(日付の新しいものから順にならべてあります)





  生まれ変わりに関するラムサの教えのことなど (2009.06.25)


 O.H. 様

 メールを拝見しました。生まれ変わりについては、ラムサもいろいろと述べていますが、このラムサというのは、三万五千年年前にこの地上で生きていたという古代霊のことです。そのラムサが J.Z.Knightg という現代のアメリカ人女性をチャネルにして、メッセージを送ってきたのが、『ラムサ--真・聖なる預言』です。もっとも、このような生まれ変わりを主張すれば、現在の日本でも、「学会や同僚から奇異の目で見られる」ことは、あなたの言われるとおりだと思います。かつて、コナン・ドイルもそのことをよく知っていて、やはり死後、霊界からのメッセージで、次のように伝えてきたことがありました。

 将来、再び肉体を持って生まれ変わってくるという考えに対して、非常な嫌悪感を口にする人がいますが、これはその人の気持ちが閉ざされていることを示します。・・・・・人間の生活をよく観察し、人間の魂が霊的な完成に近づくことができるには、どれほどの時間が必要かを子細に検討してみれば、人間がたびたび生まれ変わることの必要性がわかるだけでなく、人生の本当にささいな出来事ですら、きわめて重要な意味を持つことがわかるはずです。(「学びの栞B」 23-e)

 しかし、だからといって、生まれ変わりを信じなければならないというものではないかもしれません。あなたのように、多分あるのだろうとは思いながらも、なお、「重要ではない」と感じる方が多くおられても、それは、まったく個々人の受け取り方、考え方の問題で、第三者が口を挟むことではないでしょう。それよりも、このメールで、私が考えさせられたことは、あなたが、「内なる師と出会い後戻りできない意識の変革を強いられ」たということでした。そして、それは「自分を救うためには自分ひとりで足りるというもの」とあなたは述べておられます。

 私自身はまだまだ未熟で、そのような考え方をすることはできません。また、「個人意識は他者の排除を前提とする」ということの意味も、多分その用語の厳密な定義とコンテクストが重要なのだとは思いますが、まだ深く考えたことはありませんので、肯定も否定もできません。身体意識を超えるというような、高度のレベルの問題についても、私は不勉強で、お答えできないことを申し訳なく思います。むしろ、私は、このようなあなたのメールから、何かを教えられ、学び取っていかねばならない立場にあることを私なりに実感させられました。「日々の生活に疲れている」と書かれておられますが、どうぞご自愛くださいますように。








  自分を救うためには自分ひとりで足りる (2009.06.25)


 こんにちわ。 HPを拝見した一読者です。大変興味深い内容を知的に整理されておられるのですね。 日々の生活に疲れている私は、ネット上にも慰めを探して彷徨っており武本さんのH.Pもその中に含まれています。

 生まれ変わりについてのラムサ博士(?)の論文を読みながら、日本では禁忌となりがちなテーマを扱っておられる方もいるのだと知りました。おそらくその方も学会や同僚から奇異な目で見られているように思えますが・・・・・。そのような表面的な諸々の研究や理解が人生の助けになるとは到底思えませんが、科学が進歩して人々の意識が高まることはきっと良いことなのだとも思います。私が知っているのは、多くの人たちは気分の上がり下がりを自分の成長と誤解しているだけで真実を見極める目を持たないということです。

 私は自分の生まれ変わりについても興味がありません。それは多分あるのだろうと思いますが、重要な事柄ではないと感じているからです。意識的に幽体離脱をしたことがありますが、その時の私の五感は通常の状態と少し異なっていました。オカルトの世界で言うところのアストラル体による体験だったのだろうと考えていますが、いずれにしても自分が何であるかと言う認識は依然として身体に留まったままでした。

 生まれ変わりを前提とした話し方をすれば、私の今生は終わろうとしています。それで、少し焦っているのです。私は今生において、内なる師と出会い後戻りできない意識の変革を強いられました。それは自分を救うためには自分ひとりで足りると言うものでした。その時を境に、どこかの場所へ行って助けを求めるという悪癖が消失していきました。

 それまでの私は大変依存心が強く、精神的な苦痛を和らげてくれそうな人を見つけては尋ねて、そうして騙されたり失望するといったことの連続だったのです。しかし、依然として私の意識レベルはとても低く、自分の目の前に起こっている出来事は自分の身体に起こっていると言う誤謬から抜け出せずにいます。加えて私のパーソナリティは強烈に歪んでいるため、留まることを知らない苦痛の連続に疲れ果てています。

 「個人」をテーマにした論文というものはあるのでしょうか?それが実は存在しないという論文があるのなら読んでみたいと思うのですが・・・・・。最近、つくづく思うのはインドの覚者達が言われたように、個人意識は他者の排除を前提とするという話です。私には身体の感覚が強すぎて、この「個人」を排除したいと願っても消すことができません。武本さんは様々な研究を重ねておられるようですが、既に身体意識を超えておられますか?

