6月中のホームページ更新内容について (2005.06.01) 6月中は、海外に滞在する予定で、発信が自由にできませんので、これまで毎週2回、月曜日と木曜日に載せてきた「今日の言葉」は休ませていただきます。また「メール交歓」も、6月中は、お返事ができない状態が続きます。何卒あしからずご了承ください。 「学びの栞」については、すでに作成済みの原稿により、(株)溝口祭典の佐々木薫さんが、毎日、私の代わりに入力を続けてくださることになりました。お陰さまで、このホームページの「毎日更新」だけは、今までどおり維持できそうです。佐々木さんのご協力に厚くお礼を申し上げます。 さまざまな試練を前向きに受けとめていく (2005.05.28) E. S. 様 メールを繰り返し拝見させていただきました。「学びの栞」を読んでくださるようになるまでの道のりは、あなたにとって決して平坦なものではなかったと思いますが、そのあなたが、まだ32歳ということに、私は一筋の強い希望の光のようなものを感じています。私は、50歳を過ぎても、まだ何もわからず、わかっていないこともわからず、ただ、世間の「常識」に流されて生きていましたから、誤解を恐れずに言わせていただきますと、そのような私からは、あなたはまぶしく、羨ましくもあります。 私は、長い間、人生に立ちはだかる様々なハードルの意味がわかっていませんでした。悲しみも苦しみもない順風万帆の生活が幸せで、病気で悩んだり、人間関係で辛い思いをしたり、生活が楽でなかったりすることを不幸だと思い込んでいました。むしろ、それは逆であることに気がつくのが遅すぎたような気もいたします。 「悪戦苦闘すること、暗闇の中に光を見出さんと努力すること、嵐との戦いの末に再び太陽の光を見てその有難さをしみじみと味わうこと---魂はこうした体験を通して初めて成長するのです」というような、シルバー・バーチのことばには、本当に勇気づけられますね。もちろん、悲しみや苦しみの意味がわからなかったら、悲しみも苦しみもそのままで終わってしまいますが、あなたのように、シルバー・バーチに「生きているうちにたどり着けたことが、自分にとってはとても幸運」と思っておられる方には、大きな共感と安堵感のようなものを感じさせられます。 「修行」は決して楽なものではなくても、それはいいことなのですね。「低く身を沈めただけそれだけ高く飛躍できる」ことに希望を託しながら、これからの貴重な人生を歩んでいく上で、あなたの明るく力強い足取りをこころから期待していたいと思います。 シルバー・バーチの教えにたどり着いて (2005.05.28) こんばんわ。はじめまして。私は名古屋に住む32歳の女です。今までシルバーバーチという方の本も読んだことがなかったのですが、江原啓之さんという方が最近TVで活躍されていて、その方の本が図書館にありたくさん読ませていただきました。江原さんがシルバーバーチにあった時のこともかかれていました。それで名前を知ったという感じです。
インターネットで検索したら、武本様のシルバーバーチの「学びの栞」にたどり着き、毎日少しずつ楽しみに画面越しに読ませていただきました。まだ全部は読めていませんが、これから徐々に楽しみに読ませていただきます。本当に目からうろこを超える内容ばかりで発見の連続です。シルバーバーチに生きているうちにたどり着けたことが、自分にとってはとても幸運だったと思います。 しかしながら、ここまでの道のりは自分にとっては、とても楽なものではありませんでした。いまだに精神科に通い、薬を飲んでおります。4年前にほとんど自分の意思が自分の意思とは違う方向にどんどん進み、結婚を失い、色々なことが歯車がおかしくなって、とうとう一ヶ月夜中になると暗闇の中歩きながら泣き続けていました。その後脳みそが壊れていました。あちこちの病院にいき最後にたどりついたのは精神科。いまだに普通の生活は送れず。短時間のパートというありさまです。死にたくて死にたくてその気持ちが離れなく横になれば悪夢を見るという感じです。とても真面目に働いてきた両親になんの親孝行もできずに32年間の人生がこんな状況になっていることにも本当に残念です。 シルバーバーチの教訓を少しずつでも読ませていただいているうちに、私は今までのやってきたことが自分の本来の人生のレールから脱線する要因になっていたという感じがしました。私は22歳の時に重症なアトピー皮膚炎から逃れたくいろんな情報を探していました。その中でインドにいるサイババというかたに会いにいきました。その方の言われている本がとても愛にみちていると思ったからです。
