「死ぬということはどういうことか」について (2008.06.30) おはようございます。身辺雑記No,56のFoot Printとともに、No,58の「死ぬということはどういうことか」についても感銘を受けました。スッと心に入り込む感銘感。真実、本当の言葉(分かりやすく、何の違和感もなく理解できる)であるからだと確信します。 本当にそう思えます。「死」は漢字としての字体も忌み嫌われる響きを持っており、特別なものに人間がしてしまっているのではとも思えてきます。ただドアをあけて隣の部屋に移動するだけのこと・・・・・・こんなに「死」に対して安心できる言葉はないでしょう。スピリチュアルの歴史のあるイギリスならではなのでしようか。 お釈迦様も宗教の専門家ではありませんでした。その高弟といわれる方々も高い学識を持った人々ではなく、ほとんど一般民衆でした。お釈迦様のその説法は、わかりやすくとても自然であり、綿が水を素早く吸収するように人々の心に浸透したということです。 機会あるごとにこの話をいろいろなところで紹介しています。先生の訳文が良いのでしょうか?ヘンリー・スコット・ホランド大聖堂参事が時を越えて私の魂に波動としてその響きを与えてくれているようです。 これからも、このようなお話のご紹介お願いします。ありがとうございました。 内田修一 探し求め続けて会うべき人に会う (2008.06.14) T.M. 様 ロンドンからのメールを拝見しました。リージェンツパークのバラの美しさのことなどお伺して、郷愁に似たような懐かしさを感じています。 アン・ターナーさんとは、私がロンドンにいた頃からの長い付き合いですが、SAGBで彼女にはじめて会ったときから、私はその邂逅が、何か偶然ではないような気がしていました。前のメールでも、「いまにして思えば、私がロンドンへ行くことになったことを含めて、私は大きな力でSAGBに導かれ、目を開かされ、そして救われていったような気がします」と書いています。 実は、そのアン・ターナーさんは、いま肺がんの治療中で、個人シッティングができる状態ではないようです。私は、日本へ帰ってからも、長男の誕生日である6月5日には、一年も欠かさず、毎年彼女を通じて、霊界からの通信を受けてきましたが、今年は初めて、それも中断せざるをえませんでした。そのようなわけで、いまはご紹介できないことを、どうぞご了承ください。 あなたもご存知のように、ミディアムにもいろいろな人がいて、霊能力も千差万別ですが、私は、一生懸命に求めているうちに、会うべき人には必ず会えるのではないかと、思うことがあります。SAGBには金城寛さんもおられますが、日本でお会いした時、金城さんから、「神様ではないかと思えるほどのミディアム」にロンドンで逢ったお話を聞いたこともあります。 どうか、あなたも、小さな挫折感で怯むことなく、貴重な能力の開発に精進していかれますように、こころからお祈りしています。 ロンドンで霊能力の開発を目指して (2008.06.14) 武本先生 こんにちは。4月にお便りをさせて頂いた、ロンドンSAGBにてミディアムのためのトレーニングを受けている T.M.です。その折には私の突然のメールに対して温かなお返事をいただき、心よりありがと うございました。お変わりございませんでしょうか? 実は最近、ミディアムの能力を高めるトレーニングを続ける中、自分の能力の限界を感じていまして、小さな挫折感を味わっています。そこで、イギリスに住んでいるうちに、素晴らしいミディアムの方にできるかぎりお会いして、お話を聞くことができたら、と思っております。 先生が以前お話をしてくださいましたアン・ターナーさんにもお会いできたら、と思っているのですが、彼女がウェールズにて、今も現役でミディアムの個人シッティングなどを続けていらっしゃるか、先生はご存知でしょうか。ご友情を保たれていらっしゃるとのこと、もしもその件の情報をお持ちでしたら、どうかお教えいただけないでしょうか。不躾なお尋ねをお許しください。 ロンドンは今、バラの季節のまっただ中です。リージェンツパークのバラたちは息をのむほど美しく咲き誇っています。