[生と死と霊に関する論文]


 RAMTHA とは誰か

    ー RAMTHA研究序説(その1) ー


     ま え が き

  今年の春アメリカから一冊の本が送られてきた。Steven L. Weinberg ed., RAMTHA, Sovereignty, Inc., Bellevue,Washington(U.S.A.), 1986 である。1) この本の扉には、「自分の内にある神なるものに気づくこと以外、人類に救いの道はない。あなたはこの気づきの種になるのだ」と書かれていた。ラムサというのは遠い古代の人物である。ラムという名で呼ばれることもあったらしい。
  その彼自身が「著者」でもあるこの本には、J.Z. Knightというアメリカ人女性をチャネルにしたラムサの人類へのメッセージが託されている。なぜ人類へのメッセージか。それは、「人間が遠い昔に忘れてしまった遺産を、あらためて思い出してもらうため」 だと彼はいう。そして、つぎのように続けている。「いまよりもはるかに高い視点でものごとを見ることを教え、あなたはまさに神の子で、永遠なる存在であり、神が常にあなたを愛し、守ってきてくれたことを理解してもらうためである。そして、人生のあらゆる現実は、あなた自身が自分の深い知性を通して創造したものであることを知る手助けをするためである。」
  私はこの本を一読して、まず、その真理を伝える直截な力強さにこころを打たれた。それからその文章の美しさに感動した。おそらくそれは、真なるものの持つ美しさである。美しく、かつ、きわめて格調の高いラムサのことばの響きは、それに耳を傾ける者のこころのなかに、いつまでも消えることのない愛の余韻を残すような気がする。
  紙数の制約があるので、ここではメッセージの内容に深く立ち入ることはできない。とりあえず本稿では、ラムサとは誰なのか、その人物像を描くことだけに焦点を当ててこれからのラムサ研究の嚆矢としたい。原文もできるだけ引用して、ラムサ自身のことばも伝えていくことにする。


   1.

  人間というのは、輪廻転生で生と死をくり返すものだが、ラムサは、この地上界では一度の生しか生きることはなかったという。それは、現在のわれわれの時間の観念でいうと、3万5千年前のことである。レムリアと呼ばれる土地からやってきた巡礼の一団という貧しい人たちの子として、彼は無知と絶望の中で生を受けた。レムリアというのは、いわゆるムー大陸のことで、いまのわれわれがアトランティスと呼んでいる当時のアトランティアとは、人々の交流があったらしい。2) そのレムリアからアトランティアにやってきたラムサは、アトランティア南部の最大の都市、オナイのスラムに暮らしていた。それはちょうど、このアトランティアの大陸が崩壊し、水没してしまう前の「最後の百年」といわれた時期であるという。
  ラムサがまだ子供の頃、世の中は荒れ果て、生活は困窮を極めていた。アトランティアという国は、もともと、高度の文明を持ち、科学の発展にもめざましいものがあったが、その頃にはすでに、そのアトランティアの高度の文明は失われつつあった。どういうものか推測するのもむつかしいが、北部にあった科学の中枢がもうかなり前に破壊されてしまっていたからだという。光に乗って移動する実験で、アトランティア人は、ちょうど今日の金星のように、地球をすっぽりと覆っていた雲に穴をあけてしまった。その時に、豪雨が降り続き、寒波が襲って、レムリアとアトランティアの北部とが海中に没してしまったのである。こうして、レムリアとアトランティアの北部の人たちは、南の地方へと逃れてきたのであった。
 北部の科学が衰退し、テクノロジーがなくなってしまうと、南部も徐々に原始的になっていった。アトランティアがすべて水中に没してしまう前の百年間は、暴君が情け容赦なく支配する野蛮国に成り下がっていたらしい。このような暴君の非道な支配のもとでは、よそ者のレムリア人などは大地の排泄物と同じで、街をうろつく犬より劣る存在として扱われていたようである。その悲惨な状況は、ラムサ自身がつぎのように語っている。

   In the streets of Onai it was common to see the brutalization of children and the beating and rape of women. It was common to see Atlatians pass a starving Lemurian on the road and hold their noses with kerchiefs of fine linen, dipped in jasmine and rose water, for we were considered stinking, wretched things. We were the no-things, the soulless, mindless wastes of intellect, because we were without the scientific understanding of such things as gases and light. Because we did not possess an intellectual bent, as it were, we were turned into slaves to work the fields. 3)

 《オナイの街では、子供が虐待されたり、女が叩かれ強姦されるの目撃するのは日常茶飯事であった。アトランティア人が、ジャスミンとバラを浸した水で上等なハンカチを濡らしてそれを鼻にあてながら、道で飢えかかったレムリア人の側を通るのもよく見かけられた。私たちは臭くて不潔と思われていたからである。私たちはまた、気体や光といったものに対する科学的知識は何もなく、こころや魂も持たないろくでなし、知性のくずと考えられていた。いわば、知性のかけらもないので、奴隷にされて畑仕事を押しつけられほかはなかったのである。》

