学びの栞 (B)
73. 心霊能力
73-a[64-d] (本当は誰でも自分の一生の運命を予知できる)
私はこの手記の最後に記すように一七七二年三月二九日に、この世を捨て霊界へと住み家を変えることになっている。人々は私がこのように自分の死の日(私からいえば単にこの世に肉体を捨て霊の世界へ移ることに過ぎないが)を何年も前から知っていることは不思議でしかたがないだろうし、なかには今は私のいうことを信じない人々も少なくないだろう。
私は、人々には誰にでも本当は自分の一生の運命を予め知ることができるのだということをこの章で記すことにしよう。私は例によって、自分の生涯を二〇歳のときに予言していたある男の例を上げて、このことを説明してみよう。
彼はフランスの農夫だった。彼は二〇歳のときすでにつぎのように自分の生涯の運命を語っていた。
----彼にはこの二年後の七月二十日、ある友なる者が西から現われ、その者は彼の五十二歳の六月まで彼とー緒にいるだろう。小さな友がこれに続いて三人現われるが、そのうち天は彼の三十五歳の半ばに彼に涙を与えるだろう。また彼は二十九歳の秋に水の底に彼の家が沈むのを見るに違いない。彼は三十二歳の春には、南十字星がよく光るのを見ることになるであろう-----。
彼は自身の“予言”どおり、二十二歳の七月に彼の村から西方にある村の同じ農村の娘を妻にし、妻は彼の五十二歳のとき世を去るまで一緒に暮らした。子供(小さい友)は三人生まれ、そのうち一人は彼の三十五歳の時に病死し彼に“涙を与えた”。彼の村は彼の二十九歳のときに大きな洪水に見舞われた。彼の家は予言どおりに水の底に沈むことはなかったが農作物は“水の底に沈み”全滅の被害を受けた。また、彼はこの洪水後三年あとの三十二歳の時には、遺産相続人のない親類の土地を相続したが、この土地は小高い丘の南向きの斜面の土地だったのだ。
私は彼も私同様にある程度の「死の技術」を持っていたのだと思う。死の技術によって彼も時には霊界へ入ることができたのである。
霊界の霊同士の間では、想念の交換中にその霊の人間であったときの一生やその後にその霊が霊界で送るべき永遠の未来の霊の“一生”のことが、すべてこと細かに描かれた絵巻として相手の眼に見えることがあるということは私はすでに前に記した。この絵巻は霊でも自分の絵巻あるいは、その霊に眼に見える形の表象によって教えてもらうことはいたって簡単にできる。
そこで、もし人が、ある程度の死の技術を身につけて霊界に入り他の霊と自由に想念の交換を行なえるとすれば、死んで霊となる以前に自分の人間としての一生の未来を知ることは、たやすくできることになるわけだ。私は彼もこの方法で自分の未来を知り、それを予言として人々に語っていたのだと思う。
エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
(今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.189-191
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73-b (心霊現象に対する認識は世界的に広まりつつある)
最近になって心霊現象というものが現実に存在するという認識が世界的に広まりつつあるが、同時にそれが科学的理論とも矛盾しないとの認識も広まりつつある。
ユリ・ゲラーという超能力者が故障した時計を念力で動かしたり、刃物やカギ類を曲げてみせる能力が嘲笑と猜疑の的とされたのは、そう古い話ではない。それが今日では若者の間にも同じようなことをする能力をもった者が大勢いることが分かっている。あまり、あるいは、まったく宜伝されていないだけのことである。“ユリ・ゲラー作用”の存在は今では広く認識され、そして受け入れられている。
私のような心霊治療家が占い師の扱いを受け、山師、イカサマと考えられていた時代もそう古い話ではない。それが今日では医師の側から自分に治せない患者を依頼してくるようになった。といって心霊治療というものが医学によって正式に認められたわけではない。が、これまでの激しい排斥的態度は、現実に治ったという争うべからざる事実の前に、確実に影をひそめつつある。
そのほか予知能力、読心術、テレキネシス(物品を念力で移動させる現象。ユリ・ゲラー作用も原理的には同じ)、テレパシー(以心伝心)といった能力の実在が認められているだけでなく、世界各国で本格的に研究されつつある。
