(日付の新しいものから順にならべてあります)







 霊界からのメッセージに感動して (2006.08.31)


 はじめまして。ホームページを拝見しました。東京都在住の35歳の女性です。

 6歳になる犬のために、「アニマルコミュニケーター」というテレパシーで犬とお話ができる方の所へ訪問してから、SAGBに認定されている「スピリチュアルカウンセラー」の方にお会いするご縁ができ、アニマルコミュニケーションやスピリチュアルなことに関してもっと知りたい、勉強してみたいと検索して、このホームページにたどり着きました。

 事故で奥様と息子さんをなくされたこと、想像してみてもどんなにショックだったことか、お察ししつくせないと思います。寝てばかりでいらした、というのもすごくよくわかります。そしてミディアムの方にご縁があって、霊界での奥様と息子さんとコンタクトが取れて本当によかったと思います。

 一気に全部読んでしまいました。私の父も今年83になり目も耳も悪くなり、パソコンやら何やらいろいろ苦労しておりますが70歳を過ぎたお年で、こうしてパソコンを通じて霊界のメッセージを伝えていらっしゃることに感動しました。

 息子さんが伝えてくださったメッセージには本当に感動しました。普段なら恥ずかしくてメールをお送りすることなどないのですがどうしてもお伝えしたくてメールを差し上げました。これからも続けてくださいますように。それでは失礼致します。

 R. K







 悲嘆の行き着く先に輝く希望の光 (2006.08.31)


 娘さんを亡くして悲嘆に暮れている匿名希望の方に

 しばらく留守をしていて、昨夜帰ってきました。留守中何度もメールをいただきながら、お返事が出せなくて申し訳なく思います。


 私は、事件後しばらくの間、いろいろな人からお悔やみや慰めや励ましのことばをいただきましたが、それで、少しでも気がらくになったり慰められたりしたことはありませんでした。そういうことばを聞くのさえ嫌で、誰とでも会うのを避けていました。人から憐れみをかけられたくない思いで、長年住み慣れた札幌を離れ、東京へ住むようにもなりました。

 私は、ですから、悲嘆のどん底にいる人に、いまでもかけるべきことばを知りません。どんなことばも無力であることをよく知っているからです。「時が悲しみを癒してくれる」ということばも嫌いでした。そんなことがあるはずはない。むしろ癒してくれなくてもいいとさえ思っていました。自暴自棄の状態でした。

 しかし、「時が悲しみを癒してくれる」ということばとは違う意味で、いまは、悲しみも苦しみもなく、こころやすらかな日々を過ごしています。「死んでしまった」といわれる妻と長男を、決して諦めずに、諦めようにも諦めることができずに、必死に捜し求めて、何年もかかり、そうして、やっと彼らを見つけることが出来たと思っているからです。でもこれは、本当は、そんなに難しいことではなかったのかもしれません。確かに、私の場合は何年もかかりましたが、それは、簡単な、しかし重大な一つの真理に気がつかず、大きな勘違いをしていただけでした。人は「死なない」ということです。

 繰り返しますが、悲嘆のどん底にいる人に、私はいまでもかけるべきことばを知りません。唯一つ、いえることは、このような私自身の体験を通して、どんなに深い絶望的な悲しみであろうと、その悲しみの行き着く先には輝かしい希望の光が厳として存在するということだけです。どうか、その光をご自分で掴み取ってくださることを、こころからお祈りするばかりです。
 







 メールの返信が遅れる場合があることについて (2006.08.15)


 このホームページにメールを送ってくださる皆様へ

 いただいたメールについては、この「メール交歓」に載せる場合もそうでない場合も、返信は送るようにしていますが、時には返信が遅れることがあります。私が東京を離れている場合で、留守中はメールを読ませていただくことはしていません。

 ホームページの更新だけは、あらかじめ原稿を作って送信を依頼するなどの方法で、毎日続けておりますが、メールについては、返信が遅れる場合があることを何卒ご了承ください。







 亡くなった彼が告別式で微笑んでくれた意味 (2006.08.15)


 メールのお返事(2006.08.11)を有難う御座います。

 私はやっと、今になって泣けます。私は彼の告別式でのあの時、訳も分からずに彼の笑顔に救われましたが、その本当の意味を考える時、涙を流せるのです。

 彼が亡くなってから私が好感を覚えた友人達は次々と旅立って行き、その度に暗闇に包まれていました。もしかしたら、私が好感を抱くその人達は、霊格の高い魂の輝きなのかもしれません。魂の輝きだとしたら、もう本当に年齢は関係無いのだと思うのです。

 彼は私にとっては天使みたいな人です。死の恐怖と絶望、そしてこの人生を濃く、深く生きろと彼は最後まで私に希望と理想を与えてくれた尊敬する人物です。もし私の心の世界が暗闇に何度包まれても、私はあの光に憧れ、ちかづきたいと願う事だろうと思います。 そして、このホームページに出会えて、武本さんの意志に出会えて私はとても幸せです。

 H.







 本当の供養のためにしていかねばならないことは何か (2006.08.13)


 I. T. 様

 メールを拝見しました。シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』を通じて、ホームページのうえで私もあなたにめぐり合えたことを、有り難く思っています。

 ご存知のように、この『アウト・オン・ア・リム』は、アメリカでは300万部以上の大ベストセラーとなり、「神の国は私たち自身の中にある」などの霊的真理をひろく一般の人々にわからせていくのに大きな役割を果たしました。日本でも、その翻訳によって、多くの人々に影響を与えてきたと思います。そして、これもあなたがご存知のように、1986年に出たこの本の日本語版のなかで、シャーリー・マクレーンは、日本の読者の皆様へと題して、つぎのように言っています。

 《私たちの人生に起きてくる悲劇的な事件でさえ、確かな理由があって起こっているのです。その確かな理由というのは、私たち一人ひとりの成長のために必要だからこそ起こっているということなのです。もし自分の人生は自分の内なる神を経験するためのものだと常に忘れないでいるならば、私たちの人生は輝きに満ち、一見悲劇に思えることも、実は悲劇ではないのだとわかるのです。》

 このようなことばは、シルバー・バーチの「宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来ごとというものは一つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです」という言葉を思い出させます。日航機事故や大韓機事件なども含めて、悲劇的な事故・事件の犠牲者やその遺族の方々に対しては、なかなか言えないことばですが、私自身は、私なりに理解できるようになりました。理解できれば、「犠牲者」が犠牲者でなくなることも分かるような気がしています。私はそういうことも折に触れてこのホームページに書いてきました。シャーリー・マクレーンのつぎのようなことばも、実に多くの示唆を含んでいますね。

