学びの栞 (B) 


 31.オーラ


 31-a[35-c] (あなたには知るのが可能なことはすべて知り得る力がある)

 あなたには、すべてを知るべくして知る力がある、というのはどういうことだろうか。あなたの肉体は、オーラ、あるいはオーラの場と呼ばれるすばらしい光の場で包まれている。オーラとは、あなたの化身の物質を包み、それをひとつにまとめている光の場のことだ。キルリアン写真という手段を通じて、皆の世界の科学者は、オーラの最初の光の輪の場をすでにカメラに収めている。だが、あなたの体を包んでいる電磁場はまだある。オーラというのは、電気の密度(身体を包んでいる青色の光の輪)から、思考まで無限に続いているものだからだ。
 オーラはあなたの存在の精神だ。あなたの存在の精神、あるいは私があなたの存在の神と呼んでいるものは、すべてのものを知る大きな意識の流れである神の心と直接つながっている。オーラの一部は、きわめて強いプラスとマイナスの電磁場だ。この電磁場を越えると、電磁場には極というものがなくなり、ひとつの光の領域、純粋なエネルギーとなる。この光の領域は、「知っている状態」から発生するすべての想念を、この広大で強力な場の中を通過させる。どの想念があなたに知られるようになるかは、あなたの思考過程によって決められているのだ。あなたのオーラの中の電磁場である部分が、あなたの思考にしたがって特定の想念を引きつけるからである。
 あなたの精神は、けっして動きを止めず、変化を続けていく思考という河の瀬にあるふるいのようなものだ。精神という光を通して、あなたはすべての知識が存在している場所である思考の流れ、すなわち神の心を受け取る立場にある。つまり、あなたは知るのが可能なことはすべて知り得る力を持っていることになる。なぜなら、あなたは知識の河、すなわちすべての意識の途切れなき流れの中に存在しているからだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 246-247

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 31-b(あなたのオーラの中に感情的、精神的、霊的な本体が見える)

 会席者のなかには非常に疑い深い人びとも大勢います。彼らなりの固い信念が死後生存という可能性を容易には受け入れないのです。わたしの仕事は、固定観念と偏狭な思考を長年にわたって積み重ねたすえの、きわめて因習的な信念に対する挑戦でもあります。
 あらゆる生物の周囲にはオーラと呼ばれるエネルギーがあります。あなたのもとへ訪ねてきた霊は、エネルギーが形作る姿としてあなたを見ます。肉体そのもの(顔や胸や脚など)を見るだけでなく、ほかのさまざまなレベルであなたを見るのです。オーラのなかであなたの感情的、精神的、霊的な本体が見えますし、それぞれのコンディションもわかります。あなたの思考、言葉、行為、感情、健康といった事柄のすべてがそのオーラの場に含まれているのです。
 従って、霊はあなたの病気や不調、あるいは、感情的動揺を知らせることができます。とりわけ、援助の手だてがあると感じる場合に霊はこうした情報を与えてくれます。さらに、オーラに記録されたほかの情報さえも霊は伝達できるのです。たとえば、あなたが思い悩んでいる未来の出来事といったこともわかります。

  ジェームズ・ヴァン・プラグ『もういちど会えたら』
     中井京子訳、光文社、1998、pp.139-140

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 31-c (美しいオーラの持ち主が必ずしも成功するとは限らない)

 「オーラ」と呼ばれるスピリチュアルなエネルギーには、詳しく言うと二種類あります。私たちの「肉体」のまわりには、「幽体」が重なっていて、さらにその外側に「霊体」といわれるものがあります。オーラは、この「幽体」と「霊体」から出ています。
 「幽体」から出るオーラは、身体全体を覆っていて、主に健康状態を表します。例えば、身体のどこかが炎症を起していると、幽体のその部分には赤い色が出ます。症状によって、オーラがくすんだり、ヒビが入って視えることもあります。
 一方、「霊体」のオーラは、頭の上にあって、その人の精神性やたましいの境地を表します。キリスト教の聖人やブッダを描いた絵画を見ると、頭のまわりに光の輪があります。あれが霊体のオーラです。洋の東西を問わず、同じような表現で描かれているのは、昔の人にはオーラが視えたからではないでしょうか。
 お寺にある不動明王像は、紅蓮の炎を背負っていますが、あの火炎は怒っている人のオーラです。オーラがメラメラしている状態を、炎に見立てているのです。喜怒哀楽など感情を表すのは、「幽体」のオーラです。幽体のオーラは健康状態ばかりではなく、その頭の部分は感情を表します。その人の気分によって、オーラの状態が大きくなったり、小さくなったり、視え方が変わるのです。
 「オーラの泉」で、私が視ているのは、主に霊体のオーラなのですが(以下、オーラといえば、霊体のオーラのことを言っているのだと思ってください)、金、銀、赤、青、緑、黄、橙、紫といった色があります。それぞれの色の説明は後で行いますが、どの色ならばよくて、どの色ならば悪いといった区別はありません。それぞれ個性の違いがあるだけです。
 オーラには、色の違いのほかに、大きさの違いがあります。よく「あの人にはオーラがある」などと言いますが、誰にもオーラはあるものです。ですから、そのようなことを言われる人は、普通の人よりもオーラが大きい人です。
 また、赤とひと口に言ってもいろいろな赤があります。色合いが明るい、純度の高い色のオーラを持っている人ほど、崇高な気質を持っています。逆に色がくすめばくすむほど、欲や野心が渦巻いている人だと言えるでしょう。
 誰しも、くすんだオーラよりも、美しくてきれいなオーラを持ちたいと思うもの。しかし、この現世では美しいオーラの持ち主が必ずしも成功するとは限りません。むしろ、そうしたたましいの崇高な人は、逆にこの世では輝かない可能性も高いのです。
 歌手でも作家でもビジネスマンでも、どの世界でも成功するためには多くの人に受け入れられなければなりません。この世の波長に合わせた人がヒットを生むのです。つまり、「波長の法則」です。残念ながら、崇高なたましいの持ち主と波長の合う人たちは、そう多くいるわけではありません。崇高なものよりも、俗っぽいもののほうが売れるのです。
 語弊があるかもしれませんが、オーラがあまりきれいすぎては、この世で成功するのは難しいかもしれません。
 この世でも、すごくきれいなオーラの人を視ることがあります。どのような職業の人かと言うと、実はホームレスのなかに、そうしたオーラの持ち主がたまにいるのです。学があって、ものすごく人望があるようなホームレスの人がいっとき報道されたりもしましたが、そうした人のオーラはきれいです。欲も何もないので、この世では生きづらい。今のような時代だからホームレスをしているわけですが、時代が違えば、仙人になっていたような人たちなのです。

  江原啓之『日本のオーラ ― 天国からの視点 ―』新潮社、2007、pp.26-29