その方の本には無私で愛に満ちた奉仕がエゴを消滅させるには、とてもいい手段ということがかかれていました。病気のカルマも、貧しい方や、障害を持つ方や、困っている方の奉仕でぬぐいさられるといったことも書かれていました。その本を読んだことをきっかけに私は7年くらい、サイババを信仰する方と一緒に月2回ホームレスの方への食事の奉仕をさせていただきました。 障害者の方への奉仕もさせていただきました。そしてサイババの定例会にも時々参加しておりました。が、どこかでやっぱり、自分の魂が納得がいかない部分もあったのです。病気がアトピーということもあり、いろんな宗教の方にも声をかけられました。でもやっぱり宗教では救われないことも十分に身にしみていました。自分の魂がなんか、しっくりこないのです。そして、4年前の出来事がおこりました。 武本様の「学びの栞」に出会う少し前に、自分の部屋にある宗教の本とかいらないものは、全部捨てました。部屋ががらーんとなり、すっきりしました。それとともに、重荷がとれた感じになりました。そして、今にいたります。 今の自分はシルバーバーチの言葉に目からうろこです。感動をしています。人生を遠回りしてきた自分にはとても感動をもたらす言葉ばっかりです。このようなHPに出会えてとてもうれしく思います。感謝しています。 はじめてメールさせていただくのに、長々と文章を書いて申し訳ありませんでした。 E. S. 大英心霊協会での貴重な体験 (2005.05.11) 武本昌三様 こんにちは、江上 知子です。昨日、ヨーロッパから帰国いたしました。言葉が少々たいへんでしたが、季節もよく、とても楽しいときをすごすことができて本当によかったです。邦子さんにお会いすることができなかったのは残念でしたが…。 ロンドンでは早速SAGBにうかがいました。受付のかたも、わたくしのたどたどしい英語を一生懸命聞いてくださり、ヴィッキーさんとキースさんのシッティングをうけることができました。おふたりとも、英語のよくわからないわたくしにもゆっくりといろいろ話してくださり、また母のことも伝えてくれました。録音してきたものをまだ訳していないので、詳細わからないところもあるのですが、何も伝えていないのにわたくしの職業のことなどを言われまして、とても驚きました。 また、キースさんは母がなくなったときのことを詳しく教えてくれました。母の母、わたくしの祖母がむかえてくれて、ぎゅーっと抱きしめてくれたから怖くなかったということ、またわたしのことをとてもいい子だったといってくれていたようです。もう数十年も会っていなく、そのまま亡くなってしまいましたので、どんな気持ちでいたのかとずっと気にしておりましたので、それを聞いて本当に心から安心しました。 このほかにも、30分という短い時間でいろいろなことをお話してくださいました。キースさんは12月に日本にいらっしゃるとのことでした。 今回は時間の関係でデモンストレーションを見ることはできなかったのですが、シッティングを受けられただけでもとても貴重な体験でした。邦子さんからも情報をいただいていたとおり、ベルグレーヴスクエア周辺は本当に閑静なたたずまいで、まわりをゆっくり散歩することもできました。 シッティングの内容につきましては、また詳しいことがわかりましたらご連絡させていただきます。本当にありがとうございました。もしヴィッキーさん、キースさんにお会いすることがありましたらどうか御礼を伝えていただければとおもいます。 取り急ぎのご報告ですが、またご連絡させていただきます。 江上 知子 今年の講演会開催日について (2005.05.07) 11月6日(日)開催予定のお知らせ 溝口祭典「こすもすセミナー」の講演会は、先に、講演者の都合で 「10月に開催の予定」 とご案内申し上げましたが、開催日は11月6日(日)になりました。 講演会の詳細については、8月ごろ、改めてお知らせいたします。何卒ご了承ください。 愛する人との別れをどう受け止めていくか (2005.05.02) 瀬野彩子様 メールを拝見しました。先月のお父様のご逝去のことを知り、遅ればせながら、こころからご冥福をお祈り申し上げます。 霊界へ旅立たれたお父様がご家族に支えられている姿を見ることができて安心されたというのは恵まれていますが、それでも、「人間としての」あなたは、いろいろと悲しく辛い思いをされていることだろうと、お察し申し上げます。最近、私の身近なところでも、死別の悲しみがあって、私はあらためて、残された家族の「大変さ」をつくづくと感じさせられました。 死というのは人間の一人ひとりが例外なく通り抜けなければならない厳粛な関門ですが、その見方や受け取り方は、一人ひとりが同じではないようです。いつか必ず別れなければならないとしても、その「いつか」をどう受け止めるか、ということも私はよく考えさせられます。 その「いつか」は、私の父の場合は60歳でした。妻の場合は47歳で、長男は21歳です。狭い視野で考えれば、例えば、100歳と21歳の差は、耐え難く大きいものになりますが、広い視野で捉えていけばその差は限りなくゼロに近づいていきます。残るのは、差ではなくて質ということになるでしょうか。故人に対してはいつでも「もっと生きていてほしかった」という世間の「常識」がありますが、本当は、それも一定の条件付ではないかと思われることもあります。 