「今日の言葉」 2007 (1月- 6月)


 154. 「どうなるのが一番良いかの判断は私たちの方が上です」 (06.03)

 「忘れないでいただきたいのは、皆さんは不完全な世界に生きている不完全な存在だということです。もしも完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう」とシルバー・バーチは言っている。(栞A63-l) その不完全な世界において私たちが、私たちのそれぞれに持っている能力をいかに活用するかについては、私たちに自由な選択権が与えられている。つまり、私たちは、その自由な選択権を如何に行使するかによって、霊的に向上もすれば、堕落もするのである。その結果が、私たちのこころの安らぎであったり、苦しみであったりするのであろう。

 そのような選択権の行使で試行錯誤する私たちの姿は、霊界からはすべて見通されている。守護霊たちも、常にそばにいて援助の手を差し伸べる態勢ではいる。しかし、だからといって、すべてが私たちの思い通りになるわけではない。私たちが苦しむことになる道を選んでも、霊界では敢えてそれを傍観しなければならないこともあるのである。「本人みずからが闘い抜くべき試練であるということが判っているだけに、側から手出しをしてはならないことがあるのです。首尾よく本人が勝利を収めれば、それは私たちの勝利でもあります。挫折すれば私たちの敗北でもあります。いついかなる時も私たちにとっての闘いでもあるのです。それでいて指一本援助してはならないことがあるのです」とシルバー・バーチは霊界での対応を明かしてくれている。(栞A47-f)

 ただ、そうではあっても、私たちとすれば、苦境から抜け出すことが出来なければ、「神も仏もあるものか」と思ったりしやすい。そのような私たちには、次のことばは、重く心に響く。「困ったことに人間は自分に都合のよいことが都合のよいタイミングで生じてくれることを望みます。しかし私たちはそういう期待にはお応えしかねます。私たちには私たちなりのタイミングがあります。皆さんよりは先見の明が開けておりますから、皆さんにとってその時点でどうなるのが一ばん良いかの判断は、皆さん自身よりは私たちの方が上です。地上の人間の祈りを聞いていると、もしもその通りに叶えさせてあげたら大変なことになりかねないことがたくさんあります。」(栞A4-zg)

 人生には失意や苦難はつきものであるが、やはり大切なのは、その受け留め方である。楽しいことばかりで苦しみがないのが常にいいわけでもない。私たちは改めて、つぎのようなシルバー・バーチの「苦難の哲学」を、胸に畳み込んでおくべきなのであろう。「鋼が溶鉱炉から取り出されて鍛えられるように、金塊が製錬されてはじめて純金となるように、ダイヤモンドが磨かれてはじめて輝きを見せるように、魂も辛酸をなめてはじめて其の自我に目覚めるのです。それ以外に、地上で魂が目覚めそして活動を開始するための手段はありません。苦痛や困難は不幸なことのように思われがちですが、本当はそうではありません。各自の霊的進化にとってそれなりの役割があるのです。」(栞A16-zf)






 153. 「あなたは死のうにも死ねないのです」 (04.02)

 古来、人間にとって、死とは絶望にほかならず、最も忌むべきものとして遠ざけられてきた。死から距離をおき、一日でも多く死から離れていることが、殆どの人間の抱き続けてきた密かな願望であったといってよい。しかしシルバー・バーチは言う。「物的なものには、その役割を終えるべき時期というものが定められております。分解して元の成分に戻っていきます。大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従います。が、あなたそのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます。自然の摂理で、あなたという霊的存在は生き続けるのです。(栞A2-u)

 この、人間とは本来霊的な存在であって、肉体がいのちそのものではないことが私たちの銘記すべき最も重大な真実といえるかもしれない。シルバー・バーチはそれを、こう教える。「物質はただの殻に過ぎません。霊こそ実在です。物質は霊が活力を与えているから存在しているに過ぎません。その生命源である霊が引っ込めば、物質は瓦解してチリに戻ります。が、真の自我である霊は滅びません。霊は永遠です。死ぬということはありえないのです。」(栞A39-za)

