学びの栞 (B) 


 24. 地上と霊界


 24-a[2-k] (皆さんに証明しますが私は死んでもなお生き続けるのです)

 新たに解放された精神の力すべてを行使して、新しい友達に、生まれ変わったドイルを見てもらいたいと思います。私は昔の地上での生活や出来事のこまごまとした問題には、もはや関心がありません。そうしたことが、関わりのある人の霊的な発達に影響を及ぼす場合は別ですが。とはいえ、その場合でも、霊的な生活の基礎となるべきものについて話をすることを除いては、その人を助けてあげることはできません。
 たしかに、昔のドイルは死につつあります。しかし、皆さんに証明いたしますが、私は死んでもなお生き続けるのです。それは間違いありません。しかし、二度目の死を体験した人には、よけいな飾り物は何もありません。その崇高な体験の後では、純化された精神だけしか残らないのです。あの二度目の目覚めの素晴らしさ! そのとき、私はただひとつのことしか意識していませんでした。ただ一つ! それは、神の私に対する、そしてすべての人間に対する愛の奇跡、その愛の無限性、その愛の全体性でした。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、pp.162-163

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 24-b (天国の偉大な真実を地上の人々に伝えたいという切なる願い)

 肉体をもたない存在が住む天国の偉大な真実を地上の人々に伝えたい、という私の心の願いたるや、まさに言葉に表わしがたいものがあります。肉体を離れてから、もう何十年もたったような気がします。
 今日は私の地上での誕生日でしたね。誕生日は私に関して言えば、もう関係ないだろうと思われるかもしれませんが、地上と私のつながりは誕生日にはとくに強くなるのです。霊が地上に肉体を持って生まれた日は、その霊にとっては常にエネルギーに満ちた日で、それは良くも悪くも利用することが可能です。誕生日、死亡した日、その他人間の魂に影響を及ぼすような出来事が起きた日には、その体験があった場所にその霊の波動が生じるのです。
 私の地上におけるさまざまな記憶は、はるか遠くに行ってしまったように思われます。完全に忘れたというのではなく、ある程度ということです。些細な体験はすべて記憶から薄れ、私に深い影響を及ぼした体験だけが残っています。私が書いた多くの事柄についての記憶もなくなってしまいましたが、私のペンと創造力が生み出したものは、これからも生き続けるでしょう。あるときは人を悲しませ、あるときは人にインスピレーションを与えて。私が書いたものの多くは、幸せな思い出として私の心に残っていることを神に感謝します。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、pp.166-167

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 24-c[13-c] (この地上で人間はやがて自分が行く霊界の土台を築く)

 精神界には三つの局面がありますが、魂はこのすべての局面を体験するのではなく、それぞれの波長が合った局面へと進んでいきます。その後、魂は引き続いて霊的な存在として、あらゆる局面、段階を一つ一つ上がっていきます。それは(人が唯一の人生と思っている)一つの人生によって決まるのではなく、その魂が経験した数多くの肉体をもった人生によって決定されます。なぜなら、一人一人の魂は数多くの肉体をもった人生を体験するからです。それぞれの人生において、魂はやがて自分が訪れ、しばらく住むことになる精神界の局面を選びます。このようにして、最終的には魂は霊的な生活のすべての段階、すべての状況を体験します。
 はっきりわかったでしょうか。物質の世界に住んでいる間に、人間はやがて自分が行かなければならないアストラル界、精神界、天界の土台を築いているということがおわかりになりましたか。その結果、人間は地上にいる間に抱いた願望と、達成した霊的な成長に応じて、アストラル界、精神界、天界で、より限られた自由や幸せ、あるいはより大きな自由や幸せを体験するようになるのです。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、p.177

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 24-d[60-e] (天界の魂は地上とコミュニケーションができる)

 地上の生活を離れた後、人間の魂は約三〇年(人間の地上における時間で言うと)で、この天界に到達します。これは人間の魂がふつうの発達を遂げていった場合です。魂の気持ちに逆らって向上させるということはけっしてありません。人間の自由意思は常に優先されます。もしもアストラル界に長くとどまりたければ、自分が望むだけいることができます。その結果、一〇〇年、あるいはそれ以上アストラル界にとどまることになるかもしれません。逆に、速く進んでいきたければ、それも可能です。ただし、それは自分の本当の故郷である神の意識と再び結合することを、心から願ったとき初めて実現します。
 そのような魂が、人間に奉仕しようとして、地上世界に戻るために、すべてを捨て、天界を放棄するとはどのようなことなのでしょうか。これを理解するには、まず最初に、天界の生活がいかに驚異と調和に満ちたものであるかを、ほんの少しでも想像していただかなければなりません。
 天界には、完璧な美しさをもった、本当に安らかで温和な顔をした、素晴らしい安らかさと愛の光に満ちた天使的な存在たちがいます。ここに住むすべての存在は、心なごみ、静かで、至福の状態にあります。呼吸する空気は輝き、精妙なものです。調和のとれた神聖な音楽が絶えず魂の中で奏でられ、なんらかの形で奉仕したり、自分を与えることに、この上ない喜びを見いだします。天界は永遠の安らぎの場所ではありますが、怠惰に流され、ただ休息する場所だと思ってはなりません。このような場所に住むことによって初めて私たちは創造の方法を学び、そしてこれを学ぶことによって私たち自身が創造的になれるのです。
 そういう天界に住む魂の中には、自分の喜びを犠牲にして地上に再び降りて、そこで仕事をする人たちがいます。ダイバーが深い海に潜り、炭鉱夫が地中深くに入っていくのと同じように、降りていく魂はアストラルの衣服を身につけ、再びなんらかの制限がある人格を自分のものにするのです。このような場合でも、そうした低い局面では限られた時間しかとどまることはできません。というのは、天界の魂はそのような暗い環境の中ではあまり長い間生存することはできないために、高い局面に上昇して息をつかなければならないからです。
 天界に住んでいる魂は、地上とコミュニケーションをはかることができるのでしょうか。できます。まさにその目的を果たすためのメッセンジャーがいるのです。聖書の中に、天国と地上の間に置かれた梯子があり、その梯子を天使が降りたり上がったりしているのをヤコブが夢に見たという一節がありますが、この話の神秘的な素晴らしさを理解している人はほとんどいません。
 これはただの子供じみた話だと思う人が多いかもしれません。しかし、これが今でも実際に行なわれているのです。実際に天国から地上に向けてコミュニケーションがなされているのです。悲しいことに、このコミュニケーションの過程で、じつに多くのことが失われ、コミュニケーションの正しい方法について非常な混乱があります。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、pp.180-181

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 24-e (人間は霊界では地上の生活の成果に直面することになる)

 霊界との交流について教えを広めてください。しかし、お願いですから、真実を教えてください。天国ではすべてがバラ色で素晴らしいなどと言って、幻の喜びを与えたりしないことです。これは私が保証しますが、死後の生活は真剣に取り組まなければならないもので、軽々しく扱ったり、うわべだけの美しさでごまかせるものではありません。人間が物質の世界からアストラル界へ移行するとき、地上で送った生活の成果に直面することになるのですから。ここから逆戻りすることは許されません。人間は自らを変容させて前進しなければなりません。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、p.182

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 24-f (霊の世界と物質の世界は切れない糸でつながっている)

 天界の美しさは、絵に描き表わすことも、言葉で表現することもできません。人間は、自分を待ち受けている霊的な生活の奇跡をほんのわずかしか垣間見ることはできません。熱望することによって、あるいは、霊的な局面と実際に接触することによって、その栄光のヴィジョンを、瞬間的にであれ、見ることのできる人はきわめて限られています。それは本当の意味での芸術家、作家、音楽家、詩人、信心深い人々です。しかし、彼らが瞬間的に捉える天界のヴィジョンも、ふつうの生活に戻ってくると薄れてしまいます。
 霊の世界と物質の世界は、切っても切れない糸でつながっています。ですから、人間にとって、この二つの状態を切り離すことはできません。しかし、この事実が理解できる程度にまで進んでくると、自分が置かれた物質の世界の密度が薄れ、物質性の程度が弱まってきます。
 これと同じように、多くの人々がこの事実を理解すると、彼らの世界もより精妙で霊妙なものとなります。そうすると、人々は現在の物質的な状態よりもアストラル界に近い状態に入っていきます。このような未来が人間の前に開けることでしょう。あなた方が生きている時代においてすら、物質の原子のエーテル界への移行の現象は徐々に始まるに違いありません。人類が霊的な進化の道を歩んでいくにつれて、この地球はますます美しくなることでしょう。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、pp.199-200

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 24-g[9-zt] (霊界では少ない言葉に非常に沢山の意味を含めることができる)