でも、あなたの言われるように、「やはり愛する人の死はきつい」ですね。そのあなたのことばに強い共感を覚えながら、なぜ神は人をこの世とあの世に分けるのか、私もあらためて考えさせられています。 神はなぜ人をこの世とあの世に分けるのか (2005.05.02) 武本昌三先生 凡庸なる生活の中に突如襲ってくるかけがえのない家族の死。自分の心身からは、その家族がこれまで自分を生かしてくれていたことを感じます。 4月9日に父が他界しました。年も年なので天寿をまっとうしたようにも思います。しかし、私が生まれた時から存在する父親のその死、その死後のことなど、私には想定外でした。父は亡くなって、霊体となり浮かんでいました。父の両脇には霊である私の息子と兄がしっかりと父を支えていました。私はそれを見て安心し、それからあまり父を見ようという気はしていません。 しかし、人間としての私がいました。息子が亡くなった時の大変さがまるで再現されたかのようにドーッと押し寄せてきて、これが一番参りました。また四十九日もそうなるのかと思うとヒヤヒヤものです。 何日かして次に、父を亡くした悲しさがやってきました。今は、父という最大の庇護者を失った不安がやってきているというところです。何かといろいろやってきて忙しいです。ハテ、その次は何がやってくるのか、人間の心理とは自分の心理でも読めません。やはり愛する人の死はきついですね。神は、なぜ人をこの世とあの世に分けるのか、まあいろいろあるだろうけど、そういう面倒なことをしなくてもいいではないかと思ってしまいます。 この連休はひたすらボーッとしようと思っています。父の死後5日目に大空の会(子どもを亡くした親の会)で、その後はたまっていた仕事をバタバタとやり、何かボーッとする暇もありませんでした。 どうぞ、先生も有意義な連休をお過ごしください。 瀬野彩子 暗闇があるから存在し得る光 (2005.04.30) M. N. 様 メールを拝見して、しばらく考えさせられていました。大きな重荷を背負っておられることはわかりますが、その重荷の中味が何であるかをうかがい知ることのできない私には、率直に申し上げて、その重荷はどうすれば少しでも軽くできるのだろう、と私自身も迷うばかりです。そのような私には、どこからか、あの「マタイ伝」(11-:28)のことばが、耳に響いてきます。 《すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。》 あなたのメールを拝見していて、こころの安らぎを得るためにあなたが必死になって努力されているのはよくわかります。そして、その姿に私は一筋の希望を感じ取っています。しかし、あなたは「日が立つにつれ、ますます、どうにもならない心しか残りません」といっておられます。 一つだけ申し上げておきたいのですが、そうお思いにならないで、やがて、必ずこの暗闇から抜け出ることができるのだというように、お考えになることはできないでしょうか。明るい朝の来ない暗い夜は決してないように、光の訪れない暗闇というものはありません。そもそも、暗闇があるからこそ光も存在し得るからです。深い闇に沈むことによって、より明るい大きな光に到達することができるという「真実」をどうかいま思い出してみてください。 おそらく、あなたは、こういうことも、いままでいろいろと学んでこられてご存知のはずではないでしょうか。同じ暗闇のなかにいても、その暗闇の意味を知っているのと知らないのとでは、大きな違いがあります。それが、こころの平安へ向かっての分岐点になるのかもしれません。たしかに今は辛いかもしれませんが、それはあなたが光へ導かれるために与えられたひとつのハードルであると考えて、どうか、元気をだして乗り越えていかれることを、期待したいと思います。 希望のもてない暗闇のなかで (2005.04.30) 武本先生
一年ぶりに、メールをさせていただきます。 あっという間に過ぎた一年でした。その間、イギリスの大英心霊協会へも行ってきました。 また、先生のお話しも聞きに出かけました。いろいろな本も読みました。どうにか、真実に近づこう、理解しようと、自分自身、努力をしてみました。しかし、日が立つに連れ、ますます、どうにもならない心しか残りません。 死んだら楽になるだろう、しかし、周りの状況を考えると、それもできません。はやく、30年ぐらい経ってくれればいいですが、毎日、息をしているだけで、未来も希望もありません。楽しみも喜びも探すことができません。先生のホームページの最初にかかれている、「希望をもって生きていくために」が全くできません。 今回の、鉄道事故の犠牲者が、私の場合とだぶります。わたしは、どうなってしまうのでしょう。 M. N. 春雨の降り続くロンドンより (2005.04.27) 武本先生 お手紙ありがとうございます。私のつたない文章を先生の格調高いホームページに載せていただき恐縮しております。 