(日付の新しいものから順にならべてあります)






  大震災で被災された奥様やお子さん達のためにも  (2011.06.18)


 T. K. 様

 メールを拝見しました。3月の大震災で、奥様と2歳のお子さん、義母、義祖母の方々が被災し、未だに全員行方不明とお伺いし、私も涙を抑えることができません。さぞお悲しみのことと、ご心中、こころからお察し申しあげます。

 先日の私の出版記念講演会のあと、しばらく経って、何年か前にお子さんを亡くされた方から、つぎのようなお手紙をいただきました。その前にも何度か、私の講演を聞いてくださっていて、私もよく存じ上げている大変明るい、前向きな女性の方です。

 ・・・・息子が亡くなった時、私の世界は一変しました。暗黒の中に、長い苦しみの中に突き落とされたようでした。でもそうではなかった。「真実」を知った時、私の世界は再び一変し、光り輝く喜びの世界の扉を開けたのでした。それは、今までに味わったことのない様な、幸せで満たされた世界でした。今もその世界に居ることに変わりはないはずなのに、私自身の未熟さから心の中に葛藤を抱え、憂え、気持ちの落ち込む状況の中に、最近の私は居りました。
 ご講演を聞きながら、「起こるべきことは、必要だから起こる」、「起こったことはすべて自分にとっては悪いことではない」という、先生の力強いメッセージをいただき、私は目の覚める思いでした。そうでした。私達は「宇宙の摂理」の中で生かされているのでした。有難うございました。先生のお話とご本で、私は原点に立ち戻れたような気がします・・・・・

 私は、このお手紙への返事を先ほど投函したばかりです。その返事のなかで私は、いのちの真理を知って得たものの大きさに比べれば、この世の中の悩みは、それがどのようようなものであれ、小さな、「可愛い」もののように思えることがあります・・・・・などと書いていました。あなたからのメールを拝見したのは、そのあとです。衝撃を受けて、私は泣き出しました。「世の中の悩み」とは次元の違う悲しみであるといえないことはありません。しかし、いまのあなたには、私は決して、この返事のような、こういう書き方はしないでしょう。出来ないでしょう。ただ、涙を流すだけです。

 私は、妻と子を亡くした時、妻の友人であった札幌の霊能者から、「まだこれから3年くらいは苦しまれるでしょうね」と言われたことがあります。しかし、3年どころか、4年経っても、5年経っても、苦しみからは抜け出せませんでした。その私が、いまのあなたに、「どうか悲しまないでください」という資格はありません。優しい奥様や、可愛いお子さんを思い出して、涙が出ないはずはないのです。気が済むまで存分に泣かれたらいいと思います。

 ただ、それでも、真理は真理で、それは、悲しみに暮れている人々のための唯一の救いです。この世の不幸は、「宇宙の摂理」の中では決して不幸ではないでしょう。永遠の生命のなかでは不公平もないでしょう。どうかその「真実」を、あなたのこころの片隅に、そっとしまっておいてください。そして、いつの日か、もう一度、『天国からの手紙』のなかで私が心を込めて書いてきたことばの数々を、辿りなおしていただくことができれば望外の仕合わせです。あなたからいつも離れず、あなたを見守ってくださっているはずの奥様とお子さんたちのためにも、こころからのお祈りと共に、このことだけをお願いしておきたいと思います。








  『天国からの手紙』 を読み少し救われました   (2011.06.18)


 はじめまして、私は33歳の会社員です。 3月の震災で、妊娠9カ月の妻33歳、息子2歳、義母・義祖母が被災し、 未だに全員行方不明です。

 住まいは千葉なのですが、第二子の里帰り出産で妻の実家がある福島県南相馬市へ震災の1週間前に息子を連れて戻っていました。 震災時は、地震発生から30分後に妻から「すごく揺れたけど、全員無事です」 と私の携帯にメールが入り、何度も電話しても繋がらなかったのですが、東京で安心して仕事をしておりました。

 翌朝5:00に義父から私の携帯に、「家も流され、妻達全員避難所にも居ない。誤った・・・・」 と泣きながら連絡して来ました。もう頭の中は放心状態で、その後何を受け答えしたのか覚えていません。

 原発の影響もあり、私が現地に行けたのは1カ月後でした。 「絶対に助かっている」 その希望も、現地の現実を見た時に絶望へと変わりました。もうこの世には居ないと諦めた瞬間でした。捜索もしましたが、結果手に入れたものは、妻の運転免許証、パスポート、避難した車の中にあったチャイルドシートだけでした。

