30. (14. 魂の響きに寄せて海の彼方から)

 14-a 魂の響きに寄せて海の彼方から (来信)   (2007.01.27)

 はじめまして。シドニー在住の者です。今月はじめ、先生のホームページと出会いました。
 コンテンツの量と質に驚きました。斜め読みさせていただくにはもったいなく、コツコツ、じっくり、拝読させていただきました。先生の日々の葛藤、深い深い悲しみ、闇から光への長い長い道のり、心にずっしり響きました。
 一歩一歩、一段一段、足元を確かめるように、膨大なシルバー・バーチのことばを、毎日、何年も、時間と精魂こめて、キーボードで打ち込んでこられたお姿が心に浮かび、涙がこみ上げてきました。
 そして、深い深い家族愛、親子愛、夫婦愛、父子愛・・・ 潔典さんと先生のお二人がお二人とも、真の「再会」の日をめざして、あちらとこちらの世界で、さらにさらに魂を向上させることに全身全霊で取り組んでいらっしゃるお姿に、波動を共振せずにはいられませんでした。
 「メール交歓」に寄せられる、大切な方を亡くされた方たちのメールと先生のお返事、大韓航空機事件の経緯、霊媒者を通してのご家族の通信、もれる声を押さえることができないほど、涙して拝読させていただきました。
 私が生まれて初めてのった飛行機、初めての海外体験は、事件から一年後、一九八四年十七歳の夏休み、一人で乗った大韓航空ロサンゼルス行きでした。
 帰りは、アンカレッジ経由のソウル行き。当時ロサンゼルス在住だった長兄が、空港に出迎える際も、見送る際も、緊張気味でした。もちろん、わたくしも。
 それだけに、当時の衝撃も緊張も鮮明に覚えています。とは言え、時間と共に、いつしか過去の事件になっていたのです。ですから、先生のホームページと出会ったとき、「はっ!」としました。胸が苦しくなりました。
 そして、大韓航空機事件をはじめ、国際政治にはさまれた、ありとあらゆる事故や事件を思い出し、残されたご遺族と霊界に戻られた魂、心のジャーニーに、小さな祈りを捧げました。マスメディアが追いかけないところにも、私たちに「気づき」を授けてくれる犠牲はいっぱいありますが・・・・・
 ちなみに、潔典さんは私の次兄と同学年、奥さまは、父と同い年、父も二月生まれです。
 本題からは少しズレますが、母は、(時代はかなり違いますが)跡見短大の卒業生です。会うたびごとに小さくなっていく両親と、いつかは迎える「その日」を思うだけで、泣きべそをかきそうでしたが、シルバー・バーチのことばを通して、その日が、決して悲しい日ではないことを、心から「確信」できるようになりました。
 いざ ”私の番”が来たときでさえ、あちらで誰が迎えてくれるかしら、と遠足が終わってバスを降りた時のような、空港の税関・検閲を通って自動ドアが開いた時のような、そんなワクワク感さえ覚えました。本当に、愛のある教えは、人に安心を与えるものなのですね。
 シンプルで誠実で、慈愛と希望、謙虚さに満ちあふれたシルバー・バーチのことば、これからも読み返してゆきます。かけがえのない霊的財産を、ホームページで分けていただき、ありがとうございました。大切にします。
 奥さまのお誕生日、来月ですね。素晴らしい再会になりますよう、祈っております。長文になってしまいました。失礼いたしました。日本はこれから寒さがぐっと増すころと思いますが、どうか、くれぐれも御体、ご自愛くださいませ。 (M. K)


 14-b この世に生かされて生きていることの実感 (返信)   (2007.01.27)

 私は、いまでは、自分のことで悲しみや苦しみを感ずることはあまりなく、不幸に打ちひしがれて涙を流すようなこともなくなっていますが、それでも、時には不意に、どっと、涙が溢れるような思いをすることがあります。
 メールをいただき有難うございました。妻や潔典のことにも触れてくださって恐縮しています。はるばると海を超えて届けられたあなたのあたたかいおことばを受け留めながら、そのひとつひとつに、胸を打たれています。
 二〇〇四年六月五日の霊界からのメッセージで、私は、妻や長男との死別の苦しみについて次のように伝えられたことがありました。

 「・・・・・あなたは、その一連のプロセスを経ていくことで浄化され、価値観が変わり、神を求める人に作り替えられました。また、それをもって、この世の認識の暗い人たちに、大事なメッセージを体を持ったまま伝える任務に就くようにされました。それは、あなたが最近の前世で、立場やメンツがあって、出来なかったことでした。ほぼ予定通りのことが、この二十一年で起きてきているのがみられます。なぜでしょう。その背後に、彼、長男があの世でそれをサポートしたり、働きかけたからです。あなたは、それとは知らず、無我夢中でこの二十一年生きてきました。」

 その前にも、霊界の長男・潔典からは、私を苦しませるのは、霊界の高級霊たちにとっても辛いことで、決断を要したということ、しかし、私が必ず目覚めて立ち直ることを知っていて、私の苦しみが多くの人々の魂を目覚めさせるのに役立つことを期待した、という意味のことが伝えられていました。
 いま改めて考えてみても、霊界では、この世のことはすべてお見通しだと、確信をもって言わざるを得ません。
 私は、一九八三年の事件以来、いままで二十三年余、「無我夢中で」生きてきましたが、これも、実は、生きてきたのではなくて、生かされてきたのだということを、しみじみと実感いたします。
 霊界の長男・潔典が、何かと私をサポートしてくれていることは、いまではよくわかるようになりました。
 何かの問題にぶつかり答えを見出せないような時や、何かに躓き前に進めなくなったような時などに、静かに考えていますと、ふっと、一つの答えや、方向性が見えてくるというようなことが、何度もあります。私も、時には、「潔典、有難う」と霊界からの援助に対してお礼を言うようにもなりました。
 家族のこころの絆が、死によって断ち切られることは決してないことを私は身をもって知っていますが、そのようなことも、それを知らずに悲しみ苦しんでおられる多くの方々に、少しでも理解していただくことが出来るようになれば、というのがこのホームページのささやかな願いです。
 このホームページを熱心に、遥か海の彼方のシドニーで読んでくださっていることを感謝しています。
 そちらは、いま夏ですね。私もオーストラリアには何度か行ったことがあります。日本の夏がオーストラリアでは冬で、むかし、学生たちを連れて行くのに夏のシドニーは寒いからということで、少しは暖かい北のブリスベーンでひと夏を過ごしたことも思い出します。
 どうかシドニーの夏をお元気でお過ごしくださいますように。それから、来月71歳の誕生日を迎えられるお父様と、跡見出身のお母様のご健勝をもこころからお祈りしています。

     武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.223-228)



 31. (15. 母の旅立ちで得た真理を学ぶチャンス)