通訳の件ですが皆様ご不安なお気持ちよくわかります。しかも外国旅行という緊張感も手伝って通常以上にナーバスになられるのかもしれません。しかしドイツ語やフランス語とは違い、英語ですので大半の皆様は何とかなると私は思います。しかも sittingは30分しかありません。通訳が入ると時間が余分にかかります。へたな通訳にあたると2倍はかかるという点におきましても自力でなさるのが理想的だと思います。しかしご年配の方やせっかくおいでになりたいのにお言葉の面であきらめていらっしゃる方もおいでだと思います。私のできます範囲でお手伝いさせていただきたいと思っております。 先日お話いたしましたスピリチュアルチャーチでのポールミーク氏のお話とデモンストレーションは素晴らしいものでした。彼のお話は魂にぐんぐん入ってきました。デモンストレーションも当てられた人は皆さん涙涙でした。優秀なミディアムというのはどこの国にもいますが、英国は少なくとも「その場が数多く安価で一般人に与えられている」という点で先進国だなと感じました。そのチャーチのページをここに貼らせていただきました。お手すきの時にご参考までに。 http://www.spiritualmission.co.uk/missionindex.htm それではまた。 ノーマンテイラー邦子 大英心霊協会への訪問について (ロンドンから) (2005.04.26) 武本先生
桜の咲く季節になりましたね。「ともしび学級」の生徒として、早2年目に入りました。いつもお心のこもったお返事をいただいて、心から感謝いたしております。
しばらく、ウィーンでのことを思い出しては、気分が沈みがちになっていましたが、これも確かに意味があってのことと思いました。今になって、あの時の自分の気持ちを思い起こしてみると、星野さんのあの菜の花のように、私も強くなったように感じました。「あなた幸せなんでしょ?私、幸せな人は大嫌い!」と言われ、一歩間違えば、殺されかねない状況にいながら、「私は幸せなんかじゃない!」と言って命乞いすることもなく、心の中で「確かに私は幸せよ」と呟いていました。 そういえば、彼のお母様と「幸せ」についての意見が合わなくて、深い溝ができていたように感じていました。真の幸福って何だろう?それからずっとそんなことを考えてきたように思います。 帰国してから、お土産を送りましたが、先日、お礼のお手紙を頂きました。私の今回の旅が偶然ではなく、やはり彼に導かれたものであったことを、お母様も理解されたみたいでした。オーストリア、ハンガリーはご両親にとっても思い出の深い所だったようです。その手紙は「お幸せな日々をお過ごしのご様子が伺えて本当に嬉しく思って居ります。いつの日かまた御目文字を楽しみに致しております。」と結んでありました。そのお言葉でやっと私にも本当の春がきたような気がしました。 最近、また、赤い小さな星のようなものが、私の目の前をゆっくりと通りすぎることが何度かありました。「僕はここにいるよ!」という意味なのでしょうか。そんな時は「見えるよ!ありがとう!」と言えるようにもなりました。するとその光は、安心したように消えていきました。 旅行の前日に、近くの店で時計を2つ買ったのですが、それらは同じ星型をしたキーホルダーのついたもので、一つは文字盤のところが赤で、もう一つはそこが青のものでした。旅行中、赤の方をオーストリア・ハンガリーの現地時間に合わせ、青の方を日本時間に合わせて、2つ一緒に貴重品の入ったバックにつけていました。今もその時のまま、二つの時計はそれぞれの時を刻んでいます。 先生におっしゃっていただきましたが、私もようやく、今回の旅が「いい旅」であったと思えるようになりました。二度と見たくないとまで思ったあの女性の写真を、今日見ました。集合写真なんですが、なぜか、その人が一番、優しそうに写っていました。「あの時は脅かしてごめんね!」という声が聞こえてきそうな気がしました。 ウィーンでは、自分へのお土産に、「エーデルワイス」のペンダントと「サウンドオブミュージック」のCDを買いました。今、ハプスブルク海軍のトラップ大佐の「エーデルワイス」を聞きながら、本当にいろいろと学びの深い、良い旅をしてきたことをあらためて知りました。 R. W. 折に触れて思う「許す」ことの大切さ (2005.04.05) Y. W. 様 メールを有難うございました。 「学びの栞」(B-3) にも載せてありますが、聖書のなかに次のようなことばがあります。 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。 (マタイ6章14-15 ) そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七度までですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい」。