 顔を見つめ合っているだけで霊の間では想念の交通ができることはすでに幾度か記したとおりである。このことから世間の人々にも霊が言葉を使った場合には、もっと容易に想念の交通ができるのは想像できよう。
 霊界の言葉には、この世の言葉と違った大きな特徴が幾つもあるが、その一番大きな特徴は何といっても、この世の人々が数千言をついやさなければ話せないことを霊たちはわずか数言か数十言で話すことができる、つまり少ない言葉に非常に沢山の意味を含めることができるという点である。
 これは同じ言葉を使って話しても、その音節の区切りかた一つによって、その中に何重にもなった沢山の意味を霊は込めることができ、また自分の心の中にある想念を音節の区切で表わすのだ。だから表面の言葉以上に、何百倍、何千倍の意味が込められることになる。
 いま、私に話した霊の場合も実はこのことをまだよく知らなかっただけに過ぎない。先輩の霊の心の中にあって、これから話そうと思っている想念が、音節の区切りの中に現われ、彼はこれを初めの場合は内的な視覚で知り、あとの場合は外的な視覚で見たのである。霊界の言葉では、これ以外に言葉そのものがうすい気体の流れのように眼に見え、また、その“見える言語”の中に、話の内容が影像となってふわふわ浮いて見えることすらある。
 なお、このほか霊界の言葉についていっておけばつぎのような特徴がある。
 その一つはどんなに遠く離れていても会話ができるいっぽう、その気がなければ耳のそばで話されても聞こえないということ。
 また一つは、霊界の言葉も人間の言葉と同じく空気(ただし霊界の空気)の中を伝わって相手の耳に届くことだ。これは霊が人間と同じように耳も口も舌も持っているのだから当然のことであろう。

   エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.133-134

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 24-h[9-zu] (人間の感覚は霊の感覚に比べれば数千倍も鈍感である)

 人間の感覚は霊のものに比べれば数千倍もいや、もっと鈍感だ。だから人間がもし霊の話を聞けたとしても彼にはわかりっこないのだが、霊同士の間では相手の言葉の中に含まれる話し手の意思、感情、知性の姿がはっきりと眼に見えるように映る。意志、感情はその言葉の語調の微細な変化の中に、知性は、言葉と音節の無意識の配列の中に現われるのである。これは一万キロメートル離れて針の落ちる音を聞くようなかすかなものなのだが霊にはそれがわかるのだ。
 また霊は、その言葉を自分の心の状態そのままに、ほとんど自分では意識せずに音声に出して話す。そこには人間のように色々な思惑や判断にわずらわされるものはない。このことから彼の言葉は全てが純白の雪のように霊の本心そのままなのだ。そして、その本心の中のどんな微細な徴妙なもの、かすかなものも彼は表現しえるのだ。このことと霊の感受性の人間には考えられない鋭敏さにより、聞き手は話し手の全てを知ることができる。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、p.137

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 24-i[9-zv] (霊界の文字は少ない文字の中に沢山の意味が込められる)

 言葉のある霊界に文字も存在することは世間の人々の想像するとおりだ。だが霊界の文字は、その字の姿形や使われ方など色々な面で人間界の文字とは相当大きな相違がある。
 その相違のもっとも大きな点は霊界の文字には、この世のものに比べて曲線が多く、文章を見たときの全体的印象としてもやはりそういう感じを受けること、もうひとつは、いろいろな意味を含めた象徴として数字が使われること、それに霊界の言葉と同じように霊界の文字は人間界の文字に比較すれば、数少ない文字の中に非常に沢山の意味を込めることができることである。
 霊界の文字は複雑で微妙、精妙なので、いまこの世に還って、この手記を書いている私には正確に全てを憶い出すことはできないのだが、その文字の含む意味とか使われ方の例だけを人間の文字に直して示せばつぎのようになる。

 11
 つぎなる状態のとき霊と交わす。参ありや・・・・・


 最初に数字が書いてあり、つぎに文章が書かれるのが霊界では常法となっている。数字は、その含む意味が非常に広く、その無数の複雑な組合せ、例えば12、25・・・・・104といったようなもので、この文章全体の趣旨も書いた者が誰であるか、何時、何のために書いたのか……等々といったことを全て示すのだ。しかし、世間の人々は、ここに書かれた11という数字だけにそれほどの意味を含めることは不可能だと考えるだろうが、霊界ではそれが可能なわけは、あとで、この文章の意味を説明したつぎに説明しよう。
 文章は「つぎの状態(霊の状態のこと)の良好な時に霊と想念の交通を行なう、これに参加する気があるか……」とだけ云っているようにしか見えない。しかし実は、この文章の中には、人間の文字で直せば、おそらくは一冊の本にもなるほどの意味が含まれており、この文章を読む霊にはそれが解るのである。
 その理由は、さっき数字の中に多くの意味があるといったのと同じで、その線の曲がり具合、書かれてある位置、前の字と次の字との間隔、字の大きさや煩斜、同じ字でもその姿や形のわずかな違いなどの中に霊たちは多くの意味を込め、これを相手に伝えることができるからだ。
 この例の中にも、どの団体のどの霊からどの団体のどの霊にあてた文章か、また、想念の交通をする相手の霊はどこのどの霊か、それは何時するのか、また、その相手の霊はどのような性格の霊か、また、何故するのかといった当面の必要なことは全て含まれている。そして、そればかりでなく、いま書き手の霊の団体はどのくらいの霊がいて、どこに所在し、どんな状態にあるか、その団体の全部の霊の性格はどうかが何十万という個々の霊について書かれているのだ。
 こんなことは人間界ではとても考えられもしないことであるが、これら全てはさっきいった字の曲線の曲がり具合や字の配置……等々の中にちゃんと意味として入っているのである。むろん、この文字を読めば読み手の霊には書いた霊の顔が浮かぶばかりか、書いてあることによっては、それがイメージとして彼の視界の中に表像されて現われてもくるのである。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.139-140

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 24-j[46-n] (私は霊界で多くの歴史上の人物と話をすることができた)

 私は霊界で多くの歴史上の人物や世にある時には知らなかった異国の人、アジアの人などにも会う機会がかなりあった。そして彼らと自由に談話をすることができた。人間の世では言葉の違いのため話を交わすことのできない人たちとも霊界では自由に話ができる。(訳者注)
 この中には話が数時間から数日にわたるものなどがあったが、いまとくに私の印象に強く残っているものを記そう。
 私は一人の霊と現代の教会関係者たちの霊に対する認識の足らないことについて話合った。
 彼はいった。
 「さればわれ、汝の言よりして近時教会者流は古代教会におけるごとき心明けく、悟り開かれたる人なきを知れり。宗教はもとアジアに起こりてのち数多の国々に伝えられぬ。アジアには悟りの人まだ多からん」
 私はそこで霊のことについて彼と語った。彼は、その言に喜ぶことひとかたでなく
 「汝の言語の一々に霊的意義を含めり、なんぞ現時の教会者流は、その意義を解さんか、われには不審多し」
 と首をかしげつつ嘆いた。そして、つぎのように続けた。
 「霊界、霊のことを世の人に知らしむべし、それ以外に世を救う途なし」
 彼との談話中、他の霊が割って入り邪説をさしはさむことがしばしばだったが、彼は、これも一切意に介さぬふうで、さらに語った。
 「かくいう霊多きこと別段怪しむに足らず、彼ら肉体の生涯にありしとき、このことにつき学者、教会者流などより誤まれる考えに感染したるによるなり。世に行なわれる誤まれる考えを一掃することなくば、彼らをして真理に近付けること難し、全て現時の学者、教会者流など限あれども見えず、まだ無学者の如し」
 私は彼の言に一々、相づちを打ったが、不思議に思ったのは、彼の言語の諧調のなかにどこか美しいラテン語の響きに似たものを感じたことだった。その後の談話中、彼はローマやカエサルのことも少しもらし、また彼は刺客により暗殺された者であることを語った。私は彼の顔つき、言語、話の内容や態度などから彼はシセロ(Cicero、106〜43 B.C. ローマの雄弁家、政治家、哲学者)だったと思う。

 (訳者注)スウェデンポルグは、生前人々に歴史上のどんな人物とも霊界で自由に交信できると公言。求められると人々の前でこれを実地にやってみせたため当時ヨーロッパ中に不思議な人物霊媒として有名になった。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.143-145

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 24-k[46-o] (私は数多くの顔見知りの人々と霊界で会った)

