学びの栞 (B) 


 51. 生命・波長・昇華


 51-a [23-g] (あなたは何度も何度も生を繰り返す永遠不滅の存在である)

 皆は自分の想像をはるかに超えて愛されている。というのも、何をしようとあなたは生き続けていくからだ。だったら、なぜこれまで心配をしてきたのだ? なぜ戦ってきたのだ? なぜ自分を病気にしてきたのだ? なぜ哀しみに打ちひしがれてきたのだ? なにゆえに、自分に限界を課してきたのだ? なぜ昇る朝日の荘厳さを、風の自由を、そして子どもたちの笑い声を楽しまなかったのだ? なにゆえに、苦労ばかりせず、生きることをしてこなかったのだ?
 あなたは何度も何度も生きる。あなたの種は永遠不滅の存在なのだ。あなたがどんなに疑念を持とうと、自分の世界を限定しようと、どれほど心配し、絶望しようとも、あなたがけっして消せないものがある。それが、生命というものだ。どんなに心の目が盲いた貧しい人間であろうと、必ず生命はある。それが神と呼ばれるものが表す価値観であるからだ。そしてそれは、あなたのことなのだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 82

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 51-b [23-h] (偉大な存在であるあなたはこの生の後も繰り返し生き続ける)

 一輪の花に生命の途切れない営みを見ることができるならば、なぜあなたがその生命よりも劣っているなどと考えるのか。ただ春に花を咲かせ、夏には果実をならせて、秋になって葉を落とし、そして冬になると死ぬだけだと思うのだろうか。あなたはもっとも偉大な花よりも、さらに偉大な存在なのではないのか。あなたの生命はもっと重要なものではないのか。そう、まさにそのとおりだ。そして春のめぐり来るたびに花が咲き続けるように、あなたもまた生き続けるのだ。この生の後も、その後も、そしてその後も・・・・・・。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 85

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 51-c [9-h ] (思考にはすべて波動がありそれが特定の感情として体験される)

 ひとつ知っておいてほしいのです。頭の中で思いめぐらし、理解すべく心に抱く思考には、すべてある振動数の波動があり、それが特定の感情として体験されるのです。ですから、苦痛に対する理解を会得しようとするならば、その人は苦痛に関連する限られた思考をめぐらしているので、その思考が低いレベルの振動数の波動を生じさせ、感情面ではその波動が痛みとして体験されるというわけです。愛について理解し、表現することを思い、学ぼうとしているならば、人と分かち合い、表現された愛に関する思考の高い波動がもたらす高揚感を味わうのです。それがどこであれ、自分の理解のために意識がおもに向いている方向が、あなたの行く天界です。それは、あなたの持つオーラと、あなたの存在の精霊が、その場所の波動へとあなたを引きつけていくからなのです。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 88-89

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 51-d [23-i] 亡くなった母親がもしこの次元に戻ることを選ぶなら

  [前年に母を亡くしたある女性に対して]

 もしあなたのお母さんがこの次元に戻ることを選ぶなら、彼女にはあなたの子どもの子どもか、そのまた子どもになるという選択があります。もしあなたが生きている間にお母さんがこの地上に戻ると決めたなら、あなたの娘さんが子どもを持つ決心をしたときに、その子どもとして戻るでしょう。そして、もしお母さんがそうすればの話ですが、あなたにはその子が母親の生まれ変わりだとわかるはずです。その幼な子を見れば、表面上の表情や容姿を超越した感情をあなたは持つからです。そうやって彼女であることを知ることができます。
 あなたのお母さんは、その瞬間、あなたのことを知っているでしょうか。もちろんです。なぜなら、この地上界を離れると、人は化身で存在していたときよりも意識が鋭くなります。もはや物質の密度に埋没していないので、自分が意識できるすべてのレベルに、言わば波調を合わせることができるわけです。もっと密度の低い、高い波動の中にいるので、ほかの波動レベルにあるものを見られる能力を持っているのです。ほかの波動は、思考形体、光の形体として、そのとき自分がいるレベルと並行する形で存在しています。ですから、もし自分でそうしていればの話ですが、あなたのお母さんはあなたをいまもよくわかっています。ここを離れるとき、もし望むならば、あなたもここにいる人たちのことがよく見えるのと同じなのです。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 90-91