 「生き続けたくないと思っても生き続けます」といい、「死ぬということはありえないのです」とシルバー・バーチは断言する。さらにシルバー・バーチは次のようにも言った。「死は霊の第二の誕生です。第一の誕生は地上へ生をうけて肉体を通して表現しはじめた時です。第二の誕生はその肉体に別れを告げて霊界へおもむき、無限の進化へ向けての永遠の道を途切れることなく歩み続けはじめた時です。あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです。」(栞A39-za)

 霊界にいて、いのちの真実を一生懸命に私たちに伝えようとしているシルバー・バーチは、私たちがいつまでも死の恐怖に捉われていることが歯がゆくてならないようである。おかしみをかみ殺したような言い方で、次のように続けた。「そもそも死というのは少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。死は自由をもたらしてくれます。皆さんは赤ん坊が生まれると喜びます。が、私たちの世界ではこれから地上へ生まれて行く人を泣いて見送る人が大勢いるのです。同じように、地上では人が死ぬと泣いて悲しみますが、私たちの世界ではその霊を喜んで迎えているのです。」(栞A2za)





 152. 「地上生活の究極の目的は内部の霊性を開発することにあります」 (03.05)

  私たちはなぜこの世に生まれてきたか。それはこの世でさまざまな経験を積むことによって、自らの霊性を高めるためである。誕生と同時に深層意識のなかに閉じ込められてしまったこの願望を、シルバー・バーチはこう明かしてくれている。「地上生活の究極の目的は  “死”と呼ばれている現象のあとに待ちかまえている次のステージ(生活舞台)に備えて、内部の霊性を開発することにあります。開発するほど洞察力が深まります。霊性が開発され進歩するにつれて、自動的に他人へ対して寛大になり憐れみを覚えるようになります。」(栞A42-l)

 とはいえ、この霊性を高めていくのは決して容易なことではない。しかし、容易ではないからこそ、そのための努力には価値があるといえる。シルバー・バーチも、容易に手に入るものには価値がないことを折に触れて繰り返しているが、つぎのようにも言った。「私は地上の同志の方に気楽な人生、何の障害もない人生をお約束することは絶対にできません。私から言えることは、障害も困難もその一つ一つが挑戦すべき目標だということです。一つ克服するごとに、あなたは霊的に成長するのです。」(栞A21-h)

 しかも、その「霊的に成長する」機会は、私たちには一人の例外もなく誰にも、摂理によって用意されているのだという。それについてはつぎのように述べられている。「地上へ誕生してくる魂には例外なく自我の開発のための機会が用意されております。誰一人として放ったらかしにならないように摂理ができあがっているのです。それは絶対不変ですし、しくじるということがありません。四季は間違いなく巡ります。潮は数学的正確さをもって満ち引きします。花、小鳥、樹木、自然界の全生命がその素晴らしい配剤を生んだ背後の大霊への讃歌を奏でております。」(栞A29-r)

 私たちは摂理に導かれてこの世に生を享け、摂理のなかで生きている。そしてその摂理は、一人の例外もなく私たちが霊的に成長するのを見守ってくれている。この摂理の偉大さを、シルバー・バーチは自分の霊界での3千年の体験から確信をもって幾度も示してきた。ここでもそれをこう繰り返している。「すべての人間、すべての事柄が自然の摂理によって規制されております。それには手落ちというものがなく、数学的正確さをもって働き、絶対に間違いを犯しません。宇宙間のありとあらゆる存在がその中に包摂されていますから、何一つ、誰一人として排除されたり忘れ去られたり無視されたりすることがないのです。壮大なものから微細なものに至るまで、単純なものから複雑なものに至るまで、あらゆる存在を自然の摂理が支配し支え規制しているのです。」(栞A73-d)




 151.「地球は生命活動の場の一つに過ぎません」 (02.19)