 私はこのほかにも古代の人々と語ったことがある。そのとき彼らは、私の正面にあたり遠く離れた位置にあったが、お互いに、顔を向けあうだけでお互いの考えを伝え合うことができた。彼らの考えがすぐれたものであることは、彼らと顔を向け合っているとき、私が美しい表象が彼らの頭上に現われるのを見たことだけでわかる。この表象は彼らが私に伝えようとしている彼らの心の中が視覚に映る形で外に現われたものだからだ。
 私は、また、その性質は理性的とはいえないが、心の無垢な異邦人(訳者注、中世ではヨーロッパ人は世界を二人種、つまりキリスト教徒とそれ以外の異邦人とに分けて考えた)に会ったことがある。彼は、キリスト教徒ではなかったが、ヨーロッパの神話中の悲しい話をしてやったところ、悲嘆やるかたなく、苦しみにたえぬ様子で、あたかも茫然として自失してしまったくらいだった。彼は無知だったが、そこに一種の無垢なものがあった。
 私は、ある朝、遠くから聞こえて来る合唱の声をきいた。そして、その声の中に、牡羊、黍の糯、黒檀の匕首などが見えて来たのを私は心の眼で見た。そして、同時に空に浮いている楼閣のようなものも私の心の中に現われて来た。私は、これらの表像から合唱の声の主が中国人であることを感じた。
 やがて彼らは近づいて来たが、やはり一団の中国人の霊であった。彼らは私をすぐ目前に認めるとともに、私に対し、心のうちに少し嫌悪の情を感じたようで、これは私にもすぐわかった。だが、これは、彼らが世にあった時、キリスト教徒は、彼らより不善の生涯を送るものと聞かされていたためだとわかった。
 彼らとも、中国のこと、アジアの国々のことなどにつき色々と話をしたが、いまは、その一々を上げるのは省略しよう。
 なお、以上のほかにも私は霊界で多くの人々に会った。中には歴史上に彼らの世にあった時の事情が知られており、その人格もわかっているので、私に、すぐその人と知れる人々も少なくなかった。また、私が実際に彼らの世にあったとき交際を結んだり、顔を見知っていた人々と霊界で会った例は数千を下らないくらい多い。彼らは霊界では顔つきもかわっていた者も多い。また反対に世にあったときと大して変わっていなかった者も多い。変わっていた者は、世にあったときに世間の礼儀や慣習、あるいは打算や計略により、彼らの人格の本性をいつわった外面を付けていたものである。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.145-147

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 24-l[46-p] (全霊界の最長老にあたる太古の霊に会う)

 私は霊界で星雲の団体と霊たちが呼んでいる団体を訪ね太古の人の霊と会ったことがある。この団体は霊界の中でも特に他の団体とは、はるかにはなれた所にあり、そのもっとも著しい特徴は、この団体の霊たちの多くがまだ人間が人間になったかならないかといった太古のさらに太古の人間たちの霊であるということだとされている。そして星雲の団体と呼ばれる理由は、霊たちの霊視力によってもはっきりとは見えないくらい他の霊の団体とは離れた所にあること、そのため、この団体を眺めても一つの星雲のように空に浮かんだぼんやりとした、かたまりのようにしか見えないためである。
 この団体の中心の霊は太古の霊たちのうちでも最も太古の霊で、全霊界を通じての最長老にあたるため霊界のことについては全てのことに通じており、またとくに霊界のうちで過去に起こったことの全てが彼の記憶の中には刻み込まれているのである。そのうえ、この霊の霊的能力の秀れていることは霊界中の全ての霊とも彼がもし望みさえすれば同時に想念の交通を行ないうるほどだとさえ噂されている。
 私が訪ねたとき彼は同じ星雲の団体の霊たちに取囲まれ談笑していた。私が訪ねると彼は他の霊たちに席を開けさせ、私を自分のそばへ呼んだ。彼を取囲んでいた霊たちは皆私を歓迎するしるしに私のほうへ顔を向けたが、その顔つきにはどの霊も無垢と純朴さのしるしを現わしていた。彼の顔つきは、噂に聞く秀れた彼の霊能力から想像していたものとは違って、どこにも理性や知性の鋭さといったものは表面には現われていず、他の霊たちと同じように無垢で純朴で、まるで童心がそのまま顔になっているような穏やかさと平和の印象を与えるものであった。
 「汝は現代の霊ならん。ならば、わが霊界にて経験せし古来のことを語らん……」
 彼は、私が彼に聞きたいと思っていたことを先回りして語り始めた。彼は私に彼が霊界に入ってからの何百万年も前からのことについて色々話してくれたが、私はその中の話を二つ三つだけ記すことにしよう。
 ある時----それは何百万年前か何十万年前かは彼にも正確にはわからないといった----彼は霊界を影のようにさまよい歩く数人の霊を見たことがあった。この霊たちの様子がふつうの霊と変わっていたこと、それにそのような変わった様子の霊が数人も一緒になっていることが彼の注意をひいた。そこで彼はその霊たちにじっと視線をこらしてみた。すると彼には、この霊たちは一時的に自分らの肉体を離脱して人間界を離れ、しかも精霊界にもいくらもいず----おそらく全くいなかったといってもいい、単に精霊界を通り抜けてきただけというような形だったろうと彼はいった----霊界にいきなり入って来た者たちであることがわかった。しかも、彼らは近いうちに大きな洪水に見舞われて死ぬ人間の霊であることがわかった。
 彼の眼ははたして正しかった。それから幾らもたたないうちに何百万人という人間の霊が霊界に一度に来た。そして、その霊たちの中には、まだ人間界にいた時の記憶を残している者もいたので彼は聞いてみた。すると彼らはエジプトのナイル河の氾濫によって畑も家も流され死亡した者たちであることがわかったという。そして彼はいった。
 「初めに霊界に現われたる霊らは、とくに霊的開眼の進みたる者ならん。よって彼らは、洪水による死に先立ちてこれを予感し、彼らの霊肉体を離脱して霊界に現われたる者なり」
 彼は、この話に続けて人間界と霊界との関係に黄金時代、白銀時代、青銅時代が過去にあり、現在は鉄時代になっているのだといった。
 「かの数人の霊たちの如きこと近時は全くなし、こは鉄時代なるためなり。黄金時代はもとより過去の白銀時代等にはかなりしばしば行なわれし例なればなり……」

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.147-149

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 24-m[46-q] (霊界と人間界との関係は時代を経るにしたがって疎遠になった)

 黄金時代、白銀時代……とかいうことは私も初めて聞くだけにその意味が全くわからなかったが、彼はこのことをつぎのように説明した。つまり-----
 過去、とくに太古の人間がまだ直ぐなる心を持っていたころは、彼らの心は宇宙のことを全て直ぐなる心で素直に受け入れて生活していた。このため太古の人間たちの心は霊界や霊のことに関して近頃の人々よりはるかに開けていた。簡単にいえば太古の人々は霊的な生涯を送っていた。しかし、時代が進むにつれ人間たちの関心はもっと世間的なことや物質的なこと、それに外面的な知識や学問などという彼にいわせれば“程度の低い”ことに奪われるようになり、それにつれて霊界のことからは次第に遠ざかるようになっていった。霊界と人間界との関係は太古ほど緊密であったが、時代を経るにしたがって疎遠になり現在では、まるで離れ離れになってしまっている。そして人間たちは霊や霊界の存在にすら気付かなくなってきている。このことを太古は黄金時代、つぎが白銀時代、そして青銅時代、鉄時代と自分は呼んでいるのだ。これは霊界に新しく入ってくる霊たちと話をしてみると時代が下がるにしたがって霊的な眼ざめの程度が落ちていき、彼らに霊的な眼ざめの進歩をさせるのに余計な時間がかかることからも解る。
 私は彼の話と、私がさっき記したシセロの話に共通するもののあるのを感じた。彼は最後にいった。
 「彼の数人の霊たちは人間にある時すでにかなりの開眼をしおるものなり。よって彼らは自分の死を予知し、また死に先立ちその霊は肉体を離脱して霊界に入るを得たるなり」

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.149-150

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 24-n[16-a] (地獄界で凶鬼に会った一人の霊の話を聞く)

 大勢の霊たちが一人の霊の周囲を囲んで輪になって座っている。私も何だろうかと興味を持ったので近くへ寄って見た。すると、それは輪のまん中に立っている一人の霊が大勢の霊たちに話をしているのだった。熱心に耳を傾けている霊の聴衆たちの様子から、その話は非常に面白いらしく、また彼らがみな興奮を感じているのが私にもわかった。
 彼の話は、つぎのようなものであった。