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 51-e (自分への愛情を実感してはじめて自分以外の生命をも受け容れられる)

 たとえば、まず自分自身の荘厳な美を目の当たりにして、自分への愛情と慈しみの心を表すことができるまでは、すべての生命の美しさを見たり、それに気づいたりすること、あるいは他者に対する深い愛情と慈しみの心を表すことはできないのです。自分の心の中で、自分に対する愛情を実感してはじめて、自分の外に意識を広げて、自分以外の生命をも受け容れ、心に抱くための基盤ができるのです。これを理解し、知るようになると、それまで自分の外にあると知覚していた生命は、実は自分そのものだと気づき始めるのです。わかりますか?
 だからこそ、もし、あなたがこの次元を離れるとすれば、自分の思考プロセスと、自分が体現してきた感情面での態度とに波長が合う意識、叡智の次元へと行くわけです。それよりもさらに限りなく広がる次元に行くことはありません。なぜなら、それはまだ自己の現実となっていませんから、そのような叡智が存在すること自体、これから先に知覚していかなくてはならないからです。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 95-96

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 51-f [23-m] (生まれ変わりでは私たちは必ず産道を通らねばならないのか)

 ―もうひとつ質問があります。ここに戻ってくるには、私たちは必ず産道を通って生まれてこなければならないのですか?

 その質問に答えるのに、まずこの場所が三次元の知覚の次元であることをあなたにわかってほしいのです。ここは、思考を物質という三次元の形を通して目で見ることができる次元です。この次元が物質の密度を持つのは、思考が、光というある特定の周波数の波動まで拡張され、それがまず減速されて電磁場となり、さらにそれが物質の総体となり、この次元の固体となるに至ったのです。つまり、この次元の物質というのは、光の周波数を遅くして、それを最大密度の形態まで落としたものだということです。
 ここにあるものが同じ密度を持つためには、すべてが同じ周波数で振動もなくてはなりません。ですから、あなたの身体は、いますわっている椅子と同じ周波数で振動しているのです。あなたにとってこのレベルが存在しているというのは、あなたの肉体、つまり、あなたの化身にある感覚器官が、物質という、光の周波数の中で最も低いレベルを感知するようにつくられているからなのです。
 本質の部分でのあなたは、物質の密度よりも高い周波数を持つ光のエネルギーですから、もし物質でできた化身を持っていなければ、この次元にある物質の中を通り過ぎてしまうことでしょう。つまり、身体が、その密度と感覚器官を通して、この次元にある物質を知覚し、体験し、それと関わっていくことを可能にしているのです。
 ですから、この波動の一部でいたいならば、実存する身体に宿り、その一部とならなくてはなりません。化身を持つためのひとつの方法が、産道を通って生まれてくることです。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 112-113

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 51-g (物質の周波数領域を出て光の周波数領域に入る昇華)

 脳の能力がすべて使用可能な状態になれば、身体をコントロールしてその波動の周波数を上げ、物質の周波数領域を出て、光の周波数領域に入ることがいつでもできるようになります。これは昇華と呼ばれているものです。
 昇華とは、単にあなたの存在のすべてを、自分で受け容れている意識のいまひとつの次元に移行させることです。死は確かにそこに行くひとつの方法ですが、そうすると自分の化身を老いて退化するにまかせ、消滅させることになります。すると、もう化身はなくなってしまいます。昇華というのは、自分の身体を別次元に持っていくことなのです。
 この次元から昇華した者たちは、死という、究極的なものを支配したのです。思考の力を通して、身体の分子構造の周波数を高め、光の存在のレベルに身体とともに行けるところまで持っていき、そうすることで死を完全にバイパスしてしまうのです。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 113

