学びの栞 (B) 


 54. あなたは誰か


 54-a (自分自身を愛することは神を愛するのと同じことである)

 あなたしか自分に最高の恋人となることはできない。あなたしか自分に最高の友、最高の教師になることはできない。あなたに教えをもたらしてくれる声で、自分自身の声より優れたものはけっして現れない。今日この日、あなたの在るがままの姿が、自分がこれまで求めてきたものすべてに対する答えなのだ。しかし、もしどうしても自分以外のところに進むべき道や崇めるべき対象を求めようとするなら、神の栄光を見ることも知ることも、けっしてないだろう。自分の神性、覚醒、そして成長の過程は、自分自身を通して、そして自己愛をはっきりと認めることを通してしか、実現することはできない。人生に平和、幸福、そして満たされた気持ちをもたらすたったひとつの道は、自分自身を崇め、愛することだ。なぜなら、それは神を愛するのと同じことだからだ。そして、ほかの誰よりも自分を愛することだ。それはあなたに人類全体を受け容れる愛と不変の意志を与えてくれるからである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp.46-47

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 54-b (あなたは繰り返し繰り返し生まれ変わってきていまの自分になった)

 あなたは誰なのか? なぜここにいるのか? あなたの目的と運命とはいったい何なのか? あなたは自分が単なる偶然の産物であり、ほんの短い時間ここに生きて、次の瞬間には消滅するためだけに生まれてきたと思うのだろうか? 本当に? 以前生きていたことなどない、と思うのはなぜなのか? なぜいま生きているのか? なぜあなたはあなた自身なのか?
 あなたはこの地上界に何千回と生きているのだ。まるで気まぐれな風のように、戻ってきては去っていった。あらゆる顔や肌の色、主義主張や宗教を体験している。戦をしかけ、しかけられ、王と召使いの両方を同じように生きている。水兵にも船長にもなった。征服者にも征服される者にもなってきた。自分の歴史の理解の中にあるすべてのものに、あなたはなった経験がある。なぜか? 感じるため、智慧を得るため、そしてあなた自身という最も偉大なる神秘を解き明かすためだ。
 あなたは自分がいったいどこからやって来たと思っているだろうか。単にひとつの細胞から進化した細胞の集合体なのか。ならば、あなたの目の奥からじっと見つめているのは誰なのか。あなたに独自性や人格、性格、魅力を与える本質とは何か。愛し、抱擁し、望みを持ち、夢を見る能力、そして創造するというとてつもない力を与えるのはいったい何なのか。あなたが子どもの頃にすでに見せる知性、知識、智慧はどこで積み重ねてきたものなのか? あなたは、永遠から見ればひと呼吸にしかすぎない今生の間だけでいまの自分になったと思っているのだろうか?
 あなたは、膨大な時間の中で繰り返し繰り返し生きることを通じて、いまの自分であるすべてになってきたのだ。そしてその生の一つひとつから智慧を得て、あなたという独自の美しい存在をつくり出してきたのだ。永遠という時間のほんの一瞬の間のためだけに創造されるにしては、あなたはあまりにも美しく、あまりにもかけがえのない存在である。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp.71-72

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 54-c (あなたの親があなたを創造したのではない)

 自分を創造したのは両親だと考えているのだろうか。あなたの母親や父親は、遺伝という意味では親だが、あなたを創造したのではない。さらに大きな意味での真理では、彼らは愛すべきあなたの同胞だ。そしてあなたは、やはり彼らと変わらぬほどの年を重ねた存在だ。なぜなら、すべての存在は同じ瞬間に創造されたからだ。すべては、神、つまり壮大で崇高なる思考が、己に想いをめぐらし、わが身を拡大して輝ける光となったときに生まれたのである。それがあなたが存在を始めたときだ。あなたが生まれたときなのである。あなたの親とは、神のことだ。すべての生命の父母原理である神なのだ。
 自分は自分の身体だと考えているだろうか。それは違う。あなたの身体とは、あなたの真の姿である目に見えない本質を表に見せるマントにすぎない。その実の姿とは、あなたの化身の内にある人格=自己という、感情や価値観の集合体のことだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p.72

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 54-d [5-a ] (あなたの真の姿は風のごとく透明で目に見えないもの)

