20.(4. 霊界の「富子せんせい」と仲良しの美樹

 4-a 霊界の「富子せんせい」と仲良しの美樹 (来信)   (2005.03.11)

 大変にご無沙汰しております。先生のホームページをいつも拝読し、メールさせて頂こうと思いながら手が止まってしまったことが何十回とありました。
 講演会が素晴らしかったこと、終了後にお話しさせていただいて嬉しかったこと、先生の旅行記をいつも楽しみにしていることなど、私の中で先生へお伝えしたいことが溢れかえり、どうにも言葉にできず、本当に失礼申し上げておりました。
 思えば私は去年のこの日に子どもを亡くし、それからまだ日の浅い時に武本先生にすがりつくようにしてメールさせていただき、受け止めていただけたことが一条の光となり、それがいのちの真実を学んでいく大きな契機となりました。
 私が死に瀕する子どもに付き添っていたときにどこかから聞こえてきた「これは決して辛いことではないのだ」という声は不思議なものでしたが、彼女が亡くなってからその声を思い返しては「辛くないなんてそんなことはありえない」と懐疑的にもなっていました。しかし、丸一年経った今、その意味が自分なりにわかる様になってきたと思います。
 先生は昨年「霊界は素晴らしいところですが、美樹ちゃんが迷うことのないように導かれますようお祈りしています」とお返事をくださいました。
 そんなに愛に満ちた素晴らしい場所へ、この悲劇の後美樹はたどり着くことができるのだろうか? 自分は苦しくても構わないからあの子には安らかに過ごして欲しい。ただひたすらそんなことを願いながら、私はいのちの真実を知りたい一心で手探りでやってまいりました。それ以外に自分の生きる術が無かったのかもしれません。
 精神的に追い込まれた挙句もうだめだ、と諦めかけた頃私は美樹からのメッセージを受け取ることになりました。やはり先生の言われたとおり、彼女は素晴らしい世界に導かれており、いろんな方からの愛を受けておりました。
 中でも「富子せんせいとは仲良しで、図書館に本を読みに行ったとき知り合った。今は自分より小さい子ども達の世話を手伝っている」、
 「地上で悲しい思いをした子がいっぱいいる。その中にはこっちに来たくない子も多い。そんな子の側に行ってやさしく話しかける」、
  「富子せんせいには息子さんがいてその人も先生をしている。何でも教えてくれる先生らしい」 という内容には驚くとともに嬉しくて仕方がなく、私はどこか肩の荷がおりたような感覚をおぼえました。
 武本先生が真っ先に祈ってくださったことを先生の奥様が知っておられ、美樹を導いてくださったのに違いありません。
 目に見えないものの中に真実があったとは一年前まで私は知る由もありませんでした。そして今は真実を知ることのほかにも数多くの恵みを頂いているような気が致します。先生とご縁をいただけたことを何よりも嬉しく思っています。本当にありがとうございます。
 先生のホームページによって私のように力づけられる方がたくさんいらっしゃることと思います。その方たちとともに今後一層のご指導を賜われますようお願いいたします。
 季節の変わり目、くれぐれもご自愛くださいますよう。奥様や潔典様にどうぞ宜しくお伝えくださいませ。 (I.S)


 4-b 霊界の美樹ちゃんと祈りのなかで対話を (返信)    (2005.03.11)

 こころあたたまるメールを有難うございました。
 美樹ちゃんが霊界へ旅立ってちょうど一年目になりますが、その美樹ちゃんがこのお母さんのメールのことを知って、誰よりも安心し、喜んでくれていることと思います。
  「大空の会」での私の講演を聞いてくださった方が、つぎのような文を書いて送ってくださったことがあります。

 子どもを亡くすことは
 決してお気の毒なことでも不幸なことでもありません。
 亡くなった子どもは佛様に近い高い魂なので
 この私に「無限の光に抱かれる安心」を教えてくれるために
 私の子どもとして産まれ、短い命で死にました。
 今では慈悲に満ちたお浄土から苦しみの多い人間界の私を心配して
 あの手この手で私を助けてくれています。
 子どもが亡くなることは親より子どものほうが立派過ぎて
 飛び級でお浄土に迎えられるという祝福すべきことと思っています。
 だからとっても幸せで感謝の気持でいっぱいです。

 これを読んでいて、「飛び級でお浄土に・・・・」のところまでくると、私はいつもちょっぴり涙が出そうになります。美樹ちゃんも飛び級で天国へ行ったのですね。
 平和で安らかな霊界での生活の中で、富子と仲良しになってくれているというのは、私にとっても何よりもうれしいニュースでした。潔典もそばにいてくれているようで、心丈夫です。
 霊界へ赴く前の富子は本が好きで、子供向けの図書室を作るのが夢でしたが、いまは、保育所のようなところで、多くの子供たちに囲まれ、忙しく過ごしていることを私はよく知っています。
 潔典は、いまもいろいろと好きな勉強を続けていますが、確かに「先生」であるようです。長年の霊界との交信のなかで、矛盾もなく伝えられてくる情報に私も随分救われてきました。
 すばらしい霊界で美樹ちゃんが、まわりの多くの方々から愛をうけているのは、当たり前といえば当たり前のことですが、こころが和みますね。私もお祈りのなかで、美樹ちゃんと親しく対話させていただきたいと思っています。
 どうか、明るくお元気でお過ごしくださいますように。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.173-177)



 21.(5. 人を恨まないでいることの救い)

 5-a 人を恨まないでいることの救い (来信)   (2005.04.02)

 ご無沙汰しておりました。年初めに温かいお言葉を頂きながら、何のお礼も申し上げず申し訳ございませんでした。
 いかがお過ごしですか?先生のホームページはほとんど毎日欠かさず見ております。
 ここドイツは、三月中ごろより急に気温が上がり、クロッカス、水仙等の花々が一気に芽吹きました。長く暗い冬から目覚めた花の美しさは例えようもありません。こちらでの滞在も後残り一年を切り、これがドイツ最後の春かと思うとその美しさは一層心に染み渡ります。
 まだまだ乗り越えなければならない山は沢山ありますが、お陰さまで、今は昨年とは比べようもないほど気持ちが落ち着いております。これもひとえに先生の温かいお言葉のお陰です。本当にありがとうございます。
 実は今年に入ってからちょっとした事件がありました。妹のボーイフレンドが三月に結婚したのです。その報告をもらったのは2月。私達家族は、「彼もひどく心を痛めており、未だ立ち直れていない」とずっと思っておりましたから、その報告を受けた時はかなり動揺いたしました。
 彼は私達に気兼ねしてずっと演じていたのだろうか? また嫌な記憶が蘇ってきて、しばらく一人悶々としておりました。
 妹は彼とずっと一緒になりたいと思っておりましたが、彼のお母様が大反対だったようで、お付き合いしている時も、妹が電話をかけると一方的に電話を切られたりしていたようです。
 理由は良く分かりません。妹が心の病であった事は御存じなかったようなので、だとすると宝くじ売り場のパートだったからなのか?
 妹は何度か「正社員で働かないといけないのかな〜?」と洩らしておりました。そして、彼に新しい彼女が出来、破局を迎えたのですが、そのお相手は彼と同じく学校の先生。
 別れ話の後、電話で泣きながら「相手は学校の先生だからかなうわけない・・・」と私に訴えた妹の言葉が何度もこだまし、ただただ悔しくて一人泣いておりました。
 妹が亡くなってまだ一年しか経っていないのに、それをかき消すかのように慌てて結婚。こんな恨みがましい気持ちをどうする事も出来ずにおりました。しかし、この時の先生のホームページの「学びの栞」は“敵に対しても愛を”だったのです。
 それと同時に、“妹ならこんな時何と言うだろう?”と考え、自分の恨みがましい気持ちを反省いたしました。
 あの子は、絶対に人を恨んだりなんかしない。それに、私が彼や彼の家族を恨めばきっとその事を悲しむに違いない。理由は分かりませんが、何故かそう確信し、自分の気持ちを静めることが出来ました。また、ロンドンで受け取った妹のメッセージ “今も変わらず彼を想っている” を思い出しました。
 あの時、私も両親も彼に結婚話が出ている事を全く知りませんでしたが、妹はそれを分かって敢えてそう伝えたのでは、と今になって気付きました。妹と彼がこの世で結ばれなかったのにはきっと何か意味があるのだろう、今はそう思っております。
 母の方も、最初は相当ショックを受けておりましたが、何度かやり取りがあって、彼が涙ながらに「今まで語った事(今でも妹を忘れられないといったような事)に偽りはない」と訴えるのを聞き、お互い気持ちよく別れることが出来たようです。(彼はこの春の異動で、私の実家のある町から離れた所に引っ越すそうです。)
 私も彼に手紙で自分の気持ちを伝えました。彼からも丁寧な返事をもらい、恨まなくて良かったと今は心からそう思っております。
 最近、何か壁にぶち当たると、どこかでその“答え”に出会う事が多いのです。「学びの栞」、「今日の言葉」は然り、本であったり新聞であったり、インターネットのニュースであったり。その度ごとに感謝している毎日です。
 今後も日々学びながら、前向きに生きていきたいと思っております。先生もお身体にお気を付けて。 (Y.W)


