学びの栞 (B) 


 47. 霊界からの導き・援助


 47-a[36-f] (メーテルリンクの『青い鳥』に含まれている霊的真実)

 こちらの世界から、著名な作家のインスピレーションがどこから来ているのかを見ていると、じつに興味深いものがあります。メーテルリンクの『青い鳥』を思い出します。その本の中に、子供たちが地球に戻るべく名前を呼ばれるのを待ちながら、みんなが集まっている場面があります。
 それぞれの子供は袋を持っていて、その袋には、地球に持ってかえる贈物や知識だけでなく、自分が患うことになる百日咳や狸紅熱といった病気も、きちんと包まれて入っています。子供たちは、星の海を“父なる時”の船に乗って渡り、地球で待っている母親のところに帰ろうとしているのです。
 ただのおとぎ話だと言う人もいるでしょう。しかし、ここには、大変な真実が述べられているのです。それはおそらく、宇宙存在から降りてきたか、作者の自我の前意識のレベルから出てきたものでありましょう。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳)講談社、1994年、pp.264-265

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 47-b (霊界から私を導いてくれるガイドたち =1=)

 わたしはいくつか異なった手段で自分のガイドや教師に気づきました。まず、アイリーン・マーティン=ジャイルズという天性の霊視者から、(慈悲の聖母童貞修道女会)の修道女がわたしに憐憫の情を学ばせているのだと教えられました。修道女の名はシスター・テレサ。霊視者は、輝く青い瞳の色まで事細かにシスター・テレサの姿を説明してくれました。これを聞かされたとき、わたしは仰天しました。前にも述べたように、わたしは八年間カトリック・スクールに通っていました。その学校は(慈悲の聖母童貞修道女会)が経営していたのです。
 さらにアイリーンは、チャンという中国人の男性がわたしの霊の教師だと言いました。チャンは何度も現われて、わたしの依頼人にメッセージを届ける手伝いをしてくれたものです。やがて、アイリーンは彼女の心の目に見える霊の姿を絵に描きはじめました。マスター・チャンのいかにも温厚そうな顔を見て、わたしは情愛豊かな魅力を感じました。彼はビーニー帽のような小さな帽子をかぶっていました。トップがオレンジ色で、青い縁が付いています。一九〇〇年代初頭に中国で一般的だった帽子です。コバルトブルーの長いローブのような服で全身をゆったりと包んでいました。ローブには鮮やかなオレンジ色のマンダリンカラーとやはりオレンジ色の袖口が付いています。手は両袖のなかで組み合わせていました。顔は細長く、目は茶色で、思慮深い穏やかさをたたえています。頭はその時代特有の弁髪でした。大きく剃りあげた頭に風格のあるやぎひげ。ローブの中央部で心臓のチャクラに近いところに、霊的な知恵を表わす黄金色の十角形の星があります。星のまんなかには無条件の愛を象徴する緑色の宝石。彼は最も高い霊的領域の金色の光で包まれています。その金色の光こそチャンがマスターであることを示す証でした。
 彼が最近ではいつごろこの世に転生したのか、それについては知らされませんでしたし、そもそもこの地上に暮らしたことがあるのかどうか、それもわかりませんでした。ガイドというのは、自分が最も楽しんだ時代、あるいは、自分らしい生きかたを鮮明に刻みつけた時代の装いをしていることが多いものです。わたしはチャンの絵を見て、彼が生身の人間として何度も体験を重ねてきた魂だとわかりました。
 さらにわたしはあまり正統とは言いがたい方法でほかのふたりのガイドを知りました。霊媒の卵だったわたしには自分の能力をたえず高めていく必要がありました。そのために、週に一度、六人の人を選んで一緒に暗い部屋ですわってもらいました。実際、生まれ持った超感覚の能力に磨きをかけようとする霊能力者にとっては、ごく一般的な方法です。訓練を始めて四週め、セッションのさなかにわたしは極端な消耗を感じ、軽いトランス状態に落ちていきました。意識が遮断し、肉体と思考の自覚がいっさいなくなってしまう状態です。意外によくあることです。たとえば、テレビに夢中になっていたり、読書にふけっているとき、このトランス状態におちいっていることが多いのです。一般に、入眠の直前にはトランス状態に入ります。
 三十分ほどでトランス状態から醒めるとわたしは「何があった?」と訊きました。会席者たちは一様に興奮して驚くべき結果を話してくれました。「イギリス人の医師が現われてハリー・オルドリッジと名乗りましたよ」とひとりが言いました。ハリー・オルドリッジはロンドンの北西部に住む医者だということでした。一九三〇年代の初めに亡くなったそうです。会席者のなかにセッションを録音していた人がいたので、そのテープを聞いてみましたが、自分のものだとわからないくらい声が変わっていました。明らかにイギリス訛りの発音で、話しかたもまじめで落ちついています。いささか尊大な態度ではありましたが、わたしの健康と今後のグループ・セッションに関するアドバイスは正確でした。霊媒としてのわたしの仕事を助けるためにあえてこのときを選んで現われたのだと彼は言いました。
 このガイドは、リーディングのさいちゆうにわたしの肉体を取り巻くエネルギーを増幅してくれます。そして、依頼人に軽い病気があればそれを特定できます。ハリー・オルドリッジはとても親切な人物ですが、彼が現われるとその権威主義的な人格がはっきりと感じ取れるのです。