 -----私はそのときフト人(霊)の話声を聞いた気がして眠りからさめ眼をうすく開けて何気なしにボンヤリとあたりを見回した。あたりはいつもより大分暗かったが私は自分がまだよく眼がさめていないのだと思って別段気にしなかった。しかし、すこしたって眼をこすって見たが依然としてあたりは暗いのだ。もうその頃には私の心はすっかり眠りからさめていたので、これは不思議なことだ、どうしたことだろうとちょっと不審を起こした。
 だが、つぎの瞬間、私はいままで見たこともない光景を眼にして心臓が止まるほど驚いた。闇の中、といってもうす明りはさしていたので、そのうす明りの光でみると大勢の霊たちが、いまちょうど諸君が私の周囲に輪になっているのと同じように輪をつくっていて、その真ん中に一人の体の大きい霊が立って、何やら大声でわめいているのだ。
 だが、これだけのことなら私も、心臓が止まるほど驚きはしなかったはずだ。
 私を驚かせたのは、ひとつは私が自分も知らぬ間に地下の大きな洞穴の中へ閉じ込められているらしいことがわかったこと、それとこれらの霊たちの顔つきや様子が、まさに千差万別どれもこれも違った顔つきをしているのだが、その顔つきが全部まるで話に聞いていた地獄の凶鬼を思わすような恐ろしく、怪奇な者ばかりだったことだ。私は地獄の凶鬼などは物語りの中の存在だと思っていたのに、いま眼のあたりに見たのだ。
 彼らの顔つきは、ある者は眼がくぼみ骸骨のような眼窩ばかりが暗い穴となっていて頬の肉は落ちていた。またある者は無気味な歯だけをむき出しニタニタといやらしくうす気味悪い笑いを顔面にただよわせ、ある者は顔の半分がそげて取れ半分だけの顔になっていた。また獣を思わせる顔つき、亡霊としか思えない姿の者などさまざまな怪奇な姿をしていた。この中でも特に恐ろしげだったのは輪のまん中に立ってわめき叫んでいる霊だった。彼は背丈も他の者の倍近くもあるように見えたくらい巨大で、その顔には、これまた顔いっぱいになりそうな大きな二つの眼をギラギラと光らせ、耳の近くまでさけたような大きな口から真赤な舌を蛇のように出して叫んでいたのだ。
 私の驚きや恐怖は諸君に説明しきれるものではなかったが、私は腹に力をこめ歯をくいしばって気持ちを取直し周囲を見た。するとやはり、ここは地下の洞穴のようだった。ただ普通の洞穴と違うのは、この洞穴がどこまで続いているのか奥行きが見当もつかない、あるいは無限の深さがあるのではないかという感じが何故とも知らず私には絶対の確信のように思われたこと、また、そのはるか奥に小さい、暗紅色の光がほのかに見えていたことだ。
 輪のまん中に立った霊は演説をしていたのだ。彼はおよそ次のようなことを云っていた。
 いまやお前たちは、地獄界の霊となったのだ。お前たちは地獄界で永遠の生を受ける幸せな者たちだ。つねに地上にある霊たちを誘惑し、彼らを暗き道へさそい込まねばならぬ。お前たちはそれによって、いよいよお前たちの永遠の生を祝すことができるのだ。お前たちの歓迎の印に、私はお前たちの一人一人と歓迎のあいさつを交わしてやろう。
 それから彼は怪奇な姿形の霊たちの一人一人と奇妙なあいさつを交し始めた。そして輪になった霊たち全員とのあいさつが終ると私のほうを指さして叫んだ。
 「汝ら、あれを見よ。あれも霊なるぞ。彼の姿形が如何に醜く見ゆるとも驚くなかれ。かの霊こんご汝らの僕として酷使されるべき霊に過ぎざればなり」
 そして彼はこんどは私に向かって叫んだ。
 「汝、この輪の中へ進み出よ、われら汝を検分すればなり……」
 私の恐怖と屈辱はこのとき最高頂に達した。だが、ちょうどこの時だった。
 霊界全体をゆるがすような地響きが起き、また山が崩れ大きな岩石が天から降ってくるような音がした。私が気が付いて見ると実際に山々がその頂きからくずれ、巨岩は山腹をがらがらと転げ落ちていく光景が私の眼の前に起こった。私は恐怖の叫びを上げた。
 「わが命これまでなり。われ山の下敷きとなって絶命す!」
 私が再び気がついた時、私は、いま諸君とこうして話をしているような霊界にもどされていた。あの山崩れは山陰に巣食う凶霊たちを私たちの団体の主霊が退治してくれた山崩れだったのだ。私は本当に危機一髪のところにいたわけだ。
 ここまで話すと彼はさもその時の恐ろしさを再び思い出すかのように身振りをしながらいった。
 「いま汝らに話せるは、わが見たる地獄界の様子なり。地獄界はまことに恐ろしくも不愉快なる所なり。汝ら心して地獄界に近寄ることすべきにあらず……」

 この霊の話は私自分にとっても初めて聞いた地獄界の実際経験談であった。私はその後霊界の経験を積むにつれ地獄界のことにも詳しくなったが、私はこの項以下の数項で、地獄界のさまざまについて記すことにしようと思う。
 なお最初にことわって置くが、私がこれから記す地獄界は、あくまで霊界の中の一つの世界(それは醜悪な世界だが)としての地獄界であって、宗教などが人々に恐怖を起こさせ、人々を善に導くための方便としているような仮空の地獄とは全く違うものだということだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.151-155

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 24-o[16-b] (霊に目覚めない者が死後自分の意思で地獄へいく)

 現世で悪いこと、不道徳な生涯を送った者は死後は地獄へ投げ入れられ、そこで永遠の罰を受ける。これは西洋も東洋も問わず世界中の宗教などが説いている地獄の教え″だから私がわざわざ取上げて紹介するまでもないことであろう。しかし、これは私に言わせれば宗教のうえでの必要から作った作り話で少しも根拠はない仮空の話である。
 私の記す地獄は、これとは全く違った地獄であり、その地獄は別に現世の悪業の報いとして投げ込まれる地獄でもなければ、また地獄に住むというサタン(悪魔の大王)やデビル(凶鬼)などにより永遠の苦しみを与えられるという地獄でもない。私の記す地獄はさっきも少しふれたように霊界の中の一つの世界として現実に存在する地獄であるからだ。
 人間の死後精霊となった者のうち、どんな者が地獄へ行くかを一口にいうと、つまりは霊に眼ざめず、霊界の存在が見えない精霊たちだということになる。だが、彼らとて宗教の説くように現世で悪業を重ねたために、神のようなものによって罰として地獄へ行くわけではない。彼らは彼らの欲するところによって自ら地獄へ行くに過ぎない。ただ、これら霊から真に眼ざめることのできない精霊の中には確かに現世で悪業を行なっていた者は全て含まれるから、その点では結果的、表面的には宗教の教えと同じことになるように見えるが実際の理由は、宗教のいうところとは全く違うのだ。
 地款へ行く精霊は、現世にあったとき、たとえば物質的欲望、色欲、世間的名誉欲とか支配欲などといった人間の外面的、表面的感覚を喜ばすことばかりに心を用い、本当の霊的なことがらを極端にないがしろにした者である。これらの者は霊的事物には全く眼が開かれなかったため、精霊界に入ってもやはり開かれない者が多い。このようなわけで彼らの精霊としての心は霊界の太陽の光や霊流を自分の内部に吸収することができない。そして精霊界にどんなに長い期間いても彼らは霊界の太陽の光や熱の与える幸福や霊的理性の輝きを感ずるようにはならず、逆にその間に、地獄界の火に心をひかれ、地獄界の凶霊たちに親しみを感ずるようになる。この結果として彼らは、自分の希望するところにしたがって、その自然の凶霊的な心の命ずるままに地款界へ入って行くのである。これは人間でも似た者同士が集まるのと理由は全く同じなのだ。
 地獄界の凶霊は霊界の光や霊流から霊としての喜びや幸福を感ずることができない代わりに、自分の欲望を満足させることを喜ぶ。これらの欲望は、他の凶霊を支配したり、他の霊に悪業を働いたり、あるいは他の霊の賞賛を得たりしたいといった人間でいえば外面的、物質界的な低級な欲望ばかりだが、それにしても幾ら低級な欲望とはいえ、これを満足させることは彼らには喜びであることは間違いない。そこで、彼らは、これらを彼らの“光”として永遠の生を送ることになる。
 霊界の霊は、自分たちの生命の源も幸福の源も全て霊界の太陽にあることを知っている。そこで、彼らは自分が本当は自分の主ではなく、太陽こそが主であり、その太陽が霊界に行きわたらせている霊界の秩序にしたがって生を送ることこそがもっとも正しい霊の生だと知っている。これに対し、地獄界の霊の生命の源は、彼ら自身の欲望であり、この欲望が彼らの光なのだ。そこで彼らにとっては主は自分自身であり他に何の主の存在も認めないことになる。地獄界が争いの場であり、苦と汚れに満ちた場になるのは、彼らの一人一人が自分を最上の主だと考えているためにほかならない。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.157-159

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 24-p[16-c] (地獄界の罰は凶霊自身が自ら招くものに過ぎない)

