2003.3−6


 

 
感謝の中で暮らす (2003年 6月18日)

 武本先生
 
 先生のメッセージ読ませていただきました。もったいないような過分なお言葉をありがとうございます。恐縮致しております。
 
 「世の中には偶然はない」と言いますから、武本先生のお話を伺えたのも、溝口さんご夫妻にお会い出来たのも、すべて宇宙からの計らいの中にあったのですね。導いてくれた潔典さん、奥様、聡、そして皆様に感謝です。
 
 今こうして「感謝」の中で暮らせる自分が自分でも嬉しく、また不思議でもあります。息子の死後、こんなに幸せで穏やかな日々が来るなんて、考えてもみませんでした。
 
 まだまだ知らないことの多い私ですが、少しでも成長していけたらと思っています。これからもご指導の程、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。      
                              
  鈴木明美
   




 「十年の歳月が流れて」 (2003年6月17日)

 鈴木明美様 

 木葉会の「残照」第4号をいただき有り難うございました。「十年の歳月が流れて」を拝読して、そのなかのいくつものことばに胸を打たれています。
 「どんなに月日が経とうとも、子供を亡くしたこの悲しみが薄れることはあり得ないし、この胸の深い傷をどんな神様も治すことは出来ないと思っていました」というのは、おそらく、お子さんを亡くされた多くの方々が等しく抱く感情であろうと思います。私の場合もそうでした。「時が悲しみを癒してくれる」などと聞かされても、まったくそのようなことばを受け付けようとはせず、癒されたいとも思わず、ただただ絶望の淵に沈んでいただけでした。
 結局、死別の悲しみを克服し、本当に立ち直れるのは、「生と死の真実」を知る以外にはないのではないでしょうか。テレビ番組で、死別の悲しみを乗り越えるための心理的な療法などが放映されることがありますが、時間がかかっても胸の深い傷を確実に癒せるのは、いのちを支えている真理の力だけのように思われます。
 「十年という歳月が流れて、今、私には光の中で輝いている息子が見えます。子供達は、愛にあふれた優しい世界の中で微笑んでいます。そしていつも私たちの幸せを祈っていてくれる・・・・・・そう感じられるようになりました」というあなたの文を見つめながら、私はそのなかにこめられた深い意味を感じ取っています。「光の中で輝いている」お子さんを見ておられるいまのあなたは、お子さんと同じように、光の中で輝いておられます。娘も私も、あなたにお会いするたびに、いつもそのような光を感じさせられてきました。
 「そろそろ木葉会からの卒業の時期が近づいているのかもしれません」と書いておられますが、実は、あなたこそ、神に祝福されてすでに「卒業された優等生」ではないかと、深く敬服しています。





 大英心霊協会のワークショップにも  (2003年 6月 16日)

 昨日は、すばらしい講演を拝聴させて頂きまして、ありがとうございました。
大空の会からは、11人参加させていただきました。昼食は、木葉会の人達とも
ご一緒しました。 皆さん、武本先生の講演にとても感動していました。
 また、12月には大空の会でも講演してくださるということで、たいへん嬉しく
思っております。ありがとうございます。
 先生のホームページで、12月に大英心霊協会のKEITHさんがいらっしゃって
ワークショップを開かれるということを拝見させて頂きましたが、もし何らかの
情報が入りましたら、お手数ですがお知らせ願えませんでしょうか。もしもできる
ことならば、大空の会の人達もワークショップに参加させて頂きたいそうです。
 どうぞお身体にお気を付けて、またお目にかかる日を楽しみにしています。

                            瀬野彩子



 
 息子からの大きな贈り物 (2003年 6月 16日)

 武本先生
 
昨日のご講演ありがとうございました。先生のお話を小冊子で初めて拝見したときの衝撃を今も鮮明に覚えております。「人間は死んでも死なない」・・・私はこの言葉に釘付けになりました。なんという救いの言葉だったでしょう。当時、息子を亡くして悲しみの中にいた私にとって、嘘でもいいから(ごめんなさい)信じたい言葉でした。
 
あれから5年、毎年先生の講演会に参加させていただき、また木葉会でも講演していただいたり、ご本を読ませていただいたりするうちに、私なりにも「魂」への理解が進んでまいりました。嘘でもいいから信じたいと思っていたあの言葉は真実でした。今、はっきりと断言出来るようになりました。
 
そして人生を「魂の成長」という視点から見ていくと世の中も、価値観も、人間の幸不幸も違って見えるようになりました。息子の死は悲劇ではなくなり、大きな恵みへ導くための息子からの贈り物であったと思えるようになりました。ここまで来るまでに随分時間は掛かりましたが、今、私は息子に守られ「幸せ」です。「愛」に包まれている自分がいます。まわりの人たちとの偶然ではない「つながり」や「縁」を感じ、愛しく、優しい気持ちになれるのです。50年ちょっと生きてきて、大げさでなく、今が一番幸せかもしれません。本当に不思議な気持ちです。
 
すべては武本先生のお書きになった小冊子から始まりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。改めて、ありがとうございました。昨日初めて先生のお話を聞いた友人たちも感激しておりました。
 
これからも未だ悲しみの中で苦しまれている沢山の人々のために、是非講演活動を続けて下さることを願っております。ご健康に気をつけられ、ますますのご活躍をお祈り申し上げております。

                                   鈴木明美






 「愛し子とともに生きる」  (2003年5月22日)
 
 瀬野彩子様
 
 メールを有り難うございました。
 「大空の会」で講演をさせていただいてから、半年ぶりに、また会員の方々にもお話し出来ることを楽しみにしています。
 東京ウィメンズ・クラブでは、あの講演のときに、会員の方々の霊界のお子さんたちも姿を見せておられたとお伺いしましたが、私もひとことお礼のことばを申し上げるべきであったかもしれません。いろいろとご教示いただいておりますことを厚くお礼申し上げます。





 講演会を楽しみに  (2003年5月18日)

 新緑も美しい五月となりました。
 武本先生のホームページを拝見させて頂いております。大空の会の人達にも知らせたらとても話題になりました。また、6月15日の先生の講演会を楽しみにしています。前々からみんなで6月の先生の講演はいつかしらと心待ちにしておりました。
 先生のホームページと講演会は、「大空の会」のホームページと会報で紹介させて頂きました。6月15日の講演会を心から楽しみにいたしております。どうぞ、お身体にお気を付けてお過ごしください。

 瀬野彩子




 貴重な体験の記録  (2003年5月10日)

