(日付の新しいものから順にならべてあります)




 こころ優しい魂に愛と祈りを捧げる (2004.09.30)


 Y. W. 様

 メールを拝見して、何よりもまず、妹さんのこころの優しさと、そしてその妹さんの幸せを思い続けるあなたの優しさに、深くこころを打たれています。

 よく考えるのですが、いったい、人間の尊厳性とか偉大さというのは何によって量られるのでしょうか。私は、その人の心の優しさだと思います。社会的地位とか名誉とか財産とか家柄、血統などでは決してなくて、その人がどれだけ優しい気持ちをもっているか、あるいはもっていたか、そのことによって真の意味での人間の尊さや偉さが示されるのだと思っています。

 あなたの妹さんがもっておられた「自分自身よりも他人を気遣う」こころの優しさ、それが、人のもつ最高の資質ではないでしょうか。こんな言い方は単純すぎて、あるいは世間では気がつかないで通り過ぎてしまうだけかも知れません。しかし、イエスが繰り返し、繰り返し述べていること、そしてシルバー・バーチもまた、何度も同じように繰り返していることは、この「他人を気遣う優しさ」に集約できると思います。あなたの妹さんは、その優しさを人一倍もっておられました。ですから、お別れの時にも、大勢のお友達が集まってきてくれました。メールで拝見していても、妹さんの優しいお人柄が私のような者にも、あたたかく伝わってくるような気がいたします。

 シルバー・バーチはよく 「天の摂理」 ということを言われますね。「天の摂理」は「神」と同義ですが、その「天の摂理」は、この宇宙のなかでは、常に寸分の狂いもなく、また、完璧に不平等なく、働きます。妹さんは、心の病と12年間も闘って、あなたのことばでは「結局負けて」、自らその道を選ばれました。「天の摂理」は、そのこころ優しい妹さんに、どのように働くとお考えでしょうか。あなたも理解しておられるように、‘自殺=何倍もの苦しみ’が機械的にあてはまることは決してないでしょう。あなたの妹さんが何倍もの苦しみに遭うとすれば、それは「天の摂理」にも背くことになってしまいます。

 みずから修行の計画をたてて、この世に生まれてきた以上、その修行を途中で放棄することはいけないことであることは誰にでもわかります。でも、人間は完全ではありませんから、失敗もしますし、挫折もします。挫折してもまた起きあがる人もいれば、起きあがれない人もいます。人の命を救うためにみずからのいのちを犠牲にするように、自発的に修行を「放棄」する人もいます。大切なことは、なぜ、修行を放棄したか、という動機ではないでしょうか。妹さんは、自分本位の好き勝手な生き方をして、他人への思いやりや愛情と無縁のまま、いわば、なにもまじめに修行しようとはしないで落伍したのではありません。ひたむきに生きようとしたのですが、みずから設定したハードルを跳び越えることはついにできませんでした。私は、そのような妹さんを大きく優しく包みこんでくれている「天の摂理」の愛の力を強く信じています。

 最後に、ご質問に対するお答えをしておきたいと思います。

 *Sittingにおいては、妹さんの英語力はまったく関係はありません。大英心霊協会での霊能者の発言は、テープに録音してもらえますから、あとで何度でも聞きなおすことが出来ます。

 *11月28日の私の「セミナー」は「いのちについて考える」の3回目 「人は死んだらどこへ行くのか」 です。一般の方々を対象にしていて、誰でも出席できます。入場無料です。私の「講演」については、このホームページで「講演集」をお読みいただくこともできます。








 霊界へ旅立った心の優しい妹のために (2004.09.30)


 武本先生、こんにちは。初めてメールいたします。実は、どうしても先生に伺いたい事が有るのです。面識もないのに、このような非礼をどうかお許しください。

 私は、昨年末、妹を突然亡くしました。私は現在、夫の仕事の関係でドイツに住んでおります。母から連絡をもらったのは、旅先のヘルシンキのホテルでした。何が起こっているのか理解できないまま、いったんドイツに戻ってからその日のうちに日本へ。空港での待ち時間、幸せそうな日本人のツアー客を見ていられなくて、当てもなく空港内をフラフラ歩き回ったのを今でも鮮明に覚えています。

 妹は、心の病と12年間も闘って、結局負けて自らその道を選んだのです。苦しみながらも、ここ数年は、恋人ができてかなりいい方向に向かっておりました。しかし、病気の重さに彼自身が支えていく自信を失ったようで、9月に破局。妹の一大事、と思いつつも、電話やメールでのやり取りのみで励ましました。そして何とか乗り越えてくれた、と思い込んでいた矢先の出来事でした。

 自殺というと、世間の人は色々言いますが、私は妹が不憫でなりません。救ってやれなかった、幸せにしてやれなかった、ただ悔いるばかりです。何も事情を知らない人の中には、妹を親不孝だと陰で言う人もあったようです。12年も苦しんだ挙句に、何故そのように言われなければならないのか・・・・

 妹は、自分自身よりも他人を気遣う、本当に心のやさしい子でした。そんな性格ゆえに病気を招いてしまったようなものなのですが・・・・ しかし、お葬式や、その後にお参りに来てくれた友達の数には私も両親も驚きました。病気のために、自分から外との付き合いを切っていたので、まさかそんなに多くの方にお参りして頂けるとは思わなかった、と両親も言っておりました。恐らく妹自身、自分がこんなに慕われていたと気付かなかったのでしょう。

 私は先生のホームページにどれほど救われたか知れません。「この世に理不尽は存在しない」。先生のホームページに出会ってから、わずかではありますが、関連する本(先生の本やシルバーバーチも)を読み漁りました。しかし、どうしても引っかかることがあるのです。妹が自殺であったことです。

 自殺は、自ら人生を縮めて、修行が終わらないうちに霊界へ帰っていくため、その後、その何倍も苦しみを負わなければならない、と大抵の書に有ります。妹は十分苦しみました。自分の苦しい時も、他人を気遣うような子が、又苦しまねばならないのでしょうか? シルバーバーチを何度も読めば、必ずしも‘自殺=何倍もの苦しみ’ではないことは分ります。ただ、誰かに"妹は今幸せだ"と言って欲しいだけなんだと思います。

 私がシルバーバーチの信仰に苦悩するのは、実はもう1つ理由があるのです。両親、特に母です。母の悲しみ、苦しみが軽減するように、先生のホームページを始め、色々な本を紹介しました。しかし、ダメなのです。全くの拒絶反応。慰めるための電話が、結局口論で終わってしまうのです。本末転倒だと思って、その話題を避けるようにしているのですが、しかし私にはもう真理しか受け入れられません。

 母は、幼くして実の姉を亡くしました。その時に、母親(私の祖母)がすがりついた霊媒師がいけなかったようです。全て嘘だった。自分が小さい頃からそんな話を聞かされていたので、母が何故ここまで拒絶するのか、全く理解できないわけでは有りません。しかし、私まで離れていく、と泣く母に、どうしていいのか分らなくなっています。(過去に、妹が新興宗教まがいのマルチ商法にひっかかった事も有って、私も同じように洗脳されていると心配しているようです。)

 先生に伺うのは、もっと勉強してから、せめて学びの栞と論文集を読破してから、と思っていたのですが、過去に大英心霊協会に行かれた方のメールを見つけ、おまけに、先生の講演会が10、11月にも開催されるのを見て、今お尋ねしておかねば、と思いメールいたしました。日本からでもわざわざイギリスまで行かれる方がいらっしゃるのに、こんなに近くに居る私は…しかし、もしいい結果が得られなかった時、母は?いや私自身は?傷付きたくないために逃げているだけなのです。

 五感で感じられなければ信じられないのは弱いだけだ、と自分を責めてみたり、しかし一方で、「妹が生きている」証拠を実感したい気持ちが日増しに膨らんでいくのを抑えられないでいます。先生が「どんな結果が出ようと諦めなかった」と書かれているのを見て感動いたしました。私も先生のような信じ続ける力が欲しい。

 10月は妹の誕生日です。まだ迷っていますが、その日にSittingを受けてみようかと思っています。(英語の心配も多少ありますが…)初歩的な質問で申し訳ありませんが、妹の英語力はSittingで関係ないのでしょうか?(関係ないと理解しているのですが、一応念のため。)

 それから、日本での先生の講演会なのですが、どのようなレベルのお話になる予定なのでしょうか?実は11月に、1ヶ月間夫が日本出張なので、その間私は実家に帰るように言われているのです。しかし、ただ遊びに帰り、又口論になるのでは、と思って二の足を踏んでいました。もし、先生のお話で両親の気持ちに変化が訪れるのならば、是非一緒に参加させて頂きたいと考えているのですが…

 ただ、参加される皆さんが知識のある方ばかりで、先生のお話もそういう方々を対象にされているのでしたら、両親にはかえってマイナスかと思います。申し訳ございませんが、どのような感じで進められるのか、差し支えなければ教えて頂けないでしょうか? まだ空きが有るのかどうかも伺っていないのですが…

 長いメールを読んで頂き、本当にありがとうございました。このメールを書くに至るまでの道のりも、本当に長かったです。このように書けただけでも、第一歩を踏み出したような気がしております。どうか御身体に気を付けて、これからもますますのご活躍をお祈りいたしております。

  Y. W.







 この世で魂を磨くために生まれてきた私 (2004.09.29)


 武本様

 大変お忙しい中、本当にこころあるメールをありがとうございました。

 私も今の主人も気持ちとしては理解していましたが、やはり、毎日のように不思議な出来事を起こされては、疲れるときもあります。霊能力がなければ、亡くなったまえの主人も私の側に来ても仕方ないと諦められるでしょうが、私も主人も彼がどこにいるか理解出来ますし、どういう気持ちでいるか分かるだけに、身辺に、迷える霊をかかえてしまったんだと思いました。

 人生には偶然はありません。主人は私が早く悟れば、この問題は解決出来ると言っていますが、悟るということになると、悟ったことの無い人間にはやはり、大変だ!と、思い、なぜにこんなに辛い思いをしなければならないのか!と、思ってしまいます。

 自分では「お勉強がんばります」と言って、この世に生まれておきながら、次から次へと起こるお勉強には、ほとほと疲れてしまうのです。でも、やっぱり、これもすべて自分で選んだ運命ですし、生きている間に勉強して行くしかないのです。前向きにがんばってみます。

 毎日、今の主人とは色々な霊的なお話をしています。私に取って、今の主人がいなければ、ここまで、霊的な経験の中で前に進んで来れたかどうか、分かりません。自分なりに、自分の中で時期が来たら、悟っている霊的に高い方の縁が来ると信じています。メッセージからするとそうなんでしょうから、それが明日か、10年後か、死の1分前なのか分りませんが。

 今回はグチを聞いていただいてありがとうございます。また、新たに自分なりにお勉強をがんばりたいと思います。武本様も日本の秋を満喫してください。では、またお便りさせて頂きます。お体を大切にして下さい。

 キプロス共和国  K. M.