(マタイ18章21-22 ) 私は、「許す」ということでは、いろいろと反省しなければならないことが多く、この聖書のことばを、折に触れて思い出します。「許せない」と思っている自分は、おそらく、まわりから見ても、自分自身が「許せない」存在なのでしょう。人を許すということは、結局、自分を許すことなのかもしれません。 許すということ (2005.04.05) 武本先生 返信ありがとございます。確かに、人間には長所も短所もあってみんな各々違います。先生のこのお言葉で、金子みすずの「わたしと小鳥と鈴と」を思い出しました。 わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが 飛べる小鳥はわたしのように 地べたを早くは走れない わたしが体をゆすっても きれいな音は出ないけれど あの鳴る鈴はわたしのように たくさんな歌は知らないよ 鈴と小鳥と それからわたし みんな違って みんないい 当然のことなのに、当然すぎてつい忘れてしまうこの事実。自分と異なるものを"許せない"と言っていたら、世の中は争いだらけになってしまいますよね。自分自身、不完全だという事を忘れないでいれば、常に余裕を持って他人と接する事が出来るような気がいたします。 今後「許す」心を忘れそうになったら、“人間はみんな不完全で、各々違う”という事を思い出すように心がけたいと思います。 Y. W. 「たいがいのことは許す」というこころ (2005.04.03) Y. W. 様
重ねてのメールを有難うございました。西田さんのホームページに掲載されている「掲示板の投稿」は、本当にいいことばですね。そして、真実のことばというのは、真実であるがゆえに、常に、こころに響く力があります。 人間には、どんな人間にも長所もあり短所もあります。ですから、それを、別の長所もあり短所もある人間が判断しようとすると、その判断も、ときには、不確かなものにならざるを得ません。つまり、見方はいいほうにも、悪いほうにも、いくらでも変わっていくということだろうと思います。ある人との関係で、その人によって苦しめられている、と考えている自分がいるとすれば、それは、実は、自分が自分自身を苦しめている、ということなのかもしれません。 むかし読んだ本のなかで、人間関係の悩みや苦しみを綿々と訴えている人に対して、「誰か汝を縛する!」と一喝した和尚の話がありました。お前は苦しい苦しいというけれども、ほんとうは誰もお前を縛り付けたりはしていない。お前を縛り付けて苦しませているのは、お前自身だ、「誰か汝を縛する!」というのでしょう。 あなたからのメールを拝見していて、西田さんのホームページに載せられていることばに共感しながら、むかしの、そんなことばを思い出したりしています。 学ばせていただいていることに感謝して (2005.04.03) 武本先生 いつもの事ながら、温かいお言葉をありがとうございます。しかし、私はまだまだお褒めに預かれるような人間ではございません。彼の事は恨んでおりませんが、彼のお母様の取った態度は許したのではなく、単に忘れようとしているだけです。 そんな自分を「光への道を1歩1歩着実に歩んでいる」と言ってくださる先生に申し訳なく、本当の事を書こうと思ったところに、今日の「メール交換」に掲載されていた西田様のメールを発見。何気なくメールの最後に記されていたホームページを読み進めていくうちに、“完全な人間なんて、一人も居ないのです。自分が完全でなければ、人に完全を求めてはいけない。その諦めが根底にあれば、たいがいの事は許すという心を、養えると思います。(掲示板の投稿から)”という言葉に出会ったのです。心にずしりと響きました。 今の私にはこれ以上の言葉はないと思います。また学ばせて頂いた。恐らく、別のタイミングで出会っていたらこれほどの感動はないと思います。 光により近い所に居るはずの妹に出会うためには、自分も日々精進しなければ、と反省の連続なのですが、こんな風に学びのチャンスを与えてもらえるのは、まさしく天からのプレゼントなのかもしれません。“求める者には与えられる”とはこういう事なのでしょうか。本当にありがたいことです。 こんな風に見守れている事を忘れず、“春の野の草花のように素直で美しく”いられるよう努力したいと思います。 Y. W. 春の野の 草花のように素直で美しく (2005.04.02) Y. W. 様 あなたのメールを拝見していて、私はイギリスの春を思い出していました。いまごろはラッパ水仙の季節で、家々の庭先でも、郊外の田舎道などでも、いたるところに鮮やかな黄色の花びらが風にそよいでいるはずです。田舎道をドライヴしていたときなど、そのあまりの可憐な美しさに、しばらく車を停めて見入ったりしたこともありました。水仙はベルギーやオランダ、ドイツなどでも見られますが、見慣れていたせいでしょうか、私には、春といえば、イギリスのラッパ水仙がまず、頭に思い浮かびます。 人に対して恨みの感情をもつことは世間にもよくあることで、私にも経験がありますが、これは苦しいですね。