  このように、レムリア人は、アトランティア人から徹底的に軽蔑されていたが、ラムサは冒頭でも触れたように、そのレムリア人の子として、「無知と絶望のなかで」生まれたのであった。「無知」はともかくとして、どのように「絶望」的だったか。ラムサの語る彼自身の家族の状況についても、ここに引用しておきたい。 

   I did not blame my mother that I did not know who my father was. I did not blame my brother that our father was not the same. Nor did I blame my mother for our absolute poverty. As a little boy I watched as my mother was taken into the streets and had her sweetness taken from her. After my mother was taken I watched a child grow inside her belly, and I knew whose it was. And I watched my mother weep, for would there be another child in the streets to suffer as we had suffered in this "promised land"? 4)

  《私は自分の父親が誰であるかを知らなかった。しかし、そのことで、母を責めようとはしなかった。私の兄は別の父親の子供であったが、それも母のせいにはしなかった。なぜこれほどまでに自分たちは貧しいのかと母親を責めるようなことも、したことはない。私の子供の頃、私は母が連れ去られ、辱めを受けるのを目の当たりに見ていた。そのあと、母のおなかに宿った子が体内で成長していくのを見守ったが、それが誰の子であるかも私は知っていた。母がさめざめと泣いている姿も見たことがある。悲しくもなるであろう。この「約束の地」に、私たちと同じように苦しみながら生きていかねばならない子供が、また一人増えようとしていたのだから。》

  ここに出てくるラムサの兄は、この苦難のなかで家族がまた一人増えようとしているとき、家にはいなかった。アトランティアの地方総督によって誘拐され、現在のペルシアにあたる地方に連れて行かれて、総督の下半身の快楽を満たすための慰みものにされていたらしい。家の中には、母親のほかには彼しかいなかった。彼の母親は脆弱で、一人で出産するのが無理であったので、まだ子供の彼が手助けをして、女児が生まれた。
  母親が起きあがれない間は、食事も彼が準備しなければならない。彼は街へ出て、食べ物を漁りまわった。犬や野生の鶏を殺し、夜遅く、店から穀物を盗んだ。捕まれば危険だが、彼は逃げ足だけは早かった。こうして彼は母親に食べさせ、母親は生まれたばかりの彼の妹に乳を吸わせた。
  しかし、出産で弱っていた母親のいのちは長くは続かなかった。小さな乳児に、残っていた生命力のすべてを飲み干されてしまったかのように、まもなく母親は息をひきとった。残された乳児もまた、激しい下痢をおこし、栄養不良で死んでしまった。ついに彼は一人になってしまった。
  母親と妹の身体を隣り合わせに並べて、彼は木材を集めに行った。死体を焼くためである。それも、夜更けまで待たなければならなかった。二人の体を燃やす臭いがアトランティア人の気に触ることになれば、二人の体は砂漠に投げ捨てられ、ハイエナの餌食にされてしまうだろう。彼は集めてきた木の上に二人の亡骸をのせ、十分に夜が更けるまで息をひそめて待った。そして、こころから愛していた母親と小さな妹のために祈りを捧げて、素早く火をつけた。
  母親と妹が燃えていくのを見つめながら、ラムサの胸の内にはアトランティア人に対する憎悪の念がむらむらと沸き起こってきた。その憎悪の念は体中にひろがり、まるで大蛇の猛毒のように全身を駆けめぐった。まだこんなに幼い少年だというのに、である。その憎悪は、どこかへぶつけなければ収まらなかった。しかし、一体どこへぶつければよいのか。彼は、悲しみ、怒り、悩んで、ついに「未知なる神」と対立するのである。ラムサは、こう述べている。

   As the stench and smoke from the fire spread throughout the valley, I thought about the Unknown God of my people. I could not understand the injustice of this great God, or why he would create the monsters that hated my people so. What did my mother and little sister ever do to deserve the wretched deaths they experienced?
   I did not blame the Unknown God for not loving me. I did not blame him for not loving my people. I did not blame him for the death of my mother and my little sister. I did not blame him--I hated him! 5)

  《鼻をつく臭いと煙が谷間に広がっていく中で、私はレムリア人の「未知の神」のことを思った。この偉大なる神の不公平が理解できなかったし、なぜわが民をこれほどまでに憎む怪物を創造してしまったのか、もわからなかった。私の母や妹が、このような惨めな死を迎えるに値する何をしたというのだ? 私は、自分を愛してくれないからといって、この未知なる神を責めようとはしなかった。わが民を愛してくれなくても責めなかった。母や妹の死についても、この神を責めることはなかった。責めはしない。ひたすらに憎んでいたのだ。》