 《今までに私が学んだ最も重要なことは、この世に現実などほんとうは存在しないということです。私たちが現実として見ているものはすべて、私たちがそれをどうとるかという認識の問題だとわかったのです。人生をどのように認識しているか、その認識のしかたこそがすべてなのです。いいかえれば、私たちの人生は私たちの見ている世界そのものによって決まるのではなく、自分がどのように世界を見ているかによって決まるのです。だからこそ、前向きで実り多き人生は、私たち個人一人ひとりの生き方にかかっているのです。自分こそが自分の人生の実現者なのです。》

 日航機事故は昨日、8月12日に21年目を迎え、大韓機事件は来月の9月1日に23年目を迎えます。私は、かつてはほかの遺族の方々といっしょに多くの涙を流していましたが、いまはそういうことはありません。遺族の一人としては、供養のためにも本当にしていかなければならないのは何かということをよく考えさせられます。奇しくも、シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』が、アメリカではじめて出版されたのは、大韓機事件が起きた1983年のことでした。








 シャーリー・マクレーンの記述に導かれた不思議な縁 (2006.08.13)


 武本先生

 はじめまして。私は横浜に住む50代のものです。先生のホームページ、とても不思議なご縁で昨日アクセスさせていただきました。シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』を2、3日まえから再読していて、本の中のケオブのピラミッドの記述に強く惹かれるものがあり、ネットでピラミッドを検索していたら先生のホームページに辿り着きました。

 先生のホームページをちょっとだけ拝見してひとことではとても言い表せない衝撃と感動を戴きました。昨日・今日はただただ読ませていただいております。全部読むまで感想は書けそうにありません。

 今日は、御巣鷹山の日航機事故の21周忌でした。大韓航空機事件と日航機事故とは、航空機の墜落ということしか共通点はないかも知れません。大韓航空機事件は、東西大国の人命を何とも思わない政治的駆け引きとして永遠に人類の負の歴史として残ると思います。日航機事故は、航空会社あるいは航空機産業のひいては人類の科学過信の負の歴史かもしれません。

 それぞれ問題は別にありましょう。しかし、航空機の墜落は、事故であれ事件であれ、多くの人命を犠牲にし、残された家族や友人に癒しえない傷を残します。政治と科学。その限界や破綻を、先生のホームページにたどり着くことによって、結びつけて見ました。私自身の成長もこめて、これから先生に続いて人類の成熟を願う生き方をしたいと思います。

 貴重な先生の体験を読ませていただき有難うございました。これからもご指導くださいませ。

 I.T







 永遠の旅の中で愛を与えられる存在に (2006.08.11)


 H. 様

 メールを有難うございました。あなたが言われるように、「その場に居るだけでその存在が太陽の光のような人」は確かに居るようです。私も身近に、そのような人を何人か見てきました。おそらく、霊格が高い人なのです。人間はみな平等である、というようなことはよくいわれますが、霊格の高さはひとりひとりみな違います。前世での生まれ変わりのなかで、いろいろな体験を通じて修行を積み重ねてきた人とそうでない人との違いでしょう。あなたの初恋の人は「霊界の優等生」とでもいうべき人で、そのような人は今生までの間に充分に修行を積んできたので、これからはもう、あまり生まれ変わることはないかもしれません。

 わが子の死に際して、「決して悲痛ではなく」、「寝てるだけみたいでしょう?」と、かえってあなた方を慰めるように語りかけてくれた彼のお母さんは、かなりの霊的知識の持ち主なのかもしれません。「世界の希望」のように思われたりしているような素晴らしいわが子が何故、と早すぎた死を嘆くのではなく、素晴らしい子だからこそ、誰よりも早く、今回のこの世での課程を終えて行ったのだというようなことも、あるいは、胸の奥深くで意識しておられたのかな、と思ったりもしています。

 私の知人で、Tさんという優れた霊能者がいます。映画「蝉しぐれ」のディレクターに名を連ねたりしている人です。むかし、彼のお母さんが亡くなって、お葬式の式場で家族親戚がみんな悲しみに沈んでいた時に、彼ひとりは悲しみませんでした。いのちは滅びることなく永遠に続くことを彼はよく知っていましたし、御棺の中に居る遺体とは別に、その上にいるお母さんの姿を「生前の姿」のままに見ることもできたからです。病気から解放されて、若々しく生気を取り戻しているお母さんに向かって、「今日のお母さんは綺麗だね」などと話しかけ、しばらく対話を続けていたそうです。その対話の内容も、私は聞いたことがあります。

 このような、Tさんの話も、あなたの告別式での貴重な体験を理解するのに参考になるかもしれません。亡くなった人は自分の告別式の様子などもよく見えるのですね。このメールの最後に、あなたは、「この世界を照らす人達は確実に存在し、自分も誰かにとってはその存在になりうるのだと思います」と書かれていますが、まったくその通りだと思います。私もまた、あなたと同じように、永遠の旅の中で他人に対する優しさと思いやりのこころを育て、「愛を与えられる存在」になっていかねばならないことを、常々、考えさせられているひとりです。







 居るだけでその存在が太陽の光のような人 (2006.08.11)


 初めまして。

 私は初恋の人の告別式で物理現象を体験しました。彼は輝いていた人でした。いつも笑顔で優しくリーダーシップがあって、きっとその場に居るだけで、その存在が太陽の光のような人。そういう人は確かに居て、この世界の希望のような人で、心から慕い信頼し、居なくなるなんて一時も疑わない。その彼が事故で突然に亡くなり、皆信じられなかった事でしょう。私もその一人でした。

 棺の中の彼に向けて話しかけていると、棺に寝る彼と同じ顔が目の前に、私が見つめている彼のなきがらの胸の辺りに空間から白い霧の様に現れて、私は唖然としながらも、その存在に向けて笑って欲しいと願いました。そうしたら彼の口元は微笑んでいてくれたのです。もう10年以上前の事です。

 当時の私は何の知識も無く、意味も分からず、まして霊感も無く、愕然としながらも皆の居る参列している列に戻りましたが、彼の御家族の心痛は計り知れないものだろうと思いました。しかし、彼の母親は「寝てるだけみたいでしょう?」と私達に語りかけてくれたのです。あの日、彼の母親は決して悲痛では無く、自分の気持ちを超えて私達を慰めてくれたのだと感じました。私は母親の愛情に頭がクラクラして茫然自失で居る事しか出来ませんでした。

