霊界からの真実のメッセージに救われて (2005.12.27) Y. W. 様 メールを有難うございました。いつものことですが、あなたの妹さんに対する深い思いやりの気持ちにこころを打たれます。ドイツからロンドンまで行かれて、大英心霊協会で満足できるメッセージが得られてよかったですね。あなたの妹さんへのひたむきな愛情が強いエネルギーとなって妹さんのところへ届き始めたということでしょう。妹さんも霊界で、あなたのお気持ちをうれしく受け留めながら、あなたにこころから感謝していることと思います。 妹さんが霊界で生き続けておられることを確信できたのは大きな救いですね。私の場合は、妻と長男の他界のあと何年も苦しみ続けていたのに、ある時の「対面」で、疑うにも疑いようのない証しを示されてからはその苦しみがすーと消えてなくなり、こころの底からの安堵感を覚えました。私は、ことあるごとに思うのですが、やはり無知ほど恐ろしいものはありません。自分が真実を知らず、無知のままで苦しむというのは、霊界に居る妻や長男も苦しむということですから、いまでは私は、その自分の無知を、妻や長男との対話の中でいつも詫びています。長い年月、霊界の真理とは遠いところで生きていたために、私の場合は、人一倍の大きな回り道をしてしまいましたが、その私の迷いの足跡を多くの人々が、同じように辿ることのないように、こころから祈るばかりです。 妹さんは、本当はご自分で飛び越えられるはずであったハードルを、飛び越えられないと思い込まれて飛び越えるのをやめてしまわれました。おそらく今はそのことがよくお分かりになり、能力があるが故に与えられた高いハードルを、今度はきっと飛び越えてみせようと思っておられるはずです。やり直すチャンスは誰にでも与えられますから、「挫折」にあまりこだわらないことです。挫折したらもう取り返しがつかないということは決してないでしょう。いま、このホームページでも取り上げているシルバー・バーチも、つぎのように言ったことがあります。 すべての人間にやり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が愛と公正とによって支配されていないことになります。墓に埋められて万事が終るとしたら、この世は正に不公平だらけで、生きてきた不満の多い人生の埋め合わせもやり直しも出来ないことになります。私どもが地上の人々にもたらすことの出来る最高の霊的知識は、人生は死でもって終了するのではないということ、従って苦しい人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことが出来るということ、言いかえれば悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。(栞A10-f) 妹さんが可愛がっていた飼い犬「ハナ」のことをあなたに告げられたのは、こころ温まる話ですね。こちらからは霊界が見えませんから、愛する家族が霊界で元気に生き続けていてもなかなかそのことが理解できません。ですから霊界の家族はおそらくはがゆい思いをしながら、なんとか自分が間違いなく生きていることを一生懸命に知ってもらおうとします。家族だけにしか分からないような飼い犬の話や誕生日の話を伝えようとするのも、そのためでしょう。私にも、霊界からのメッセージで、そのような話を聞かされた経験が何度かあります。 妹さんが誰よりも気持ちの優しい方であったことは、今までのメールでもお伺いしてきました。私は人間の持つ資質としてもっとも大切なのは優しさであろうと思っていますが、それは、霊界ではなおさらのことで、優しい気持ちの持ち主が霊界で苦しんだりすることはありえないでしょう。たしかに12月は、この地上では妹さんの命日であっても、霊界ではいまではいわば新しい「誕生日」です。あなたから離れず、すぐそばにいてあなたを見守っておられる妹さんのためにも、どうかこころ安らかな毎日をお過ごしください。今年も残り少なくなってきましたが、ドイツで迎えられる新年が、新しい希望の年のはじまりになることをお祈りしています。 霊界で生き続けている疑いようのない証し (2005.12.27) 武本先生 ご無沙汰しております。日本は記録的な大寒波だそうですが、東京の方はいかがでしょうか?