 つきまとって霊障を及ぼす亡夫の霊 (2004.09.28)


 K. M. 様

 メールを拝見しました。いろいろとお悩みのご様子をお伺いして、ご心中お察し申し上げております。

 私が聞いてきた話でも、義母に霊がつきまとって、ことば、態度ががらりと変わり、特に義理の娘に辛く当たる例などがあります。この夏に、ある霊能者に会ったときに、そのような霊障の話をしましたら、その方は、被害を受ける側にも、そのような被害を受ける前世からの因縁があるのだ、というようなことを言われました。メールでお伺いしたような、亡くなった方が死を自覚していない事例が決して希ではないことは、私も本などで読んで承知していますが、やはり、基本的には個人の問題で、相手の霊に納得してもらえるように説得を続ける、あるいは、誰か、高度の霊能力を持っておられる方に説得してもらう、ということになるのだろうと思います。

 7月31日のメール「霊的な問題で高度の判断ができる人に」のなかでもお答えしましたように、私は霊能者ではありませんし、私のような者がこのような問題にお答えするのは、不遜のそしりをまぬがれないと思います。しかし、状況はかなりはっきりしていますので、現世の社会でもそうであるように、なかなか分かってもらえない人がいても、わかってもらえるように努めるほかはありません。大きな宿題を抱えておられると思いますが、その宿題は、やはり、ご自分の宿題であって、ご自分がその宿題をやり遂げていく力があることを信じて、少しずつ解いていくほかはないのではないでしょうか。

 私は、ただ、いくら辛いことであっても、「与えられたハードルは乗り越えるためにある」ことだけを申し上げて、燭光の差し込む出口への道を、力強く歩んで行かれることをお祈りするばかりです。








 大英心霊協会での体験の記録など (2004.09.26)


 K. N. 様

 ロンドンの大英心霊協会については、SAGB (Spiritural Association of Great Britain) のホームページをごらんになるのが一番ですが、基本的にはすべて英語ですから、通訳してくださる方が同行する必要があると思われます。霊能者は大勢いますので、初めてで、どの霊能者を指名するかおわかりにならない場合は、先ず直接SAGB へ行かれて、そこで予約表をみて、スケジュールの空いている霊能者を予約する、ということになると思います。

 このホームページの「メール交歓」で、つぎのようなメールがご参考になるかもしれません。

 谷口美砂子さんへの返信 (2003.03.08)
 大英心霊協会の SITTING について (2003.04.20)
 ロンドン大英心霊協会への旅 (谷口美砂子さんの記録)(2003.04.22〜04.27)
 貴重な体験の記録 (2003.05.10)

 なお、大英心霊協会の霊能者が来日して日本国内で SITTING を受けることも出来ますが、この場合は通訳がついてくれます。つぎのようなメールでご紹介してきました。

 I I S 春のワークショップについて (2004.02.18)
 I I S のワークショップについて(再) (2004.03.05)
 I I S の個人セッションについて (2004.06.12)








 ロンドンの大英心霊協会で SITTING を (2004.09.26)


 初めてメールします。神戸在住の英語力ほぼゼロの主婦ですがホームページを拝見いたしました。

 非常に共感を覚え訪英の際にSAGBにてSITTINGを体験したいと思うのですが、予約をどこでどう手続きすればよいのかわかりません。大変恐縮ではありますが日数や事前の準備について何か教えていただけますとありがたく存じます。突然で申し訳ございません。

 K. N.







 大好きな「Amaging Grace」を聴きながら (2004.09.20)


 武本様。

 2回目の投稿をさせて頂きます。

 この頁を開けると私の大好きな「Amaging Grace」が流れます。心が柔らかくなっていきます。そして、私もあの事件で友人を亡くした者として、夫も亡くし、間もなく40歳。

 でもあの友人を想う時、私も無邪気だった18、9歳を懐かしく思い出すと同時に、友人が生きていたら・・・・と呆然とします。今、私はひっそりと障害者年金で暮らしています。又、このホームページを訪れたいと思います。

 (匿名希望)







 「学びの栞」の構成について (2004.09.20)


 「学びの栞」を入力しはじめた当初のプランでは、いろいろな本や資料から、私たちの学びに役にたつと思われるようなことばを抜き出して、それらを項目毎に分類していくことでした。現在、「死とはなにか」、「人はなぜ病気になるか」、「輪廻転生について」、「家族を亡くした人へのことば」、「自分で人生をえらんで生まれてくる」等々、私たちのものの見方、生き方の上で、指針になるようなことばを80の項目に分けて、毎日、少しずつ入力を続けているところです。

 途中でもご案内いたしましたが、『シルバー・バーチの霊訓』が私たちの学びに極めて重要であると考えられるのと、その量が厖大であるために、『シルバー・バーチ霊訓』だけにしばらくの間、専念していくことにしました。いまは「第5集」をほぼ終わろうとしているところで、これで全体の半分くらいになると思われます。このまま全部終わるまで抜き書きをつづけて、終わったらさらに読みやすくなるように、『シルバー・バーチの霊訓』だけで全体の分類を整理し直してみたいと思っています。『シルバー・バーチの霊訓』以外のものは、またまとめなおして、「学びの栞」No.2 のようなものとして、継続させていくつもりにしていますので、現在の「学びの栞」の混在状況をご了承ください。







  H. P. ヒット数が2万回に達して (2004.09.12)


 このホームページを開設したのは、昨年の3月末で、その後少しデザインの変更をして、いまの形に落ち着いたのは11月末のことです。今年の1月1日には、このホームページのヒット数は 4,260 ほどでしたが、少しずつ増えてきて、昨日の9月11日に、20,000回に達しました。一人で細々と訴え続けてきた私の声に、ちょっとでも耳を傾けてくださった方、あるいは、耳を傾けようとしてくださった方が、これだけおられたということで、私はそれだけでもたいへん有り難く、こころから感謝申し上げております。

 死について考えるということは生について考えていくことと同じで、それだけに、この世で充実した幸せな生活を送っていくためにも極めて大切なことですが、やはりテーマが重いからでしょうか、避けて通ってしまおうとする方も少なくはありません。特に、霊界の話を持ち出したりするのは拒否反応を引き起こしやすく、世間一般からタブー視されているような傾向は、いまも根強く残っているようです。

 しかし、真理は真理であるというべきなのでしょうか、いのちの真実についての認識を深め、人に尽くすことの意味を理解することが、「9・11」3周年を取り上げるまでもなく、この地球を覆っている殺伐としたいまの状況の中では、最も強く求められている人類愛と世界平和へ続く道であることも強く思わずにはおられません。この私のホームページが、少しでも多くの方々のためのささやかな「ともしび」であり続けることができるように、これからも、こころを込めて努めていきたいと思っています。








  初めて投稿させていただきます (2004.09.09)


 1983年の大韓航空機事件で私も専門学校のクラスメイトを亡くしました。彼はいつもクラスを笑わせる「Hくん」という男の子でした。あの頃私は18歳、彼は誕生日を迎えてたとしたら19歳。武本様のご子息様より2歳年下の昭和39年生まれ年代です。

 あれから私も結婚し、夫を10年前に亡くしました。この頁は遺族会の時、どなたかに教えて頂きました。

 21年経ったんですね。そうです、クラスメイトも今年生きていたら40歳。命は一つ、人生は1度きり、悔いのない様生きていきたいと思います。

  A. K.







  若干の H.P.原稿補充のお知らせ (2004.09.04)


 21回目の9月1日が過ぎていきました。1983年9月1日に大韓航空機事件が発生して以来、多くの方々に支えられながら長年にわたって続けてきた事件の真相究明運動は、私にとっては、悲嘆の底に在っても、避けては通ることの出来なかった辛く苦しい試練でした。しかし、それもいまは、もう少し広い視野で、事件そのものも見つめ直すようになっています。

 このホームページでは、私の事件に対する対応のほか、自分の残した無知無明の足跡もすべて含めて、私の歩んできた道程を公開していますが、この機会に、各セクションの項目の量的なバランスと、全体の体裁を整える意味もあって、下記の既存原稿を追加入力しました。

 [大韓航空機事件]
 U.「米ソ超大国に訴える」
 X.「『霧の中』ではない大韓航空機事件の真相」

 [家族の想い出」
 T.「子供たちのアメリカ遊学」

 この原稿補充は、今回も、私から入力原稿を送信した後はすべて、溝口祭典の佐々木薫さんがご尽力くださいました。ここに付記して、厚くお礼申し上げます。








 キラキラと光る感じの霊界からの訪れ (2004.09.02)


 こんばんは。

 今朝、いつものようにボーっとしながら2階の部屋を片付けていました。頭の中は、何も考えていませんでした。

 周りがきれいになって、キラキラとちょっと光るような感じ。後から奥様がいらして、「ありがとう」とおっしゃいました。奥様は、それからまた武本先生と由香利さんのところに行かれました。

 私は、すぐに1階に降りて先生にメールさせていただきました。またすぐ2階の奥様がいらしてくれた部屋の中の同じ位置に立ちました。奥様は、もう先生たちのところに行かれたのですが、部屋にはその余韻が残っていました。

 私は、美しくキラキラとしたものといい霊がきてくれた時の心地よさと感謝を感じながら、不思議という思いさえしました。

  瀬野彩子



   [受信:9月1日 午後夜11時11分]
 (たまたま、この日は妻と長男の命日にあたっていました。= 武本 =)








 霊界の多くの人たちからも導かれて (2004.09.01)


 瀬野彩子様

 昨年、私が「大空の会」で講演したときには、お子さんを亡くされた多くのお母さん方といっしょに、霊界の大勢のお子さんたちが会場のうしろのほうに立っていて、私の妻と長男も来ていた、というお話をお聞きしました。今年6月の溝口祭典での講演会でも、講演している私の左側に、霊界から来ている私の長男が立ち、その隣に妻も立っていたということを、複数の霊能者の方々からお伺いして、いろいろと、霊界からも導かれていることを、強く感じさせられています。

 6月の講演会では、奥さんを亡くされたご出席の方から、「もう何年か生きていてほしかった」と考えておられることへの私の感想を聞かれて、私が、私自身の妻と長男の場合を例にとり、人間にはそれぞれに生きていく使命や目的があって、死ぬべきときに死んでいく、というような答え方をしました。そのあとで、私が、妻と長男のそのような行為によって目覚めさせられたことを感謝している、とつけ加えたとき、私の妻は、「あんなことを言っている・・・」と笑いながら聞いていた、ということも伝えられて、私はあらためて、霊界の存在をなまなましく実感させられたりしました。