 5-b 春の野の草花のように素直で美しく (返信)   (2005.04.02)

 あなたのメールを拝見していて、私はイギリスの春を思い出していました。
 いまごろはラッパ水仙の季節で、家々の庭先でも、郊外の田舎道などでも、いたるところに鮮やかな黄色の花びらが風にそよいでいるはずです。田舎道をドライヴしていたときなど、そのあまりの可憐な美しさに、しばらく車を停めて見入ったりしたこともありました。
 水仙はベルギーやオランダ、ドイツなどでも見られますが、見慣れていたせいでしょうか、私には、春といえば、イギリスのラッパ水仙がまず、頭に思い浮かびます。
 人に対して恨みの感情をもつことは世間にもよくあることで、私にも経験がありますが、これは苦しいですね。
 私は、長年、国立大学に勤めていて、比較的順調に昇進し、文部省在外研究員や、フルブライト上級研究員にも選ばれました。しかし、同僚のなかには、私より先任でありながら、昇進も遅れ、海外へもなかなか出られなかった人もいました。
 そのような人のひとりが、私のフルブライト客員教授としてアリゾナ大学から、ノース・カロライナ大学へ移るとき、アメリカ滞在が二年目になるということで、「足を引っ張る」というのでしょうか、何かにつけて、国立大学での滞在延長承認に反対したのです。
 ひとりでも私の滞在延長に反対なら、帰国してもよかったのですが、私はそうしませんでした。大学の前例に反して反対する者がいるということで、意地になって、延長に踏み切ったのです。
 大学の教授会へは、承認に反対できないような書類を十分に揃えて送り、滞在延長を認めてもらいました。その結果、私はノース・カロライナへ行き、その年の夏休みに、東京から呼び寄せた妻と長男が、帰国の途中、あの事件に巻き込まれてしまうことになります。
 私は、この男さえいなければ、ノース・カロライナへ行くこともなく、ノース・カロライナへ行かなければ、妻と長男を失うこともなかった、という身勝手な理由で、長い間、その「足を引っ張った」ひとりの同僚を恨み続けました。公開質問状を出して返答を要求したりもしました。
 しかし、こういう恨みは本当に苦しいですね。相手に思い知らせてやる、というよりも、その前にまず自分自身が深く傷つきます。自分で毒素を吐き出して、その毒素がすべて自分に跳ね返ってくるようなものです。
 今では、あれも、一分一厘の狂いもなく働いた「天の摂理」によるものということがよくわかるようになりました。
 あの事件に巻き込まれたのも、あのときの私には「必要」であったからでしょう。それは、決して偶然というものではなく、必然であったと思わざるを得ません。事件後何年もたって、ある高名な霊能者から、「事件に巻き込まれたことを喜んでください」と言われたときにも、私はそのことばに異を唱えず、素直に納得していました。
 私はそれでやっと、人を恨むことの無意味さを、あるいは、愚かさを学んだことになるのかもしれません。
 妹さんのことで、彼を「恨まなくてよかった」といっておられるあなたは、それだけでも以前のあなたとは違います。
 悲しみや苦しみから誠実に学びながら、光への道を一歩一歩着実に歩んでおられるあなたに励まされるようにして、私もつい、自分の身の上話を聞いていただくような、長い返事を書いてしまいました。
 ドイツでは、まだまだ花の季節が続きますね。最後の年の春を、どうぞ、こころ安らかに過ごされますように。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.177-183)



 22. ( 6. シルバー・バーチの教えにたどり着いて)

  6-a シルバー・バーチの教えにたどり着いて (来信)  (2005.05.28)

 はじめまして。私は名古屋に住む三十二歳の女性です。
 今までシルバー・バーチの本も読んだことがなかったのですが、江原啓之さんという方が最近テレビで活躍されていて、その方の本が図書館にありたくさん読ませていただきました。江原さんがシルバー・バーチの本に出会った時のことも書かれていました。それで名前を知ったという感じです。
 インターネットで検索したら、武本様のシルバー・バーチの「学びの栞」にたどり着き、毎日少しずつ楽しみに画面越しに読ませていただきました。まだ全部は読めていませんが、これから徐々に楽しみに読ませていただきます。
 本当に目からうろこを超える内容ばかりで発見の連続です。シルバー・バーチに生きているうちにたどり着けたことが、自分にとってはとても幸運だったと思います。
 しかしながら、ここまでの道のりは自分にとっては、とても楽なものではありませんでした。いまだに精神科に通い、薬を飲んでおります。
 四年前にほとんど自分の意思が自分の意思とは違う方向にどんどん進み、結婚を失い、色々なことでこころの歯車がおかしくなって、夜中になると暗闇の中を歩きながら泣き続けたりしていました。
 その後私の脳が壊れてしまいました。あちこちの病院にいき最後にたどりついたのは精神科。いまだに普通の生活は送れず、短時間のパートというありさまです。
 死にたくて死にたくてその気持ちが離れることなく、横になれば悪夢を見るという感じです。とても真面目に働いてきた両親になんの親孝行もできずに、三十二年間の人生がこんな状況になっていることも本当に残念です。
 シルバー・バーチの教訓を少しずつでも読ませていただいているうちに、私は今までのやってきたことが自分の本来の人生のレールから脱線する要因になっていたという感じがしました。
 私は二十二歳の時に重症なアトピー皮膚炎から逃れたくていろんな情報を探していました。その中でインドにいるサイババという方に会いに行きました。その方の言われている本がとても愛にみちていると思ったからです。
 その方の本には、無私で愛に満ちた奉仕がエゴを消滅させるにはとてもいい手段ということが書かかれていました。病気のカルマも、貧しい方や、障害を持つ方や、困っている方の奉仕でぬぐいさられるといったことも書かれていました。
 その本を読んだことをきっかけに私は七年くらい、サイババを信仰する方と一緒に月2回ホームレスの方への食事の奉仕をさせていただきました。
 障害者の方への奉仕もさせていただきました。そしてサイババの定例会にも時々参加しておりました。が、どこかでやっぱり、自分の魂が納得がいかない部分もあったのです。
 病気がアトピーということもあり、いろんな宗教の方にも声をかけられました。でもやっぱり宗教では救われないことも十分に身にしみていました。自分の魂がなんか、しっくりこないのです。そして、四年前の出来事がおこりました。
 武本様の「学びの栞」に出会う少し前に、自分の部屋にある宗教の本とかいらないものは、全部捨てました。部屋ががらーんとなり、すっきりしました。それとともに、重荷がとれた感じになりました。そして、今にいたります。
 今の自分はシルバー・バーチの言葉に目からうろこです。感動をしています。人生を遠回りしてきた自分にはとても感動をもたらす言葉ばっかりです。
 このようなホームページに出会えてとてもうれしく思います。感謝しています。(E. S.)