  ジェームズ・ヴァン・プラグ『もういちど会えたら』
    中井京子訳、光文社、1998、pp.69-71

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 47-c (霊界から私を導いてくれるガイドたち =2=)

 数週間後、ふたたび会席者たちが円形にすわっていたとき、わたしはトランス状態に落ちました。このときもやはり信じがたいような霊的顕示が起こったのです。覚醒したわたしに向かって、妻が、「あなた、絶対に信じないわよ!」と言いました。
 「何を?」
 「黄金の羽(ゴールデン・フエザー)という名前の男の人が現われたの」
 「インディアンだな」とわたしは答えました。
 「正確には北アメリカインディアンですって」
 メンバーのひとりがテープを巻き戻して再生しました。わたしは自分の耳を疑いました。太鼓の音が聞こえるではありませんか。
 「こんな太鼓、いったいどこにあったんだ?」とわたしは尋ねました。
 「太鼓じゃないのよ。わたしたちの前にあるこのテーブルなの」という答えが返ってきました。
 その晩、わたしたちは部屋の中央にテーブルを置いていたのです。わたしはそのテーブルを見つめました。タムタムと鳴るインディアン特有の太鼓の響きがこのテーブルから出現するとは、ただ驚くばかりでした。
 太鼓の音に耳を澄ませているうちに、突然、母語で歌うインディアンの大声が響きわたりました。その旋律は美しく、聞く者の心をとらえて放しません。五分後、唐突に歌が終わりました。そして、インディアンが話しはじめたのです。「われわれはすべて兄弟である。あなたたちとわたしも兄弟である。あなたたちのもとを訪れ、愛を送る。すべては愛である。万物に愛を見るであろう。わが名はゴールデン・フェザー。兄弟のひとりである。われわれはつねにあなたがたと共にいる。愛を送る。そのしるしとして、愛のシンボルであるわれわれの頭飾りからひとりひとりに一本の羽を与える」
 わたしはただ呆然とすわっていました。疑いようのない現実なのに、わたしにはまったく記憶が残っていません。かけがえのない特別な一瞬になるとはわかっていました。期待でわくわくしていたからこそ、テープに録音し、ほかの会席者にも立ち会ってもらったのです。それ以来、わたしたちのグループは毎週火曜日の晩に交霊会を行なっています。ゴールデン・フェザーは時おり現われて愛と驚異の言葉を伝えてくれるのです。
 こうした体験を通して、わたしは自分がひとりではないのだと気づかされます。目には見えなくても、この世に知られていなくても、確かに霊的存在は実在し、わたしたちの人生に変化をもたらす手伝いをしてくれるのです。わたしのガイドたちは、わたしを助けることで、わたしが接触するすべての人びとを助けているのです。