日本はきっとあじさいたちが元気に咲いているころですね。 どうぞお体にお気をつけてお過ごしください。先生のもとへあたたかな幸福が降り注ぎますように。 T.M. 本当の意味で救われるためには (2008.03.17) 瀬野彩子様 メールを有難うございました。霊界からも多くのお子さんたちがあのセミナーに「参加」してくれていたということを、そして、そのなかには、中村さんのお嬢さんがおられたということもお伺いして、うれしく思っています。 セミナー当日は、1時からの会員の皆さんの一人ひとりのご発言も、私は一番後ろに座って拝聴させていただきましたが、たまたま私の隣に座っておられた方が中村さんで、一月に天国に召された「スリムで可愛い大学生」のお母さんであることを知り、涙を抑えることができませんでした。耐え難くお辛いであろうご心中をお察し申し上げながら、セミナーへのご参加を、私もこころからお礼を申し上げました。 あなたからの別のメールでお知らせを受けていた教え子のK さんとも、30年ぶりに、会場でお会いできました。はじめは、出席できないということだったようですが、急に状況が変わって、「大空の会」での再会になりました。私の授業では無遅刻無欠席で、成績もクラスでトップの学生でしたが、卒業後は、いろいろと人生体験を経て、生と死の問題にも深く関心を持つようになったのだそうです。会場でそのK さんが下さったバラやカーネーションのブーケは、あのあと、私と一緒に東京から札幌へ移って、いまもこれを書いている私の傍で美しいいのちの彩りを湛え続けています。 「秋のセミナー」については、いまはまだ、予定をたてられる段階ではありません。ただ、もしまた、やらせていただくようになっても、私から申し上げたいこと、訴えたいことは、結局は今回のセミナーで申し上げたことと同じことになるでしょう。お子さんを亡くされて深く悲嘆の底に沈みこむというのは、人間の情として当然のことかもしれませんが、そこから浮かび上がるためには、そして、本当の意味で救われるためには、やはり、生と死の真実を知ること以外には道はありません。愛し子の死が、実は、決して惨めでも、不幸でも、不公平なことでもないということを、そのことを教える真理のことばを、どうしても学び取っていかねばならないのだと思います。 ***** ここまで書いたところで、あなたからの追加のメールを拝見しました。セミナーに対する感動のメールが参加者の方々から寄せられているということで、私も少しは道しるべとしてのお役に立てたかもしれないことを喜んでいます。写真も送っていただき有難うございます。 3月14日のTさんとの「メール交歓」(こういうメールの場合は、やはり普通の「交換」のほうがいいのではないかと思うことがあります)では、89日間のいのちを健気に生きてみせてくれた光ちゃんのことが伝えられました。光ちゃんには、このメールを読んでくださっている多くの方々とともに、こころからのお祈りを捧げたいと思います。 光ちゃんは、その小さな足跡からも、私たちに多くのことを教えてくれていますが、お母さんは、いまも、死別の深い悲しみに懸命に耐えておられるようです。海外に住んでおられて、今回の「大空の会」に出席が叶わなかったようですが、このような多くの方々のためにも、「大空の会」がこれからも、確かなこころの拠り所になっていって下さることを、切に願ってやみません。 霊界のお子さんたちも参加してくれたセミナー (2008.03.17) 武本先生、こんにちは。 3月13日には、NPO法人「大空の会」(子どもを亡くした親の会)で、武本先生に素晴らしいセミナーを行なっ頂きまして、ありがとうございます。本当に心から感謝申し上げます。先生の力強く、そして響くお声が、参加者の皆さんの心に真っ直ぐに入っていくように思われました。 1月に天に召された可愛いお嬢さんも、その他の天国の方々、お子さんたちもいっぱい先生のセミナーを受けにやってきていました。先生の後ろには先生の愛する家族の方々もいらしてましたが、とても幸せそうに映りました。 