 私には霊能力はありませんが、人間には本来みんな霊能力があり、それが人によっては開発されていないだけだということを承知しております。私の霊能力が開発されていれば、講演に来てくださる方々に感謝のことばを述べるのと同じように、霊界からの参加者の方々にも、こころからのお礼を申し上げられるのですが、霊の世界が見えないために、こころならずも失礼していることになるのかもしれません。あなたの「天界の霊もそれ以上にいっぱい」来ておられるというおことばを十分に意識して、これからも、霊界の多くの方々からのお導きに対する感謝の念を忘れないようにしていきたいと思います。


 追伸:

 私の妻からあなたへ感謝のことばが伝えられたようですが、私からもあなたに、いろいろと妻や長男のことをお教えいただいていることを、改めて、こころから厚くお礼申し上げたいと思います。
 実は、今日は、妻と長男の命日にあたります。あれからもう、21年の歳月が流れました。








 霊界の人たちも参加したセミナー (2004.09.01)


 台風一過で今日は一転、いいお天気になりました。先日の先生のセミナーにおいて貴重なお話を拝聴できましたことを感謝申し上げます。

 大空の会からは、七人で参加しました。内三人は、霊能者でした。で、その二人が席に着いた時、「霊がいっぱいいる〜」と言っています。見てみると、いろいろ、いろんな思いをもった霊がいっぱいいました。先生のセミナーは、地上界の人間もいっぱいですが、天界の霊もそれ以上にいっぱいですね。

 かわいいHPを教えてもらいました。よろしかったらご覧になってください。

  http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1387/walkingtour.html

 娘は、気に入って何回も見てました。幼い彼女にもわかりやすいようです。

 10月の先生のセミナーを楽しみにしています。どうぞ、お身体にお気を付けてお過ごしください。

 瀬野彩子



 追伸:(午前 9時11分)

 今、奥様がいらして、「ありがとう」と、おっしゃっています。
 私は、ありがとうとおしゃって頂ける程のことは何もしてないのですが。

 取り急ぎ、メールしました。







 人はなんのために生まれるか (2004.08.30)


 昨日は、八王子市元横山町の溝口祭典2階ホールで、こすもすセミナー「いのちについて考える」の第1回目が開催されました。第1回目のテーマは、「人は何のために生まれるか」で、田中澄江さんのつぎのような文も参考資料の一部として配布しました。

 ・・・・・23歳のとき、芝白金三光町の聖心女子学院の教師となり、マザー・ラムという英国人から公教要理の講義を受けた。開口一番、ひとは何のために生まれましたか。神を知るためですねと言われたとき、大粒の涙が机の上にぼたぼた落ちて、そうだ、本当にそうだ、神を知るために生まれたのだと、全身で叫びたい思いになった。以来半世紀を経て、いまだにその感激が胸の底に燃えているような気がする。

 田中さんは、『がらしあ・細川夫人』などの戯曲、『カキツバタ群落』『花の百名川』などの小説を書かれた劇作家、小説家として有名でしたが、2000年3月1日、その明るく優しい人柄を多くの人々に慕われながら、91歳の生涯を閉じられました。この文は、「朝日新聞」(1991.3.11)に載せられた「神を知るために」の最後の部分です。彼女のそのときの感動は、いまでも、読む人の胸にまで強く響いてくるように思われます。







 2千年前から甦った大賀蓮の写真も添えて (2004.08.28)


(2004.08.08 R. W さん撮影)
 

 武本先生

 白蓮華の写真(8月25日)を掲載していただいて、本当にありがとうございました。蓮の花は泥土から突き出ても、決して泥には染まらず、清らかな花を咲かせます。その泥が濃いほど、美しい花を咲かせるそうです。「耐え難い悲しみが、実は、自分に与えられた大きな恵みであることに気がつくのかもしれません。」と先生がおっしゃるように、蓮の花も私たちにそのことを教えてくれているような気がします。

 先生にお送りしましたもう一つの蓮は、やはり「大賀蓮」でした。岡山市出身の大賀博士が、2000年前の地層から蓮の種を発見して、その一つが発芽に成功し、それが次々花を咲かせ、全国に広がったというのも最近になって初めて知りました。それなら岡山の後楽園にもあるはずと思い、調べてみました。残念ながら時期が遅く、近くに住んでいながら見ることができませんでしたが、その代わりに、「幻想庭園」という夜間特別開園というのがあることを知り、15日の夜、行ってきました。

 その日がそのイベントのフィナーレで、紙ふうせんというグループの「翼をください」がステージから聞こえてきました。また、私にとっては深い意味のある歌でした。会場の人達も一緒に歌ってフィナーレになりましたが、最後にステージの後ろから白いものがたくさん飛ばされました。なんだろう・・・と気になってじっと見ていましたが、それは丹頂鶴の形をした風船でした。こんな素敵なことを・・・ここに連れてきてくれたのもきっと天国の彼だと思いました。夜空に白い翼を広げ舞う丹頂を見ながら、「ありがとう!」と叫びたくなりました。

 春日大社の神苑では蓮の花にばかり気をとられ、他の花をゆっくり見ることができませんでしたが、一つだけ知らない花を撮影しました。実はその神苑のお世話をしてくださっている方に「見てもらいたい花があります。」と言われ、そこまで案内されたのです。帰ってからしばらくして、ふとその花のことを思い出しました。何か意味があるのかもしれない・・・と気になったのですが、その翌朝、新聞にその花が載っていました。ある万葉植物研究家のお話でしたが、その花を詠んだ万葉歌が紹介されていました。それを読んで、またはっとしました。その花を見せてくれたのも、もしかして彼?いや彼に違いないと思いました。

 花にもいろんなメッセージがこめられているのですね。私は文科系の人間ではありませんが、彼が亡くなってから万葉集に心を惹かれるようになりました。それは、図書館で万葉研究家の犬養孝先生の「万葉のこころ」と出合ったことに始まります。

 去年はその犬養先生追悼万葉歌碑めぐりにも参加させていただいて、その日も花にまつわる不思議なことがありましたが、犬養先生とあの「サウンドオブミュージック」のドレミの歌の日本語の作詞をされたペギー葉山さんが交流があったことも知りました。お二人のCDも見つけ、彼のお母さんに贈りましたが、私の気持ちがお母さんには伝わらなかったかもしれません。余計なことをしてしまってお母さんを傷つけたかもしれません。ご縁が切れてしまったようです。それがずっと心にひっかかっていて、彼に「あなたのお母さんを傷つけたならごめんなさい!」と謝っていました。でも今回の奈良の心の旅の写真を見ていると、なんだかほっとしました。観光バスのコースに薬師寺遠望も入っていたのですが、遠くの橋から薬師寺、東塔西塔を撮りました。今になって気づきましたが、お母さんに贈ったCDのジャケットの写真が薬師寺でした。私が撮った写真とアングルが似てるのではっとしましたが、もしかしたらそれも彼からのメッセージなのかもしれません。「気にしなくていいよ!」と言われたようでほっとしました。

 キュブラー・ロス博士のお話も、奈良で葉祥明さんにも聞かせていただきましたが、お気持ちがよくわかるような気がします。実は私も足の病気があります。進行性の病気で3年前には、MRI検査の結果「もう、階段はまず無理でしょう。進行を食い止めることは出来ませんが、痛みは少しでも軽減させてあげられますから通院してください。」と言われました。でも身体の痛みを経験することも意味があると思い、今はなんの治療もしていません。それなのに・・・以前は夜中に痛みでうなされて眠れないことがよくあり、鎮痛剤を飲まずにいられませんでしたが、その痛みも今はほとんど感じることはありません。

 走ることは難しいと思いますが、普通に歩くことも出来ます。あの時、医師は「あなたのような若い人にあまり動くなとは言えませんが、出来るだけ足を休ませてあげてください」とも言われましたが、病気の私があちこちを歩き回っています。健康な時よりも活動的です。このエネルギーは一体どこから来るのだろうと不思議な気がしますが、やはりそれは目に見えない世界から温かく見守られていることを知ったからだと思います。(そのエネルギーが春日大社宮司の葉室さんの著書に書かれている「サイ粒子?」と関係あるのかもしれません)


 武本先生がキュブラー・ロス博士の著書から引用されていますが、「人が人生で直面するありとあらゆる困難、試練、苦難、悪夢、喪失などを、多くの人は、いまだに呪いだとか神の下した罰だとか、何か否定的なものと考えています。でも本当は、自分の身に起こることで否定的なことはひとつもありません。本当です。どうしてみんなはそれに気がつかないのでしょう。あなたが経験する試練、苦難、喪失など、あなたが「もしこれほどの苦しみだと知っていたなら、とても生きる気にはなれなかっただろう」というようなことはすべて、あなたへの神の贈りものなのです。」確かにそうなのです。そのことに気づいた私は本当に幸せです。

 R. W.








 エリザベス・キュブラー・ロス博士 逝去 (2004.08.27)


 キュブラー・ロス博士が8月24日、アリゾナ州スコッツデールの自宅で逝去されました。78歳でした。

 昨日の夕刊の新聞死亡記事欄には、キュブラー・ロス博士を米国の著名な死の研究者、精神科医と紹介した後で、「スイス・チューリヒ生まれ、大学で医学を勉強後、米ニューヨークに渡り終末期介護に従事。その経験を、69年に『死ぬ瞬間』にまとめて発表、世界的なベストセラーとなった。死について20冊以上の著作があり、26カ国に翻訳された」と続けられています。

 1997年にキュブラー・ロス博士は、『人生は廻る輪のように』(邦訳・上野圭一、角川書店)を書きましたが、この書は、博士自身のことばによれば、「まちがいなくわたしの絶筆になるはず」でした。1994年の10月、自宅に放火され、貴重な研究資料や原稿や思い出の品々などを全焼した家屋と共に一挙に失った博士は、翌年の5月に脳卒中で倒れられ、この書も、半身不随のままベッドと車椅子の生活のなかで書き上げられていったといわれています。

 しかし博士は、半身不随のまま生き延びていきました。生に執着したからではないでしょう。むしろ博士にとっては、死は望ましい、甘美な憩いの場でしたから、死をよろこんで受け容れるこころの準備はいつでも出来ていたはずです。医者としての博士が病気の苦痛を和らげるには、身近にある注射針一本を使えばすむことでしたが、博士は、病気の苦しみに耐えていくことにも意味があるはずだと考えて、耐え続けていったのです。実は、1997年にこの本が書き上げられた当時、すでに博士の健康はきわめて危険な状況であったと伝えられていました。

