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   新年 明けましておめでとうございます   (2010.01.01)


 私の講演会の主催者や出席者の方々のお勧めとご尽力で、2003年3月末にこのホームページを開設して以来、7年近くになろうとしています。その間、日曜日を除いてはほぼ毎日、ホームページの公開を続けてきましたが、そのためには、度々の私の留守中、溝口祭典の佐々木薫さんが代わって公開してくださるなど、多大のご尽力をいただいてまいりました。佐々木さんには、この機会に改めて厚くお礼を申しあげます。

 シルバー・バーチの教えについては、「学びの栞」(A) と「今日の言葉」などで、項目別に分類したり、内容をまとめたりする作業を続けてきましたが、「学びの栞」A はまもなく終わろうとしています。しかし、このような真理のことばは、何度も何度も繰り返して熟読玩味することが大切だと思われますので、今年も何らかの形で、このホームページでも公開を続けていきたいと考えています。

 昨年は、5月8日に20万回をヒットしましたが、その朝、東京の品川の空にかかった見事な二重の虹の写真を K.M. さんが送ってくださったことが、いまも印象に残っています。そして、今年、2010年の元旦は、227、300 からスタートすることになりました。このホームページも、K.M. さんをはじめ、毎日のように、ご覧いただいている多くの読者の方々に支えられて今日まで続けてこられたことを、読者の皆様方にも、この機会にこころからのお礼を申しあげたいと存じます。

 新しい年のはじめにあたり、どうか今年が皆様にとって佳い年でありますように、皆様のご健勝とご多幸をこころからお祈り申しあげております。








   新刊 『霊的世界からの癒し』について  (2009.11.06)


 ノーマン・テイラー邦子様

 この度は、新しく翻訳された『霊的世界からの癒し』(徳間書店)をお送り下さいまして誠に有難うございました。早速読ませていただきましたが、訳文は非常に読みやすく、ミーディアムの霊界とのコンタクトについて関心をもっている人々には、是非一読をお勧めしたい本だと思いました。著者のゴードン・スミスと親しく、ロンドンの大英心霊協会などで何度も彼の公開デモンストレーションを見てこられたあなただからこそ、このような達意の翻訳になったのであろうと、こころからの敬意を表します。

 この本を読んで、著者ゴードンの誠実な人柄や金銭的な報酬を受けないという奉仕の精神には何よりも感銘を受けました。彼がイギリスで「最もすぐれたミーディアム」として評価されている理由もよくわかるような気がします。特に、あなたが「訳者あとがき」に書いておられる次のような公開デモンストレーションの状況は、強く印象に残りました。このホームページでも、どうか紹介させてください。

 《・・・・・ゴードンはそこにいる人たちのすべてを事前に調べ上げたのではないか、そこにいる人全員と知り合いではないかと思うほど、正確に、具体的に、本人にしか知りえないこと、数字から名前から誕生日から亡くなった理由、日付、何一つ違えることなく、次から次へとスピーディーにメッセージを伝え、それはそれは美しい情熱的なデモンストレーションでした。
 その後何度も彼のデモンストレーションに行く機会に恵まれましたが、そのあまりの正確さゆえ、冒頭に戻りますが、「死後の世界が実在しないことを証明すること」が難しくなってきたのです。存在してくれないと他に説明がつかないのです。》

  ゴードン・スミス『霊的世界からの癒し』(ノーマン・テイラー邦子訳)
    徳間書店、2009年10月31日刊行









  魂の成長のスケールを上っていくために (2009.08.21)


 S. N. 様

 メールを拝見しました。善と悪については、性善説や性悪説で一方的に割り切れるのではなく、やはり、一人ひとりの中に善と悪は「共存」していると思います。誰もが善行を為す資質をもっていますが、同時に、誰もが悪事を働く可能性をも秘めているということです。人間は決して完全な存在ではなく、不完全であるからこそ、この世に生まれてきました。自分のうちにある悪を極力抑え、できるだけ多くの善を外へ表わしていく、その修行をしていくのが人生ではないでしょうか。

 職場の人間関係などにも、愛だけが存在しているのではなくて、憎しみや嫉妬、冷酷、非情などの悪感情も共存しているのが普通です。憎しみや嫉妬などがあるからこそ、愛の美しさも実感することができるといえるかもしれません。そして、私たちには自由意志が与えられていますから、善と悪、愛と憎しみ、そのどちらを選ぶかによって、魂の成長のスケールを上がっていくこともでき、場合によっては、下がっていくこともあるのではないかと思います。

