感謝の中で暮らす (2003年 6月18日) 武本先生 先生のメッセージ読ませていただきました。もったいないような過分なお言葉をありがとうございます。恐縮致しております。
「世の中には偶然はない」と言いますから、武本先生のお話を伺えたのも、溝口さんご夫妻にお会い出来たのも、すべて宇宙からの計らいの中にあったのですね。導いてくれた潔典さん、奥様、聡、そして皆様に感謝です。
今こうして「感謝」の中で暮らせる自分が自分でも嬉しく、また不思議でもあります。息子の死後、こんなに幸せで穏やかな日々が来るなんて、考えてもみませんでした。
まだまだ知らないことの多い私ですが、少しでも成長していけたらと思っています。これからもご指導の程、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
鈴木明美 「十年の歳月が流れて」 (2003年6月17日) 鈴木明美様 木葉会の「残照」第4号をいただき有り難うございました。「十年の歳月が流れて」を拝読して、そのなかのいくつものことばに胸を打たれています。 「どんなに月日が経とうとも、子供を亡くしたこの悲しみが薄れることはあり得ないし、この胸の深い傷をどんな神様も治すことは出来ないと思っていました」というのは、おそらく、お子さんを亡くされた多くの方々が等しく抱く感情であろうと思います。私の場合もそうでした。「時が悲しみを癒してくれる」などと聞かされても、まったくそのようなことばを受け付けようとはせず、癒されたいとも思わず、ただただ絶望の淵に沈んでいただけでした。 結局、死別の悲しみを克服し、本当に立ち直れるのは、「生と死の真実」を知る以外にはないのではないでしょうか。テレビ番組で、死別の悲しみを乗り越えるための心理的な療法などが放映されることがありますが、時間がかかっても胸の深い傷を確実に癒せるのは、いのちを支えている真理の力だけのように思われます。 「十年という歳月が流れて、今、私には光の中で輝いている息子が見えます。子供達は、愛にあふれた優しい世界の中で微笑んでいます。そしていつも私たちの幸せを祈っていてくれる・・・・・・そう感じられるようになりました」というあなたの文を見つめながら、私はそのなかにこめられた深い意味を感じ取っています。「光の中で輝いている」お子さんを見ておられるいまのあなたは、お子さんと同じように、光の中で輝いておられます。娘も私も、あなたにお会いするたびに、いつもそのような光を感じさせられてきました。 「そろそろ木葉会からの卒業の時期が近づいているのかもしれません」と書いておられますが、実は、あなたこそ、神に祝福されてすでに「卒業された優等生」ではないかと、深く敬服しています。 大英心霊協会のワークショップにも (2003年 6月 16日) 昨日は、すばらしい講演を拝聴させて頂きまして、ありがとうございました。 大空の会からは、11人参加させていただきました。昼食は、木葉会の人達とも ご一緒しました。 皆さん、武本先生の講演にとても感動していました。 また、12月には大空の会でも講演してくださるということで、たいへん嬉しく 思っております。ありがとうございます。 先生のホームページで、12月に大英心霊協会のKEITHさんがいらっしゃって ワークショップを開かれるということを拝見させて頂きましたが、もし何らかの 情報が入りましたら、お手数ですがお知らせ願えませんでしょうか。もしもできる ことならば、大空の会の人達もワークショップに参加させて頂きたいそうです。 どうぞお身体にお気を付けて、またお目にかかる日を楽しみにしています。 瀬野彩子 息子からの大きな贈り物 (2003年 6月 16日) 武本先生
昨日のご講演ありがとうございました。先生のお話を小冊子で初めて拝見したときの衝撃を今も鮮明に覚えております。「人間は死んでも死なない」・・・私はこの言葉に釘付けになりました。なんという救いの言葉だったでしょう。当時、息子を亡くして悲しみの中にいた私にとって、嘘でもいいから(ごめんなさい)信じたい言葉でした。
あれから5年、毎年先生の講演会に参加させていただき、また木葉会でも講演していただいたり、ご本を読ませていただいたりするうちに、私なりにも「魂」への理解が進んでまいりました。嘘でもいいから信じたいと思っていたあの言葉は真実でした。今、はっきりと断言出来るようになりました。