 6-b さまざまな試練を前向きに受けとめていく (返信)  (2005.05.28)

 メールを繰り返し拝見させていただきました。
 「学びの栞」を読んでくださるようになるまでの道のりは、あなたにとって決して平坦なものではなかったと思いますが、そのあなたが、まだ三十二歳ということに、私は一筋の強い希望の光のようなものを感じています。
 私は、五十歳を過ぎても、まだ何もわからず、わかっていないこともわからず、ただ、世間の「常識」に流されて生きていましたから、誤解を恐れずに言わせていただきますと、そのような私からは、あなたはまぶしく、羨ましくもあります。
 私は、長い間、人生に立ちはだかる様々なハードルの意味がわかっていませんでした。
 悲しみも苦しみもない順風万帆の生活が幸せで、病気で悩んだり、人間関係で辛い思いをしたり、生活が楽でなかったりすることを不幸だと思い込んでいました。むしろ、それは逆であることに気がつくのが遅すぎたような気もいたします。
 「悪戦苦闘すること、暗闇の中に光を見出さんと努力すること、嵐との戦いの末に再び太陽の光を見てその有難さをしみじみと味わうこと・・・・・魂はこうした体験を通して初めて成長するのです」というような、シルバー・バーチのことばには、本当に勇気づけられますね。
 もちろん、悲しみや苦しみの意味がわからなかったら、悲しみも苦しみもそのままで終わってしまいますが、あなたのように、シルバー・バーチに「生きているうちにたどり着けたことが、自分にとってはとても幸運」と思っておられる方には、大きな共感と安堵感のようなものを感じさせられます。
 「修行」は決して楽なものではなくても、それはいいことなのですね。「低く身を沈めただけそれだけ高く飛躍できる」ことに希望を託しながら、これからの貴重な人生を歩んでいく上で、あなたの明るく力強い足取りをこころから期待していたいと思います。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.183-187)



 23. (7. 眼から鱗が落ちるような真理を知る)

 7-a 眼から鱗が落ちるような真理を知る (来信)   (2006.02.06)

 初めてメールさせて頂きます。
 二日前にシルバー・バーチを検索して、出てきたものを順番に、クリックしていきました。ものすごい量ですが情報を一つも見逃したくない思いがあり、夜中にパソコンにむかっておりました。
 実は十年以上前に、「悲しくて、悲しくてどうして私にこんな事が起こるのだろう」ということがありました。死別の悲しみではありませんが、私にとっては心臓がえぐられるほどの、深い悲しみでした。
 起きて意識があることの現実が辛く、ずっーと眠っていたいと思い、また眠っているときだけ、苦しさから逃れられていたと思います。息をすることも辛く、胸が苦しくて、張り裂けそうで、意識しないでも普通に呼吸のできる事のありがたさ、平凡な幸せの偉大さもその時に分かりました。
 人前で話す仕事をしていて、何事もなかったかのように振る舞うことが、とてもつらかったことが思い出されます。本当は外出など一切したくなく、下を向いては込み上がる涙をこらえるのに苦労致しました。相談する相手も居らず苦しい毎日でした。十年以上前の状況なのに鮮烈に覚えているのです。
 どうしてこんなに辛いことがおこるのか?何故?何故?の気持ちが沸き上がり、何を私は悪いことをしたのか、神様に教えて欲しい一心で、向かった先は、大きい書店でした。精神世界、宗教のコーナーです。
 それからは、眠る時間も惜しく、この苦しみを受ける理由を解明することを片端から書籍に頼ったのです。一刻も早く本当の真理が知りたかったのです。眠いとも思わず、何かに急かされるように一日二〜三時間の睡眠で読みあさりました。
 もちろんその本の中にはシルバー・バーチ様(わたしは様づけでお呼びするしかありません)がありました。巻末や、出版社の案内に載っている、同じ系統の本も取り寄せました。霊界通信、ベールの彼方の生活、死後の世界ほか、沢山の本が今も本棚に並んでおります。
 これらの本を読んでいくうちに私の心の中に、色々な思い、考えが起こり、この苦しい現実が受け止められるようになっていったのです。
 もちろん時間はかかりましたが、眼から鱗がおちるような真理を知ることが出来て、不幸のどん底にいた自分ですが、逆に何ものにも代える事の出来ない素晴らしいそれこそ人生の秘密を知ることが出来たのです。
 シルバー・バーチ様の言葉は真理として私の心に染み渡りました。モーリス・バーバネルが口述したテープも聞きましたが、シルバー・バーチ様の声はとても穏やかでした。モーリス・バーバネルが生きている内に、降霊会に是非とも行ってみたい気持ちに駆られました。この夢は残念ながら叶えられませんが・・・・
 シルバー・バーチ様の霊訓に出会わせてくれた諸々に感謝致しました。目が見えて、字が読めることにも感謝しました。この本のおかげで救われたのです。
 あれから十一年間、スピチュアルなことを、自分なりに勉強してきました。今はシルバー・バーチ様の仰っている動物たちのこともとても気に掛かります。人間だけが、やり放題の世の中です。動物実験、肉食なども考えなくてはいけない時期に来ていると思います。他人に優しくするように、動物にも優しくありたいものです。
 長くなりましたが、急に二日前に何故かインターネットでシルバー・バーチ様を検索して武本先生のホームページに出会わせて頂いたご縁のきっかけを書かせて頂きました。
 もう続けて八時間ぐらい武本先生のホームページを読んでおります。そして今こんな事を書かせて頂いている理由ですが、ご家族と死別された方々の悲痛な文面を拝見して、シルバー・バーチ様の霊訓を熟読されることを僭越ながら申し上げたくてメールしました。
 武本先生の、相手のかたの気持ちに寄り添った温かいお返事を読ませて頂きましたが、武本先生がおっしゃって居られるように、迷信でもなく、慰めでも無く、本当に真理を知ることが苦しい、辛い気持ちから抜け出せる事へ必ず繋がっていくと信じています。私も「学びの栞」を毎日、毎日読ませて頂きます。
 乱暴な文章で恥ずかしいですが、私の座右の銘の霊訓を、一緒に解釈していける場所に出会えたうれしさで思わず、今の思いを書いてしまいました。
 十年以上前の苦しみの本質は無くなってはおりませんが、体は死んでも、永遠に生き続ける魂に恥ずかしくないようにこの世を生きようと思っています。(S.R) 


 7-b どん底の悲しみこそ天から与えられた恵み (返信)   (2006.02.06)

