠乏感、自己嫌悪などです。 そのため、この原理から、ネガティブなことがらを体験することになります。 ここで、ネガティブなことがらとは、失敗する、恥をかく、損をする、だまされる、病気になる、けがをする、事故に遭うなど。 こういうことがらを体験した結果、またネガティブな思いを持つことになります。 つまり振り出しへ戻ったわけです。ネガティブな思いを持ったため、この原理に従って、またネガティブなことがらを体験することになります。輪のように続いていくのです。 この輪を切るには、ネガティブなことがらを体験したときに、ネガティブな思いを持たないということです。あるいは、ネガティブな思いを持った自分をそのまま「あーネガティブな思いを持ってるな」と受け入れる(肯定する)のです。そうするとポジティブ(肯定的)なものに変換されます。 さらに、積極的に喜びや楽しみ、愛、ワクワク感などポジティブな思いやそれに基づく行ないをするとポジティブなことがらを体験するようになります。そうすると、ポジティブな思いを持つ結果になり、好循環が続くことになります。 坂本政道『死ぬ前に知っておきたいあの世の話』 ハート出版、2016、pp.159-160 ***** 18-n (様々な苦しみや悩みは生まれる前に自分で選んできた体験である) あなたが過去をふり返ったときに、「恥ずかしくなるようなバカなこと」をしてしまったとしても、あなたの魂を成長させるために、その「バカなこと」は必要だったのです。 人間の世界では、「失敗」とか「成功」があるように言われていますが、「魂的な世界」では「失敗」というものがありません。 どんなに恥ずかしいことでも、どんなにバカなことでも、その人が死ぬ前にふり返って見ると、「ああ、いい経験したなあ。あのことがあったから、オレは成長できたんだ……」と思うようになっているのです。 あなたはいま、ツライこととか、苦しいこととか、どうにもならないことで、悩んでいるのだとしたら……、その出来事も、あなたが生まれる前に、自分で選んできたことです。「今回は、これとこれを乗り越えて、魂を成長させよう」というふうに。 たとえてみると、専門学校の学生さんが、好きな科目を選んで専門的に勉強するように、「悩み」も自分が好きなものを選んで、それを専門的に「修行」するようになっているのです。 ちなみに「悩み」というのは、ひとつの条件のもとに作られています。 それは……、「自分が解決できるものを選ぶ」というルールです。 ですから、あなたがいま悩んでいることは、絶対にあなた自身で解決できるものです。 神さまは、「答えのない問題」を絶対に出しません。 例えば、どんな学校の入試試験でも、「答え」っていうのは必ずあるように作られています。「この間題の答えは、永遠にありませんでした……」っていう問題を出したら、受験した人はみんな怒ってしまうでしょう? それは、入試試験では「ルール違反」なのです。 それと同じで、自分に起きた問題は、絶対に「答え」があるのです。 斎藤一人『神様に上手にお願いする方法』K.Kロングセラーズ、2014、pp.71-73 ***** 18-o (苦悩の多い人にはそれらを乗り越える力が備えられている) 「悩み」や「トラブル」が多い人って、いますよね。 例えば……、生まれた家が貧乏だったり、体が弱くて病気がちだったり、問題ばかり起こす兄弟がいたり、親が蒸発してしまったり、親や兄弟から虐待を受けて育ったり……。 そういう「定め」の元に生まれた人は、きっと、こう思うはずです。 「自分は、なんでこんな環境に生まれてきたんだろう」。 しかし、そういう「大変な定め(ハンディ)」を持って生まれた人というのは、実は、神さまがすばらしいものを備え付けてくれているのです。 それは……、「問題を乗り越えるだけの強いパワー」です。 例えば、「百の大変な定め」がある人だとしたら、実は、「百のパワー」というものを持っています。 そのパワーを出し切ると、プラスマイナスゼロで相殺され、「大変な定め(ハンディ)」というものは、なくなってしまいます。 また、パワーというのは、出せば出すほど拍車がかかって磨かれていきますから、強いパワーを仕事にぶつければ、「成功する可能性」も大きくなります。 ちなみに大きな成功をおさめる人は、「大変な定め」を持って生まれた人が多いものです。 例えば、松下幸之助さんは、「生まれた家が貧しい」「小学校しか出ていない」「体が弱かった」など……、普通の人に比べて、「大変な定め(ハンディ)」をたくさん持っていました。 しかし、松下幸之助さんは、自分には「強いパワー」が備わっていることを知っていたのでしょう。 松下幸之助さんは、パワーを出し切るためにも、自分の持っていた「大変な定め(ハンディ)」を、すべて自分のトクになるように考えていったのです。 「貧しいからこそ、うんと豊かになろうと思った」とか。 「学校を出ていないからこそ、学ばなきやいけないと思って、いろんな本をいっぱい読んだ」とか。 「自分の体が弱いからこそ、下の人をたくさん育てて、仕事をまかせようと思った」とか。 そういうふうに、自分のトクになるように考えているうちに、「持って生まれたパワー」というのは、どんどん出るようになるのです。 また、今回、あなたにお教えした“魔法の言葉”を言っているうちに、自分の中に「とてつもないパワー」があることに気付くようになります。 「私は“神”です。あなたも“神”です。