学びの栞 (B) 


 34. 予知・予言・霊感


 34-a (9年間ずっと馬鹿にされ嘲られてきた私への予言 =1=)

 二、三年前、アメリカの霊媒で、『もういちど会えたら』(光文社)という世界的なベストセラーの著者である、ジェームズ・ヴアン・プラグは、私の仕事がますます多くの人々に伝えられてゆくだろうと、予言しました。さらに、彼は私が世界中にもっと高いレベルで影響を与えるようになる移行の過程にある、とも言いました。今、世界は霊的な方向へ向い、科学と霊性の融合をどうしても必要ともしているからです。
 私はこうした予言を聞きはしても、本当だとは信じていませんでした。あまりにも反対や懐疑的な人々が多いように思えたのです。死後の世界の真実と現実、輪廻転生、神の愛などについて九年間も教え続けて、私はくたくたでした。愛に終りはない、肉体は死んでも私達の愛する人も私達も死にはしない、霊魂となって私達は存在し続け、愛し続ける。そして必要であれば、この世界に肉体を持って戻って来ると教え続けて、九年間ずっと、馬鹿にされ、あざけられてきました。自分が真実を教えていることを知ってはいましたが、多くの人々は心を閉ざしたままでした。この仕事がもっと高いレベルへ達するなど、本当に可能なのでしょうか? それもなぜ、今?
 ブラジル旅行のすぐあと、三つの出来事がたて続けに起こって、セリアとジェームズの言葉は正しいかもしれないと、私は思い始めました。

  ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(山川紘矢・亜希子訳)
     PHP研究所、2001年、pp.284-285

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 34-b (九年間ずっと馬鹿にされ嘲られてきた私への予言 =2=)

 私はブラジルからマイアミへ、一九九七年八月十九日に戻りました。八月二十二日、私はオフィスで電話を受けました。それはロンドンのケンジントン宮殿、すなわち、ダイアナ妃の居城からでした。ダイアナ妃の個人秘書、ジャクリーン・アレンが電話口にいました。
 「ダイアナ妃は、あなたの『魂の伴侶』を愛読されています」とジヤクリーンは私に言いました。
 「この本のおかげで、彼女は非常になぐさめられ、心が穏やかになったのです。彼女はあなたにお目にかかりたいと言っております。近い将来、イギリスに旅行される予定はおありですか?」
 「いいえ」と私は答えました。「何も予定はありませんが、何か、計画することはできると思います」
 「そうですね。今、彼女は休暇中です。イギリスに戻ってから、あなたに連絡させていただきます」
 「光栄です」と私は答えました。「彼女に私の他の本とテープを何本か、お送りします」
 私達はその日の午後、本とテープを彼女に送りました。そして、彼女の電話を楽しみにしていました。私は彼女の勇気、思いやり、多くの慈善事業、そしてエイズ患者や他の病気の人々に対して示す彼女の大きな愛を、尊敬していました。
 勿論、ダイアナ妃は私に電話をしては来ませんでした。八月三十一日、イギリスへ帰る直前に、彼女とドディ・ファイドは、例のパリのトンネル内での恐ろしい自動車事故で、亡くなられたのでした。彼女が元気であること、その愛に満ちた輝く魂は、向う側で光と愛に包まれて生きていることは知っていますが、私は深い悲しみを感じました。人が肉体を捨てて私達を残して去ってゆく時、やはり常に悲しみがつきまとうものです。

  ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(山川紘矢・亜希子訳)
     PHP研究所、2001年、pp.289-290

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 34-c{43-e] (九年間ずっと馬鹿にされ嘲られてきた私への予言 =3=)