 これまで、私は自分の中で確固たる心の支えを探し求め、それを彼の存在にしていました。私はとても弱く、絶望から私が死ぬまで消え無いもの、今度は決して消え無い[物]にしようと思ったりしました。だけど、人間は消え無いのです。人の心だけは信じられるのですね。私は彼の言葉を聞いた訳でも無く、あれが何の場合の現象なのだかは分かりませんが、只、これだけは言えます。あの日私が見た彼はとても綺麗で懐かしく愛に溢れる空間だったと。

 そしてあの場に居たのは彼だけでは無く、彼の棺の側に多分守護霊の方々も居た様に感じました。その光が参列の席に戻ると消えてしまったのです。彼は旅立って行ってしまったのです、私達が何時か帰る場所に。光が消えるとこんなにもこの世界は暗いものかと思えて仕方が無かった時期も有りましたが、この世界を照らす人達は確実に存在し、自分も誰かにとってはその存在になりうるのだと思います。永遠の旅の中で愛を与えられる存在に何時かなれるのだと。

 H.







 厳として存在する永遠のいのちの真理 (2006.08.06)


 M. H. 様

 メールを拝見して粛然とさせられる気持ちです。大切なお子さんを、3歳と9ヶ月にしかなっていないのに急に亡くされて、お悲しみがどれほど深いものか、お慰めすることばもありません。「今回は難しいです」と言われ、「頭では思ってもこころがついていきません」と言っておられるのも、無理からぬことと拝察しております。

 私のように無力の者は、このような場合、どのようなことを申し上げれば少しでもお力になれるのか迷うばかりですが、いま辛うじて思い出しているのは、最愛の息子を亡くして嘆き悲しんでいるある母親への、シルバー・バーチのことばです。私の講演集にも引用していますが、このように言っています。

 どうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。

 しかし、私たちはそんなに強くはありませんから、やはり、こういうことばを心から理解し、悲嘆のどん底から這い上がっていくのには相当の時間がかかります。ただ、時間がかかっても、先が何処までも真っ暗で希望が持てないわけでは決してありません。真摯に求め続けていけば、光明への道は必ず拓かれていきます。

 永遠のいのちの真理は厳として存在し、お子さんとまたお会いになれることも「既定の事実」であることを、どうか、ご自分で掴み取っていくようにしていただきたいと思います。ご自分で乗り越えていくことに重大な意味があるからです。いまお持ちのいろいろな疑問は、おそらく、その過程のなかで自然に氷解していくことでしょう。そのような日が一日も早く訪れることを、こころからお祈りしています。








 最愛のわが子を亡くして自問自答の日々 (2006.08.06)


 武本様

 こんにちは。先週の木曜日、三歳九ヶ月の子供を亡くしました。大切な大切な一人息子でした。

 いろいろと複雑な事情があって、一ヶ月前に別れさせられて、再び会ったときはもう冷たくなっていました。子供と私に嘘をついて連れて行った先の保育所でお昼寝中に突然死していたのです。

 これまでいろいろと辛いことがあっても人生の学びととることができましたが、今回は難しいです。難しいからこその学びだと思うのですが、頭では思っても心がついていきません。

 誰もいないのに家のチャイムが鳴ったり、FAXが突然動き始めたり、「帰って遊んでいるのかも・・・」と思えることがあるときには、少し心安らかになります。

 死にいくものの魂は、どんな状況でも安らかにあるのでしょうか。私のことばは彼に聞こえるのでしょうか。もう一度彼に会えるのでしょうか。会えるものならできるだけ早く会いたい。会えなかった一ヶ月の間、彼はどんな風に過ごしていたのかを知りたい・・・

 簡単にこたえは見つからないと思いつつも、自問自答の日々です。武本様のHPを拝見して、彼の言葉を聞くことができるのかもしれないということを知り、光がさしてきた思いです。生きる目的ができました。どうもありがとうございます。

 とりとめのない話を聞いてくださってありがとうございました。乱文お許しください。

 M. H.








 比較文化論的アプローチによる霊的真理の探究 (2006.07.10)


 もりと ともこ様

 メールを拝見しました。「霊界からの二つのメッセージ」のほかに、私の「比較文化論講義」まで読んでくださって、有難うございます。

 英語やフランス語、ドイツ語などを含む印欧系言語と日本語では、言葉としての性格がかなり違いますが、これは、文化の違いもそれだけ大きいことを意味します。当然、ものの見方や考え方も同じではありません。一般的には、日本人は狭い代わりに深い視野を持っているのに対して、ヨーロッパ人は、広い代わりに浅い視野でものを見るといっていいと思います。そのような、言葉の違いと文化の違い、ものの見方の違いを取り上げたのが私の比較文化論です。

 たとえば、日本では正しいと思われていることがヨーロッパではよくないこととされているようなことはいくらもあります。逆に、ヨーロッパで賞賛されるようなことが日本では蔑まれ、軽蔑されるようなことも少なくはありません。このようなものの見方の違いを学ぶことによって、私たちは、真実とは何かを知るためには視野を広げることが不可欠であることを考えてきました。人間のいのちの誕生を、受胎の瞬間のミクロの世界から地球誕生のマクロの世界を背景に見つめようとしたのもその延長線の上にあります。

 実は、霊界を理解していこうとすれば、この視野の拡大を宇宙規模にまで及ぼしていかねばならないというような思いが、私にはあります。神の存在について考えるのも、宇宙のひろがりを見つめていくのがひとつのアプローチかもしれません。ただ、大学などにおける学問の真理探究と、霊的知識としての真理探究には、まだ埋められていない大きな溝があります。私は、大学では、比較文化論によって真実を見る目を養うというようなことも言ったりしましたが、この「真実」には、霊界の真実を含めることは出来ませんでした。

 しかし、いうまでもなく、真実は一つで、それは霊的な真実以外にはありえません。いま世界の多くの国々で、多くの人々が考えているような、この世だけのいのちのありようは間違いであることを、どうしたら理解してもらえるのでしょうか。いのちは霊であって、霊は滅びることなく永遠であることを、どうしたら学べるのでしょうか。比較文化論のようなアプローチをさらに展開して、視野を拡大転換し、まったく新しい霊的な視点でものを見ることを学ぶような学問が、大学などでも取り上げられるようになる日が来ることを、私はひそかに期待しています。