そして人生を「魂の成長」という視点から見ていくと世の中も、価値観も、人間の幸不幸も違って見えるようになりました。息子の死は悲劇ではなくなり、大きな恵みへ導くための息子からの贈り物であったと思えるようになりました。ここまで来るまでに随分時間は掛かりましたが、今、私は息子に守られ「幸せ」です。「愛」に包まれている自分がいます。まわりの人たちとの偶然ではない「つながり」や「縁」を感じ、愛しく、優しい気持ちになれるのです。50年ちょっと生きてきて、大げさでなく、今が一番幸せかもしれません。本当に不思議な気持ちです。
すべては武本先生のお書きになった小冊子から始まりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。改めて、ありがとうございました。昨日初めて先生のお話を聞いた友人たちも感激しておりました。
これからも未だ悲しみの中で苦しまれている沢山の人々のために、是非講演活動を続けて下さることを願っております。ご健康に気をつけられ、ますますのご活躍をお祈り申し上げております。
鈴木明美 「愛し子とともに生きる」 (2003年5月22日)
瀬野彩子様
メールを有り難うございました。
「大空の会」で講演をさせていただいてから、半年ぶりに、また会員の方々にもお話し出来ることを楽しみにしています。
東京ウィメンズ・クラブでは、あの講演のときに、会員の方々の霊界のお子さんたちも姿を見せておられたとお伺いしましたが、私もひとことお礼のことばを申し上げるべきであったかもしれません。いろいろとご教示いただいておりますことを厚くお礼申し上げます。
講演会を楽しみに (2003年5月18日)
新緑も美しい五月となりました。 武本先生のホームページを拝見させて頂いております。大空の会の人達にも知らせたらとても話題になりました。また、6月15日の先生の講演会を楽しみにしています。前々からみんなで6月の先生の講演はいつかしらと心待ちにしておりました。 先生のホームページと講演会は、「大空の会」のホームページと会報で紹介させて頂きました。6月15日の講演会を心から楽しみにいたしております。どうぞ、お身体にお気を付けてお過ごしください。 瀬野彩子 貴重な体験の記録 (2003年5月10日)
谷口美砂子様 ロンドンの大英心霊協会への旅行記を拝見しました。 6日間の日程で、実りの多い体験をされてよかったですね。 大英心霊協会については、関心を持っておられる方が多いので、このような旅行記は参考になると思います。 貴重な体験の記録をお送りいただいたことを、厚くお礼申し上げます。 ロンドンの大英心霊協会への旅 4月22日 谷口美砂子様
しばらく家を離れたりしていましたので、お返事を差し上げるのがおそくなりました。
ロンドンへのご出発を明後日に控えて、もう旅支度は調えられたころでしょうか。
大英心霊協会は、いまでは霊能者のことばをすべてテープに吹き込んでくれていますので、あとで何度でも聞きなおすことが出来ます。ご参考までに申し上げますと、一昨年の7月に私が大英心霊協会へ行ったときには、つぎのような霊能者の方々にsittingを受けました。
6月30日 (30分) Keith Hall
7月10日 (30分) Vickie Hindhaugh
7月11日 (60分) Billy Cook
7月11日 (30分) Julie Johnson
このうち、Keith Hall と Billy Cook は男性ですが、Billy
Cookのほうは、大英心霊教会の一般向けの講演会なども行っていて、多くの人に信頼されているように見受けました。日本に来たこともある、と言っていました。
女性のVickie Hindhaugh は英語に少し訛りがあります。Julie
Johnsonは美しい中年の女性で、30分の時間を超過して45分も熱心に話してくれました。
私が親しくしているAnn Turner
は、Rochesterでは、私の家の近くに住んでいましたが、いまはRochesterから北東へ30キロほどのSheerness
という海沿いの町に住んでいます。大英心霊協会にはあまり顔を出していないようです。