  ラムサは、骨と皮ばかりに痩せ衰えていた。しかも、内には抑えようのない怒りと憎しみを秘めた14歳の少年だった。その彼は、あの父祖の崇める「未知なる神」に怒りをぶつけて一戦を交えようと決心した。それで死ぬのならそれだけの価値はあると彼には思えた。彼は死を決意していたが、それは、あくまでも名誉ある人間としての死だ。神に殺されるのなら、人間の手にかかって殺されるよりはいいだろう。同じ人間に殺されるのは、自分が弱者であるということで、それは不名誉な死に方だと思っていた。
 彼の目には遠くに見える巨大な山が映っていた。地平線の彼方に聳えるその山は、深い謎に包まれた聖域であった。もし神というものがいるとすれば、支配者たちがそうするように、民衆よりはずっと高い場所に棲むだろうと彼は考えた。あの山に登れば、「未知なる神」に出会い、人間への不公平な扱いについて、彼の憎しみの念をぶつけることができる。そう考えた彼は、いよいよ旅に出ることにした。
  彼は何日も旅を続けた。途中イナゴや蟻や木の根を食べて飢えをしのぎながら、その巨大な山を目指した。山にたどり着くと、雲の中を登りつめて雪に白く覆われた頂上へ向かった。そして彼は神に向かって大声で叫んだ。「私は人間だ! それなのになぜこれほど惨めで、人間としての最低の威厳さえ与えられないのか?」 そう叫んで、彼は神に顔を見せるように要求した。何度も何度も声を上げて要求した。しかしラムサの声は、空しく谷間にこだまするだけで、何の返事も返ってこなかった。神は彼を無視したのである。彼はしりもちをついて、泣き出した。次のように――。

    I fell upon my haunches and wept heartily, until the whiteness iced itself from my tears. When I looked up I beheld before me what seemed to be a wondrous woman holding a great sword. She spoke to me saying, "O Ram, O Ram, you who are broken in spirit, your prayers have been heard. Take this sword and conquer yourself." And in but a blink of my eye she was gone. 6)

  《私はその場にしりもちをつき、自分の涙が白く凍り付くまで大声で泣いた。やがて顔を上げると、そこには神秘の女性と見える存在が大きな剣をもって立っているのが目に入った。彼女は私に言った。「おお、ラムよ、ラムよ、こころがこなごなに砕けてしまった者よ、あなたの祈りは届きました。この剣を差し上げます。これで自分を征服するのです」そして、瞬きする間もあらばこそ、彼女の姿は消えてしまった。》

  しりもちをついたままラムサは戸惑った。自分を征服せよといわれても、彼にはどうすればよいのかわからなかった。まさかその剣をで自分に突き立てて首を切り落とせというわけではないだろう。だいだい、剣で自分を突くにも、子供の腕は短かすぎて剣が振るえないのだ。だがその剣は不思議な剣であった。剣を持っているだけで、凍てつく寒さにも震えなくなり、暖かさが感じ取られた。ふと、自分の涙が落ちたところに目をやると、雪の中なのにそこには花が咲いている。その甘い香りと輝いているような色合いから、彼は、それが希望の花であることを知ったのである。
  ラムサはその偉大な剣をもって山を降りた。山へ登って行ったときの彼はひ弱な少年であったが、降りてきたときには立派な若者で、身体のまわりには光をたたえていた。オナイの町に帰ってくると、一人の老婆が立ち上がり、眼の上に手をかざして、彼がやってくるのを見つめはじめた。
  やがてまわりにいる人たちすべてが、この光に包まれたラムサの姿に気がつき、働いている手を止めて立ちすくんだ。馬車も止まった。ロバがいなないた。そして静けさがあたりを包んだ。皆が彼のところへ駆け寄り、彼の顔を仰ぎ見たが、そこには人々のこころを引きつける神々しいまでの力が秘められていたに違いない。そこにいたすべての人びとが、手に手に粗末な鍬や鋤などの仕事道具を持ったまま、彼の後について街へ向かっていった。
  街に入った彼らは、オナイの街を破壊した。穀物倉庫を開けてレムリア人に食料を与えよというラムサの要求に対して、アトランティア人が唾を吐きかけたからであった。彼らが街を破壊するなど、予想もしていなかったアトランティア人は、いとも簡単に軍門に降った。戦争などというものを彼らはまだ知らなかった。
  ラムサは貧しい人々のために穀物倉庫の食糧を分け与え、アトランティア人を見境なく殺戮し、オナイの街を完全に焼き尽くした。しかし、すべてが終わったあとも、彼のこころにはまだ深い傷が残っていた。彼の憎しみはまだ癒されていなかった。彼はまわりの人々から逃げるように山に向かい、そこに隠れようとした。それでも人々はあとについてきてしまった。ラムサが腹立ち紛れに罵りのことばを浴びせかけ、石を投げつけ、唾を吐きつけても、彼らはなお、ラムサについていくのをやめようとはしなかった。
  「ラム、ラム、ラム」と彼らは繰り返し叫んだ。畑の道具を携え、穀物を入れた布袋を腰に巻き、羊や山羊の群を引き連れて、彼らはどこまでもついてきた。故郷に帰れ、一人にしろ、と彼は叫んだが、彼らは誰も聞き入れなかった。なぜなら、彼らにはもう故郷などなかったからだ。彼こそが、彼らの故郷だったのである。結局、この彼らが彼の軍隊となり、彼の臣民となった。はじめの頃、その数は1万人に届くほどであったという。
 それからというもの、彼は圧制者の命を奪い、自分の尊厳を保つのにとり憑かれていった。そして、幾多の包囲攻撃や戦闘の数々を通して、彼の軍隊は一人また一人とその数が増えていった。彼らはふくれ上がり、強大になり、ラムサは征服者となった。彼自身のことばによれば、それは次のようになる。