 谷口美砂子様

 ロンドンの大英心霊協会への旅行記を拝見しました。
 6日間の日程で、実りの多い体験をされてよかったですね。
 大英心霊協会については、関心を持っておられる方が多いので、このような旅行記は参考になると思います。
 貴重な体験の記録をお送りいただいたことを、厚くお礼申し上げます。





 ロンドンの大英心霊協会への旅

4月22日

 雲の切れ目からロンドンの町並みが見えてきた。茶色の屋根に煙突をのせた家々が並んでいる。童話の中に出てくる景色のようだ。その風景を眼下にして、いよいよロンドンにやってきたのだと気分が高まってきた。思わずこの1ヶ月余りのことが、頭の中をよぎった。

 友人に宛てたメールを読み返して、その日付をみると、いかに急な思いつきでイギリス行きを決断したかがよく分かる。まずは、武本先生と電話でお話させていただいて、今まで以上にイギリスへ行きたいという思いが高まったこと。亡くなった長男の幼馴染みが旅行会社に就職していて、今は非常に安い料金で海外旅行ができることを知り、彼に色々相談できたこと(観光目的でなく、ただ心霊協会を訪ねる旅であることを)。息子(二男)のガールフレンドに通訳として同行してもらうことが可能だったこと。4月19日は長男の命日なので、行くならこの日の前後がよいだろうという漠然とした思いで、数時間後にはイギリス行きを決めた。これは私の長所と言ってもいいかもしれない。時間をかけてゆっくりと考えるのがどうも苦手で、やろうと思いついた時にはすでに足が1歩前に出ているという状態である。出発までの1ヶ月、会社の仕事をこなしながら、パスポートを取ったり、旅行会社へ足を運んだり、大英心霊協会に電話してもらったり、あっという間に時間は過ぎた。スーツケースに荷物を詰め込んだのは出発前日の夜であった。

 4月22日昼頃成田空港を飛び立った。海外経験は豊富にもかかわらず飛行機恐怖症の綾ちゃん、飛行機は初めての息子。私の通訳・ボディーガードという役目を与えられた二人を連れての、心霊体験旅行の出発だった。この一ヶ月の出来事に思いをめぐらせているうちに、22日15時過ぎ(現地時間)ヒースロー空港に到着した。HIS(旅行会社)からの迎えの人が待っていてくれている。何とこのツアーは我々3人だけということが判明した。まあこんな時期だから納得もできるが。迎えのワゴンに乗りこみホテルへ直行した。料金の安いツアーなので(往復の航空券・ホテル五泊朝食付き・半日市内観光付きで、1人126,000円)ホテルは全く期待していなかったが、ゆったりしていて綺麗なのでびっくりした。日本の新宿ワシントンホテルくらいのランクだと思った。少し休んでからホテル近くのイタリアンレストランで食事をした。出発前に周囲の人からは、イギリスは食べ物が不味いと聞いていたので覚悟していたが、なかなか美味しいので驚いた。無事到着できたことに3人でまず乾杯。ビールの美味しかったこと。ホテルに戻り11時過ぎにベッドに入る。ダブルベットの何と気分いいこと。毎日2匹の猫とシングルベッドで寝ている私にとって、最高の贅沢に感じられる。大の字になって独りの清々しさを実感した。


4月23日

 爽やかな目覚め。カーテンを開けて外の景色を眺め、夢でなく本当にロンドンに来たことを実感した。懐かしいような、少々切なくなるような、何とも表現できない妙な気分で外をぼんやり眺めていたが、そんな気分も数分後には、周囲の人達への感謝の気持ちへと変わった。いよいよ今日は大英心霊協会へ足を運ぶと思うとわくわくしてくる。簡単に朝食を済ませ、半日市内観光のための集合場所へと地下鉄に乗った。ピカデリーサーカス駅で降り、集合場所まで10分位歩いた。辺りの建物の荘厳さに思わず息を呑んだ。市内観光用の2階建バスも乗客は我々3人だけで、日本人のガイドさんともすっかり息投合。市内の観光名所を回り、ますますこの土地に愛着が沸いてくるのを感じる。昼食を済ませ、いよいよ地図を片手に心霊協会へ。

 ハイドパークコーナー駅を降り、歩いて5、6分で目的の心霊協会のドアの前に立った。外観は白い建物で、回転式のガラス扉を押すと、目の前のカウンターに男性二人が腰を下ろしていた。突然の、それも外国人3人が恐る恐る入ってきた姿を見て、一瞬いぶかしげな表情をみせた。しかし、綾ちゃん(通訳)のにこやかな笑顔での挨拶と彼女の明るい雰囲気で、その表情はあっという間に消えた。しかし厳しい表情の中にも、瞳の奥に暖かいものが流れていると感じたのは私だけではなかったようだ。Medium(霊能者)と面談をしたい旨を伝え、翌日12時と14時の予約をして40ポンド支払った。(霊能者という日本語訳は、あてはまらないような気もするが)霊能者との面談30分間で20ポンド(約4,000円)、日本では考えられない値段だ。3人で面談を受けるのはだめと言われ、本人と通訳の人だけと言われる。もう少し粘って交渉したらとも思ったがやめておいた。素直に従うことにした。まずは心霊協会にたどり着き、面談の予約ができたことに感謝した。ほっとして、三人でショッピングを楽しみ、ホテルへの帰り道、マックでハンバーガーを買い、スパーマーケットでトマト・きゅうりなどをそろえ、夕食は簡単に済ませることにした。

4月24日

 いよいよ面談の朝を迎えた。朝方みた夢の内容がよみがえる。すでに夢の中で二人の霊能者が出てきた。二人とも日本人の女性で、色々言われたのは覚えているが内容までは定かでない。さてさて、きょうお会いする方はどのような人物なのか、非常に興味津々である。12時にKEITH HALL 、14時にTERRY TASKER。二人とも男性である。思わずベッドにすわり、今日の面談が成功するように祈った。

 約束の10分前に心霊協会を三人で訪れた。一階の受付から左奥へ進むと小さな待合室があった。そこには三人の女性がすでに座っていた。そこで我々三人も椅子にかけていると、数分で、にこやかな笑顔と共にKEITH HALLが現れて、別の部屋に案内してくれた。私と、通訳の綾ちゃんがその部屋に入り、息子は待合室で待っていた。KEITH HALLは少々お腹のゆったりとした紳士だった。シャツに綿パンという、リラックスした服装だった。まず、その人物よりも、通された部屋に少々驚いた。4,5畳の簡素な部屋に小さなテーブルと椅子。まるで、これからカウンセリングでも受けるかのような雰囲気の小さな飾り気のない部屋。しかし何となく暖かさを感じた。KEITH HALLは我々のことは何も聞かず、目の前にいる我々のことなど全く興味もないかのように、持参したテープをカセットレコーダーの中にセットし、やや早口にしゃべり始めた。我々が、どこの国からやって来たか、今何歳で、どのような家族構成か、どのような仕事をしているのか、何も聞かないし、我々も何も伝えていない。まして、私の長男が亡くなっていることなど口にも出していない。