 O.H.









  霊界からも沢山参加してくれたセミナー  (2009.05.16)


 風薫る五月の嘉き日となりました。

 一昨日、5月14日には、NPO法人大空の会(子どもを亡くした親の会)での大変素晴らしいセミナーをいただき、ありがとうございました。 心より感謝申し上げます。

 ますます力強く確信に満ちた先生の御言葉の数々に深く感動致しました。「先生に勇気付けられた」、「先生に力を頂いた」・・・と、参加者達の感嘆の声が聞かれました。そして、霊界からもたくさん参加してくれました。本当に素晴らしい日となりました。ありがとうございました。

 武本先生のご健康を、心よりお祈り申し上げます。

 瀬野彩子








  女神の生まれたキプロスより   (2009.05.16)


  こんにちは。ご無沙汰しております。 20万回ヒット!おめでとうございます。講演の方も頑張って下さい。
 
 私はニコシアからパフォスに引越しをしました。海が見える場所は大好きなので、日々の生活がさらに楽しくなりました。
 
 去年末、念願のイスラエル旅行をして来ました。パレスチナにも足を運びました。今年は豚インフルエンザの影響で日本大使館から移動するのを控えるようにという警告メールが届くので、予定はしておりません。出来れば、アトス山とイスタンブールに行きたいと願っています。

 ありがとうございます。御身体をお大事に頑張って下さい。
 
 M. K.








  その日に撮られた二重の虹の写真に想う      (2009.05.12)


 K. M. 様

 メールを拝見しました。ほぼ毎日、このホームページを訪れてくださっているそうで、たいへん有難く、厚くお礼を申しあげます。

 このホームページには、私の拙い文章も少なからず含まれていますが、それよりも、シルバー・バーチの教えをともに学ぶことを主眼にしているつもりです。そのために、「学びの栞」(A) で、シルバー・バーチの『霊訓』全12冊を分類し、さらに、それらを理解しやすくするために、「今日のことば」などでも、その要点をまとめてみたりしました。「学びの栞」(B) では、シルバー・バーチ以外のいろいろな貴重な文献を引用していますが、これらも結局は、シルバー・バーチの教えを、側面から補足あるいは確認してもらう意図から付け加えているにすぎません。

 シルバー・バーチの教えは、熟読玩味、何度も何度も繰り返して読まれるべきであり、それだけの価値は十二分にあると思われます。そのことに一人でも多くの方が気がついてくだされば、こんなに嬉しいことはありません。このホームページは、決して一般受けするポピュラーなものではありませんが、それでも、あなたのような方を含めて、毎日100人前後の方々がご覧くださっていることは、たいへん有難いことです。悲嘆のどん底から這い上がってきた私が、こんなことで、社会に対する小さなひとつのご恩返しをさせていただいていることになるのかもしれません。

 あなたが、5月8日に東京の品川で撮られた二重の虹の写真は、本当にきれいですね。私は、この写真に見とれながら、ふと、昨年8月に、その同じ品川で会ったある女性の霊能者のことばを思い出していました。私は、その霊能者から霊言を聞くために会いに行ったわけではなかったのですが、彼女は私の前で目を瞑って、ちょっとお祈りをしたあと、「霊界では、あなたの労をねぎらっておられます」と言ったのです。あるいは、彼女自身、その言っている意味が分かっていなかったかもしれません。しかし、私にはすぐに分かって、胸が熱くなりました。20万回をヒットした5月8日のこの美しい二重の虹の写真は、天からあなたへ向けられた祝福ですが、私もその日に、その祝福のお裾分けをしていただいたようで、たいへん感謝しております。重ねて、厚くお礼を申しあげます。








  20万回 ヒットおめでとうございます    (2009.05.11)


 武本昌三先生

 はじめまして、K. M. と申します。数年前にシルバーバーチで検索して以来、ほぼ毎朝「ともしび」にお邪魔するのが日課となっております。

 先生のサイトでは心の琴線に真に触れること多々で、感動の涙をどれだけ流したことか、素敵なことです。

 5月8日の20万回ヒットおめでとうございます。お疲れの時もあるでしょうに、日曜日以外、毎日の更新、本当に頭が下がります。 どうぞ、お体をお厭いながら頑張って下さいませ。