   When you lead a charge and you're the one in front, with no one on either side of you, you have to be crazed. A person who would do that is filled with a powerful emotion called hate. So, I was very much a spectacle to be hewed down by my foes (if they would only do me the honor). And I picked the worthiest opponents to be my demise. But you know, when there is an absence of fear there is a presence of conquering. Thus, I became a great conqueror. Before my time there was no such thing as a conqueror, only tyrants. 7)

  《自分の両側に誰もいないのに、先頭に立って突撃していくというのは、気が狂っていなければできないことだろう。そんないのち知らずというのは、憎しみという強烈な力で衝き動かされているものだ。だから、そんな私が戦う姿は、敵にとってもーーもし私と一戦を交えてくれればの話だがーー見応えのある光景だったろうと思う。私は自分が死んでも死に甲斐のある相手をと、いつも最強の敵を選んだ。だがおかしなことに、恐れが全くないと、そこには勝利と征服が訪れてくるものだ。こうして私は、偉大な征服者になっていった。それまでは、征服者というのは存在せず、暴君がいただけであった。》

  彼は、偉大な征服者になった英雄であった。しかし英雄とは、どん底にある社会を救いその不条理を正そうとするが、その過程で、自分も不条理を作り出してしまっていることに気づかない人間のことである。彼は、あらゆる形の圧政をなくそうとして、それを実行に移した。しかし皮肉にも、そうすることで彼自身が軽蔑していた存在そのもの、つまり支配者となる羽目に陥ってしまったのである。そのような彼にやがてつぎのようなひとつの転機が訪れる。

   I was an ignorant entity, and imbecile, a barbarian, a buffoon. And for ten years into my march I warred upon innocents and hacked and burned my way across many lands--until I was run through with a great sword. Had they left it in me I might have been all right; but they pulled it out to make sure that I would bleed to death. As I watched the river of life ebbing from my being onto a snowy marbled floor--that seemingly was perfect--I saw that the river of scarlet had found a crack in it.
   As I lay there on the cold marble floor, watching the blood issue forth from my being, there came a voice. It spoke to me, and it said, "Stand up." It said, "Stand up!" 8)

  《愚かで粗野な道化者、誰もが認める野蛮人、それが私であった。遠征が始まってからの10年間というもの、私は何の罪もない人たちに戦を仕掛け、多くの場所を破壊し燃やし尽くしたが、それも自分の胸に大きな剣が突き刺さるまでであった。その剣が突き刺さったままであれば私も平気であったかもしれない。だが敵は、私が間違いなく出血多量で死んでしまうよう、その剣を引き抜いたのである。雪のように純白な大理石の床に自分のいのちの川が流れ出していくのを見ながら、私は、この完璧と思える美しい床に、赤い血の流れがよけいな紋様をつくってしまったなと、ぼんやり考えていた。
  私がそのまま冷たい大理石の床に横たわって、自分の体からどくどくと血が流れ出しているのを見つめていると、どこからか誰かの声が聞こえてきた。その声は私に向かって、「立て」と言った。「起きあがるのだ」と言ったのである。》

  ラムサは、頭をもたげ、両手を前に伸ばした。そして何とか足を自分のほうへ引き寄せ始めた。頭がまっすぐ立つように上半身を起こすと、左の膝を立てて体を安定させた。そして、全身の力を振り絞り、片手を膝につき、もう片方の拳を傷口に当てて、遂に立ち上がったのである。
  立ち上がった彼の口や指の間から流れ出る血が足下に落ちていくのを見た敵は、彼が不死身であることを知って、逃げ去っていった。そのあと、彼の兵たちが敵のいる街を包囲して、すべてを焼き尽くした。
  その戦いもまた勝利に終わったが、彼には、彼を立ち上がらせ、死から救ったあの声が決して忘れられなかった。それからの彼は、その声の主を探し求めていくことになる。


   2.

