学びの栞 (B) 


 60. 霊言・霊視・霊的交信


 60-a (霊界の霊との対話はどのようにして可能か =1=)

 「心直ぐなる太古の人は、その心、霊界に向けて開けおれり、ゆえに太古の人、霊たちと直接に語ることしばしばありき」
 私は、霊界に太古の昔から住んでいる霊と語ったとき、その霊からこのようなことを聞いて、ひとかたならず驚かされたことがある。
 その霊は、心が素直で霊界への心の窓が開かれていた太古の人たちの中には、肉体を持った人間のまま霊と直接会話を交じえることのできる人々がかなりしばしばあったというのである。
 その霊は私を霊界のさびしい海岸へ連れて行った。その海岸には何百万年も、いやもっと前からだろう、同じ浪が寄せては返し、寄せては返して来たのに違いない。私には、この海岸と浪だけがどこまでも広がる光景がまさに霊界の太古の光景と思われた。
 霊は海岸につくといった。
 「されど、今、人間界に太古の人あらず、よって、われ汝に表象によりて、太古の人と霊との語るさまを見せん」
 彼は、霊界だけに許された表象という手段を使って私の目の前に、太古の人と霊との語り合う様子を再現させて見せてくれた。だから私がこれから記す太古の人と霊との談話のもようは私が実際の場面を直接見たものでなく、表象によって見せられたものによって語ることとなる。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.191-192

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 60-b (霊界の霊との対話はどのようにして可能か =2=)

 表象により私の目の前には三人の太古の人が現わされた。その身にまとう衣服、それに直ぐなる心を表わした顔つきなど一見して、これが太古のこころ素直なる人々≠ナあることが私にもわかった。
 すると、そこに一人の霊がやって来るのが見え太古の人の一人の前に音もなく立った。太古の人には、まだ、その霊の姿は見えない様子であったが、何かの気配を感じたに違いない、彼の表情が少し変わった。霊には、太古の人の肉体はむろん見ることができない。しかし、霊は太古の人と向き合った。すると太古の人の肉体の中の霊がぼんやりした影を肉体の中に見せ始めた。
 このとき外にいる霊の頭上に、一つの表象が現われるのが私の眼にも映った。その表象は、水の青く澄んだ夜の淵とそこに影をおとしている月、それに何か文字を思わすようなカギ型や線などの連続したものだった。この表象が外の霊の頭の上に現われたことは、その霊が、肉体にある霊の想念(その人の心の奥底の考え)を自分の想念の中に受け取って理解したことを示している。淵の月の影は直ぐなる心を表わし、カギ型や線の連続は、人間の言葉を表わすものだ。
 霊は肉体をもった人間の霊的部分との交流に成功したわけである。だが、これだけではまだ人間との直接の会話は始まらない。なぜなら、外部の霊と人間の自然的想念(人間としての普通の考え)とは、この段階では、まだ連結されていないからだ。
 しかし、やがて外部の霊の想念がこんどは肉体の中にある霊の想念のうちに入って行くのが、空中にうすい煙が流れて行くような感じで行なわれるのが私にもわかった。そして次第に、それはさらに人間の中の霊的想念から自然的想念のうちにも流れ込んで行った。
 ここまで来れば霊と人間との直接の対話が始まるのはもうすぐである。霊と人間との直接の和合が完成したからだ。
 やがて、この太古の人は自分の肉体の内部から霊の声を聞くはずだ。そして、その言葉は太古の人がふだん世間で使っている言葉である。太古の人はいった。
 「霊界に入りし、わが知り人のことをたずねん。汝、知れる限りわれに教えよ」
 霊は、これに対し当然返事をしたはずであるが、これは外部のわれわれには解りようがない。
 「ヨーゼフのこと了解せり。して、ジューディスのことは如何に」
 太古の人の声のみがわれわれには聞える。その人は深い瞑想の中から静かに話し統ける。霊はこの太古の人に内部の声をもって答えているが、外部の者には聞こえないため、これを見た者の眼には瞑想状態の人が静かに自分自身に対して自問しているのだとしか思えない。だが、注意深い眼でみると、彼が問いを発したのち霊が答えていると思われる時間には、彼の音が少しふるえ、あたかも声なき声を発しているかの如き観を呈することがあるはずである。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.192-194