 どうして妻達が逝かなければならなかったのか。 お腹の子が無念で、かわいそう。息子は本当に可愛い盛りで、私にとっての宝物でした。私達のこれからの幸せをすべて奪いさり、神が居るならばなぜこのような試練を与えるのか。他に死ぬべき人間はいるのではないか。色々とこの3カ月間考えましたが、答えはありませんでした。

 そんな時に、この本と出会いました。 読んだ率直な意見として、心が少し救われました。妻は、世話好きで自分よりも他人を思いやる人でした。 本当に優しかった。息子も同様で、まだ2歳なのに公園の滑り台で遊んでいた時に、他の子供に先に遊ぶのを譲ったり、とても優しい子でした。

 本を読み終えた後ふと、選ばれてしまったのかなと感じてしまいました。 しかし、残された私にとっては納得がいきませんが・・・ 妻と息子に会いたい・・・ 話したい・・・・本を読んでさらに思いが膨らみました。


  T. K.









  この本の出版が霊的知識の普及に小さな一石を  (2011.06.14)


 S. C. 様

 『天国からの手紙』をお読みくださって有難うございます。メールを拝見していますと、地名の宝塚をはじめ、人名のサンジェルマンからブライアン・ワイス、シャーリー・マクレーン、山川さんご夫妻に至るまで、私にとっても馴染みの深い名前がつぎつぎに出てきて、懐かしい気がしました。アルーナさんのお名前も、今度の『天国からの手紙』でお世話になった編集の方々から、いろいろとお伺いして親しみを感じています。

 ご承知のように、山川さんご夫妻が訳されたシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』は、全米ではミリオンセラーになり300万部を突破したといわれています。これも山川さんご夫妻が訳された『前世療法』のなかで、著者のブライアン・ワイスは、この『アウト・オン・ア・リム』が出てからは、1981年のギャラップ調査でアメリカ人の輪廻転生を信ずる人の数が、23パーセントであったのが、35〜40パーセントに増えたと述べています。その『前世療法』も世界各国で訳されて、総数200万部のベストセラーになっていますから、霊的知識の普及のためには、シャーリー・マクレーンやブライアン・ワイスはキュブラー・ロスなどと共に、大きな足跡を残しているといえそうです。

 6月5日の『天国からの手紙』出版記念講演会では、私は、昨年行なわれた日本人の死生観についての全国世論調査(「朝日」11.04)の結果の一部を紹介しました。その中で、「人間は死んだ後も、霊魂が残ると思いますか」 という問いに対して、「霊魂が残る」と答えた人は、46パーセントで、「そうは思わない」は、42パーセントになっています。さらにこの質問に関連するものとして、「あなたは、この世とは違う死後の世界や『あの世』があると思いますか」では、「あると思う」が49パーセントで、「ないと思う」が43パーセントでした。ほぼ、2人に1人の割合で、人は死んでも霊魂は残り、あの世へ行く、と考えていることが分かります。

 そして、「あの世があると思う」と答えた49パーセントの人が持っている「あの世」のイメージは、永遠=16パーセント、無=14パーセント、生まれ変わり=33パーセント、やすらぎ=29パーセント、などとなっていました。つまり、あの世があって、人は輪廻転生すると考えている人の割合は、単純に計算すると、49パーセント×33パーセントで、16パーセント強となります。これは、はじめから、「輪廻転生を信じますか」という問いに代えたら、もう少しは、数値は上がるのではないかと思われますが、それでも、アメリカの35〜40パーセントには、遠く及ばないかもしれません。やはり、日本では、一層の霊的知識の普及が望まれるようです。

 あなたが昨年、アルーナ・バイヤースを通して、サンジェルマン伯爵からのメッセージを受け取られたというのは、羨ましい気がいたします。私も自分の輪廻転生のなかで、サンジェルマン伯爵に接近したことがありますので、出来ればいつか、あなたのようにメッセージを受け取ってみたいものです。アトランティスの存在も、霊能者の世界では「常識」になっているようで、私も、『天国からの手紙』に書いているようなアトランティス以来の1万5千年に及ぶ輪廻転生の記録は、何度も聞かされ、いろいろと本なども読んでいるうちに、私なりに理解できるようになりました。

 この本で、あえて個人的な体験を曝け出し、世間に訴えていこうとしているのも、このような輪廻転生の記録が、霊的知識の普及に、小さな一石を投ずることになればと密かに願っているからです。そのような私にとって、あなたのような篤学の士に、この本が支えられていることは、たいへん有り難く、重ねて、厚くお礼を申しあげます。








   『天国からの手紙』で学んだ偶然の必然性      (2011.06.14)