 KEITH HALLは話し始めた。通訳の綾ちゃんからはKEITHの話しをその場では全て伝えてもらわなかったので(彼から私に質問のあった時だけ通訳してもらっていた)30分の面談を終えた後、その内容を耳にしてびっくりした。さらに驚いたのは、帰国して、この時のテープを訳して文字にしてもらった時だった。まずKEITHは、私と会って数分後に、私の息子のうち1人は霊界へ、もう1人はこの世にいると伝えてきた。そして記念日(誕生日・結婚記念日・命日など)が4月にあるかと聞いてきた。息子がさかんに4月の話しをするらしい。亡くなった息子が、自分の命日とお母さんの誕生日が近い、何週間かの違いだと言っているという。息子が亡くなったのは4月19日、私の誕生日は5月2日である。そして、自分が亡くなった後、我々が引っ越ししたことも、息子はKEITHに話しているという。まだまだ我々しか知り得ないことは、たくさんでてきた。(夫の弟は双子で産まれ、1人は生きて1人は幼い頃亡くなったということなども)

 心霊協会を初めて訪れ、その初日の面談でこれだけの内容を聞くことができた。素直に嬉しいという気持ちよりも、「呆然」という言葉があてはまるようだ。しかし最初、KEITHの表情を見ていると、私と彼と1対1でないので(通訳の綾ちゃんが同席している)私と綾ちゃんそれぞれへのメッセージを振り分けて理解するのが、少々大変そうだった。KEITHとの面談を終え、いったん外へ出て昼食をとりながら、この件について三人で話し合い、二時からの面談は通訳なしで、私独りで会ってみようということになった。

 二人と別れ、私独りで2時に再び心霊協会の椅子にすわった。TERRY TASKERという穏やかな紳士だった。綾ちゃんからのメモ書きを彼に渡した。「英語を話すことができないので、メッセージをテープに入れてもらえたら、後に訳してもらうのでよろしくお願いします」というような内容のものを。彼は穏やかな表情で、ゆっくりと話し始めた。しかし話しの内容は私には全くチンプンカンプンである。しかし彼の目を見ながらくいいるように話しの流れにのっていった。その途中、彼は「ヒローシ、ヒローシ」と一生懸命口にしている。思わず私は片言で「ヒロシは、私の息子の名前だ」と伝えた。私の体に電気が走ったようだった。その話の内容はわからなかったが、後で綾ちゃんにテープを聞いてもらうと、「ヒロシという男の人が、あなたの手助けをしてくれる存在だ」と言っているという。もちろんTERRYにも、こちらの情報はひとつも伝えていないのに、息子の名前を口にするとは。またまた「呆然」としか言いようがない。この一日の気持ちを表すとしたら、「感動」「茫然自失」この二つの言葉が一番当てはまると思う。

 独りでの面談を終え、協会まで迎えにきてくれた二人と合流し、街中をぶらぶらし、ホテルに戻りレストランで食事を済ませた。部屋に戻ると、今日一日の疲れがどっと吹き出した感じで、すぐベッドにもぐり込んだ。しかし、妙に頭だけは冴えていた。死後も魂は存在している事実をこの目と耳で確信できたという喜びと、私に縁ある方々に見守られ導かれているという喜びが重なって、その嬉しさを隠すことができなかった。ベッドの中で独り笑っていた。

4月25日

 朝5時30分、昨日以上に爽やかな目覚めである。カーテンを開け外の空気を取り込んで、テレビのスイッチを入れた。NHKの衛星放送を聴きながら熱いコーヒーとクッキーをほおばる。昨夜、食事を終えて部屋に戻り、今日の面談について打ち合わせをしたことを思い出した。昨日面談を終えた後、今日の予約を入れてきた。15時にTERRY、15時30分よりKEITH。この二人との面談のどちらかを、息子を立ち会わせようということになったのだ。本人もその気になっているようだ。早口で、明るい雰囲気のKEITHとの面談を息子に、私は綾ちゃんの通訳を入れてTERRYと再び面談しようと考えた。

 昼少し前ホテルを出発し、地下鉄に乗り込み再びハイドパークコーナー駅で下車した。昨日昼食で立ち寄った「ハード・ロック・カフェ」の向かい「Rose Crown」という店で昼食をとった。フィッシュ・アンド・チップス、サラダ、ハンバーグ、量がとにかく多い。しかし不思議なことに何を食べても美味しいし、ぐっすり眠ることもできるし、体調はかえって日本にいる時よりもすこぶる良好である。心が喜ぶことをやっているので、きっと身体も喜んでいるのだろうと思う。

 いよいよTERRY、KEITHとの二度目の面談である。昨日よりはいくらか気持ちは落ち着いている。心霊協会のガラス扉を回すと、カウンターには昨日の男性と、中年の女性がすわっていた。その男性とは一昨日にも顔を合わせているので、我々三人の顔を見てどうぞ奥へと目で合図してくれた。昨日よりも余裕をもって30分前に到着したので、地下の休憩室へ降りて椅子に腰を下ろした。確かな建物の歴史を感じさせられた。廊下には霊能者の写真と名前が貼ってあった。30名位いたように思う。その廊下の右側には「ヒーリング」と書かれた部屋があり、そこにもヒーラーの名前と写真が貼ってあった。6,7名だったように思う。その中には日本人の男性の名前があった。時間があったらヒーリングも受けてみたいなあと思った瞬間、90度くらい開いていたドアが、ギーギーと重い音と共に少し開いた。人の気配もないのにと思ったが、ここはロンドンそれも心霊協会だから、これくらいの事が起こっても当然だと、ビクともしなかった。「どうぞヒーリングでも受けてみて下さい」というメッセージなのだと考えると、何だかますます楽しくなった。

 TERRYとの二度目の面談が始まった。今日は綾ちゃんも同席した。昨日のテープの内容と重なると思うがという言葉の後、ゆっくりと話しは始まった。霊界から数名集まって、暖かいメッセージを送ってくれている。私の家に飾ってある木彫りの仏像のことも、霊界の方が見せてくれているという。確かに、20センチほどの木彫りの仏像を玄関に置いてある。かわいらしいお地蔵様のような仏像で、二年ほど前溝口祭典さん(百具一心堂)より購入したものだった。出かけによくお地蔵様の頭をなでている。この光景を霊界の方々はとても喜んでいるということだ。TERRYからのメッセージは、私の心と身体を暖かなもので包み込んでいるようだった。