 霊界からの二つのメッセージと比較文化論 (2006.07.10)


 武本先生、毎日ありがとうございます。

 霊界からの二つのメッセージを拝見し、先生が奥様とご子息の存在を確信されていったいきさつがよく分かりました。長く辛い苦しみがあったこらこそ、こうして、無明の中、苦しんでいる人々を救っていくという大変な使命をご自分から選ばれたのですね。やはり選ばれたのですね。先生にはシルバーバーチやイエス・キリスト、など大いなる守護霊が控えていて、援助されているのだと確信いたします。そうです、息子さん、奥様も、です。

 また私は、5月半ばに、武本先生の教壇に立っていた時の学生さんがたが書かれたレポートをプリントアウトし読みました。まるで私が講義を受けているような気持ちでした。赤線を引きました。余白に自分でも書きだしました。感動しました。地球誕生から生命の誕生、人類の誕生、宇宙の誕生と私の知らない事実に、驚嘆と感動を心から味わいました。どのトピックをとっても、驚きと感動と共感とで胸が一杯になり、命の素晴らしさ、個々の魂の素晴らしさを感じました。ごめんなさい。今の印象で書いています。内容に間違いがあるかと思います。お許しください。

 私自信のことも深く考えました。私の仕事のこと、私のすべきことを。そして今まで言葉でしか理解していなかった比較文化を本当に知ることができました。比較文化とは、違いを「優劣」で見るのでなく、「個性として尊重する」ことなのだと。先生の学生さんが感動して、自分に自信を持ち、前向きに生きていこうとする、力強さをひしと感じました。今私は、まさに武本先生の学生のひとりです。とても嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

 今日は霊力の通路となるために、現代レイキ(霊気)のセミナーに行って参ります。また、メール差し上げたいです。

 もりとともこ







 苦しみを知る人から差し伸べられた暖かい手 (2006.06.26)


 武本先生

 お返事いただき、どうもありがとうございました。

 先生のなされた超大国アメリカに対する糾弾、抗議を私は深く深く受け止めたいと思います。先生の振りかざしていたのは決して「蟷螂の斧」ではなく、先生にとってきっと必要な時間、必要な手続きだったのだと思います。どこにもぶつけようのない怒りを、ぶつける場所を探し出して闘ってこられたからこそ、大きな真理を見い出され、私達にこうして伝えてくださる。苦しみを知るからこそ見出せる大切なこと。おつらかった時間を越えて見出せる光だったのだと思います。

 怒りをぶつける場所がないと、突然の死はとうてい受入れられるものではないと思います。私も、夫の事故に際しては刑事裁判でなんとか夫の無念をはらすべきといろいろと動きました。でもその行為は必ずしもまわりの賛同を得ることはできません。死んだ人は帰ってこない、とか、そんなことしてなんになる、とか、ほんとうに様々な言葉を遠い人よりも近しい人から受けました。でも動かずにはおれなかった。苦しくてくたくたになってもがいたからこそ、怒りを、たとえば犬が濡れた時に体の水をふるい落とすように、自分の体からふるい落とすことができた感じがします。

 平穏な人生では出会わない苦しみや悲しみを、目の前に突き付けられて呆然としているときに差し伸べられたたくさんの手。その手の多くは、痛みや苦しみを知った手でした。あたまで考えて差し伸べてくれる手ももちろんありがたいけれど、心から差し伸べられた手の何と暖かかったこと。私もそのような手の持ち主になれたら、と思っています。人はひとりでは生きていけない。先生のHPをのぞかせていただけるのもまた大切な出会いだと思っています。

 どうもありがとうございました。

 H. I







 報復は一分一厘の狂いもなく働く神の摂理に委ねて (2006.06.22)


 H. I. 様

 メールを拝見しました。いつも私のホームページを見て下さって有難うございます。

 7年前の1999年、山口県光市の団地で当時23歳の主婦と11ヶ月の長女が殺され、加害者として、同じ団地に住む当時18歳の少年が逮捕された事件は、暗い衝撃的なニュースでした。新聞報道などでは、それ以来7年余り、犯罪被害者の権利向上を求め、元少年への「死刑」を叫び続けた夫の本村洋さんの原動力は、「守れなかった」妻子への罪の意識であったと伝えられています。

 一審の山口地裁と二審の広島高裁でいずれも無期懲役刑であったのが、最高裁の今度の判決で「差し戻し」になって、元少年は、死刑になる公算が強まってきました。判決後、本村さんは、東京の司法記者クラブでの記者会見では、「死刑で自分の命を取られる。それを初めて実感した時に、自分の犯した罪の重さを知ることができる」と述べています。あなたが言われるように、本村さんは悲しみに耐えながらも、ご家族とご自分の無念さを晴らすために、執念を燃やして高い司法の壁に挑み続けてきました。 

 私も妻子を殺され、妻子と自分の無念を晴らすために、執念を燃やして加害者の告発を何年も続けていたことがありました。1983年にあの大韓航空機撃墜事件が起こってからのことです。アメリカ政府と軍部の強力な情報操作に飲み込まれてしまった当時のマスコミは、アメリカ政府といっしょになって撃墜したソ連側だけを烈しく非難しましたが、私はソ連の責任もさることながら、事件の元凶は、むしろアメリカ軍部であると確信していました。新聞に書き、雑誌に書き、本に書き、テレビでも訴え、そして、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンと国防長官キャスパー・ワインバーガーに毎月のように抗議の手紙を送り続けました。私の場合は、高い国際司法の壁と国家権力・国家機密の壁に「蟷螂の斧」を振りかざしていたことになります。

 ロナルド・レーガンは、1992年にアルツハイマー病になってから、徐々に精神を冒され、最後は肺炎を起こして、2004年6月5日にロサンゼルス郊外の自宅で亡くなりました。キャスパー・ワインバーガーは、対ソ強硬路線に立ち、80年代の「レーガン軍拡」を主導した人物ですが、在任末期には、イランへミサイルを秘密裏に売却した資金を流用するという「イラン・コントラ事件」への関与でも疑惑をもたれていました。その彼も、今年の3月28日、肺炎の治療を受けていた米メーン州の病院で死去しています。そして、私の執念を燃やしていた告発も、ロナルド・レーガンがアルツハイマー病を発病する頃には、大きな心境の変化から転機を迎えていました。私が、長い間の懐疑と逡巡の末に、霊界の妻や長男の生存をゆるぎなく確信し、霊的情報にも真剣に触れるようになっていたからです。報復は一分一厘の狂いもなく働く神の摂理に委ねればよいという心境にもなっていました。