  ジェームズ・ヴァン・プラグ『もういちど会えたら』
    中井京子訳、光文社、1998、pp.72-73

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 47-d[74-j] (あなた自身の霊的ガイドを見つけるには)

 わたし自身、ガイドたちがわたしのもとへ現われたり、ほかの霊媒から教えてもらうまでは、霊的ガイドについて考えたこともありませんでした。あなたのガイドが誰なのか特に知る必要はないと思いますが、なかには自分が話している相手をどうしても知りたいという人もいます。霊がそばにいて導いてくれるという概念を納得するひとつの方法なのです。それだけで自分に教師がいることを把握できるわけではありませんが、そういった人びとは人格化した交わりを求めるのです。その気持ちはよくわかります。いくつかの方法を使えば霊的ガイドを認知しやすくなります。
 まず第一の方法は瞑想です。霊的ガイドに会うという意志を持って瞑想に入ります。充分にリラックスしたところで、教師に姿を現わしてくださいと心のなかで頼んでみましょう。深いリラックス状態にあって、なおかつ、過大な期待を持っていなければ、あなたの心の目には誰かの顔が浮かんでくるでしょうし、あるいは、衣服の一部が見えるかもしれません。たとえば、一本の羽毛が見えて、それがアメリカインディアンのものだと気づく場合もあるでしょう。そこで、もっと見せてくださいと頼めば、ガイドが姿を現わすかもしれません。ひとりの教師を見ることができたら、別の教師を見たいと頼んでもかまいません。あるいは、最初のガイドに、ここで学ぶべき教訓を示してくださいと頼んでもいいでしょう。瞑想を終えたらガイド(たち)に感謝しましょう。日誌をつけ、ガイドのことやガイドから示された内容、とりわけ彼らの使命について書き留めておくことをお勧めします。
 瞑想やリラックスの程度によって個人差はありますが、この訓練でうまくいくはずです。もしなかなか教師の姿が認識できなかったり見えない場合は、別の方法を試してみましょう。ベッドに横たわって眠りにつきながら、夢のなかで姿を現わしてくださいと教師に頼むのです。マントラのように何度も何度も頭のなかで繰り返し唱えましょう。やがて、眠りに落ちると、教師の夢を見るはずです。結果がすぐに出るとはかぎらないので根気よく続けてください。結果が現われるまで毎晩繰り返し祈る必要があるかもしれません。

  ジェームズ・ヴァン・プラグ『もういちど会えたら』
    中井京子訳、光文社、1998、pp.73-74

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 47-e (霊界からの援助が受けられない場合もある)

 たびたび訊かれる質問があります。何かが起きる前にわかっているのであれば、どうして霊はそれを前もって教えてくれないのでしょう? ぜひ理解していただきたいのですが、霊がわたしたちに伝えられるのは、自分が知っていること、そして、相手に知らせることが霊的に正しいと確認できる場合だけです。霊は鋭敏な洞察と視野の広い意識を獲得していますが、それぞれに啓発されたレベルからしか情報を送れないのです。
 もう少し詳しく説明しましょう。現世は教室です。さまざまなレッスンを学ぶためにわたしたちはここに来ます。このレッスンはひとりひとり異なります。わたしたちは各自の成長度に応じて肉体を持ちます。知恵を身につけ、広大無辺な人生を少しでも多く知るために、いろいろな経験を積まなければなりません。イエスの言葉のとおり、「わたしの父の家には住むところがたくさんある」のです。これは、霊的存在にはさまざまのレベルがあるということです。わたしたちが死ぬと、現世で考えたことや行なったことに適合したレベルに入ります。こうして獲得した霊的レベルからしか知識を伝えることができないわけです。
 そのうえ、霊の世界では霊的法則が尊重され、厳守されます。この法則にそむけば、調和と均衡のとれた自然の状態に逆らうことになり、霊的な進歩は望めないでしょう。ですから、霊はわたしたちに予言めいた答えを与えたりしないで霊的法則を忠実に守り、わたしたち自身の決断にゆだねるのです。
 たとえば、自分が結婚するのかしないのか、死んだ母親に尋ねてみるとしましょう。返ってくる答えは二通り考えられます。まず、求められた情報を知っていて、その答えをわたしに伝えてくる場合。一方、結婚がその子供にとってカルマ的レッスンであれば、母親はカルマ的試練の答えを安易に与えてわが子の霊的成長を妨げたいとは思わないでしょう。人は独自に人間の体験を重ねていかなければならないのです。たとえガイドや守護天使に導かれたとしても、わたしたちは自分の自覚に基づいて決断をしなければなりません。わたしたちひとりひとりがたえず「試練にさらされている」と言ってもかまわないでしょう。