かつての一時期は、それまでの科学的常識にはならないものはすべてウソか、もしくは調査方法の手違いであると決めつけられたものであるが、今日ではその“常識”そのものが独断であり、それ以外にもいろいろと法則がありうることを科学者も認識しつつある。
M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
潮文社、1988、pp.74-75
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73-c (霊媒現象の目的は生命の死後の存続を証明することにある)
私はスプーン曲げをやってみたことはない。どうせ曲げるのなら背筋をまっすぐにしてあげる方が大切だと思うからである。が、いずれにせよ、そういう常識を超えたことが出来るということは、そこに同じ心霊的なものが働いていることを意味すると信じている。
今や西洋の最高の頭脳の持ち主が心霊現象の解明に乗り出している。自分に信じられないからといってそれを嘲笑してはならない。偏狭になってはいけない。何をするにもまず冷笑癖だけは止めた方がよい。
霊媒現象の目的は生命の死後の存続を証明することにある。その能力を先天的に具えた人がいるのである。
もしもあなたがそのお一人であれば、それはぜひとも開発すべきである。歌唱力のある人、絵の才能のある人、彫刻の才能のある人、作曲力のある人がそれをますます開発させる必要があるのと同じである。
M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
潮文社、1988、pp.76-77
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73-d (純正な霊的能力が人間の能力の中でも最高のものである)
純正な霊的能力が人間のもつ能力の中でも最高のものであることを、私は誠心から信じている。だからこそこれは金銭目的のために使用してはならないものなのである。物的欲望と一時的な好奇心のために犠牲にしてはならないのである。背後霊があなたと霊的な連絡をとりたいと思えば、それに必要なことはやってくれる。あなたは、ただそのための好条件を整えるだけでよいのである。
霊的能力が本来の目的からそれたことに使用されると、悪評のタネを蒔くことになる。自信をもって繰り返すが、霊的能力の第一の目的は死後の存続の事実を証明することである。そして、その次に霊的思想の普及という目的がくる。
M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
潮文社、1988、p. 81
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73-e[30-zd] (霊たちも間違ったことを言ってくることがありうる)
霊からこう言われたというだけでそれに従わないとバチが当たるような不安感に追いまくられて病気になるケースは実に多かろうと察せられる。が、霊の方は地上の習性から余計なおせっかいをしているだけなのである。
交霊会などで霊の言葉に耳を傾けるのは結構なことである。霊の言いたがっていることは聞いてあげるがよい。ただ忘れてならないのは、霊の方も自分の考え″を述べているにすぎないこと、言い換えれば、彼らも間違ったことを言ってくることもありうるということである。
M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
潮文社、1988、p. 87
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73-f[12-i] (初期のキリスト教会がもたらした暗黒時代)
私は今日の地上世界が抱えるさまざまな問題の根本原因の一つに、キリスト教会が(ローマ帝国滅亡から紀元一千年頃までの)ほぼ一千年にわたって、霊的・思想的・科学的に成長しなかったことにあると確信している。
暗黒時代″と呼ばれているその期間に、キリスト教会はまるでマフィアのように、当時の人間の精神、想像力、霊的ならびに心霊的生活、そして物質文化の発達を徹底的に牛耳った。
心霊能力をもつ者は片っ端から火あぶりの刑に処せられたり拷問を受けたりした。かくして遺伝的要素の大きい心霊能力が事実上根絶やしにされてしまった。思想上でもキリスト教の正式の教義以外のものはすべて禁じられた。