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 51-h [9-j] (人間は本来すべてが昇華を体得できる能力を備えている)

 昇華を体得してしまえば、あなたは自分の身体を永遠に保ち、自分自身の化身のままで自由に往き来ができます。つまり、またこの次元に来たいと思ったら、ただ自分の波動をこの次元と同じ周波数で振動するところまで下げてやれば、もうその瞬間、あなたはここにいるのです!
 ここにいる人たちは皆、昇華できる力を備えています。肉体という幻影の陰には、すべての宇宙の創造主が隠れているからです。あなたは自分の意志で、限界のない想念を通してこの現象を起こすことができるのです。自分自身の思考に対して審判を下したりせずに、すべての想念を受け容れることを許せば、自分が夢見る理想の姿になる力と能力を持つことができます。そうすれば、何にでもなれるし、何でもできるようになるのです。ある想念を取り上げ、それを身体の中に濃縮し、身体の振動を早めるよう指令を出すこともできます。すると、思考がそのためにしっかりと保持していた理想のほうに向かって、身体が上昇していきます。身体全体がさらに早い速度で振動し始めるのです。その間、体温は上がり、身体が光り始めます。さらに振動を早めて行くにつれて、身体の物質が純粋な光の領域に入り、そして純粋な想念へと入っていきます。そうすると、それまで見えていたものの姿が見えなくなってしまうのです。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 114

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 51-i [2-h] (人が死ぬのは老いることを真実として認めているからである)

 この生で昇華する人は、ほとんどいないでしょう。それは、ここで教えられていることの真の意味を悟り、それを理解する人があまりいないからです。ほとんどの人は死ぬことでしょう。それは、老いること、衰えていくことを真実として認めているからであり、自分を運んでくれているこのすばらしい機械も、見栄えのいい間しかきちんとした世話をしないからなのです。だから彼らは年老い、身体はだんだんと衰弱していき、死を迎えるのです。すると精神と魂は身体との連結から解放されます。でも、この物質密度の次元にまた戻ってこようとすると、自分を表現するための媒体がまた必要になります。こうして、再び主がたくさん生まれてくるというわけです。
 ほとんどの人は死にます。しかし、だからといって、それですべてが終わりというわけではありません。それは単に、ひとつの化身という仮面が取り去られ、また別の仮面を見つけなければいけないだけのことです。しかし、もしここに戻ることを選ぶならば、昇華を促すような意識に戻ってくるでしょう。もうすぐそれは、よく理解された当たり前の現実となるからです。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 119

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 51-j [75-a] (光の周波数を下げる、或いは減速すると固体物質になる)

 皆のまわりにあるものはすべて物質と呼ばれている。物質とは、父なるもののことだ。あらゆるものは神だからである。しかし、物質を創造した者、その姿を定めた者とは、最高の技能を持った職人であり、神々であるあなたたちなのだ。なぜなら、存在の始まりのときから、思考を通して思い描くことができた観念をすべて物質に創造していくという、明確な目的をもった知性があなたにはあったからだ。
 さて、すべての物質は光によって囲まれている。皆の世界にいる科学者たちも、光の周波数を下げる、あるいは減速してやると、どうも固体物質になるらしいとの感触を持ち始めている(そしてこの感触は正しい)。では、この光はいったいどこからやってきたのか? 思考である。つまり神だ。ある想念を持ち、感情の中にこれを抱くとき、その想念は光の波長を持つ波動へと拡大していく。
 光の分子の動きを遅くして、それを凝縮すると、プラスとマイナスの極がある電磁場、つまり皆が電気と呼んでいるものになる。想念を電磁場よりもさらに減速、凝縮させると物質になる。そして物質は、形体と呼ばれる分子・細胞構造体となる。そしてこの形体は、創造に必要な観念として魂が思い描いていた想念によって、ひとつの形に保たれているのである。
 すべてのものの創造過程は、まず速度がまったくないもの、つまり思考をもとに、それを速度のあるもの、つまり光へと拡大し、その光を減速して、これやあれや皆のまわりにあるものすべてを創造する、という形をとる。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 127-128