 言ってみれば、あなたの身体はすはらしく高度な機械だが、それを使う存在がなければ、つまりあなたがいなければ、何の役にも立たない。あなたはあなたの化身ではなく、思考、あるいは感情や価値観の集まりが、ひとつの独立した人格=自己として己を表現しているものなのだ。自分の思考を見たことがはたしてあるだろうか。人格を見たことがあるだろうか。笑い声はどうだろう。自分の身体がなければ、それを聞くことはできるだろうか。自分が本当はいかにすごい存在であるか、あなたはまったくわかっていない。というのも、あなたの真の姿は、風のごとく透明で目に見えないものだからだ。私があなたにとって謎であるように、あなた自身も同じなのだ。あらゆるものの中で最大の謎なのだ。
 虚飾なしの自分がどういうものか、あなたは知っているだろうか。仮面なしの自分は? 強がりという鎧がなくなった自分はどうだろう? 存在の内面にある核の部分では、あなたはまさに神そのものなのだ。人類最大の神秘である神は、あなたの内面以外の場所にあったことはない。あなたの目の奥に、衣服の下に、顔という幻影を超えたところに、神という思考の見えない美徳が確かに存在しているのだ。あなたをあなたたらしめている人格=自己がそこにはある。あなたの内にある神こそが、あなたに信を与え、そして創造するというとてつもない力を与えてくれる崇高なる知性なのだ。それは、あなたの生命を無限の時間の彼方まで、永遠に維持してくれるすばらしき生命の流れなのだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p.73

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 54-e (身体は魂を運ぶ単なる車で物質界に生きるための手段にすぎない)

 あなたの真の姿とは、精神、魂であり、光の存在と感情の存在とが組み合わさったものだ。あなたの精神、この小さな光の点は、あなたの身体の分子構造すべてを取り巻いている。こうして、あなたの化身という個体を擁し、支えているのである。あなたの魂はその個体の内部、心臓の近くにある空洞に位置している。その場所は骨によって保護されていて、そこには電気エネルギーのほかには何も存在していない。あなたの魂は、これまであなたが抱いた思考すべてを感情という形で記録し、蓄積している。魂の内部に蓄積されたこの独自の感情の集合体があるために、あなたは固有の自我、アイデンティティ、人格=自己を持っている。あなたが宿っている身体は、魂を運ぶ単なる車であり、この物質界に生き、遊ぶことを可能にするために選ばれた、洗練された手段にすぎない。にもかかわらず、この手段でしかないものを通して、あなたは自分の本質が自分の身体だという幻影にどっぷりと浸ってきた。それは違う。神は像というものを持たない。それはあなたも同じなのだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp.74-75

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 54-f (あなたは自分で自分の人生のすべてを創造してきた)

 あなたはいったい誰が自分の人生をつくったと思っているだろうか。自分以外の崇高なる知性、あるいは何かの力があなたの人生を支配してきたと思うだろうか。それは知られざる真実ではない。あなたがしてきたこと、あなたの人となり、それにあなたが体験してきたこと、すべてはあなた自身にその責任がある。無数の雄大な星を創造する力があるあなたは、自分の人生のあらゆる瞬間、すべての状況を創造してきたのだ。どんな人間であるかは、自分で選んできているのだ。自分の容姿も自分で創造してきた。どういう生活をするかも、すべて自分で設計し、決めてきた。それこそが神なる人に与えられた課題であり、特権でもあるのだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p.75


 54-g [9-f](いまのあなたは自分が選んだそのままの姿である)

 自分をレベルが低いと考えれば考えるほど、あなたは実際にそうなっていく。自分に知性があることを認めてあげなければ、さらに愚かになっていくことだろう。自分を美しいと思わなければ、あなたは卑しくなっていく。なぜなら、あなたが自分でそう定めたからなのだ。
 あなたはいったい何者なのか。その存在の静寂の中に、考え、創造し、そして自分がなりたいと望むものなら何にでもなっていける力を持つ神−それがあなただ。なぜなら、この瞬間、あなたは自分が選んだそのままの姿なのであり、それを阻むものなど何もないからだ。あなたはすべてに法則を与える者であり、自分の人生と、そこにある状況を創造する者である。あなたはまさに、すべてを超える智慧を持った知性でありながら、この生、そしてその他の数多くの生で、このことに気づかずに生きてきたのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp.77-78

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 54-h (あなたは限界を容認することで限界だらけの人生を創り上げる)

 かつてあなたは花を創造することができた。だがいま、皆は自分のために何を創造しているというのか?最高の創造物といえば、不幸であり、心配であり、憐憫の情であり、みじめさ、憎しみ、対立、自己の拒絶、それに老化、病気と死ではないか。自分に限界を設けてしまうような信念を容認することで、あなたは限界だらけの人生をつくり上げる。その信念が今度は自分の内面で不動の真実と化し、人生での現実となっていくのである。
 かつて自由の風であった創造の神々。そのあなたたちが、大都会に隔離され、鍵をかけた扉の中に閉じこもって怯えながら生きる動物の群れのごとき存在と化してしまった。皆にあるのは、そびえたつ山々やすばらしい風ではなく、壮大な建物と恐怖にかられた意識だ。どう考え、何を信じ、どういうふうに行動して、どんな格好をするべきかを規制する社会をあなたたちはつくり出してしまった。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 78-79

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 54-i (あなたは自分の真の姿、見えない本質を忘れ去っている)