 暗闇のなかに差し込む一筋の光を感じさせるような貴重なメールを有難うございました。
 ご自身の体験から掴んでいかれた、そして、悲しみのどん底にいたからこそ知りえた真理のことばの有難さを、このメールを読んでくださっている多くの方々と共に感じ取っていきたいと思います。
 文中で、シルバー・バーチ様と「様づけ」で呼んでおられるお気持ちは、私にはよくわかります。私も深い尊敬の念からこころのなかではいつもそのように思っているからです。
 モーリス・バーバネルが生きているうちに、降霊会に是非とも行ってみたいお気持ちになられたのも、私にはよくわかります。私もまた、同じことを何度も強く感じてきたからです。
 それは、いまはもう叶わぬ夢となりましたが、それでも、これだけの膨大な量の真理の言葉を、十分に納得して受け入れることが出来る幸せをこころから感謝せずにはおられません。
 私は、昨年十一月の講演 「死を越えて生きる」のなかでも、シルバー・バーチの肉声の一部をテープで紹介して、つぎのように述べました。

 「二千五百年前の釈迦は数多くの仏典を残し、二千年前のイエス・キリストは『聖書』を残しましたが、それらはいずれも、釈迦やイエス・キリストの弟子たちが聞いた話を書き残したもので、釈迦自身、イエス・キリスト自身が書き残したものは一行もありません。しかし、三千年前のシルバー・バーチは、このとおりの現代英語で、直接私たちに語りかけたのです。」

 これは本当に大変なことで、その重大な意義は、いくら強調しても強調しすぎることはないと思われます。
 ですから、私も、「これらは一字一句、シルバー・バーチ自身の言葉であり、私たちは、霊媒を務めたモーリス・バーバネルの声帯を通してではありますが、このとおり語っているシルバー・バーチの威厳に満ちた肉声を録音で聞くことさえできます。これは、二十世紀の人類に起こった最大最高の奇跡のひとつといってもいいのかもしれません」と付け加えました。
 おそらく、私もまた、悲しみのどん底にいなければ、このような「奇跡」とめぐり合うこともなかったでしょう。特に科学万能を盲信する傾向の強い大学社会などでは、三千年前の古代霊であるシルバー・バーチの霊訓と聞いただけでも、理性が受け入れられるはずのない荒唐無稽な絵空事として、忌避し近寄ろうとさえしないのが普通です。
 悲しみのどん底にいたからこそ、近づき、求め、知りえた真理のことばであることを考えますと、どん底の悲しみこそ、実は、天から与えられた大いなる恵みであったと言ってもいいのかもしれません。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.188-193)



 24. (8. この世に生まれてきた意味を考え続けて)

 8-a この世に生まれてきた意味を考え続けて (来信)  (2006.03.09)

 武本先生、毎日、ホームページを拝読させていただいております。ありがとうございます。
 毎朝、七時前後にメール確認と先生のホームページをチェックします。そして「今日の言葉」を読みます。心が安定します。温かい愛で一杯になります。ありがとうございます。
 三月五日の「シルバー・バーチの講演」は、涙があふれました。そして、私たちに毎日一つずつ、霊言を提供してくだっさっている武本先生に、お礼と感謝の気持ちを伝えたくメールいたしました。
 「学びの栞」も、本当に素晴らしいです。ありがとうございます。そして、先生がこうして霊性を高められた、奥様と息子さん失うという辛い経験からこれまでの先生の生き方に感動しています。
 日常に追われ、大事なことを見失いそうな私に、先生のホームページはたくさん勇気と愛をくださいます。
 四十五歳の去年の夏にシルバー・バーチに出会い、近藤先生の本の最新版を何冊か読み出しました。霊訓集は読んでいませんでした。そして今年の一月中旬に先生のホームページに出会いました。「学びの栞」は項目ごとに整理されていて、とても助かります。ありがとうございます。
 この二十五年近く、生まれてきた意味、私の使命はなんだろうと考えてきました。生んであげられなかった子どもたちへの懺悔の思いと。他に二人の、十九歳・大学一年と十七歳・高校二年がいます。
 私は国文学での大学受験に失敗し、T大学(もと宗教大学)に英文学で入学しました。
 その頃から、この世と中間世と過去世があるんじゃないかと考えはじめ、宜保愛子さんの本などを読み出しました。そして東京の中学校の英語の教師になりました。武本先生は大学の教授でいらっしゃって、へエーそんなすごい方がこのホームページを作っているんだ!と驚きました。
 またメールさせていただきたいです。四月の「大空の会」の講演会が楽しみです。これからもどうぞよろしくお願いします。(M. T.)


 8-b 無知から逃れるための長い歳月 (返信)   (2006.03.09)

 メールを有り難く読ませていただきました。シルバー・バーチの教えに共感していただいておりますことをこころから感謝申し上げます。
 ホームページの「はじめに」のところにも書きましたように、これを開設したのは2003年の三月末のことでしたが、それまでは、私がこのようなホームページを開設することになろうとは、予想していませんでした。
 八王子市・溝口祭典の佐々木薫さんをはじめ、私の講演会を支えてくださっている方々のご尽力のお陰で、毎日、入力作業を続けているうちにいつの間にか3年が過ぎました。
 このホームページを開設する前の私は、長年の間、いろいろな大学で教えていましたが、大学というのは、過去から現在に至るまで、霊的な知識や探求からは遠く離れたところにあります。
 大学はあくまでも学問の府であって、学問とは真理の探究にほかなりませんが、その「真理」には、霊的真理は含まれていません。
 大学では、科学的真理だけが真理であって、霊的真理は科学ではない以上、およそ、「まともな」大学教授が関心を持つ問題ではないと、いまでも、頑なに信じられている傾向があります。ですから、無知を懼れ、軽蔑するような科学者としての大学教授や高学歴のいわゆる「知識人」などが、実は、霊的には一番無知であることが多いのです。
 私はかつて、講演集「生と死の彼方にあるもの」のなかで、すぐれた霊能者としても著名な美輪明宏さんのことばを引用したことがありました。
 美輪さんは、佐藤愛子さんの『こんなふうに死にたい』(新潮文庫)のなかで、次のように書いています。

 通常の医者や科学者は、超常現象や己の無知なる部分を認めれば沽券にかかわる、それらを否定することこそ立派な科学者で常識ある人間だと思いこんでいる。この姿こそ小心翼々とした哀れむべき根性である。頑迷ということは愚か者だということである。『超常現象なんてあるわけはありません』とそれに対する勉強も研究もせず何の知識もない癖に頭から否定してかかるのが傲慢なる愚者の発言であり、「この世の中には自分が知らない事はまだまだ山の様にあります。私には知識も経験も無いのでわかりません」と発言する人が聡明で謙虚な人なのである。

 大学教授などになって、人並み以上に専門的知識を持っている、というように思い込み始めているうちに、かえって、だんだんと霊的真理を見る眼は曇ってくることになります。私の場合も例外ではありません。
 だから、家族の死に直面すると、ただわけもわからず、悲しみ嘆くだけの長い歳月を送ることになってしまったのでしょう。私は、よく「霊的な無知ほど怖いものはない」と思ったりしますが、いまも、自分の長年の無知を省みて、忸怩たるものがあります。シルバー・バーチも、かつて、ある知識人に対して、次のように言ったことがありました。

 こう申しては失礼ですが、あなたは物事をガラス越しに薄ぼんやりとみつめておられます。真剣ではいらっしゃるかも知れませんが、きわめて小さなレンズで覗いて全体を判断しようとなさっています。あなたにはまだ永遠の尺度で物事を考え判断することがおできになりません。この途方もなく巨大な宇宙の中にあって、ほんの小さなシミほどの知識しかお持ちでないからです。しかし今、それよりは少しばかり多くの知識を私たちがお授けしているわけです。