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 60-c (霊界の霊との対話はどのようにして可能か =3=)

 霊と人間との直接対話は、いま話したような形で行なわれるのだが、これが可能な人は私にこのことを教えてくれたさっきの霊によれば「心直ぐなる人」に限られるという。これは、そのような人の心の窓は霊や霊界に対して開けており、外部の霊の想念を受け入れることができるからだ。
 このことに関し霊界では、太古の時代を黄金時代とし、時代が下るにしたがって白銀時代、青銅時代と呼び、現代のことは鉄時代といっている。これは時代を経るにしたがい人間が科学とか世間の名誉や打算とかいった外面的なことにばかり気持を向けるようになったため霊のことをおろそかにした結果、霊の窓が次第にふさがって来たことを示している。だから、さっきの霊の言葉を借りれば「現代には、心直ぐにして霊と対話できる人なし」ということになっているのだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、p.194

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 60-d (霊界の霊との対話はどのようにして可能か =4=)

 では、もう少し霊との対話について説明しよう。いまの話からは霊は、その相手と人間の言葉を使いながら太古の人と会話をしたように見えた。しかし、これは本当は誤解だ。なぜなら霊には人間の言語は一語といえども発せられないからだ。この人間との対話は霊の想念が太古の人の霊的想念の中に流れ入ったのち、さらに、その人の内面の心の中を通ってから、つぎに人間の自然的観念の中へ流れて入ったのだ。そして太古の人には、あたかも自分と同じ言語を使って霊から話しかけられているように聞こえてきたのだ。
 以上の話から解るもっとも大事なことはつぎのことだと私は思う。
 心直ぐなる太古の人々には、このような霊との直接な和合が可能だったということは、つまりは人間のもっとも本来の姿は霊であることを示している-----。
 人間は次第に道に迷い、もとの正しい道から離れてしまったのだ。
 現代の人々に、それもごく限られた人にだけだが、直接的な霊との交流が可能なのは、まだ本当の霊にはなっていない精霊との対話だけである。しかし、精霊との対話は、ときに対話者の肉体を亡ぼし、命を奪われることもある非常に危険なものだが、このことは、またつぎの項で述べることにしよう。
 だが、もしあなたが太古の人のような素直な心を持つなら霊との対話ができることは間違いないのだ。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.194-196

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 60-e[24-d] (天界の魂は地上とコミュニケーションができる)

 地上の生活を離れた後、人間の魂は約三〇年(人間の地上における時間で言うと)で、この天界に到達します。これは人間の魂がふつうの発達を遂げていった場合です。魂の気持ちに逆らって向上させるということはけっしてありません。人間の自由意思は常に優先されます。もしもアストラル界に長くとどまりたければ、自分が望むだけいることができます。その結果、一〇〇年、あるいはそれ以上アストラル界にとどまることになるかもしれません。逆に、速く進んでいきたければ、それも可能です。ただし、それは自分の本当の故郷である神の意識と再び結合することを、心から願ったとき初めて実現します。
 そのような魂が、人間に奉仕しようとして、地上世界に戻るために、すべてを捨て、天界を放棄するとはどのようなことなのでしょうか。これを理解するには、まず最初に、天界の生活がいかに驚異と調和に満ちたものであるかを、ほんの少しでも想像していただかなければなりません。
 天界には、完璧な美しさをもった、本当に安らかで温和な顔をした、素晴らしい安らかさと愛の光に満ちた天使的な存在たちがいます。ここに住むすべての存在は、心なごみ、静かで、至福の状態にあります。呼吸する空気は輝き、精妙なものです。調和のとれた神聖な音楽が絶えず魂の中で奏でられ、なんらかの形で奉仕したり、自分を与えることに、この上ない喜びを見いだします。天界は永遠の安らぎの場所ではありますが、怠惰に流され、ただ休息する場所だと思ってはなりません。このような場所に住むことによって初めて私たちは創造の方法を学び、そしてこれを学ぶことによって私たち自身が創造的になれるのです。
 そういう天界に住む魂の中には、自分の喜びを犠牲にして地上に再び降りて、そこで仕事をする人たちがいます。ダイバーが深い海に潜り、炭鉱夫が地中深くに入っていくのと同じように、降りていく魂はアストラルの衣服を身につけ、再びなんらかの制限がある人格を自分のものにするのです。このような場合でも、そうした低い局面では限られた時間しかとどまることはできません。というのは、天界の魂はそのような暗い環境の中ではあまり長い間生存することはできないために、高い局面に上昇して息をつかなければならないからです。
 天界に住んでいる魂は、地上とコミュニケーションをはかることができるのでしょうか。できます。まさにその目的を果たすためのメッセンジャーがいるのです。聖書の中に、天国と地上の間に置かれた梯子があり、その梯子を天使が降りたり上がったりしているのをヤコブが夢に見たという一節がありますが、この話の神秘的な素晴らしさを理解している人はほとんどいません。
 これはただの子供じみた話だと思う人が多いかもしれません。しかし、これが今でも実際に行なわれているのです。実際に天国から地上に向けてコミュニケーションがなされているのです。悲しいことに、このコミュニケーションの過程で、じつに多くのことが失われ、コミュニケーションの正しい方法について非常な混乱があります。