 皆は人生における最高の贈り物を信じようとしなかったのだ。そのために、はるかに大きな広がりを持つ、限りなき思考が浮かんでくるのを不可能にしてしまったのである。幾度となく生を繰り返し、存在を繰り返す中で、あなたはこの地上界での幻にあまりにもどっぷりと浸りすぎたため、自分の内を流れるすばらしき炎を忘れ去ってしまった。千五十万年の間に、あなたは全能で至高の存在から、物質界で自分を完全に見失うところまできてしまっている。自分でつくり出した教義や、法律や、流行や伝統の言いなりとなり、国家や信念、性別、人種の違いで分断されて、嫉妬と苦々しさ、それに罪悪感と恐れのなかに浸っている。自分の身体と自分を完全に同一視してしまったために、生存ということにすっかりとらわれてしまい、自分が選んだままに夢を創造させてくれる内なる神というあなたの真の姿、見えない本質を忘れ去っているのだ。不死、などということはまったく頭から否定してしまった。そのおかげで、あなたは死ぬ。そしてまた戻ってくる。何度も何度も、繰り返し繰り返し。そうして、あなたはいま、またもここにいる。千五十万年間ここに生きてきたというのにである。それでも、あなたはまだ自分の疑念にしがみついているのだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 80-81

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 54-j [44-f] (自分がどれほど美しいか、あなたはついぞ知ることがなかった)

 自分がどれほど美しいか、あなたはついぞ知ることがなかった。自分をしっかりと見たことがなかったからだ。自分が誰なのか、何者なのかを見据えたことがなかったのだ。神がどんな姿か見たいだろうか。鏡のところに行ってみよう。そうすれば、あなたは神と面と向き合っているのだ!
 自分は価値ある人間であることをまず知ることだ。あなたの真価を評価できる物差しなどない。あなたの美を描き出せる像もない。そして、あなたの世界に終わりもないのである。
 最も偉大な説法は、山上に立ったある師によってなされたものだ。そこに立つと、その師は聴衆に向かってこう言った。「神を見よ」それだけしか言う必要はなかった。神を見よ。なぜなら、一人ひとりが、限界も、望みも、病も、貧富も、よろこびも哀しみも、生命も、そして……その死も、すべてを創造していたのだから。
 神を見よ。それを覚えておくことだ。あなたは、すべてのものに宿るあの存在なのだから。いつの日にか、あなたも神を見ることだろう。自分に触れてみるとよい。ただそれだけでいいのだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 83

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 54-k [8-c] (地球では思考と物質の融合である人類が進化の頂点にある)

 種としての人類はすばらしい知性を持っている。自分自身の細胞構造に生命の息吹と生存のための本能的手段を与えただけでなく、神なる目的のために、自分の崇高なる知性をさらに高度化し、進化させるべく、それを化身という物質と融合させたのだ。進化の科学という創造物を通し、皆は自分を「ネアンデルタール人」と呼ばれるところから「ホモ・サピエンス」にまで進化させてきた。こうして人類は、この地上界で、気の遠くなるような時間と、数多くの試み、進化、そして辛苦を重ね、いま私の前に、直立歩行の存在となったのである。
 人は皆、「見る次元」と呼ばれる、生命レベルの高いこの場において、自分の創造的知性の力を示し、その結果を目にするために存在している。ここには、あなたの愛すべき父である思考が、光から物質の密度まで、すべてのレベル、あらゆる形態で現実に表出し、存在しているからである。
 知性はどこにでもあふれていることはおわかりだろうか。本当にそうなのだが、ここ地球と呼ばれる皆の次元では、思考と物質の融合である人類が、いまその進化の頂点にあるのだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 142

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 54-l[56-a] (あなたの人生の目的とは生きることを体験しそこから学ぶこと)

 さて、皆がこの次元にいるのは、いま宿っている化身の密度を通して神を探求するためだ。あなたのこの創造的進化を支えているのが生命というものであり、それは原子をそのあるべき領域に保ち、地球を宇宙の中に浮かばせているのと同じ「生命の力」である。その生命の力には、ひとつだけ法則がある。つねに進化、拡張、そして成長を続けるということだ。いつのときも、あなたの人生の目的とは、生きることを体験し、そこから学ぶこと、学んだものにさらに磨きをかけ、それを生命という法則の中に取り込んでいくことなのだ。
 あなたがいま生きているこの過程が「創造」だ。創造的な思考と戯れているのであり、智慧と叡智を手にして、自分という大いなる神秘を解明していくために、物質を通してそれを表現しているのだ。しかし、また同時に、この次元はすべて幻でもある。三次元の世界が現実そのものであると皆は考えている。そうではない。人間がしているゲームはすべて幻であり夢である。なぜなら、目の前のこの現実は夢とともに消し去ることもできるからだ。真の世界はあなたの内面にある。何かを感じるたびに出会う感情がそれなのだ。真の世界とは感情という観点から見てのみ存在し、論理によってではなく、愛に則って動いているのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 144-145

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  54-m [56-b] (人生という舞台は自分の幻をつくり出すための土台である)