 待合室に出て、次のKEITHとの面談を待った。今度は、息子と綾ちゃんがKEITHとの面談を行うと思うと、ワクワクした。私は待合室で待つことにした。私はこの面談が非常にうまくいくと確信していた。しばらくして、向かいの部屋から「ヒローシ、ヒロシ」というKEITHの大きな声が聞こえてきた。その声を聞いて思わず涙がこぼれた。流れるままにしておいた。頬を伝う涙は熱かった。この言葉を耳にした瞬間「もうこれで充分だ。はるばるイギリスまで足を運んだ目的は達成された。」と思った。今行われている面談の内容や流れを聞かなくとも、前日のTERRYと同様に「ヒロシ」という息子の名前が、KEITHの口からも発せられているのを聞いただけで充分だと思った。心の底から喜びが沸き上がって涙を流すなんて、生まれて初めてかもしれない。悲しみの涙はこの11年間、いっぱい流した。しかし今、ここで喜びに震えながら熱い涙を流したこの瞬間、私は生まれ変わったような気がした。このように素直な気持ちで物事をとらえられる私という存在を誕生させてくれた父と母に感謝の念を覚えた。その父・母を産み育てた祖父母、一度も会ったことのない母方の祖父母へと、その感謝の念は脈々と続く先祖への感謝の思いに変わっていった。今、私という人間がこの地で息していることができるのには、どれくらいの先祖の方々の血が流れているかと思うと呆然としてしまった。思わず地べたにひれ伏したい衝動すら覚えた。また、大いなる存在のもとで生かされている自分という存在がちっぽけに思えた。このような私の気持ちを、まるで喜んでくれているかのようにKEITHの声はますます明るくなって、面談の部屋からは三人の笑い声が響いてきた。

 面談が終わり、ドアが開いて三人が楽しそうに出てきた。今年の12月、KEITHが日本を訪れてワークショップを開催すると、綾ちゃんが伝えてきた。すぐKEITHの側に駆け寄り、ぜひその時は参加したいので詳しいことを教えてほしいと頼んだ。ヒーリングをやっているキンジョー(日本人)が全て把握しているので、彼に連絡をとるようにと住所を教えてくれた。KEITHの「日本ではハローをどのように言うのか?」という質問に「こんにちは」と答えると、明るい声で「コ・ン・ニ・チ・ハ」と繰り返し、日本語も少し勉強しなければと、おどけた表情で語った。12月に再び日本で会えると思うと、スキップしたいような感動を覚えるとともに「全ては見えない糸で繋がっている」と実感した。

 外の空気を思いっきり吸い込んでも、三人ともまだ呆然としていた。どういう訳か、ここで面談を行っている時には、ザアーと雨が降る。心霊協会の前でタクシーを待っていながら、「感応の雨」という言葉が頭に浮かび上がった。「信じる心が神仏の霊に通じ、雨を降らせる」というような意味だったと思う。きっとご先祖の皆々様が喜んで雨を降らせて下さったのだと解釈し、タクシーに乗り込んだ。運転手にピカデリーサーカス駅近くの日本食材のスーパーマーケットまで行ってほしいと頼んだ。三人とも、外で食事をとるよりも早くホテルに戻って横になりたい気分だった。滞在4日目にして、無性に醤油味が恋しくなった。寿司・豆腐・漬け物・みそ汁・どんべえ(カップ麺)・ビール(アサヒスーパードライ)・甘栗などを買い込んだ。どれも日本で売られている倍近くの値段にびっくりした。

 ホテルに戻り、スーパーから買ってきた食べ物を広げ、ささやかな夕食をとった。今日の面談での出来事を話し合いながらの食事だから、厳かな晩餐でもあった。三人とも口数は少なかったが、この二日間で何かをつかんだことだけは確かだった。「明日の面談の予約を入れてこなかったけど、明日も心霊協会へ行くの?」という綾ちゃんの問いかけに「もう、これで充分。充分すぎるわ。」と答えた。

 この晩は、心が満たされていた。息子が亡くなって11年と6日目なのだと、ベッドの上で指をおった。11年前の4月、抜け殻のような姿で遺骨を胸に抱きしめて、涙を流していた私に、このような日を迎えることができるとは想像もできなかった。心はとても穏やかで、私は幸せだと思った。

4月26日

 いつものように5時30分頃目覚め、今日はどのように過ごそうかと考えた。昨日の興奮もさめやらぬ頭で、今日の予定は息子と綾ちゃんに全てまかせようと思った。いつものようにNHKのニュースを見て、独りの気ままな時間を過ごした。バスタブにたっぷりとお湯をはり、朝風呂を楽しんだ。時間に追われないことが、こんなにも自分自身を穏やかにしてくれることを感じた。

 11時に二人の部屋を訪ねると、綾ちゃんの友人が昨日よりロンドンに来ているので、みんなで昼食を一緒に楽しもうと電話があったと言っている。13時にピカデリーサーカス駅で待ち合わせをし、中華街で食事をした。店内は非常に活気があって、料理も美味しかった。その後、若者4人と行動を共にするのも疲れるしおじゃまだなと思い、少し買い物をしてホテルへ戻った。

 ウイスキーを片手に、夜景を眺め、明日はこの地を離れると思うと、何だか悲しい気分だった。しかし、再びイギリスを訪れるのは間違いないと確信した。

4月27日

 いよいよ帰国の朝だと思うと、さすがに寂しさがこみ上げてきた。12時までにチェックアウトを済ませ、17時に旅行会社よりホテルまで迎えが来る。その間の時間をどのように過ごすか考えていたら、綾ちゃんがぜひ行きたいところがあるという。ロンドン・ダンジョンという、虐殺・拷問の様子を等身大の人形を使って再現している人気スポットだという。気乗りはしなかったが、私も参加した。私はほとんど直視していなかったが、二人はデジカメで写真など撮っていた。しかし後で聞くと、やはりこんな写真を抱えて飛行機に乗るのは、ばちあたりだと思い、搭乗前に全て抹消したというから可笑しい。ホテルへ戻る時間が迫っていたので慌てて外へ出て、ロンドン橋を歩いた。綾ちゃんのロンドン橋の歌を聴きながら。これが今回最後のロンドンの風だと思い、胸一杯に風を吸い込んだ。