 この「ほんの小さなシミほどの知識」しかもっていない私も、いまはこうして毎日、シルバー・バーチのことばをホームページでお伝えするようになりました。
 「それよりは少しばかり多くの知識を私たちがお授けしているわけです」と謙虚にいわれることばを、身にしみて有り難く噛み締めながら、私は希望を持って学校へ通い始めた小学校一年生のように、素直に、そして熱心に、これからもシルバー・バーチの教えを学んでいきたいと思っています。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.193-198)



 25. ( 9. 母の眼を見たかった霊界の幼児)

 9-a 母の眼を見たかった霊界の幼児 (来信)  (2006.03.07)

 私は昨年、長い不妊治療の末得た待望の第一子を、生後間もなく亡くしました。その後2ヶ月位は思考停止状態が続き、息をするのがやっとの毎日を過ごしました。
 夫や家族の介護のお陰で、何とか生きてきた日々でした。
 三ヶ月ほどが経過し「本当に人は亡くなったら終わりなのか?」と、私は「輪廻転生」や「死後生」などについて書かれた本を読み始めました。けれども「いくら本を読んでも、実感出来ないことは信じられない。」そう思うようになり、四ヵ月後初めての霊視鑑定を受けました。
 ところが、娘が赤ちゃんで他界したため「思い出」などがなかったからでしょうか?「単なる文章」としても矛盾を孕んだ、納得できない鑑定結果を受けました。
 その後がっかりしながらも、読書やネット検索をするなどの、悶々とした日々を過ごしていました。そしてある日、先生のページの「メール交歓」の過去ログの中に「地上で悲しい思いをした子がいっぱいいる。その中にはこっちに来たくない子も多い。そんな子の側に行ってやさしく話しかける」というお話を見つけて、胸騒ぎがしました。
 そして高額な鑑定料を払って、あるご高名な方に霊視鑑定をお願いしましたが、やはり納得が行かない結果しか得られませんでした。「赤ちゃんのままで亡くなると、ぞんざいな扱いしか受けられないのだろうか?」と、かえって悲しくなる始末でした。
 そんな思いが続く中で、つい先日また別な方のリーディングを受けることとなりました。「これで納得出来なかったら、死後生のことは信じないことにしよう。」そんな気持ちを抱きながら、セッション場所の最寄り駅の改札口の上をふと見上げた時、デジタル時計の「分」表示が娘の誕生日とシンクロしていました。
 その瞬間「今日こそ娘に会える!」そんな予感がしました。けれどもこれまでの苦い経験から、私は甘い期待を抱かないようにして、事務所の扉を開きました。
 セッション終了後、ミディアムが伝えてくれた言葉の一つ一つを思い出すと、娘の「生涯」と呼ぶには、あまりにもはかなく短い人生を一つの「ジグソーパズル」とするならば、ミディアムの言葉の一つ一つは、まるで美しい輝きを放つピースでした。
 そのすべてが、寸分の狂いもなく、ピタリピタリとはまっていきます。そしてこの日セッション中に、忘れられない出来事が起こりました。
 ミディアムと娘が、何やら二人で話し込んでいました。「いいですよ。」「大丈夫ですよ。」「出来ますよ。」「どうぞ」などと、ミディアムが受け答えしていました。
 その直後です。ミディアムがじっと私の目をみつめました。時間にしたら短かったのかもしれませんが、私にはかなり長い時間のように感じられました。
 その後ミディアムは「娘さんは『久々の肉体はとても重たかった。』『急に大きな身体に入ったので、疲れた』って、言っていますよ。」と言いました。
 「赤ちゃんの身体にいたのに、成人の身体に入ったものだから、重たく感じられたのでしょうね。」「?」「実は今、娘さんに私の身体をお貸ししていたのですよ。どうしても『人の眼』で、お母さんの眼を見たかったそうなのです。」
 紛れもなく娘でした。ミディアムには「生後三日目に私たちが集中治療室へ面会に行ったとき、薬で意識を失わされているはずの娘が、懸命に私たちが立っている側の目蓋を開こうとした」という話をしていませんでした。
 最後まで開く前に「紫外線照射中で、ドライアイにでもなったら大変だ」と思った私たちは、慌ててスタッフを呼んで、娘が目蓋を開ききる前に、閉じてもらったのでした。そのときスタッフは「自発呼吸ができないほどの薬が効いているのに、そんな馬鹿な!」と驚いていました。そしてこの日を境に、娘の容態は急速に悪化しました。
 この時娘に最後まで目蓋を開かせてあげなかったことを、私たちは非常に悔やんでいたのです。「きっとあの娘はあの時、この世の見納めをするつもりだったに違いない。最後まで目蓋を開かせてあげれば良かった」と。
 なお、この日のセッションにより、私の行方不明だった娘は、意外な場所で見つかりました。こんな愚かな母のことを思って、他界後十ヶ月近くもの間、お迎えに来てくれた方を待たせたまま、たった一人で「暗く何もない世界」にとどまっている状態なのだそうです。
 「地上で悲しい思いをした子がいっぱいいる。その中にはこっちに来たくない子も多い。」まさに娘はそのうちの一人でした。胸騒ぎは当たっていました。
 この日より「娘を閉ざされた暗闇の世界から光の世界へ解放すること」・・・それが、生きている間に娘に触れることさえ許されなかった私の・・・「生きとし生ける者がすることを何一つ出来なかった娘」に対する「今生の母としての最初で最大の務め」となりました。すなわち、私の中の「娘への執着心」からの解放です。
 霊感も霊能力もない私でも「たとえどんなに短い期間しか一緒に過ごせなくても、住む世界が変わろうとも、『親子の絆』は存在するのだ。」ということを実感できる、すばらしい体験をさせて頂きました。
 ミディアムの能力の高さはもとより、文字通り「全身全霊」、「誠心誠意」というひたむきさ、そして娘の「何としてでも伝えたい」と強く願う、私たち家族への愛情があってこそ、はじめて成せる業なのでしょう。 (K)


 9-b ひたむきな母親の愛にこころ打たれて (返信)   (2006.03.07)

 メールを繰り返し読ませていただきました。生後まもなく亡くなられたお子さんに対する母親としてのひたむきな愛情に、強くこころを打たれています。
 長い不妊治療の末に生まれた大切なお子さんであっただけに、どれほど愛おしく思われたことでしょう。そのお子さんが手の届かぬところへ行ってしまわれて、「息をするのがやっと」であったといわれるのも、無理ではありません。ご心中、こころからお察し申し上げます。
 この間の「今日の言葉」(97) では、二人のお子さんを亡くされたご両親の事例を取り上げました。親にとって愛するわが子を亡くすということほど辛く悲しいことはありませんが、まして、二人の子供を亡くしたときの悲しみとなると、想像を絶するというほかはありません。
 シルバー・バーチは、その、二人の子供を亡くしたご両親に、つぎの様に話しました。

 魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が甦り、顕現しはじめるのです。

 このご両親は、しかし、二人の子を失うという極限の悲しみのなかから、何よりも貴重な霊的真理を掴み始めていくことになります。
 そのご両親に対して、シルバー・バーチは、さらに、「お二人はその大きな真理を我が子の死という大きな悲しみを通して見出さねばなりませんでした。それはまさしく試金石でした。途方に暮れて、力になってくれるものが誰一人、何一つないかに思えた時に、その自分を見出させてくれることになった触媒でした」と述べています。
 それにしても、生まれたばかりの大切なわが子を奪われるというのはあまりにも過酷で、このようなシルバー・バーチのことばも、受け容れられる気持ちの余裕がもてないのが一般であろうと思います。
 ただ、いまは霊界におられるお子さんとの接点を必死になって求めておられるあなたのお気持ちは、霊界でのお子さんにも、お子さんを守ってくださっている多くの方々にも直裁に通じていることは間違いないでしょう。
 霊界との接触を模索しながら、 何度かの挫折にもめげずに、ついにめぐり逢うべくしてめぐり逢ったミディアムとの対話は、私たちにもほのぼのとした温かさと希望を与えてくれます。
 いまは、かつては考えられなかったような霊的知識の普及があって、体外離脱をして何度も霊界へ行き、霊界の両親や流産をした子が成長している姿にも逢ってきたというような人も、この日本で見られるようになりました。
 あなたが言われるように、たとえどんなに短い期間しか一緒に過ごせなくても、住む世界が変わろうとも、「親子の絆」は確かに存在し、切れることはありません。
 あなたのお子さんは、この影の世界の地上からは姿を消したかもしれませんが、霊界の実在の世界では、いまも立派にあなたのお子さんとして生きておられるのです。その愛しいお子さんと、これからもどうか、母と子の、あたたかな心の対話を続けていって下さい。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.198-204)



 26. ( 10. 天国にいる父からの大切なプレゼント)

 10-a 天国にいる父からの大切なプレゼント (来信)   (2006.03.11)

 何度もメールを・・・と思いながら、なかなか書くことが出来ませんでしたが、今日は勇気を出して台湾の台北市でこれを書いています。
 私がこちらのホームページと出会ったのは、二年前の父の命日でした。父が亡くなって以来、父はいったいどこでどうしているのだろうという思いは常に心の中にありましたが、その日は命日ということもあり、インターネットでなんとなく検索をしていました。
 モニターに現れる沢山の情報。それらを一つ一つ見てゆくうちに先生のホームページに出会ったのです。驚きと言ってもいいほどの感動の中、時間のたつのも忘れ、次々とページを読み進めていくうちにいつのまにか夜が明け、朝になっていました。
 窓から射す朝日の中、私はこれが偶然ではないことに気づきました。これは天国にいる父から私への大切なプレゼント。何の確証もないけれど、素直にそれを信じられる自分がそこにいました。
 父は、生前、「無神論者」と言ってもいいほどの人でした。魂とか死後の世界といったものを、毛嫌いしていたようにさえ思います。その父が、魂の世界に行って、自分が大変な思い違いをしていたことに気づき、我が子が同じ過ちを犯さぬよう、先生のホームページに導いてくれたのだと思います。
 「お前も生きているうちにしっかり勉強しないと、後で大変なことになるぞ」という懐かしい声が、今にも聴こえてくるようでした。
 以来、度々おじゃましていますが、何故か不思議と、悲しいことがあった時や、どうしていいかわからないほど落ち込んでしまった時に、気がつくとここにいる・・・という感じです。
 先生が長い間暗闇を彷徨ってやっと見つけられた灯火を、私たちに惜しげも無く分けてくださることに心から感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。 (Y. R.)


 10-b 永遠に不変の霊的真理について学ぶ (返信)  (2006.03.11)

 メールを有難うございました。読ませていただいているうちに、他界した家族は、いまでも、というより、いままで以上に実在の人物であることを教えてくれているシルバー・バーチのことばを思い出しました(「学びの栞」A47-g)
 ここでそのことばのなかの「家族たち」を、あなたの「お父様」に読み替えますと、およそ、つぎのようになります。

 あなたのお父様は、地上にいたときと同じように、いまもあなたのことを気遣っておられます。あなたのすぐ身のまわりにいて何かと援助してくれています。自覚なさることがあるはずですが、実際はもっともっと密接な関係にあります。お父様は、あなたの欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまで全部読み取っております。そしてあなたの魂の成長にとって必要なものを地上的体験から摂取するように導いてくれております。けっして薄ぼんやりとした、影のような、モヤのような存在ではありません。今なおあなたを愛し、以前よりさらに身近となっている、実体のある存在なのです・・・・・・

 あなたはメールのなかで、「『お前も生きているうちにしっかり勉強しないと、後で大変なことになるぞ』という懐かしい声が、今にも聴こえてくるようでした」と書いておられます。その時も、お父様はすぐそばに居られたのでしょう。私は、あなたのお父様もあなたがそういうふうに書いているのをご覧になって、きっと喜んでおられたのではないか、と思いました。
 この地上に生きているうちに霊界についての正しい知識をもち、死後の実体のある生活を当然と考えている人は、霊界へ行った時、その新しい環境にすんなりと馴染んでいくといわれていますが、霊界の存在を知らないままに行った人は、やはり霊界ではしばらくの間戸惑うようです。
 シルバー・バーチも 、「そちらから未発達霊を送り込んでこなければ何一つ問題は起きないのですが、現実には何の準備もできていない、適合性に欠ける無知な霊を次々と送り込んでおります。小学校で学ぶべきだったことを大人になって教えるのは、なかなか難しいものです」と述べていたこともありました。(「学びの栞」A13-l)
 しかし、あなたのお父様の場合は、霊界へ行かれてからは、早いうちに、ご自分の認識を改められ、霊界の生活を受け容れられるようになったのではないでしょうか。
 そのお父様は、霊界に来ても地上時代の頑固な固定観念から抜け出すことが出来ずに、世話係の指導霊を梃子摺らせるような人たちのことも実際に見聞きしておられるからこそ、霊的知識をもつことの大切さを一生懸命にあなたに伝えようとしておられるのかもしれません。
 私たちがこの世に生まれてくる目的は、私たちの居眠りしている魂を目覚めさせることにある、といわれます。そのためにも私たちは、何よりも価値のある霊的真理について学ぶ必要があるのでしょう。霊的真理こそ永遠に変わらぬ真理であって、けっして知性を欺くものではないはずだからです。
 私は、この霊的真理を素直に、そして確信をもって受け容れながら、「魂を目覚めさせる」ことの大切さについても、あなたと共に共感していくことができれば、と思っています。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.205-209)



 27. (11. 神様からいただいた光り輝く最後の2年間)

 11-a 神様からいただいた光り輝く最後の2年間 (来信)  (2006.06.13)