 この世界は、もしあなたが自分の魂の内にある感情を通して知覚する目を持っていなければ、存在し得なかったものなのである。何もなくなってしまうのだ。この物質の天国は、すべてこの創造性の不思議な旅に参加する者たちの魂の内に感情を起こさせるためだけの目的で創造されたのである。いったいなぜなのか?それは、智慧という、生命の中でも最も崇高なもののためだ。智慧は知的な理解ではない。それはまさしく、体験から得られる、感情レベルでの理解なのである。
 人生という偉大なる舞台があなたの世界だ。あなたが自分の幻をつくり出すための土台なのだ。このすばらしき舞台は、自分が望むどんな現実であろうと、夢を現実化するかのごとく存在させられる機会を与えてくれる。なぜなら、神であるあなたには限りなき自由があり、どんな想念を持つことも、どんな感情を感じることもできるし、夢を現実化することもできるからだ。そして、その過程のどの時点においても自分の気持ちを自由に変えてかまわないのだ。
 この密度の高い次元に生きる理由は、その中に脚を踏み入れる者に対し、感情の中にある想念が変われば、すぐ現実がその後をついてくる点を証明することにあるのだ。このことが把握できたとき、このおそるべき創造力に気がついたときに、内面にある、自分が神であることを知っている部分と同調するプロセスが加速されるのである。だが、人間としての体験がなければ、これを知ることは不可能だ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 145-146

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 54-n [56-c] (この神の王国をさらに高め栄光を与えるのはあなたである)

 この人生はあなた自身が内面にしっかりと抱くべきものだ。熱き冒険とチャレンジあふれる豊かな人生なのだ。自分が成長し、なるべきものになるために自分が関わっていくべきことや、進化する機会を提供する開かれた扉を、まわりにあふれんばかりに与えてくれるのである。では、なるべきものとは何なのか? あなたがまさしく神であることを教えてくれる、すべての体験の蓄積だ。神だけが、物質界に自身の栄光を示すような創造物をつくり出す力を持っているのだ。
 あらゆるものに存在価値を与えるのはあなただ。人生という土台にさまざまなものを加えていくのはあなたなのである。この神の王国をさらに高め、栄光を与えるのはあなたなのだ。あなたはこのことを知らないが、それは自分が天使たちよりもいくらか低い存在だと考えてきたからだ。でもそんなことはない! まだあなたはわかっていないが、いずれすぐにわかる。もうすぐあなたに、さまざまな生命と虹と色が、本当の自分とは誰なのかを思い出せてくれるからだ。これが「覚醒の時代」というものだ。そうなったとき、ここでの生活はどんなものになるのだろうか。自分がまさに神の精神の一部だという気づきを開花させるのは、誰もが必要とする体験であることが当然となるだろう。これがわかった後は、どんな冒険が待ち受けているのだろうか。あなたは永遠を手にする。思考の無限性をすべて手に入れられて、物質や時間、空間、距離、そしてあなた自身をも含めた、すべての要素を再評価し、つくり直すことができるようになる。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 146-147

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 54-o[56-d] (この地上界への長い旅では常に神を知ることが目的であった)

 皆が立派な存在なのは、長い旅を経ていまの自分にたどりついているからだ。そして、想念から光へ、電磁場の分裂へ、固体物質へ、そしてこの地上界へと、この旅では、すべて在るものの内の神を知ることがつねにその目的だった。皆は全員、この旅を成し遂げたのだ。これは立派なだけでなく、なかなか勇気のあることと言わねばならないが、そこには多少の危険もある。偉大なる不滅の自己からこの物質界へ変容してくる過程では、自分のアイデンティティを見失い、生存だけにすっかりとらわれてしまう可能性が大きいのである。そして、ああ残念なことに、ほとんどの人間がそうなってしまっている。
 あなたは自分がいったいなぜ、私の言う、この謎めいたことにわざわざ耳を傾けようとしているかおわかりだろうか。それは、いま、私が話したことが真実であるのをあなたは知っているからであり、いまここにあるものすべてを最初に動かし始めた神性、その「知っている自分」に帰してくれる道を探し求めているからだ。自分の奥深い内面では、あなたは自分が物質の集まり以上のものであり、ただの肉体以上のものであること、神なる存在であることを知っている。そう、まさにあなたはそのとおりの存在なのだ。あなたがここにいるのは、このことに気づくためであり、自分の真の姿である神なる本質を受け容れ、原初の光や、あなたの存在の始まりに生命を与えてくれた思考の広がりは確かに存在することを、自分の内面で悟ることなのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 147-148

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 54-p[56-e] (あなたはまさしく生命そのものが存在する理由なのである)