 15-a 母の旅立ちで得た真理を学ぶチャンス (来信)   (2007.06.12)

 バラの花が咲き誇っていたご近所は、気づかぬうちに、アジサイの花がそこかしこに、咲く時期となりました。お元気でいらっしゃいますでしょうか?
 メールを頂戴してから、約二か月、行きつ戻りつではありますが、なんとか暮らしております。まずは遅まきながら、ウィメンズプラザでの四月の先生のセミナーの時の感想を少々書き留めていたものを、お伝えさせてください。
 シルバー・バーチの声の録音を初めて聞きました。シルバー・バーチの声のトーン、発音が、本当に慈愛に満ちていて、今でも脳裏に焼きついております。
 山口県の河村さんのビデオもとても、貴重なものでした。かく言う私も、今縁あって、義母と同居の身、河村さんのお嬢様の(と、お呼びしてよろしいのか、武本先生のお話の間、必死にメモをしておりましたが、 フルネームがわからず、萩女子短大の先生でいらした方でまちがいなかったでしょうか)、聡明な気づきには、大きな感動を覚えます。
 いずれも貴重な、先生の資料を駆使してのお話、大変ありがたく、時間が飛ぶ様に過ぎました。先生のセミナーは、一言一句を逃すまいと、体が前のめりになりました。でも、だいぶ、聞き落としてしまったこともあることを、知っています。
 先生から頂戴したメールを拝読しますと、先生の前にいる様に、感動します。もっと、もっと、先生のお話に触れさせていただきたいです。
 そして、昨日付けの、潔典さん、奥様、そして、先生への「霊界通信」を拝見して、今の潔典さんと奥様のご様子にとても心が温かくなり、思わず、メールをさせていただきました。
 本当に、素晴らしいことですね。そして、遅れてきた生徒の私に、まだまだ、たくさん、教えをいただきたいと、心から願っております。どうぞ、よろしくお願いします。
 実は昨日は、母の一年祭を霊園でいたしました。この一年の長かったこと。目が覚めたら、母がこの世から旅立ったことは、ウソだったのでは、と言う気持ちからも、少し解きほぐされてまいりました。
 そうは言っても、ただ、時間薬のお蔭にして全てを片づけたくはなく、この母の旅立ちの契機に真理を学ぶチャンスを頂いたのですから、母の様子も知っていきたく、思っています。
 神主さんのお祭りの際に、久しぶりに胸が、キリリと、痛み、この痛みが逆に、真理を学ぶ為の大きなステップになると良いなと、心から願っております。このご縁、本当にありがたく存じます。山村幸夫さんのご本も、注文してみたいと思っております。
 暑くなって参りましたので、どうぞ、御身、お大切になさって下さいませ。たくさんの教えを、ありがとうございます。(M. Y.)


  15-b 明るく幸せであることで親孝行を (返信)   (2007.06.12)

 メールを有り難く拝見しました。四月のセミナー以来のご縁ですが、いろいろと温かいおことばをいただいて恐縮しています。
 「大空の会」のセミナーで聞いていただきましたシルバー・バーチの肉声は、モーリス・バーバネルの声帯を通してのものであったとはいえ、あの通りの発音とトーンで、そして、あの通りの現代英語の一つ一つのことばで私たちに語りかけているわけですから、本当に感動します。
 霊界で三千年を生きてきたシルバー・バーチの、あのような美しい叡智のことばを、二十一世紀に生きるいまの私たちも聞くことができるということは、やはり、「世紀の奇跡」と言っても決して過言ではないのでしょう。
 あのセミナーの最後に見ていただいたビデオの一部は、少し古いのですが、山口県の萩女子短大で副学長をしておられた河村とし子さんの回想をNHKが記録したものです。
 この私のホームページの「随想集」(15) のところにも、「おばあちゃんの教え」というタイトルで、その内容をご紹介してあります。
 小学校もでていないで、「一字の読み書きもできない」おばあちゃんが、大学教授である嫁の河村とし子さんに、あれほどの深い感動と大きな教訓を与えたのですから、素晴らしいことですね。私も、あのビデオにでているおばあちゃんの温顔を写真で拝見していますと、いまでも、手を合わせて拝みたいような気持ちになります。
 ビデオで、河村とし子さんが述べているように、 おばあちゃんは、すべてのものに有り難いと感謝して拝んでいるような人でした。朝、目を覚ましても、「ああ、今日も目が見えてくださる。手が上がってくださる。足が動いてくださる。有り難いことじゃのう」と何度もひとりごとのように繰り返していた人でした。
 また、おばあちゃんは、人に対してはいつも穏やかで、にこにこと笑顔を絶やさなかったといいます。河村さんは、このようなおばあちゃんと二十三年間一緒に暮らしてきて、その間、おばあちゃんが「和顔愛語」でなかった日は一日もなかったと述懐しているくらいですから、文字通りの「生き仏」のような人であったのでしょう。
 私は、講演会やセミナーで、私たちがこの世に生まれてくる意味についても、いろいろと出席者の皆さんと一緒に考えることが出来ればと、思ってきました。
 この世に生まれてきて一番大切なことのひとつは、自分を知るということだと思いますが、自分を知るということは、結局は、神を知るということ、そして、自分が本来は霊的存在であることを知るということ、と同じであるといっていいのかもしれません。
 そして、そのことを知って、そこから私たちの霊格向上のための学びと修行が始まるのだといえそうです。
 ただ、学びとか修行ということになりますと、私たちはつい、何か、必死になって難しい聖典と取り組んだり、難行苦行で精神・肉体を鍛えたりするようなことを連想してしまいがちです。確かに、そういうのも学びであり修行であるには違いないにしても、実は、この河村さんのおばあちゃんのように生きることが、最も理想的な、学びであり修行である、とはいえないでしょうか。
 いつもにこにこしている。人に優しくする。何かにつけて感謝する。「ありがとう」と声に出して言う・・・・・この極めて単純な、誰にでも分かる、そして、誰でもしようと思えばできる、それを本当に理解し、実践するのが、もっとも実りのある学びであり、修行であり、そして、真理に向かって歩む道でもあることを、私は、あのビデオで一緒に考えてみたかったわけです。
 メールでは、「母の一年祭を霊園でいたしました・・・」とお母様への思いを綴っておられますが、あなたの優しいお気持ちが伝わってまいります。
 かけがえのない肉親を失ったとき、私たちは誰でも、少しでも愛する肉親のためにこころからの供養を捧げたいと考えます。ただ、その「こころからの供養」とは何かということも、時には、考えてみる必要がありそうです。
 霊前に多くの供え物を捧げたり、聖職者に祈ってもらったりするのが通常考えられている供養かもしれません。しかし、私にはもっと大切な供養の仕方があると思えてならないのです。
 セミナーでも申しあげましたが、それは、あの河村さんのおばあちゃんのような感謝の気持ちをもつことであり、和顔愛語でいることです。それが、遺された私たちの、愛する肉親に捧げることのできる最大の供養であるといってもよいのではないでしょうか。
 私は、霊界の妻と長男が、いまは、いつも一緒に居てくれることを知っていますが、それだけに、彼らが私を見ていて、辛い思いをしたり淋しがるようなことがあってはならないし、彼らに悲しませるようなことをしてはならないと思うようになりました。
 それは、私が、無知と無明の長い年月を経て、やっと理解できるようになった「真理」の一端ですが、私にとっては貴重な気付きです。
 あなたのお母様も、一生懸命にあなたの幸せを祈りながら、すぐ近くで、いつも温かくあなたを見守ってくださっていることでしょう。あなたがにこにこしているとお母様もにこにこします。あなたが淋しがられると、お母様も淋しい思いをされます。つまり、あなたはお母様です。お母様はあなたです。
 どうか、そのお母様に、あなたが明るく幸せであることで、これからも親孝行を続けていってあげてください。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.228-235)