 博士は、死と隣り合わせになって生き続けながら、2000年には、さらにもう一冊 『ライフ・レッスン』(上野圭一訳、角川書店) を書き上げています。そして、これが博士の書かれた最後の本になりました。「私は2003年に死ぬことが決まっている」と述べていた博士は、それをさらに一年延ばして、つい先日、8月24日に霊界へ旅立っていったのです。

 私は、キュブラー・ロス博士の著作から多くのことを教えられてきましたが、そのなかで、私が講演などで何度か引用してきたつぎのようなことばがあります。

 人が人生で直面するありとあらゆる困難、試練、苦難、悪夢、喪失などを、多くの人は、いまだに呪いだとか神の下した罰だとか、何か否定的なものと考えています。でも本当は、自分の身に起こることで否定的なことはひとつもありません。本当です。どうしてみんなはそれに気がつかないのでしょう。あなたが経験する試練、苦難、喪失など、あなたが「もしこれほどの苦しみだと知っていたなら、とても生きる気にはなれなかっただろう」というようなことはすべて、あなたへの神の贈りものなのです。

 このキュブラー・ロス博士の体験から滲み出たようなことばにつけ加えて、博士が亡くなられたいま、文字通り博士の絶筆になった『ライフ・レッスン』の最後のことばを、つぎに引用させていただきたいと思います。

 いまの人生とおなじ人生は二度と手にすることはできない。この人生ではたしてきた役割をもう一度演じることも、もう一度これまでとおなじように人生を経験することも、決してできない。あの両親のもとに生まれ、この家族をもち、このこどもにめぐまれ、この環境、この状況のもとに生きてきたように、この世界を経験することは、もう二度とできない。おなじ顔ぶれの友人をもつことも、今回の生かぎりである。あの海、あの空、あの星、あの愛する人を、最後にもう一度だけみたいと願うようになるときまで待つ必要はない。いまこそ、それを、しみじみみてほしい。








 「耐えがたい苦しみの重なり」 を捉える視点 (2004.08.26)

  ー 非公開希望の幾つかのメールに対する共通の返事 ー


 あなたが言われるように、耐え難い苦しみが重なっていきますと、「神も仏もあるものか」というようなお気持ちになるのはよくわかりますが、そういう苦しみを克服するのには、やはり、本来もつべき、大きな視野のなかで問題を捉え直さなければならないような気がいたします。

 たとえば、人生が世間一般で考えられているように、たかだか数十年のものであれば、そして、それでその人の一生が完全に終わってしまうものであれば、一人の善良な人間が耐えがたい苦しみを次から次へと味わわなければならないのは、明らかに理不尽且つ不公平で、天の摂理もいったいどこにあるのか、と怒りをぶつけたくもなります。しかし、人のいのちは、この世の数十年という一瞬だけで終わってしまうのでは決してなく、永遠に続くものだという理解にたてば、耐え難い悲しみも、まったく違った観点から見直すことが出来るようになるはずです。

 この永遠に続くいのちを理解していただくために、私のよく知っている一人の人格円満で有能な壮年実業家のいのちの遍歴について、お話しさせてください。その私の知人は、他人にはあまり口外しませんが高い霊能力をもっていて、少なくとも過去数十回の自分の人生を、どこでどのように生き、そして死んでいったかを、よく思い出すことが出来ます。

 彼の場合は、平均すると、二五〇年に一回くらいの割合で、生まれ変わりながら、いろいろな国で、いろいろな人生を体験してきました。楽しい人生も数多くありましたし、それこそ、あなたのように、耐え難い苦しみにも、いろいろと襲われてきました。例えば、彼の場合は、両親や兄弟を含めて最愛の家族全員が、皆殺しにされた悲惨な体験もあります。その時の彼は、それに怒り狂って復讐に出かけ、かえって自分もなぶり殺しにされてしまったのだそうです。別の人生では争いで人も殺していますし、また別の人生では、まわりから金銭を盗んだ疑いをかけられて、憤激のあまりに自殺もしています。

 この実例のように、それぞれの一生だけを取り上げると、それこそ、「耐え難い悲しみと苦しみ」の連続であることもありますが、人間というものは、そういう数々の体験を通して魂を磨き、他人の悲しみやこころの痛みなどが、それだけ深く分かるようになっていくものでしょう。そしてまた、その分だけ、それらに続く人生では、愛の気持ちが深まり、こころ安らかな幸せな生活も送れるようになっていくのだと思います。

 古来、世界のいろいろな国々で、多くの聖賢やすぐれた宗教家たちが、いのちの永遠性や生と死の実相を訴え続けてきました。そして、いまもそれらの真実は、いつでも私たちの手の届くところにあります。聞く耳があれば、聞くことが出来ますし、差し出す手があれば、つかみ取ることも出来ます。聞く耳ももたず、手を差し出すこともなく、ただ、悲嘆の底に沈んでいるだけでは、救いはないのかも知れません。空海は、それを 「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し」と私たちの無明を戒めました。

 私は、苦しみや悲しみのほとんどは「自分のいのちの真実に気がつかない」ことからきているものと思っています。「神も仏もない」のではなく、いのちの永遠の尺度でみれば、天の摂理は決して依怙贔屓も不公平もなく、無欠完璧に働いていると考えるべきでしょう。ですから、やはり、学ぶことが大切です。真実を知ることが救いです。どうか、一瞬の短い尺度でご自分を見るのではなく、そのような、いのちの永遠性の観点から、いまの「耐えがたい苦しみ」を見つめ直してくださるようになることを、こころからお祈りしています。








 耐え難い悲しみの意味について (2004.08.25)


  ー 昨日の Y. M さんへのメールの追伸 ー

 人間の成長のうえで、おそらく、耐え難い悲しみのようなものが、最も大きな意味をもつものではないかと思われます。悲しみながら、苦しみながら、その意味を探っていくうちに、その耐え難い悲しみが、実は、自分に与えられた大きな恵みであることに気がつくのかもしれません。このホームページの『学びの栞』の、「18. 苦労することはいいことである」にまとめた引用文なども、是非、お読みいただければと思います。

 亡くなられたお子さんやお姉さんのためにも、必ず悲しみを乗り越え、いのちの真実を学びとっていくようにしてください。真実を知らないことがいかに人間を弱くするか、いかに苦しみを深めていくか、私は自分の体験からも身にしみて感じさせられてきました。どうか、ご自分を大切にいたわりながら、いつか希望の光が射し込んでくることを信じて、強く生きて行かれることをお祈りしています。








 奈良・春日大社の白蓮華 (2004.08.25)




 武本先生

 いつもお世話になっております。先生の中国四川省黄龍の旅のお話を拝見し、感動いたしました。やはり偶然ではなく、目に見えない糸で結ばれているのでしょうね。

 私は土日、奈良に行ってきました。いつものように何かに導かれて行ったのを知り、感動で涙が止まりませんでした。先日の私のメール(非公開)に書いた白蓮華、春日大社の神苑で見ることができました。その3日前まではまさか奈良に行くなんて、そして蓮の花を春日大社で見ることができるなんて夢にも思いませんでした。

 実は先日、夜に突然、棚から物が落ちてきました。それを片付けていると、葉祥明さんと初めてお会いした時に、一緒に撮った写真のネガがありました。気になって、それをもう一枚、今度は大きいサイズに焼き増ししてもらうことにしました。何か見えるかな?と思ったのですが、出来上がった写真には、特に変わったことはありませんでした。何も意味がないなんて珍しいなあと思いながら、また久しぶりに葉さんのホームページを覗きました。すると3日後の8月7日土曜に、奈良で講演会があるというのです。しかも、私が今年の2月に大阪でサウンドオブミュージックを観るきっかけとなった、絵本「奇跡をさがして」の朗読もあります。

 あまりにも急なことだったので、どうしようかと悩みました。もう少し前に知っていればよかったのだけど・・・・ そう思いながら、さだまさしのCDを聞きました。これはサウンドオブミュージックを初めて観た夜に、テレビで「風に立つライオン」を聞いて感動して、わざわざその曲が入ってるものを探し購入したものです。そのアルバムの中に「まほろば」というのがあります。それを聞いて、7年くらい前に奈良の春日大社に行ったことを思い出しました。そこで、亡くなった母と彼の供養をお願いしたことがあるのです。もう一度、春日大社へ行ってみたくなりました。

 そこで私としては珍しく、7日の講演会の後、定期観光バス−夜のライトアップコースも申し込みました。観光バスは初めてでしたが、そのコースの特典に、春日大社の夜の特別拝観があったのです。しかもその日がそのコースの最終日でしたから、慌てて申し込みました。予約受付も3日前までとあったので、予約がとれて本当に幸運でした。

 お昼からの葉さんの講演会では、共時性について、キュブラー・ロス博士についてもお話されていました。講演の後、葉さんの絵本「Blue Sky」を自分へのプレゼントにしましたが、その絵本の帯に「あなたには力強い翼がある」と書かれているのを見て、彼のオリジナル曲「翼」を思い出しました。「こわくない、こわくない どんなに高く舞い上がっても あなたには力強い翼がある・・・・」この絵本を毎朝読んで、一日一日を大切に生きていきたいと思いました。

 その後、奈良駅に向かい、観光バスの受付を済ませましたが、その直後から、激しい雷雨になりました。「今、申し込んだばかりなのにどうして・・・・もしかして奈良に来たことは間違いだったのでは・・・」と不安になりましたが、予定時間になる頃に雨は止み、心も晴れました。

 春日大社夜の特別拝観は本当に感動的でした。観光バスのお土産の提灯に神様の火が灯った時は、心の中で何度も感謝の言葉を繰り返していました。それから、もう一つ嬉しいことがあります。その日は、春日大社の七夕節供祭だったようです。「7月7日は七夕ではありません。春日大社では今日、8月7日が七夕です。皆さんはこのような特別な日に参られたわけです」の説明を受けた時にはっとしました。一ヶ月前の7月7日、私はとても落ち込んでいました。その時、先生にメールでご相談しましたね。あの時、どうして七夕の日にこんな辛いことを言われるのか・・・・その少し前に、短冊に「いつもありがとう!」と天国の彼に御礼の言葉を書いたのに・・・と涙を流していた自分を思い出しました。ですから、「7月7日は七夕ではありません」は私にとって本当に深い意味があったのです。

 その翌朝は、感謝の気持ちを込めて、もう一度、春日大社を参拝しました。そこで葉室宮司の「神道いきいきと生きる」というご本と出合いました。実は表紙の絵がまた葉さんの作品だったのです。また一人、尊敬する人に出会えたことを心から感謝しています。