  ジェームズ・ヴァン・プラグ『もういちど会えたら』
    中井京子訳、光文社、1998、pp.115-116

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 47-f (あなたはこの地球上を一人で歩いているのではない)

 あなたは支えられている。助けられている。あなたは、この地球上を一人で歩いているのではないのである。このことを忘れないことだ。あなたの非物理的な教師やガイドたちといっしょに歩むことだ。何について尋ねたらいいか、尋ねるべきか、或いは、何を話したらいいか、話すべきかといったことで悩む必要はまったくない。彼らとの絆をあたりまえのものとして受け入れ、それを感じながら生きることだ。
 頼ることを躊躇する必要はない。宇宙を、あなたの教師たちを、あるいは神聖な知性を頼りにして悪いことなど何ひとつない。あなたが行うべきことを実行するのは、あくまでも、あなた自身である。宇宙やあなたの非物理的な教師たち、ガイドたちは、そんなあなたを支援する立場にはあるが、あなたが行うべきことを代わりに行ったりはしてくれない。頼ることを楽しむことだ。喜んで頼ることだ。あなたのガイドや教師たちに、そばに来る許可を与えることだ。

  ゲーリー・ズーカフ『魂との対話』坂本貢一訳
     サンマーク出版、2003、pp.263-264

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 47-g (導きを求めるとそれは速やかにもたらされると強く信じ続ける)

 導きや支援を願い出るときには、単純に、それが速やかにもたらされると決めてかかることだ。もしかしたらあなたは、受容性に富んだ心の状態を手にするために、少し時間をとって、みずからをリラックスさせるための作業を行う必要があるかもしれない。瞑想をするのもいいし、昼食を食べたり、車で町に出かけていくのもいいだろう。とにかく、あなたの心を、リラックスして聞き、感じることのできる状態に導くことである。しかし、それよりも何よりも大切なことは、あなたが導きを求めると、それは速やかにもたらされる、ということを強く信じつづけることである。

  ゲーリー・ズーカフ『魂との対話』坂本貢一訳
     サンマーク出版、2003、p.264

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 47-h (必要なものは必ず宇宙が与えてくれると信じること)

 人生を、ひとつのすばらしく秩序だった力学として眺めるようにすることだ。宇宙を信頼することだ。宇宙を信頼するということは、自分の環境はつねに、自分にとって最善の、もっとも妥当な結末をめざして動いている、ということを信じることである。これは、「もしもそうならば」とか、「そうなったときには」といった次元の話ではない。これは、明らかな真実である。
 こまごまとした自分の欲望を放棄し、「私がいる必要のある場所を教えてください」と宇宙に言うことだ。すべてを手放し、必要なものは宇宙が与えてくれると信じることだ。そうすれば、それは必ずこたえてくれる。すべてを放棄することだ。あなたのハイアーセルフに、それ自身の任務を遂行させることだ。

  ゲーリー・ズーカフ『魂との対話』坂本貢一訳
     サンマーク出版、2003、p.264