 32. (16. 愛し子の大きな置き土産

 16-a 愛し子の大きな置き土産 (来信)    (2008.08.30) 

 先生、始めまして。私の息子は九歳で脳腫瘍と判明し、十ヶ月間の闘病の後、十一歳目前で昨年の九月に天使になりました。
 病気になってから今をどう乗り越えるのか?息子の為に何ができるのか?医療に見放され、それでもまだ何かできるはずだと思ってたどり着いたのがエネルギー・ヒーリングでした。
 シルバー・バーチの霊訓にどれ程救われたことでしょう。それでも、まだ今の私は息子の死を乗り越えられないでいます。本当にこれでよかったのか?親である以上、後悔も沢山あります。
 今日は息子が旅立ってから次男を連れて初めて彼の学校に行ってきました。(いま私はアメリカのワシントン州在住で、二歳違いの次男は学校が別でした。) 胸が張り裂けそうでした。こんなママでは息子が心配してしまうと必死に前を見ようとしています。
 夏に東京に行った際、IISのミディアムの方にお会いしました。いまいち息子からのメッセージが心にしっくりこない感じで、きっと私の執着が大きいせいでしょうか?
 大英心霊協会にも是非行って見たいと思います。先生はアメリカにもいらしたとの事。誰かここアメリカで推薦される方をご存知でしたら是非紹介してください。
 このサイトを見て皆さんのコメントに励まされました。自分だけじゃないんだって思えました。みんな頑張れるんだって。
 私は三十三歳になったばかりで、長男はもういない・・・・今後を生き抜くという意味が本当にどれだけ重たい事なのかやっと分かったように思います。
 今を生きている事こそが奇跡だなんて、長男が病気になる前は思ってもいませんでした。息子は大きな置き土産を、私達家族とその周りの人々に与えてくれました。彼のお陰でみんなが成長できた様に思います。次男の為にも前を見ないといけないのですね。
 金城先生に東京でお会いした際、霊聴が始まると言われました。そのお手伝いを息子がしてくれるとの事。こんな事ができる様になるのでしょうか?息子の声が聞きたい。いっぱいしゃべりたい事があります。きっと先生も同じ思いだったのですね。
 九月十四日で一年になろうとしています。時間は空っぽの心を癒してくれるのでしょうか?やっぱり自分で苦しみながら、一歩一歩を歩んでいく事に意味があるんですよね。
 これからも息子が教えてくれたことを頼りに日々精進するつもりです。突然のメールで申し訳ありません。(M. C)


  16-b 霊的真理だけが癒やせる死別の悲しみ (返信)   (2008.08.30) 

 大切なお子さんを亡くされて、そのお嘆きがどんなに深いものか、メールを拝見していながらも、お悲しみの様子が、海を越えて、ひしひしと伝わってまいります。
 ただ、一つの大きな救いは、あなたがシルバー・バーチをすでに読んでおられて、お子さんが霊界へ還られてからは、「息子は大きな置き土産を、私達家族とその周りの人々に与えてくれました。彼のお陰でみんなが成長できた様に思います」と言っておられることです。
 私もまた、シルバー・バーチからは、大きな教えを受けてきました。妻と長男を同時に亡くして、悲嘆の底に沈んでいたとき、私は仏典や聖書をひもとくことはしていましたが、シルバー・バーチの本にめぐり合ったのは、もう何年も経って、ロンドンに滞在していたときのことでした。
 私は大英心霊協会で手に入れたシルバー・バーチの本に感動して、自分でも一部を和訳していたぐらいですが、当時、すでに日本では、近藤千雄さんの翻訳がかなり広く行き渡っていたと思います。
 そのことさえ知らなかったぐらいに、私は霊的なことに関しては無知でしたから、私はずいぶん長い間、苦しみからは抜け出すことができませんでした。
 ただ、いまでは少しはわかるような気がするのですが、そのように長い時間がかかったことも、私にとっては必要なことであったのかもしれません。人それぞれに、霊的真理をこころから受け入れることができる、いわば、受け入れる「用意が整う」時機があると思うからです。
 ミディアムについても、おそらくそうで、私は、出会うべきときには出会い、そして、霊界の情報についても、与えられるべきものは与えられるのではないかと考えるようになりました。
 私は、このホームページで、『シルバー・バーチの霊訓』十二冊の、ほぼ全文を、項目別に分類する作業を続けていますが、そのなかには、あるいはご存知かもしれませんが、つぎのような、最愛の息子を亡くして嘆き悲しんでいる母親へのことばもあります。
 何度でも、繰り返し繰り返し読んで、胸の中に畳み込んでおきたいことばです。

 《死は生命に対してまったく無力なのです。生命はつねに意気揚々としています。愛する息子さんは決してあなたのもとを去ってはいません。むしろ死によって霊的にはさらに身近かな存在となっているとも言えるのです。むろん、そのことが今のあなたに理解できないことは私も承知しております。なぜならあなたは物質の世界に生き、物質の目で見つめておられ、霊の世界のすばらしい壮観がごらんになれないからです。
 しかし、いつの日かその物質のベールが取り除かれて霊的な目が開かれれば、あなたも新しい世界の目も眩まんばかりの光輝をごらんになり、人生には完璧な償いの法則があり、すべてが神の摂理によって治められていることを理解されることでしょう。》(『シルバー・バーチの霊訓 (七)』 p.89)