 ちょうど、当日(5/8)に東京品川で二重の虹が撮れました。 ご迷惑かもしれませんがお送りさせていただきます。 ありがとうの気持を一杯込めて〜☆

  K. M.













  この H.P. をご覧くださっている皆様に  (2009.05.09)


 このホームページのクリック数は、昨日、5月8日に20万回に達し、そして超えました。多くの方々に支えられて、2003年3月末に開設して以来、約6年の歳月が流れてここまで来ました。

 最近は、クリック数が1日100〜140くらいで推移していますから、国内各地から、時には海外から、毎日100名前後の方々が、このホームページをご覧くださっていることになるのでしょうか。拙い私の、このようなホームページに熱心に目を通してくださっている多くの方々に、この機会に、ひと言、こころからのお礼を申しあげます。有難うございます。








  少しでもお役に立つことを祈りつつ  (2009.04.13)


 T. Y. 様

 メールを読ませていただきました。『シルバー・バーチの霊訓』を読んでおられるということをお伺いして、私も救われたような気がしています。すでにご存知のことと思いますが、このホームページでも、『シルバー・バーチの霊訓』は(1)〜(12) のすべてを、項目別に分類して読みやすくしてあります。また、「今日の言葉」でも、シルバー・バーチの教えを、私なりにまとめる作業をしてきました。

 4月7日の「メール交歓」に、5月14日開催予定の「大空の会」セミナー「生と死を越えて生きる」についての「お知らせ」を出していますが、私はいま、そのセミナーで配布する資料作りをしているところです。シルバー・バーチ以外にも、つぎのようなことばや教えをご紹介していこうと思っています。

 ・・・ひとつ偉大な真実を話しますから、これだけは絶対に忘れないようにしてください。生命はけっして終わることがありません。死は大いなる幻影です。なぜなら、いちど創造されたものはけっして消滅させられないからです。死とは、肉体だけの死なのです。肉体の内に宿り、それを操る本質の部分は(もしそれが望むのなら)、すぐにこの場所に戻り、もうひとつ別の化身と統合されるのです。肉体の壁の内に生きる生命力は、生き続けていくからです。それを覚えておきなさい。 (ラムサ『真・聖なる預言』 p. 86)

  ・・・何度も繰り返しますが、私たちは死後の世界で今現在、生きています。これを本当に人類に理解してもらいたいのです。人間は死後も生き残るだけでなく、すべての生命の背後には普遍的かつ創造的な神の力が働いているということ、そして、人間がこの神の力を認識し、すべての生きとし生けるものとの同胞愛に生きる気持ちになるまでは、人間はけっして永続的な心の安らぎ・幸せ・調和を見いだせないということを証明したいのです。 (コナン・ドイル『人類へのスーパーメッセージ』 p.244)

 ・・・愛する者との再会ほど喜びに満ち、心を慰めてくれるものがあるでしょうか。今は亡き、父親、母親、夫、妻、兄弟、姉妹、子供と、再びこの世とあの世の障壁を越えて心を通わせられるということを知るほど、心を慰めてくれるものがあるでしょうか。それは本当のことなのです。素晴らしいことに本当なのです。(コナン・ドイル『人類へのスーパーメッセージ』 p.246)

 コナン・ドイルは、生前から、地位や財産を投げ出してまで、spiritualism のために献身した作家でしたが、「死んで」からも、このようなメッセージを送ってきました。ラムサもコナン・ドイルも、このホームページの『学びの栞」(B) に収録してあります。あなたの学びに、少しでもお役に立つことをこころからお祈りしています。








   がんの告知を受け死について考える  (2009.04.13)


  初めまして。 エルサレム在住の T. Y. と申します。先日、ふとしたことから(言ってみればこれも偶然ではない訳ですが)HPにお邪魔しました。

 昨年の7月にがん告知を受けて以来、死について考えてきました。 そこで、エリザベス・キュプラー・ロス女史の「死の瞬間」という本があることを知りました。日本に頼もうか、ヘブライ語で読むか、と考えていたその時にシルバーバーチの霊訓のことを知りました。「心の道場」が無料で公開しているのを知り、そのときから貪るようにシルバーバーチの霊訓を読み始めました。

 何事も時期というのがあるのですね、1年ほど前から「心の道場」のことは知っていたけれど、読んではいなかったんです。

 実は、私の友人がレイキみたいのをやっており(彼女はエネルギーと呼んでいます)、告知された後、何回か足を運びました。先日、彼女を通して私の父が語りかけてくれたのです。(父は12年前に他界) それまでにも、「お父さんが来てるわよ」といってくれはいたんですが、とても嬉しかったです。