 あなたは優しい思いやりの気持ちから、本村さんのことを、「亡くなった奥様、お嬢様がすごくM氏のことを心配していらっしゃるのに、それを感じる余裕もないのではないか」と、書いておられますが、その本村さんの状況は、かつての私の状況と同じです。私は長い間、妻と長男が立派に「生きている」ことに気がつかず、そのために苦しみ悩みながら、霊界の妻や長男にも心配をかけてきました。私は、つくづく「無知ほど怖いものはない」と考えさせられることがありますが、それは、私自身が大切な家族の生と死について、長い間「壮大な勘違い」をしてしまっていたことをこころから恥じ入る気持ちがあるからです。いまはただ、あなたと同じように私もまた、奥さんと11ヶ月の赤ちゃんが決して「死んではいない」ことに、本村さんが気がついてくれる日の遠くないことを祈るばかりです。

 「朝日新聞」の「折々のうた」(2006.06.15)に、島秋人という死刑を執行された死刑囚の歌が紹介されていました。島さんは、警察官であった父が敗戦で失職し、自らも中学を出て非行少年になったのだそうです。新潟県の農家に深夜忍び込み、主人に重傷を負わせてその妻を絞殺、金品を奪って逃走したのですが逮捕され、死刑の判決を受けました。獄中で短歌を独習し、多くの愛読者があったといいます。1967年11月2日、小菅刑務所で死刑を執行されたときには33歳でした。その島さんが刑死する前の晩に詠んだのが次の歌です。人間の作った法律や制度には裁判制度をも含めて過ちと欠陥がつきものですが、この死刑制度の欠陥についても、改めて強く感じさせられてなりません。

 この澄めるこころ在るとは識らず来て
 刑死の明日に迫る夜温し







 光市母子殺害事件の被害者遺族の悲しみ (2006.06.22)


 武本先生

 いつもHPの更新ありがとうございます。たくさんの宝石のような言葉に、毎日癒されています。

 本日(6月20日)、山口県光市の母子殺人事件についての最高裁の判断が下されました。いつもと同じく、ご主人がテレビに出ておられました。私が拝見したのは、数日前のご主人の様子かとおもいます。いままでも、悲惨な事件のご遺族として闘っておられる姿を何度も拝見しております。御本人の痛み、苦しみ、無念さ、言葉にはできない思いがあふれるお顔をみるたびに、胸がえぐられるような気持ちで見ておりました。

 でも今日のテレビを見ての私の感想は、いままでと全く違うものでした。最愛のご家族を奪われ、はてしない高い壁である司法に戦いを挑んでいるM氏。でもこの方は、闘い、失望してもそれでも闘い、ずっと走り続けていて、ご家族を失った苦しみを、涙で吐き出すこともできずにこの7年間いらしたのではないか。たったひとりで、大きな大きな壁にむかい、ひたすらその壁を殴りつけ、心を落ち着けるときなど、全くなかったのではないか。亡くなった奥様、お嬢様がすごくM氏のことを心配していらっしゃるのに、それを感じる余裕もないのではないか。つらいのに、苦しいのに、それを吐き出す場所すらないのではないか。そう考えると、涙があふれて仕方ありませんでした。

 私は4年前に夫を交通事故で亡くしました。納得などとうていできませんが、夫が亡くなる前に残してくれた様々な言葉や態度で、もしかしたらこの人の魂は、自分の天命をわかっていたのかもしれない、と感じています。そして、絶対にあちらの世界でまた会える、と確信をもっています。それに関して先生のHPからどれほどの助けを頂戴しているか感謝の言葉もないほどです。

 M氏の心がすこしでも暖かなものに包まれる機会があることを祈ってやみません。このままではあまりに悲しくて。。。。先生に申し上げることではないかもしれませんが、どうしても聴いていただきたくて、こんなメールを差し上げてしまいました。お許しください。

  H. I







 I I S の個人セッション等の予定について (2006.06.20)


 I I S (International Institute for Spiritualism) からの案内状によりますと、東京地区の「夏のスピリチュアル・イベント」として、次のような日程で、個人セッションなどが行われる予定です。

 ミディアム:金城寛: 9月5日〜7日 

 ミディアム:仲俣弘子: 8月20日  9月2日

 ミディアム:矢加部サカエ: 8月22日

 実施内容

 1.リーディング(先祖)       
 2.スピリチュアル・カウンセリング 
 3.スピリットガイドのリーディング  
 4.過去生のリーディング      
 5.スピリットガイドの似顔絵
 6.スピリチュアル・ヒーリング
 7.オーラの強力な浄化

 ほかに、種々のアウエアネス・ワークショップなどもあります。

 東京以外の開催地はつぎの通りです。

 仙台(7/19日〜9/3) 上越(8/6日〜8/26) 宇都宮(8/29〜30日)
 大阪(8/17〜9/3) 舞鶴(8/12〜15)  松山(8/31〜9/3) 熊本(8/28〜29)
 福岡(8/23〜27)

 関心のある方は、次の IIS事務室 へお問い合わせしてみてください。

 受付:12時〜18時/水・日・祝 定休

 〒160-0021  東京都新宿区歌舞伎町2-45-5 新宿永谷ビル710
 Tel & Fax  03−5285−4991 (携帯:090-6953-1419)
 E-メール : info@iis-org..jp
 Web Site  http://www.iis-org.jp







 実を結んでいく真理についての学び (2006.06.14)


 もりと ともこ 様

 メールを有難うございました。

 私の妻・富子と長男・潔典の消息については、毎年、東京とロンドンの二つのルートから入手していますが、ロンドンからのものは、もうそろそろ届く頃です。ただ、東京ルートのものは、日本語のテープに吹き込まれたものを一字一句そのまま文章に表すことができますが、ロンドンルートの方は、霊媒のアン・ターナー自身の方言のなまりのほかに、霊言特有の発声や言い回しがあって、それらを日本語に翻訳するのはあまり楽ではありません。

 翻訳の過程で、日本語と英語の相違による翻訳の誤差もどうしても出てきますから、特に私的な内容のものは、その誤差を恣意的に拡大してしまいやすいことをも懼れて、いま手許にあるものも日本語化することには手間取っています。しかも、大英心霊協会での数多くの霊言の内容は、かつては、テープに録音することはしないのが普通でしたから、私の場合も霊言内容のメモが残っているだけです。皆さんのご参考にしていただけるようであれば、それらを含めて、そのうち、要約のような形にしてでも、ロンドンルートの霊言の記載を増やしていきたいと思っているところです。