  アイヴァン・クック編『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』
    (大内博訳) 講談社、1994年、pp.180-181

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 60-f (スウェデンボルグの交霊術 =1=)

 私は、この章では世間の人々に関心を持たれている交霊術の秘密と私自身が求められて行なった交霊術のうち二つ三つの例を記すことにしよう。
 まず初めに交霊術といわれているものの秘密について述べることにする。
 交霊術はいうまでもなく死者の霊との交信によって死者のみが知っている事実などを聞き出し、これを世間の人々に伝える術のことで、これを行なう霊媒といわれる人々(といっても数はいたって少ないが)はいずれも私のいう「死の技術」の所有者である。
 一口に交霊術というが、これには二つの方法がある。その一つは霊が霊媒に憑りうつるなどといわれているもの、もう一つは霊媒の霊が死者の霊と交信して知ったことを霊媒が人々に知らせるものである。
 前の場合は交霊術を行なう霊媒は死の状態において自分の霊を肉体から離脱させたのち交信の相手方の霊を自分の肉体の中に呼び込む。これによって死者の霊は霊媒の肉体を借りた形で、そのロを借りて話したり、手を借りて字を書いたり(訳者註、自動書記現象といわれもの)して人々に通信を行なうことになる。この方法では霊媒の肉体はその顔つきも変わり、声も話し方も生前のその死者の特徴をおびたものになる。これが人々にはいわゆる霊の憑依≠ニして強く印象づけられ、場合によっては、ある種の恐怖感を持たせることもある。この方法は人々にとっては、まさに交霊現象を眼のあたりに現出させ、霊や霊界を直接自分の眼で見る感を与えるから非常に強烈な印象を残すことになるが、反面、霊媒にとっては非常に危険な方法である。この危険については私がすでに精霊との対話の所で述べたとおりだ。
 霊媒に憑依した霊が交霊術が終わったあとでも、その肉体から去ろうとしなかったりすると、ここに霊媒の霊との間で猛烈な争いが起きる。霊媒の霊に代わり、交霊術の対象となった霊がその肉体に居すわるようなことでもあれば霊媒は人間としては死んでしまい、その肉体は別の人格を持って生きるということになる。また、そうはならなくとも、二つの霊の間での死闘の結果、霊媒は、それ以後は精神錯乱を起こしたり、全くの痴呆状態の廃人になってしまうこともあるからだ。
 私が行なった交霊術は、この方法でなく第二の方法であった。この方法もやはり死の状態に自分をおとし入れて行なう点は同じだが、この方法では自分の肉体を離脱した霊によって相手の霊と交信し、その結果を霊媒自身の霊と肉体によって人々に伝える点が違う。これは相手方の霊に霊媒が肉体を貸すわけではないから危険はない。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.213-214

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 60-g (スウェデンボルグの交霊術 =2=)