 ホテルに戻り、用意されたワゴンに乗り込み空港へ向かった。免税店で買い物を楽しんで、お土産と思い出をいっぱい詰め込んで19時35分、ヒースロー空港を飛び立った。小さくなっていくロンドンの町並みを見ながら、「この体験を、これからの私の人生にどのように生かしていくかが重要な課題なのだ。過去の体験として終わらせることのないように、生かし続けていかなければならないのだ。」という思がこみ上げてきた。たしかに私はこのイギリスで幸せをひとつ探し出すことができた。

 それぞれ心の中に幸せと思い出を詰め込んで、飛行機は日本へと向かった。

 谷口美砂子





 ものを見る眼    (2003年5月7日)

 玉ノ井重孝様

 メールを有り難うございました。
 ものを見る眼は、「本来、誰にでも備わっているはず」というご指摘は、まったくその通りだと思います。赤ちゃんの眼を見てもわかるように、私たちは、生まれたときには一人の例外もなく、汚れのない純真な、きれいに澄んだ眼をしています。それが、いつのまにか、「目先の常識」や「ありふれた社会通念」で曇らされたり、濁らされたりしていくことが多いのでしょう。
 ものごとの真実を見抜いていくためにも、「少し視点をずらして」ものを見てみることの大切さを、私も学んでいきたいと思います。





スカラー波とパナウェーブ研究所について  (2003年5月5日)

武本昌三先生

  お世話になっています。4月28日付のお葉書拝見しました。過分なお言葉を再びいただき恐縮致します。
本来、物を見る目は、誰にも備わっているはずです。ところが、多くの人々は、目先の常識やありふれた社会通念にとらわれて、結果的に、物 を見る目を眠らせてしまっています。大韓航空機事件がその好例です。「民主主義のアメリカが、謀略などするはずがない」「民間機のパイロットが、いくらなんでも謀略に加担するはずがない」等々の、一般的な社会通念に基づく限り、事件の真相は、決して見えてきません。換言すれば、少し視点をずらせば、いくらでも不自然さが目に入り、結果的に、真相を見抜くのは、誰にとっても必ずしも難しいものではないと思います。常識を重視するあまり、多くの人々が、結果的に真実を見失ったままでいるのは、いろいろな意味であまりにも損失の多いことです。特に、見えざる世界に対しては、なおさらです。

 最近マスコミが大きく報じている、白装束のパナウェーブ研究所は、まさに第三のオウム真理教です。スカラー波は、見えざる世界では以前からその存在が言われています。その限りでは、怪しいものではなく、また、彼らの専売特許でもありません。ただし、オウムと同様に、対象を正しく理解せず、曲解し、それに基づいて勝手な論理を構築し、自分たちが一番正しいと思い込み、結果的に異様な行動に陥ってしまったのは明白です。
9名の共著「フリーエネルギーの挑戦」(たま出版)の中にある、実藤遠著「トーマス・ベアデンのスカラー波理論」に、スカラー波の解説があります。
あいにく内容が難しくて、私自身理解できません。「縦波(粗密波)の電磁波と重力波」の合わさったもの、のようです。(通常の電磁波は、横波) 任意の特定地点に対し、強烈なエネルギーを発生させたり、逆に、その地点のエネルギーを消滅させたりする力があるとのことです。善用すれば、人類に多大の貢献が出来、悪用すれば、破滅的結果をもたらします。同書によれば、冷戦時代のソ連がすでにこれを用いた兵器を造り、動かしていたとのことです。阪神・淡路大地震に対して、オウムが、「この地震は、ソ連が引き起した」旨の発言をしていましたが、ここから来ているものと思います。パナウェーブ研究所も、共産ゲリラがスカラー波で攻撃していると主張しているのも、同様の可能性があります。

 パナウェーブ研究所の、共産ゲリラ発言は、おそらく信憑性は非常に低いと思います。一方、スカラー波自体は、おそらく実在すると思います。ただし、ソ連が悪用していたかどうかは、分かりません。事実であってもおかしくありませんし、誤りであっても不思議はありません。(阪神・淡路大地震は、ソ連の仕業とは思えませんが) 現代の地球人の力では、スカラー波の侵入を防ぐ方法は、おそらくないと思います。もちろん、布で防げるはずもありません。パナウェーブ研究所の白装束や、車に張った丸印などは、まったく無意味です。

  以上、とりあえず、お伝え致します。

       玉ノ井重孝 (たまのい しげたか)





私の講演会のお知らせ (2003年5月1日)

 
「こすもすセミナー特別講演」として、下記のとおり講演会が開催されます。

   
演題: いのちの真実を求めて ー生き続けて光に向かう私たちー

  
 日時: 2003年6月15日(日)
        午前10時受付開始 講演:10時30分〜12時 
   会場: こすもす斎場 3F大ホール
        八王子市元横山町2−14−19
        電話 0426−42−0921

        
交通アクセス

    
会場準備の都合がありますので、事前にお電話でお申し込み下さい。
    入場は無料です。

   なお、いままでの講演内容については、講演集(小冊子)5冊にまとめてあります。

   
トップ・ページの「小冊子」目次でごらんになれます。

【講演についての前置き】                              

 私は1983年夏に、まったく予想も出来なかった国際的な大事件で、妻と長男の死に直面し、それから何年もの間、悲嘆の日々を過ごしました。一瞬にして大切な家族を奪われ、永遠の別れになってしまったことが、ただ空しく、生きていく気力も無くして絶望していましたが、いま考えますと、それは大きな勘違いであったように思います。   

 妻と長男は、生きていました。肉体は滅びても、いのちは微塵も傷つけられることなく、健やかに明るく、いまも生きています。嘆き悲しんでいる私のそばに来て、自分たちが元気に生きていることを、一生懸命に知らせてくれようとしていたのに、死んだらすべては無であると思っていた私の耳には、何も聞こえるはずがありませんでした。いのちの真実について、まったく無知であったという意味では、私こそ「死者」でした。妻と長男は立派に生きているのに、私こそ、本当は「死んでいた」のです。

 この講演では、霊界で生き続けている長男と私との文通の実例などもご紹介させていただきます。いままでも、この講演会ではいろいろと、日本や欧米での「死後の世界」研究などをふまえて、霊界からのメッセージの数々をお伝えしてきましたが、それらのなかには、疑おうにも疑いえない深い真実性が含まれていました。そのことは、お話しを聴いてくださった方々にはもうよくおわかりのことと思います。最近では、作家であった遠藤周作さんが「死後の世界はあった」ことを霊界から伝えてきています。生前の遠藤さんは、熱心なカトリック教徒でキリスト教に関する作品も多く書いていましたが、それでも「死後の世界」については最後まで懐疑的でした。