会の後に会員達と話しましたが、みんな最後に質問された方の事が印象的だったようでした。奥様を亡くされたその方は「ああしてやればよかった、こうしてやればよかった・・・」とおっしゃっていました。本当に愛する奥様を亡くされた悲しみが、短い言葉ながら切々と伝わってまいりました。でも、質問してくださって、先生より助言を得られて、良かったなあと思いました。そしてそう思う時、ああこのセミナーを開いて良かったなあと思います。 参加者全員が、先生の力強い言葉を聞き、先生の確固たる御心に触れ、先生の良きオーラを受けることができました。ありがとうございました。 どうぞお身体にお気を付けて、良き日々をお過ごしください。そして、秋のセミナーで皆さんと再会してくださいますよう、お願い申し上げます。 瀬野彩子 病気と死から学んでいくもの (2008.03.14) T 様 メールを拝見しました。妊娠中の赤ちゃんが先天性の染色体異常の病気をもっていることを知らされても、出産を決意され、無事に生まれてきたことをこころから感謝されていただけに、そのあとのお別れは、どんなにお辛い思いであったことかと、ご心中お察し申しあげます。 メールのなかであなたには、この世に生を受けることができなかった二人のご姉妹があり、赤ちゃんは、「その魂のどちらかなのではないかと直感で感じました」といわれて、さらに、赤ちゃんが、「祖母に一番会いたかったのだとこれも直感で感じていました」と続けておられますが、私にも、そのような直感には十分に意味があるように思われます。自分の産みの親に一目でも会うために、そのような生まれ方をすることを述べているような例もないわけではありません。 あなたは、病気と死に直面してこられましたが、一人ひとりの人間が霊的な成長を遂げていくためにも、この世で病気や死から何を学んでいくかということは極めて大切な課題であろうと思います。病気や死というのは、一般に受けとられがちなネガティブな面からではなく、視野を大きく広げて、生命の永遠性の認識の中でポジティブに受け入れ克服していくことの重要性も考えていきたいものだと思います。この生命の永遠性の認識がなければ、病気や死によって多くの課題を与えられている意味も理解できずに、嘆き悲しむだけの不幸な重荷としか感じられなくなるのかもしれません。 3月13日の「大空の会」では、このような病気や死の意味を考えるためにも、視野を宇宙的規模にまで広げる必要性を話し合いました。シルバー・バーチの「人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。たとえば他界する″ということは地上では悲しいこと″ですが、霊の世界ではめでたいこと″なのです」 というようなことばも、一緒にかみしめ、そして、さらにその真実を探っていくことができれば幸いです。 初めて授かった娘を亡くして (2008.03.14) こんばんは。はじめまして。現在タイに在住している Tと申します。 この度40歳を過ぎて初めて授かった娘(名前は光:ヒカル)を生後89日で亡くしました。先日、葬儀と四十九日の法要のため日本に2回一時帰国しました。明日、東京で講演会があるとインターネットで知りましたが、参加できず残念です。 妊娠4ヶ月目に羊水検査を受け、「18トリソミー」という先天性の染色体異常の病気を持っていると知らされました。産まれても、平均寿命が74日で、生後1年以上生存する率は1割に満たないとのこと。周囲からは出産に猛反対されましたが、私には堕胎する理由がなく、2007年10月16日光はこの世に無事生まれてきてくれました。この病気は、流産の原因の一つでもあり、本当によく生まれてきてくれたと感謝の気持ちでいっぱいです。 3cmの心臓に7mmの穴があいているという重篤な心疾患があったので、酸素吸入をしたり、胃に穴をあけて(胃ろう)そこから母乳やミルクを注入しました。日本なら心臓の手術を行って助かる事例も多くありますが、主人の仕事の関係もあり、海外での出産を選択し、あえて手術は行わず、NICUでひと月ほどお世話になりました。短い期間でしたが、夫婦で、妊娠中・出産・育児に向き合えたことが幸いでした。 