科学は魔術と同類に扱われて、何でも彼でも容赦なく否定された。西洋文明は完全にキリスト教会の鉄のごとき掌中に収められ、そして息の根を止められてしまった。
その目的は何だったのか。それは、他でもない、その絶対的な締めつけの体制を脅かすことになりかねない教育、知識、権威、あるいは能力を持たせなくすることにあったのである。
かくして西欧世界は一千年にもわたって進歩と科学的研究と心霊発達と霊的進化の機会を失ったのである。他のいかなる原因にもまして、このキリスト教という宗教が、悲劇と戦争と死者と苦しみと不安定と無知を生み出してきたのである。
M.H.テスター『現代人の処方箋』(近藤千雄訳)
潮文社、1988、pp.90-91
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73-g[59-d] (この世には人類科学の範疇を飛び超える出来事がある)
大本教(正式には大本)の開祖である出口なおの「お筆先」が京都府亀岡市の教団本部にあります。
美術館みたいな感じで展示してあるわけですが、それを見た時は驚きました。読み書きのできないなおがわずか二七年の間に、新聞紙程度の大きさの半紙に二〇万枚、書いたわけです。ずーっと、二七年間。
これが後の『大本神諭(教典)』ですが、あれを目にすると、人間のやることじゃないとわかります。
ある意味で常識を超えています。常識を超えると普通は見えません。そこにあっても。多分あれは、そういう感覚なのかなと思います。
出口なおの娘婿・出口王仁三郎が書いた『霊界物語』も、実に八三冊もあるのですが、その執筆スピードを例えて言えば、一日で三〇〇頁分の書籍を仕上げ、それを毎日毎日、こうワーツと書く形式です。それも自動書記で、ぶ厚い本八三冊分。人間業ではありません。
その事実を論理思考でどう考えても、これは人のやっていることではないなという結論に向かうわけです。
出口なおに至っては、字を書けない人だったわけですから。
そういう事実が日本中に、世界中にあるわけですから、それらをより精査することで、「この世」には人類科学の範疇を飛び超える出来事があるのだという「共有知識」が明確になるのだと思います。(矢作直樹)
矢作直樹・坂本政道『死ぬことが怖くなくなるなったひとつの方法』
(徳間書店、2012、pp.169−171)
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73-h (浅野和三郎教授と秋山真之参謀の心霊体験)
日本で最初にシェイクスピア全集の完訳をおこなった英文学者で、のちに日本の近代スピリチュアリズム研究者のさきがけとなった浅野和三郎(1874-1937)は、海軍機関学校の教師をしていた時に、西洋医学で治らなかった三男の熱性疾患が女性祈祷師の予告通り治ったことから心霊の世界に興味を持ち始め、やがて教祖、出口ナオの「おふでさき」と呼ばれる自動書記の内容を知りたいという動機から大本(おおもと、慣習的に大本教と呼ばれることもある)に入信しました。
そして一九一六年、大本に接近してきた秋山真之(日露戦争時の連合艦隊作戦担当参謀)と知遇を得、秋山は浅野に密かに、日露戦争日本海海戦にまつわる秋山自身の千里眼体験を語ったのです。
一九〇五年五月下旬、鎮海湾の日本連合艦隊は、バシー海峡を通過したロシア・バルチック艦隊がウラジオストックに入る航路として、対馬海峡なのか、太平洋から津軽海峡を通過するのか、の判断に神経をすり減らしていました。秋山は、連日連夜頭を絞って疲労困憊の極致にありました。
そして二四日の夜、士官室で横になって考えを巡らしていた秋山が、ついうとうとしかけた瞬間、突然眼前に対馬海峡を二列になって北上してくるバルチック艦隊の様子が見えました。これは天啓だと直観して、すぐに驚くほど緻密な「七段構えの戦法」の計画を練りあげたのです。
二七日未明、まさに先の千里眼による情景と寸分違わない隊形でバルチック艦隊がやってきました。ここに日本の勝利が巡ってきました。覚醒状態からすぐに睡眠に入らない場合のこの中間的状態は、体外離脱しやすく、思念が強いと瞬時にその場に移動できるとされていて、秋山の場合もまさにこれに当てはまるかと思います。
矢作直樹『「あの世」と「この世」をつなぐお別れの作法』
ダイアモンド社、2013、(pp.104-106)
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