 このような例はまだ数多くあります。ただ、私たちを救おうとして霊界から多くの人々が熱心に語りかけているのに、それに私たちが気がついていないことが多いだけです。科学では説明がつかないというだけで、はじめから聞く耳を持たない頑迷な科学者や知識人といわれる人々の存在も、決して珍しくはありません。私たちがこの物質世界に生きている以上、物質的尺度でものを見る傾向が強いのはやむを得ませんが、それでも、いのちの真実は眼には見えない霊の世界にあることを、私たちは、本当の幸せのためにも知らなければならないでしょう。そこでは「死」はなく、いのちは永遠不滅なのです。そして、私たちは光に向かって気高く歩み続けます。

 人生の苦しみから逃れようとして迷信にも縋ろうとするのは、寂しいことです。家族を失った嘆きのあまり、占いや新興宗教に走ったりするのも、悲しいことです。しかし、そういう人を哀れみながらも、肝心の自分自身のいのちの真実を知らないでいるのは、本当は、もっと寂しく、もっと悲しいことなのかもしれません。かつての私のように、それでは生きていることにはならないからです。この講演では、そういういのちの真実に無知であった私が、やがて少しずつ無明の闇から抜け出してきた、辿々しい足取りなどについても、お聴きいただきたいと思っています。





 大英心霊協会の sitting について (2003年4月20日)

 
 谷口美砂子様
 
 しばらく家を離れたりしていましたので、お返事を差し上げるのがおそくなりました。
 ロンドンへのご出発を明後日に控えて、もう旅支度は調えられたころでしょうか。
 大英心霊協会は、いまでは霊能者のことばをすべてテープに吹き込んでくれていますので、あとで何度でも聞きなおすことが出来ます。ご参考までに申し上げますと、一昨年の7月に私が大英心霊協会へ行ったときには、つぎのような霊能者の方々にsittingを受けました。
 
 6月30日  (30分)    Keith Hall
  7月10日  (30分)    Vickie Hindhaugh 
  7月11日  (60分)      Billy Cook
  7月11日  (30分)    Julie Johnson
 
  このうち、Keith Hall と Billy Cook は男性ですが、Billy Cookのほうは、大英心霊教会の一般向けの講演会なども行っていて、多くの人に信頼されているように見受けました。日本に来たこともある、と言っていました。
 女性のVickie Hindhaugh は英語に少し訛りがあります。Julie Johnsonは美しい中年の女性で、30分の時間を超過して45分も熱心に話してくれました。
 私が親しくしているAnn Turner は、Rochesterでは、私の家の近くに住んでいましたが、いまはRochesterから北東へ30キロほどのSheerness という海沿いの町に住んでいます。大英心霊協会にはあまり顔を出していないようです。
 受付の横の廊下を奥に進んで、突き当たりの階段を地下一階に降りますと、自動販売機などのおいてある小さなカフェテリアがありますが、その横の壁に大英心霊協会所属の30名ほどの霊能者の顔写真があります。 
 行ってその場ですぐに、というわけにはいかないかもしれませんが、そんなに大勢きているわけでもありませんので、ロンドンに着かれたら、一度いってみられて、翌日からの(もし空いていれば、その日から)、sitting の予約をされるといいと思います。
 今度のロンドンへの旅が、実り多いものになりますようにお祈りいたします。

 



 ロンドンへの旅  (2003年4月9日)
 
 武本先生 色々とお世話になりまして、本当にありがとうございました。おかげさまで2週間後にはロンドンです。心霊協会を訪ねる旅は、まだまだ先のことと考えておりましたが、こんなにも早く行くことができるとは夢にも思っておりませんでした。先生の講演会を聴かせていただけるチャンスを与えられなかったら、また、先生からのアドバイスをいただけなかったら、多分今の状況には至らなかったと確信致します。本当に私は幸せ者だと思います。感謝いたします。
先生が講演会でお話になっていらした「ラムサ」の書籍がやっと手に入りました。「ラムサ 真・聖なる預言」の改訂版で「ラムサ ホワイトブック」、 「ラムサの教え」です。1999年には来日して講義を行っているのですね。知りませんでした。今年11月にも来日予定だそうです。本日はラムサのビデオ「二つの道」を注文しました。あさってには届くとのことで、今から楽しみです。
22日昼前、成田出発。28日帰国です。とてもたくさんのお土産話を持ち帰れそうですね。また連絡させていただきます。   谷口美砂子





 アン・ターナーとの交流について (2003年4月4日)

 アン・ターナー (Ann Turner) は、私がむかしロンドンの東南約40キロのロチェスターという町に住んでいた頃、1992年の2月に大英心霊協会 (SAGB) で初めて会った霊能者です。私は、彼女に会って以来、「死後の世界」の実在に確信をもつようになりました。
 私は、ロチェスターから電車でロンドンへ出て、何度も大英心霊協会へ通っていましたが、アン・ターナーも、その当時は、私と同じ町のロチェスターに住んでいましたので、彼女の家へも何度か行ったことがあります。その後、私が帰国したあとも、アン・ターナーとは交流を続けてきました。毎年、彼女の仲介で、いまは霊界にいる長男と、彼の誕生日に、メッセージのやりとりをしていますが、それはもう、10年も続いています。
 アン・ターナーが、今度、自分の霊能活動について本を書きたいので、その一部として、私に彼女との交流についてのエッセイを書いてくれるように、と言ってきました。私は、「アン・ターナーと私」(Ann Turner and I)というタイトルで書いたものを、3月末に彼女に送りました。 このエッセイには、私的な内容が多く含まれていますが、皆さんの「判断材料」としてお役にたつことができればと考え、あえてその日本語版を、「プロフィール」のところにも載せてあります。このうち、長男からのメッセージの部分については、「霊界からのメッセージ」のところに、和訳して載せることにいたします。関心のある方は、どうぞごらんください。





 谷口美砂子さんへの返信   (2003年3月8日)