 ともあれ、このような数多くの霊言を通じて、私はいろいろと霊界の真実を教えられてきました。「大空の会」のセミナーでも申し上げましたように、妻や長男がいま霊界でこころ安らかに過ごしていることについては、私は、なんの疑問も不安ももっておりません。むかし考えられていた「アメリカ留学」よりは少し遠くなりましたが、長男はいま母親と共に「霊界留学」中で、そのうち、また逢えることについても、なんの疑問も不安もありません。かつて、無知の暗闇のなかで悲嘆にくれていた頃は、こんな不幸なことはないと思っていましたが、霊的知識にいくらかでも目覚めたいまでは、むしろ、天から大きな恵みを与えられていることを、こころから感謝するようにもなりました。

 やはり私たちは、この世に生きているうちに、いのちの本質について理解できるようになることが大切ですね。私たちはなぜ生まれて、死んだら一体どこへ行くのか。古来、多くの聖賢、哲人、宗教家などがいろいろと教えを説いてきましたが、そのなかでも、ゆるぎない確信をもって、自分の師と崇められるような人を見出すことができたら、自分の一生にとって私は何よりも大きな幸せであろうと思います。私にとっては、そのような師がシルバー・バーチです。世界中の何百万人のひとりに過ぎないのかもしれませんが、私は、自分がこの世を去る前に、シルバー・バーチの教えに触れることが出来たことを、そして、いまも日々、その教えに触れていることを、大変有り難い、大きな幸運であると思わずにいられません。

 あなたは、メールのなかでも「今日の言葉」からいくつか抜き出してくださいましたが、シルバー・バーチのことばには、あなたもよくご存知のように、深い叡智の輝きがあります。ここで取り上げているだけでも膨大な量になる真理のことばには、すべて強い説得力が感じられますが、それは、天の摂理を身近に体験し、宇宙の真理に精通しているからこその魂に響く力なのでしょう。そのようなシルバー・バーチのことばを、いつも熱心にこのホームページを通じて学んでくださっていることを改めてお礼申し上げ、あなたの学びが着実に実を結んでいくようになることを、こころからお祈りしています。







 霊界の真実を学ぶことができる幸せ (2006.06.14)


 武本先生、毎日ありがとうございます。

 5月の半ばから1ヶ月も、ただありがたく読ませていただくばかりで、たくさん学んだこと、感動したことがあるのに、お便りもお礼もせず、ごめんなさい。でも毎日感謝して、ありがとうございますのお礼の言葉とレイキ(霊力)の光を送っています。

 ミディアムからの潔典さんと富子さんのメッセージと霊界でのご様子を読みました。大空の会で、「海外にでも留学させているつもりです」と先生がきっぱりとお話されていた様子がまたはっきりと思い出されました。その時も先生の確信されているご様子に私はとてもありがたく安心しました。

 そしてまた今年のお二人の霊界でのご様子を読むことができ、あちらの世界でもお二人が精進され修行され、ご活躍されていることが、手にとるように分かりました。ありがたいです。私も命の永遠性を確信しています。ありがとうございます。心から感謝しています。

 潔典さんからの先生へ、「寿命がある間は命を大切に、お役目を立派に果たしてください、いずれ時期がきましたら必ずお迎えに参ります」というような励ましがありました。私もとても嬉しく思いました。体は見えなくても、触れることはできなくても、こんなに成長され、お父さまを気遣い、高潔におなりのご子息に、感動しました。奥様もです。でもまだまだ先生はこの世で苦悩している魂をこれからもお導きくださいませ。お願いします。

 先生の「今日の言葉」から、心に浮かぶままに書きます。

 「背後霊の援助は準備ができた分だけ受け取れる。困難な時は心を平安に保ち、守護霊の援助を待ちなさい。」

 「祈りは神に波長を合わせること。神の意志と調和させること。神とつながること。自分自身を高めること。人のために自分を役立てようと願うこと。その願いが祈り。決して我儘に私利私欲を願うことではない。」

 「命は永遠。肉体のある間は、肉体を失ってからの命のための準備期間。」

 「宇宙の法則、自然の摂理。誰一人として忘れられることがなく、平等に与えられる摂理。愛と慈悲と叡智と調和が、神・大霊の意志。そして神は私たち一人ひとりの中にいる。」

 「思念は実現する。霊界では物質はなく、思念がそのまま実現する。この世でも私たちは私たちの思念を持っている器官を通じて表現している。実際に行動していなくも、思いの波動は伝わってしまうし、一番自分に影響する。だから正しく思い、話し、行動するのだ。」

 「人類は皆兄弟。それは何度か生まれ変わっているうちに、親子だったり、兄弟だったり、しているのだから。」

 まだまだ中途です。是非これからも先生の教えを伝えてくださいませ。

   もりと ともこ







 神様との約束を立派に果たした稀有の魂 (2006.06.13)


 S. U. 様

 メールを拝見して涙を抑えることが出来ませんでした。壮大な宇宙の摂理のなかで、神様の掟に従って、光のようにこの地上生活を駆け抜けて行った貴裕君の姿には、こころからの感動を覚えます。そしてまた、そのような貴裕君の人生をしっかりとポジティブに受け止めておられるお父様のあなたの姿にも、深い感銘を受けました。貴裕君が「涙を流して喜んで」おられたのもよくわかるような気がいたします。

 私たちはこの世に生まれる前にも、それぞれに、この世での人生設計を魂の奥に刻み込んで生まれてくるといわれます。同じように、自分がこの世を去って魂の故郷である霊界へ還る時機についても、本当は、一人ひとりが魂の奥深くで自覚しているのではないでしょうか。通常は、それが表面に出てこないだけで、勝れた霊能者には、その魂の奥の自覚まで、読み取れる人もいるようです。貴裕君の場合は、薄々とその自覚を感じ取っていたのかもしれません。

 貴裕君が言われたように、本来、小学6年生で天に戻らなければならなかったのを、神様にお願いをして2年延ばしていただいた、というのが、おそらく、真実でしょう。そのためにこそ貴裕君は、最後の2年間は、あのように、輝かしい稀有の実績を積み上げられました。そして、そのあとは、神様との約束を立派に果たして、流れ星が大きな光跡を残して大空に消えていくように、霊界へ還っていったのでしょう。