 では、私自身が行なったもので比較的世間の人々に知られているものを紹介し、それを実際にはどのようにして行なったのかを知ってもらうことにしよう。
 その一つは私の母国スウェーデンの女王に求められて、女王をはじめ忠臣たちの大勢集まった中で行なったものである。女王はそれまで私の噂は聞いておられたが、私が面前でこの交霊術をお見せするまでは本当のところは幾らか懐疑的であったようだ。そこで女王は半分は交霊術をためす意図と半分は、この交霊術の対象となった故人の遺徳を忠臣たちの前に霊媒としての私の口から発表させるという意図で私に交霊術を行なうように命ぜられたことを私はあとで知った。
 さて、それはともかく女王は交霊術に先立ち私に十年ほど前に死んだある将軍のことを知っているかどうかと尋ねられた。私は、そのような名の将軍がいたことすら知らなかったので、知らない旨をお答えした。すると女王は、それはなおさら好都合だといわれたのち将軍の名前だけを教えてくれた。そして、つぎのように命じられた。
 「私は、その者の死後、その者が私にあてた遺書を受取った。しかし、今日まで私はそれを公表しなかったし、誰にも遺書が届けられたことすら話さなかった。関係者が生存していたことと、その者が遺書の中で公表しないよう求めていたためだ。だが、関係者の誰一人この世に存在しなくなった今となっては公表することは一向にかまわない。そこで、汝は、死者の霊と会ってその遺書の内容を聞き出し、ここで忠臣たちの面前に汝の口から公表せよ」

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.215-216

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 60-h (スウェデンボルグの交霊術 =3=)

 私は自分自身の肉体に死の技術をほどこし、肉体を死の状態におとし入れた。するとやがて霊が眼ざめてきた。私の霊は、名前だけしかわからぬ将軍を霊界において探し出す最初の手がかりを得るため女王の肉体の中の霊に呼びかけてみた。このことはむろん女王に気付かれなかったに違いないが、もし女王が交霊術のことに深く通じておられ、また通常人以上に敏感な方であったとしたら、この一瞬(それはほんの一瞬である)ごくかすかな何かの感触のようなものを感ぜられたはずである。
 女王の霊からはほとんど手がかりらしいものは得られなかった。わかったのはその将軍が有徳の人であり、また勇敢な武官であったこと、そして生前の顔つきがかすかに思い浮かべられただけであった。
 私の霊は、このわずかな、そして漠然たる手がかりだけで霊界へ入っていくことになった。だが、こんなわずかな手がかりだけで広大無辺な霊界でその霊を探し出すのは不可能に近いように思った。私のおぼろげな意識は、私の霊が困惑したように考えあぐねているのを感じた。しかし、しばらくすると私の霊は霊界の中をある方向を目ざして移動していくのが私にもわかった。そして私の霊は霊界のある団体の中から私の霊のほうへ何か人待ち気(霊待ち気?)な顔をのぞかせている一人の霊を発見した。
 私の霊は彼にたずねた。
 「汝、世にありしときスウェーデン国といえる国の将軍でありしか」
 彼の表情にわずかながら反応があった。
 「世にありしときのこと細かには憶い出せず、ただ、赤き光の多きところ(戦場の意味)に出向きしことしばしばありし記憶わずかにあり」
 そのあと彼は少しずつ記憶を取もどし私の問いに答えてくれた。
 私は無意識の死の状態から通常状態にもどり、女王にお答えした。遺書の内容は、この将軍が出陣したある戦場でのことに関連したものであった。女王は私の答えが細部にまでわたり正確であることに、ひどく驚かれ圧倒された様子を見せられた。そして、不思議な人間を見るような驚きの表情で黙ったまましばらく私の顔を見つめておられた。しばらくして女王は一言だけ感嘆をこめた口調でいわれた。
 「これは、私と死者以外に誰も知るはずのない事実であった……」

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.216-217

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 60-i (スウェデンボルグの交霊術 =4=)