 お手紙有り難うございました。お子さんを亡くされて以来の,長年にわたる苦しみの中での求道の試みと貴重なこころの軌跡を達意の文章に綴ってくださって、拝読しながら、感動と敬意を抑えることが出来ませんでした。私もまた、あなたのこのようなお手紙から、いろいろと学ばせていただいておりますことを、こころからお礼申し上げたいと思います。
 いつも思うことですが、自分を「守り導いてくださる存在」を確信し、感謝している人というのは幸せですね。その人は、長い苦しみの後ではなおさらのこと、間違いなく、光に向かって歩んでいることになります。暗さは暗さしか招きませんが、暗闇を自分の足で通り抜けて明るみへ出た人は、明るさがさらに明るさを呼び込み、光に向かって歩く歩みにも、一段と安らぎと希望が感じ取られるようになるのではないでしょうか。
 「わが子を亡くした親の会」などで、お話しさせていただくようなときに、私は、目の前の大勢の方々の苦しみに深い共感を覚えながらも、頭の中ではどこかに、苦しみから即座に逃れられる特効薬のようなものはないことに、なるべく早く気づいていただきたいという願いがあります。私の場合も、「3年は苦しまれるでしょうね」と霊能者からいわれたりしましたが、妻と子を同時に奪われた苦しみは、3年や5年では少しも消えることはありませんでした。私はよほど「真理」に暗く、光から遠い人間であったからでしょう。私が立ち直り始めたのには、10年ほどもかかったでしょうか。しかし今では、このように苦しんできたことは、私にとって決して意味のないことではなく、むしろ必要なことであったとわかりかけているような気がいたします。
 やはり、苦しみや悲しみからは自分で起き上がるしかないようです。はじめのうちは、起き上がれなくて、もがき続けたりしますが、もがき苦しみながら手探りで救いを求めているうちに、いつか必ず、あなたのいわれる「守り導いてくださる存在」からの一筋の「救いの縄」が降ろされてくるのでしょう。そして、はじめて「光の世界」に気がつくことにもなります。そこで、お手紙の中の「魂のレベル」が問われるようになるのではないでしょうか。人間にとって一番大切なものは、財産でも地位でも名誉でもなく、実は「魂のレベル」であるはずで、この視点を失ってしまっては生まれてきた意味がないとさえ思われます。この魂のレベルは、あるいは、私たちがどれだけ光に近づいているかということで、捉えてもいいのかもしれません。この光への道を、いまは、明るく、迷わず、真っ直ぐに歩いておられるあなたの姿がよく見えるような気がします。
 大英心霊協会へ行くための準備をしておられるとのことですが、これもいい勉強になりますね。ご承知のように、私もロンドンに住んでいる間は、何度も足を運びました。ヴィクトリア駅から歩いても15分くらいですが、一番簡単なのは、タクシーを利用して、「33 Belgrave Square 」といえば、間違いなく連れて行ってもらえます。
 大英心霊協会には、数十人の霊能者がいますので、時間割を調べて霊能者の名前を予約する必要があります。いきなり行っても、予約の空いている霊能者がおれば受付けてもらえますが、やはり事前に、予約状況を確かめておかれたほうがいいと思います。小さな個室で、30分または1時間、希望された霊能者と一対一で対面して、いろいろと霊界からの情報を受けとることになりますが、通常は、こちらが何も話さなくても黙って座っていれば、霊能者が一方的にいろいろと話してくれます。もちろん、聞きたいこと、質問があれば、それに答えてくれます。最近では、霊能者のことばはすべて録音されて、そのテープをもらえますので、あとから何度でも聞き直せるようになりました。
 大英心霊協会は、「人類と社会への奉仕」の精神で運営されているからでしょうか、霊能者との面接(sitting)のための費用も、日本では考えられないくらい安く設定されています。ただ、霊能者によっていろいろ個人差がありますから、私の場合は、なるべく多くの霊能者と接するようにしていました。私が講演会でお話ししたアン・ターナーもそのうちの一人ですが、いまでも彼女は、毎年6月5日の長男の誕生日に、霊界の長男と私とを結ぶ文通の手助けをしてくれています。必然であったことも、私たちは、しばしば偶然であったと思うものですが、彼女は、私にとっては、会うべくして会った霊能者といえるかもしれません。
あなたのひたむきに「真理」を求めておられる姿勢には深い感銘をうけていますが、これからのあなたの歩みが、どうか大きな実を結ぶことになりますように、こころからお祈りしています。





 谷口美砂子さんからの手紙  (2003年3月1日)