  その本に興味深いことが書かれています。人間はどれくらい強い風に耐えられるか、実験するとします。人間と同じ背格好・体重の人形を比べると、人形なら飛んで行ってしまう風でも、人間は飛ばない。それどころか強い風に向かって歩くこともできる。それは、人間には精神力という力があるから可能であるそうです。その精神力とはどういう力なのか、物理学者が物質はすべて素粒子からできているから、その精神力も素粒子から出来ているであろうと考え、それを「サイ粒子」と名づけて研究しているそうです。サイ粒子とは波動であろう、人体もまた波動の素粒子の集まりだから、身体が死んでも、波動の生命体は永久になくならない・・・

 
参拝を終えた後、万葉植物園へ行きました。そこは葉室宮司になられてから「神苑」と名前を変えられたようです。入るとすぐに蓮の花を見つけました。淡いピンク色のとても可憐な花でした。これがもしかしてニ千年蓮とも呼ばれる大賀蓮なのでしょうか。私は蓮を観るのも初めてですから、詳しいことはわかりませんが、それにしても蓮の花がそれほど美しいなんて知りませんでした。そして、東門付近で白い蓮の花、白蓮華を見ました。朝露が玉になって葉に転がる様子を見て、万葉歌にある「ひさかたの雨もふらぬか蓮葉にたまれる水の玉に似たる見む」の気持ちがわかったような気がします。

 今回の心の旅の締めくくりが白蓮華であったことが本当に幸せでした。この感動をお伝えしたくて、またメールいたしました。

 R.W


 (このメールは、留守中の8月10日にいただきました。美しい白蓮の写真が添付されていましたので、転写させていただきました。 - 武本 -)







 悲しみを超えて身にしみるこころの安らぎ (2004.08.24)


 Y. M. 様 

 私の「体験を目にした」ことで、いただいたあなたからのメールに対して、私は、どのようにお答えしたらよいだろうかと、しばらく考えていました。この「メール交歓」欄のなかにも、いままでにいろいろな形で、肉親を亡くされた方々への返事を書いてきました。それらを参考にしていただくことができるのでしたら、どうぞお読みくださいと、まず、申し上げたいと存じます。

 「長男と会話をしたい」ためのアドバイスを求められて、リーディングの個人セッションを受けるのはどうかということですが、それは受けられた方がいいと思います。どうぞお受けください。お受けになった上で、さらにご長男と会話するためにどうすればよいかご自分でお考えください。また、続けてリーディングを受けた方がいいと思われたら、また続けて受けてみて下さい。悲しみながら、苦しみながら、迷いながら、それでも必死になって、決してあきらめずにご長男との会話を求めていく。そして、それは必ず報われる。そのようなあなたの血のにじむような努力のなかで、はじめてご長男との会話の道も拓けていくのではないでしょうか。

 大きな苦しみがなければ、大きな喜びは得られないものでしょう。大きな収穫のためには、大きな代償が必要で、苦しみもしないで、悲しみもしないで、楽に、簡単に手に入れられるものには価値がないのではないでしょうか。だからこそ、苦しみは貴重な経験で、悲しみがあってこそ、大きな喜びと安らぎが実感できるようになるのだと思います。ただ、なかなかこういうことは誰にでもわかってもらえることではないかもしれません。私は、妻と長男を亡くしたことを 「喜んでください」と言われた話を、いつかこの欄で書いたことがありますが、私はその意味を十分に納得していました。そして、それが納得できるようになっていることをたいへん有り難いことだと、妻と長男に感謝しています。

 悲しみや苦しみには意味があります。誤解をおそれずに敢えて申し上げれば、悲しみや苦しみは「いいこと」です。悲しみや苦しみを味わったことのない人に比べれば、むしろ恵まれているとさえいえると思います。私は、世間一般で、気の毒とか、可愛そうだとか、同情に値するように思われていることが、本当は真実を知らないための勘違いであることがしばしばであることを感じていますので、結局は、このような私自身の、個人的な体験でしかお答えできないことを、どうかご理解いただきたいと思います。







 相次ぐ肉親の死に直面して (2004.08.24)


 武本 昌三さま

 はじめまして、Y. M. と申します。昨年8月に姉を自殺という形で亡くし、その悲しみがまだ癒えないというのに今度は17歳の長男を事故で亡くしてしまいました。

 姉が亡くなったときに、父は「死は無である」というようなことを言っておりました。しかし、先月息子が亡くなったときに「無」ということは信じたくないという気持ちから、「死」に関する本を読み出しました。

 以前に「臨死体験」という本を読んだこともあり、「死後の世界」というものがあるのではないかという思いも持っておりましたが、最近偶然読ませていただいた江原啓之さまの本や佐藤愛子さまの本をに接するうち、何か感じるものがありました。そんな中、1週間ほど前にこのHPに巡りあい、ぜひとも武本さまにお話をお伺いしたいと思いメールをさせていただきました。

 私の長男は生まれたときの医療ミス(訴訟は起こしておりませんが)から点頭てんかんという病気になり0歳の時に3ヶ月ほど入院をしました。その後、運良く薬が合い発作も収まっていたのですが、小学校6年生の時に発作が再発してしまい、この7月に亡くなるまで合う薬を見つけるための病院通いをしておりました。

 長男のてんかんは難治性のてんかんと呼ばれ、毎日の発作が止まらず、また知的面と運動面がともに遅れてしまうという特徴がありました。そんな中でも鉄道模型やラジコンで遊んだり、ゲームに夢中になったり、父親と一緒に大好きな新幹線を一日中、乗り歩いたり、養護学校で部活動に参加したりとそれなりに楽しい生活を送っていたと思っております。

 そんな毎日の生活を送っていたのですが、この6月30日の朝、登校するために駅で電車待ちをしていたとき、いつもとは形の違う発作が出てしまい、ホームから転落、タイミングが悪く落ちたすぐ後に駅を通過する貨物列車が入線、90キロのスピードで長男をはね、長男は15メートルほど引きずられ、全身の打撲と多発骨折によるショック状態に陥り、21時間後に死亡してしまいました。

 長男が生まれてから、入院、退院、そして障害児保育を求めての引っ越し、また、中学生になってからは「てんかん」の発作に苦しみながら、福祉の情けなさを感じて参りました。今回の事故に関しても、駅の安全対策、運転士の安全確認の面で納得行かないところがあり、先日JRに要望を提出しました。そんな中ではありますが、長男の死というものを受け入れられず、試行錯誤していた時に武本さまの体験を目にしたのです。

 今、私たちの一番の希望は長男と会話がしたいのです。長男はこの8月29日に18歳の誕生日を迎えるはずでした。ちょうどその日にセミナーがありますよね。それにも参加させていただこうと思っておりますが、IIS夏のスピリチュアルイベントとしてイギリスの大英心霊協会からミディアムのビル・ランディス氏が来日し、リーディングの個人セッションがありますよね。これに参加させていただくのがよいのでしょうか?それとも違う形で求めた方がよいのでしょうか?(長男が亡くなったのは7/1です。四十九日までは幽現界にいるとありますが、近いところにいる方が会えるのでしょうか?それとも逆に早すぎるのでしょうか?

 是非アドバイスをお願いいたします。


 (このメールは私の留守中、8月5日に受け取りました。イニシアルだけで掲載し、同じように肉親を亡くされた方々からのメールをも念頭におきながら、つぎに、私の返事を書かせていただきます。- 武本 -)







 感慨深い不思議な偶然 (2004.08.21)


 高橋淳子様

 メールを有難うございました。次から次へと、なつかしい地名が出てくるのを拝見して、少し驚いています。

 私は、小樽商大に移る前は、室蘭工大にも勤めたことがあって、その当時は、苫小牧から汽車や車で通勤していました。私の長女の由香利も長男の潔典も、苫小牧の市立病院産院で産まれています。白老町虎杖浜は、通勤の度に車で通ったところで、いまもあの辺の風景をなつかしく思い出すことができます。

 お母様が長男潔典の母校である札幌北高ご出身で、しかも、誕生日が同じとは不思議な偶然ですね。弟さんが日比谷高校を出られ、奥さんのお姉さんが小樽商大でフランス語を教えておられて、そのご北大学長を務められた丹羽さんのご長男と結婚されたというのも、なにかの因縁みたいなものを感じさせられます。私が北大で教えていた頃の学長は今村成和さんで、丹羽さんが学長になられたのは、その後ではなかったでしょうか。

、今日は、思いがけなくもこのようなメールを読ませていただいて、こころが和みます。有り難うございました。厚くお礼を申し上げますとともに、ご返事がたいへん送れましたことを改めてお詫びいたします。






 私の家族ともどこかで (2004.08.21)


 武本昌三様
 
 先日、デジカメ講座の後、メールした高橋淳子です。その後、貴HPと「生と死の彼方に」を読ませて頂きました。感動、同情、事件のやりきれなさを感じましたが、心が広くなったような気がいたしました。ありがとうございました。
 
 ところで、身辺雑記の中国旅行にも書いてありますが、奇遇というか、私の家族ともどこかでお会いしているかも知れないと思い、メールさせて頂きます。
 
 私の父方の両親は、明治時代に山形県から教員として北海道の僻地に赴任しました。父は白老町虎杖浜小学校から室蘭中学、北海道大学工学部を卒業し、東京で就職しました。母方の両親は、宮城県から入植し札幌郊外で牛牧場を。母は、札幌に下宿し、札幌高女(現札幌北校)を卒業後、父と見合い結婚しました。母の誕生日は、大正7年6月5日(!)です。私の両親は、東京大田区で、3人(=姉、私、弟)を育て、社宅を出た後、現在の横浜市に来ました。
 
 弟は、日比谷高校から北海道大学生物学科大学院〜酪農学園大学助手を経て、現在は医大で生物を教えてます。弟の妻は小樽の出身で、弟の結婚当時、その姉は小樽商大でフランス語講師(非常勤?)をしていました。その後、丹羽貴知蔵(元北大学長?)の長男と結婚しました。
 
 私は、中学校以降、北海道が大好きになり、夏休みになると、札幌や苫小牧の叔母(=佐羽内姓)の家で過ごしました。苫小牧には佐羽内沼があって、札幌の従姉妹や弟とボートに乗って、沼の海老やじゅんさいを採って楽しみました。
 
 以上の話の中に、武本様と出会った人はいませんか?下らない内容ですが、何か書かずにいられなくなりました。これからも、HPと著書を読ませて頂きます。よろしくお願いします。

 (このメールは8月2日にいただきました)

 





 メールへの返事が遅れる場合について (2004.08.20)


 しばらく留守をしていて昨日帰ってきました。明日はまた、山梨県の清里へ勉強会に出かけて、明後日まで滞在します。前にも書いたことがありますが、時折留守をする場合でも、「学びの栞」などは、毎日読んでくださっている方々のためにも、あらかじめ原稿を作っておいて溝口祭典の佐々木薫さんのご尽力で毎日更新してもらっています。しかし、留守の間は、パソコンを持ち歩いていませんので、いただいたメールを拝見することはできません。帰ってきてから拝見し、必要な場合には、お返事を差し上げていますが、そのために、お返事がたいへん遅れることがあることを、どうかご了承ください。