 私たちはみんな、この地球に生まれて、この地球上のどこかで死んでいく。だから、この地球が私たちの生活圏のすべてである。この極めて当たり前に思える「真実」も、実は、霊的な視野でみれば真実ではない。シルバー・バーチは言う。「地球は生命活動の場の一つに過ぎません。これからもっともっと多くの生活の場を体験することになっております。それが永遠に続くのです。地上生活なんかいい加減に送ればよいと言っているのではありません。あなたが送るべき全生活のほんのひとかけらに過ぎないことを申し上げているのです。」(栞A77-q)

 この、地球上での生活は私たちが送るべき全生活のひとかけらに過ぎない、ということばには、深く考えさせられるが、本来の私たちは、「地球の子」であるよりは「宇宙の子」である。私たちの魂の故里は、実は、宇宙であって、地球ではない。そして、霊界とは、この宇宙と裏腹の関係で存在しているといっていいのであろう。私たちは、地球が生命を宿した唯一の星のように思いがちであるが、もちろんそうではない。霊的にみた地球は、シルバー・バーチによれば、「宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属します」ということになる。(栞A77-q)  そして、その地球もそれなりの進化の目標があって、私たちは、その地球をよりよい生活の場とするために努力していくことが期待されているのである。

 その進化の目標を達成していくために必要なことは、なによりもまず、私たちの本質が霊であり、全ての力の根源が霊であることを知ることであろう。その霊的知識が、人生の悩みの種となる物的な地位財産などより、はるかに貴重な永遠の富を獲得することを可能にする。「私の目には、あまりに多くの人間がその貴重なエネルギーを浪費させることにしかならない事で悩み、怖れ、取越苦労している姿が見えるのです。重点の置きどころが間違っているのです。視点を間違えているのです」とシルバー・バーチは地上の多くの人たちの霊的な無知を嘆いている。(栞A46-b)

 しかし、だからといって、地上を離れて霊界へ行けばすべてが薔薇色というわけではない。霊界というのは厳然たる界層の世界であり、段階的に上下の差がある。 霊界へ行った時に、どのような界層に住むことになるかは、この地上での私たちの生き方如何による。そのことを承知した上で、私たちの努力目標の彼方には、つぎのようなシルバー・バーチの壮麗な世界が確かに存在することを、十分に心に留めておきたい。「仮に世界最高の絵画のすべて、物質界最高のインスピレーションと芸術的手腕、それに大自然の深くかつ壮大な美を全部集めて一つにまとめてみても、私の本来の所属界の荘厳美麗な実在にくらべれば、いたってお粗末な反映ていどのものでしかありません・・・・・霊的な真理と美しさは物的なものでは表現できないのです。」(栞A40-zj)






 150. 「肉体は撃ち殺せても霊は死なないのです」 (02.05)

 人間同士の戦争をどのように理解したらよいのか。そもそも、戦争は何故なくならないのか。私たちは、戦争を考える場合、その動機にたち帰って、「なぜ戦争をしなくてはならないのか」、「両者が共通して求めているものは互いに相手を支配することなのか」を自問自答し、自らがその答えを出さなければならないと、シルバー・バーチは言う。(栞A77-p) 一人の人間の力ではどうしようもなく思えても、人類全体は“個”が集まって成り立っていることを忘れるわけにはいかない。一人でも多くの“個”が貪欲と強欲と残虐と横暴を止めれば、その数だけ平和に貢献するわけだから、私たちは、私たちの生活と行為や、言葉と思念について責任を負うことが、まず求められる。

 そのうえで、平和を求めて祈り、霊界の高級霊の道具として協力しようとすれば、その努力は必ず報われる、とシルバー・バーチは続ける。しかし、それでも、「これより先もまだまだ地上から戦火の消えることはない」らしい。それは、世界各国の政治家たちが、人類全体が一つの巨大な霊的家族であるという、単純な真理を未だに理解していないからである。彼らは、自分の家族や国民を守るためというような大義名分をしばしば広言するが、その彼らが撃ち殺そうとしている相手の家族や国民も、もともと、自分の家族の一員であることには気がつかない。シルバー・バーチはさらに言う。「肉体は撃ち殺せても霊は死なないのです。」(栞A77-p)