 残念ながら私が直接聞いたり見たりすることはできないのですが、とても素敵な体験でした。 また、次回も父と喋りたいです。

 T. Y.







  「大空の会」 セミナーの開催について (2009.04.07)


 5月の「大空の会」(子どもを亡くした親の会)で、私のセミナーが次の要領で開催されます。

 テーマ:「死を越えて生きるために」
  
 
 日時: 2009年5月14日 木曜日 
      3:00PM〜4:30PM  (「大空の会」の行事は1:00pm から)
 場所: 東京ウィメンズプラザ 2F 会議室
       * アクセスなど詳細は左の場所をクリックしてください。


 今回のテーマは、「死を越えて生きる」ですが、死を超越するということは、大変なテーマであるように思われます。私たちは、死を越えて生きるためには、どのように高遠な生と死の「真理」を会得しなければならないのでしょうか。そもそも、真理とはなんでしょうか。その真理を掴んでいくためには、やはり、仏典を深く究めて、難行苦行の修行を重ねていくほかはないのでしょうか。

 むかし、ヒマラヤ山中で修行していた雪山童子(お釈迦様の前身)は、恐ろしい食人鬼の羅刹に姿を変えた帝釈天が、諸行無常(作られたものはすべて無常である)生滅滅己(生滅するものがなくなり)、と唱えているのを耳にしました。それが真理のことばであることを直感した雪山童子は、さらにその後半を聞くためには、自分は羅刹に食べられてもよいという約束をして、寂滅為楽(静まっていることが安らぎである)、是生滅法(生じては滅することを本性とする)という教えを受けたことが伝えられています。また、般若心経には、「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦厄」とあって、観音様は深い仏の智慧を求めて一心不乱に修行していた時、すべては「空」であることを悟って、一切の苦しみを乗り越えることができた、と述べられています。

 しかし、私たち凡人にとっては、そのような悟り方は、夢のような話で、なかなか実感として捉えることはできません。無明の闇に閉じ込められている私たちにとっては、特に、死は恐ろしく、絶望的で、それがわが身にも降りかかり、愛する者に先立たれたりすると、悲嘆のどん底に沈んでなかなか立ち上がることもできません。そのような凡人の姿を、空海は、『秘蔵宝鑰』 のなかで「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し」と、戒めました。

 一方、シルバー・バーチは、生と死の真理というのは至って単純で、「童子のごとき素直な心になり、無知が生んだ過去の誤った概念から解放された時には、いとも簡単に理解できるものです」(霊訓 12)と述べています。この場合でも、結局、私たちは、本当に「真理が至って単純」なのかどうか、そして、それが「いとも簡単に理解できる」ものかどうかを、自分の理性を働かせて、判断していくほかはありません。愛する者の死を乗り越えていくために、さらには、来るべき自分の死をも乗り越えていくために、藁をも掴む思いの、そういう学びのなかで、一体何が見えてくるのか、あるいは、見えてこないのか、それを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 なお、「大空の会」会員以外の方々も自由に参加できますが、その場合には、下記へ電話で予約していだだく必要があるようです。

  NPO法人「大空の会」事務室(瀬野彩子)
   TEL : 042-562-6803










  悲嘆のどん底にある人を救う霊的真理  (2009.01.27)


 M. H. 様

 メールを繰り返し読ませていただきました。私がかつて体験した衝撃を、あなたもまた同じように体験されたことをお伺いして、身につまされる思いがいたします。私も突然家族を奪われたあとは、何ヶ月か、ほとんど寝たきりのような状態でした。

 ふとしたきっかけで、霊能者がいることを知り、霊界があることを教えられ、死んでしまったと思っている家族も、実は生きていて、通信を受けられることも理解するようになっていきました。しかし、霊界からのメッセージを確信できるようになるまでには、私の場合、何年もかかっています。

 あなたは、「神の存在、生命の永遠性への信仰は現在の私の生きる力になっています」と書かれていますが、このようなことばに接しますと、私もまた、救われるような気がして安堵いたします。これは、言い換えれば、厳然たる天の摂理があって、そのなかで生かされている私たちは、本来が霊的存在であるということでしょう。そのことが本当に理解できれば、あなたの SAGB における「満足できない結果」なども、小さな試行錯誤の一つで、あまり気にされることはないのかもしれません。