受付の横の廊下を奥に進んで、突き当たりの階段を地下一階に降りますと、自動販売機などのおいてある小さなカフェテリアがありますが、その横の壁に大英心霊協会所属の30名ほどの霊能者の顔写真があります。
行ってその場ですぐに、というわけにはいかないかもしれませんが、そんなに大勢きているわけでもありませんので、ロンドンに着かれたら、一度いってみられて、翌日からの(もし空いていれば、その日から)、sitting
の予約をされるといいと思います。
今度のロンドンへの旅が、実り多いものになりますようにお祈りいたします。
ロンドンへの旅 (2003年4月9日) 武本先生 色々とお世話になりまして、本当にありがとうございました。おかげさまで2週間後にはロンドンです。心霊協会を訪ねる旅は、まだまだ先のことと考えておりましたが、こんなにも早く行くことができるとは夢にも思っておりませんでした。先生の講演会を聴かせていただけるチャンスを与えられなかったら、また、先生からのアドバイスをいただけなかったら、多分今の状況には至らなかったと確信致します。本当に私は幸せ者だと思います。感謝いたします。
先生が講演会でお話になっていらした「ラムサ」の書籍がやっと手に入りました。「ラムサ 真・聖なる預言」の改訂版で「ラムサ ホワイトブック」、 「ラムサの教え」です。1999年には来日して講義を行っているのですね。知りませんでした。今年11月にも来日予定だそうです。本日はラムサのビデオ「二つの道」を注文しました。あさってには届くとのことで、今から楽しみです。
22日昼前、成田出発。28日帰国です。とてもたくさんのお土産話を持ち帰れそうですね。また連絡させていただきます。 谷口美砂子
アン・ターナーとの交流について (2003年4月4日) アン・ターナー (Ann Turner) は、私がむかしロンドンの東南約40キロのロチェスターという町に住んでいた頃、1992年の2月に大英心霊協会 (SAGB) で初めて会った霊能者です。私は、彼女に会って以来、「死後の世界」の実在に確信をもつようになりました。 私は、ロチェスターから電車でロンドンへ出て、何度も大英心霊協会へ通っていましたが、アン・ターナーも、その当時は、私と同じ町のロチェスターに住んでいましたので、彼女の家へも何度か行ったことがあります。その後、私が帰国したあとも、アン・ターナーとは交流を続けてきました。毎年、彼女の仲介で、いまは霊界にいる長男と、彼の誕生日に、メッセージのやりとりをしていますが、それはもう、10年も続いています。 アン・ターナーが、今度、自分の霊能活動について本を書きたいので、その一部として、私に彼女との交流についてのエッセイを書いてくれるように、と言ってきました。私は、「アン・ターナーと私」(Ann Turner and I)というタイトルで書いたものを、3月末に彼女に送りました。 このエッセイには、私的な内容が多く含まれていますが、皆さんの「判断材料」としてお役にたつことができればと考え、あえてその日本語版を、「プロフィール」のところにも載せてあります。このうち、長男からのメッセージの部分については、「霊界からのメッセージ」のところに、和訳して載せることにいたします。関心のある方は、どうぞごらんください。 谷口美砂子さんへの返信 (2003年3月8日) お手紙有り難うございました。お子さんを亡くされて以来の,長年にわたる苦しみの中での求道の試みと貴重なこころの軌跡を達意の文章に綴ってくださって、拝読しながら、感動と敬意を抑えることが出来ませんでした。私もまた、あなたのこのようなお手紙から、いろいろと学ばせていただいておりますことを、こころからお礼申し上げたいと思います。 いつも思うことですが、自分を「守り導いてくださる存在」を確信し、感謝している人というのは幸せですね。その人は、長い苦しみの後ではなおさらのこと、間違いなく、光に向かって歩んでいることになります。暗さは暗さしか招きませんが、暗闇を自分の足で通り抜けて明るみへ出た人は、明るさがさらに明るさを呼び込み、光に向かって歩く歩みにも、一段と安らぎと希望が感じ取られるようになるのではないでしょうか。 「わが子を亡くした親の会」などで、お話しさせていただくようなときに、私は、目の前の大勢の方々の苦しみに深い共感を覚えながらも、頭の中ではどこかに、苦しみから即座に逃れられる特効薬のようなものはないことに、なるべく早く気づいていただきたいという願いがあります。