こちらドイツは例年通りの寒さ、雪はちらついておりますが我々の住んでいる町では積もっておりません。 先生にずっとご報告したい、と思いながらなかなかメールを送ることが出来ませんでした。実はこの10月に、1年ぶりに大英心霊協会を訪れる事が出来ました。5月よりロンドンで働き始めた友人を頼っての1人旅でしたが、大変満足致しました。 今回は予約なしで直接現地に赴いたのですが、ロンドンに着いたその日に、現在日本に滞在されているKeith Hall 氏のSittingを受ける事ができたのです。とてもハキハキとした口調で、次から次へと色々な情報が飛び出したのですが、1番嬉しかったのは、現在実家で飼っている犬(ハナといいます)の話でした。唐突に、妹が犬の事を話している、私の犬だと言っている、と伝えられたのです。ハナは、捨て犬だったのを近所の方を通じて我が家でもらわれ、妹が名付け親で、生前非常にかわいがっておりました。これを聞いた時に、これは妹だ、間違いないと確信いたしました。 また、不覚にも後から気が付いたのは、“今誰か誕生日ですね”と質問され、妹の誕生日がそのSittingの日の3日前だったと答えたのですが、実は母の誕生日がその日だったのです。イギリス時間では前日でしたが、夕方に受けていたので、日本ではまさしく“今”が母の誕生日でした。 今回はその後にTerry Tasker 氏のSittingも受けましたが、2回でもう十分だと思えました。前回と違って、非常にリラックスして受けることが出来たのが良かったのか、mediumの方の体調が良かったのか、私にはこれ以上“妹が今もなお生き続けている事実”を疑う余地はない、と思うことができました。 しかしながら、やはり12月、妹の命日が近付いてくると、どうしても悲しい気持ちになってしまいます。 先生のHPでお子様を亡くされた方々のメールを拝見して、涙をこらえる事が出来ませんでした。暗闇があるから光の有り難さが分かる、悲しみがあるから幸せを感じる事が出来る、と言い聞かせながらこの暗い気分を何とか乗り越えようと奮闘しております。 今回のSittingでKeith Hall 氏が言われた言葉が非常に心に響きました。“霊界こそが本物で、この世界は幻影にすぎない。今、目の前に見えている形あるものは、いずれ消えていく。” 1人でも多くの方々が、現在訪日中のKeith Hall 氏の言葉で救われるよう心よりお祈り申し上げます。 寒さ厳しい折、くれぐれもお身体に気を付けてお過ごしください。末筆になりましたが、本年も色々と励ましのお言葉をありがとうございました。来る2006年が武本先生にとって良い年となるようお祈り申し上げます。 Y. W. 霊界で学ぶことになったお子さんに声援を (2005.12.23) K. 夏目様 メールを繰り返し拝見していますと、優秀な、心の優しい慎太郎君の面影が目の前に浮かんでくるような気がいたします。本当にいいお子さんですね。お母さんの肩を揉んでくれたり、お買い物に付き合って荷物をさりげなく持ってくれたりするというのは、なかなかできないことで、慎太郎君の親思いの、あたたかいお人柄がよく示されています。「何でこんな子が死なねばならなかったのか?」と書かれたところを読み返しているうちに、私も涙がどっとあふれてくるのを抑えることが出来ませんでした。生とは何か、死とは何か、を考え続けてきて、死の意味も少しは分かっているつもりでいても、私もまた、まだまだ弱い人間の一人です。 唯一の宝であり、誇りであった慎太郎君が16歳で天国へ行かれたことは、ご両親としては、諦めようにも諦めきれないお気持ちでおられることでしょう。しかし、それでも、「きっと天国で必死に勉強して神様の良き道具となって素晴らしい働きをするに違いない、それだったら私は一生息子の魂を応援しよう」と書かれているのを拝見して、私は大きな敬意と安堵感のようなものを感じます。おそらく慎太郎君は、純粋な魂の持ち主で学業にもずば抜けて優れていたので、この地上の大学に入学するよりも霊界の大学へ「飛び級」で入学することになったのでしょう。新太郎君は選び抜かれた優秀な人材として、霊界の大学でも、きっと、医学、薬学の分野で頭角を現していくにちがいありません。ご両親と同じく、このホームページで結ばれている私たちもまた、その慎太郎君にこころからの声援をお送りしたいと思います。 