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 51-k[9-zb] (波動の高い思考は自然の意識の中で体験しやすい)

 皆の生きている次元がその存在の基盤としている思考は、社会意識という、波動の低い、限られた思考だ。そこにある想念は、制限が多く、何にでも審判を下すきわめて厳しいものだが、それは皆の人生が生存と死への恐怖に関係する価値観によって支配されているからだ。それが化身の死、あるいは自我の死のどちらであってもである。したがって、皆の意識は、食物、住居、労働、それに黄金についての想念で占められている。正しいこと、そうでないこと、いいこと悪いことに関する価値判断、ファッションや美、他に受け容れられることや他との比較、年齢、病気、それに死などの想念で占められているのである。こういった低い波動の想念は、まわりの人間の思考の大部分を占めているので、あなたのオーラの場もわけなく通過してくる。だからあなたは、きわめて制限され、よどんでいる意識からの限られた想念をつねに与えられているのである。こういった想念が自分を養っていくのを許してしまう過程で、あなたはこの想念がつくり出すフィーリングを内から外へと表現し、それが人間の限られた思考を再生、永存していくのである。
 皆の世界の中でも、大都市の意識はとくに限られている。そこに生きる者のほとんどは、きわめて競争的で、時間志向、ファッション志向が強く、互いを恐れていて、他を受容する態度がない。したがって、大都市はすべて密度の濃い意識で覆われている。他の宇宙からここにやってきた者たちが都市を見下ろしたときに見るのは、複数の色の光でできた編み目のようなものだ。きわめて限定された意識がもつ、波動の低い想念が光の場として現れているのである。
 もっと波動の高い超意識の想念とは、「在るということ」、ただ在ること、生、調和、途切れなき継続性などのものだ。それは愛の想念なのである。そしてよろこびの想念なのだ。天才の想念だ。それは、本当はいま私が語っている言葉を通して表現することさえ不可能な無限の思考なのである。無限の思考からのフィーリングというものは言葉による記述を超えているからだ。
 波動の高い思考は、人間のよどんだ思考から離れた自然の意識の中にいたほうが体験しやすい。そこでは、生というのは単純明快なものであり、時を超越して途切れなく続き、自己と完璧に調和がとれているからだ。そこでは、人間の価値判断から離れ、自分自身の「知っている状態」の鼓動を耳にすることができるのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 253-254

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 51-l[62-c] (あなた自身も庭に出て妖精を探してみてください)

 存在のいかなる局面といえども、人間よりも限りなく高いところにあると考えてはいけません。自然界であれ、アストラル界であれ、霊界であれ、天界であれ、みな同じことです。すべての存在局面はあなた自身の意識の中に存在しています。これらの世界は、人間の息が届くところよりも近いところに位置しています。私たちが心の中に深く受けとめ、人生の中で身をもって生き抜かなければならない一つの教訓は、天国は自らの中に存在するという真実です。
 この王国に入るために、大袈裟な知的探求は必要ではありません。必要なのは、幼児の純朴な心だけです。ですから、あなたの子供に妖精のことを教え、話してください。あなた自身も庭に出て、妖精を探してみてください。そして、妖精もその一部である、自然の普遍的な生命と一体になってみてください。
 最後に、もう一つの考えを話したいと思います。単純さ、これが鍵なのです。単純であること。生命は複雑ではありません。無知なるものだけが(大胆な言い方かもしれませんが、これは事実です)物事を複雑にしているのです。生命はその単純さにおいて偉大であり、その偉大さにおいて単純です。それだけのことです。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、pp.204-205

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 51-m [22-g] (低い波動の存在は自分の能力を越えたものは認識できない)