 もう一つの例は私の依頼者がオランダの外交官の未亡人であったため、私が不思議な術を使う人間としてオランダにまで知られるようになった事件だった。とくに交霊術のうえでは記すほどのこともない例なので私は簡単にその概略だけを記すことにしよう。
 それは一七六一年のことで、彼女はそれまでスウェーデンの首府に駐在していたオランダ大使の未亡人だった。彼女は夫の死後金細工の職人から生前の大使が造らせた高価な金器の代金を請求された。しかし彼女は夫がそれを支払ったと信じていたのだが、領収証がどうしても見付からないため困っている。霊界の夫と交信して支払いの有無と支払ったものなら領収証がどこにしまってあるかを聞いてくれというのが依頼の趣旨であった。
 私は霊界の彼女の夫と交信し、その支払いは七か月前に済んでおり、領収証はタンスの抽出しにしまってあることを聞き出し、これを彼女に告げた。しかし、彼女はそのタンスはすでに隈なく調べたが領収証は見付からなかったのだといった。私は、そのタンスには秘密の隠し場所が抽出しの裏側についており、そこにはとくに大事な手紙などが入れてあり、その中に領収証も入っているのだと教えた。
 彼女はタンスをふたたび調べて秘密の隠し場所を発見、七か月前の日付の領収証も見付け出すことができた。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、p.218

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 60-j (旅先でストックホルムの火事を霊視する =1=)

 私は、その日英国からゴッテンバーグ(スウェーデン西部の都市)へやって来た。それは同市で開かれるある会合に出席するためであったが、その晩は友人の家に泊まり、翌日その友人と一緒に会合に出ることにしていた。
 友人と昼食をとっていたとき、私は、いつも自分が意識的に行なっている「死の状態」に落ち込むときと同じような感じが自然に起こって来たような気がして自分でも驚いた。
 私の様子は友人の眼にも普通ではなかったのだろう。友人は怪訝な顔でたずねた。
 「どうしたのだ。急に気分でも悪くなったのか?」
 私は自分でも何と答えたのか記憶がはっきりとはない。また返事のできる状態ではなかったのだろうと思う。だが、後で友人の話で聞いたところによると私は
 「……うん……火事だ、火が……見える……」
 とか云ったそうである。そして、さらに続けて
 「ストック……ホル……ム……」
 とかいい終わると私はほとんど気を失ったようになって、自分がどこにいるかも解らぬような様子になったという。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.219-220

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 60-k (旅先でストックホルムの火事を霊視する =2=)

 私は混濁した意識の中で、一枚の幕のようなものを通して、その向う側に赤いものがあるような気がした。私は自分がどこにいるのかもわからない気がしていた。まるで魔法の乗り物にでも乗せられ上空を飛んでいるような気がすると思うと、つぎには海の波にゆられる小舟に乗っているような気がし始める……。私は、自分がどこにいて何をしているのか、また私の周囲にはどのようなものがあるのかなどを確めたいと思って悪夢の中でもがいているような気持ちがしていた。しかし、私の意識はますます混濁の淵に深く入って行くばかりで、私の心は恐怖に満たされ始めた。声を立てて助けを求めようと思うのだが、私の声はもう何万年も前に涸れはて、いくら声を出そうと思ってもそれができなくなっているのだと誰かが私に知らせたような気がしていた。私は、このような恐ろしい意識の中でついに絶望の中に身を投げ入れるよりないことを悟った・・・・・。
 だが、絶望の中に身を置いてみると、こんどは逆に私は平静さを取もどし始めた自分に気がついた。そして、自分の故郷のストックホルムの町が眼に見えて来た。町は赤い色に包まれていた。火事だったのだ。火事は市の西の部分から起こっていた。おりからの強風にあおられて、町の東のほうへ広がっていくのが見える。人々が騒いでいるのが見える。私は自分の家も燃えるのではないかと心配したが、私にはどうすることもできない。私には、ただ見ていることよりほか何もできないのが自分でわかっていたからだ。私が、この耐え難い思いに苦しめられながら見ている間にも火事はどんどん広がっていく。町の路という路に右往左往する人々の数もふえ、その表情も一そう深刻なものになっていくのが私にはわかった。
 私がこの火事をどのくらいの時間見ていたのかはわからない。だが火事は幸いなことは私の家の三軒手前でおさまった。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.220-221

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 60-l (旅先でストックホルムの火事を霊視する =3=)