 この度の留守は2週間以上になりましたので、その間、多くの方々へお返事を差し上げられずに失礼いたしました。申し訳なく思いながら、いままとめて拝見させていただいております。お送りくださったメールの一部は、この欄に掲載させていただいていますが、大半のメールは、プライベイトなもので、なかには私の経験や能力ではお答えできないようなものもあります。そのようなメールをも含めて、在宅している限りは、なるべく早急にお返事を差し上げることに努めています。もし私からのメールが何日も届かないことがあれば、私が留守のためにメールを拝見できない状態であるとお考えいただき、ご寛恕くださいますよう、重ねてお願い申し上げます。







 私自身の霊的向上を目指して (2004.08.01)


 武本様

 長いメールに対するお返事を、どうも大変ありがとうございます。昨日、武本様にメールを書いた後に、主人と外出して、萩原ご住職の1冊の本の内容について、話をしました。その内容は、ホームレスの方との出会いで、ご住職自身が彼の悟りを語った内容です。その内容を通じて、主人は私自身が霊的に向上することが、前夫を救うことが出来ると教えてくれました。

 私は大変不思議に色々な霊能力の方たちに出会います。去年、オーストラリアからこちらに来る前に、主人が尊敬している禅のマスター白隠和尚のお墓参りに、東京から直行で行きました。そこのご住職さまは若い方になっておりましたが、大変、悟っておりました。イギリスでも、絶対会えないであろうと思っていた人にも、教会で会えました。キプロスで沢山の不思議な出来事により、多くの神父様とも知り合いました。

 その内容をお話しするのはなかなか、困難ですが、前夫のためにもがんばりたいと思います。私自身、カミさま、霊との対話は出来ます。しかし、前夫には心から、霊界に行って欲しいのです。行きそびれたのでしょう。行きそびれたにしても、理由があるでしょうから、これからは苦と思わず、私が霊的な向上をすることによって、彼を導いてあげれるように努力していと思います。ありがとうございます。

 数子







 
 霊的な問題で高度の判断ができる人に (2004.07.31) 


 数子様

 メールを拝見していろいろとお悩みのことをお伺いしました。あなたご自身が霊能力をお持ちで、しかも、お兄さまを含めて、勝れた霊能者がまわりにおられるのに、私のように霊能力のない者がお答えするのは、なによりも、不遜になるだろうと思います。このことをまず、ご理解ください。

 私はかつて先祖霊の供養で相談を受けたときに、長江寺ご住職の萩原玄明氏の本をご紹介したことがありましたが、その萩原氏のご著書もあなたはすでに何冊かお読みになっておられます。萩原氏の、たとえば『死者からの教え』などが、あなたの直面している問題のひとつの答えになっていると思いますが、そのような答えのほかに、私自身の答えをいまここで述べる力も資格も私にはありません。ただ、お兄さまなどからのご尽力によって、問題の性格はかなり明らかになっていると思われますので、あなたご自身の供養の姿勢が大切であることはおわかりのことと思いますし、考えられる方策としては、さらに高度の判断ができる人にご相談してみてください、と申し上げるほかはありません。

 私も、もし機会があれば、あなたのこのメールのことを取り上げて、勝れた霊能者の判断を仰ぎたいと思っていますが、あるいは、このホームページであなたのメールを読んでくださっている多くの方々の中からも、ご助言をいただけることがあるかもしれません。その折りには、またあらためてご連絡申し上げます。意の尽くせぬご返事になってしまっていることをご寛恕ください。









 成仏していない前夫の霊に悩む (2004.07.31)


 はじめまして、武本様。私は数子と申します。こちらのメールアドレスは萩原ご住職のサイトを探していましたところに、縁ありまして、こちらの方に参りました。大変、恐縮ですが、私に起きている出来事にて、厚かましい様ですが、お返事頂ければ、幸いです。

 萩原ご住職の書いた本は何冊か読みましたが、対処法として、供養ということだったのですが、私はただ今というより、長年、海外生活にて暮らしております。日本にて、供養するにあたって、もし、私のご先祖様を全部するとなると、本当に数十年、長江寺にて奉公でもしない限り無理という事態になるのでしょうか?

 恐縮ですが、私の家族構成等を少し長くなりますが、お話して良いでしょうか?私は霊能者家族の中で育ったと言っても、ほとんど、自分達は普通だと思っていました。ですから、私も子供の頃より、周りが不思議がる体験は普通のことのように過ごしてきました。幼少時代より、孤独な生活をしいられましたが、あまり、気なることもなく生きてきました。若いころより、大人の悩みをゲーム感覚にて当てたりした来ました。霊が見えるということもあり、色々と自分が自分でないようにも感じたものです。

 自分の意思もあり、縁あり、オーストラリアに勉強をしに行き、そして、3年近くになりますが、前夫と出会い、結婚に至りました。今回はその前夫の問題というか?どうしていいのか?自分でも分らず?友達にチャネリングして頂いたり、私の兄は私よりさらに、霊的に尊敬している人なので、その兄に私の前夫の霊を入れてもらって話しをしたりしておりますが、一向に前夫は成仏してくれません。

 彼はオーストラリア人でしたが、私は彼が死ぬのを一人で看取り、若くして未亡人になりました。オーストラリアの前夫は生きている間に欲しい物が沢山ありました。良い車、良い場所に住みたい、良い物が食べたいそんな、生活ですが、その費用を稼ぐのはほとんど、私でしたが、別に苦になりませんでした。私は天職として、占い師として、オーストラリアにて仕事をしながら、経営者としても身を粉にして働いて来ました。

 霊的な自分がどんどん破壊して行く気持ちもありましたが、一緒になったのですから、離婚というよりも、一緒にがんばって行きたかったのです。でも、彼自身は、私の店を手伝うと言うことで、働いていた会社を辞めて、経営の指示をしたりします。高級志向ですから、欲しい物は切がありません。そんな中、母が難病であまり長く生きれそうにもないというのです。電話先にて、ですから、すぐに私は日本に帰国しました。母は思ったよりも元気でしたが、お医者さんには、他の方ならすでに死んでいると言われたほどの体でしたが、それを機に、日本に帰ることになりました。

 主人の意向もあり、東京で生活することになりました。その時も、お金のことばかり言うのです。幸いにも、お客様は某航空会社の社員の方々が以前より親しくしていましたので、さらに、英語のクラスも家で教えることにしました。そうこうしているうちに、時は立ち、突然、前夫が体調が悪いと言って、入院して、10日後の私の誕生日には、自宅で亡くなりたいという希望にて、他界してしてしまいました。

 私は突然、一人になってしまいましたが、実家に帰るよりも、一人で生きて行くことにしました。東京に残り、6ヶ月ほどボーっと生きてきたのですが、オーストラリアに帰ることにしました。その飛行機に乗る前に、実家の母と電話で話したときに、かなり声がかすれていたので、もしかしてと思いましたが、元気でねと、声を掛けました。次の日に、倒れたということで、何度も日本にいる間は倒れても、私がお見舞いに行くと元気になり、退院していました。

 母は大変、ヒーラー的な人でした。ですから、3年、私が日本にいる間も元気でした。そして、すぐに、帰りました。兄からは、医者が言うには間に合わない状態でした。旦那が亡くなって、6ヶ月後に、母も他界してしまいました。でも、母は霊的な人だったので、今では、あまり来なくなりました。

 問題なのは、前夫です。いつも、うろうろしています。生きている間にかなりの物質欲があった人ですが、なくなった後に、一度も会ったことのない、彼の家族の場所の方がお骨を納めるのに良いと私も判断したので、持って行きました。費用は全部私が負担しました。兄弟がほか8人も生きているのに、それも、私よりも20歳以上もお歳を召した方達ですが、あまり、前夫ともかかわりたくないのか、お金がかかるからのか、私は、しっかり、神父さまに納骨してもらえることをお願いしていたのですが、残念なことに、甥っ子が聖書を読んだだけのようです。それには驚きました!そして、私も喪中を終えたので、行ったり来たりしているオーストラリアにちゃんと帰国することを決めました。

 そこで、私が前夫とお店を営んでいるときに、いつも、元気と声を掛けてくれる人と、縁あり、仲良くなり、お付き合いしながら、結婚が出来ました。この人は大変、霊的なので、外国人ですが、禅も理解していますし、私以上に悟っている方なのですが、前夫がどうも、私達が一緒にいることが大変腹が立つのでしょう。奇怪なことばかりです。お金もどんどん、自分達は使わないのに、出て行きます。

 日本に去年帰国したときに、兄に頼んで前夫の霊を入れてもらいました。その時、兄は英語も話せないのに英語で話しが始まりました。とにかく、私以外に頼る人がいないのでしょう。彼の家族に何度お願いしても霊的な人たちでないので、あまり、お墓にも行かないし、彼を愛しいと思う気持ちもないようです。

 供養も長江寺ではありませんが、致しました。何度どこに行っても、オーストアリアでも、日本でも、イギリスでも、さらにはキプロスにて、毎日の様に、夫婦で彼を思い行きました。その間に、色々な人が私のもとに来ました。カミさまも含めて、英語で話す人もいれば、分らない言葉の人々です。他の方々は成仏できるのに、どうして彼は出来ないのでしょう?

 私の体を利用して、今の主人を何十回と殴ったそうなのです。私は全く覚えていないことの方が多いのです。何度も二人で自殺しようかと、車で突進しようと思ったこともあります。兄の教えですと、彼は死んだことに理解をしていないし、約束しても、破るから、たちが悪いと、いうのです。生きている間、兄が貧乏だから、付き合いたくないと言っていた人が死ねば、兄の霊的な面を理解したのが、彼にも迷惑をかけます。

 前夫は亡くなる前に、沢山の人の前で、カズコは若いから、数年経ったら、結婚して欲しいと言うのは、あれはうそだったのか?兄に言うと、夫婦そろって、霊的な面で見えたり聞こえたり、感じたりするのが良くないのかどうか分りませんが、どうしたいいのでしょうか?毎回、毎回、前夫のためにけんかになります。それも、周りが聞いたら、すぐに精神科に連れて行かれるでしょうね。死んだ人の名前でけんかになるのですから?