  先生のホームページは、「大空の会」に参加していらっしゃる方よりお聞きし、毎日拝見いたしております。
 私の息子の事ですが、六年前に十五歳で自らあの世に帰ってしまいました。この世的には何も理由はありません。青春の絶頂期とでもいえるような状態であったからです。
 陸上では百メートル競走で全北海道で優勝、陸上部のキャプテンにもなりました。さらに、当時は北見にいたのですが、ラグビーを小学二年より始めて、俊足もあり亡くなる年には中学の代表にも選ばれました。
 亡くなる前月は学園祭で主役、生徒会の副会長に選任されたばかりでした。この世的には亡くなる、自死する理由などなにもなかったのです。それから私の苦悩は始まりました。
 それらの理由が分かったのは三回忌の時でした。必然的であったかもしれませんが、高次元と交信ができる方に、是も縁なのでしょうか、めぐり合う事ができてその理由を知る事ができました。
 息子が伝えてくれたのは、本来、小学六年生で天に戻らなければならなかった。しかし神にお願いをして二年延ばしていただいたというのです。
 その二年間の活躍は親として、これ以上はないというものでした。陸上の競技では全て優勝。百メートルで九秒台を出したアジア人はいないぞ、貴裕が九秒台だしたら、パパがマネージャーになるかな、などと冗談をいいあったものです。
 ラグビーもその素質から、北見のラグビー界の重鎮からも一目置かれており、私の自慢の息子でした。それが、突然居なくなりました。中学のグランドの小さな木にて、十五年の一生を終えていました。
 三回忌に当り息子が私に伝えてきた事は「僕の人生を尊重してほしい」というものでした。
 この世的には、自死は哀れな結末のような意味をもちますが、別の意味がある場合が、あくまで場合ですが、あることを納得しました。
 あれだけの息子です。その息子のいう事を私は認めないわけにはいきませんでした。その時、「わかった、貴裕の一生を尊重します」と伝えてもらうと、息子は涙を流して喜んでいたとの事。
 これから何をそちらでするのかと聞きますと、神の大きなプロジェクトに参加するという事でした。
 それと、息子が言ったのは、「僕はどこにでも居ます、だから、どこにあっても僕を感じることができます」というものでした。
 三回忌に来る時に何か合図をしては? という仲介役の方の言葉に、息子は必ず帰るとの約束で、何か証拠を残すと言ってくれました。
 その夜、茶箪笥のお椀の一つが音とともに真っ二つに割れました。それが合図でした。息子の魂が生きている証拠です。(茶箪笥の中で落ちる事はありえないのです。)
 先生の霊界通信も読ませていただいています。
 私は、良く分かります。悲惨な事件事故でしたが魂の崇高な目的のためにはやはり、ということを、つらいですが、認めなければならないのでしよう。
 先生ご自身も自らの前世など悟られ素晴らしい事です。私といえば、社畜とでも言いますか、管理職としての悩みに押しつぶされそうな毎日です。しかし、それも修行か(自ら望んだ?)と自らに言い聞かせる日々です。
 先生の「学びの栞」、「霊界通信」は日々の私の唯一の純粋な楽しみです。これからもお元気で宜しくお願いします。
 今日の霊界通信の下段をスクロールすると「また会える日まで」というお題をみつけました。私の大事にしているビンカシワさんより頂いたポスターが、まさにその題なのです。このポスターを見て、息子と会える日を楽しみにしています。
 長々とすみません。有難うございました。 (S. U.)


 11-b 神様との約束を立派に果たした稀有の魂 (返信)  (2006.06.13)

 メールを拝見して涙を抑えることが出来ませんでした。壮大な宇宙の摂理のなかで、神様の掟に従って、光のようにこの地上生活を駆け抜けて行った貴裕君の姿には、こころからの感動を覚えます。
 そしてまた、そのような貴裕君の人生をしっかりとポジティブに受け止めておられるお父様のあなたの姿にも、深い感銘を受けました。貴裕君が「涙を流して喜んで」おられたのもよくわかるような気がいたします。
 私たちはこの世に生まれる前にも、それぞれに、この世での人生設計を魂の奥に刻み込んで生まれてくるといわれます。同じように、自分がこの世を去って魂の故郷である霊界へ還る時機についても、本当は、一人ひとりが魂の奥深くで自覚しているのではないでしょうか。
 通常は、それが表面に出てこないだけで、勝れた霊能者には、その魂の奥の自覚まで、読み取れる人もいるようです。貴裕君の場合は、薄々とその自覚を感じ取っていたのかもしれません。
 貴裕君が言われたように、本来、小学六年生で天に戻らなければならなかったのを、神様にお願いをして二年延ばしていただいた、というのが、おそらく、真実でしょう。そのためにこそ貴裕君は、最後の二年間は、あのように、輝かしい実績を積み上げられました。
 そして、そのあとは、神様との約束を立派に果たして、流れ星が大きな光跡を残して大空に消えていくように、霊界へ還っていったのでしょう。
 世の中には偶然は無いといいますが、あなたは、そのような貴裕君の本当の光り輝く姿を、知るべくして知るようになられました。
 「神の大きなプロジェクト」に参加している現在の貴裕君は、この世の大地に残された稀有の足跡と決して無関係ではないはずです。
 貴裕君がこの地上では栄光の生涯を送られたように、いまは霊界で、神様に守られながら光の道を歩んでいることを、十分に理解し、強く信じ、そしてこころからの声援を送ってあげたいと思います。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.209-213)



 28. (12. 避けては通れない生と死の問題を考える)

 12-a 避けては通れない生と死の問題を考える(来信) (2006.11.07)

 突然のメールで失礼致します。僕は東京外国語大学に通う学生、H. S.と申します。以前、大学の図書館で手にした武本先生の著書 『疑惑の航跡―大韓機撃墜事件』を読み、深い衝撃と感動を覚え、それ以来、こちらのホームページを度々拝見させて頂いております。
 大韓航空機の事件については以前より知っておりましたが、先生の著書を手にし、この事件に大学の先輩である武本潔典様が遭遇していたこと、さらにはお父様である武本先生も大学の先輩であることに驚きました。同時に、本大学にかつて非常に優秀な先輩が在籍されていたことを非常に誇らしく思いました。
 私事で恐縮ですが、昨年(母方の)祖父を亡くしたことや(父方の)祖父が第二次大戦中に戦死していることなどがきっかけで、死とは何か、生きるとは何かということについて考えを巡らせることが度々あります。
 無論答えなど出るはずもなく、自分の浅はかさにうんざりするばかりなのですが、それでも避けては通れない問題ですので、そういった際は先生のお言葉が非常に優しく語り掛けてくれます。
 ご存知のことと思われますが、現在、東京外国語大学は府中市にあります。非常に個性的でありながら他を尊重するという校風は、きっと先生や潔典様の頃より何ら変わりの無いことと思います。
 先生や潔典様には及びもしませんが、かつての優秀な先輩の思いを胸に、日々過ごしていきたいと思います。先生もお元気で、そして、お忙しいかと思いますが、時折大学にも足を運ばれてみてはと思います。春は桜が綺麗です。
 末筆ではありますが、お会いしたことがない僕が、先生や先輩などという言葉を使うことに、心を悪くされましたら申し訳ございません。お許し頂ければと思います。(H. S.)


  12-b 明確に答えられている生と死の真実 (返信) (2006.11.07)