 はじめまして。私は映画「阪急電車」の舞台になっている宝塚の小林に住んでおります。昨日、西宮ガーデンズの本屋さんで偶然手にしました『天国からの手紙』を立ち読みしていたのですが、大切なメッセージが多かったので、買うことにして読ませていただきました。

 愛する家族を亡くされるというのはとても悲しい出来事です。それに付け加え、それが誰もが知っている「大韓航空機事件」だったことに驚きました。今回は心静かに集中して読めました。読みやすかったのと、つらい内容ではじまるのに、深い愛が溢れていて胸が熱くなりました。そして、全ての出来事に意味があったのですね。

 私は精神世界の本を25年くらい前から読み始めました。山川ご夫妻翻訳のブライアン・L・ワイス博士の「前世療法」やシャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」がきっかけでした。今回『天国からの手紙』に出てくるサンジェルマン伯爵ですが、アルーナ・バイヤースがチャネリングする精霊もサンジェルマン伯爵です。

 山川ご夫妻によると、サンジェルマン伯爵の前世はイエスの父らしいのですが、世の中の変わり目に必ず現れる精霊らしいです。山川さんというのは、精神世界の本を翻訳されているご夫妻で、25年くらい前にアルーナ(リア)・バイヤースというチャネラーがきっかけで、大蔵省を辞めてこの世界に入られた方です。そして、25年ぶりに彼女は日本に来日し、今現在、様々な方のチャネリングの依頼を新宿でお受けになられています。http://archive.mag2.com/0000062751/index.html

 実は、昨年、山川さんの25周年の会のお祝いに来られたこのアルーナ・バイヤースを通して、サンジェルマン伯爵からのメッセージを私も受け取りました。通訳は亜希子さんがして下さり、テープにとって帰りました。様々な疑問もクリアーに答え、私自身でしかわからないものも的確に言ってくださいました。本を読み進みながら、私はやはり見えない世界は存在するんだと真摯に受け止めました。そして、アトランティスの内容ですが、実話であると確信しました。

 シャーリー・マクレーンの「カミーノ」の後半に、ここからの先の内容については、書こうかどうしようかと悩んだと、一文を載せてから、アトランティス時代の前世について触れています。信じがたい内容でしたが、ご自身のアトランティス時代の前世やカルマについて正直に書かれています。今回、この本を手にして、アルーナバイヤースが日本にいる間に、前世を詳しくお聞きしてみようかと考えました。前世を受け止められるくらいまで私が成長していれば教えて下さるかもしれないと解釈したからです。

 その理由は、「精神世界」の勉強ばかりを、どうしてしてしまうのか。その分野に興味があるのはわかっていますが、それにしても、意識的にも、無意識的にもそれが仕事のように常に学ぶことをしてしまっているんです。この本で、改めて偶然の必然性について学びました。

 アルーナは私に「社会的な制約を乗り越えて・・・」と伝えてくれました。精神世界は、社会からまだまだ理解されにくいと思っています。私自身の意識が変わる時を迎えたなら、とても嬉しいです。本を通して、人々の意識を変えられる方なんですね。大切な本を出版して下さり、ありがとうございました。

  S. C.









  霊的真実を知ることで癒される悲しみ  (2011.06.11)


 S. A. 様

 ご子息を亡くされてお苦しみのご様子、お察し申しあげます。このメールでは、あなたがどのような返事を期待しておられるか、分かるような気がしておりますだけに、お答えの仕方を、いろいろと考えさせられています。

 一般的には、自殺は、自分が選んで生まれてきた地上生活を勝手に終わらせるわけですから、魂の成長にとっては決してプラスにはなりません。これは誰にもわかることです。地上生活はよく学校に例えられますが、いわば、自分で選んで入学した学校を、卒業を待たずに退学してしまうようなものです。だから、この場合、これも一般的には、もう一度生まれ変わって、前回の経験を活かし、今度は挫けずに卒業まで学び続けていくことになります。

 ただ、自殺した者は、すべて、あなたが書いておられるように、「あの世へ行っても何十年、何百年も苦しむ」ということはないでしょう。シルバー・バーチも、「自殺した者がみんな暗黒界の暗闇の中に永遠に閉じ込められるわけではない」と言っています。一番大切なことは、なぜ自殺したのかという動機です。それから、自殺者の死後の生活も、その人のそれまでの生き方や、霊的進歩の程度によっても、いろいろと変わってきますから、一概には言えません。

 全米でベストセラーになった『もういちど会えたら』という本の中で、著者で優れた霊能者であるジェームズ・ヴァン・プラグは、自殺はたしかに不適当な行為ではあっても、例外があるといって、つぎの二つをあげています。