 私は、長い間、いろいろと宗教関係の本も読み、霊界からのメッセージを伝えてくれるという宗教集団にもかなり頻繁に足を運んできましたが、あまり、こころの救いや癒しのようなものは感じることはできませんでした。
 しかし、シルバー・バーチの教えは違います。このことばもそうですが、魂をゆすぶられるような真理の響きが直截に感じられるのです。仏教で、「無上甚深微妙の法」ということばがありますが、私にとっては、シルバー・バーチの教えこそ、なによりも尊く有難い、無上甚深微妙の法であると思っています。
 愛しいお子さんを亡くされた悲しみは、私にはよくわかります。一年や二年で、悲しみが薄らぐことがないことも、私にはよくわかります。
 しかし、これも私自身は今ではよく理解できるのですが、「不幸な」ことが起こったわけではありません。お子さんが「哀れな」わけでも決してありません。
 そうではなくて、本当に不幸で哀れなこととは、生と死の真実を知らないことではないでしょうか。そういう真実にも私たちは目覚めていけるように、これからも一緒に、シルバー・バーチから多くのことを学んでいきたいものと思います。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.235-240)



 33. (17. 愛する娘の死の意味を求めて

 17-a 愛する娘の死の意味を求めて (来信)  (2009.08.11)

 昨年、十七歳の娘をガンで亡くしました。あんなに若く、はつらつとしていた娘が突然この世からいなくなり、今でも夢の中の出来事のようです。
 それまでは、この世の悲しみは私にとっては全て他人事でした。我が子の死によって、この世の中にこんなに悲しい事があるのだと、なにか大きなものに打ちのめされたようでした。出来ることと言えば、ただ涙することばかりで言葉では言い表わせない大きな喪失感を味わいました。
 その後、シルバー・バーチを知り、美しい文章にどれだけ慰められた事でしょう。こんな悲しみの中でも、いつかは愛する娘と再会できる事を知り、暗闇のなかに光を感じたものです。また同時に、娘の死の意味も知りたくなったのです。
 シルバー・バーチは物事には埋め合わせの摂理が働くと言っていますが、この埋め合わせとはどういう事でしょうか?
 娘の死も埋め合わせの出来事だったのでしょうか? たとえば、私の前世において、子をないがしろにして今生において、子の大切さを知るという体験をさせられているとか。
 我が子が悲しくも短い人生を終え、死後の世界ではその埋め合わせとして幸せな時間を過ごしているとか。いろいろに解釈できると思うのですが、私の愚問に答えて頂けないでしょうか?
 どうか、よろしくお願いします。(E. K.)


 17-b 繰り返し教えられている生と死の真実 (返信)    (2009.08.11)

 メールのなかで、シルバー・バーチの「美しい文章にどれだけ慰められた事でしょう」と書いておられるのを拝見して、私自身も、少し救われたような気がしています。
 「文は人なり」で、その書いているものをみれば、その人の人となりや資質がよくわかりますが、原文の英文の純粋な美しさや魂に染み込むようなことばの深奥な響きは、シルバー・バーチのことばが真実であることを強く訴えかけてくるようです。
 むかし、平安時代の高僧、空海は、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し」と、私たちの生と死に対する無明を諭しました。
 本当に、私たちは、何度生まれ変わっても、死に変わっても、「なぜこの世に生まれてきたのか」そして「死んだら一体どこへ行くのか」、がなかなか理解できません。やはり、むつかしい仏典に必死に取り組んだり、難行苦行をして修行を積まねばならないのだろうか、とつい悲観的になってしまったりもいたします。
 しかし実は、このような私たちにとって極めて大切な生と死の真実も、シルバー・バーチが「美しい文章で」、何度も何度もやさしく繰り返して教えてくれているのです。
 差しさわりがないように、私自身の体験を基にして述べさせていただきますが、私の長男が母親と一緒に亡くなったのは、二十一歳のときでした。
 「あんな優しい子がどうして二十一歳で?」と私は随分長い間、嘆き悲しみました。しかし、今の私は、死が何であるか、を私なりに少しは理解できるようになりました。世間でいわれるような悲劇ではないし、不公平でもないし、埋め合わせがあることも、わかっています。
 何年か前には、ある霊能者から、妻と長男を亡くしたという「大きな悲劇」を「喜んでください」といわれた時にも、そのことばに反発を覚えることはありませんでした。
 生と死をも含めて、すべての出来事は、起こるべくして起こります。それが天の摂理であろうと思います。すべて起こることは、おそらくその人の霊的成長のために必要だから起こっているのであって、だから、決して悪いことではないはずなのです。
 ただ、そのことは、この世的な、本当にちっぽけな極小の視野では理解できませんから、それぞれ勝手に、幸・不幸、運・不運、悲しみ・喜びなどのレッテルを貼っているのではないでしょうか。
 私たちは、私たちが本来が霊であり、永遠の生命を持つ存在であることを理解できてはじめて、私たちが経験する出来事のすべてに、それが何であるかの真実のレッテルを貼れるようになるのかもしれません。
 たいへん有難いことに、シルバー・バーチは、あなたがお知りになりたいようなことは、すべて、いろいろな形で充分に教えてくれています。私も、それらを少しでも読み易くするために、項目別に分類したり、「今日の言葉」として、まとめたりもしてきました。
 どうか、お嬢さんとの「しばらくのお別れ」の本当の意味についても、希望をもって、その「美しい文章」のなかから、探し求めていっていただきたいと思います。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.240-243)



 34. (18. 人を赦すことについてロンドンで考える)

 18-a 人を赦すことについてロンドンで考える (来信)  (2010.06.05) 