私の母(光の祖母)は2度堕胎をしており、もし、その二人が生存していたなら、私はこの世に存在していなかったかもしれないと思います。そして、光はその魂のどちらかなのではないかと直感で感じました。 出産は、この世に生まれてきたいと思う魂にお腹を貸してあげるボランティアだと言った人がいました。祖母がタイへ1ヶ月ほど手伝いに来てくれていましたが、日本へ帰国するため、祖母の乗った飛行機が離陸した時に光は息を引き取りました。光の魂は、祖母に一番会いたかったのだとこれも直感で感じていました。そして、その娘である私のお腹を選んできたのかなって思いました。 私は、この10年間に家族を4人亡くしています。(祖父は93歳で天寿を全うし、父は65歳で横断歩道上で自動車にはねられ即死、義姉は40歳で癌で死亡、そして、今度は我が子を生後3ヶ月で亡くしました) これだけ死に直面すると、世の中の無常を感じ、死に対する恐怖もなくなり、それは「麻痺」かも知れず、もし「死」に対して「麻痺」しているとしたら自分でも怖いです。 子どもは所有物でないので、執着してはいけないと思いつつ、やっぱり光のことが忘れられません。苦は執着から生まれるとわかりつつ、時々苦しくなります。どうやって生きていったらよいか迷います。主人は、これまで祖父母以外に死と向き合ったことがなく、かなりダメージを受けています。何か良いお知恵があったら教えてくださると幸いです。 T. 第68回 「大空の会」 セミナーの開催について (2008.03.03) 第68回「大空の会」(子どもを亡くした親の会)での私のセミナーが次の要領で開催されます。 テーマ:「愛し子とともに生きる」 日時: 2008年3月13日 木曜日 3:00PM〜4:30PM (「大空の会」の行事は1:00pm から) 場所: 東京ウィメンズプラザ 1F 視聴覚室:B・C * アクセスなど詳細は左の場所をクリックしてください。 今回は、質問中心のセミナーということになっていますので、テーマも必要ないのかもしれませんが、一応、「愛し子とともに生きる」と、つけさせていただきました。この「愛し子」は、「霊界の愛し子」の意味ですし、「ともに生きる」というのは、当然、愛し子は「死んで」はいない、ことを前提にしています。「大空の会」では、いままで何度かこれに似たテーマで講演やセミナーを行なってきましたから、会員の大半の方々は、すでによくご理解のことと思いますが、まだご理解できていない方々を含めて、「ともに生きる」ことの意義をも、またこのセミナーで話し合っていければ、と思っています。 とはいっても、このセミナーが「質問中心」というのは、率直に申しあげて、少し荷が重いような気もしています。私は決して宗教や哲学の専門家ではありませんし、生と死のような極めて重い、そして人生の重要な問題になんでも答えられるような能力も資格も持ってはいません。私にはただ、自分自身の家族の突然の死を契機にして、否応なしに生と死の問題と向き合って歩んでいかざるをえなかった苦しい体験があります。その自分の足跡を振り返りながら、同じような死別の苦しみのなかにおられる方々への、ささやかな道しるべになることができれば、と願っているだけです。そのような気持ちで、この「質問中心」のセミナーを私がお引き受けしたことを、どうぞご了承ください。 なお、このセミナーの連絡先は、つぎの通りです。 NPO法人「大空の会」事務室(瀬野彩子) TEL : 042-562-6803 生と死の意味をともに考える (2008.02.20) 瀬野彩子様 メールを拝見しました。昨年のセミナーの終了後、最初に私のところへ来て、質問をされた方のことは、よく覚えています。あなたが見ておられたように、随分長くいろいろと質問を受けましたので、つぎに質問をしようと待っておられた方々に、ちょっと悪いような気持ちになっていたことも、覚えています。ただ、その方が、息子さんを亡くされた「大空の会」会員のお嬢さんであったことは、知りませんでした。いま、そのスリムで可愛いお嬢さんが、先月末に天に召されたとお伺いして、粛然と襟を正したい気持ちにさせられています。 