 宗教は地獄界の罰は神というようなものが与えるものだと説くが、これも全くの間違いである。地獄界の罰は、そこに住む凶霊自身が、その性質のゆえに自ら招くものに過ぎない。彼らは、つねに他の霊を支配し、これを虐待し、なぶり者にすることによって自分の喜びとしようとしている。このため彼らの世界には秩序はなく、あるのは醜い我執の対立だけとなる。
 そのうえ、彼らの悪のすさまじさは、彼らが人間界にいたときのような法律や世間の評判、彼らの打算というような束縛を脱して、赤裸々な悪としてのものすごさをむき出しにしているのだ。
 顔が半分かけた凶霊、骸骨のように眼窩だけが暗い穴を開けた凶霊……などといった怪奇な霊の顔つきも彼らが、その本来の悪の正体を霊となることによりむき出しにするようになったことを示しており、彼らとて人間であったときは、その外面的な容貌は、こんなではなかったはずなのである。
 凶霊たちが霊界の太陽の光を拒んでいるのは、このような怪奇な姿を明るい光のもとにさらされる恐ろしさと、彼らには霊界の太陽の光は、あまりにまぶし過ぎて耐えられないことの二つの理由による。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.159-160

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 24-q[46-t] (霊界のどこへ行くかは死後の自分の意志で選択する)

 私は霊界には上、中、下の三世界があり、そのほかにも地下の霊界″ともいうべき地獄界という世界のあることはすでに記した。霊界のことを記す最後に私は人々のもっとも大きな関心事に対する答えを書いておくことにしよう。人々のもっとも大きな関心事は、人間のときの生涯と死後にその人間の霊の行くことになる霊界の世界との間には何かの関係があるのか、あるとすればどんな関係があるのかということであろう。私はこれにはつぎのように答えよう。
 -----関係があるのかなどといったものではない。人間の時の生涯がそのまま死後、彼が永遠の生を送るべき世界をほとんどきめてしまうのだ。
 このように私がいうと人々には、それは宗教などの教えによっていいふるされたこと、宗教の教義のように宗教上の方便であって仮空のことを私もいっていると考えられてしまいそうだ。しかし、私のいうのは表面的には似ており、また結果的にも宗教の説く所と重なり合う部分はあっても根本的には宗教の説く所とは全く違ったものだ。このことはさきの地獄界の所でも少しふれたので人々には理解されるだろう。つまり宗教の説く所は、その宗教の教義に合った正しい生涯を送れば死後その報酬として幸福な世界に入ることができる反面、その宗教の教義に合わない誤った生活を送れば、その罰として地獄に入れられ、永遠の罰を受けることになるというものだ。しかし、霊界で霊たちが幸福な世界に入るのも、また逆に地獄界に入るのも別に人間のときの生涯の報酬や罰として入るのではない。それは人間のときの生涯において彼の霊的な内心が霊界のどの世界にもっともよく対応すべきものになっていたかということにより、死後の彼の霊自身が自分の意志によって、自分の世界を自由に選択するのである。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.168-169

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 24-r[46-u] (霊界のどこへ行くかは死後の自分の意志で選択する =続=)

 このことをもっと簡単にわかり易くいうとつぎのようになる。
 霊界の上世界は中世界より明るい光に満ちた世界だ。しかし、明るい世界に住むには人間の例でいえば彼の眼がその光に耐えられる、その光に合うものでなければならない。もし彼の眼がそのような明るい光の強さに耐えられないものとすれば彼はもう少し暗い世界を自分で選ぶことになるだろう。これと同じことで、上世界に住むには霊の霊的な心の窓、つまり霊流を受け入れる窓がそれだけ開かれていなければならないことになる。もし、中世界や下世界の霊流に合うだけの霊流の窓をもった霊が上世界に入れば彼はその霊流の強さや光りの明るさに耐えられず苦痛を感ずることになり霊的な永遠の生を全うすることができなくなる。
 要するに霊的な霊流の窓の開け具合が彼の住む死後の世界を決めるのであるが、その窓の開け具合は人間だったときの生涯においてどれだけ霊的な心を開いたかということの結果なのだ。
 では、どのような人間の生涯が霊的な窓を開いた生涯であり、どのような生涯が開かない生涯なのか?ここへ来て人々はまた一つの疑問にぶっからざるを得ない。それは霊とか霊的な窓とか、霊的に眼の開けた人間の生涯などといっても霊に関することは、あまりに深遠すぎ、また高い境地であって人間には考えることすらできないものだというような考えが一般になっているためだ。しかし、私にいわせればこのような考え自体が、すでに「直ぐなる心」を失いかけた人人の誤まった感覚に過ぎないのだ。なぜなら、人間はもともと肉体を持った物質界だけに属するものではなく霊界と物質界の両方に属する存在であるから霊的なことを考えることは少しも困難ではないからだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.169-17

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 24-s(霊界とこの世との空間的関係について =1=)

 私は前のほうで霊界の広さは広大無辺で全宇宙より広いということを記した。また、霊界の結婚は男女の霊が霊としての体ごと一体になってしまう形で行なわれることも記した。私はどうやら、霊界とこの世との空間的な関係について説明する準備ができたようである。では、霊界とこの世の間の空間的な関係はどうなっているのか-----以下このことを記すことにしよう。
 まず初めに説明の便宜のため、われわれ人間の見る幽霊の話を幾つかするとしよう。
 そのl ドイツのある都市での話。 農夫のドルーは、ある夜家族とともに夕食をしていた。彼も家族もいつもと全く変わりない様子で食卓に座り、夕食をしていたのだが、彼はフォークを口に運ぼうとして、途中で何ともわからず手を止めた。彼は、自分でもどうしてそうしたか今でも解らないと後で告白しているが、すぐフォークを食卓に置くと家の戸口の方へ出ていった。すると入口のドアを背にしてオーストリーにいる友人が立っていたのである。彼は前ぶれもなく訪れたこの友人にちょっとの間怪訝な思いがしたが、すぐその思いをふりはらうと親しげに声をかけようとした。するとその友人はふっとかき消すように消えてしまったのだ。彼は、この友人″の消えたのは「ドアのすき間に吸い込まれるように消えていった。その証拠に、すぐドアを調べたがドアには、何時もそうするような仕方でカギがちゃんと締まっていた。幽霊はドアのすき間から出入したのだ」と云っていた。
 その2 これは私の故郷の街ストックホルムの話だ。ある教会の牧師は夜の読書中に何だか部屋の中の空気がいつもの空気と違うような気がして後をふり向いた。すると、そこに顔見知りで、その教会の信者の一人が立っていた。だが、その様子が何時もと違うので変に思った。しかし、彼はもっと近くへ来るように無意識のうち手招きした。すると不思議なことに、この信者の姿は消えてしまった。牧師は「幽霊は、すーっと背が縮んで床の中へ消えていった」と云っている。
 その3 私が、ここ数十年の間、しばしば訪れて滞在しているロンドンの郊外の幽霊屋敷については多くの人々の幽霊実見談が語られている。私は人々が幽霊の出現と消えるときの様子についてどう話しているか興味をもっていろいろな人の話を集めた。それによると第一の話のようにドアのすき間から出入したというもの、また、どこからどう出現し、どう消えたかわからない、ともかく気が付いたら幽霊がおり、わからぬ間に消えたのだという人、壁の中を通り抜けるような感じで消えたという人などさまざまだった。
 これらの1〜3の話に関する説明は、後でするとして、私はさきに霊界という世界がどこにどのように存在するのか、また、その空間と、この世の空間(世間)との間にはどんな関係があるのかといったことをさきに述べることにしよう。
 私はすでに霊界は全宇宙より広い広大無辺なものであること、霊界とこの世の関係は一枚の金貨の裏表のようにぴったりくっついていて切離せるものでないことなどを述べた。私はここでこの世と霊界の関係について一つの比喩をいおう。それは、この世とは霊界の広大無辺な空間の中にポッカリと浮かんでいる一つのゴムの球のようなもので、このゴムの球である自然界の周囲は全て霊界で取り囲まれているということだ。
 しかし、このようにいうと人々は、自然界と霊界とはゴムの球の外側の皮で、はっきり境界ができている別の世界のように思うに違いない。だが、私はいま、さらに詳しく本当のことをいうことにしよう。それはつぎのとおりだ。
 ゴムの球の中にも全て霊界は、しみ込んでいるのだ。ゴムの球の中も実は霊界なのだ。ゴムの球の中以外の全ての空間は霊界なのだが、ゴムの球の中だけは、例外的に自然界と霊界の二つの世界が、同じ空間にともに存在しているのだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.203-205

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 24-t (霊界とこの世との空間的関係について =2)