  ラムサは、このひどい傷から回復するまでは何もできず、静養しながらまわりのすべてについていろいろと考え始めた。ある日、彼は一人の老女がこの地上界から去っていく姿を見た。彼女は、ずっと前にこの世を去った息子のために織った粗末な布をしっかりと手に持っていた。昼下がりの陽光の下で、嗚咽しながら息を詰まらせ、そのまま徐々に息をひきとっていった。太陽はその老女の上に明るく輝いている。当然のことながら、太陽はこの女の死んだことなど全く関知していなかった。
  その夕べ、日が沈むのを眺めながら、ラムサは太陽の無関心を罵った。それでも太陽は、最後の美しい光を山の向こう側に残して静かに落ちていく。太陽は彼に対してもまた無関心であった。偉大な征服者の彼に微塵の関心も示さなかった。太陽はなぜこうなのか。そして、そもそも自分とは何だ。夜鳥が頭上で鳴くのを聞き、満ちていく青い月を見上げているうちに、彼は心底からすべてに嫌気がさしてきた。
  確かに彼は偉大な戦士であった。剣をもってすればどんな相手でも一瞬のうちに真っ二つにすることができる。敵の首を斬り、体を切り刻み、人を焼きもした。だが、いったい何のためにそんなことをしてきたのだ? 太陽はそんなことに関係なく、目を見はるような美しさで沈んでいく。夜鳥はいずれにしても鳴く。何があろうとも、月は昇ってくるではないか。彼はこの時、急にまたあの「未知なる神」のことが頭に浮かんできた。

   That is when I began to ponder the Unknown God. The only thing I truly wanted was to understand this unseen essence that seemed so awesome, so mysterious, so very far away from man. And what was man? Why was he not greater than the sun? Why couldn't the old woman live? Why was man--though the teeming multitude upon the plane, the creating force--seemingly the most vulnerable of all creations? If man was so important, as my people told me, why wasn't he important enough that when he died, the sun stood still to mourn his passing? Or the moon turned purple? Or the fowl ceased to fly? Man was very unimportant it seemed, for every thing continued in spite of his peril. All I wanted was to know. 9)

  《私が「未知の神」について思いをめぐらせ始めたのはこの時であった。私が本当に求めていたのは、この恐ろしく荘厳で神秘的なもの、信じがたいほど遠くにあるものを理解することだけだった。それに、人間とはいったい何なのか? なぜ人間は太陽より偉大ではないのか? 何ゆえにあの老女は生きることができなかったのか? この地上界にこれほど大勢いて、その想像力の源泉であり、すべてを統一する力である人間が、すべての生き物の中で一番脆弱な存在であるのはなぜか? わが臣民が言うように、もし人間がそれほど重要な存在ならば、その人間が死ぬとき、なぜ太陽がその動きを止め、弔いをしてくれないのか? あるいは月が紫色にならないのか? 鳥は飛ぶのをやめないのか? 人間にはあらゆる危険が迫ってきても、すべてのものは何事もなかったように続いていく。人間は全くとるに足らない存在ではないのか? 私は、ただそれを知りたかった。》

  しかしラムサは、「未知なる神」について教えてくれる師を持たなかった。生きている人間で彼が師として仰ぎたいものは、誰ひとりいなかった。生きる者であれば、誰もが多かれ少なかれ変質した思考の持ち主だったからである。真に純粋で無垢なものを、人間というのは自分自身の限られた思考によって間違った方向に変えてしまう。だから彼は、人間の思考が作り出した神などとはいっさい関わりたくはなかった。人間が神を作り出したのなら、その神もまた、不完全なものでしかありえないからである。
  彼に「未知なる神」について教えてくれたのは、常に本当の意味での師である人生そのものであった。彼は昼から学び、夜から学んだ。破壊と戦争の真っ只中にあっても、そのおびただしい数のひ弱な人間のいのちから学んだ。彼はまた、太陽の輝きに思索をめぐらした。それが、東から現れて大空を旅し、西の空に没する姿を見守った。沈黙を守ったまま太陽が、霊妙な形で人間を支配していることを学んだ。戦場の勇者たちがどんなに果敢に戦い続けたとしても、太陽に逆らうことはできない。日が沈めばその戦いは止むのである。
  彼は徐々に「未知なる神」についての理解を深めていった。彼はこう考えた。「未知なる神」とは、人間の変質した思考から生み出された神ではない。人間のこころにある神とは、人間がもっとも恐れ、敬愛する者が人格化された姿であるに過ぎない。真の神とは、決して途絶えることのない本質の部分であり、それこそがどんな形でも自分の幻想を作り出しそれを現実化していくことを許しているのだ、と。そして彼は、次のように確信していった。

   Who was the Unknown God? It was me... and the birds in their night nest, the frost on the reeds, the morning dawn and evening sky. It was the sun and the moon, children and their laughter, alabaster knees and running water, and the smell of garlic and leather and brass. This understanding took a long time for me to grasp, though it had been right in front of me all the time. The Unknown God wasn't beyond the moon or the sun--it was all around me! It was with this new birth of reasoning that I began to embrace life, to hold that dear to me, and to find a reason to live. I realized that there was more than blood and death and the stench of war; there was Life--far greater than we had ever perceived it to be. 10)

