学びの栞 (B)
40. 占星術
40-a (人間は自分が天界から来たことを内面の本能として知っている)
人間は自分のふるさとを探し求める中で、いつも天界にある星の静かなる神秘をじっと見つめてきました。自分が生まれたこのひどい境遇よりも、ずっとすばらしい場所から自分はやって来たということを、内面の本能として知っているからです。人間が夜空に散らばる光を調べ始めたとき、驚いたことに、それは動いていて、季節もその動きにともなって変わることに気づきました。そして自分ではどうにもできない力をそこに見たとき、その動きは自分の世界に起きる吉凶もつくり出しているに違いないという結論を出したのです。
数多くの賢者、預言者、あるいは聖者が、星に関するこの強力な信念を用いて、国を治め、支配してきました。もし恐ろしい出来事の預言が的中したとしたら、それはいったい誰のせいだったのでしょうか。もちろん、それを言い当てた者ではありません。その原因は「あの呪われた星」に違いないということになります。でも、星は沈黙したまま、自分を弁護し、無実を主張することもかないませんでした。
主よ、これだけは言えます。ここにいる誰もが、自由な意志を与えられて創造された神なのです。そして、始まりの頃、光の存在であった皆は、至高の存在として、意志の自由を用いて星や惑星や、見える宇宙、見えない宇宙をすべてつくり出したのです。そして、いま有している化身をのちにつくり出した神々もあなたたちです。その化身はどんな宇宙よりも偉大なものです。この瞬間にも、あなたは、始まりの頃に持っていたのと同じ強力な創造性を有する同じ神々なのです。そしてこの気の遠くなるような長い時間を通じて、自分を支配するものは何も創造したことはありませんでした。ただし、それが自分を支配できると信じてしまった場合を除いての話です。そういう意味では、あなたはいまでも自分の人生をコントロールする立場にあります。なぜなら、あなたは自分の存在以外の何かによって自分が支配されているという考えを受け容れたのですから。つまり、あなたがそうなることを許したのです。
『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 174-175
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40-b (惑星や星の動きが人の運命を決めるというのは正しくない)
占星術を信じる人はたくさんいます。そして、確かにそこには真実があるのです。それは、真実と信じられているからです。でも、できればもう一歩踏み出して、この真実を与えたのは誰か、そして星や惑星の動きが、どうしてそれをもともと創造した神々よりも偉大であり得るのかを訊ねてみることです。
自分は誰なのかということが、天界の動きを通してわかることはけっしてないでしょう。そして惑星や星の動きが人の運命を決めるというのも、正しくありません。もしそうならば、私たちには夢や想像力、あるいは創造性のようなものや、生命さえもなかったことでしょう。
この地上界で生きてきた生で、皆は数多くの星のもとに生まれているし、その瞬間にはそのすべての星たちが輝いていたのです。自分の運命が、その内のいくつかの星によって支配されたり、影響されたりしていると言うことは、理にかなわないだけでなく、あなた自身である生命と神そのものを表現する自由と純粋さを取り上げることになってしまいます。
神々はたくさんのゲームをつくり出しましたが、占星術はそのひとつなのです。それがときとしてとても危険なものになり得るのは、人に自分の未来に対する恐怖を植えつけ、感情面での将来の状態をあらかじめ決めてしまうことがあるからです。占星術師がすべてを知る知性を有すると考える人間は、自分の貴重な人生を文字どおり人の手に委ねているのであり、これは私には賛成できないことです。
占星術がゲームであるように、宗教の教義もそうだし、政治もそうだし、経済なるものも同じゲームなのです。そして、生存のゲームをするために自分を隷属させているあらゆるものについてもまったく同じなのです。
占星術を業としている人たちは、他人のことを思い、助けたいという願いを持つ本当に美しい存在です。そして、星を研究するのはすばらしいことです。そこには、美しい動きと、心を動かす神秘があるからです。しかし、それをもとに自分の人生を決めるということになると、あなたはその星をつくっている気体にも劣る存在となってしまいます。
占星術はひとつの道具にすぎません。ゲームでしかないのです。本当の真実は、「さあ、あなたの将来がどうなるかわかりました」と言っているその人自身から出ています。なぜなら、その人は、対象となっている人間のまわりにある感情面での電磁場を感じとっているからです。このゲームの部分を取り去って同じことを言ったとしても、聞いている人には、やはりそれは驚くべきことと感じられるでしょう。でもそうすると、ある星が悪いとか、あなたは何か神の宇宙的計画の一部なのだというほどは神秘的でないのも確かなのです。年老いた賢者が水晶の玉を見つめるのも、ワインや霊薬やいろいろなものを飲むのもまったく同じで、ある真実を受け容れやすくしているだけのことなのです。
『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 175-177
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40-c (人間はいつも自分以外のところに運命の理由を見つけようとしてきた)
人間はいつも自分以外のところに自分の運命の理由を見つけようとしてきました。自分の内にある、無数の宇宙をつくった創造主に目を向けるよりは、沈黙する星や、王の支配や、あるいは「神の意志」のせいにするほうが安心だったのです。僧侶や預言者や、千里眼の人間から啓示を受けるほうが、自分自身も充分に賢い存在であり、その啓示を与えられるのだと信じるよりはずっと楽だったのです。
自分以外のところに理由や答えを求めている限り、あなたは内なる声を聞くことはけっしてありません。その内なる声こそが、すべての真実を与えるのであり、在るものすべての創造主の声なのです。それに耳を傾けない限り、自分が持っている驚くべき力と無限の叡智を自分の目から隠してしまう迷信的な考えや、ばかばかしい論理に支配されることになるのです。
主よ、あなたはどんな真実でも自分の望むものを受け容れ、つくり出すことができる至高の存在なのです。自分の世界の主となることも、奴隷となるのを許してしまうこともできます。どちらでも望むものを体験できるのです。それぞれの存在が真の創造主であり、自分の人生を決め、運命を描いていく者であると気づけば、その気づきをもとに、あなたは自分のために限界のない人生をつくり出していくことができるかもしれません。それは、あなたという存在にとってとてもすばらしいことになるでしょう。
自分がこういうゲームをしているとき、それはもともと誰がつくり出したかを思い出すことです。そして、自分がそう望んだものに対してはひ弱な存在でいることもできる創造主は、一瞬のうちに考えを変え、自分の人生を再び自分の手に取り戻せるのだということも覚えておくことです。
『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 177-178
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40-d (あなたがいなければ星や惑星といったようなものは存在しなかった)
占星術というゲームについて、ひとつ言っておきたいと思います。占星術師は、「宮」を十二宮と設定していますが、実際は十四あります。恒星と考えられている惑星がひとつありますが、それはどちらかというと星雲です。美しい光を放つ惑星で、そこにもう長い間存在しています。それがもうひとつの宮です。そして、太陽の軌道に、すでに形成されようとしている新しい惑星があります。それは、数千年前、太陽の活動が活発だったときに生まれたものです。それで十四になるのです。二つも宮がはずれているのに、占星術師はいったいどうして的確な判断ができるでしょう。
主よ、占星術で人を読むとき、実行してほしいことがあります。星座の位置を計算したり、それを星座表に描いたりする諸々の作業を終えて、その解釈を読み終えたとき、その人にこう言ってあげなさい。宇宙はあなたがいなければ何もなかった、あなたがいなければ星や惑星といったようなものは存在しなかったのです、と。それだけでかまいません。その人はあなたの言ったことをけっして忘れないでしょぅ。その言葉が気になってくるからです。それで元気になり、自信をもつからです。
『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 178
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