 ケンジントン宮殿からダイアナ妃の死の二週間前に電話があった理由は、二つあると思います。『魂の伴侶』はソウルメイトと愛についての本です。時と空間を超えたこの特別の関係を持つ二人の物語であり、過去生や向う側の次元で共に過し、今生再び、愛する人を見つけ出した人々の話です。二人は愛は永遠で絶対であることを学びます。愛は死によってさえも、終ることはありません。私達は常に愛されています。私達は決して一人ぼっちではありません。常に愛する人々と再会します。
 ダイアナ妃はドディ・ファイドにソウルメイトのつながりを感じていたのではないかと、私は思います。彼女はまた、息子達や他の愛する人々に対しても、それを感じていたと思われます。多分、『魂の伴侶』はこの強い魂の結びつきを彼女が理解するために、役に立ったのでしょう。
 もう一つの理由は、人生の重大な出来事について、私達はしばしば予感や強い直観を持つということです。多くの場合、こうした感情は自分自身、もしくは親しい人の間近の死に関係しています。予期せぬ死の直前に、何らかの方法で別れを告げたという人々の話は、枚挙にいとまがありません。
 私の患者の一人に、コロンビアの飛行機事故でビジネスマンの夫を亡くした妊娠中の女性がいました。彼女はその事故の前の一カ月間毎日、飛行機事故で夫が死ぬ夢を見続けていました。もし、これが本当に偶然の事故であるのならば、なぜ、彼女は直前にこのように警告を受けていたのでしょうか?
 もう一人のマイアミの女性は、ミシガン州の交通事故で弟を失いました。事故の数週間前、彼女は葬儀社に情報集めに行っていました。おそらく、ダイアナ妃もどこかで知っていたのです。
 『魂の伴侶』は『前世療法』『前世療法2』と同様に、ソウルメイトと過去生だけの話ではありません。真実と神の愛についての本でもあります。また、死は存在せず、ただ生があるのみということ、私達の魂は永遠であり、決して傷つけられはしないということ、魂の姿や肉体に宿った状態で、私達は必ず愛する人々に再会することについても、書かれています。この三冊は人々をなぐさめるだけでなく、真実の本であるからこそ、希望の本なのです。『魂の伴侶』は愛する父の死について、ダイアナ妃の心をなぐさめたのかもしれません。彼女はまだ、父の死を悲しんでいたのでしょうか? 彼女が「なぐさめられ、心が穏やかになった」のは、父親に関することだったのでしょうか?
 ダイアナ妃は死ぬ直前に、私の本を読みました。このタイミングは偶然ではありません。彼女はソウルメイトについても学びましたが、魂について、もっと学んだはずです。彼女が向う側の世界で、輝く光と愛に満ちた言葉と信じられないほどの喜びによって迎えられたに違いないと、私は確信しています。
 私は彼女の死を残念に思います。私の本が少しでも彼女を助けることができたら、と思うのです。

  ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(山川紘矢・亜希子訳)
     PHP研究所、2001年、pp.290-292

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 34-d (私たちは第六感を自覚しないまま毎日使っている)

 現在のわたしは、この物質界には存在しない物事を見たり感じたりできる自分の能力を充分に理解しています。″第六感″という表現をよく耳にしますが、霊能力を言い表わす言葉としてはほかにも直感とか予感、虫の知らせ、あるいは、ある種の勘という言いかたもあります。つまり、わたしたちはそれを自覚しないまま、この能力を毎日使っているわけです。たとえば、ふと友人のことを考え、しばらくすると電話が鳴って、出てみるとその友人からだった、という経験が何度もありませんか? 車を走らせているときにふと勘が働いて車線を変え、そのまま走っていくと元の車線で事故が起きていた、というような経験は? 通勤の途中で今日は上司の機嫌が悪いんじゃなかろうかと感じ、出社してみるとまさにそのとおりだった、ということは? 頭のなかで歌が浮かんだかと思うとやがてその曲がラジオから流れてきた、という経験もあるでしょう? これらはすべて霊能力の働きです。この第六感はいったいどこから来るのか? ギリシア語でサイキックとは“魂の”という意味です。霊能力を使うとき、わたしたちは魂のエネルギー、すなわち、あらゆる生物にみなぎっている自然の生命力に同調しているのです。
 幼い子供のころのほうが大人になってからよりも霊能力が働きます―というより、霊感を素直に受け入れられると言ったほうがいいかもしれません。まだあちら側の世界に近い状態で、なおかつ、言葉も思考も発達していないために、感情や感覚に頼らないことには物質界に対応できないからです。たとえば、ある人に抱かれて泣きだした赤ん坊が別の人に抱かれたとたんに泣きやむ、ということがよくありますね。その赤ちゃんにとっては二番めの人のほうが気持ちよく同調できて安心感もあったのです。赤ん坊がたえず母親を求めるのはこのためなのです。母親と赤ん坊のあいだには強い霊的な絆があります。ちょうど赤ちゃんが目を覚ますころ、それを察した母親が子供部屋に駆け込んでいく。よくある光景ではないでしょうか? こうした母子の絆は日増しに強くなり、やがて母親は何も聞かなくても赤ん坊の欲求を感じ取れるようになるのです。

   ジェームズ・ヴァン・プラグ『もういちど会えたら』
     中井京子訳、光文社、1998、pp.15-17