彼女のお母さんは、息子さんを亡くされていて、今度は、お嬢さんも亡くされたことになるのでしょうか。それでも、2月の「大空の会」には参加してくださったそうで、私は、それだけでも、大きな救いを感じさせられています。「大空の会」がなければ、自らのいのちを絶つために「飛び込み」でもしていたかもしれない、と言われていたくらいの方ですから、いくら学びの最中にあるとはいえ、いままた、このように素晴らしいお嬢さんに先立たれては、絶望の淵に落ち込んでしまったとしても、あるいは当然であったかもしれないのです。 本当に、四十九日も経たないのに、よく「大空の会」に参加してくださいましたね。私は、いまは確信をもって申しあげられますが、それが、お嬢さんに対しては、どんなに盛大な「四十九日の法要」にも勝る、なによりの供養であろうと思います。お嬢さんはいまも立派に生きておられますから、そのようなお母さんの姿を見て、天国ではきっと、こころから安心し、喜んでおられるに違いありません。そのお母さんに、私も、お嬢さんとともに、大きな賞賛と、深い感謝の気持ちを捧げたいような気持ちです。 でも、こういうことは、「大空の会」に出ておられたような方に対してだから言えることであって、「一般の人々」に対しては言えるようなことではないかもしれません。私自身が、自分の無知のゆえに、長い間、霊界の妻や長男に安らぎを与えるどころか、逆に、私に対する心配と嘆きを増幅させるような「無明の闇」にさまよい続けていましたから、私は、いまも、「知らないでいること」の恐ろしさを、骨身に染みて感じさせられています。本当に、知らないでいれば、霊界で元気に生きている愛する家族をも見失ってしまうばかりでなく、この世の自分自身の生存をも無意味にしてしまいかねないのです。その意味でも、やはり、真実を学ぶことは大切だということになるのでしょう。 旧約聖書の「イザヤ書」第55章に、つぎのようなことばがあります。 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、 わが道は、あなたがたの道とは異なっていると 主は言われる。 天が地よりも高いように、 わが道は、あなたがたの道よりも高く、 わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。 いまの私は、こういうことばも私なりに理解できるようになりました。「人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。たとえば他界する″ということは地上では悲しいこと″ですが、霊の世界ではめでたいこと″なのです」(『霊訓』8、p.19)というシルバー・バーチのことばなども頭に浮かんできます。来月の「大空の会」のセミナーでは、また、生と死の、こういう視点の取り方についても一緒に考えていくことができれば、と思っています。 先月末に天に召された素晴らしい人 (2008.02.20) 武本先生 今年の冬は、とても寒かったように思いますが、少しずつ緩みはじめているようです。先生、如何お過ごしですか。また、武本先生に「大空の会」(子どもを亡くした親の会)でセミナーを行なって頂く 3月13日(木)も近付き、会員ともども、とても楽しみにしております。 昨年の4月も武本先生に「大空の会」でセミナーを行なって頂きました。セミナーが終わった後に、数人が先生に個人的に質問していましたが、その時に一番最初に先生に質問した女性を覚えていらっしゃいませんか? その女性は、息子さんを亡くされた「大空の会」会員のお嬢さんです。大学生ですが、とてもスリムでかわいい人です。セミナーが終わって、すぐに先生のもとへ駆けて行って、随分長く質問してましたが、彼女は先生がとても好きだと言っていました。その女性が、先月末に天に召されました。 本当に、素晴らしい人でした。私のことも、とても慕ってくれて、「大空の会」にもよく顔を見せてくれて、電話をくれたこともありました。お互いに過去生からの繋がりも意識していました。