どうか、慎太郎君がすぐ傍に、いつも一緒にいてくれていることを、十分にご理解くださいますように。慎太郎君も、自分の存在をご両親が認識してくれていることを目の前で確認しながら、そのようなご両親を一層、誇りに思っているはずです。決して、たんなる慰めではなく、迷信でもなく、霊界で学んでいる慎太郎君の明るく元気な姿を信じて、というより、知って、いままでと同じように、こころあたたまる「対話」を続けていってくださいますように、私からもお願い申し上げます。 親思いの優しいわが子が天国に召されて (2005.12.23) 武本様、初めまして。 ホームページを毎日拝見しております。優しいお心を有難う御座います。私、夏目と申します。k.k 様のメールを拝見して驚きました。 実は私にもかけがえのない一人息子がおりまして、今16歳です。生きていてもまだ16歳です。高校2年生でした。愛し、慈しみ、大切に夫婦共々育てて参りましたが、今年9月14日の午前7時過ぎ、高校へ登校途中に交通事故に遭い、亡くなりました。たった一人の私どもの子供でした。名前は慎太郎と申します。 自転車横断帯を青信号(警察の実況見分)で渡っているとき、第二レーンで信号無視した車に真横から自転車もろともはね飛ばされ、15m飛ばされ、脳挫傷で瀕死の重体になり、22日間頑張った末、とうとう力尽き、天国へ召されました。 命日は10月6日午前5時41分です。事故の直後から意識不明でした…9月20日に「脳ヘルニア」を引き起こし、脳波はすべてフラットになり、完全脳死状態となりました。10月6日までただ呼吸するだけの身体となってしまいました。せめて一言だけでもあの子の声を聞きたかった… とてもよく出来た子で、クラス委員長、学年代表などをやり遂げ、高校生になってからは成績は進学高でも2番、温厚で優しく、親思いでクラス思い、アニメが好きで音楽が好きで、時には面白おかしく仲間を笑わせたりしていました(後で分かったことですが)。早朝補習の無い日でも朝早くから登校し、仲良しの勉強仲間と一生懸命勉強をしていました。模試で成績の落ちた仲間を慰めたり、目立たず後ろから応援したり…葬儀を終えてクラスメートからの手紙を読んでいて、息子の一生懸命努力して優しく生きてきた姿を知りました。 「医者になりたい」「薬の研究もしてみたい」「薬剤師」でもいいと普段から言っておりまして、目標に向かって必死で勉強しておりました。何とか人の役に立ちたいと目を輝かし、理想を私達に語ってくれました。目標は防衛医科大学、徳島大学医学部、薬学部でした。…仕事で疲れた私の肩を揉んでくれたり、お買い物にも付き合って荷物をさりげなく持ってくれたり、父親とも仲が良く、事故の前日までふざけあって笑いあっておりました。 「母さん、心配せんでええよ。母さん父さんが病気になったら僕が治してあげるけんな。おしめも換えてあげるけん。心配せんでええよ」純粋でおぼこくて、本当に優しい子でした。人の悪口や愚痴も生まれてから今日まで聞いたことがなく、我が儘もいっさい言わない息子でした。身長も170になり、背の低い私は見上げる程でした。慎太郎は私達の唯一の宝であり、誇りでした。 何でこんな子が死なねばならなかったのか?と、悔しくてなりませんが、いつまでも泣いていてはこの子が天国に逝けないと思い、なんとか堪えています。それでも未だに時々は泣いてしまいますけども… きっと、両親には勿体ないほどの子供だったので、神様が呼んだのだろうと思ってます。今の純粋な心のままこちらにおいでと呼ばれたのだろうと思います。もう現世では学ぶことも無いほど、もともと良くできた霊だったのでしょう。きっと天国で必死に勉強して神様の良き道具となって素晴らしい働きをするに違いない、それだったら私は一生息子の魂を応援しよう…と思ってます。 私達があの世へ逝く時は、きっとにこにこといつものあの人なつこい笑顔で迎えてくれるだろうと思ってます。息子に感謝しています。生まれてきてくれて有難う!父さんも母さんもこれ以上ない程、幸せだったよ慎太郎!!!…と。 寂しくなりましたが、なんとか夫婦で仲良く弔いつつ、日々を過ごしています。時々は夢を見ます。赤ちゃん時代、小学校低学年、高学年、中学生時代、高校時代…いつも慎太郎は笑顔です。お仏壇や遺骨に向かって話しかけると、すぐ横に座って聞いているような気がします。やっぱり「母さん、大丈夫やけんな。心配せられんよ」と言っているような気がします。私達も頑張って生きていこうと思ってます。般若心経も何度も何度も毎日毎日唱えております。慎太郎に届けと。 どうかK.K様も強く生きていって欲しいと心から願っております。武本様、どうか今後も私達のような心寂しい人々に、勇気を下さい。拙い文章にお付き合い下さり、有難う御座いました。武本様もどうぞお身体を大切に。 K. 夏目 キプロスから 「メリー・クリスマス!」 (2005.12.19)