 はじめてお便りを差し上げます。先程、PCを立ち上げると、癌で闘病中だった友人のお父様が旅立たれたとのメールが入っていました。
 私は今ロンドンに住んでおり、スピリチュアル・チャーチにて学んでいます。教会のメンバー達とともに、遠隔ヒーリングを送っていた方の訃報を受け、友人の悲しみには胸が痛みますが、ご本人はご家族に見守られ、平和と安らぎの中で還って行かれたことに安堵しております。
 事故や犯罪など、苦しみの中、残酷な形でこの世を離れた方達も、神の摂理から見ると不公平ではないのかもしれません。でもこの地に肉体のある私には、やはり「苦しまなかったんですね、よかった…」と思ってしまうところがあります。そしてその気持ちを大切にしたいとも思っています。
 武本先生には、今まで何度お便り差し上げようとしたことでしょう。書き始める度に、お話したいことが溢れてなんともまとまりのないメールになってしまうので、毎回、ボツにしていました。
 この度、ようやくメールを差し上げるきっかけとなったのは、前述の友人のお父様の訃報を知った直後に、「人の罪と償いについて」の随想を拝見したからです。
 先生の随想には毎回感慨を受けますが、今回は特に胸に響きました。
 人を赦すというのは、最も苛酷で、最も尊いことだと、私は思っています。本当の赦し、神の唱える意味での赦しをもし実践することが出来たら、例え少々の過ちや道を外れた人生を送った人であっても、魂の浄化と進化は大きく進むのではないか、とさえ思います。
 そしてこの随想で、武本先生が説かれたことと同じ内容を、誰か他の人が述べても、果たして私は心を打たれるだろうか、とも思っています。語る人によっては、反発すら感じるかもしれません。
 語る人の人生(生き様)と言葉(内容)のバランスが取れてこそ、それを聞いた人はそこに真実や深さ、輝きを見出し、感銘を受けずにいられないのかもしれません。
 武本先生の体験されてきたことは、常人には想像すら及ばない苛酷極まりない試練だと思いますが、だからこそ神とともに働くメッセンジャーとしての役割に適任なのか、と思ったりしています(失礼に聞こえたらお許し下さい)。
 そこに思い至ると、あぁ、神の摂理は絶対的なんだな・・・・・と揺るぎないものを見せつけられる気がします。武本先生の存在そのものが、神の摂理を代弁しているように思われ、胸がいっぱいになります。
 長くなるので割愛しますが、今からおよそ五年前、私自身が深い絶望の中、打ちひしがれていた時に、武本先生のホームページに出会いました。そして武本先生、潔典さん、富子さんに、再び立ち上がり生き直すきっかけを頂きました。私とスピリチュアリズムを結びつけて下さった、魂の恩人です。
 あの当時、まさか私がイギリスに来て、スピリチュアリズムを学ぶことになろうとは想像すら出来ませんでした。言葉で尽くせないほど感謝しています。ありがとうございます。毎年この時期に霊界からのメッセージが届けられますが、そろそろでしょうか。とても楽しみです。(私も時々大英心霊協会に足を運ぶので、もしかしたらお目にかかれるかもしれませんね)
 武本先生、潔典さん、富子さん、そして出会わせて下さった神様に感謝を込めて。どうぞお身体ご自愛下さいませ。またお便りさせて下さい。(H. A.)


 18-b いつのまにか消えてしまった恨みと憎しみ (返信)  (2010.06.05) 

 おこころのこもったメールをいただき、有難うございました。 また、長い年月、私のホームページに親しんでくださっていることにも、厚くお礼を申し上げます。
 人を赦すということは難しいことですが、本当に大切なことですね。私は、学生時代から、マタイ伝(18:21-22)のつぎのようなことばはよく知っていました。

 そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟が私に対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

 それから、同じマタイ伝の 「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」(6:14-15) ということばも、よく知っていました。
 しかし、そういうことばがあることを知っていただけで、実際には何もわかっていなかったことを恥じています。
 大韓航空機事件で妻と長男が「犠牲」になったとき、私は悲嘆の底にありながら、それでも、真相究明活動は続けなければなりませんでした。
 「真相究明の会」で、多くの有能で熱心な仲間たちに助けられ、アメリカ政府の犯罪を確信するようになってからは、時の大統領レーガンを憎み、恨み、ののしりました。国務長官のシュルツ、国防長官のワインバーガーにも激しい怒りをぶつけました。
 この三人には、汚いことばで罵倒しながら、何度も何度も抗議文も送り続けました。新聞に投稿し、雑誌に書き、本を出し、テレビでも度々アメリカ政府の犯罪を訴えようとしました。
 しかし、結局、「真相究明の会」の総力で入手した明確な証拠などは取り上げてもらえず、アメリカ政府を擁護しようとする当時の風潮のなかで、「真相は霧の中」ということにされてしまって現在に至っています。
 今から考えると、真相究明活動を中断して、一九九一年春からロンドンに住むようになったのは天の配剤であったのかもしれません。
 私は、ロンドン大学に通う傍ら、何度も大英心霊協会を訪れています。アン・ターナーとも知り合い、霊界の実在と、生と死の真実を学ぶようになりました。特に、妻と長男が元気に生き続けていることを知ったことは、たとえようもない大きな救いで、私の人生にとっても一八〇度の転換点になりました。
 神を知り、宇宙の摂理が一分一厘の狂いもなく働いていることも理解できるようになったいまでは、「犠牲者」というものはなく、妻と長男を含めて、私は何一つ失ったものがないことに気がついています。
 私を苦しめていた「犯罪者たち」に対する長年の恨みや憎しみも、いつのまにか消えていました。それだけではなく、もしかしたら、私は人一倍恵まれているのではないかと思うこともあります。
 私は長い間、大学で教鞭をとってきましたが、学ぶべき何よりも大切なこと、そして、私が教えることが出来るとすれば何を教えるべきかということが、いまは少しはわかるようになってきました。
 随分、悲しみや苦しみを経て遠回りをしてしまったようですが、それでも、今生を終える前にこのような感慨をもてることに感謝しています。あなたのように、まだ若いうちに真理に触れ、さらににスピリチュアリズムの学びを深めていくというのは、私のような劣等生からみれば、うらやましい優等生ということになります。
 これからのロンドンでのご研鑽がどうか実り多いものでありますように、こころからお祈り申し上げます。
 たまたま、今日は、長男・潔典の48回目の誕生日にあたります。母親とともに、元気で霊界の指導者として働いているようですが、近日中に、二人の近況なども「霊界通信」のなかでお知らせ出来ると思います。こういう家族の消息にまで関心をもって読んでいただいていることに対しても、たいへん有難く、妻・冨子、長男・潔典とともに、厚くお礼を申し上げます。
 ロンドンでの初夏を、どうぞお元気でお過ごしください。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.244-250)



 35. 二.光へ向かって歩んでいくために  19〜36)
       =メールの交換:二〇一一年二月〜二〇一二年二月=


 36. (19. 流産した子供たちと対話する

 19-a 流産した子供たちと対話する(来信)  (2011.02.02)