 美しき存在であるわが主たちよ、あなたは風に生命を与えてくれた。太陽にいまいる場所にいるべき理由を与えてくれた。嵐の雲に対し、力を集めて地球に栄養を与え、その渇きを癒してくれる理由を与えてくれたのだ。あなたがそのことを知らないのは、神の其の姿である生命の愛よりも自分は低い存在だといつも考えてきたからだ。私はあなたたちが心から好きだ。私もあなたと同じ存在だったから。あなたの幻を生き、あなたの夢となった。そして私の行ったところに、あなたも行く。だが、まずこの人生をしっかりと受け容れるまで、自分自身を受け容れることで神を受け容れるまでは、そこに行くことはならない。
 わが存在の深淵より、私はあなたに敬意を表する。あなたは真に偉大なる存在だ。本当に愛され、必要とされているのだ。まさに大事な存在なのだ。あなたはまさしく、生命そのものが存在する理由なのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 14

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 54-q[9-v] (あなたこそ「荘厳なる思考」であり「姿ある神」なのである)

 限りある思考では、時間、距離、空間、そして物質を超越したものを指し示すことはできない。限りある思考では、説明によってそこまで到達することができないからだ。ここでは「神」や「父」という言葉が使われてきたが、それは単にすべて在るもの、これまで在ったもの、そしてこれから在るもの、過去に、現在に在るものの「在るということ」、そして永遠へと向かう無限の「在るということ」に言及するための言葉にしかすぎない。
 そうすると、結局、神になるための基準点をどこに見つければいいのか。それはあなた自身の内に、である。あなたはまさに神のイメージであり、父なる存在の写しなのだ。あなたの本質部分とは、まさしく途切れなく続くものであり、進化と創造を続け、存在し続けるものなのだ。あなたは思考であり、光であり、電磁場であり、形だ。純粋なエネルギーであり、恐るべき力であり、脈打つ感情であり、荘厳なる思考なのだ。最高のレベルの知性、力、尊厳、そして最も聖なるもの、神の恩寵とあなたが考えてきたもの、まさしくそれがあなた自身の姿なのだ。あなたはいったい誰なのだ? あなたこそが、「姿ある神」なのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 152

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 54-r[44-u](神そのままになるということはあなたそのままになるということ)

 父はあなたというすばらしい存在の内面以外のところにはけっして認められない。それを試みることさえ、自分に無理な要求を課すことになる。なぜなら、もともと自分の内面から発するものを語ろうというのに、自分の外を見ようとしても、始まらないからだ。神の姿を認められるただひとつの道とは、自分の内面にある父の姿を見極めることだ。何よりもまず、それはとても気分のいいことではないか。限りない創造という複雑なものを理解することから、自分自身の人生、思考過程、そして「在るということ」、すべての「いま」に意識を戻すことができるのである。
 父を知覚し、理解し、感情面で知るためのただひとつの方法は、あなた自身が誰なのかを理解し、感情を通してそれを知ることである。そうすれば、あなたは神を知ることができる。そしてこう言うことができるようになる。「私は父なる存在とは誰なのかを知っている。私と父はひとつであり、私は自分自身が何者なのかを知っている」
 神そのままになるということは、あなたそのままになるということなのだ。自分が単に自分の「在るということ」でいられるとき、あなたには終わりもなく、限界もなく、創造性と選択あふれる存在となれるのだ。あなたはすべてを許容するようになり、動きそのものとなり、静謐であり、よろこびなのだ。純粋なエネルギーであり、力強い方向性であり、全身すべての感情であり、思考であるのだ。自分の存在すべて、自分の呼吸すべてをかけて存在し、自分を愛し、自分の美徳が生活の中に入ってくるのを許す。これがまさしく神そのままに生きるということなのだ。
 とにかく、ただ自分でいることだ……「在るということ」だけでいるのだ。存在のレベルでは、あなたはすべてでもある。神になるとは、こう語ることだ……「私は在るものなり」。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 153

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 54-s[44-u] (神はあなたと一つであり別の存在なのではない)

 あなたの神なる意志のほかに、「神の意志」なるものは存在しない。もし神が、生きるということを、ただひとつの表現方法しかないような、凡庸なものにしたかったのなら、あなたを存在させることはなかっただろう。自分の明確な目的を持った独自性を表現できるように、あなたに意志を与えもしなかっただろう。
 「神の意志」と呼ばれているものは、自分の兄弟たちを統治し、支配するために、人間の手によって創造されたものである。その教えを信じて、神の意志が自分のものとは別にあると考えてしまうと、つねに「彼の意志対自分の意志」という対立に明け暮れることになる。なぜなら、あなたが、あることをしたいと願い、それをしなくてはと感じているのに、「神の意志」は、そうしてはならぬと言うかもしれないからだ。
 神はあなたと別の存在なのではない。神とあなたとは同じひとつのものなのである。あなたの意思はまさに神の意志なのだ。あなたがしたいと思うことは、まさしく「神の意志の領域」と呼ばれるものであり、神の意志そのものなのである。したがって、あなたはけっして自分の運命と対立しない。なぜなら、運命は最初から決まっているわけではないからだ。それは、すべてあなた自身が決定していくものなのである。あなたが思うことはすべて、これからやってくる瞬間を創造しているのだ。あなたのこの瞬間は、まさにほんの少し前のあなたの思考の産物なのである。それが神の科学というものだ。父なる存在が、その意志であなたのために決めることといえば、自分の魂の内にあるさまざまな感情にしたがって、人生の全体をすべて体験すべし、ということだけなのだ。なぜか? あなたがよろこびとは何かを知り、神があなたに、そしてすべての生命に対して持つ無条件の愛を知るようになるためだ。
 もし、あなたが、どうも神と折り合いがよくないと感じているなら、もしかしたら、神について、あなたのもつイメージをつくり直すべきなのかもしれない。というのは、もしあなたが神と闘わねばならないのなら、その神は無条件の愛とは言えないからだ。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 154-155