 一、精神異常や生化学的アンバランスのある個人によって自殺が行なわれた場合。このような状況では、本人が自分の決断を完全には理解していません。彼らが亡くなると、一種の施設″のようなところに入り、そこで精神状態が癒やされ、魂本来の適切な状態を取り戻します。

 二、第二の例外は、適切な時機が来る前に物質界に戻ってしまった魂で、本人がまだ未熟なためにレッスンを学びきれない場合です。自分ではそれなりの力があると思ってはいても、実際に地上に来てみるとどうも落ちつけません。こうした欠陥を持つ場合、死ぬ前にしばしば次のような言葉を言い残します。「ぼくは合わない」とか「わたしには今はふさわしくないと思う」といった言葉です。(中井京子訳、光文社、1998、pp.157-159)

 私は霊能者ではありませんから、この問題ではジェームズ・ヴァン・プラグのような人に頼らざるを得ないのですが、その彼は、「自殺にはそれぞれに異なる事情がありますから、この間題には単純な解決法などありえないことをまず理解してください」といっています。そしてその後で、しかし、そうした「過ちを犯した人」でも、助ける手だてはあると、次のように述べています。私たちは、霊界にいる家族とは決して無関係で生きているわけではないので、これは貴重な助言ということになるのかもしれません。
  
 《・・・そうした死者たちには私たちの思いをこめて話しかけるしか方法はありません。まず、相手に想念を送り、物質界に戻ろうとして無駄なエネルギーを使うのはやめなさいと語りかけます。彼らもすでに肉体から離れていることにきっと気づくでしょう。次に、愛と平穏と許しの念を伝えます。このような美しい思いを伝えることで、悩める霊たちも慰められ、自分の置かれた状況に対する認識を深めるにちがいありません。》(前掲書、pp.159-160)

 このような、霊的な学びが大切であることはいうまでもありませんが、悲しみや嘆きが、愛する家族との間に、大きな厚い壁を作ってしまうことも知っておく必要があります。私は、自分が長い間悲しんできて、そのために、霊界の家族に余計な心配をかけてしまいました。やはり、知らないということは怖いことで、熱心に学び続けているうちに、必ず光に辿りつくことを、強く信じていきたいものと思います。

 それから、自殺は、よく知られているように、そんなに稀なことではありません。私たちも、永遠の生命のなかで、何十回、何百回と、輪廻転生を繰り返しているうちに、どこかの人生で、誰もが、一度や二度は自殺や自殺未遂があったかもしれないのです。確かに、自殺はよくないことですが、過ちを犯してもやがてそのことに気がつき、その後の輪廻転生の中で、その経験を活かしてより充実した生活を築き上げることも十分にありうるはずです。一度失敗したら、もうそれだけで絶望しなければならないことは決してないでしょう。

 私の長年の知人で、現在、映画制作のディレクターをしているTさんという方がいます。優れた霊能者で、自分の過去生のうち、自殺したことも、殺されたことがあったことも、思い出すことが出来るといいます。もちろん、それ以外の過去生では、それぞれに生を全うして霊界へ還っているわけで、今生では、おそらく誰からも、Tさんは霊性に目覚めて充実した生活を送っている、と思われていることでしょう。

 あなたはメールで、自殺も必然か、と聞いておられますが、その前に、お子さんを亡くすことにも意味があることを知らなければならないでしょう。霊界での再会もそうですが、私のホームページだけでも、「学びの栞」などに、学ぶべき資料は、数多く用意してあります。冷たいと思われるかもしれませんが、実は、そういう資料によって、自分で答えを見つけ出していくことが、あなたには求められていることを、何よりもまず、どうぞご理解ください。

 あなたのお悲しみが、これからの学びによって、少しずつでも確実に癒されていくことを、こころからお祈りしています








  一人で逝ってしまった息子を案じて       (2011.06.10)


 武本先生

 初めてメールを送らせていただきます。こんな個人的な内容で大変失礼な事と承知の上ご無礼をお許し下さい。

 今年になってまもなく息子を自殺で亡くしました。前日までいつもと変わらず接していたのに・・・ どうして?なぜ私の息子が?信じられませんでした。自分を責める毎日・・・どうしたらいいのかわかりません。あの日から息子に会いたくて、会いたくて、いろいろなサイトを探しているうち 武本先生のHPに辿り着きました。

 ワイス博士の本 (まだ全部読んではいないのですが)や、シルバーバーチ (これもPC上だけなのですが)その他にもいろいろ読みました。でも何を見ても自殺者はあの世へ行っても何十年、何百年も苦しむとのことでした。この世に生まれてくるときすべて計画を立てて生まれてくるという事は自殺であってもそうなんでしょうか?この世に偶然は存在しない、すべて必然のことなのでしょうか?