 武本先生の御活動は誠に感謝のひとことです。多くの方々のお心がどんなにか癒され、目覚められたことでしょう。
 私は現在六十二歳で、四十歳前後から霊聴そして霊視が生じ始めました。 こういう体質の者も、大きな力で訓練されるのですね。
  実は先生が子供を亡くされた悲しみを抱えておられる方々との交流をお持ちとホームページで知りまして、何度かメールをしようと思ったのですが、止めておりました。子供を亡くされた方といっても、いろいろなケースがあると思います。 これは私の霊的な実体験です。もし、お役に立てればと思いまして今回メールさせて頂きました。
 私は三十六歳の時、流産をしたのです。あまりに初期で気づきませず、直後病院でも妊娠とは判明できませんでした。しかし、私は四〜五時間を空けての二度の出血を流産と思いました。
  おそらく、受胎一ヵ月前後と思われます。スピリチュアリズムの本を読む中で、私はあちらの世界へ戻ったら、きっとあの双子の子供に会えるだろう……と楽しみにしておりました。
 二〇〇九年の四月下旬に、いつものように神前でお祈りをしておりました。すると、右上に女の子と男の子が二人並んで私を見ているのです。
  「あっ……、私の子供だ…… 」と、一点の迷いもなく思いました。すると、私が気づいたことを二人の子供は同時に感じ取り、手を取り合って喜び飛び跳ねているのです。
 ある日、私の氏神様である氷川神社に二人がお参りしたいと言いますので、参拝しました。本殿の大神様の御声がちがうのですね。「よく来た……」と御声の歓待ぶりが違うのです。
 ふと見ると、私の横に二人は並び、その前に櫛稲田姫様のお姿が視え、子供たちを迎えて下さっています。何か御言葉を頂いているようで、その後私に、この子たちに愛情を注ぐように御指導を頂きました。
 多くの人々には霊視できないのでしょうが、神社での七五三参りの時、神様は子供のすぐ前に来て祝って下さるのだと思いました。時々泣く子供がおりますが、何かを感じるのでしょう。
 神前で、愚かな親であることを深くお詫びし、子供をお育て下さり御指導下さっている観音様、天女様方々に御礼のことばを述べ、子供たちにも感謝を伝えてくれるようにお願いすると、「お母さん、僕たちが伝えなくてもお母さんが思うと伝わるよ…」と申しております。
 また、上のお姉ちゃん(二人が名前を欲しいと言いまして、本人たちの希望でお姉ちゃんが文惠、弟が文夫です)は天女様のもとで学んでおります。
 十二月の初め頃に、「今からしばらく、天女様たちと同行してきます……」と楽しそうに伝えてきました。 私もそういうお手伝いをしながら学んでいるのだなと思い、喜んで送り出す気分でした。
 時々、ちらちらその子のことが感じられていたのですが、先日、一月十一日に娘をとても近くに感じ、あれっ……、お仕事が終わり帰ってきたのかなと思っていますと、第一声は、「お母さん、人間って欲張りだ…… 」と手厳しいのです。
 すると、御指導くださっている天女様が、「この子はいま、人々の欲のことを学んでおり、その度にいつも母親の心をのぞいておりましたよ…… 」と話してくださいました。
  「昔の日本人は子供に“精神”を残した。今の親は“もの”を残そうとしている…… 」と天女様はきっぱりと言います。 その通りだと、私の中にも大いに反省させられる言葉でした。
 世間の人は私と同じようには信じられないことでしょう。 私は多くの試練もあり、それは今後も続くことですが、この世において子供たちとつながれ、幸せ者だと深く思いながら感謝しております。
 先生、どうか流産をなさった方にも、子供たちは慈母観音様のもと、水子観音様たちに守りお育て頂いていることを、わかる人にはお伝え下さい。おそらく成長過程において、子供たちも親とつながりたく願っているのです。
 流産をなさった方が確信がもてなくとも、子どもは観音様にお育て頂いているのだろう、あちらに行けば会える……と思って頂けるだけでも、子供たちはうれしく、喜ぶことでしょう。
 (I. S.)


 19-b 流産しても霊界で生き続けている生命 (返信)  (2011.02.02)

 貴重なご体験のメールを有難うございました。メールを拝見していて、私は、昔、こういうことがあったのを思い出しました。
 何代も続いている、あるお寺の僧侶が、何かの話のついでに、
 「先生には想像もつかないでしょうが、一流の大学を出たインテリでも、水子供養を頼みに来ることがあるんですよ」と私に言ったのです。
 私はちょっと驚きました。どうやらその僧侶は、僧職にありながら、水子供養というようなものは迷信にすぎないと、信じ込んでいるようなのです。
 私が、「それで、あなたはどうされるのですか」と聞きますと、その僧侶は、
 「一応、お経だけはあげますけれどね」と答えました。
 もちろん、これは、そのような僧侶にお金を払って、いくらお経をあげてもらっても、「水子供養」にはなりません。
 「水子」というのは、堕胎することを「水にする」、流産することを「水になる」といったことから、流産、死産した胎児のことを意味するようになったといわれますが、決定的に重要なことは、「水子」は肉体としては生まれなくても、「死んではいない」、つまり、生命を持ち続けているということだと思います。
 子は親を選んで生まれてきます。受胎の瞬間に親を選んだ子の生命は、肉体が形成されないままであっても、滅びることはありません。シルバー・バーチも、
 「受胎の瞬間から生命が存在し、したがって霊が存在します。流産とか中絶とかがあっても、それは生命を破壊したことにはなりません。その生命の表現の場をあなた方の世界から私たちの世界へと移しただけです」
 と、言っています。
 肉体だけが生命であると、勘違いしていますと、水子は肉体をもたなかったわけですから、生命はないことになります。しかし、生命自体は、流産によっても、中絶されても、決して傷つくことはなく、完全無欠です。ただ、シルバー・バーチが言っているように、この世ではなく、霊界で生き続けているだけなのです。
 「水子」の魂が親を知らないわけでも決してないでしょう。折角、自分で選んだ親なのですから、子は親を忘れません。
 この世で親子の名乗りをあげられなくても、親子であることにはまったく変わらず、また、同じ親を選んで生まれようとするか、或いは、いつかは霊界で再会することを待ちわびるのです。あなたのメールにもあるとおりです。
 このホームページにも収録されている私の講演集の第九集「宇宙の摂理のなかで生き続けるいのち」には、「超能力者ではないごく普通の人」の霊界訪問をとりあげています。
 その七ページ以降に、森田健さんが、胎児の時に他界した長男と最初に出会う場面があります。
 大学で電子工学を学んだ森田健さんは、超能力者ではない「普通の人」ですが、霊界へ出かけて、長男に会い、次のような会話を交わしました。

 「ところで君の名前は何て言うの?」
 「僕の名前はケンイチ」
 そこで初めて彼は顔を上げました。そこには胎児の顔がありました。
 私と妻は一度流産を経験しています。妊娠六カ月に入ったときに流産したのです。
 私はその出産に立ち会ったので、私のみが彼の顔を見ていました。その胎児の顔はまるで仏像のようにやすらかだったのが印象的でした。
 へその緒が切り取られ、別室に行ってしまうまで私はずっと手を合わせていました。おそらく最初で最後の私の息子でした。見つめ合うこともせず、何も話し合うこともせず、彼は生まれたと同時に逝ってしまいました。
 私たちは彼に健一という名前をつけ、彼のためにお葬式をしました。
 その顔が目の前にあったのです。私は圧倒的な感情に包まれながら彼を抱きました・・・・。
 彼は、
 「僕はいつもあなた達のそばにいる」
 というフレーズに続いて、
 「僕はあなた達を助けるために生まれてきたんだ。こういう運命になることは初めから予定されていた」
 と言いました。
 彼の顔はあのとき以上にやすらかで愛に満ちていました。
     (森田健『「私は結果」原因の世界への旅』、講談社α文庫)