  《「未知なる神」とはいったい誰なのか。それは私である。そして、夜の巣に憩う鳥たちであり、葦に宿る霜であり、朝焼け、黄昏の空だ。さらにそれは太陽であり、月であり、子供たちであり、その笑い声であり、白いなめらかな足であり、流れる水、ニンニクと革と真鍮の匂いだったのだ。それはいつでも私のすぐ目の前にあったのに、それを理解するのに長い時間がかかってしまった。「未知なる神」は、月や太陽を超えたところにあるのではなかった。それは、私のまわりのすべてにあったのである。この見方が私の内に新たに生まれてからは、私は人生を受け入れ、自分にとって大切なものをしっかりと守り、生きて行くべき理由も見つけられるようになった。血や死や戦争の悪臭のほかにも、それ以上に価値のある存在があったのだ。それがいのちなのだ。いのちこそ、私たちが思っていたよりはるかに偉大なものであったのだ。》

  この気づきによって、彼は、その後の長い年月を通じ、確かに人間こそがすべての存在の中で最も偉大な存在だということが理解できるようになっていく。そして、人間が死んでも太陽がそのまま存在し続けるのは、太陽が死のことなど思索しないからであり、太陽が知るのはただ、「在る」ということだけだ、ということもわかるようになった。
  ラムサは、体の傷が癒えてしまうと、平原に座り、自分の軍の兵士たちが太り、怠けていくのをじっと見ていることしかすることがなかった。ある日、山々の幽玄な姿がはるか遠く地平線のかなたに霞んでいるのを見ていた彼は、[未知なる神」になること、つまり、生命の本質になるということはどういうことか、また、その永続する本質の一部になるためにはどうすればよいのか、を考えていた。
  ちょうどその時、風が吹いてきて彼に戯れたのである。ラムサが着ていた王様然としたきらびやかな服を下から吹き上げ、それを頭の上に巻き上げてしまった。まったく無礼千万である。征服者の姿としては滑稽で、決して見栄えのするものではない。それから、その風はサフラン色をした砂を巻き上げたかと思うと、彼の側に天まで届くような砂の柱を作った。そして風は動きをやめ、その瞬間に、砂埃を全部彼の頭の上に落としていったのである。
  風は音を立てて渓谷のほうへ移っていくと、美しいオリーブ畑を通り、木々の葉をエメラルド・グリーンから銀色に変えた。そこにいた若い女性のスカートを腰の所まで吹き上げ、そのあとには明るい笑い声が響いた。つぎにその風は、小さな子供の帽子を吹き飛ばしたが、その子は大声ではしゃぎながら、そのあとを追いかけていった。
  ぶざまな格好にさせられたラムサは、腹を立て、その風に戻ってくるように命じた。しかし、渓谷の風音が笑い返してきただけだった。彼が青筋を立てて命令を怒鳴り立てても、それも平気で無視された。そして、征服者の彼もついにはしりもちをついて座り込んでしまったとき、その風は戻ってきて彼の顔をやさしくなでていった。彼は、はっとして考えた。これこそが自由というものだ。自由とはこの風のことではないのか、と。こうして彼は、それ以来、風にあこがれ、風について思いをめぐらせ、風に近づいていった。つぎのようにである。

   To me, the wind was an ultimate essence, for it is ongoing, free moving, all-consuming; it has no boundaries and no form; it is magical, exploratory and adventurous. And that, indeed, is the closest resemblance there is to the God-essence of life. And the wind never judges man. The wind never forsakes man. The wind, if you call it, will come to you....through love. Ideals should be like that.
   So I desired to become the wind. And I contemplated on it for years and years. That became my ideal. That was what I wanted to be. That was what all my thoughts were bent on becoming. I contemplated the wind and aligned myself with its elusiveness and lightness and contours that are indefinable. And as I contemplated the wind, it was the wind I became. 11)

  《私にとっては、風は究極の存在だった。それは、止むこともなく自由に動きまわり、すべてを呑み込む。境界もなければ形も持たない不思議な存在で、しかも探求心が旺盛で冒険もする。これこそまさに、あらゆるものの中で、生命の神なる本質の部分にもっとも似通っているのではないか。それに風は、決して人を判断したりはしない。見捨てもしない。風はもし呼べば、誰の所へもやってくる。愛があるからやって来るのだ。理想とは本来そういうものであるべきなのだ。
  私は、だから、風になることを望んだ。そのことに何年も何年も思いをめぐらせた。風は私の理想となった。どうしても風になりたかった。風を思い続け、そのつかみどころのなさ、軽さ、イメージに自分を合わせようとした。そして、風の真実を真摯に追い求める過程のなかで、私は遂に風そのものになることができたのである。》