私の場合も、「3年は苦しまれるでしょうね」と霊能者からいわれたりしましたが、妻と子を同時に奪われた苦しみは、3年や5年では少しも消えることはありませんでした。私はよほど「真理」に暗く、光から遠い人間であったからでしょう。私が立ち直り始めたのには、10年ほどもかかったでしょうか。しかし今では、このように苦しんできたことは、私にとって決して意味のないことではなく、むしろ必要なことであったとわかりかけているような気がいたします。 やはり、苦しみや悲しみからは自分で起き上がるしかないようです。はじめのうちは、起き上がれなくて、もがき続けたりしますが、もがき苦しみながら手探りで救いを求めているうちに、いつか必ず、あなたのいわれる「守り導いてくださる存在」からの一筋の「救いの縄」が降ろされてくるのでしょう。そして、はじめて「光の世界」に気がつくことにもなります。そこで、お手紙の中の「魂のレベル」が問われるようになるのではないでしょうか。人間にとって一番大切なものは、財産でも地位でも名誉でもなく、実は「魂のレベル」であるはずで、この視点を失ってしまっては生まれてきた意味がないとさえ思われます。この魂のレベルは、あるいは、私たちがどれだけ光に近づいているかということで、捉えてもいいのかもしれません。この光への道を、いまは、明るく、迷わず、真っ直ぐに歩いておられるあなたの姿がよく見えるような気がします。 大英心霊協会へ行くための準備をしておられるとのことですが、これもいい勉強になりますね。ご承知のように、私もロンドンに住んでいる間は、何度も足を運びました。ヴィクトリア駅から歩いても15分くらいですが、一番簡単なのは、タクシーを利用して、「33 Belgrave Square 」といえば、間違いなく連れて行ってもらえます。 大英心霊協会には、数十人の霊能者がいますので、時間割を調べて霊能者の名前を予約する必要があります。いきなり行っても、予約の空いている霊能者がおれば受付けてもらえますが、やはり事前に、予約状況を確かめておかれたほうがいいと思います。小さな個室で、30分または1時間、希望された霊能者と一対一で対面して、いろいろと霊界からの情報を受けとることになりますが、通常は、こちらが何も話さなくても黙って座っていれば、霊能者が一方的にいろいろと話してくれます。もちろん、聞きたいこと、質問があれば、それに答えてくれます。最近では、霊能者のことばはすべて録音されて、そのテープをもらえますので、あとから何度でも聞き直せるようになりました。 大英心霊協会は、「人類と社会への奉仕」の精神で運営されているからでしょうか、霊能者との面接(sitting)のための費用も、日本では考えられないくらい安く設定されています。ただ、霊能者によっていろいろ個人差がありますから、私の場合は、なるべく多くの霊能者と接するようにしていました。私が講演会でお話ししたアン・ターナーもそのうちの一人ですが、いまでも彼女は、毎年6月5日の長男の誕生日に、霊界の長男と私とを結ぶ文通の手助けをしてくれています。必然であったことも、私たちは、しばしば偶然であったと思うものですが、彼女は、私にとっては、会うべくして会った霊能者といえるかもしれません。 あなたのひたむきに「真理」を求めておられる姿勢には深い感銘をうけていますが、これからのあなたの歩みが、どうか大きな実を結ぶことになりますように、こころからお祈りしています。 谷口美砂子さんからの手紙 (2003年3月1日) 立春も過ぎ、日差しの中に春の訪れの近いことを感じるこの頃ですが、如何お過ごしでいらっしゃいますでしょうか。 昨年12月の「大空の会」での講演会を拝聴し、また偶然にも開演前にお会いできて非常にうれしく思っております。講演会での先生の熱い思いが心に響き、ぜひ今の気持ちをお伝えしたいと思い、書き始めております。 先生の現在に至るまでの苦悩の道のりを、今まで以上に具体的に聞くことができたことを嬉しく思います。我が子を亡くした親の会での講演ということで、重い雰囲気ではありましたが、的を絞った内容に感動いたしました。今まで何度か先生の講演をきかせていただいてきましたが、常に疑問に思うことがありました。