 成仏できないのは?私達が問題なのでしょうか?萩原ご住職の本は参考にはなりましたが、霊が見える家族構成で来た私には、そこのお寺に行かなければ、問題解決出来ないのは、霊は瞬間移動出来るわけです。血が繋がった家族が理解出来ないのですから、これが一番の悩みです。血が繋がっている家族は母が生きてる間に、両家ともしていました。母は他の亡くなった知人もしていました。ですから、守護霊的な人たちはいても、ここまで、たちが悪い霊もいないですよね。霊がうそをつくのです。

 今の旦那が言うには、私が霊的に向上したら、この人は今度、生まれ変わるために、上に行って勉強しないで、早く誰かの母体に入りたいのでしょう。ですから、去年、私は流産してしまいました。彼のお墓に行って、流産しました。だれが、入ったか理解出来たぐらいです。霊的に低い方ですから、私達と一緒に生きている間に、修行は出来ないでしょう。もし、私達がこの状態を続けると、来世もどこにだいたい生まれるか理解している夫婦なのですが、どんどん仲良しの夫婦が、この前夫のおかげで、あたまがおかしくなります。

 以前はかわいそうという気持ちがありましたが、そうなると、生きている旦那は本当に私を愛してくれて、大事にしてくれるのに、不公平ではないかと霊的友達はいうのです。そうですよね?私もタバコとか吸わないのに。旦那を殴って、タバコを買いに行かせたりして、吸ったりしたみたいです。他の夫婦でしたら、もー、すでに終わっています。私は記憶がなくなるのです。どんなことをしてもだめなのです。

 兄も曰く、前の旦那が今の旦那を殺そうとしたりしています。それが分るのが、何度も事故に逢うのです。でも、幸いにも、私のところに、誰か来て、これを拝むようにと彼に言えというお知らせが来たりして、本当にそれがなければすごいことになってしまっているのです。

 長々、書いてしまいました。もし、何かこんな霊を理解出来る方法があるのでしょか?霊視等は、私の知り合い(ソウルメイト)等は出来ますので、それより、前夫にちゃんと死んだということを理解してもらいたいのです。私がこれから、新たしい人生を新たな人と一緒になる進んで行きたいのです。よろしくお願いします。

 キプロス共和国より。








 シルバー・バーチやコナン・ドイルからの導き(2004.07.27)


 瀬野彩子様

 メールを有り難く拝見しました。霊視能力をもっておられるあなたからのお手紙には、いつも教えられ、力づけられています。あなたの「大空の会」も私が微力を尽くしているささやかな講演会なども、シルバー・バーチ霊団から導かれていることを知らされて、うれしく思いました。

 コナン・ドイルにも触れられていますが、私は、彼の著作からも、いろいろと教えられてきました。むかしロンドンに住んでいたときに、霊的真理を広めることに献身していたコナン・ドイルの姿勢を知ってこころを打たれ、彼の足跡を紹介する文章もいくつか書いたりしてきました。やはり、霊界からは、すべてが丸見えなのですね。私の小さな奉仕も、霊界から導かれていることを肝に銘じて、これからも、私なりの努力を続けていきたいと思っています。

 私には、霊視能力はまったくありませんが、あなたを含めて、霊視能力をもった方が大勢おられることは、よく知っています。いままで随分、多くの霊視能力をもった方々から、教えられ、導かれ、励まされてきましたが、これは、私にとって大きな幸せでした。あなたからもまた、これからもいろいろとお教えを受けられることを楽しみにしています。








 高次の霊たちに見守られて (2004.07.27)


 こんにちは。先生の「メール交歓」を楽しみに読ませていただいています。

 青木耀子さんからのお手紙の中に「・・・シルバー・バーチさんがそこに立って、本を差し出してくださっているように思いました」と、ありましたが、本当にシルバー・バーチがそうしたのだと思います。シルバー・バーチ霊団は、今も活躍していて、いろいろなところに登場するようです。

 6月の先生の講演会に高次の霊たちが来ていたというのは、実はシルバー・バーチ霊団でした。講演会の前にあった6月の「大空の会」にも現れ、私は霊的なことを言わされました。私も日頃自分がおさえているようなことを言うなあと思いましたが、私の意に反し、会員達はとても喜んでいました。

 シルバー・バーチに限らず、これまでに足跡をのこした偉大な人達は、その後もその霊的真理を広めるべく大活躍しているようです。コナン・ドイルは講演会の時、私の頭を刺激してその存在をアピールし、奥様と潔典さんの姿を見せてくれました。もうひとりの霊能者も、コナン・ドイルや高次の霊達を見ていました。

 霊的真理を探究し、それを広めようとする時、そこに信じられないような高次の霊達の存在があることに、私は驚きを感じます。どうしても敬虔な気持ちにならざるを得ないような、そんな気持ちです。

 青木耀子さんのお手紙を拝見していましたら、メールさせて頂きたくなりました。先生の「いのちについて考える」を、楽しみにしています。どうぞ、お身体にお気を付けてお過ごしください。

  瀬野彩子
 






 あれから21年の歳月が流れて (2004.07.23)
   ー 札幌の霊能者・青木耀子さんからの手紙 ー


 拝 復

 このたびは、素晴らしい講演集をお送りいただきまして誠に有難うございました。

 お手紙に、霊的な出会いの最初であったと書かれてありましたが、当時のことが今更のように思い出されます。あのとき、潔典さんが「お父さん、命ってなんだ?命ってなんだ?」と叫んで何度も問いかけていました。私は、先生がとっさのことでお答えになれないのだと思い、私なりに話をしました。もちろん私にもとっさのことですし、きちんと話せたとは思いません。

 今回の文章に接しまして、深く感動を覚えますのは、あの時の潔典さんの質問にきちんとお答えになっていらっしやる先生の真撃な態度と、探究心に対してです。生意気を承知して申し上げますが、先生だからこそ此処まで到達されたのだと思いますし、必ず到達する方だと分かっていました。いま世界人類は病んでいます、心とか、命とか、人類の使命は何かといった問いかけに、先生は答えていかなければならないのでしょうね。お辛い思いを此処まで高められた先生は、本当にすばらしいお方だと存じます。

 私事ですが、今年5月、次女(29歳)が一人暮らしのため、部屋を探していました。私どものマンションから近いところを探していましたが、気に入った所が無く、困っていました。そして、早く決めないといけないと、彼女は4戸の候補のなかから決めようとしていました。その翌日早朝、潔典さんが私にメッセージをくれたのです。「あそこは、とても良い所です。安全で居心地がよく、居住者もよい人たちです。あそこに入居させてください。潔典です、母も居ます。僕たちが守ります」と受信しました。

 私はピックリしてしまいました。あそことは、地下鉄駅一つ離れたところのしっかりしたマンションでした。駅一つ離れるのは何かと不便だと思い、私は反対していました。次女に話しましたら、「本当?私もそこに入りたかったんだよね」と申しまして、早速そこに決定しました。潔典さんも奥様も、このようにすぐ側で、協力してくださいます。有難いことだと存じます。なぜ教えてくださるのでしょう。そして、このようにまた先生からの講演集のプレゼントも頂き感謝に堪えません。本当によい読み物ですね。

 偶然といえば不思議な偶然があります。私の事務所でもう 6年も続いている「輪読の会」があります。今読んでいるものが終わりそうなので、次のをお互いに探していました。ところが、先生からの講演集が届いた直後に、一人の会員が『シルバー・バーチの霊訓』を読みましょう、といって古い一冊を持参したのです。私は、何時も驚かされるのですが、今回の先生の講演集のなかには「シルバー・バーチ」のきらめくような言葉が沢山に紹介されていまして、それらを読み終わったばかりだったのです。
 
 以前から何冊かは読んでいましたが、いまこのように講演集を目の前にしていますと、シルバー・バーチさんがそこに立って、本を差し出してくださっているように思いました。私たちは、多分、来月からこの本に取りかかることになるでしょう。もちろん、会員も先生のフアンです。毎回の講演集も、みんな楽しみにして読んでいます。有難うございました・・・・・・・・

 青木耀子.



 (武本付記:講演集のなかでも触れていますように、青木耀子さんは、札幌に住んでいた頃の私の妻の友人でした。私が初めて霊言をきいたのは青木さんからで、21年前のことになります。青木さんは、いまも札幌市中央区に、「青木耀子事務所」をもたれ、心理カウンセラーとして活発に活動しておられます。この手紙は、青木さんのご了承をえて、その前半を掲載させていただきました。)






 こすもすセミナー開催のお知らせ(2004.07.22)


 [こすもすセミナー]
   =いのちについて考える=

講  師:武本昌三
会  場:こすもす斎場(八王子市元横山町 2-14-19
参加費:無料

日  程:

第1回: 8月29日(日)「人はなんのために生まれるか」
第2回:10月31日(日)「人の生きる目的について」
第3回:11月28日(日)「人は死んだらどこへ行くのか」

時  間:毎回 午前10:30〜12:00

 上記の日程で、こすもすセミナーを開催いたします。
 この世に生まれて悔いのない人生を送っていくためにも、私たちがいのちについて学んでいかねばならないことはたくさんあります。今回のセミナーでは、それを3回に分けて、一緒に考え、学んでいく予定です。

 教材として、ビデオ映像なども使用しながら、誰でも気軽に参加できるような易しいセミナーにしたいと思っています。

 参加費は無料ですが、会場準備の都合上、出席ご希望の方は、各回毎に溝口祭典へ電話でお申し込みください。

 電  話: 0426 (42) 0921
 http:www/mizoguchi-saiten.co.jp







 先月の講演会でのエピソード (2004.07.18)


 先月27日の講演の翌日からは、中国・黄龍への旅行を含めて、ほとんど、東京には不在が続いていましたが、いまは、もとの生活に戻りました。東京では、毎日、34度前後の暑い日が続いて、先週過ごした札幌の爽やかな気候が、ことのほか、好ましく思われます。

 しばらく、留守をしますと、メールを拝見するのが遅くなって、返事もさしあげられず、失礼してしまうことになりますが、「学びの栞」だけは、いつも出かける前に原稿を作っておき、それを溝口祭典の佐々木薫さんが入力してくださっていますので、毎日、更新することができました。佐々木さんには、あらためて厚くお礼申し上げます。

 6月27日の講演会には、霊界の私の妻と長男も、姿をみせていたようです。お子さんを亡くされた方々の「大空の会」の講演の時にも、霊能のある方から、大勢の霊界のお子さんたちと一緒に、妻と長男が会場に来ていることを告げられたことがありますが、6月27日には、2人の方が同時に、妻と長男をみておられたということなので、やはり、来てくれていたのか、と私も有り難く思いました。壇上で講演をしていたときの私の左側、聴講者の皆様からは、私の右側に、妻と長男が立っていたのだそうです。