 魂の成長のスケールでは、上へ上れば上がるほど光に近づいていきます。下がれば下がるほど、闇が深くなっていきます。この光が仏教でいう極楽で、闇が地獄です。そして、このスケールのどの辺にいるかによってその人の霊格がきまっていきます。

 この霊格は、世間での社会的地位、名誉、財産等には、あまり関係はありません。宗教団体の教祖や幹部、大物政治家、高級官僚、大会社の経営者や資産家、学者、知識人などでも、霊界から見ると、霊格が低い人は決して少なくはないようです。私たちから見ても、世の中には、他人に対する優しさや思いやりに欠けた人々が珍しくはありませんが、これもみんな霊格が高くない人々です。あなたの言われる職場の管理者のような人も例外ではないでしょう。

 人格というのは、人間の表向きの生活や社会から与えられた肩書きなど、表面的な装飾物でカムフラージュされていることがあるかもしれませんが、霊格には一切カムフラージュはありません。決して誤魔化すことのできないその人の本当の姿であり、魂の成長段階を示す正真正銘の指標です。ちょうど泥沼の中から無垢の蓮の花が美しく咲き出るように、「五濁悪世」のなかであっても悪に染まらず、愛を失わず、一筋に魂の成長を目指して優しい足取りを続けていく。それが、私たちがこの世に生きる意味といえるのかもしれません。








  善と悪とはそれぞれに存在価値はあるのか (2009.08.21)


 武本先生 

 いつもHPを拝見しております一人です。4年ほど前に8歳の息子を亡くしました。病気ではなく事故のようなことです。自分たちのあり方が大きな理由だったと思っています。

 息子の死を通じて霊的な真理や、人の本質は「愛」であることを実感しました。それでも、日常の職場や様々な人間関係などをみるにつけ、“ほんとうに人の本質は愛なのか” “なぜこのように人を切り捨てることを管理者がするのか”・・・とおもうことが後を絶ちません。

 霊界と地獄とか善と悪とは共存しているとか、それぞれに存在価値があるということが、いまひとつ心に落ちないでいます。もしよろしかったらお考えを伺いたくメールさせていただきました。

 S. N.








  繰り返し教えられている生と死の真実  (2009.08.11)


 E. K. 様

 メールのなかで、シルバー・バーチの「美しい文章にどれだけ慰められた事でしょう」と書いておられるのを拝見して、私自身も、少し救われたような気がしています。「文は人なり」で、その書いているものをみれば、その人の人となりや資質がよくわかりますが、原文の英文の純粋な美しさや魂に染み込むようなことばの深奥な響きは、シルバー・バーチのことばが真実であることを強く訴えかけてくるようです。

 むかし、平安時代の高僧、空海は、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し」と、私たちの生と死に対する無明を諭しました。本当に、私たちは、何度生まれ変わっても、死に変わっても、「なぜこの世に生まれてきたのか」、そして、「死んだら一体どこへ行くのか」、がなかなか理解できません。やはり、むつかしい仏典に必死に取り組んだり、難行苦行をして修行を積まねばならないのだろうか、とつい悲観的になってしまったりもいたします。しかし実は、このような私たちにとって極めて大切な生と死の真実も、シルバー・バーチが「美しい文章で」、何度も何度もやさしく繰り返して教えてくれているのです。

 差しさわりがないように、私自身の体験を基にして述べさせていただきますが、私の長男が母親と一緒に亡くなったのは、21才のときでした。「あんな優しい子がどうして21歳で?」と私は随分長い間、嘆き悲しみました。しかし、今の私は、死が何であるか、を私なりに少しは理解できるようになりました。世間でいわれるような悲劇ではないし、不公平でもないし、埋め合わせがあることも、わかります。何年か前には、ある霊能者から、妻と長男を亡くしたという「大きな悲劇」を「喜んでください」といわれた時にも、そのことばに反発を覚えることはありませんでした。

 生と死をも含めて、すべての出来事は、起こるべくして起こります。それが天の摂理であろうと思います。すべて起こることは、おそらくその人の霊的成長のために必要だから起こっているのであって、だから、決して悪いことではないはずです。ただ、そのことは、この世的な、本当にちっぽけな極小の尺度では理解できませんから、それぞれ勝手に、幸・不幸、運・不運、悲しみ・喜びなどのレッテルを貼っているのではないでしょうか。私たちは、私たちが本来が霊であり、永遠の生命を持つ存在であることを理解できてはじめて、私たちが経験する出来事のすべてに、それが何であるかの真実のレッテルを貼れるようになるのかもしれません。