彼女は、まだ若かったけれど、誰よりも心強く、潔く、頭のいい人でした。 四十九日もまだですが、彼女のお母さんは2月の「大空の会」に来てくれました。2月の「大空の会」も、そして3月にある武本先生のセミナーも一緒に行こうと、彼女と約束していたそうです。きっと彼女のことだから、セミナーで先生への質問をいっぱい用意していたのかもしれません。 彼女のお母さんが言っていました。「大空の会」がなければ、飛び込んでいたかもしれないと。その言葉を聞いた時、本当に「大空の会」をつくって良かったなあと思いました。また、「大空の会」で学んでいける根底があるので、弱い私も強くなってきていると言っていましたが、学ぶことの大切さは、武本先生より教えていただきました。 3月の武本先生のセミナーは、彼女も参加してくれると思います。もちろん、他の天国のお子さん達や天国の方々も先生のセミナーに参加してくれるでしょう。私も楽しみです。 これから、季節の変わり目を迎えますが、どうぞお身体にお気を付けてお過ごしください。 瀬野彩子 真実のことばに美しく響きあう魂 (2008.01.12) 内田修一様 メールを有難うございました。ラムサの文はシルバー・バーチに比べますと、少し難解なところもありますが、「魂の目が開いた」というおことばをいただいて、紹介を続けている私も、少し救われたような気がしています。FOOTPRINTS (足跡)についても、共感をいただいて、こころからうれしく思いました。 メールを繰り返し拝見して、真実のことばに響きあう魂の尊さというようなことをしみじみと感じさせられています。ラムサがいかに美しいことばで真実を語っても、FOOTPRINTS でいかに深い神の愛が伝えられても、それらが、受け止める側の人の魂に響いていかなければ、真理も神の愛もその人にとっては初めから無縁で、こころに留まることもなく素通りすることになってしまいます。それが、シルバー・バーチのいう真理を受け入れる「用意ができていない」ということなのでしょう。 FOOTPRINTS を 「なんという素晴らしいお話か」と言ってくださっているとき、私の耳には、どこからか、神の深い愛に美しく共鳴する「なんと素晴らしい魂か」という別の声も聞こえてくるような気がしていました。このようなメールをいただきましたことを、重ねて厚くお礼申しあげます。 感銘を受けた FOOTPRINTS の話 (2008.01.12) 武本先生 ありがとうございます。本年も宜しくお願い致します。 「身辺雑記」を読みました。ラムサのご紹介により魂の眼が開きましたが、「足跡」をよみ、眼の中にある眼が見開いたという感覚を受けました。なんという素晴らしいお話か。仏教にも似たような話はありますが、なんとストレートに心に響くお話でしょう。感動、感銘、私自身の魂がこの世で確実な一歩 (大げさかもしれません) を遂げたという感覚です。 これからも素晴らしいお話をお願い致します。先生にこの気持ちを伝えたくメールさせて頂きました。ありがとうございました。 内田修一 明けましておめでとうございます (2008.01.01) このホームページへのクリック数は、143960 で新年を迎えました。近頃は、毎日100〜130 くらいのクリック数で推移するようになっていますが、この数字に近い数の方々が毎日、このホームページを見てくださっていることになるのでしょうか。生と死という「重い」テーマに取り組んでおりますだけに、私にとっては大変有り難く、こころからのお礼を申しあげます。 シルバー・バーチの教えについては、すでに『霊訓』の11冊分を項目別に分類してありますが、これに、拙い作業ではありますが、「今日の言葉」などを加えますと、シルバー・バーチの教えのほぼ全容は網羅できたのではないかと思われます。いま進めております総集編の入力も、内容的には重複するものが多くなっていますので、必要な項目を選んで、すでに入力してある分と共に、繰り返しお読みいただければと思っています。 今年がどうか皆様にとって佳い年でありますように、皆様のご健勝とご多幸をこころからお祈り申しあげております。 |