 講演会の最後の質問のなかで、ご自身も奥様を亡くされた方から、「せめて、あと何年か生きてほしかったと思うことはないか」と聞かれました。1年でも2年でも、長生きしてほしかったと思うのは、当然の人情ですし、私もかつては、特に長男の場合は21歳でしたから、「なぜ21歳の若さで霊界へ行かねばならないのか」と苦しんだこともありました。しかし、いまでは、妻も長男も、その年齢で霊界へ行ったことに意味があることを私なりに理解していますので、質問者の方には、「私の場合は」と限定して、そのようには思わない旨をお答えしました。そのやりとりを聞いていたはずの、妻と長男も、その私の答え方に満足してくれていただろうと私は思っています。

 霊界の妻は、保育園のようなところで大勢の子供たちに囲まれて忙しく過ごしていることは、度々の「連絡」で知っていましたが、この間この欄でもとりあげた美樹ちゃんが、ときどき現れて、妻のお手伝いをしている、と聞かされたときには、ちょっと驚かされました。美樹ちゃんは、今年の3月10日の朝、「行ってきます」といって小学校へ出かけた直後に、交通事故で亡くなられました。私は、愛らしく活発な美樹ちゃんの姿を頭のなかで想像するしかないのですが、その美樹ちゃんが元気で妻のところでお手伝いなどをしてくれているとしたら、こんなにうれしいことはありません。講演会では、こういうエピソードもあったことを、お知らせしておきたいと思います。








 霊的真実を知ることの素晴らしさ (2004.07.07)


 鈴木明美様

 しばらく留守をしていましたので、お返事が遅れました。失礼をお許しください。

 「私を選んで私の子供として生きてくれた息子に感謝の気持ちでいっぱいです」という文面を拝見していますと、明るく輝いているあなたのお顔を思い出して、私も明るさを分け与えられているような気持ちになります。子供を亡くすということは、親にとって最大の悲しみであり、この上もない不幸だと思っていたことが、ほんとうは決してそうではないのだと知ったときの驚き、そして大きな安心感と深いよろこび。なかなか得がたい体験ですが、それを私も、あなたと共有できることを幸せに思います。

 私もいまでは、長男が私の子として生まれ、21歳で霊界へ旅立っていったことの意味が私なりによく分かるようになりました。長男は私を導くために、そのような「計画」を実行することを潜在意識ではもっていたはずですが、そのことは、アメリカで最後に一緒に過ごした日々の長男の言動のなかから、いまの私はかなり明確に読みとることができます。すべてを失ったという絶望感から、やがて、なにものも失われていないどころか、いのちの真実や生きることの意味も知らされるようになって、私もまた長男に、そして、彼をいっしょに霊界へ導いていった妻に深く感謝しています。

 ほんとうに知らないということは怖いことですね。「生きている」家族でさえ死んだことにしてしまい、自分自身のいのちさえ縮めてしまいかねません。そのような、知らないでいるために悲しんだり苦しんだりしている方々が世の中には大勢おられますが、それぞれに、目覚めていくための対応の仕方が異なるのはやむを得ないとしても、少しでも早く、あなたも言っておられるような霊的真実を知る素晴らしさを体験するようになっていただければと、祈るように見守るばかりです。






 希望から確信に変わっていく幸せ (2004.07.03)


 武本先生
 
 先日は講演会ありがとうございました。六年前に亡くなった主人の母が溝口様との縁を結んでくれて、それ以来武本先生のお話を毎年聞かせていただいてきました。最初の衝撃的な出会い、驚き、希望から確信に変わるまでの自分を振り返りますと、つくづく先生のこの講演会に私は育てていただいたのだと思います。

 毎年恒例となったこすもす斎場での講演会が一歩ずつ私の歩みにあわせるかのように導いてくれました。「人間は霊的存在であり、死んでも死なない」という実相が受け入れられた時から、私は子供を亡くした悲しみを手放すことが出来ました。思い出に浸ることはあっても、以前のような胸がつぶれそうな辛さはありません。私を選んで私の子供として生きてくれた息子に感謝の気持ちでいっぱいです。

 「魂の成長」を頭に置きながら生活していると、不思議に周りの人たちや出来事が魂の目を通して見られることに気がつきました。人と人とが深いところでつながりあっていると知る事で心が満たされ幸せな優しい気持ちになれるのです。シルバー・バーチが言うように霊的真実を知ることはこんなにも素晴らしい事なのですね。

 ホームページに載せて下さっているシルバー・バーチの言葉の一つ一つが本当に勉強になります。本も併せて読みながら毎日教えをいただいております。きっと私と同じ様に毎日アクセスしている方が沢山いらっしゃることでしょう。

 先生、本当にありがとうございます。以前とは比べものにならないくらい今の私は幸せです。お体に気をつけられて、これからも一層のご活躍を期待しております。

 鈴木明美



 (着信時留守をしていて、7月6日に読ませていただきました)






 これからも光に向かっての歩みを (2004.07.07)


 R. W. 様

 講演の翌日から留守をして、しばらく海外へ出かけておりましたので、メールは今日(7月6日)拝見しました。お返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。

 私の講演には、わざわざ岡山から来られてご参加くださったそうで、有難うございます。私自身が、自分の人生の締めくくりの段階で、こういうタイトルの講演をしたり、ものを書いたりするようになろうとは思ってもいませんでしたが、これも、いまの私に課せられた大切な課題と考えて私なりに力を尽くしています。少しでも、お役にたつことができれば大変有難いことだと思っています。

 エーデルワイスは、私もアルプスへ行ったときに見たことがありますが、白い可憐な感じの花ですね。そのエーデルワイスにまつわる出来事があなたのまわりで次々に展開していって、ほんとうに、見えない世界からの確かなメッセージを感じさせられます。おそらく、あなたは見えない世界に十分にこころを開いておられるので、彼もあなたにはメッセージを送りやすいのでしょう。

 見えない世界というのが、実は光の世界で、眼に見える私たちの現実の世界というのは、その光に対する影の世界であるといわれていますが、「見えないもの」が「見えるようになる」ためにも、そういう「真実」をしっかりと手に掴んでいきたいものだと思います。どうか、希望をもって、これからも光へ向かっての歩みを続けられますように。







 見えない世界からの確かなメッセージ (2004.06.30)


 武本先生
 
 先日は先生のご講演を拝聴させていただきありがとうございました。
 
 岡山から前日、夜行バスで東京に向かいました。車内は冷房が効きすぎていたせいか、寒くてほとんど眠っていない状態でしたので、講演会当日に何度も眠ってしまいそうになり、大変失礼いたしました。でも、そういう状態でありながら、先生のお話はしっかりと頭に残っております。先生がおしゃられることに何度も頷いておりました。

 「幸福の科学」の大川隆法氏のお話もされておりましたが、その時にもはっとしました。東京に向かう前日、部屋の整理をしていて幸福の科学の「ヘルメスエンゼルス」という小冊子を見つけました。それは1年くらい前に郵便受けに入っていたもので、読まずに本棚に置いてあったのです。そういえば大川氏は私の出身高校の先輩でもありました。その小冊子を読むと、「黄金の法」には22世紀には霊界通信機が出来ることが書かれているそうで、大変興味をそそられました。もっと早くできてほしいとは思いますが、そういう時代は必ず来ると思っていたところでした。一度読んでみたいと思います。

 先生には講演会の後、ご挨拶をさせていただきたいと思っておりましたが、その後、友人と池袋で待ち合わせをしておりましたので、急いで待ち合わせの場所に向かいました。度重なる失礼をどうかお許しください。

 友人と池袋のサンシャインで、プラネタリウムプログラム「宇宙の驚異」「夜空の宝石箱」を見ました。それもとても感動しました。その後は、渋谷の方で、オードリーヘップバーン展があるというので、急いでそこに向かいましたが、残念ながらそれは到着の10分前に閉館してしまいました。でも、来年の1月に大阪でもあるそうなので、その時に今度はゆっくり見たいと思います。

 実はオードリーヘップバーンのことも亡くなった彼が教えてくれたように思いました。以前、メールに書きました「サウンドオブミュージック」を観た時のような感動的な出来事が今回もありました。いまでもあの映画の感動を忘れることが出来ませんが、先日、神戸の六甲山植物園で「エーデルワイス」が咲いていると聞き、その花がどうしても見たくなって、体調が悪かったにもかかわらず六甲山へ行きました。とても地味な花でしたが、”高貴な白”というドイツ語の名前がぴったりの花でした。「アルプスの星」とも言われてるのですね。本当に素敵でした。感動して体調が悪いのも忘れてしまったほどでした。

 その植物園の近くにはオルゴール館があったのですが、そこでとてもかわいらしい宝石箱を見つけました。以前から宝石箱が欲しいと思っていました。それに彼からの贈り物をしまっておきたいと考えていたのです。買ってから気づいたのですが、そのオルゴールの曲は「ムーンリバー」でした。どこかで聞いたことがあるメロディーです。帰ってからわかったのですが、それはオードリーヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」の主題歌でした。実は彼からもらったものが、ティファニーのネックレスだったので本当に感動しました。

 その直後、オードリーヘップバーン展が東京であることを知りました。先生のご講演も、プラネタリウム「夜空の宝石箱」にも心を惹かれ、26日のお昼になると、どうしても東京へ行きたい!という気持ちで一杯になりました。その時、「東京へ行きなさい!」と誰かに言われたような気がしました。私は部屋の掃除の最中でしたが、それを途中で放り出し、慌てて講演とバスの予約をしました。土曜の当日予約は難しいバスでしたが、空席があって本当によかったです。

 オードリーヘップバーン展には、あと10分というところで入場できなかったことも、今考えると興味がありました。私はオードリーヘップバーンのことも詳しく知りませんから、来年大阪に見に行くまでに、主演の映画(DVD)をできるだけ観ておこうと思います。オードリーは少女時代、第二次大戦の戦禍の中で、ナチスと闘うレジスタンス活動を助けていたことも知りました。
そのあたりのことももっと知っておく必要があるということでしょう。

 先生にまたお会いできることも信じております。ホームページを拝見するたび、アメイジンググレイスのメロディーを聴かせていただけることも幸せに思っています。あの曲は、ドラマの「白い巨塔」で初めて知りましたが、今年の2月22日、私が「サウンドオブミュージック」の映画を観た夜、テレビを何気なくつけてみたところ、さだまさしさんの「風に向かって立つライオン」が流れていました。その最後のあたりのハミングでも聞いて、「あれ?これって?」と不思議に思いました。その後、先生のホームページで、アメイジンググレイスのことを書かれた随想を拝見し、深く感動しました。このことも偶然ではないと思っています。

 やはり、目に見えない世界から私たちにあらゆる形でメッセージを送ってくださっていることは
確かですね。先生の次回の講演会を今から楽しみにいたしております。本当にありがとうございました。

 R.W.


 (着信時留守をしていて、7月6日に読ませていただきました)

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