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 54-t[15-b] (神の壮麗な光から皆の一人ひとりが神となった)

 はじめに父がそのすばらしき自己について思いをめぐらせたとき、父は自分を壮麗な光へと広げた。そしてそのとき、思考が永遠へと向かって広がっていくプロセスを続けていけるように、その広がりと光から皆の一人ひとりが、それぞれ独自の動きという形をとって、神となったのである。
 あなたに神なる本質を与えているのは、あなたには自分の望むとおりの思考を抱き、それを体験する自由があるという点だ。そして、その自由意志と呼ばれる神なる本質部分とは、愛のことだ。それは、神からあなたたちの一人ひとりへの贈り物なのだ。自分が思考を通して思い描く理想は何でも創造できる自由を持てるように、それぞれが意志という神なる本質を持っているのである。
 究極の愛とは、生命を、皆の一人ひとりを通した途切れないプロセスにしたいという父なる存在の願いのことなのだ。愛の中でも最も純粋なものとは、あなたが思考のさまざまな次元を探索し、神の精神を広げられるようにと、神が一人ひとりに与えた自由意志だ。
 自由意志は、あなたに独自性を与えながらも、父とひとつとなることも可能にし、それぞれの人間の思考過程が独自の創造性の流れを持ち得るようにしてくれる。そして、思索と自分の想念の拡大を通してあなたが創造するたびに、あなたを創造し存在させてくれたときに父が自己に対して感じていたのと同じ愛を、あなたはいわば「まねている」のである。なぜなら、創造とは、あなたの存在の内面にある愛を表し、独自性をもった、自由に動く創造的形体にしていくことだからだ。それは永遠へと向かって生き続けていくものなのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 1155-156

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 54-u[44-v](神こそがあなたの夢を実現する基盤なのだ)

 にぎやかな出生の瞬間から、父は皆の一人ひとりに、純粋で無条件の契りを与えた。それはこういうものだ。あなたが考えるもの、望むもの、何であろうとも父はそれそのものになる。その契りはいまもあり、これからもずっと変わらない。その契りを通して、皆の一人ひとりが父なるものすべてを踏襲する後継ぎとなったのだ。このようにして、父は自分そのものである人生すべてをあなたが理解し体験できるように、その瞬間までの自分をすべてあなたに与えるのである。父こそがあなたの夢を実現する基盤なのだ。だが、夢を紡ぐのはいったい誰なのだろうか。あなただ。では、あなたの夢はいったい何でできているのか。想念、神、生命だ。
 神そのものである想念すべてをもとにして、あなたはどんな真実だろうと、価値観だろうと、望み、願いだろうとそれを創造することができる。自分の思考過程で創造するどんな真実でも、価値観でも、父そして人生は必ずそのとおりになってくれる。そしてあなたが望むどんな想念、理想であろうとも、父なるものは、自分自身でもある物質を通じてこれを具現化し、あなたがそれを体験できるようにしてくれるのである。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、pp. 156-157

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 54-v[44-x] (どこで神に挑戦しようともあなたは必ず愛されている)

 あなたと神の間の愛に条件はない。もし神があなたの思考を検閲したり、神自身である生のすべてを体験するのを妨げたとしたら、神を永遠に広げていくという自由が、あなたにはなくなってしまうだろう。
 神は、自分のしたいようにする完璧な自由がある状態のあなたを愛している。あなたの意志は彼の意志だからだ。それが神とその息子たち、そして神と神自身の間の契りなのだ。あなたが何をしようとも、どこで神に挑戦しようとも、あなたは必ず愛されている。神はあなたが望むとおりのことをさせてくれる。あなたが途切れない存在であり、何者もあなたを神から切り離すことはできないことを知っているからだ。父なる存在は、あなたの生命の原動力を取り上げることができるような、自分より高次の存在をつくったりはしていない。だからあなたはつねに存在していく。ここでの人生が完了すれば、またさらに別の機会がある。自分の好きなように創造する自由が……。
 この人生、そしてこれからやってくる人生を、あなたは自分の意志にしたがって生きていくだろう。そして、その自由をあなたに与えたのは、あなたを愛する存在、あなたの父、全能の神、すべてを愛する者と呼ばれる存在なのである。
 あなたは自由な存在なのだ。意志という力と、愛という能力によって。