 私は気が付いてみると友人の家のベッドに寝かされていた。そして体は全く冷たくなっていたのでびっくりした。目を開けると友人や家族が心配そうに私のほうを見ているのがわかった。
 私は自分を取り戻すと、さっき見た火事の様子を友人に話した。普通なら友人は、変な夢を見たのだろうといって笑うところだったに違いないのだが、このときの友人の顔には、何か恐ろしいものでも見たときのような表情が浮かんだので、その表情に私のほうが驚いて背筋の凍るような気が一瞬の間したのを私はいまでも憶えている。
 私は、
 「いや、心配はいらない。私の家の三軒手前で火事は止まったのだから……」
 といって、無理に笑ってすまし、友人の気持をやわらげようとした。だが、私がこういった理由は友人にはわかるわけもなかっただろう。
 ゴッテンバーグの市長がストックホルムへ人を遣って火事のことを調べさせ、その報告がもたらされたのは、それから一月ほどしてからであった。その報告によると火事は私が友人との昼食中に火事のようなものを感じた時間に起こり、やはり私が見たように市の西のほうから起き、私の見たと同じ様子で広がっていった。また、私の家は三軒手前まで火が来たが、ここで火の手がおさまって類焼をまぬがれていた。火事の終わった時間も私が見た時間と同じだった。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.221-222

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 60-m (旅先でストックホルムの火事を霊視する =4=)

 私は、このときどうして、あのように自然に「死の状態」が起き、また、どうしてストックホルムの火事が、あれほど詳しく見られたのか当時はよくわからなかったし、いまも完全にわかったとはいえない。ただ、今の私の霊界に対する知識をもとにして判断すれば、私の霊はゴッテンバーグに置いた肉体を抜け出し、ストックホルムへ行き、そこで火事を見たのだということになるだろう。だが、霊には私の経験の範囲では、こんなに遠く肉体を離れた状態では自然界に起きていることを霊の眼によって見ることはできないはずである。とすれば、私の霊は、その時、ストックホルムの誰とは解らない人間の肉体に入り、その眼を借りて火事を見たのだということになるのだが、この辺の事情は今の私にもまだ完全には解らない。(訳者注)

 (訳者注) この話は当時、大げさにいえばヨーロッパ中に知れわたった話で、ドイツの哲学者カント(スウェデンボルグと同時代人)が、スウェデンボルグの不思議な能力の実例としても取り上げているものである。なお、カントはスウェデンボルグのことを書いた本を著わしている。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.222-223

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 60-n[33-t] (語りかけてきた死者の霊と体外離脱の体験)

 私自身は明確な体外離脱がありませんが、亡くなった母を降霊してもらった時から、自分の中で確実に変化が起きました。それは「他界」に対する認識です。
 他界というのは、一般的にはあの世とか、霊界とか、いわゆるあっちの世界とか呼ばれている場所です。異界とか異次元とかいう表現方法もあるでしょう。
 現在の常識に照らすと、これらは非常識ということになりますが、常識の定義は先ほど申し上げた通りですので、実は非常識でも何でもなく、これはあくまでも科学の範疇における「未知情報」です。そう考えないと科学は進歩しません。
 人間が現在の科学で知り得ていることは、ほんのわずかにすぎません。
 私も医師ですから医療現場では全力を尽くしますが、なぜこんなことが起きるのかと不可解な事実に直面すると、やはり科学は万能ではない、だからもっと柔軟にいろいろな情報を受け入れるべきだと痛感します。
 あっちとこっちの世界の境界に立っている状況において、体外離脱するケースもたくさん報告されています。
 著書(『人は死なない』)で書きましたが、私の友人である会社経営者で五〇代の男性Cさんのケースは非常に興味深い内容です。二八年前のある日、Cさんは妹さんを乗せて車で走っていました。ふと気がつくと、スリップ事故を起こしたCさんは助手席の妹さんと一緒に、大破した自分の車を見下ろす形で空中に浮かんでいました。
 その時、隣に浮かんでいる妹さんが「お兄ちゃんは戻りなよ」と声を掛けた瞬間、Cさんは運転席で目覚め、妹さんはCさんの左肩に頭を乗せて亡くなっていました。
 ちなみにこのCさんですが、妹さんを亡くした自動車事故から一二年後、当時一七歳だった息子さんをバイクの事故で亡くされました。
 息子さんの遺体を自宅に引き取ったその晩、Cさんはリビングルームの扉の前に立って「僕のバイクは?」とCさんに尋ねる息子さんに遭遇、呆然としたそうです。急いで遺体を見に行くと、そこには息子さんが普通に横たわっていたとのこと。
 これらは病院外でのケースですが、病院内での治療過程におけるさまざまな「離脱ケース」も聞いています。通常、病院関係者がこの手のテーマを話すことはほとんどありませんが、彼らも自分が知らない未知情報があるのかもしれないと感じているはずです。(矢作直樹)