 人間が現在の低い波動の存在にとどまっている間は、自分自身の能力を越えたところにあるものは認識することができません。濁った水のなかを泳いでいる魚と同じように、死の向こうには異なった存在局面があることも知らず、手探りで前進しているだけなのです。この太陽系のなかにあるエーテルからなる美しい惑星にもまったく気づいてはいません。物質世界の傍らに存在するこの新しい宇宙は、非常に拡大された、振動が加速された意識にしか感知することはできません。ちなみに、この新しい宇宙は、物質的な世界をも貫いている死後の存在局面とは別なものです。
 地球は太陽系のなかで最も暗い惑星です。ということは、地球に住んでいるあなた方は、今よりも明るい未来を期待できるわけです。私たちに心を開き、死の恐怖を払いのける機会を私たちに与えてくれれば、あなた方は美と驚異と喜びの世界に向かって、もっと勇敢に足を踏み出すことができるでしょう。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳)講談社、1994年、p.229-230


 51-n[29-g] (人間は異なった振動数の12の色に波長があっている)

 ここではっきり述べておきますが、すべての人間の生命はさまざまな振動数の色に分けることができ、人間の生命はその色によって支配されています。ここでは、そのうち、一二の色についてだけ説明することにします。
 すべての人間は異なった振動数を持つ一二の色のどれかに波長があっています。したがって、ヒーラーが第七の色で振動している人に、第五の治療法を用いれば、必ず失敗することになります。それだけでなく、かえって害をなすかもしれません。しかし、その逆に、第七の色の患者にそれに適した治療を施すならば、病気を直すことができるでしょう。
 振動数は色で表現されます。つまり、色は振動数の外面的な目に見える象徴です。それぞれの数に応じた色を次にあげていきましょう。
 一番目は赤の光線、二番目は緑、三番目はブルー、四番目がピンク、五番目は黄色、六番目は紫、七番目はヴァイオレット、八番目はラヴェンダー、九番目は真珠色、一〇番目は銀色、一一番目は金色、一二番目は純白です。
 色彩を使うヒーラーにとっては、患者が振動している色は何であるか、それを発見するのがまず第一の仕事になります。光の色とその数に応じて、患者はある種の病気にかかりやすいのです。患者のあり方と調和をはかり、回復させるためには、沈静効果をもつ光か、刺激的な光のどちらかが必要になります。
 黄色い光線は、結核の治療にとくに効果的な色であり、ブルーの光線は神経系統の病気に最善の結果をもたらし、赤い光線は血液が毒に犯されているとき有効であり、紫と緑の光線には共に癌の治癒力があることが発見されるでしょう。
 患者によって、治療すべき霊の中枢がいろいろと異なる場合があります(まだこの点について明確にしていませんが、いずれそうしたいと思います)。人によっては、喉が一番感受性の強いこともあり、その場合には、緑の光線を喉に向けると効果的ということになります。
 また、中には、心臓が紫の光線に最も強く反応し、血液の病気や、血液中の毒素の治療の際に最も効果的であるという人もいるでしょう。それは、紫の光を心臓に当てれば、血液が心臓から出たり入ったりするときに、血液を掃除し、純化してくれるからです。
 繰り返しますが、この光線による治療はすべての人に対して効果があるといっているわけではありません。色とそれに準ずる番号の一覧表はすでに示した通りです。私たちは独断的にこうだといっているのではなく、提案をしているのです。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳)講談社、1994年、pp.258-259

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 51-o[46-z] (新しい霊界での生活に適応していく =5=)