 私が思っていることは、今息子は苦しんでないだろうか?自分でしてしまったことを悔いていつまでも死んだことを自覚できずに苦悶しているのではないか?毎日毎日そのことばかりです。もし私がこれから何年後、何十年後、時が来てあちらの世界に行った時息子に会う事が出来るのだろうか、と。

 また私があの世へ行った時 息子は生まれ変わっていて会う事ができなかったりもするのでしょうか?あの子に会いたくて、会いたくて… 今はただつらい毎日を送っていますが、あの子をまだ感じることもなく・・・知りたいだけなのです!今僕は苦しんでないよ!大丈夫だよ!という声が聞きたいだけなんです。本当に私自身がそれを感じられたらこの地上での生活に耐えていけるような気がするのです。

 何か殺人よりも自殺した者たちの方が罪なような言い方をされるのは、残された家族にとってとても耐えがたいものなのです。でも息子は病気だったのです。うつ病という…私にとって明るくて優しいいい息子でした。宝物です。その息子が苦しんでるなんて思いたくないんです。 夢中で先生にこのような事をメールしてしまいました。お忙しことと知りながら大変申し訳ありません。

 武本先生,そしてご家族のご健康を心からお祈り申し上げます。

  S. A.








   これからも着実に真理探究の道を (2011.06.09)


 J. N. 様

 『天国からの手紙』の「はじめに」のところにも書きましたが、私は事件後に書いた何冊かの本の中では、霊界通信に真正面から触れることはありませんでした。いまは、私が体験してきたこのような霊界通信のことを知っていただくのも、いのちの真理を学ぶためには、少しはお役に立てるかもしれない、と考えています。

 シルバー・バーチが言っているように、世間には、霊的真理を受け容れる用意ができている人と、まだ用意ができていない人がいます。「人はもともと霊的存在で宇宙の摂理の中で生かされている」という極めて単純明快な真理でも、かつての私のように、その重大さに全く気づかないような人が少なくはありませんが、一方では、あなたのように、早くから「自分なりに」探求しておられる方々も、また、決して少なくはありません。

 私は、長い間、無明の闇のなかをさまよい続けて、やっと、一筋の光明にたどりつくことが出来ました。そのようにして掴み取った真実は、自分だけのものではなく、人にも伝えていく責任もあるはずですが、それだけに、あなたのような方にこの本を読んでいただけたことを、私のほうからこそ、こころからのお礼を申しあげたい気がしています。これからも、どうぞ着実に、真理探究の道を歩んでいかれますように。








   『天国からの手紙』を読んで  (2011.06.09)


 学研の「ム−」を購読して、開いたペ−ジに、「武本氏の『天国からの手紙』が5月31日発売・・・」とありました。日頃から霊の世界を勉強している私にとって、真実を伝えてくれるものに出会えた!と確信し、書店に並んだその時すぐ買い、一気に読み終えました。

 これまでも霊能者江原氏の書物やシルバ−・バ−チの本、ジャニス氏の「死ぬことの意味」、光明氏の「転生会議」、ゴ−ドン・スミス氏の「霊的世界からの癒し」、脇長生講述「スピリチュアルな生き方原典」など、たくさんあります。宗教など団体に入ることはせず、私ひとり自分なりに探求してきました。

 昭和29年5月5日秋田市に生まれ、今は新潟市で歯科医院を開業している夫の仕事を手伝う生活をしています。私には霊能力はありません。しかし、なぜか、若い時からあの世について興味があったのです。12年前父親を亡くしてから、強く霊の真実を知りたくなったのです。

 大韓航空機事故は、記憶にありました。他の、坂本九氏が犠牲になった日航ジャンボ機事故も。そのたびに遺族の方のせつない表情を、画面を通してですが、見るのは
つらいものでした。だから、今回この真実に出会い、感動しています。このホ−ムペ−ジをこれから、私の学びの一助にして、霊が本質であるという事と、今一瞬の生の中で純真な心を育てる・・・この本に出会えたことを感謝いたします。

 J. N.









  妥協することはできない真理への道   (2011.06.08)


 T. K. 様

 6月5日の出版記念講演会には、わざわざ神戸からご参加くださった由、厚くお礼を申しあげます。

 これまで、霊的知識からは遠い一般の方々を対象にした講演や、「大空の会」(子どもを亡くした親の会)のように、霊的知識を学び続けておられる方々を対象にしたセミナーなどは、何度か行なってきましたが、この記念講演会では、霊的知識に近い方々と遠い方々が混ざり合っていることが予想されていました。それだけに、演題の焦点がずれることがあってはと、少々気になっていましたが、メールで、共感のおことばをいただいて、うれしく思っています。