 このようなことは人々には、とても信じられないことかも知れない。その理由は、たとえば机が一つ置かれていれば、そこと同じ所に他の机をもう一つ置くことは自然界では絶対にできないからだ。だが、同じ空間に同時に二つのものを置くことができないというのは自然界でのことに過ぎない。これは自然界が物質界、物質の世界であるからだ。
 だが自然界でも一つの机をどかしたあとにもう一つの机を置くことはできる。これは人々にも自明のことで、改めていうほうがおかしいくらいだ。だが、このことを人々は、やはり一つの机をどかしたあとにもう一つの机を置くのだから、その二つの机は別々の空間に置かれるのだとしてしか理解しない。それはなるほど、そのとおりなのだが、このことは別々の時間に同じ空間に二つのものを置いたのだと考えても差支えはないだろう。人々も別々の時間に同じ空間に二つの物を占めさせるのなら納得がいくに違いない。なぜなら、空間と時間は別の性質のものだからだというのが人々が知らず知らずのうちに心の中で納得している知識だからだ。
 それでは話をもう一歩進めよう。同じ空間といっても性質の全く違う二つの空間の間ではどうか? ちょうど時間と空間が、その性質を全く異にするようにだ。
 話をもっと解り易くしよう。あなたの神経の組織は、体の中にちゃんとその場所を占め空間を占めている。そこで、その場所にもうひとつのもの(他の神経組織でもよい)を入れることは、前のものをどけない限りできない。だが、その神経組織を伝わって、あなたの体を動かす、神経の命令や信号は、同じ空間の中にちゃんと存在しているのだ。命令や信号は空間を占めるものではないという、あなたの反論には、私はつぎのように答えよう。「それはちゃんと空間を占めているのだ。ただ空間の性質が違うだけなのだ」

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.205-207

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 24-u (霊界とこの世との空間的関係について =3=)

 霊界の空間とこの世の空間の関係は、いまいったような関係と大体同じだと考えておけばよいだろう。霊界で結婚した霊が、全くその体も一つにしてしまい、一人の霊として取扱われるようになるのも霊界の空間の自然界の空間との性質の違いのためだ。また、霊界が、この世と一枚の金貨の裏表のような関係にあるだけでなく、自然界の存在する領域ではこの世と全く同じ空間を占めている不思議も、やはり霊界の空間の性質によるのだ。人々に、このことがなかなか理解されないのは人々が霊界のことを考えるにも、この世の自然界的、物質界的習慣に従って考えるために過ぎないのだ。
 では、さっきの幽霊の出現と消え方の秘密を説明しよう。
 最初の農夫はドアのすき間から幽霊が出入りしたのだといった。また、ロンドンの幽霊屋敷の話でも、これと同じことをいう人々があった。
 また二番目の話の牧師は床の中へ消えたといったし、ロンドンの幽霊屋敷でも壁の中から現われ壁の中へ消えたといった人もあった。
 それから最後に、どう現われてどう消えたのか解らないという人々がロンドンの幽霊屋敷ではかなりあった。
 私は、これらのいずれも真実だと思う。なぜなら霊は壁の中を通って現われ、壁の中を通って消えることも牧師の話のように床の中を通って消えることもできるからだ。これは空間の性質が違う以上は少しも不思議なことではないのは、もう説明する必要もないだろう。つまり、壁の中だろうが、床の中だろうが、その中には全て霊界が存在しているのだ。また、ドアのすき間を通って出入りしたという農夫の話も疑う理由は全くない。それもまた十分あり得るからだ。だが、私に少しいわせれば、これは農夫が、まだドアは閉っていたのだからすき間を通る以外には手段はないというこの世の常識にとらわれ、その常識によって解釈したのだと思われる理由がある。なぜなら霊には、物質界のドアなどはむろん眼に入ることはないのだし、わざわざ、すき間を選んで通り抜けねばならぬ理由などは全くなく、ドアの中を通ればよいからだ。
 では最後に、ちょっといっておこう。
 最初の話で農夫が声をかけようとしたら何故霊は消えたのか、また二番目の話の牧師が手招きしたとたんに霊は何故消えたのか-----このことに関しては、この手記の初めのほうで述べたが、つまり、農夫や牧師は声をかけようと思ったり、手招きした瞬間に、彼らはこの世の生に返り、霊の世界から、この世に逆もどりしたため、霊を見ることができなくなったということだ。
 だから、本当の所をいえば霊はいずれ、その場所を立去り、いずれか他の場所へ行ったには違いないが、農夫や牧師、幽霊屋敷の訪問者などが、ドアのすき間や床や壁の中に消えたといったのは実は彼らの思い違いで、その時、霊が単に彼らの視界から消えたに過ぎず、霊はまだそこにいたのだと考えることもできるわけだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.207-209

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 24-v (霊界とこの世は一つの世界の二つの部分に過ぎない)

 霊のことや霊界のことについて私は、自分自身が霊の世界、死後の世界で見てきたことのほとんどをこの手記で記した。私は手記のさいごにあたり、霊界とこの世、つまり自然界との関係、霊と人間との関係がどのようになっているのかについて記すことにしよう。
 私自身にとっては、この手記全体が私のこの世に残す遺書なのだが、とりわけ、これから私が記そうとする霊や霊界と人間やこの世との関係については、私の遺書のもっとも大事な部分だと私は考えている。また、これから私の述べることは全て、いままでの人類の歴史のうえで誰一人として明らかにしなかったこととなるに相違ない。(24-wへ続く)

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、p. 223

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 24-w (霊界とこの世の関係はどうなっているか =1=)

 霊界とこの世の自然界との間には相応の理というものがあり、霊界にはこの世にある全てのものが、物質的な形骸を持たないだけで全て対応したものが存在し、さらにこの世にはないものさえ存在していることはすでに人々にはもう想像ができよう。また、霊界とこの世の空間や位置に関する関係についてもついさっき述べた。私は、ここでは霊界とこの世の関係について、もっと本質的なことを記そう。
 霊界とこの世は別々の世界だが、一枚の金貨の裏表のように離しがたく結びついているということを私は、この手記の初めのほうで記した。しかし、いま私は、この言葉に訂正を加え、もっと正確にいおう。私はつぎのようにいうことにする。
 霊界とこの世とは実は別々の世界ではなく一つの世界なのだ。そして霊界とこの世は、この二つのものを含めた大きな一つの世界の二つの違った部分なのだ……。
 霊界とこの世は別々の二つの世界ではない。一つの大きな世界の異なった部分である----そこで異なった部分に過ぎない両者の間には、いろいろな面で全く別の世界としか思われないような相違がある。だが、あくまで一つの世界の二つの部分に過ぎない証拠に、霊界とこの世の間には、人々には気付かれないながら、非常に緊密な関係があるのだ。この関係を何度も出てくる金貨の裏表のたとえでいえばつぎのようになる。
 霊界とこの世は一枚の金貨の裏表のように切離しがたく結びついているのではなくて、もともと一枚の金貨の裏表なのだ・・・・・・
 では、もっとわかり易く説明しよう。
 霊界の太陽から流れ出る霊流が霊界の生命の源(みなもと)であることはすでに述べたとおりだ。この霊流には、霊界の上、中、下の三世界に直接、太陽から注がれるもの(直接霊流)と太陽→上世界→中世界→下世界の経路を経て各世界に注がれるもの(間接霊流)の二つのものがあることを思い出してほしい。私は、この霊流について説明したとき、霊流は霊界内の下世界にまでしか達しないかのようにわざといっておいた。しかし、私は、いまは、霊流は下世界から、さらに人間界にまで達しているのだと訂正しよう。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.224-225

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 24-x (霊界とこの世の関係はどうなっているか =2=)

 人間の生命は、宇宙の空間にひとりだけ離れてポッンと存在しているのでないことは誰にでもすぐわかる。人間の生命は、その根源において生命の源始とつながることによって命が継続しているのだ。それでは、その生命の源始とは何か。これが他ならぬ霊界の太陽なのだ。自然界の太陽は熱や光を自然界に与え、自然界の生命をはぐくみ、生命の活動を助けることはできる。だが、生命の源姶そのものとなることはできない。なぜなら自然界の太陽は、霊界の太陽の、この世における相応物、いわば、この世における代理人、代用品にしか過ぎないからだ。この世の太陽自身がその源は霊界の太陽なのだ。
 でもここで人々には大きな疑問が起きるに違いない。では人間はどのようにして霊界の太陽からの霊流を受け取っているのか?第一、霊界の存在でない人間がどうして霊界の太陽からの霊流を受け取ることができるのか?
 この疑問には私はつぎのように答えよう。人間の生命の根源は本来的に霊なのだ。そして人間の肉体に住んでいる霊が霊流を自分の中に吸収し、これによって人間は生命を継続していることができているのだ。
 だが、あなたには、私のこの答え自体がまだ十分には納得しにくいかも知れない。そこで、さらに別の疑問が起こって来るに違いないのだが、この疑問は、私がこの項で記すことを最後まで読めば自然に氷解する疑問である。そこで、私は、この疑問には、いまはあえて答えることをせずに、この疑いの中にあなたを置いたまま、ただ一言だけいって先へ進むことにしよう。それはつぎのことだ。
 人間の肉体の中に霊が住む秘密は、前に霊界の空間とこの世の空間の所で述べたような二つの性質の違う空間的な関係によってだということだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.225-226