「生まれてくれて有難う」と語りかけてあげてください (2005.12.13) K. K. 様 メールを拝見しました。何度か繰り返して読ませていただきながら、涙を抑えきれないでいます。 私の息子も、ご存知のように、21歳で大学3年生の時に航空機の事件で亡くなりました。誕生日もご子息と同じで、6月です。電話をされた時に、「生んでくれて有難う!」と言う言葉がかえってきたということで、ご子息の優しさやご両親に対する温かいお気持ちが痛いほどに伝わってまいります。大学生活を十分に楽しみながら、それにも感謝のことばを述べられていますが、やはり、21歳で、愛するご両親ともお別れすることを潜在意識のなかで感じておられたからでしょうか。 私の場合は、このホームページにも書いていますが、息子の他界が「なぜ21歳であったか」ということで苦しみました。21歳と、たとえば80歳で亡くなるのとどう違うのか。せめて、50歳くらいまで生きていてくれれば諦めもつくのか、というようなことを、何年も考え続けました。論文集「信仰と救済」のなかで、次のように書いたりもしています。 人間が生を受けてから死ぬまでの生物学的な命は、いくら引き伸ばしてみたところで、せいぜい百年である。たいていは七十年八十年に至らぬままに終わる。この僅かぱかりの時の流れの中で、仮に三十年と八十年とを比べてみるのであれぱ、その差は極めて大きく、その大きな差は、そのまま深い絶望的な悲しみの差となって跳ね返ってくることであろう。しかし、永遠のいのちからみれぱ、その出発点での、三十年、五十年の差は決して大差ではない。おそらく小差でさえないであろう。その差は限りなく零に近い。 いま、このホームページの「身辺雑記」には たまたま、私が妻と息子の突然の死に直面してから5年後の心境を、「暗闇のなかで光を求めて」という一文に綴っていますが、かつての私は霊的な知識からは遠く、霊的なものに縋るのはかえって惨めであるような気さえしていて、立ち直るのに永い年月がかかってしまいました。いまから考えますと、シルバー・バーチの著作集は、事件の翌年くらいからは出版され始めていましたから、それに近づいてさえいれば、少しは早く暗闇から抜け出すことが出来たのかもしれません。しかし、そうならなかったことも、おそらく、私が背負うべき頸木であったのでしょう。私は、この小文の後でも、こう書いています。 このA女史は、事件のあと、初めて訪れた私に、「2〜3年は苦しまれるでしょうね」と言った。私はそれをうつろな気持ちで聞きながら、2〜3年すればこの苦しみが薄らぐのだろうかと思った。しかし、2〜3年経ってもそうはならなかった。5年目でやっと、この程度の手紙を書いていたのだから、私の無明の闇はよほど深かったに違いない。無知ほど怖ろしいものはない。事件から22年が過ぎたいま、かつての己の無知を省みて忸怩たるものがある。 私があなたのメールを拝見して、こころから救われるような気がするのは、あなたは、かつての私などに比べれば、はるかに、生と死の「真実」に近いと思えることです。「悲しんではいけないと思っているのですが今はまだ無理のようです」とありますが、「まだ無理」なのは私たち弱い人間としては当然ではないでしょうか。むしろ、「悲しんではいけない」と思っておられることに、私は救いを感じ、敬意を抱かされております。 私の場合は、自分の無知の為に、永い間、霊界の妻や息子にも悲しい思いをさせてしまいました。しかし、脩君は、決して悲しい思いをすることもなく、父親のあなたに対する大きな誇りと深い愛情をもって、霊界からあなたを見守っていってくれることと思います。その脩君に、どうか、「生まれてくれて有難う」、「21年の生涯を一緒に生きてくれて有難う」と語りかけてあげてください。 突然の交通事故で最愛の息子を亡くして (2005.12.13) 唐突にこのようなメールをお許し下さい。