 水子のことにしてもそうですが、やはり、いのちの本質を理解することが何よりも大切なことに思えてなりません。そして、それについては、私のホームページだけでも、数多くの、煌くような真実のことばを取り上げ、編集し、紹介してきました。
 あなたのメールと共に、それらのことばが、少しでも多くの方々に、お役に立つことを祈るばかりです。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.251-258)



 37.  (20.スピリチュアルな世界に触れて拡がる意識 )

 20-a スピリチュアルな世界に触れて拡がる意識 (来信)   (2011.05.18)

 何かのご縁で先生のサイトにいきあたりました。まだつまみ読みしかできておりませんが、私が常々考えていることを、素晴らしい文章にしておられると感じ、メールせずにいられなくなりました。
 奥様とご愛息をいちどきに失うなんて、私の子供に恵まれないことの辛さなどは言うに及ばないお傷みであったことと思います。
 ごくごく平平凡凡に生きている私ではありますが、折に触れ問題に直面することがあります。スピリチュアルな世界との触れあい、宗教観などとても共鳴するところがあり、同じようなお考えをお持ちのかたがいらっしゃることが嬉しくてなりません。
  私も精神世界に触れて世界が拡がった一人です。ただ、大切な主人はもちろん、父や母、近しい人々に同じ感覚をなかなかわかってもらえていないことだけは残念です。
 変な宗教に毒されているのではとか、暗いことばかり考えて大丈夫かとか、そういった風に捉えられてしまうのかもしれません。
 私自身は至って幸せかつ気楽なのですが、それが伝わっていないのだとすると、自分にも責任があるのだと思います。それに、精神世界を探求しているからといって、今際の際にじたばたしないほどの域に達しているかは、かなり怪しいとも思います。
 そのあたりもつらつら考えながら、おまとめになっているものをじっくり拝読させていただこうと思います。
 ともあれ、本日は感謝のことばを・・・ お苦しみを乗り越えられて、すばらしいサイトを開設くださって、ありがとうございます!
 (A. K)


  20-b 誰にでも押しつけてはならない霊的真理 (返信)    (2011.05.18)

 十六世紀にコペルニクスが登場するまで、人々は地球が宇宙の中心にあり、まわりの天体は地球のまわりで動いているという、いわゆる天動説を信じていました。地球が廻っているなどという地動説は、世間を惑わす迷論と考えられ、ローマ教皇庁は一六一六年に、コペルニクスの地動説を禁ずる布告を出したほどでした。
 ガリレオ・ガリレイも、綿密な天体観測の結果、地動説に有利な証拠を多く見つけて地動説を唱えるようになりましたが、その結果、一六一六年と一六三三年の二度、ローマの異端審問所に呼び出され、地動説を唱えないことを宣誓させられています。
 いまでは、まったく当たり前に受け止められている宇宙の事実の一つも、かつては、このように迷信、迷論で異端の説として弾圧さえ受けていたのです。
 私は、人間は本来が霊であって、生命は永遠であるというような霊的真理は、現代の「地動説」ではないかと思うことがあります。
 人はあまりにも長い間、百年にも満たない人生が、人のいのちのすべてであると考え、何よりも死はもっとも恐ろしいものとして忌み嫌ってきました。それでいて、神仏や霊魂の存在はなかなか否定しきれず、慣習的に、墓参りをしたり、お盆の行事をしたり、新年には初詣に出かけたりもしています。
 私は、今度の新著 『天国からの手紙』 で、「人は死なない。というより死ぬことができない」などと書いていますが、昔のローマでなら、これは異端の書として、「異端審問所」にかけられるところかもしれません。
 私は、長い間、無知の暗闇のなかで苦しんできて、いわば、深い森の中で道に迷っていた状態でした。森から抜け出す一筋の道を見出すことができれば、いのちは救われます。見出せなければ、森の中でいつまでも迷いながら、やがて体力を消耗しつくして朽ち果ててしまいます。
 私は、ずいぶん迷って歩きまわりましたが、なんとか、無事にその森から抜け出すことができました。その私には、自分が見出した一筋の道をまわりの多くの方々にもお知らせする責任があります。そして、それは必ず無償の奉仕でなければならないでしょう。
 自分が助かったからそれでいいのではなくて、その深い森の中に、まだまだ彷徨い続けている数多くの方々がおられるのであれば、それらの方々に、何の手をも差し伸べず黙ったままでいることは許されることではありません。
 私が、毎日ホームページなどを通じて声をかけることを続けているのもそのためです。もしかしたら、それが私がこの世に生まれてきたひとつの使命なのかもしれません。
 しかし、その場合、いくら熱心に一筋の道をお知らせしようとしても、その声に耳を傾けようとしない人もいるでしょうし、はじめから不信感を募らせて、近寄ろうとはしない人もいるかもしれません。それはそれで、仕方のないことでしょう。
 価値のある真理というのは、何の苦労もなく楽に手に入れられるものではなく、それなりの真摯な努力が求められます。その用意ができていない人には、早くその用意ができることになるようにお祈りするほかはないのです。
 ほかならぬその用意のためには、実は、悲しみや苦しみを体験するのも、決して意味のないことではないと知る必要があるかもしれません。悲しみがあって、喜びがあり、苦しみがあって、安らぎがあるからです。
 悲しみや苦しみはなく、ただ、喜びと安らぎだけを望むというのは、多分間違いで、そのような望みは、おそらく叶えられることはないでしょう。人はなぜこの世に生まれてくるのか、という問題を深く考えていきますと、だんだんと、そういうことも分かってくるように思われます。
 あなたが、まわりのご家族の「無関心」のなかで、ひとり霊的真理に関心を持ちつづけておられることに敬意を表します。
 このホームページの「学びの栞」の(A)と(B)には、珠玉のような真理のことばを、数多く収録してきました。これからも、どうか、それらのことばに親しんでいってください。あなたもまた、「ともしび」のひとつになって、少しずつ、まわりの方々を明るく照らしていくようになってくださることを、こころからお祈りしています。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.258-262)



 38.  (21.守護霊との二人三脚で霊的摂理の普及を )

 21-a 守護霊との二人三脚で霊的摂理の普及を (来信)  (2011.06.07)