先生の穏やかな表情の中に、時々厳しい眼差しがみえるのは何なのだろうかと。しかし今回の講演会で、自分なりにその訳がわかったような気がしました。人を頼らず、自分の目と耳で確かめ、自分で判断して自分で見極める。情報として与えられたものを選別し、実行するか、躊躇して足踏みをするだけか。最終的には自分の直感で判断するしかないと思います。たとえそれが失敗だったとしても自分が責任をとればいいことで、失敗を恐れていては前には進めません。それだけの強い意思を持つことができた時に、神様はすがる藁を投げて下さるのかもしれません。苦しんでいる人に手を差し伸べることだけがやさしさでなく、自分の足で立ち上がる姿を傍で見守るというのが本当のやさしさだと考えます。これが先生への疑問点の私なりの解釈です。冒頭から勝手なことを書いてしまって申し訳ありません。 振りかえってみますと、リュックをしょってとぼとぼと薄暗い小道を歩いている自分の姿が思い浮かびます。これまで私が歩んできた姿を映像にするとしたら、このような表現が一番あてはまると思います。団体にもグループにも所属せず、自分の感だけを頼りに、目の前にぶらさがった藁をつかんでは足を運び、そこで大きな喜びを感じる時もあれば、期待をうらぎられ泣きたくなる時もありました。しかし何のトラブルにも巻き込まれずここまで来ることができたことを、大いなる存在に感謝します。常に私というものを見守ってくださる存在に。今の私には目で見ることも、声を聞くこともできませんが、私を守り導いて下さる存在は確信しています。漠然とはしておりますが、このような存在(神)に毎日祈っております。「今日も縁ある方々が幸せな一日でありますように」と。 私白身の体験の中で、我が子との死別の悲しみと共に、夫婦間の心の葛藤も非常に重要な意味を含んでいたように思われます。心の痛みは同じであっても、目の前の現実を同じ気持ちで受け取れない夫婦の溝はなかなか埋めることができませんでした。それを埋められないまま離婚に至る夫婦も数多いと、後にある本で読みました。非常によく理解できます。こういう状況をお互い共有して夫婦の絆が深まる場合と、その逆の場合があると思います。私が思うに、余り口にしない人が多いでしょうが、その逆のパターンが非常に多いのではないだろうかと思います。蘇生に懸命になっていた医師より我が子の死を宣告された時、涙も出ず、ただ呆然としているだけで、その時脳裏をかすめたのは、(おかしな話ですが)「テレビドラマではこんな時、夫の胸に顔を埋めて泣き崩れるのだ」と。しかしドラマのように夫の胸に飛び込んでいくことができませんでした。その時の一瞬の映像が脳裏に焼き付いて離れず、初めて夫婦とは何かということを考えるきっかけになりました。 それからは我が子の死を嘆き悲しむことと、夫婦とは何かとの板挟みになり、私の苦悶の日々は始まりました。しかし、夫婦でも魂の故郷はそれぞれ違い、またその人の魂の発達段階にも個人差があり、それを強要してはならないことを後に学びました。悲しみ苦しみの対処のしかたは人それぞれ違います。もちろん夫婦であっても。同じ体験をした人が、自分と同じ道を歩んでいるかというと、そうでない場合が多いのも納得できます。このように人間関係を築き上げていく上でも、魂というレベルで考えていくと非常にわかりやすく、説得力もあると思います。多くの人達が、目に見えるものだけを追わず、魂の存在を確信した上で生きていくことができたらもっと素晴らしい世の中になるのにと思います。 私は今まで、我が子を亡くした母親の立場だけで物事を考えてきましたが、同じように残された兄弟姉妹がその死をどのように受け止め、消化しているのだろうかと考えるととても不安になります。ある程度の年齢に達していれば理解できるかもしれませんが、年齢に応じて、子供にこの気持ちを伝えるのはなかなか難しいと思います。テレビでの霊能者のおどろおどろしい姿、霊という言葉を聞いただけで、怖いもの恐ろしいものという意識しかない今の青少年へのフォロー、子供達の年齢にあわせた魂の存在の話。自分なりに子供達には伝えてきたようにも思いますが、やはりこれからの課題として、もう少しきちんとした形で伝えていかなければならないと思います。