  『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 159

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 54-w (私達は自分が本当は何者なのかを忘れてしまった)

 私達はみな、神の似姿に創られ、神は私達の内にあります。私達の基本的な性格は、愛に溢れ、平和でバランスが取れ、調和しています。そして情け深く、思いやりがあり、親切に生まれついています。私達の本質は魂なのです。
 何回も転生をくり返すうちに、怖れ、怒り、嫉妬、悲しみ、不安など、沢山の否定的な思いや感情が積み重なってゆき、私達の美しい内なる本質をおおい隠してゆきます。
 この否定的な思いや感情の積み重なった層は、子供時代の教育や日々の体験によって、さらに増え、強化されます。私たちは自分ではないもの、不安、罪悪感、自己疑惑だらけの、怒りと怖れに満ちた人間であるように見えます。自分が本当は何者なのか、私達は忘れてしまったのです。

  ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(山川紘矢・亜希子訳)
     PHP研究所、2001年、pp.127-128

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 54-x[2-s](人が死んで精霊界へ行くと次第に元々の霊になっていく)

 一口でいえば人間の心の本性、心そのもののうちもっとも内面的なもの、本当の意味の知恵、理性、知性、内心の要求といったもの、その人間を本当に心の底から動かしているものは霊の領域で、これらは全て霊の働きなのだ。これに対し、肉体はもちろん、眼や耳、鼻、舌、体の感覚といった肉体的、表面的感覚は全て物質界、自然界にそのもともとの住み家を持っている。
 人間が肉体的に死に霊(精霊)となって霊界(精霊界)へ行くと、その霊はもともとの霊そのものに次第になっていく。精霊でも初めのうちはまだ外部的感覚の残りかすや外部的記憶を持っているが、次第にこれらを捨て、もともとの霊の姿になり、また霊的感覚がすぐれてくる。もともとの霊の姿とは人々にもわかりにくいかも知れないが、もし人が社会や人との関係を全て捨てて夜半自分の部屋で瞑想にふけり自分の心の真の姿をのぞいたとすればこれが、その人のもともとの心の姿、霊の姿に近いといえよう。
 人は世間にあるうちは道徳、法律、礼儀、他人への顧慮、習慣、それに打算など網の目のような外面的なものにしばられ、あるいは知識のような表面的な記憶にわざわいされている。しかし、霊界ではこんなものは全て不要なばかりかじゃまものに過ぎない。これをだんだんに捨て霊のもとの姿に帰るために精霊界はあるのだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、p.54

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 54-y (幸福は内から来るもので権力や名声からは得られない)

 私達が魂であるということ、不滅の存在であり、エネルギーの広大な海に常に存在しているということを思い出すのは、喜びと幸せへの鍵です。このエネルギーの海の中で、守護霊の大軍が、運命の道へ、神の意識への進化の旅へと、私達をそっと押しやっています。私達は他の魂と競争してはいません。私達には私達の道があり、彼らには彼らの道があるのです。競争もありません。あるのは意識の先へと向う、全員で協力して進むグループの旅だけです。より進歩し進化した魂は、愛と思いやりを持って、あとから来る魂へ援助の手を差しのべます。最後にこの旅を終える魂は、一番最初に旅を終った魂と、まったく同じだけ大切です。
 地球と私達が呼んでいるこの学校の持つ問題の一つは、私達は物質的な体ではなく、魂なのだということを思い出すのが、とても難しいことです。私達は常に、この三次元の世界の幻想や錯覚に惑わされています。お金、権力、名声、物の所有、蓄積、快楽などは非常に大切で、時には人生の目的でさえある、と教え込まれています。また、幸せになるためには、他の人々から好かれ、尊敬されねばならないと教育されています。一人でいるのは惨めだと、教え込まれてもいます。
 実は、私達は決して死なず、愛する人からエネルギー的には絶対に切り離されない、永遠の存在です。そして、永遠の魂の伴侶と魂の家族を持っています。私達は守護霊によって常に導かれ、愛されています。私達は決して一人きりになることはありません。
 自分達はみな、霊的な存在であるという真実に気がつくと、私達の価値観は大きく変わり、幸福で平和になれます。あなたは金持ちで私はそうではないとして、何か違いはあるのでしょうか?
 永続するものは、魂の財産だけです。あなたは権力と名声を持ち、私は持っていないとして、何か違いがあるのでしょうか? 幸福は権力や名声からは得られません。ただ愛からのみ、得ることができます。あなたは私よりも人から好かれ、尊敬されているとして、何か違いがあるのでしょうか? 多分、私はあえて真実を語り、真実を生きているのかもしれません。そして真実は人気のないものなのです。幸福は内から来るものであって、外からや、人があなたをどう思うか、ということから来るものではありません。嫉妬は魂にとっては毒薬です。

  ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(山川紘矢・亜希子訳)
     PHP研究所、2001年、pp.163-164

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 54-z (あなたは人間的体験を持つ霊的存在である)