9月13日に息子を交通事故で亡くしました。21歳でした、大学3年生で6月29日に21歳になったばかりです。「お誕生日おめでとう!」と電話をすると「生んでくれて有難う!」と言う言葉がかえってきました。夏は4日ばかり帰省し2年ぶりにお御輿を担ぎ、その時は「大学生活超楽しいよ感謝してます」の言葉を・・・・・・。 その時からでしょうか私の心にザワザワとした言いようのない不安が芽生えたのは、そんな心の念が息子を死なせてしまったのでは・・・?息子がなくなる前に店の自販機の裏で雀が死んでいました。 神様は私を試されたのでしょうか、雀をすぐに埋めなかったのです。そして表札も落ちていました、その事も息子に電話しませんでした。いつもならすぐ電話をするのに・・・・息子が事故にあうチョッと前、息子の2歳頃の写真を見ながら可愛かったな〜と思い幼稚園の時に書いた大きなひまわりの絵を「あーあこれも脩が書いたんだ」と眺めていました。そんな息子を思う時間があったのに電話をかけなかった、神様はそんな私が息子を要らないとおもったのでしょうか・・・? まとまりのない文面をお許し下さい、今の私の気持ちを聞いて欲しかったので、悲しんではいけないと思っているのですが今はまだ無理のようです。武本先生のホームページ毎日拝読させて頂いています。 K. K. 今月の I I S の個人セッション等について (2005.12.05) Y. N. 様 メールを拝見しました。リーディングを体験したいというご希望ですが、この「メール交歓」欄の(2005.10.22) のところに、「I I S の個人セッション等の予定について」を載せています。どうぞご覧ください。東京地区では、下記のような日程になっていますので、ご希望であれば IIS事務室にお問い合わせいただければと思います。連絡先も末尾に載せてあります。 日程 A: 12月14日(水) 15日(木) 16日(金) 17日(土) 日程 B: (2006年) 1月10日(火) 11日(水) 12日(木) 霊媒によるリーディングの体験を (2005.12.05) 武本様、こんばんは 私は現在流行している江原啓之さんの本を読み、スピリチュアリズム及び霊媒によるリーディングの体験に関心を持ちました。江原さんの人気は相当なもので講演会に参加することは難しいと感じます。 そこで何か他のスピリチュアリズムの催しや学習会はないだろうかと検索をしていたら武本様のサイトに当たりました。大変新鮮な気持ちで拝見いたしました。私は霊については何もわかりません。是非武本様にご助言いただきたいと思います。 先ず、最初にリーディングを体験しようと望んだら、どちらに問い合わせるとそれは可能でしょうか?それからどのような形でリーデングに参加すれば宜しいのでしょうか?お手数ですが教えて頂ければありがたく存じます。 Y. N. 「学びの栞」インデックスの一部修正について (2005.12.04) 「学びの栞」のうち[A] は、シルバー・バーチ霊訓集として、シルバー・バーチのことばを項目別に分けて編集する作業を続けてきました。現在、『シルバー・バーチの霊訓』の(8)までを終えて (9)に入ったところです。 膨大な量のシルバー・バーチの教えのなかで、知りたい、学びたいと思えることばを容易に見つけ出すことが出来るようにインデックスを作っているわけですが、ここでは全体を80 の項目に分類していこうとしています。分類をより適切なものにするために、時にはインデックスの一部に修正を加えたりすることがありますのでご了承ください。 今回、従来の[51] (生きる喜びを知ってもらうために)は、その内容を (シルバー・バーチに対する評価) に変更しました。これにより、これまでの[51] に分類されていた三つのことばは、つぎのように分類が修正されています。 51-a → 80-za 51-b → 61-n 51-c → 61-o インデックスそのものをさらに見易くするためには、たとえば、この[51]は[80]の(シルバー・バーチについて)の近くへ持っていきたいところですが、「今日の言葉」などですでに数多くの引用が現在のインデックスの分類でなされていますので、この番号の変更には当面手をつけないことにしたいと思います。