  矢作直樹・坂本政道『死ぬことが怖くなくなるなったひとつの方法』
    (徳間書店、2012、pp.186-187)

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 60-o[2-zl] (母の降霊で一瞬にして感じられた死後の生存)

 亡くなった母親に聞いたら、彼女が亡くなったのは五月六日でしたが、その前日の五月五日には弟夫妻が訪れており、一緒に近くのスーパーマーケットに行っていますが、その時の母親の手はすごく冷たかったそうです。これは義妹の話ですが、彼女が見るからに母親には何の表情もなかった、という言い方をしていました。
 弟は私に「どうも元気がない」という言い方をしていました。五月四日と五日は私が母親のところに行って見ていたんですが、その時も元気がないというか、だいぶ弱っているなとは思っていました。
 それでもすぐに亡くなるとは予見できませんでした。亡くなってからのことを母親に尋ねると、私が訪れたことは覚えているんです。ところが弟夫婦と過ごしたことは覚えていませんでした。つまりその前後で、すでに彼女のスピリットは向こう側に行って、いろいろと準備をしていたようです。
 私は母を降霊していただいた経験がありますが、それこそ降霊を見ていると、一瞬にして「個性の存続」を感じます。
 それは現在、我々が持っている物理や医学程度の知識で想像のつくものとは全然違います。本当にそこにいるわけです。ですから、それまで自分が持っていた価値観が変わるのは本当に一瞬です。(矢作直樹)

  矢作直樹・坂本政道『死ぬことが怖くなくなるなったひとつの方法』
    (徳間書店、2012、pp.226-227)

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 60-p (位牌は霊界と通信するためのアンテナである) 

 家族に亡くなった人がいる場合、仏教徒なら仏壇を置くでしょう。古くから続く家なら、先祖代々の仏壇を置いてある仏間があるかもしれません。
 しかし、お墓に霊がいないのと同じく、仏壇に霊はいません。
 故人のたましいが、いつもそこにいるわけではないのです。仏壇もお墓と同じように、霊界との通信をとるためのアンテナのひとつ。電話のひとつです。
 ただし、アンテナとなるのは、仏壇ではなく位牌です。位牌という対象物に想念をこめることで、通信しやすくなるのです。
 高いお金を払って戒名を書いてもらった位牌でなくてもかまいません。極端なことをいえば、短冊に生前の名前を書いたものでもいいのです。
 つまり、それを見て故人を偲べるものならどんなものでもいい、ということです。
 仏壇とは、位牌を入れる入れ物です。どういう仏壇でなくてはいけない、という決まりはいっさいありません。気持ちさえあれば、ミカン箱でもいいということです。仏壇を工芸品ととらえて、芸術的な彫り物がしてあるものや、金銀の装飾が施されたものを選んでもいいでしょう。それは趣味噂好の分野で、故人の浄化とは無関係です。
 また、仏壇は定めたきょうだいの家にあればいいもので、家を出たほかのきょうだいが、両親の位牌を別につくる必要はありません。つくると、次の代の人が処置に困るかもしれません。
 仏壇や位牌がなくても、そのかわりに清浄なスペースに写真などを飾ればそれで十分です。故人に念を送るときに、対象物があるほうが便利、というだけの理由なのですから、正式な仏壇や位牌である必要はないのです。
 常に心で故人のことを思えるならば、仏壇も位牌も必要ないといっていいでしょう。自分自身をアンテナにすればいいのです。大切なのは、気持ちを送ること。ものや形式ではありません。
 ただ、私たちはみんな未熟ですから、何か対象物がないと、つい忘れてしまうということがあるでしょう。その意味では、仏壇や位牌、あるいは写真などが身近にあると、常に故人とのつながりを感じながら暮らすことができます。
 ですから、現実的には、アンテナとしての位牌や写真、面会所としての仏壇やそれに類したスペースはあるほうがいいといえるでしょう。

    江原啓之『天国への手紙』集英社、2007、pp.178-179