私は、長年、国立大学に勤めていて、比較的順調に昇進し、文部省在外研究員や、フルブライト上級研究員にも選ばれました。しかし、同僚のなかには、私より先任でありながら、昇進も遅れ、海外へもなかなか出られなかった人もいました。そのような人のひとりが、私のフルブライト客員教授としてアリゾナ大学から、ノース・カロライナ大学へ移るとき、アメリカ滞在が2年目になるということで、「足を引っ張る」というのでしょうか、何かにつけて、国立大学での承認に反対したのです。 ひとりでも私の滞在延長に反対なら、帰国してもよかったのですが、私はそうしませんでした。大学の前例に反して反対する者がいるということで、意地になって、延長に踏み切ったのです。大学の教授会へは、承認に反対できないような書類を揃えて送り、滞在延長を認めてもらいました。その結果、私はノース・カロライナへ行き、その年の夏休みに、東京から呼び寄せた妻と長男が、帰国の途中、あの事件に巻き込まれてしまうことになります。 私は、この男さえいなければ、ノース・カロライナへ行くこともなく、ノース・カロライナへ行かなければ、妻と長男を失うこともなかった、という身勝手な理由で、長い間、その「足を引っ張った」ひとりの同僚を恨み続けました。公開質問状を出して返答を要求したりもしました。しかし、こういう恨みは本当に苦しいですね。相手に思い知らせてやる、というよりも、その前にまず自分自身が深く傷つきます。自分で毒素を吐き出して、その毒素がすべて自分に跳ね返ってくるようなものです。 今では、あれも、一分一厘の狂いもなく働いた「天の摂理」によるものということがよくわかるようになりました。あの事件に巻き込まれたのも、あのときの私には「必要」であったからでしょう。それは、決して偶然というものではなく、必然であったと思わざるを得ません。事件後何年もたって、ある高名な霊能者から、「事件に巻き込まれたことを喜んでください」と言われたときにも、私はそのことばに異を唱えず、素直に納得していました。私はそれでやっと、人を恨むことの無意味さを、あるいは、愚かさを学んだことになるのかもしれません。 妹さんのことで、彼を「恨まなくてよかった」といっておられるあなたは、それだけでも以前のあなたとは違います。悲しみや苦しみから誠実に学びながら、光への道を一歩一歩着実に歩んでおられるあなたに励まされるようにして、私もつい、自分の身の上話を聞いていただくような、長い返事を書いてしまいました。ドイツでは、まだまだ花の季節が続きますね。最後の年の春を、どうぞ、こころ安らかに過ごされますように。 人を恨まないでいることの救い (2005.04.02) 武本先生 ご無沙汰しておりました。年初めに温かいお言葉を頂きながら、何のお礼も申し上げず申し訳ございませんでした。いかがお過ごしですか?先生のホームページはほとんど毎日欠かさず見ております。 ここドイツは、3月中ごろより急に気温が上がり、クロッカス、水仙等の花々が一気に芽吹きました。長く暗い冬から目覚めた花の美しさは例えようもありません。こちらでの滞在も後残り1年を切り、これがドイツ最後の春かと思うとその美しさは一層心に染み渡ります。 まだまだ乗り越えなければならない山は沢山ありますが、お陰さまで、今は昨年とは比べようもないほど気持ちが落ち着いております。これもひとえに先生の温かいお言葉のお陰です。本当にありがとうございます。 実は今年に入ってからちょっとした事件がありました。妹のボーイフレンドが3月に結婚したのです。その報告をもらったのは2月。私達家族は、「彼もひどく心を痛めており、未だ立ち直れていない」とずっと思っておりましたから、その報告を受けた時はかなり動揺いたしました。彼は私達に気兼ねしてずっと演じていたのだろうか?又嫌な記憶が蘇ってきて、しばらく1人悶々としておりました。 妹は彼とずっと一緒になりたいと思っておりましたが、彼のお母様が大反対だったようで、お付き合いしている時も、妹が電話をかけると一方的に電話を切られたりしていたようです。理由は良く分かりません。妹が心の病であった事は御存じなかったようなので、だとすると宝くじ売り場のパートだったからなのか??? 妹は何度か「正社員で働かないといけないのかな〜?」と洩らしておりました。そして、彼に新しい彼女が出来、破局を迎えたのですが、そのお相手は彼と同じく学校の先生。 別れ話の後、電話で泣きながら「相手は学校の先生だからかなうわけない…」と私に訴えた妹の言葉が何度もこだまし、ただただ悔しくて1人泣いておりました。妹が亡くなってまだ1年しか経っていないのに、それをかき消すかのように慌てて結婚。こんな恨みがましい気持ちをどうする事も出来ずにおりました。しかし、この時の先生のホームページの「学びの栞」は“敵に対しても愛を”だったのです。 それと同時に、“妹ならこんな時何と言うだろう?”と考え、自分の恨みがましい気持ちを反省いたしました。