 別のところでは、こうも言っている。「人間はなぜ戦争をするのか。それについてあなた方自身はどう思いますか。なぜ悲劇を繰り返すのか、その原因は何だと思いますか。なぜ人間世界に悲しみが絶えないのでしょうか。その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることが出来ないために、万物の背後に絶対的統一原理である“神” が宿っていることを理解できないからです。宇宙全体を唯一絶対の霊が支配しているということです。ところが人間は何かにつけて “差別” をつけようとします。そこから混乱が生じ、不幸がうまれ、そして破壊へと向かうのです。」(栞A52-a)

 私たちは一人の例外もなく神の一部である。赤、黒、黄、白、とさまざまな色合いの肌をしているが、「そのすべてが融合し合うまでは地上にいかなる平和も訪れません。言いかえれば表面の肌色でなく、その奥の魂を見つめるようになるまでは真の平和は訪れません」と、シルバー・バーチは教えてくれている。(栞A52-c) 平和への道は前途遼遠であるが、しかし、希望がないわけではない。こう述べられたこともあった。「そのうち神の摂理が地上全土で理解され、あらゆる肌色をした人種が混り合い、お互いに愛念を抱いて生活する調和のとれた地上天国が実現する日が来ます。今のあなた方にはそうした肌の色の違いが何を意味しているかは理解できません。が、その一つひとつに目的があり、それなりに生命の法則に貢献しているのです。」(栞A52-c)





 149. 「地上生活は霊の幼稚園のようなものと思えばよろしい」 (01.22)

 私たちがこの地上に生を享けるのは、私たちが真の自我に目覚め、霊界での生活に備えるための学習をすることにその目的がある。シルバー・バーチによれば、それは、「あなたの地上生活は霊の幼稚園のようなものと思えばよろしい」ということになる。(栞A6-q) しかし現実には、その幼稚園に入ることすら知らない人が多い。霊界へは、「あまりに多くの人間が何の備えもなくやってまいります。そのため、こちらで改めて教育しなければなりません。地上でも、学校へ行かなかった大人に基本から教え直すのは難しいものですが、こちらへ来た人間に基本的な霊的教育をするのは、それよりはるかに困難となります」と、シルバー・バーチは霊界の実情を打ち明ける。(栞A6-q)

 やはり大切なことは、「死後にも生活があり、そこでは地上生活の言動の一つ一つについて責任を問われる」という真実を知ることである。その真実を知れば、私たちの人生観も一変するであろう。その真実を知るということは、何よりも貴重な霊的財産を手中に収めることになるからである。シルバー・バーチは、それをこう教える。「物的財産はいくら貯めても、それを永久に所持することはできません。地上に生きている間だけの管理人であり預り人であるにすぎません。失うことがあります。盗まれることがあります。価値が下がることがあります。色あせてきます。美しさを失います。いずれにしても、いつまでも自分のものではあり得ないのです。それに引きかえ霊的財産は、いったん手にしたら永遠に失うことはありません。」(栞A6-q)

 ただし、霊界から見ていると、私たちが、その霊的財産を手に入れる過程でもいろいろと問題があるらしい。私たちは、物的な惰眠から目覚めるまでにはさんざん時間が掛かっているのに、いったん目覚めると、こんどは急にせっかちになる、というのである。シルバー・バーチは忠告する。「霊的な進歩は着実でないといけません。近道というものはないのです。一歩一歩をしっかりと足固めしながら進まないといけません。一歩進むごとに次に進むべき方角が開けます。」(栞A7-l) そして、「霊の力は物質に勝ることを忘れないことです。霊界から働きかけやすい条件さえ提供してくれれば、いかなる障害も、いかなる困難も、いかなるハンディキャップも、霊の力で克服できないものはありません」と励ましてくれてもいる。(栞A7-l)