  ラムサはどのようにして風になることができたのか。
  最初の出来事は、彼が剣を突き立てられた時から6年後に起こった。そのころの彼は、夕刻になるといつも平原に出て一人で座り、月の青白く柔らかい光にじっと見入りながら、風に思いを馳せることにしていた。そしてそんなある時、驚いたことに突如彼自身が天空に浮かんでいることに気がついたのである。彼はいま、風のように舞い上がって空にいる。下に広がる平原の真ん中にはほんの小さな点と化した自分の肉体が遠く離れて見える。まったく予想もしなかったことが突然に起こって、その小さな点となった自分を見たとき、彼は剣を突き立てられて以来はじめて恐怖を感じた。その瞬間、彼は地上に降りていた。彼をもとの肉体に戻したのは、ほかならぬこの恐怖であった。
  つぎの日の夕刻、彼は再び、天空に浮かぶことのできたあの場所へ出かけ、風になろうとして風に思いを馳せた。しかし、もう風にはなれなかった。その後、何度試みても天空に浮かぶことはできなかった。再び風になるまでには2年が過ぎた。ある夜のことである。彼は眠りにつく前に、彼の意識にあるすべてを讃えていた。太陽を、生命を、そしてサフラン色の砂を、月を、星を、ジャスミンの香りを・・・。そのときである。瞼も閉じない内に、彼はまた風となって天空にいた。
  ラムサが自分の肉体を離れる術をマスターしてからも、思い通りにどこへでも行けるようになるまでには、ずいぶん長い時間がかかった。それもできるようになって、それからは長年にわたり、彼は想念であちらこちらの王国に旅し、いろいろな存在に出会った。ほんの一瞬のうちに過去から未来へと移動することも覚えた。思考のあるところに、自分自身の存在もあることがわかったからである。12)
  敵にとっては、ラムサはいままで以上に恐ろしい相手になった。敵の思考がすべて彼にはわかってしまうからである。どんな敵に対しても、相手の思考を読みとって、戦略の裏をかくことができる。もはや、相手の国を攻める必要もなくなってきた。自滅していくようにし向けさえすればよかった。彼は、名実ともに偉大な征服者となり、彼にとってのすべての敵はもはや敵ではなくなってしまったのである。 しかし、風になることのできたラムサにとっては、征服や戦争はもはや彼の関心事ではなくなっていた。風についての思索を深め、その自由の意味を悟り、神への道を模索することこそが彼の最大の関心事になっていった。彼は、つぎのように述懐する。

   When I became the wind, I realized how small and helpless man is in his ignorance about himself....and how great he becomes when he extends himself into knowledge. I learned that whatever man contemplates being, he will become. If man tells himself long enough that he is wretched and powerless, he will become wretched and powerless. If he calls himself lord of the wind, he will become lord of the wind, as I became lord of the wind. And if he calls himself God, he is going to become God. 13)

 《風となったとき、人間は自分自身について無知であるといかに小さく無力であるか、そして、知識の中に身を置くとどれほど偉大な存在になるかを、私は悟った。そして、人間は何でもなりたいものについて思いをめぐらせていけば、それがなんであれ、それそのものになることを知った。自分はみじめで無力なのだと長い時間自分に言い続ければ、実際にそうなってしまう。自分を風の主と呼ぶならば、私がそうであったように、本当に風の主となる。そしてもし、人が自分を神と呼ぶならば、その人はやがて実際に神となるのである。》

  こうした真理を学んでからは、彼は自分の同胞たちに、「未知なる神」とすべての生命の根源について教え始めた。真理を伝えることが彼の事業となった。そして、年も老いてきたある日、この生での使命はすべて成し遂げたというときが訪れた。 ラムサはインダス河を渡り、やはりインダスと呼ばれていた山の麓で、120日の間、彼の国の民すべてとともに語り合った。そこで彼は皆に強く訴えた。そこで語られるものこそが真実そのものであることを知ること、そして、神からの啓示は、誰かほかの人間を介してではなく、人間一人一人を創造した神を通して訪れるものであること。
  これを信じてもらうため、彼はみんなの見ている前で彼らの頭上を越えて空中高く浮かび上がって見せた。みんなは呆然とした。女たちは悲鳴を上げ、兵士たちは信じられない光景を目の当たりにして、思わず剣を落とした。ラムサは彼の愛する民すべてに別れを告げ、それぞれが自分なりのやり方で、彼と同じことを学び、彼と同じようになることを訴えた。14) それが最後の教えであった。それから彼は、文字通り昇天した。彼は神になったのである。

                   ー 1997年10月14日 ー



 