今回の講演会での先生のお話を聞きながら、兄弟姉妹を失った残された子供達にもこういう場を提供できないものかと考えさせられましたし、先生のお話を若者達にも聞かせてあげる機会を作りたいと痛感しております。 当時37歳の私が今の境地にたどり着くまでの11年間は、やはり様々な場へ足を運びました。魂の存在を見せつけられた霊能者(天理教から枝分かれした新興宗教でしたが)との出会いがスタートでした。それからむさぼるように心霊関係の本を読みました。まるで乾いたスポンジが水を吸っていくように。宗教家の書物も色々読みました。五井昌久・谷口雅春・本山博・高橋信次等。ヒーリング・チャネリング・気を応用した野口整体・大阪岸和日市の長尾弘先生・気功・除霊・日本心霊科学協会・浅野研究所・・・・今振り返ると、与えられた情報を全て自分の判断のみで行動し、独りでそれぞれの場所へ足を運んでいます。現在の私には、それらの全てが血となり肉となっているような気がします。色々な人との出会いも別れもありましたが、今でもその方々への感謝の気持ちは忘れません。 最近、大英心霊協会へ行くための準備を始めました。日本心霊科学協会には三年前に足を運び、個人相談の場で、霊能者の先生に「あなたが求めている霊能者は日本にはいない」と言われました。霊能者を求めて来たのにずいぶん正直な方だなと妙に感心し、また希望の糸がたたれてしまったと落胆してしまいました。この日以来探し求めても私が求める霊能者はこの世にはいないと思いこんでしまいました。それと共に、またそのような人に巡り会うには時期が早すぎる、もっと自分を磨きなさいというメッセージなのだと考え、気持ちを切り替えるきっかけにもなりました。しかし最近「日本にはいないということは、海外には私の求めている人がいるのでは?」と考えるようになりました(単純で少々ユニークな発想ですが)。そんな思いが伝わってか、やっと大英心霊協会のホームページにたどり着きました。英語は全くだめな私ですが、息子(23歳)のガールフレンドがそのホームページを訳してくれることになり、わくわくしながらまだ見ぬロンドンヘ思いをはせています。 彼女には、イギリスヘ行く時には通訳として同行してもらうので、専門用語を勉強しておくように言ってあります。とても明るい子で、息子とは高校生からの付き合いです。初対面は、家出した彼女を一週間我が家に泊めてほしいという息子の申し出を受けた時でした。彼女とは始めて会った時から何だか他人の気がせず、今でも娘のように付き合っています。その彼女から「広君(息子)は、死んでも魂は残ると信じているよ」という言葉を耳にした時は、うれしく思いました。「しっかり働いて、みんなでイギリスヘ行こう」これを目標に毎日生き生きと過ごしております。今、イギリスの地図を広げながら先生の『イギリス・比較文化の旅』を楽しく読ませていただいています。思えば叶う、強い信念をもったならいつか行ける。きっと行ける。楽しみです。 このように学び始めてから、将来への夢がどんどん膨らんできています。最近手にした本の中で佐藤初女さんという女性の生き方と、私の描いてきた夢が重なっていることに大きな喜びを感じています。数年前より、時々ひとりでぶらりと海や山へ出かけていますが、自然のエネルギーは疲れた心を和ませてくれます。出かけるたびに、大白然に抱かれて暮らすことができたらいいなと漠然と考え続けていました。緑多い大自然に包まれ、庭には草花が咲き、野菜を育て、収穫した野菜を使い心を込めて料理する。食は命の源であり、心のこもった手料理は人の心を暖めてくれます。都会の喧騒から離れ、友人達と美味しいお酒、暖かな手料理、それに楽しい会話。この場を訪れることによって、明目へのエネルギーを補給でき、前向きに生きていくことができるようなスペースを提供できたらいいなと考え続けています。イギリスヘの旅と同じように、願えば叶うと信じて。これからも、諦めずに夢を迫い続けていきたいと思います。 今回の講演会を機に、私の軌跡を文字に残したいという衝動にかられました。これから少しずつ記憶を紐解いて文字にしてみたいと考えております。それを私の回りの若者達へのメッセージとして残すことができたら嬉しく思います。 長々とまとまりのない手紙になってしまいまして申し訳ありません。これからも御指導のほどよろしくお願い致します。時節柄お体をご自愛下さいますますように、先生の益々のご活躍をお祈りしております。 かしこ |