 世の中には偶然は無いといいますが、あなたは、そのような貴裕君の本当の光り輝く姿を、知るべくして知るようになられました。「神の大きなプロジェクト」に参加している現在の貴裕君は、この世の大地に残された稀有の足跡と決して無関係ではないはずです。貴裕君がこの地上では栄光の生涯を送られたように、いまは霊界で、神様に守られながら光の道を歩んでいることを、十分に理解し、強く信じ、そしてこころからの声援を送ってあげたいと思います。








  神様からいただいた光り輝く最後の2年間 (2006.06.13)


 おはようございます。先生のHPは、「大空の会」に参加していらっしゃる方よりお聞きし、毎日拝見いたしております。札幌にいらしたこともおありとの事。私は単身赴任で現在釧路に居住しています。留守宅は札幌の清田区です。札幌に住まわれられていたということで何か、身近に感じられます。

 私の息子の事ですが、6年前に15歳で自らあの世に帰ってしまいました。この世的には何も理由はありません。それは、青春の絶頂期というものであったからです。陸上では100Mにて全道優勝、陸上部のキャプテンにもなりました。さらに、当時は北見にいたもので、ラグビーを小学2年より始めて、俊足もあり亡くなる年には中学の代表にも選ばれました。亡くなる前月は学園祭で主役、生徒会の副会長に選任されたばかりでした。この世的には亡くなる、自死する理由などなにもなかったのです。それから私の苦悩は始まりました。

 それらの理由が分かったのは三回忌の時でした。必然的であったかもしれませんが、高次元と交信ができる方に、是も縁なのでしょうか、めぐり合う事ができてその理由を知る事ができました。息子が伝えてくれたのは、本来、小学6年にて天に戻らなければならなかった。しかし神にお願いをして2年延ばしていただいたというのです。

 その2年間の活躍は親として、これ以上はないというものでした。陸上の競技では全て優勝。(100mで9秒台を出したアジア人はいないぞ、貴裕が9秒台だしたら、パパがマネージャーになるかな、などと冗談をいいあったものです) ラグビーもその素質から、北見のラグビー界の重鎮からも一目置かれており、私の自慢の息子でした。それが、突然居なくなりました。中学のグランドの小さな木にて、15年の一生を終えていました。

 三回忌に当り息子が私に伝えてきた事は「僕の人生を尊重してほしい」というものでした。この世的には、自死は哀れな結末のような意味をもちますが、別の意味がある場合が、あくまで場合ですが、あることを納得しました。あれだけの息子です。その息子のいう事を私は認めないわけにはいきませんでした。その時、「わかった、貴裕の一生を尊重します」と伝えてもらうと、息子は涙を流して喜んでいたとの事。これから何をそちらでするのかと聞きますと、神の大きなプロジェクトに参加するという事でした。

 それと、息子が言ったのは、「僕はどこにでも居ます、だから、どこにあっても僕を感じることができます」というものでした。三回忌に来る時に何か合図をしては? という仲介役の方の言葉に、息子は必ず帰るとの約束で、何か証拠を残すと言ってくれました。その夜、茶箪笥のおわん一つが音とともに真っ二つに割れました。それが合図でした。息子の魂が生きている証拠です。(茶箪笥の中で落ちる事はありえないのです。)

  先生の霊界通信も読ませていただいています。私は、良く分かります。悲惨な事件事故でしたが魂の崇高な目的のためにはやはり、ということを、つらいですが、認めなければならないのでしよう。先生ご自身も自らの前世など悟られ素晴らしい事です。私といえば、社畜とでも言いますか、管理職としての悩みに押しつぶされそうな毎日です。しかし、それも修行か(自ら望んだ?)と自らに言い聞かせる日々です。

 先生の学びの栞、霊界通信は日々の私の唯一の純粋な楽しみです。これからもお元気で宜しくお願いします。今日の霊界通信の下段をスクロールすると「また会える日まで」というお題をみつけました。私の大事にしているビンカシワさんより頂いたポスターが、まさにその題なのです。このポスターを見て、息子と会える日を楽しみにしています。長々とすみません。有難うございました。

 S. U.







 ささやかな道しるべになればと願いつつ (2006.05.15)


 もりとともこ 様

 新幹線の中からのメールを有り難うございました。「大霊、守護霊の加護と導き」がいつでもあると信じられることは、大切なことですね。私は長い間、大霊も宇宙の摂理も守護霊のことも、なにも分からず生きてきましたが、いまでは、それが少しかもしれませんが分かるようになりました。そして、「加護と導き」を受けていることにも、感謝しながら幸せに思っています。

 もし私が、かつての悲嘆のどん底に突き落とされるような体験を持たなかったとしたら、或いはいまでも霊的真理からは遠く、世の多くの知識人といわれるような人びとがそうであるように、「霊界」などと聞いただけで、拒絶反応を起こしていたかもしれません。今の世での自分の一生が終わる前に、この何よりも大切な霊的真理― それもまだ、ほんの少しだと思いますが― を知ることができて、死ぬ前で「間に合ってよかった」というのが率直な実感です。

 私は、もう何十年も前に、父や母を亡くした時にも長い間悲しんだ記憶がありますが、その当時から、もしいまのように生と死の真実の一端でも知っていたとしたら、どれほど救われたことであろうと思うことがあります。そして、何よりも、父と母に、死後にも生き続けるいのちの実相を伝えることがもしも出来たとしたら、私はそれだけでも、少しは、両親に対して恩返しができたかもしれないものをと、痛切に考えることもあります。大学教授というのは、霊界などという非科学的なものに関心をもつべきではないというような牢乎として抜きがたい「世間の常識」のなかで私は長年過ごしてきて、いまではつくづく、無知ほど恐ろしいものはない、と感じさせられてなりません。

 私のホームページは、ごらんのように、あまりにも長い間、無知と暗黒のなかで生きてきた後悔と反省が背景になっています。暗闇のなかから幽かな燭光を感じられるようになるまでの私の迷いと挫折の足跡を含めてすべてここに曝け出していますが、これらは、あるいは「反面教師」的な意味で、ささやかな道しるべになることもあるかもしれません。それを、あなたのご両親にまでお読みいただいていることをお伺いして、たいへん有り難く存じています。ご両親のためにも、このホームページで毎日発信していることが、少しでもそのご縁にお応えできるようにと、祈るばかりです。






 毎日の H.P. のメッセージに導かれて (2006.05.15)