みんな“神”です」 この言葉を言っているだけで、あなたの中で眠っていた「パワー」が起こされて、その「パワー」がジャンジャンバリバリ出せるようになるのです。 しかし、多くの人は、このことを知りません。 ですから、自分が「大変な定め」を持って生まれると、「なんで自分ばっかり、こんなに苦しい思いをするんだろう?」とか、「他の人は、あんなに恵まれているのに……」とか、自分の人生をのろい、人のことをうらやみます。 そして、自分の人生に対して、「あきらめ」が強くなっていきます。 そうすると、せっかく「強いパワー」を持っていたとしても、自分にパワーがあることにすら気づきません。 せっかくのパワーを発揮することなく、つらい状況のまま、人生が終わってしまうのです。 斎藤一人『神様に上手にお願いする方法』K.Kロングセラーズ、2014、pp.81-85 ***** 18-p (人は乗り越えられない苦労は与えられていない) 現世の視点でみれば、いいこと続きで、つつがなく暮らせる人が、守護霊に愛されていると思うのでしょう。しかしこれはまったく違います。 守護霊に本当に愛されている人は、現世でいうところの「苦難」続きです。こう言うと急に「じゃあ、愛されなくてもいいや」と、あなたは尻込みするかもしれません。 守護霊の愛は、あなたが思うような「庇護の愛」とは、違います。 愛されている人は、トレーニングのバーベルがどんどん重くなり、目の前のハードルもぐんぐん上がります。もちろん、急に持てもしない最重量のバーベルになるわけではありません。必要以上の負荷をかけてはケガをしてしまうかもしれませんから、その塩梅はちゃんと守護霊もわかっています。その人の体力に合わせて少しずつ負荷がかかるので、その点は心配しなくても大丈夫です。 やはり人間は少しずつでも負荷をかけていかないと、筋力や体力はアップできません。たましいも同じで、強くなれない。それだけに負荷がかかるということは、見込まれているということです。「大丈夫、できるよ」と。 昔から「人は乗り越えられない苦労は与えられていない」などと言いますが、霊的真理で考えても、これは本当です。あなたにできないことは、決して与えられません。乗り越えられる保証付きなのですから、何も心配せず、安心して生きていけばいいのです。 江原啓之『守護霊』講談社、2017、pp.202-203 ***** 18-q (この世での苦労は不幸どころか幸福の極みである) こう言っている私にしても、今でこそごく素直に一切を天地大自然にお任せしていますが、かつての物質的人生の中で失敗続きをしていた頃には、自分の死後についてなどまるで考えずに、愚かしい毎日をただ苦しみながら暮らしていました。 人間と生まれて来たことさえこの上ない不幸に思えたものです。ですから毎日が不平不満だらけで、人を憎み恨み、そして少しもいいことが巡って来ない自分を悔しく思いながら暮らしました。 人に可愛がられてのんびり日向ぼっこをしている猫まで、羨ましく妬ましく思えたことを今でも忘れません。そしてもっと情けないことに、犬や猫のように呑気に遊んで暮らすことに大きな価値を認めて、そのためにはお金を儲けることしかないと、また泥沼に踏み込んで行くという馬鹿な生活を繰り返すだけだったのでした。 苦労は買ってでもしろという格言も、今の時代には完全にどこかへ融解してしまったようですが、しかし、この世をただ順調に何ごともなく送ることが本当に幸せでしょうか。 犬や猫ではなく、せっかくちゃんと人間に生まれて来たのに何一つ苦労を体験出来ず、したがって大事なものを何一つ勉強することなく一生を終えてしまったら、死後は後悔と反省の渦となります。それこそ最大の不幸でなくてなんでしょう。 これを思えば、今生きているこの世での苦労は、不幸どころか幸福の極みというべきものです。この世での物質的苦労を不幸と考えているうちは、まだ真の幸福が何かに気がついていません。 自分が今苦労しているなと思ったら喜んで下さい。困った死者には絶対になりません。私が保証します。 萩原玄明『死者からの教え』ハート出版、1994、pp.68-69 ***** 18-r (挫折や失敗を繰り返して自分の魂の存在に気付く) 自殺を思うところまで行った私の人生体験は、そこまで勉強して来い、さもなければ人の苦しみもわからず、ましてや人の苦しみ・悩みを救うなどという大事が出来るものかという御仏の教えであったような気がしてなりません。 今こうして生きている肉体というものは、霊魂という目に見えない生命体が自らの深奥に存在していることを知るための道具です。目に見える肉体だけが自分と思って、自分中心の考え方で生きて行きながら、その中で挫折や失敗を嫌でも体験し、そして、少しずつ少しずつそのことがわかって行きます。 挫折や失敗を繰り返して行くうちには、自分というものの小ささ愚かさというものが、誰だって次第にわかって来ます。ですから挫折や失敗は絶対に必要なものであって、そのためにこそこんなに苦労の多い毎日を誰もが送っているのだと思います。 もし挫折や失敗がまったく無いか、または極めて少ないという人生であったなら、気の毒にその人間は、自分の魂の存在に気がつく前に死んで行くことになります。つまり、知らずに死んでしまいます。それが結局のところ、どんな結果を子孫に及ぼすことになってしまうか、皆さんのもうよく知るところです。 萩原玄明『死者からの教え』ハート出版、1994、pp.91-92 |