 「人間とは本来が霊的存在であって、霊的存在であるが故に、死んでも死なない」というのは、いまの世間の常識とは大きくかけ離れてしまっていますから、これは、ある意味では、21世紀の「地動説」のようなものかもしれません。そして、この「地動説」が受け容れられるようになるには、ガリレオの時代よりももっと時間がかかって、もしかしたら、さらに数百年の試練を経なければならないのではないかと、考えたりもします。一方では、坂本政道さんのように霊界探訪を繰り返して最先端の道を切り開いている人もいますが。

 本当は、宗教が霊的知識を真正面から取り上げなければならないはずですが、これには、新しい「宗教革命」が必要になるのかもしれません。講演では、詳しくはお話できませんでしたが、昨年行なわれた日本人の死生観についての全国世論調査(「朝日」11.04)で、「宗教を信じても、死への恐怖がなくなったり、和らいだりすることはない」と答えている人が68パーセントもいることになっています。これでは、何のための宗教か、ということになってしまいます。やはり、あなたが言っておられるように、私たちが守護霊との二人三脚で、頑張っていくことが大切であるようです。

 アメリカでも、キュブラー・ロスやブライアン・ワイスなどの大学教授のほか、シャーリー・マックレーンのような女優を含めて、霊的知識の普及に努めようとしてきた人たちは皆、それぞれに偏見や時には迫害に晒されてきたようです。日本でも、いわゆる「知識人」、「文化人」や科学者やたちの「無知と偏見」は、そう簡単には消えることはないと思われます。でも、真理は真理ですから、妥協することはできません。お互いに励まし合って、一筋の道を歩み続けていくほかはないでしょう。これからのご研鑽をこころからお祈り申しあげております。










  守護霊との二人三脚で霊的摂理の普及を   (2011.06.07)


 武本昌三先生へ

 先日は清澄公園での大変熱のこもったご講演、誠に有難うございました。

 家族を失った参加者には、実体験者からのお話、これ以上の説得力はありません。“死んだと思っていた家族を自分自身で取り返しに行くのだ”、“波乱万丈は素晴らしいことで、その為に生まれて来たのだ”は、言われてみれば成程その通りで、先生のような実体験者が話されると本当に説得力があり、目からうろこでした。

 私の場合、残念ながら先生のような波乱万丈の人生はありませんが、毎日先生のホームページを見させていただいている関係から、是非とも一度先生のご講演を直に伺いたいものだと、神戸から参加いたしました。

 私は30歳で小さな父の会社を継いで早30年になりますが、中学時代から大学まで学生時代は熱心なクリスチャンとして、特に内村鑑三の聖書解釈の勉強をしました。しかし私も世間様同様、大人になってから長い間経営上の苦労があり、そのことで40代後半にすがるように経営哲学の稲盛和夫や心身統一法の中村天風の本をよみ漁り、徐々に非常に抵抗のあったキリスト教以外の勉強を必要に迫られて始め、ヨガやスピリチュアリズムを経て、少年のころからのキリスト教会の教義呪縛からやっと脱出することができました。

 私自身、大学の非常勤講師でもあるので、とても科学的とは思えない“オカルト”=“霊の世界”に対するキリスト教義からくる拒否反応に加え、学者の偏見と無知からくる抵抗など、先生の当時のお気持ちもよく理解できます。

 たった一行、“我とは霊魂で、宇宙の摂理の中で生かされている”は、正に全てを含んでいますね。ジェームズ・アレンのいっている “肉体の心である仮我を捨て、宇宙の摂理(法則)に立脚し、それと同化・調和するように生きる”ということでしょうか。

 私もまた先生のように、残りの人生を、日々、守護霊との二人三脚で、良き道具として霊的摂理の普及に努めたいと思っております。この度は本当に有難うございました。嬉しくて感謝の言葉を述べたくお手紙を書かせて頂きました。

 また、いつかお会いする日がありますことを楽しみにしております。

 T. K.








   誰にでも押しつけてはならない霊的真理   (2011.05.18)


 ATK 様

 16世紀にコペルニクスが登場するまで、人々は地球が宇宙の中心にあり、まわりの天体は地球のまわりで動いているという、いわゆる天動説を信じていました。地球が廻っているなどという地動説は、世間を惑わす迷論と考えられ、ローマ教皇庁は1616年に、コペルニクスの地動説を禁ずる布告を出したほどでした。