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 24-y (霊界とこの世の関係はどうなっているか =3=)

 ここで少し違う観点から眺めてみることにする。あなたが、たとえば誰かに何かのお祝いを言いたいとか思ったりしたとしよう。だがあなたが単に心の中でそう思っているだけでは、その意思は完結され、完成されたとはいえない。それが完成されるには、あなたはそれを言葉とか手紙といった形にしなければならない。霊界と、この世との関係も実はこれと同じなのだ。物質界でない霊界が、その意図や意思を物質界において完結するには、霊に人間という物質的形骸を与えなければならない。人間界は霊界の終極点であり、霊界の生命の根源そのものである霊流も、その終極点である人間の肉体の中に霊を住まわせ、この霊に霊流の終極点として霊流を与えることによって物質界における完成に達するのだ。
 したがって、霊界の太陽に発した霊流は、その終極点である人間の肉体に至って最終的に流れを止めることになる。
 以上の説明で霊界とこの世が実は一つの世界の異なった部分に過ぎないことを私は明らかにした。このことは霊の側、霊界の側から見れば、いたって簡単なことなのだが、この二つの異なった部分を区切るのが人間の肉体の死という一つの境だ。この頃が人間にとっては(少なくとも霊と霊界の存在を知らない人間にとっては)この上もなく重大なことに思われる。その理由は人間には本当は霊界のことはよく解らないようになっているためであるが、どうして人間がそのように造られているかについては後で述べることにする。ただ、ここで一つだけ云っておけば、霊界とこの世を距てる肉体の死という境界線上には、この世にとっても、また霊界にとっても実にさまざまな事件が起きており、人間が霊界の存在をおぼろげながらも知ることができるのは、この境界線上に起こる事件----死の知らせ、霊の通知、幽霊など----によってである。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.227-228

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 24-z (霊界とこの世の関係はどうなっているか =4=)

 ものごとが二つの部分に別れているとき、その二つの部分は互いに相手に対抗する関係にあるか、あるいは逆に相手を補い合う役目をしているものである。霊界とこの世との関係でもこれは同じで、霊界とこの世とは相手を補い合う“協力関係”にあるのだ。
 霊界の結婚を述べたとき、霊界の結婚は霊の子孫の繁殖を目的とせず、男女二つの霊の霊的な結合によってお互いの霊的幸福と霊的理性や知恵の増殖を目的とするといった。これに対し、この世の結婚は子孫の増殖を目的としている。結婚という一つのことだけをとっても、これほど違うのだが、このことは取りもなおさず霊界とこの世が“協力関係”にあることを示しているのである。つまり人間界は霊界から見れば霊界では不可能な“将来の霊”の増殖をはかっている世界だということになる。また霊界は肉体に住む霊によって霊界の太陽の霊流を人間に間接的に受け入れさせ人間の生命の継続をはかっているのだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、p.228

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 24-za (私達はみな異星人で誰一人この地球から始めた人はいない)

 この地球にはこれまでにないほど、沢山の人々が住んでいます。しかし、人の数よりもずっと沢山の魂が存在しています。この地球は唯一の世界ではありません。魂は多くの次元に存在しています。ますます多くの魂がこの地球に引きつけられていますが、それは多くの学校の一つである地球が、とても人気のある学校だからです。ここでは実に多くのことを学べるのです。
 他の次元、と私が言う時、それは他のエネルギー状態や、異なった意識レベルなどを意味していて、必ずしも他の惑星や銀河のことを言っているわけではありません。天国は他の次元だとも言えます。三次元の意識を超えたエネルギーの変化がそこにはあるからです。
 愛のエネルギーは物質的な要素と非物質的な要素を持っており、様々なすべての次元に存在できるものだと、私は信じています。愛はすべての次元や段階を結びつけているものだと思います。
 一つの次元または段階には、多くのレベルがあります。別の言い方をすれば、天国には沢山のレベルがあるのです。私達はこのレベルに沿って一歩ずつ成長し、覚醒を続けてゆくのです。
 ある意味では、私達はみな異星人です。誰一人、この地球から始めた人はいません。この惑星はいわば、高校のようなものです。一番低いレベルでも、一番高いレベルでもありません。でも、ここはとても人気のある学校です。ここを卒業すると、私達はどこか他の所へ行きます。
 でも、どの宇宙であっても、魂は同じです。

  ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(山川紘矢・亜希子訳)
     PHP研究所、2001年、pp.231-232

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 24-zb (霊界での落ち着き先は現世での心の状態によって決まる)

 霊界での落ち着き先は、私たちがいまの世界を出発するときの心の状態によって決まる。
 心地よく美しい世界に行くためには、今世からその状況を作っておかねばならないということだ。これをいつも念頭において生活を送るよう、自分自身にいい聞かせている。
 恐怖や脅迫のためではない。美しい霊の世界に到着したいではないか。
 死後の世界は確実に存在する。
 両世界は愛の絆でしっかりつながっているのである。
 まずこの事実を認識してそこから逆算し、いま与えられた生をどう生きていくか。それが大事だと思う。

  ゴードン・スミス『霊的世界からの癒し』(ノーマン・テイラー邦子訳)
    徳間書房、2009、p.140

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 24-zc (霊界の美しさは物質界のことばでは表現できない)

 霊界は物質の世界ではありませんので、物質界の言葉や表現で該当するものがありません。一番いい方法は心の状態を考えてみることです。
 もし私が「美しい」といえばあなたはこの世界での美しさを想像するでしょう。
 しかし霊界の美しさはその比ではありません。まず「美」というものは「感じる」ものであることを理解してください。「感じる心」が美しさをつくりあげているのです。
 いい換えれば、あなたが花を見て美しいと思うのはなぜでしょう。
 花自体が美しいのではなく、あなたの心が美しいと思っているからです。
 そしてその感情を掘り下げてみると、説明がつかないものではないでしょうか。
 あなたの魂が美しいと感じています。その美しいと思う気持ちが霊界に行って味わう気持ちなのです。

   ゴードン・スミス『霊的世界からの癒し』(ノーマン・テイラー邦子訳)
     徳間書房、2009、p.237

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 24-zd (見える世界と見えない世界というのは実は同じである)

 見える世界と見えない世界というのは、じつは同じです。これがわたしの永遠のテーマです。なぜなら、見える世界は見えない世界によってできているからです。原子などは、その最も良い例ですね。この世界は、見えない原子、さらにそれを構成する粒子によって成り立っているのですから。個々の粒子の量子性は、空間的には宇宙全体へ、時間的には過去や未来へと広がる非局在性を持っています。
 さらに場の量子論の超弦理論の世界を考えてみます。高次元までをふくめたすべての世界の実相が、雲のように存在が自在であると理解しています。これを「空」と考えます。ほかの言葉では「神」「普遍意識」「大いなるもの」「大宇宙」などと呼ばれるものです。そして一番波動の低いこの三次元世界は見かけ上、かたちのある物質世界で、この世界が「色」です。この世界もあくまでも高次元の世界とつながったものです。(矢作)

   矢作直樹・一条真也『命には続きがある』PHP研究所、2013、p.150

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 24-ze (あの世はどこにあるか) 

 ラジオを例にとって説明するのがわかりやすいと思います。
 AMラジオにはいくつもの放送局があります。東京近郊で言えば、NHK東京第1放送、NHK第2放送、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送など。
 それぞれの局は電波を発していますが、みな周波数が違います。たとえば、NHK東京第1放送は594キロヘルツ、NHK東京第2放送は693キロヘルツ、TBSラジオは954キロヘルツ、文化放送は1134キロヘルツ、ニッポン放送は1242キロヘルツです。
 それぞれの局から発せられた異なる周波数を持つ電波は、あなたの家庭にもやってきています。あなたの部屋の中には、こういった異なる周波数の電波が同時にいくつも存在しています。
 ラジオのチューナーはその中からある局の電波のみを選択して、それを聴くことを可能にしてくれます。たとえば、チューナーを954キロヘルツに合わせれば、TBSラジオが聞こえます。
 この世とあの世の違いは、この電波の周波数の違いのようなものです。異なる局の電波が同時に同じところに存在するように、この世もあの世も同時に同じところに存在していると考えてもいいのです。
 人は、ラジオのチューナーの役割を演じることができます。意識の周波数を変えることで、特定の世界に意識を合わせ、その世界を体験することができます。
 たとえば、意識をこの世に合わせれば、この世が把握されます。自分の肉体が感じられ、それを動かすことができます。
 意識の周波数をこの世からずらしていくと、あの世が把握され始めます。まず、低層界が把握され、さらにずらすと、中層界、さらにずらすと高層界が把握されます。それぞれに自分の体があり、それを動かすことができます。また、そこに住んでいる人たちと交流することができます。
 この世の周波数が一番低く、高くなるについて低層界、中層界、高層界が知覚されてきます。