 これまでに建物や地上のものに似た環境、衣服や宝石などについて述べた。この魂の領域の「戸外」のようすについて、もう少しお話ししょう。牧歌的な田園地帯には美しい樹木や潅木や薮や牧草地があり、生えている草木には病気も欠陥も皆無だ。天候に痛めつけられることがないため、木はみなすくすくと伸びている。どの葉もきずひとつなく、季節に左右されずに生育する。地面の多くは青々とした草でおおわれ、「都市」の地域へとつづく、やわらかで豪華なじゅうたんのような散歩道となっている。
 不思議なことに、新参者の多くにとって花々は最大の歓びとなっている。それは花々が、地球という領域からやってきたみなさんには想像できないほど美しいためだ。地上でいちばん美しい花も、こちらの花にくらべれば形なしだ。生育中の花は想像力が及ぶ程度の色をしているが、生育期をすぎてからはたとえようもない美しい色となる。どの花も完璧で、人と出会ったときに感じるような個性や生気を発散している。(単にこちらの領域では、みなさんの世界にいるときに比べて、宇宙の法則が一層明らかになるだけのことである)。
 すべてのものに生命と意識がある、という不変の法則は、みなさんにとっては驚くべきことかもしれない。そちらの科学者たちは、原子や分子の構造を研究してすでにこのことを知っている。だが一般にはこの基本法則は知られていない。ご存じのとおりあらゆる生きものには当然生命があるが、その生命力は、あなたの予想をはるかに越えるものなのだ。ところが、それ以外のものにも、生命と意識はあるのだ。たとえば岩は一見したところ、生命のない何の変哲もない大きな塊に見えるが、実はそうではない。岩は大宇宙の一部として生命を持って呼吸しながら変化しており、わずかではあってもたいへん重要な意識の一部が賦与されている。みなさんの世界の形あるものすべてについても、同じことがいえる。
 こちらでは森羅万象を通じてこの法則を見たり感じたりすることができる。この世界をかたちづくるどのようなものでも、それと向かい合えば「心が通う」のである。たとえば愛らしい花だが、花には息をのむほどの美しさがあり、どの花びらからも脈打つ生命が感じられる。花を手にとれば、そこから流れ出る活力と優しさのエネルギーが感じられる。
 花は女神からの贈り物で、こちらの住民はそれを手に入れては楽しんでいる。しかし、こちらですべての生命を与える者とされている女神は、そちらの教会や寺院で話して聞かされるような「神」とは全然違う。その違いについてはのちほど触れる。忘れてはならないのは、魂の領域一帯には愛と助力と喜びのオーラがひろがっており、こちらに住む者はみなそれを感じ取って限りない喜びと慰めを得ている、という点である。

  ジュディー・ラドン『輪廻を超えて』
    片桐すみ子訳、人文書院、1996、pp.41-42

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 51-p (ほかのあらゆる人間と同様にあなたは光そのものである)

 あなたは、ほかのあらゆる人間と同様に、光のシステムである。あなたの光の振動数は、意識と連動している。あなたの意識のレベルが変化すると、光の振動数も変化する。もしあなたが、悪いことをしてきた誰かを憎みつづけるのではなく、許すことに決めたとしたら、そのときあなたは自分の光の振動数を変えたことになる。誰かに対するよそよそしさや嫌悪感を、好意や親近感に変えたときにも、あなたは自分の光の振動数を変えたことになる。
 感情は、その内容によって特定の振動数をしめすエネルギーの流れである。私たちがネガティブだと考える感情、たとえば、嫌悪、羨望、軽蔑、恐れといったものは、好意、喜び、愛、思いやりといった、私たちがポジティブだと考える感情よりも振動数が低く、パワーも劣っている。
 もしあなたが、たとえば怒りのような低い振動数のエネルギーを、許しのような高い振動数のエネルギーで置き換えたとしたら、そのときあなたは、自分の光の振動数を上げたことになる。あなたは、自分のシステムを通じてより高い振動数のエネルギーを流すことを選択したとき、より多くのパワーを獲得することになる。

  ゲーリー・ズーカフ『魂との対話』坂本貢一訳
    サンマーク出版、2003、pp.98

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 51-q[13-m] (あなたは自分と同じような振動数をもつ魂たちを引き寄せる)