 ガリレオ・ガリレイも、綿密な天体観測の結果、地動説に有利な証拠を多く見つけて地動説を唱えるようになりましたが、その結果、1616年と1633年の2度、ローマの異端審問所に呼び出され、地動説を唱えないことを宣誓させられています。いまでは、まったく当たり前に受け止められている宇宙の真理の一つも、かつては、このように迷信、迷論で異端の説として弾圧さえ受けていたのです。

 私は、人間は本来が霊であって、生命は永遠であるというような霊的真理は、現代の「地動説」ではないかと思うことがあります。人はあまりにも長い間、百年にも満たない人生が、人のいのちのすべてであると考え、何よりも死はもっとも恐ろしいものとして忌み嫌ってきました。それでいて、神仏や霊魂の存在はなかなか否定しきれず、慣習的に、墓参りをしたり、お盆の行事をしたり、新年には初詣に出かけたりもしています。私は、今度の新著 『天国からの手紙』 で、「人は死なない。というより死ぬことができない」などと書いていますが、昔のローマでなら、これは異端の書として、「異端審問所」にかけられるところかもしれません。

 私は、長い間、無知の暗闇のなかで苦しんできて、いわば、深い森の中で道に迷っていた状態でした。森から抜け出す一筋の道を見出すことができれば、いのちは救われます。見出せなければ、森の中でいつまでも迷いながら、やがて体力を消耗しつくして朽ち果ててしまいます。私は、ずいぶん迷って歩きまわりましたが、なんとか、無事に深い森から抜け出すことができました。その私には、自分が見出した一筋の道をまわりの多くの方々にもお知らせする責任があります。そして、それは必ず無償の奉仕でなければならないでしょう。自分が助かったからそれでいいのではなくて、その深い森の中に、まだまだ彷徨い続けている数多くの方々がおられるのであれば、それらの方々に、黙ったままでいることは許されることではありません。

 私が、毎日ホームページなどを通じて声をかけることを続けているのもそのためです。もしかしたら、それが私がこの世に生まれてきたひとつの使命なのかもしれません。しかし、その場合、いくら熱心に一筋の道をお知らせしようとしても、その声に、耳を傾けようとしない人もいるでしょうし、はじめから不信感を募らせて、近寄ろうとはしない人もいるかもしれません。それはそれで、仕方のないことでしょう。価値のある真理というのは、何の苦労もなく楽に手に入れられるものではなく、それなりの真摯な努力が求められます。その用意ができていない人には、早くその用意ができることになるようにお祈りするほかはないのです。

 ほかならぬその用意のためには、実は、悲しみや苦しみを体験するのも、決して意味のないことではないと、知る必要があるかもしれません。悲しみがあって、喜びがあり、苦しみがあって、安らぎがあるからです。悲しみや苦しみはなく、ただ、喜びと安らぎだけを望むというのは、多分間違いで、その望みは、おそらく叶えられることはないでしょう。人はなぜこの世に生まれてくるのか、という問題を深く考えていきますと、だんだんと、そいういうことも分かってくるように思われます。

 あなたが、まわりのご家族の「無関心」のなかで、ひとり霊的真理に関心を持ちつづけておられることに敬意を表します。このホームページの「学びの栞」の(A)と(B)には、珠玉のような真理のことばを、数多く収録してきました。これからも、どうか、それらのことばに親しんでいってください。あなたが、ひとつの「ともしび」になって、少しずつ、まわりの方々を明るく照らしていくようになることを、こころからお祈りしています。









   スピリチュアルな世界に触れて拡がる意識  (2011.05.18)


 武本さま

 何かのご縁でサイトにいきあたりました。まだつまみ読みしかできておりませんが、私が常々考えていることを、素晴らしい文章にしておられると感じ、メールせずにいられなくなりました。

 奥様とご愛息をいちどきに失う、なんて私の子供に恵まれないことの辛さなどは言うに及ばないお傷みであったことと思います。ごくごく平平凡凡に生きている私ではあります(感謝しなければなりません)が、折に触れ問題に直面することがあります。スピリチュアルな世界との触れあい、宗教観などとても共鳴するところがあり、同じようなお考えをお持ちのかたがいらっしゃることが嬉しくてなりません。

  私も精神世界に触れて世界が拡がった一人です。ただ、大切な主人はもちろん、父や母、近しい人々に同じ感覚をなかなかわかってもらえていないことだけは、残念で・・・変な宗教に毒されているのでは、とか暗いことばかり考えて大丈夫か、とかそういった風に捉えられてしまうのが・・・本人は至って幸せかつお気楽なのですが、それが伝わっていないのだとすると、自分にも責任があるのだと思います。それに、精神世界を探求しているからとて、今際の際にじたばたしないほどの域に達しているかは、かなり怪しいとも思います。

 そのあたりもつらつら考えながら、おまとめになっているものをじっくり拝読させていただこうと思います。ともあれ、本日は感謝のことばを・・・ お苦しみを乗り越えられて、すばらしいサイトを開設くださって、ありがとうございます!