 私は、自分が悲嘆のどん底にあったとき、「どんな悲しみも時が解決してくれる」と書かれたのを読んだことがあります。世間には、そういうことを言う人もいるようです。しかし私は、このことばが嫌いでした。家族を奪われて、ほとんど自暴自棄になっていましたから、そんなことばに対しては、激しい嫌悪を感じたりもしていました。いまでは、よく分かるようになりましたが、悲嘆のどん底にある人を本当に救えるのは、霊的真理に目覚めることだけです。「神の存在と生命の永遠性」を知ることだけだと思っています。

  しかし、神と生命の真理に接することができるようになっても、長い歳月を霊的無知のなかで過ごしてきたあとでは、その無知の残滓から抜け出すのに、やはり少し時間がかかるようです。私は、いまでこそ、あの時、なぜあのように苦しんだのだろう、と思うことがありますが、私の場合は、無明の闇が人一倍深かったからなのでしょうか、それだけに人一倍、余計に時間がかかりました。そしていまでは、その「無駄」も、無駄ではなかったと考えるようになっています。どうか、私のように、「歩みののろい」人間もいることも、知っておいてください。あなたのご健勝をこころからお祈りしています。








  愛する家族と再び相見える日まで  (2009.01.27)


 武本先生

 突然失礼いたします。偶然先生のウエブサイトに出会って、深く心を揺すぶられ、本メールを差し上げております。じつは私も2006年7月に突然の事故で家族を亡くし、その衝撃で2ヶ月間、精神病院に入院し、それ以降も苦悩のなかに日々を過ごしてまいりました。

 昨年3月から半年間、日本を離れ、ヨーロッパを旅しておりましたが、ロンドン滞在中は私もSAGBを訪問しました。若い男性の霊媒の方に家族との霊界通信を依頼したところ、残念ながら結果は失望に終わりました。期待が大きすぎた分失望も大きく、これまでずいぶん、英国系スピリチュアリズムの本を読んできましたが、やはりこれも信仰のカテゴリーに入るのではないかと最近では思っています。

 個人的な背景としては私はカトリックでして、若いころは禅に大変傾倒しました。苦悩は依然続いていますが、神の存在、生命の永遠性への信仰は現在の私の生きる力になっています。おかしな言い方ですが、地上での生活がいずれ終わることを日々確認することも私の人生の活力になっています。そのときはこの辛い人生を終結することができるだけでなく、愛する家族と再び相見えることができるからです。

 決して人生に絶望しているのではありませんが、私にとってこの地上の人生が、私の命の全過程のうちで極めて限定的なものであるという信仰が、わたしに辛い現実を静かに受け止めさせ、ともかくもあたえられた命を全うするためのエネルギーになっているという実感を日々新たにしています。

 とりとめのない文章でお読みづらかったと存じます。どうぞお許しください。先生とお嬢様のご健康とご多幸をお祈りいたします。

 M. H.








  新年 明けましておめでとうございます  (2009.01.01)


 2003年3月末に、このホームページを開設して以来、6年近くになろうとしていますが、今年はクリック数 185, 840 で新年を迎えました。日本国内だけでなく海外からも含めて、毎日100名くらいの方々がこのホームページを見てくださっていることになりますが、生と死という「重い」、しかし極めて重要なテーマに取り組んでおりますだけに、私にとっては大変有り難く、こころから厚くお礼を申しあげます。

 「学びの栞」(A) と(B)では、霊的な真理の学びに役立つような、いろいろな教えを抜書きする作業を続けていますが、(A) の『シルバー・バーチの霊訓』については、部分的に抜書きするだけではあまりにも勿体なく、結局、ほぼ全文を項目別に分類してきましした。いま作業を進めている「総集編」も、1〜11巻と内容のうえで重複するような部分もありますが、繰り返し読むということも大切だと思われますので、煩を厭わず、すべてのことばを分類し続けています。分類済みの、1〜11巻とともに、引き続きお読みいただければ有難く存じます。

 新しい年のはじめにあたり、どうか今年が皆様にとって佳い年でありますように、皆様のご健勝とご多幸をこころからお祈り申しあげております。




今までのページをご覧いただけます
2008. 7〜12
2008. 1〜 6
2007. 9〜12
2007. 5〜 8
2007. 1〜 4
2006. 9〜12
2006. 5〜 8
2006. 1〜 4
2005.10〜12
2005. 7〜 9
2005. 4〜 6
2005. 1〜 3
2004.10〜12
2004. 7〜 9
2004. 4〜 6
2004. 1〜 3
2003.10〜12
2003. 7〜 9
2003. 3〜 6