あの子は、絶対に人を恨んだりなんかしない。それに、私が彼や彼の家族を恨めばきっとその事を悲しむに違いない。理由は分かりませんが、何故かそう確信し、自分の気持ちを静めることが出来ました。また、Londonで受け取った妹のメッセージ “今も変わらず彼を想っている” を思い出しました。 あの時、私も両親も彼に結婚話が出ている事を全く知りませんでしたが、妹はそれを分かって敢えてそう伝えたのでは、と今になって気付きました。妹と彼がこの世で結ばれなかったのにはきっと何か意味があるのだろう、今はそう思っております。 母の方も、最初は相当ショックを受けておりましたが、何度かやり取りがあって、彼が涙ながらに「今まで語った事(今でも妹を忘れられないといったような事)に偽りはない」と訴えるのを聞き、お互い気持ちよく別れることが出来たようです。(彼はこの春の異動で、私の実家のある町から離れた所に引っ越すそうです。)私も彼に手紙で自分の気持ちを伝えました。彼からも丁寧な返事をもらい、恨まなくて良かったと今は心からそう思っております。 実はこの事件が起こった時、夫は2週間の出張中で私は1人だったのです。こんな時に何故?とも思いましたが、きっとこれにも何か意味があったのでしょう。私に“学べ”という天からのメッセージだったのでは、と思っております。そしてこのイースター中に、今度は素敵な偶然が起こりました。 私達はイースター休暇をアイルランドで過ごしました。妹は映画 “タイタニック”が大好きだったのですが、実はアイルランドに発つ前の日、TVで“タイタニック”が放送されたのです。後から知ったのですが、実際のタイタニック号が最後に寄ったのもアイルランド。そして、映画 “タイタニック”の3等船室で繰り広げられたどんちゃん騒ぎで踊り舞うシーン。これもアイルランドのダンス音楽だったそうです。 そして、旅行から戻り、フランクフルトの空港の駅で何気なく外を見ていると、アジア人の女の子が4人、向かいのホームに座っていました。その中の1人が、妹にそっくりだったのです。既に電車に乗っていた私は、電車から降りて妹の名前を叫びたい気持ちに襲われました。こんな事ってあるんですね。知らない人が聞いたら単なる偶然でしょうが、私には妹からのメッセージに思えてなりません。そしてその夜、久々に祖母と妹が夢に現れました。 アイルランドは敬虔なクリスチャンの国だそうで、至る所でマリア像を目にしました。 また、十字架に円形を組み合わせたケルト十字。ガイドブックによると、円形は輪廻の思想を表すとも言われているそうですね。キリスト教でありながら生まれ変わりを信じるほかのヨーロッパとは違う独特の宗教観。私は元々、“エンヤ”というアイルランドのミュージシャンが好きでアイルランドに興味を覚えたのですが、今は違う意味でも又訪れてみたいと思わせてくれる国です。 最近、何か壁にぶち当たると、どこかでその“答え”に出会う事が多いのです。「学びの栞」、「今日の言葉」は然り、本であったり新聞であったり、インターネットのニュースであったり。その度ごとに感謝している毎日です。 私事ですが、1年以上を経てピアノを再開いたしました。私も妹も長年ピアノをやっていたのですが、あの件以来ピアノに触れる事すらしませんでした。また始めよう、と思えたのも、妹が背中を押してくれたからではないかと思っております。 元気で過ごしている事をお知らせしたく、長々と私事を書き連ねてしまいました。最後までご読んでいただいてありがとうございます。今後も日々学びながら、前向きに生きていきたいと思っております。先生もお身体にお気を付けて。 Y. W. 忘れられない真理と愛のことば (2005.04.01) 西田敦子様 メールを有難うございました。大空の会での講演でお目にかかったことを私はよく覚えていますが、あなたの書かれたあのホームページのことばは、私の胸に深くしみこんで、いまも、忘れることはありません。これまでも紹介させていただきましたが、この機会に、あらためて書き写させてください。 子どもを亡くすことは決してお気の毒なことでも不幸なことでもありません。亡くなった子どもは佛様に近い高い霊性(たましい)なので この私に「無限の光に抱かれる安心」を教えてくれるために 私の子どもとして産まれ、短い命で死にました。 今では慈悲(愛)に満ちた浄土(天国)から苦しみの多い人間界の私を心配して あの手この手で私を助けてくださっています。 子どもが亡くなることは親より子どものほうが立派過ぎて 飛び級でお浄土(天国)に迎えらられるという祝福すべきことと思っています。 だからとっても幸せで感謝の気持でいっぱいです。 これを読んでいて、「飛び級でお浄土に・・・・・」のところまでくると、私はいつもちょっぴり涙が出そうになります。おそらくシルバー・バーチもこれを読んでくれていることでしょう。そして、あなたのような素晴らしい母親がおられることを喜んでくれているに違いありません。 