 先日は清澄公園での大変熱のこもったご講演、誠に有難うございました。家族を失った参加者には、実体験者からのお話、これ以上の説得力はありません。
 “死んだと思っていた家族を自分自身で取り返しに行くのだ”、“波乱万丈は素晴らしいことで、その為に生まれて来たのだ” は、言われてみれば成程その通りで、先生のような実体験者が話されると本当に説得力があり、目からうろこでした。
 私の場合、残念ながら先生のような波乱万丈の人生はありませんが、毎日先生のホームページを見させていただいている関係から、是非とも一度先生のご講演を直に伺いたいものだと、神戸から参加いたしました。
 私は三十歳で小さな父の会社を継いで早三十年になりますが、中学時代から大学まで学生時代は熱心なクリスチャンとして、特に内村鑑三の聖書解釈の勉強をしました。
 しかし私も世間様同様、大人になってから長い間経営上の苦労があり、そのことで四十代後半にすがるように経営哲学の稲盛和夫や心身統一法の中村天風の本をよみ漁りました。
 徐々に非常に抵抗のあったキリスト教以外の勉強を必要に迫られて始め、ヨガやスピリチュアリズムを経て、少年のころからのキリスト教会の教義呪縛からやっと脱出することができたのです。
 私自身、大学の非常勤講師でもあるので、とても科学的とは思えない“オカルト”=“霊の世界”に対するキリスト教義からくる拒否反応に加え、学者の偏見と無知からくる抵抗など、先生の当時のお気持ちもよく理解できます。
 たった一行、「我とは霊魂で、宇宙の摂理の中で生かされている」は、正に全てを含んでいますね。ジェームズ・アレンのいっている「肉体の心である仮我を捨て、宇宙の摂理(法則)に立脚し、それと同化・調和するように生きる」ということでしょうか。
 私もまた先生のように、残りの人生を、日々、守護霊との二人三脚で、良き道具として霊的摂理の普及に努めたいと思っております。
 この度は本当に有難うございました。嬉しくて感謝の言葉を述べたくお手紙を書かせて頂きました。また、いつかお会いする日がありますことを楽しみにしております。
 (T. K.)


 21-b 妥協することはできない真理への道 (返信)   (2011.06.08)

 六月五日の出版記念講演会には、わざわざ神戸からご参加くださった由、厚くお礼を申しあげます。
 これまで、霊的知識からは遠い一般の方々を対象にした講演や、「大空の会」(子どもを亡くした親の会)のように、霊的知識を学び続けておられる方々を対象にしたセミナーなどは、何度か行なってきましたが、この記念講演会では、霊的知識に近い方々と遠い方々が混ざり合っていることが予想されていました。それだけに、演題の焦点がずれることがあってはと、少々気になっていましたが、メールで、共感のおことばをいただいて、うれしく思っています。
 「人間とは本来が霊的存在であって、霊的存在であるが故に、死んでも死なない」というのは、いまの世間の常識とは大きくかけ離れてしまっていますから、これは、ある意味では、二十一世紀の「地動説」のようなものかもしれません。
 そして、この「地動説」が受け容れられるようになるには、ガリレオの時代よりももっと時間がかかって、もしかしたら、さらに数百年の試練を経なければならないのではないかと、考えたりもします。一方では、坂本政道さんのように霊界探訪を繰り返して最先端の道を切り開いている人もいますが。
 本当は、宗教が霊的知識を真正面から取り上げなければならないはずですが、これには、新しい「宗教革命」が必要になるのかもしれません。
 講演では、詳しくはお話できませんでしたが、昨年行なわれた日本人の死生観についての全国世論調査 (「朝日」11.04) で、「宗教を信じても、死への恐怖がなくなったり、和らいだりすることはない」と答えている人が68パーセントもいることになっています。
 これでは、何のための宗教か、ということになってしまいます。やはり、あなたが言っておられるように、私たちが守護霊との二人三脚で、頑張っていくことが大切であるようです。
 アメリカでも、キュブラー・ロスやブライアン・ワイスなどの大学教授のほか、シャーリー・マックレーンのような女優を含めて、霊的知識の普及に努めようとしてきた人たちは皆、それぞれに偏見や時には迫害に晒されてきたようです。
 日本でも、いわゆる「知識人」、「文化人」や科学者やたちの「無知と偏見」は、そう簡単には消えることはないと思われます。でも、真理は真理ですから、妥協することはできません。お互いに励まし合って、一筋の道を歩み続けていくほかはないでしょう。
 これからのご研鑽をこころからお祈り申しあげております。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.263-266)



 39.  (22. 『天国からの手紙』 を一気に読み終える )

 22-a 『天国からの手紙』を一気に読み終える (来信)  (2011.06.09)

 学研の「ムー」を購読して、開いたページに、「武本氏の『天国からの手紙』が五月三十一日発売・・・」とありました。日頃から霊の世界を勉強している私にとって、真実を伝えてくれるものに出会えた!と確信し、書店に並んだその時すぐ買い、一気に読み終えました。
 これまでも霊能者江原氏の書物やシルバー・バーチの本、ジャニス氏の「死ぬことの意味」、光明氏の「転生会議」、ゴ−ドン・スミス氏の「霊的世界からの癒し」、脇長生講述「スピリチュアルな生き方原典」など、読んできた本はたくさんあります。宗教など団体に入ることはせず、私ひとり自分なりに探求してきました。
 昭和二十九年五月五日秋田市に生まれ、今は新潟市で歯科医院を開業している夫の仕事を手伝う生活をしています。私には霊能力はありません。しかし、なぜか、若い時からあの世について興味があったのです。十二年前父親を亡くしてから、強く霊の真実を知りたくなったのです。
 大韓航空機事故は、記憶にありました。他の、坂本九氏が犠牲になった日航ジャンボ機事故も。そのたびに遺族の方のせつない表情を、画面を通してですが、見るのはつらいものでした。
 だから、今回この真実に出会い、感動しています。このホームページをこれから、私の学びの一助にして、霊が本質であるという事と、今一瞬の生の中で純真な心を育てることを学んでいきたいと思います。
 この本に出会えたことをこころから感謝しています。 (J. N.)


 22-b  これからも着実に真理探究の道を (返信) (2011.06.09)

 『天国からの手紙』の「はじめに」のところにも書きましたが、私は事件後に書いた何冊かの本の中では、霊界通信に真正面から触れることはありませんでした。
 いまは、私が体験してきたこのような霊界通信のことを知っていただくのも、いのちの真理を学ぶためには、少しはお役に立てるかもしれない、と考えています。
 シルバー・バーチが言っているように、世間には、霊的真理を受け容れる用意ができている人と、まだ用意ができていない人がいます。
 「人はもともと霊的存在で宇宙の摂理の中で生かされている」という極めて単純明快な真理でも、かつての私のように、その重大さに全く気づかないような人が少なくはありませんが、一方では、あなたのように、早くから「自分なりに」探求しておられる方々も、また、決して少なくはありません。
 私は、長い間、無明の闇のなかをさまよい続けて、やっと、一筋の光明にたどりつくことが出来ました。
 そのようにして掴み取った真実は、自分だけのものではなく、人にも伝えていく責任もあるはずですが、それだけに、あなたのような方にこの本を読んでいただけたことを、私のほうからこそ、こころからのお礼を申しあげたい気がしています。
 これからも、どうぞ着実に、真理探究の道を歩んでいかれますように。

  武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.266-269)