 立春も過ぎ、日差しの中に春の訪れの近いことを感じるこの頃ですが、如何お過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
 昨年12月の「大空の会」での講演会を拝聴し、また偶然にも開演前にお会いできて非常にうれしく思っております。講演会での先生の熱い思いが心に響き、ぜひ今の気持ちをお伝えしたいと思い、書き始めております。
 先生の現在に至るまでの苦悩の道のりを、今まで以上に具体的に聞くことができたことを嬉しく思います。我が子を亡くした親の会での講演ということで、重い雰囲気ではありましたが、的を絞った内容に感動いたしました。今まで何度か先生の講演をきかせていただいてきましたが、常に疑問に思うことがありました。先生の穏やかな表情の中に、時々厳しい眼差しがみえるのは何なのだろうかと。しかし今回の講演会で、自分なりにその訳がわかったような気がしました。人を頼らず、自分の目と耳で確かめ、自分で判断して自分で見極める。情報として与えられたものを選別し、実行するか、躊躇して足踏みをするだけか。最終的には自分の直感で判断するしかないと思います。たとえそれが失敗だったとしても自分が責任をとればいいことで、失敗を恐れていては前には進めません。それだけの強い意思を持つことができた時に、神様はすがる藁を投げて下さるのかもしれません。苦しんでいる人に手を差し伸べることだけがやさしさでなく、自分の足で立ち上がる姿を傍で見守るというのが本当のやさしさだと考えます。これが先生への疑問点の私なりの解釈です。冒頭から勝手なことを書いてしまって申し訳ありません。
 振りかえってみますと、リュックをしょってとぼとぼと薄暗い小道を歩いている自分の姿が思い浮かびます。これまで私が歩んできた姿を映像にするとしたら、このような表現が一番あてはまると思います。団体にもグループにも所属せず、自分の感だけを頼りに、目の前にぶらさがった藁をつかんでは足を運び、そこで大きな喜びを感じる時もあれば、期待をうらぎられ泣きたくなる時もありました。しかし何のトラブルにも巻き込まれずここまで来ることができたことを、大いなる存在に感謝します。常に私というものを見守ってくださる存在に。今の私には目で見ることも、声を聞くこともできませんが、私を守り導いて下さる存在は確信しています。漠然とはしておりますが、このような存在(神)に毎日祈っております。「今日も縁ある方々が幸せな一日でありますように」と。
 私白身の体験の中で、我が子との死別の悲しみと共に、夫婦間の心の葛藤も非常に重要な意味を含んでいたように思われます。心の痛みは同じであっても、目の前の現実を同じ気持ちで受け取れない夫婦の溝はなかなか埋めることができませんでした。それを埋められないまま離婚に至る夫婦も数多いと、後にある本で読みました。非常によく理解できます。こういう状況をお互い共有して夫婦の絆が深まる場合と、その逆の場合があると思います。私が思うに、余り口にしない人が多いでしょうが、その逆のパターンが非常に多いのではないだろうかと思います。蘇生に懸命になっていた医師より我が子の死を宣告された時、涙も出ず、ただ呆然としているだけで、その時脳裏をかすめたのは、(おかしな話ですが)「テレビドラマではこんな時、夫の胸に顔を埋めて泣き崩れるのだ」と。しかしドラマのように夫の胸に飛び込んでいくことができませんでした。その時の一瞬の映像が脳裏に焼き付いて離れず、初めて夫婦とは何かということを考えるきっかけになりました。
 それからは我が子の死を嘆き悲しむことと、夫婦とは何かとの板挟みになり、私の苦悶の日々は始まりました。しかし、夫婦でも魂の故郷はそれぞれ違い、またその人の魂の発達段階にも個人差があり、それを強要してはならないことを後に学びました。悲しみ苦しみの対処のしかたは人それぞれ違います。もちろん夫婦であっても。同じ体験をした人が、自分と同じ道を歩んでいるかというと、そうでない場合が多いのも納得できます。このように人間関係を築き上げていく上でも、魂というレベルで考えていくと非常にわかりやすく、説得力もあると思います。多くの人達が、目に見えるものだけを追わず、魂の存在を確信した上で生きていくことができたらもっと素晴らしい世の中になるのにと思います。
 私は今まで、我が子を亡くした母親の立場だけで物事を考えてきましたが、同じように残された兄弟姉妹がその死をどのように受け止め、消化しているのだろうかと考えるととても不安になります。ある程度の年齢に達していれば理解できるかもしれませんが、年齢に応じて、子供にこの気持ちを伝えるのはなかなか難しいと思います。テレビでの霊能者のおどろおどろしい姿、霊という言葉を聞いただけで、怖いもの恐ろしいものという意識しかない今の青少年へのフォロー、子供達の年齢にあわせた魂の存在の話。自分なりに子供達には伝えてきたようにも思いますが、やはりこれからの課題として、もう少しきちんとした形で伝えていかなければならないと思います。今回の講演会での先生のお話を聞きながら、兄弟姉妹を失った残された子供達にもこういう場を提供できないものかと考えさせられましたし、先生のお話を若者達にも聞かせてあげる機会を作りたいと痛感しております。
 当時37歳の私が今の境地にたどり着くまでの11年間は、やはり様々な場へ足を運びました。魂の存在を見せつけられた霊能者(天理教から枝分かれした新興宗教でしたが)との出会いがスタートでした。それからむさぼるように心霊関係の本を読みました。まるで乾いたスポンジが水を吸っていくように。宗教家の書物も色々読みました。五井昌久・谷口雅春・本山博・高橋信次等。ヒーリング・チャネリング・気を応用した野口整体・大阪岸和日市の長尾弘先生・気功・除霊・日本心霊科学協会・浅野研究所・・・・今振り返ると、与えられた情報を全て自分の判断のみで行動し、独りでそれぞれの場所へ足を運んでいます。現在の私には、それらの全てが血となり肉となっているような気がします。色々な人との出会いも別れもありましたが、今でもその方々への感謝の気持ちは忘れません。
 最近、大英心霊協会へ行くための準備を始めました。日本心霊科学協会には三年前に足を運び、個人相談の場で、霊能者の先生に「あなたが求めている霊能者は日本にはいない」と言われました。霊能者を求めて来たのにずいぶん正直な方だなと妙に感心し、また希望の糸がたたれてしまったと落胆してしまいました。この日以来探し求めても私が求める霊能者はこの世にはいないと思いこんでしまいました。それと共に、またそのような人に巡り会うには時期が早すぎる、もっと自分を磨きなさいというメッセージなのだと考え、気持ちを切り替えるきっかけにもなりました。しかし最近「日本にはいないということは、海外には私の求めている人がいるのでは?」と考えるようになりました(単純で少々ユニークな発想ですが)。そんな思いが伝わってか、やっと大英心霊協会のホームページにたどり着きました。英語は全くだめな私ですが、息子(23歳)のガールフレンドがそのホームページを訳してくれることになり、わくわくしながらまだ見ぬロンドンヘ思いをはせています。
 彼女には、イギリスヘ行く時には通訳として同行してもらうので、専門用語を勉強しておくように言ってあります。とても明るい子で、息子とは高校生からの付き合いです。初対面は、家出した彼女を一週間我が家に泊めてほしいという息子の申し出を受けた時でした。彼女とは始めて会った時から何だか他人の気がせず、今でも娘のように付き合っています。その彼女から「広君(息子)は、死んでも魂は残ると信じているよ」という言葉を耳にした時は、うれしく思いました。「しっかり働いて、みんなでイギリスヘ行こう」これを目標に毎日生き生きと過ごしております。今、イギリスの地図を広げながら先生の『イギリス・比較文化の旅』を楽しく読ませていただいています。思えば叶う、強い信念をもったならいつか行ける。きっと行ける。楽しみです。
 このように学び始めてから、将来への夢がどんどん膨らんできています。最近手にした本の中で佐藤初女さんという女性の生き方と、私の描いてきた夢が重なっていることに大きな喜びを感じています。数年前より、時々ひとりでぶらりと海や山へ出かけていますが、自然のエネルギーは疲れた心を和ませてくれます。出かけるたびに、大白然に抱かれて暮らすことができたらいいなと漠然と考え続けていました。緑多い大自然に包まれ、庭には草花が咲き、野菜を育て、収穫した野菜を使い心を込めて料理する。食は命の源であり、心のこもった手料理は人の心を暖めてくれます。都会の喧騒から離れ、友人達と美味しいお酒、暖かな手料理、それに楽しい会話。この場を訪れることによって、明目へのエネルギーを補給でき、前向きに生きていくことができるようなスペースを提供できたらいいなと考え続けています。イギリスヘの旅と同じように、願えば叶うと信じて。これからも、諦めずに夢を迫い続けていきたいと思います。
 今回の講演会を機に、私の軌跡を文字に残したいという衝動にかられました。これから少しずつ記憶を紐解いて文字にしてみたいと考えております。それを私の回りの若者達へのメッセージとして残すことができたら嬉しく思います。
 長々とまとまりのない手紙になってしまいまして申し訳ありません。これからも御指導のほどよろしくお願い致します。時節柄お体をご自愛下さいますますように、先生の益々のご活躍をお祈りしております。

かしこ


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