 私たちが、それぞれの「人生の幼稚園」で時間をかけても学ぶべき最も大切な霊的知識の一つは、おそらく、この「霊の力で克服できないものはない」という真実であろう。霊こそ実在であり、物質は霊の働きかけがあるからこそ存在できているのである。「人類がその危機的段階を首尾よく切り抜ける上で霊が圧倒的な支えとなります」とシルバー・バーチは言い、さらに、私たちの学びに必要な姿勢を、つぎのように説いた。「あなたの人生思想の根幹となるべき霊的知識にまず絶対的自信を置くことです。そしてその知識だけでは処理できない事態が生じた時は、それに信仰(信念)を加えるのです。手にされた知識を根拠とした信仰です。信仰心も、筋が通っていて論理性があり、納得のいくものであれば、それなりの効用はあるものです。」(栞A29-r)






 148. 「神は一つ、大霊は一つなのです」 (01.08)

 「そもそも教会というものが存在するようになったのは、霊力がさまざまな形で顕現したからです。奇跡と思われた現象も、霊力によって演出されていたのです」とシルバー・バーチは言う。(栞A7-l) つまり、霊力が奇跡を生み出し、その奇跡を神聖視した人びとによって教会が建てられた。しかし、今日の教会には、肝心のその霊力が欠けてしまっている。だから教会へ行っても、そこでは病気は癒されず、死別の悲しみにくれている人にも救いのことばがかけられることはない。「かつて“聖地”と呼ばれたところも、今では霊的砂漠となり、オアシス一つ見当たらない不毛の土地となっております」とシルバー・バーチは嘆くのである。(栞A7-l)

 それは、もちろんキリスト教だけの問題ではないであろう。霊的真理に無知である宗教家は仏教にも決して少なくはない。そのような人に仮に先祖のための供養を頼んだとしても、おそらくそれは何の役にも立たず、供養の意味もないであろう。シルバー・バーチは続けて言う。「私はそれぞれの宗教界において真面目に勤しんでいる人たちを非難しようとは思いません。が、その人たちは、苦しんでいる世の中の人のために役立つことは何もしておりません。教義は無味乾燥です。ドグマは不毛です。視野は旧態依然としており、新しい流れがどんどん通り過ぎていきつつあることに気づきません」。(栞A7-m)

 世界には、キリスト教、ユダヤ教、仏教、イスラム教等々、数多くの宗教がみられるが、それらを誕生させたそれぞれの起源はほかならぬ霊力であった。だから、本来ならば宗教とは、霊力を中心とする一つの大きな流れであるべきはずなのに、それが何世紀も前から様々な支流に分かれてしまい、それとともに霊力からも遠ざかっていってしまった。それが、現在の大半の宗教の実態であるといってよいであろう。そのなかにあって、スピリチュアリズムというのは、いわば、その霊力への回帰を目指す思想なのである。「私たちは霊力そのものに全幅の信頼を置き、それを唯一の拠り所としております」と、シルバー・バーチも、その拠って立つところを明確にしている。(栞A6-o)

 しかし、神そのものはクリスチャンやユダヤ教徒でもなければ、イスラム教徒や仏教徒でもない。もちろん、スピリチュアリストでもない。「地上には数え切れないほどの宗教があります。しかし神は一つ、大霊は一つなのです」と、シルバー・バーチは、断じている。(栞A6-n) そのうえで、シルバー・バーチはこうも述べた。「私どもは、どこかの礼拝のための建造物に出席することが神への義務を果たすことになるとは決して申しません。出席される方は真面目な気持でそうされているかも知れませんが、真の宗教心はその人の生きざまの中でしか発揮されないのです。各自の現に内在する崇高なる霊性の働きと切り離されたところに宗教は存在しません。」(栞A6-b)




2006.7-12へ
2006.1-6へ