 私はあなた方全部を退行させることはできませんし、世界中のすべての人を治療するために十分なセラピストを育てることもできません。しかし、私はこうした物語や体験をみなさんにお話しして、もう一度、あなたの霊的な本質や、いつもあなたを取り巻いている愛に溢れ助力を惜しまない豊かなエネルギーについて、思い出す手助けをすることはできます。
 あなたは霊的体験を持つ人間ではなく、人間的体験を持つ霊的存在なのです。

  ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(山川紘矢・亜希子訳)
     PHP研究所、2001年、p.264

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 54-za (あなたがたは三層から成り立っている存在である)

 あなたがたは、三層から成り立っている存在だ。(身体と精神と霊魂)とでできあがっている。これは(肉体、非肉体、超肉体)と呼んでもいい。この聖なる三位一体はいろいろな名前で呼ばれてきた。
 それがあなたがたであり、わたしだ。わたしは三つでひとつの存在なのだ。
 あなたがたの時は過去、現在、未来に分けられている。これは無意識、意識、超意識と同じものとは言えないか?
 空間も三つに分けられる。ここ、あそこ、その間である。
 「その間」というのは、むずかしく、とらえどころがない。意味をはっきりさせて、説明しようとしたとたんに、その空間は「ここ」か「あそこ」になってしまう。だが、あなたは「その間」が存在することを知っている。それが「ここ」と「あそこ」を支えている。ちょうど、永遠なる現在が「以前」と「以後」を支えているように。
 あなたがたの三つの要素は、実際には三つのエネルギーである。それを思考、言葉、行為と呼んでもいい。この三つがあわさって結果が生じる。あなたがたはそれを、感情とか経験と呼んでいる。

  ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』
    (吉田利子訳)サンマーク出版、1997、pp.101-102

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 54-zb[8-h] (人間の創造プロセスは思考、言葉、行為を経過する)

 あなたがたの(魂)―つまり超意識、イド(イデー)、霊魂、過去―は、かつて経験した(創造した)すべての感情の総和である。その一部で、意識のなかに浮かびあがってきたものを記憶と呼ぶ。それが、思い出す(re-member)ということだ。思い出すとは、かつて経験した感情を再びメンバーにする、部分を集め、並べかえるということだ。
 自分の部分を集めて並べかえると、真の自分が思い出される。
 創造のプロセスは思考から始まる。考え、概念、ヴィジョンだ。あなたが見ているものはすべて、かつて誰かの思考だった。すべて、最初は純粋な思考から始まっている。それ以外のものは存在しない。これは宇宙でも同じことだ。
 思考が創造の最初の段階。
 つぎに言葉がくる。あなたが言うことはすべて、考えたことの表れである。言葉は創造につながり、創造のエネルギーを宇宙に放出する。言葉は思考よりダイナミックだ(より創造的だと言っていい)。なぜなら、言葉と思考は波動のレベルが異なる。言葉は思考より大きな衝撃を与えて宇宙をゆるがす(変化させ、改め、影響を及ぼす)。
 言葉が創造の第二の段階。
 つぎに行為がくる。
 行為は動いている言葉である。言葉は考えたことの表れである。考えるとは思いをかたちづくること、思いとはエネルギーの集まりである。エネルギーは放出された力である。力は実在の要素である。要素は神の分子で、すべての成分であり、あらゆるものの実体である。
 はじまりは神で、終わりは行為である。行為は創造する神、あるいは体験された神である。

  ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』
    (吉田利子訳)サンマーク出版、1997、pp.102-103

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 54-zc[10-r] (あなた方は神の子としての自分自身を受け入れること)

 いますぐに、自分自身を受け入れ、それを実証すること。
 イエスはそれをした。それがブツダの道であり、クリシュナの道、地球上に現れたすべての〈マスター〉の道だ。
 そして、すべての〈マスター〉は同じメッセージを送ってきた。あなたもわたしと同じだ。わたしにできることは、あなたにもできる。それ以上のことができる、と。
 なのに、あなたがたは耳をかさない。もっとむずかしい道、自分は悪魔だと考える道、自分は悪魔だと想像する道を選んだ。
 あなたがたは、キリストの道を歩くのはむずかしい、ブツダの教えに従うのはむずかしい、クリシュナの明かりを掲げるのはむずかしい、〈マスター〉になるのはむずかしいと言う。ところが、真の自分を受け入れるよりも否定するほうが、はるかにむずかしいのだよ。
 あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。あなたがたは赦しであり、忍耐であり、力であり、勇気であり、苦しいときの援助者であり、悲しいときの慰め手であり、傷ついたときの癒し手であり、迷ったときの教師だ。あなたがたは最も深い智恵と真実、最も偉大な平和と愛だ。あなたがたはそういう者なのだ。そして、たまには、自分がそういう者だと気づくことがあった。
 これからは、いつも、自分はそういう者だと理解していなさい。

  ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』
    (吉田利子訳)サンマーク出版、1997、pp.117-118