 あなたは、他人に思いやりをしめせないかぎり、自分自身にも思いやりをしめせない。と同時に、自分自身に思いやりをしめせないかぎり、他人にも思いやりをしめせない。自分自身に、そしてほかの人たちに思いやりをしめすことだ。そうすれば、あなたの周囲の世界が思いやりに満ちてくる。そのときあなたは自分の周囲に、自分と同じような振動数をもつ魂たちを引き寄せている。そうやって彼らといっしょに、思いやりに満ちた世界の創造に貢献している。
 人々の美徳や長所や気高さを探し、それらに目をやるようになるにつれ、あなたは自分自身のなかでもそれらを探し、それらに目をやるようになる。たとえどんな状況においても、もし、そこに存在するもっとも高い振動数の流れを自分自身に引き寄せたならば、それによってあなたは、それと同じ振動数の意識を放射し、状況を好転させることになる。

  ゲーリー・ズーカフ『魂との対話』坂本貢一訳
     サンマーク出版、2003、pp.137-138

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 51-r (波動とは意志と情報と振動数を持ったエネルギーである)

 今まで私が親炙した心霊にたずさわる人たちはみな一様に、「波動」という言葉を使って日本の現状を憂いていた。では波動とはどういうものか? 今まで私は単純に「精神性」という言葉を当て嵌めて考えていたが、正確には波動とは「意志と情報と振動数を持ったエネルギー」であることがわかった。この三次元の物質世界も四次元世界も霊界、神界、すべて波動である。地球上の国々も微妙に波動が異っていて、それぞれ特有の民族意識を作っている。波動の特徴は同調、共鳴現象が起ることで、共鳴しては複雑な共鳴波を作り、多様な情報を作り出す。ルルドの泉の聖水は、水に高い波動がコピーされたものだそうだ。わかり易いのは音の波動である。音は弾性体を伝わる振動である。そこで音波の波動が高くなると電磁波となり、電磁波は振動の荒い長波、中波、短波のラジオ波からFM波、VHF波、UHF波のテレビ波となり、更に振動が高くなるとマイクロ波となる。マイクロ波より更に振動数が多くなると光の波動となる。光は振動数によって遠赤外線、可視光線、紫外線、]線、ガンマー線、宇宙線と変化して行く。光の中で人間の目に感じるのはごく一部だけで他の光は見えない。波動が更に高まり、原子、分子、物質となり、エーテル体、エネルギー粒子となるが、エネルギーの振動が非常に高いものが、心、霊魂、神仏のエネルギーであると中川氏(著者の霊的な師)は推論されている。
 人間は肉体の波動、精神の波動、魂の波動の三つを持っている。肉体の波動は健康に関係があり、精神の波動は知性、理性、人格を作る。憎しみや不平不満や心配は魂の波動を低下させるというから、現代のように人が損得のみに一喜一憂する時代では全体の波動が下るのは自然のなりゆきといえよう。

      佐藤愛子『私の遺言』新潮社、2002年、pp.251-252

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 51-s (魂の波動を高めるためにはどうすればいいか)

 では魂の波動を高めるためにはどうすればいいのでしょうという質問に対して、中川氏はこう答える。
 「難かしいことは全くありません。学問も知識も必要ありません。人は一人では生きられない。私は生かされている―。そのことを認識し、ありがとうという感謝の気持を表現すればいいのです。感謝することで魂の波動は上ります。実に簡単なことです」
 それは昔々からいい古されてきた訓えである。あまりに素朴、当り前のことなので、質問した人は拍子ヌケしてしまう。だがそれは真理なのである。真理とは本来素朴なものなのだ。いかに古くさくても真理は真理なのである。

   佐藤愛子『私の遺言』新潮社、2002年、pp.253-254

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 51-t[29-w] (心霊番組の霊能者と徐霊の問題点について)