「今日の言葉」(25) にも書きましたが、シルバー・バーチの教えは、多分、「20世紀の人類にとって最大最高の奇跡」といってもいいのでしょう。しかし、それでも、そのことに気がつかない人も大勢いますし、はじめから近寄ろうとはしない人も決して少なくはありません。やはり、霊性への目覚めは人さまざまで、いろいろな試練を経て魂が磨かれ「受容性」が高められていくほかはないのかもしれません。 あなたの明るいメールに、私も教えられ励まされていることをお伝えして、私のほうからも厚くお礼を申しあげます。 シルバー・バーチにめぐり合えた幸せ (2005.04.01) 武本先生 こんにちは ご無沙汰しております、ハピネスの空句こと西田敦子です。こすもすセミナーや大空の会の講演会では素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました。武本先生も紹介してくださった『シルバーバーチの霊訓』は私にとって今までの人生を振り返り最高の座右の書となりました。あらためて感謝申し上げます、ありがとうございます。 最近は死別体験者の人たちとの交流だけでなく シルバーバ−チの好きな仲間たちとの交流も自然で楽しくなりました。中でも一番親しくしているのは5人も健康なお子さんをお持ちの海さんです。愛する我が子や伴侶との死別体験はありません。彼女はこの世の我が子のことを、私はあの世の我が子のことを自然に楽しく話します。 「君と僕との間には国境がない」という歌詞があるように、「君と私との間には生と死の境はない」ということを実感できる仲間です。ここでの仲間は皆、子供を亡くした私のことを「お気の毒」という同情や憐れみの気持ちを全く持っていません。 シルバーバーチの本に出会えたこと 本当にうれしいです。今の私があるのも武本先生のお陰です。あらためて感謝!感謝です、ありがとうございます。また最近、シルバーバーチの霊訓に感銘を受けながら僧侶をされているそよ風さんと出会い疑問に思っていたことがすっきりしたことも嬉しいです。 シルバーバーチ霊訓1〜12まで読み終え、疑問に思ったことがあります。それは毎日仏壇に向かい我が家の宗派のお経を読んでいましたが、それは無意味なことではないか。ただ、利他愛の実践と祈りというシンプルな日常こそが大切なのではないかと思うようになったのです。 葬儀をしたお寺から法要の案内がくる度、主人の両親や主人と一緒に参加する必要はないし、阿弥陀さまの絵像に向かい型にはまったお経を称えることは必要もない。それで、一時期、お寺に足を運ぶのも仏壇に向かうのもやめていました。 シルバーバーチ繋がりの友達、フリーの僧侶として葬儀法要を請け負うお仕事をされているそよ風さんにその話をしたら、彼も私と同じような疑問を持っており、僧侶をやめるべきではないかと悩んだそうです。 そよ風さんはシルバーバーチの本の翻訳をされている近藤先生も参加されている勉強会でこのことについて近藤先生に相談したそうです。その時、近藤先生は霊界では宗派の問題は関係ないので、気にしないで良いのではないかということと、遺族の為にこそ葬儀の意義が見出せるということをお話してくださったそうです。 また、近藤先生は、霊訓の中にもシルバーバーチが牧師からの相談を受けた際に、教会を辞めるべき人と、中に残って真理を広めるべき人がいることも指摘され、これまでに学んできた宗教の知識を、スピリチュアリズムの視点から再構築してみてはどうかともおっしゃったそうです。 また、そよ風さんは、霊能者にも相談したことがあるそうですが、その霊能者の指導霊からのご返事は、失望することがあるかもしれませんが、それは人間として自然なことであり、仕事を辞める必要はない。交霊会がスピリチュアリズムの全てではないけれど、ご縁があってシルバーバーチのような高級霊の指導を受ける交霊会に参加したいと思うなら、より深く霊界のことを学び、同じようにご神仏への正しい志を持つ者と同じ時間を共有したほうが良い、と指導を受けたそうです。 私はそよ風さんのお話を聞いて、意固地にならないで主人の両親や主人とお寺の行事にも参加し、そのお付き合いの中で機会があれば自然な流れの中でスピリチュアリズムを語ればいいし、せっかくご先祖代々ご縁のあった仏さまに手を合わせるのもいいではないか、と思えるようになりました。 利他愛の実践と言って特別な奉仕活動もいいけれど、やはり私にとって身近な身の回りから、家族ともほどほどに譲り合ってつき合うことが大切なのだと思えるようになりました。 シルバーバーチの本をご縁に嬉しい出会いが次々あり、武本先生にお話ししたくてついつい長くなってすみません。武本先生との佳き出会いありがとうございます。今後ともお導きくださいますようお願いいたします。 空句こと 西田敦子 http://www2.tba.t-com.ne.jp/happinss/ |
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