 1) この本には優れた翻訳がある。川瀬勝訳『ラムサーー真・聖なる預言』角川春樹事務所(1995) である。本稿の訳文は、この川瀬氏の訳に負っている。なお、この本が世に出た背景について、氏はつぎのように述べている。
    ・・・ラムサがそのメッセージを託す女性は、J.Z.ナイトという。ナイトによれば、もともと彼女 はこういう「超常現象」的なものとは縁のない存在で、「生まれたときに特別の星が輝くこともな かったし、ごく普通に学校へ行き、仕事で成功し、結婚して子供を生んだ」という人生をおくって いた。ただ、教会で教えられることには多くの疑問を抱きながらも、神を愛していることは意識していたという。 
  1977年のはじめのある日曜日の午後、キッチンに夫と二人でいた彼女のところに、突如として絹のような衣をまとい、深い目をたたえた背の高い(ドアの上のところに肩がくるほどだった)、光り輝く人物が現れる。この人物は自分をラムサと名乗り、人類に助けをさしのべるために来たと 言うのだった。夫の目には見えない存在であった。
  このときからナイトの苦労が始まる。まず最初は、自分に悪魔がやってきたと思ったという。近 くの教会に助けを求めるが、誰も相手にしてくれない。やっとこの種のことに詳しい人物に出会い、 「高次の存在」と呼ばれるものが、自分を通して語るという現象であることを知り、そのメッセー ジを伝える媒体となる。それからは、ラムサはあらゆる場所で彼女の中に入ってきて、1978年12月17日、ラムサ「公開チャネリング」が、はじめて行われたのだった。同書、pp.326-327
 2) アトランティスについては、プラトンの著作『クリティアス』以来、その存在について多くの議 論がなされてきた。日本でも1977年夏、小松左京、竹内均氏らを中心とする調査団がアトランティス伝説に対する科学的アプローチを行っている(小松左京監修『アトランティス大陸沈没の謎』日本テレビ、1978)。なお、エドガー・ケイシー『アトランティス物語』(林陽訳)中央アート出版社、1994、の第4章「紀元前5万年から1万年前のアトランティス」には、アトランティスは偉大 な科学を発達させていたが、人類の間には不和が続いていた、ことなどがリーディングにより紹介されている。pp.121-156参照。
 3) Steven L. Weinberg ed., RAMTHA, Sovereignty, Inc., Bellevue, Washington(U.S.A.), 1986, p.7.
 4) Ibid., p.7.
 5) Ibid., p.8.
 6) Ibid., p.9.
 7) Ibid., pp. 10-11.
 8) Ibid., p.11.
 9) Ibid., p.13.
10) Ibid., pp. 14-15. この「未知なる神とは私である」を繰り返し説いてきた一人が、知花敏彦氏であ る。たとえば氏は、つぎのように述べている。
  分離され、個別化された生命というのは、本来この宇宙には存在していない。唯一不二の大生命 が、生きとし生きるものすべてにひとしく宿っているのである。形の上ではそれぞれさまざまに個別化されているけれども、その本質である生命はただ一つ共通したものであり、区切られた個々の生命というものはない。宇宙空間そのものも生命なのである・・・・。
  人間は一人一人が神の分霊であると同時に、大霊である神そのものだということである。人間は 神と一体であった。人は神そのものであった。神の化身であった。知花敏彦『神我顕現への道』青冬社、1994, pp.25-33.参照。
11) Weinberg; op. cit., p.16.
12) この体外離脱についての資料・文献は豊富である。たとえば、Robert A. Monroe; Far Journeys, Doubleday & Co. New York, 1985.(坂場順子訳『魂の体外旅行』日本教文社、1990)では、体外離脱をつぎのように説明している。
  体外離脱とは、完全に意識があるまま、自分が自分の肉体の外にいることに気づき、あたかも肉 体的に機能しているがごとく物事を感知したり、また行動したりすることだ。空間をゆっくり移動 したり、明らかに光速以上のスピードで動いたりできる。物質、たとえば壁、鉄鋼板、コンクリー ト、土、海洋、大気、更にはは放射線の中さえまでも何の努力もせず、何の影響も受けず動き回ることができるのだ。
  こうしたことは新しい現象ではないのだ。最近行われた調査によると人口の全体の25パーセント の人間が少なくとも一回はこのような経験をしているという。 (坂場訳、p.3)
  体外離脱の内外の事例を集めて分析したものとしては、笠原敏雄編著『霊魂離 脱の科学』叢文社、1983、などがあり、筆者も、精神医学の巨人、C.G.ユングや、ターミナル・ケアで著名なエリザベス・キュブラー・ロスの体外離脱について紹介している。武本昌三 "Arthur Conan DoyleのSpiritualismについて(補遺)" など。 
13) Weinberg; op. cit., p19.
14) われわれは、「それぞれ自分なりのやり方で」神我を顕現させなければならない。自分が神であ ることを知ること、自分の中にこそすべての形あるもの造る力と原質と知慧があることを知ること。 そして、神我の顕現は神我自体がやるのではなく、個我がすることを知らねばならないのである。 ベアード・T・スポールディング『ヒマラヤ聖者の生活探求』第1巻(仲里誠吉訳)、霞ヶ関書房、p.218等を参照。