 メールをいただき有難うございました。私の著書やこのホームページも読んでくださっていることを厚くお礼申し上げます。
 あの大韓航空機事件が起こってから、今年で二十三年になります。夢想もしなかった運命の激変に遭遇して、事件後の何年かは生きる意欲も希望もなくしていましたが、いまはこうして、私なりにこころ安らかに生き続けていることの意味を、自分でもしみじみと考えさせられることがあります。
 九月一日の命日の前後に、毎年、家族や親戚が集まって、「富子と潔典を偲ぶ夕食会」を続けてきたのですが、今年は、その日を九月二十四日にしてくれるようにという、霊界の潔典からの要請がありました。その日には、潔典が母親の富子といっしょに出席するからということでしたので、今年は 九月二十四日の夕食会になりました。
 先週の日曜日には、これも事件以来、毎年一度も欠かさず続けてくれている潔典の東京外国語大学の時の友人たち四人の来訪がありました。潔典と母親の位牌の前で、今年六月五日の潔典の誕生日にイギリスのアン・ターナーを通して送られてきた潔典からの伝言と、東京でのリーディングで潔典の近況を伝えるテープを、いっしょに聞いてもらったりしました。
 四人の友人たちも、いまでは四十四〜四十五歳になって、それぞれに立派に社会で活躍しています。そのうちのひとり田上芳彦君は、若くして、三省堂『ウィズダム英和辞典』の編集委員になり、今年は、新装の第二版を、潔典の霊前に供えてくれました。
 人は何故生まれて、死んだらどこへ行くのかというのは、確かに難しい問題ですが、このホームページをご覧いただいてもおわかりのように、その答えは、たとえばシルバー・バーチによって、きわめて明確に与えられております。あとは、その答えを自分の理性で受け容れる用意ができているかどうか、の問題だけのようにも思われます。
 私は、自分の人生の大半を、このような生と死の真実には全く無知のまま過ごしてきてしまいました。それでも、この妻と潔典の導きで、いまは自分なりに理解できるようになっていることを、幸せな有り難いことであると思っています。死ぬ前に間に合ってよかった、というのが率直な実感です。
 あなたは、生と死の問題に考えを巡らせることがあっても、「無論答えなど出るはずもなく」と言っておられます。それが世間一般の常識で、あるいは逆に、「答えが出せる」といえば不遜になるのかもしれません。
 先日、文化勲章を受けた瀬戸内寂聴さんが、かつての法話の会で、聴衆の一人から、「人は死んだらどこへ行くのでしょうか?」と訊かれて、「わかりません。私はまだ死んだことがありませんから」と答えているのを、私はテレビで見たことがあります。正直といえば正直ですが、それが、シルバー・バーチのいう「シミほどの知識しかもっていない」知識人の限界でしょう。
 しかし、私は繰り返しますが、それらの問題については、シルバー・バーチによっても、きわめて明確に答えられています。大学の先輩とか後輩というよりも、同じく真理への道を歩んでいる同行者として、その貴重な「答え」に真摯に向き合っていきたいものと考えます。

   武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.214-218)



 29. (13. 天国の愛し子と共に歩んで行くために)

 13-a 天国の愛し子と共に歩んで行くために (来信)   (2006.12.18)

 武本先生、初めてメールいたします。先生のホームページは毎日拝見しております。シルバー・バーチの言葉、そして皆様からのメールには心打たれます。
 私は去年の八月に、十四歳の息子を骨肉腫で天国へ送りました。絶望と喪失でどん底の日々でした。息子が東京の病院に入院して二週間後に主人が脳梗塞で倒れ、六日間の意識不明。一命は取り留めましたが、今も重い後遺症があり、身体障害者となりました。三十九歳でした。
 自分の身の回りに起こること・・・何が何だか分かりませんでした。夢のようでした。夢なら良いのにと思いましたが、朝目が覚めると現実が始まりました。私が倒れてはならないと、必死でした。息子が天界に旅立ったときも主人は入院していました。
 何が何だか分かりませんでした。どうしてこんな理不尽なことばかり起こるのだろう・・・主人は重い後遺症は残りましたが、命に別状は無く、私は息子が帰ってくることだけが望みでした。望みもすべて失いました。
 そんな中で、「大空の会」と知り合いました。インターネットで検索し、会長さんのお言葉に心打たれ毎日読んでいました。でも、私が住んでいるのは福島県・・・・行けるだろうかと悩んでいましたが、そこで背中を押してくれたのは天国の息子だと確信しています。
 「大空の会」で知り合った沢山のお母さんとの出会いは、私にとって最高の宝物です。そして、お母様たちのために何か出来ないか、この苦悩の中にいる方のために自分のすべてを捧げたいと思うようになりました。そしてそれは愛おしくてたまらない息子のためです。
 息子を先立たせたことは、私の今までの人生の中で最大の悲しみです。でも、シルバー・バーチの言葉は、息子からの、そして天国の子供たちからのメッセージとしていつも読み返しております。
 武本先生、いつもありがとうございます。そして、息子の死から、沢山の出会い、学びを感じ、感謝しております。今は「大空の会」で会長さんのお手伝いをしております。会長さんから届く会報やテーマの原稿をレイアウトして皆さんに発送したり、メールでお知らせを発信したり、また掲示板の管理もさせていただいております。
 主人の介護をしながらですが、このお手伝いのお仕事は、まさしく息子や天界の子供たちからのプレゼントだと受け止めています。とってもとっても楽しいです。いつも息子と一緒だと感じられます。わくわくしながら、会報つくりなどさせていただけることに心から感謝しております。
 主人が身体障害者になったことで、そこからも辛いこともあります。周りの皆さんとの関係、また、長男と三男の主人に対する戸惑い・・・私自身、どう対応してよいか分からず途方に暮れることも多いです。でも、これもすべて魂の向上のための大切な学び、神様の贈り物であると自分の心に言い聞かせ、天国の息子と共に歩いていきたいと思います。
 「母ちゃん、よく頑張ったね」って天国の息子が両手広げて迎えに来てくれる日、その時を何よりの楽しみにしています。天界で、子供たちのお世話をしたいと願っています。
 息子に逢うためには、こちらで魂を向上させなければならないと思っていますので、これからもきっと辛い学びが待っているのではないかと・・・・でも、シルバー・バーチの言葉を胸に、困難に立ち向かっていこうと心では思っています。時々くじけそうになり、泣き崩れることもありますが・・・
 武本先生、いつもありがとうございます。先生にお会いできる日を楽しみにしております。長々と申しわけありません。(E. S)


  13-b 「不幸」はしばしば真の意味での幸福 (返信)   (2006.12.18)

 メールを有難うございました。お子様との悲しい別離に重なってご主人が倒れられるという大変なお苦しみのなかで、「大空の会」のためにご尽力されているご様子などをお伺いして、強くこころを打たれています。
 このような、人間の極限状態ともいえるような体験をされている方からメールをいただきますと、通常は、お返事を差しあげるのも容易ではなく、考え込んでしまったりもするのですが、今回は違いました。
 「大空の会」のお手伝いを、「まさしく息子や天界の子供たちからのプレゼントだと受け止めて」おられて、「とってもとっても・・・楽しいです」と言っおられることに、深く安堵し、救われる気持ちがしています。霊界のお子さんは、そのようなお母さんの姿にさぞ安心し、そして、誇りに思っておられることでしょう。
 辛いことが次々に重なって、どうしてこんな理不尽なことばかり起こるのだろう、と考えさせられるというのは、世間では、本当はそんなに珍しいことではないのかもしれません。いろいろなところで、いろいろな人が体験していることで、その受け留め方がそれぞれに違うだけといっていいのでしょう。
 この地上で魂を磨き、霊格を高めていくためには、それらの苦しみは、やはり、与えられるべくして与えられている試練であることを、シルバー・バーチも私たちに教えてきました。
 次のようなことばもあります。

 《もう一人の方にも同じことを申し上げたいと思います。悩みや困難に追いまくられるとおっしゃいます。が、私はいつも申し上げております ― “それは百も承知しております。もしも悩みも困難もなかったら、あなたはこの世にはいらっしゃらないでしょう。なぜなら、それを処理するために地上へ来ていらっしゃるのですから” と。遭遇しなければならない困難というものが必ずあります。それに挑戦することによって内部の貯え、潜在する霊的資質、神的属性の幾つかが呼び覚まされるのです。》(栞A17-zg)

 これは、もちろん、愛するわが子との死別のような深甚な悲しみや苦しみを言ったものではないかもしれません。しかし、「深甚な悲しみは」さまざまな苦難のなかでも、もっともよく魂の目を覚まさせる触媒である、とシルバー・バーチはさらにその意義を評価していました。
 世間の常識でいう「不幸」が、しばしば、人間本来の霊的な視野のなかでは、「幸福」への重要な条件であることを、折に触れて考えていきたいものと思います。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.218-223)