 たいへん有難いことに、シルバー・バーチは、あなたがお知りになりたいようなことは、すべて、いろいろな形で充分に教えてくれています。私も、それらを少しでも読み易くするために、項目別に分類したり、「今日の言葉」として、まとめたりもしました。どうか、お嬢さんとの「しばらくのお別れ」の本当の意味についても、希望をもって、その「美しい文章」のなかから、探し求めていっていただきたいと思います。








  愛する娘の死の意味を求めて   (2009.08.11)


 武本先生へ
 
 昨年、17歳の娘をガンで亡くしました。あんなに若く、はつらつとしていた娘が突然この世からいなくなり、今でも夢の中の出来事のようです。それまでは、この世の悲しみは私にとっては全て他人事でした。我が子の死によって、この世の中にこんなに悲しい事があるのだと、なにか大きな物に打ちのめされたようでした。出来ることと言えば、ただ涙することばかりで言葉では言い表せない大きな喪失感を味わいました。

 その後、シルバーバーチを知り、美しい文章にどれだけ慰められた事でしょう。こんな悲しみの中でも、いつかは愛する娘と再会できる事を知り、暗闇のなかに光を感じたものです。また同時に、娘の死の意味も知りたくなったのです。

 シルバーバーチは物事には埋め合わせの摂理が働くと言っていますが、この埋め合わせとはどういう事でしょうか?娘の死も埋め合わせの出来事だったのでしょうか? たとえば、私の前世において、子をないがしろにして今生において、子の大切さを知るという体験をさせられているとか。

 我が子が悲しくも短い人生を終え、死後の世界ではその埋め合わせとして幸せな時間を過ごしているとか。いろいろに解釈できると思うのですが、どうか私の愚問に答えて頂けないでしょうか? どうか、よろしくお願いします。

  E.. K.








  死の真実だけが死の苦しみを救える    (2009.08.07)


 Y. K. 様

 メールを拝見して、私にどのようなお答え、或いは、お慰めのことばが述べられるのだろうかと、しばらく考えていました。

 やはり大切なことは、死とは何かを知ることだろうと思います。世間の常識に捉われず、先入観からも離れ、純真なこころで死とは何かを考えていく。死の真実は、あなたが真剣に求めさえすれば、必ず手に入ります。その死の真実を知ることが、おそらくいまのあなたにとっても、一番大きな救いになるのではないかと思われます。世の中には、知らないがゆえに悲しみ悩むことがあまりにも多すぎるからです。

 シルバー・バーチは、最愛の息子を亡くして嘆き悲しんでいる母親に対して、「どうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません・・・・」と教え諭しました。そして、次のように続けています。このなかの「わが子」や「息子さん」を「弟さん」と読み替えてみることはできないでしょうか。

 「あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいた時よりずっと幸せなのです。もう肉体の病に苦しむことがないのです。刻々と蝕まれていくということもありません。内部の霊的資質を開発し、それを何の障害に邪魔されることもなく自由に発揮し、それを必要とする人のために存分に役立てることができるのです。
 あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触わってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください・・・・・」 「学びの栞B」(41-l )

 このようなことばは、まだまだ沢山あります。読みたいと思えばいくらでも読むことができます。あとは、これらの教えを受け入れられるかどうかが問題ですが、まず、述べられていることが、本当か嘘か、をご自分で十分に納得がいくまで、確かめることから始められてはいかがでしょうか。このような言い方に対しては、あるいは、「いま、こんなに苦しんでいるのに」という反発もあるかもしれません。しかし、「こんなに苦しんでいるからこそ」あえて申しあげたいと思います。どうか、ご自分で、このような教えが本当かどうか、まず十分に確かめる努力を真剣になさってみてください。







  たった一人の愛する弟をガンで亡くして   (2009.08.07)


 武本先生

 私は50代の主婦です。この4月にたったひとりの愛する弟がガンのため、私より先に逝ってしまいました。寝てる間だけは弟が死んだことを忘れていられるため、ほとんど寝て過ごしていましたが、こんな廃人のような私を弟は喜ばないだろうと、趣味などに心を向け、それから毎日を活発に暮らしていたつもりですが10日ほど前から体中に原因不明のぶつぶつができて、かゆみで眠れなくなっています。

  3軒皮膚科をまわりましたが、どこも同じアレルギーを抑える薬とステロイドの軟膏ばかりでさっぱり効果がありません。 これはきっと私の体の奥に巣くっていた悲しみがこのような形で現れたのでは?と考えるようになってきました。

 弟亡き後、先生を知ったのも何か弟からのメッセージのような気もしています。私自身霊感もなく、こういう世界の事は半信半疑の人間ですが、猛り狂ったような内なる慟哭にどうすることもできず、メールさせていただきました。

 Y. K.



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