          坂本政道『死ぬ前に知っておきたいあの世の話』
       ハート出版、2016、pp.133-134

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 24-zf (すべて自明のあの世では気持ちの持ち方もこの世と同じではない)

 あの世に帰ると、すべてが自明となります。生まれた目的も、学びのカリキュラムも、死という学びさえもすべて。その何もかもわかっているあの世側と、現世側とでは、なかなか同じ気持ちになれないのも事実で、それが理解の難しいところなのでしょう。
 これから申し上げることは理性で受け止めていただきたいと思います。天災などでご遺体が見つからず、残された家族が「気持ちに区切りがつかない」と悲しんでいる声を、私もたくさん聞いてきました。確かに現世側の人間、それも家族にしてみれば、「遺体が見つからなければ、死んだことが信じられない」と思う気持ちもあるでしょう。でもそれはあくまでも現世側の気持ちであって、亡くなった側の気持ちは違います。
 講演会などで客席の方々に、「自分が亡くなった側だとして、このまま遺体が見つからないままでいてほしいと思う方は?」と尋ねると、大勢の方が手を挙げます。残酷に聞こえるかもしれませんが「骨になってから見つかるほうがまだよい」と考える人も。でもこれは亡くなった側の気持ちと少なからず一致します。
 つまり亡くなった側が「生きていた頃のきれいな思い出だけを胸に抱いていてほしい」と思っている場合も多いということ。その気持ちを汲んで、区切りをつけることも、亡くなった人への愛情ではないでしょうか。

       江原啓之『守護霊』講談社、2017、pp.150-151

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 24-zg (私は一番身近な肉親の死で霊界への確信を得た)

 子どもの頃から人は死んだらどうなるのだろうかと考えていた私が「見えない世界」への確信を得たのは、世界的に有名な文献でもベストセラーでもなく、一番身近な肉親の死からでした。
 私は二〇一一年に出版した拙著『人は死なない』(バジリコ刊)で、母の死後に霊媒役をしてくれた友人を通じて他界した母と交流した時のことを書きましたが、二人の間でしか知り得ない多くの情報のやりとりに驚愕したと同時に、あの世は私たちのいる世界のすぐそばにあるという確信を得ました。
 そこで感じたこと、それは「死を心配する必要はない」ということです。
 肉体の死は誰にも等しくやって来ますが、死後の世界はいつも私たちの身近にある別世界であり、再会したい人とも会えます。でもその前にやるべきことがあります。自分の人生を全うすることです。人生を全うするということは、すなわち自分を知るということ。お天道さまに恥じない生き方とはどういうことか、生きている間にあれこれ自問自答し、様々な経験を経た後にあの世へと還るのがこの世のルールなのだろう、と私は感じています。
 自分を知るということは、他人を知るということにもつながります。
 若いうちはこの言葉の深意がつかめませんが、様々な経験を積むうちに、他人を知らずして十全自分を知ることはないのだという事実が身に染みる瞬間が訪れます。良い出来事の時に訪れることもあれば、悪い出来事の時もあるでしょう。その時、人は「おかげさま」という言葉を学びます。目には見えないけれども、おかげさまという力が自分の周囲に満ちているのだと気づくのです。
 人は皆、人の役に立つよう自分の人生を生きており、大いなる存在に生かされています。死を心配せずに毎日を楽しく生きることが今回の人生を与えられた私たちの使命であり、何よりも今を楽しむことこそ、最も重要なキーワードだと思います。

     矢作直樹『おかげさまで生きる』幻冬舎、2014、pp.3-4

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 24-zh (人は死んでも生き続けて個性もそっくりそのまま存続する)

 私はよく、さまざまな人に、死んだ家族や恋人の声を聞きたいといわれます。「あの世でどうしていますか? 私たちになにか伝えたいことがあるのではないでしょうか」と。
 その気持ちはとてもよくわかります。いつも当たり前のように会話していた相手であるほど、今の気持ちを聞きたい、自分への言葉がほしいというのは当然の思いでしょう。
 ただ、そういう人たちに理解していただきたいのは、人は死んでもたましいは生き続けるし、個性もそっくりそのまま存続するということです。となれば、今の心境についても、生前のつき合いからあるていどは想像できると思うのです。
 あの人ならどうしているか。あの人ならどう考えているか。あなたも今その人のそばにいる気持ちで想像してみることです。
 たとえば、生前、ものごとを素直に受け容れ、新しい環境に順応していきやすかった人は、死後もあの世の暮らしにすんなりとけこめているでしょう。
 好奇心旺盛で、友だちも多かった人は、死後、あの世のあちこちを飛びまわり、すでに亡くなっている友だちと再会を喜び合っていることでしょう。
 頑固で「あの世などありえない」と言っていた人は、いまだにこの世をさまよっているかもしれません。その場合は供養する人たちが、いつまでもこの世にいても仕方がないことや、あの世というものが本当にあって、早くそちらに向かったほうがいいということを、故人のたましいに伝えてあげたほうがいいでしょう。
 「ぼく(私)が死んだらみんなのことを忘れないよ」「ずっと見守っているからね」と言っていた人は、今も実際にみんなを忘れず、見守ってくれているはずです。
 このように、霊能者を介するまでもなく、生前の故人の性格や言動から想像できることはいくらでもあるのです。故人と本当にわかり合えていた人ほど、その想像には誤差も少ないでしょう。

     江原啓之『人間の絆』小学館、2007、pp.170-171

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 24-z i (私たちは来世でも今の自分のまま生き続ける)

 あの世にいる方をいろいろみさせてもらって感じたのが、亡くなってからの世界は、その人の人生の歩み方が、そのまま形になるということ。
 つまり100人いたら、生き方が100通りあるように、死んだあとの過ごし方も100通りあるということ。
 死んだからといって、すべてがいったんリセットされて、新しい死後の人生が始まるということはありません。生きてきたまんま、地続きで死後の世界が始まります。死んで、また新しい自分に生まれ変われるわけではないのです。
 あの世に行った時点で、人はみな、自分がどう生きてきたかを突きつけられます。それを「自分の歩んできた人生」としてきちんと受け止めることのできる人は、川(三途の川)のそばを歩いて、次の人生へと駒を進めます。
 でも、生まれ変わったからといって、性格が変わるわけでも、今までできなかったことができるようになるわけでもありません。
 死んでも魂は同じ。
 来世もまた、今の自分のまま、生き続けるのです。
 今の人生を諦めることなく精いっぱい生きることをしないと、また生まれ変わってからも、ずっと同じような人生が続いてしまいます。
 何かを変えたいと思うなら、行動すべきはこの今〃なのです。

      サトミ 『亡くなった人と話しませんか』 幻冬舎、2020、pp.46-47

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 24-zk (現世での執着を捨て霊性の向上を目指して生きる)

 死によって肉体を脱ぎ捨て、「幽体」という霊的エネルギーとなったたましいが最初に向かうのは、現世と幽界の中間地点である「幽現界」という場所。ここである程度の期間を過ごしたたましいは、次に「幽界」へと進み、無数の階層に分かれた中で、霊格の高いたましいは高層、霊格の低いたましいは低層へと移行します。
 天国と地獄と呼ばれる場所が存在するわけではありませんが、「幽界」の階層の違いを指すのでしょう。また、臨死体験をした人の中に「三途の川が見えた」「お花畑が広がっていた」と証言する人がいますが、これは、そうした想念を抱いている人には見える光景。「真っ暗闇の恐ろしい世界だった」と言う人もいますが、それは恐怖心の表れなのです。
 さて、「幽界」をも離れ、たましいはさらに「霊界」へと上昇します。ここで、たましいは自らを形作っている「幽体」を脱ぎ捨て光となるため、この段階は「第二の死」であると認識されています。「霊界」へ行くと、たましいはグループ・ソウルの中に溶け込み、そこで「現界」で成し遂げることのできなかった課題について振り返り、「もう一度学び直そう」と決意したたましいは、再生します。このように、たましいは、あの世へのお里帰りと現世への再生を繰り返しながら、少しずつグループ・ソウル全体が向上し、最終的には神に融合する「神界」へと向かいます。
 たましいの経過を説明するのは簡単ですが、たましいが霊界へと向かうまでには気の遠くなるような時間が必要です。中でも霊的世界を信じないまま死を迎えたたましいや、死後も死を受け入れることのできないたましいは、「幽現界」をさまよいやすいのです。
 死後に問われるのは、たましいがどれだけ純粋で輝いているかという一点のみ。私たちは現世でのすべての執着を捨て、たましいを重んじて生きることを忘れてはいけないのです。それが、本当の幸せをつかむための唯一の方法であるといえるでしょう。

     江原啓之『前世』徳間書店、2010、pp.33-35