 時たま私はテレビの心霊番組を見るが、テレビメディアが心霊問題まで格好の「見世物」にしていることに腹が立つよりも心配になってくる。心霊番組を作るのなら、霊魂や死後の世界についての真摯な探求心を持ってほしいものだ。そこに登場する霊能者なる人を私はインチキであるとはいわない。霊能はその人の波動によって千差万別であるからだ。波動の高い人は高い波動の世界まで見えるが、低い霊能者は低いものしか霊視出来ないといわれている。それはともかくとしてそれぞれのやり方で除霊が行われ、一件落着のように見えるが、本当は問題はそれで終るのではない。
 その時は除霊が成功したとしても、憑依されていた人自身の波動が高くならなければ、除かれた霊はまた戻ってくる。あるいは出て行った浮遊霊の後に別の浮遊霊がやってくる。体質が霊体質の人は特にその自覚が必要なのである。そのことを霊能者は声を大にしていわなければいけないと私は思う(あるいはいっていてもテレビ局が勝手に除去してしまうのかもしれないが)。

  佐藤愛子『私の遺言』新潮社、2002年、pp.254-255

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 51-u (怒りの振動は自分自身のもとへ怒りを引き寄せる)

 すべてのパーソナリティーが、それ自身のもとに同じような振動数、あるいは欠点をもつパーソナリティーたちを引き寄せている。怒りの振動数は、怒りの振動数を引き寄せ、強欲の振動数は強欲の振動数を引き寄せる。
 同質結集の法則は、どんなときにも休みなく機能しているのである。愛が愛を引き寄せるように、ネガティブな性質はネガティブな性質を引き寄せる。よって、怒ってばかりいる人間の世界は、怒ってばかりいる人々で満たされ、強欲な人間の世界は、強欲な人々で満たされることになる。愛に満ちた人間が住んでいる世界は、もちろん愛に満ちた人々であふれている。

  ゲーリー・ズーカフ『魂との対話』坂本貢一訳
     サンマーク出版、2003、pp.228-229

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 51-v (形態は変化しても生命は永遠に続く道程である)

 いかなる尺度をもってしても地上の人生は短い。が、それをもって物事の判断の基準としてはならない。なぜなら生命そのものは死後も続くからである。人間は生まれては死んでいく。生命の始まりと終わり(と思えるもの)を見つめることができる。人間だけでなく動物も植物も、そして思想さえもそうなのである。
 が、あなたが見ているものは幻覚なのである。生命は永遠に続く道程なのである。形態は変化しても生命そのものは続いている。生命に休止はない。順調に進歩していても、自分の行為でその速度を落とし、一見すると退歩しているかに思えるかもしれない。が、生命の進化は厳然たる事実である。それには終わりはなく、常に進歩的である。あなたもその進化の機構に組み込まれているのである。

  M.H.テスター『現代人の処方箋』近藤千雄訳
    (潮文社、1988)pp.39-40

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 51-w (生死は人生のほんの一部にすぎない)

 人間のサイクルは宇宙のサイクルに反映しています。新しい星が生まれては消えるようにあなたがたも生きて死ぬのです。それでも宇宙は広がり、成長し続けています。大きな精緻な力が生命を形作り、導いているからです。
 生死は人生のほんの一部にすぎません。人間が地上に最初に降り立って以来、繰り返しています。けれど人類の意識の精緻な力は広がり、これからも続くのです。ひとつひとつの生死のたびに暗闇がとりのぞかれ、明るい光がとってかわります。宇宙の規模でも同じように、天体が内破すると、宇宙の暗い部分を引き出し、明るくなっていくのです。
 生と死はいつも交互にやってきます。空間と時間に存在する限り、あなた方は常に変化の中にいます。魂が向上すればするほど、視野がひろがり、自分達の厳しい状況が見えてきます。その厳しさはあなた方が本当の自分を理解するまで、あるいはあなた方とともに存在し、私達に希望を与えてくれるスピリットを理解するまで、あるいは誰かが亡くなったときまで続くのです。

  ゴードン・スミス『なぜ、悪いことがおこってしまうのか』
     (ノーマン・テイラー・邦子訳)ナチュラルスピリット、2011、pp.279-280