シルバー・バーチの引用をすべて終了したあとでは、あるいは、全体を見直して修正することもあるかもしれません。この点も併せてご了承ください。 霊界とのコミュニケーションのことなど (2005.11.17) 武本昌三様 札幌の手稲連峰にも白いまだら模様が見られます。遅い冬の到来です。マンションの窓から、先生のお宅のある星置はどの辺りかしらと、ふと眺めたりして遠くなった想い出を懐かしんでおります。 この度も又素晴らしい講演集をお送りくださいまして本当に有難うございました。早速拝読させていただきました。重厚で深く内容のある書物を何冊も読み終えたような読後感がありました。死に対する理解に圧倒され爽やかな眩暈をおぼえます。 私は与えられた仕事から段々霊的な方向付けがなされまして、何時の間にか守護霊、神霊、霊界人などと交霊できるようになりました。姿を見せてはもらえませんが、言葉や感情で表現してくれますので、相手の状況は解ります。此処十数年は霊媒のような形で加持祈祷を行っています。決まった宗教とは申せませんが神道と仏教の混交で、シャーマニズムに近いと思います。何時までも未熟ですが、この辺で止めようかなと思いますと次々と霊的な救いが必要な方がお出でになったりしまして、今もまだ止められません。 霊界からの通信で先日、富子さんとお話ししました。「お久しぶりね」とか言って、私の夫の事を話してくれました。「あなたのご主人も強いけれど、私の夫もとても強くていつも負けていました。でも、とても頼りになりましたよ。あなたもその辺は同じですね」と仰っていました。それからたくさんお惚気を聞かせてくれまして、とても可愛らしい方だなあ、と微笑ましく思いました。私は、其の時、何か先生からご連絡をいただけるのではないかと思いましたが、やはりそうでした。富子さんが先に来て下さって、先生の講演集でご講義の裏付けをされているようで嬉しく思います。 私のお客様で次のような方がいます。今年の1月、22歳の長男が車の中で練炭を焚き、亡くなったそうです。母親と妹、それに祖父母さまが、その子と話がしたいといってお出でになりました。私は「出来るかどうか分かりませんが」と言って始めてみました。通信を始めた最初のうちは、亡くなった本人は何も出来ず動けないと言っていましたが、自分の状況が理解できた時、しっかり話が出来るようになりました。最後に家族にお詫びをしてくださいと言いましたらその通りにしてくれたのですが、母親だけは返事をしませんでした。あまりにも悲しくて怒っていたのです。何度も何度もお詫びして「許してくれないと行くところへいけないよ」と言って泣きました。お爺さまが、「こんなに謝っているのだから許してあげなさい」と助け舟を出され、やっと母親は「分かりました」と返事を返すことができて、私も彼と一緒に大泣きいたしました。 家族はみんなその子を守ってあげられなかった事に対して自分を責めていまして、とても悲惨でした。そして何故死ぬ必要があったのかを知りたがっていたのです。彼は自分が弱かった事を詫び、友人の言いなりで行き詰ってしまったと言いました。そして妹さんには良い人と結婚して欲しい、母親を頼みますと頭を下げたりしました。家族の方はやり場の無い取り返しの付かない状態に置かれていましたが、「許す」と母親が言った時、彼は天に光を見出し喜びの声をあげました。往くべき故郷を見出したのでしょう。有難う!有難う!を繰り返してみんなに感謝の言葉を述べて、「僕は何時もみんなと一緒だよ」といって高級祖霊さまに守られ光の彼方に昇っていきました。 説明が長くなりましたが、講演集「死を越えて生きる」をこの方のご家族にプレゼントさせていただきたいと思います。このような「対話」があったのは先月の出来事ですので、家族の方もきっとお喜びになるでしょう。今まで頂いた講演集の中からも2冊ほど合わせて送らせて頂きます。本当に有難うございました。 向寒の折、どうぞお体をお大切になさってください。 A. Y. 講演会 「死を越えて生きる」 に出席して (2005.11.10) 武本昌三先生 |
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