 武本先生、毎日ありがとうございます。もりとです。

 レイキ、霊力通路となる学習会に向かう新幹線の中からです。本当に毎日ありがとうございます。シルバーバーチの霊訓も先生の論文もありがたいです。一日付けの川津さんのお話と祈りのお話にも改めて感じ、考えることができました。

 大霊、守護霊の加護と導きがいつでもあると信じられます。また真の祈り、相手への真心と祈り主の霊性が祈りの効果、実現に関わるということも、私も同じ思いです。毎日感謝して読ませていただいています。

 連休中には実家で両親と先生のHPを読みました。二人とも感動していました。母はインターネットの開き方を学び、先生のHPを読みだしました。父は以前私が父のPCに登録したので読んでいたそうです。

 両親は互いに少し甘えがあり、すれ違うことがあります。他の人たちには二人ともとてもよい人たちなのですが。きっと学びなのでしょう。私は大好きな両親がさらに幸せになれると感じます。それも先生のお陰です。ありがとうございます。またPCからメールします。

 もりとともこ







 苦しみや悩みを乗り越えていくために (2006.05.13)


 H. M. 様

 あなたご自身が精神的にまだ立ち直れていないのに、お父様も重病になられたということで、ご心配の様子をいろいろとお伺いしました。苦しみや悩みが重なると、どうしてもものごとを暗く否定的に考えてしまいがちになるのが普通ですが、そういう状態から少しでも抜け出すためには、やはり、知るべきことを知るということが何より大切であろうと考えます。

 シルバー・バーチをまだよく読んでおられないようにお見受けしましたので、あなたが期待しておられるかもしれない私からの慰めや励ましのメールよりも、ここでは、このホームページに取り上げている「今日の言葉」から、とりあえず読んでいただきたいいくつかを抜き出して、お返事に代えさせていただきたいと思います。それらを読んでいただくと、あるいは、次に読むべきものへご自分で進んで行かれるようになるかもしれません。

 「今日の言葉」のインデックスには現在114の項目がありますが、つぎにご紹介するのは、そのうちの6つだけです。その他の項目も、ご関心のある部分だけでもどうぞお読みください。引用の文はすべて「学びの栞」で検索できます。「学びの栞」のインデックスからも、いろいろとご参考になる文を見つけることが出来るかもしれません。これらのことばを学び、その意味を理解することによって、苦しみや悩みがいくらかでも克服されていくことを願っています。

 *****

 9. 「何も知らずに誕生してくるのではありません」
 私たちは、生まれてくるとき、自分の魂の修行のために最適な両親を選び、最適な環境を選んで生まれてきます。この場合、最適な環境とは、もちろん、何の不自由もない「恵まれた」環境ということではありません。むしろ、その逆の方が修行のためには大きな意味があるようです。

 11. 「その身体があなたではありません」
 私たちは、実は、永遠の霊的存在です。私たちは死んでから霊になるのではなくて、生きている現在、すでに霊なのです。しかし、「人間は毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしているうちに、つい、その物的なものが殻にすぎないことを忘れてしまい」、実在ではないものを実在と思いこんでしまいます。

 12.「克服できない困難というものは絶対に生じません」
 シルバー・バーチは次のように言っています。「自分の力で解決できないほどの問題に直面させられることは決してありません。克服できない困難というものは絶対に生じません。重すぎて背負えないほどの荷物というものは決して与えられません」。

 23. 「この世の中には心配することなど何一つありません」
 「私は自信をもって皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません」とシルバー・バーチは言っています。そしてこう続けています。「人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう」。

 76. 「精神と霊に生じたことがみな肉体に反映するのです」
 「あなた方は肉体を具えていますが、これは一種の機械です。つまり肉体という機械をあやつりながら自己を表現しているわけです。かりに悩みを抱いたとしますと、それは水門を閉ざすのと同じで、生気の通るチャンネルを失うことになります。つまりエネルギーの供給がカットされ、不健康の要因ができあがります。あなた方がそのことに気づくまで、肉体は悩みと病気の悪循環を繰り返します」とシルバー・バーチは言っています。

 114. 「苦を味わわねばならないということです」
 人生が平穏無事で、カネやモノにも不自由せず何の苦労もないことを、人びとは「幸せ」と呼びます。しかしそれだけで終わってしまったら、それは実は、大変不幸なことなのかもしれません。シルバー・バーチの次のようなことばをかみ締めておきたいものです。「魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、光明も導きも無くなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします。ドン底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです」。







 「学びの栞」(A)インデックスの修正について(再)(2006.05.07)

 
 4月25日に修正のお知らせをしましたが、その後、つぎのように修正を追加していますので、お知らせいたします。なお、このインデックスを修正しますと、修正箇所にリンクしている「今日の言葉」の引用記号も修正しなければならなくなります。注意して、「今日の言葉」とのリンク関係をチェックしていますが、もし修正漏れがあって、引用文の所在を確認するのにご不便をおかけしているようなことがあれば、ご一報いただきたく存じます。

 今回の「学びの栞」(A)インデックスの修正は、次の通りです。

 No.27 「無知と恐怖心」→「無知・迷妄」に修正 
 No.28 「死刑制度」。従来の「霊力」はNo.63へ移して、「霊と霊力」に修正
 No.30 は空欄。従来の「霊言」はNo.60へ移して、「霊言・霊的交信」に修正
 No.35 「世の中を良くしていくために」→「社会の改革」
 No.37 「シルバー・バーチについて」に修正。従来の「死刑制度」はNo.28へ
 No.43 「世の中に偶然はない」→「偶然・必然」
 No.48 「地上では正義が勝つとはかぎらない」→「公平・不公平」
 No.52 「人類は互いに兄弟であり霊的に一体である」→「人類は互いに兄弟」
 No.53 は空欄。従来の「霊的真理の教えを妨げるもの」はNo.59へ
 No.59 「なぜ真理が受け容れられないのか」→「拒絶される霊的真理」
 No.65 「厳しさの中で学ぶのが鉄則」→「学び」
 No.67は空欄。従来の「人に法を説く者の責任」はNo.62へ
 No.68 「人のために尽くすこと」→「奉仕」(人のために尽くすこと)
 No.80は空欄。従来の「シルバー・バーチについて」→No.37

 空欄は現在4箇所あって、少し見苦しいのですが、『シルバー・バーチの霊訓』13冊分の残りの入力過程で項目が増えるかもしれません。シルバー・バーチの教えを理解するためのより便利なインデックスになるように、これからも修正を予定していることをご了承ください。






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2006. 1〜 4
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