  ATK









    『天国からの手紙』 出版記念講演会のご案内  (2011.05.15)


 『天国からの手紙―愛する家族との18年間の霊界通信』(学習研究社)出版記念講演会が下記の通り開催されることになりました。

       ………………………………………………………

 【演題】 生と死の真実を求めて

 【日時】 6月5日(日) 14時開演(13時半〜受付)

 【場所】 清澄庭園「大正記念館」(江東区清澄3-3-9 TEL 03-3641-5892)
   http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index033.html

 【アクセス】 東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線「清澄白河」
                                  A3出口下車 徒歩3分
   http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access033.html

  【スケジュール】
  ☆13:30〜     受付
  ☆14:00〜15:30  武本昌三講演会、質疑応答
  ☆15:30〜     『天国からの手紙』 サイン会

       終了後、清澄庭園の散策をお楽しみください。
       閉園は17時、入園は16時30分まで。

  【会費】
  ☆ 1,000円、15歳以下は 500円
  ☆ 3,000円 (著書 『天国からの手紙』 2,100円購入ご希望の方)

     *清澄庭園の入園券(150円)付きです。
     *当日、受付にてお支払いください。
     *著書の購入をご希望の方は、お申し込み時にお知らせください。

  【定員】150名
     *定員となり次第、締め切らせていただきます。


  【お申し込み&お問い合わせ】

     (株)ジェイド 「桜」 (担当:山中)
           TEL: 03-6273-2548
           E-mail : sakura@e-jade.co.jp 

  ■ 電話でお申し込みの場合
    お名前、電話番号、「本を希望/希望しない」をお聞きします。

    数名でのお申し込みの場合
    代表者のお名前と参加人数、各自の本の希望もお知らせください。

  ■ Eメールでのお申し込みの場合

     件名を「武本昌三講演会」とし、お名前、電話番号、
     「本を希望/希望しない」のいずれかを必ずご明記ください。

     数名でお申し込みの場合、
     代表者のお名前と参加人数、各自の本の希望もお知らせください。
     返信メールが届きましたら、申し込み完了となります。


         〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


  [講演者のことば]

 ・・・・・・・愛する家族を失って、悲嘆に暮れるのは人の常である。
 私も随分長い間、嘆き悲しんだ。死をどうしても受け容れることができず、妻と息子の葬式をすることも自分では考えることができなかった。
 「時が癒してくれる」などという言葉には、強く反発した。失った家族のいのちが返ってこない以上、まわりの人たちの、どのような慰めのことばも耳には入らなかった。
 心理カウンセラーなどの、もっともらしいタイトルの本の数々も、まったく受けつける気持ちにはならなかった。
 だから、私は、何年も何年も苦しんだ。
 それでは、愛する家族を失えば、もう、救われることはないのか。いつまでも、今度は自分が死ぬまで、悲しみつづけなければならないのか。
 そうではない。
 救いへの道は確かに存在する。
 とはいえ、救われたい一心で、迷信にすがるのは論外である。何かにつけてカネのかかる新興宗教に凝って、幻想のなかで生きるのは惨めである。豪華に着飾って権威を印象づけようとする「教主」や「救世主」たちの、あやしげな法力に縋るつもりも、さらさら、ない。
 では、どうすればいいか。
 愛する家族のいのちを失ったのであれば、そのいのちを、取り戻せばよい。
 それしか、絶望と悲嘆から逃れるすべはない。
 愛する家族が死んでしまったから悲しいのであって、生きているのであれば、決して悲しむことはないはずであろう。
 それならば、自分で自分の愛する家族のいのちを取り戻すべきである。
 それも、真実のいのちを、愛する家族の生きている姿を、しっかりと、自分で見極め、取り戻すのである。
 それしか、ない。
 それが、自分を救い、亡くなった家族を救う、ただひとつの道である・・・・・・・。

                             ――本書「はじめに」より――










   私の新著 『天国からの手紙』 の出版について  (2011.05.15)

    *6月3日 全国書店にて発売開始  (定価 2,100円)*


  武本昌三著 『天国からの手紙―愛する家族との18年間の霊界通信』
     学習研究社(学研パブリッシング)発行 四六版上製 336ページ

  天国からの手紙






  第1章 慟哭
  第2章 生きながらえて
  第3章 告発
  第4章 再生への道
  第5章 祈り
  第6章 大英心霊協会へ行く
  第7章 差し込んできた光のなかで
  第8章 霊界で長男はどのように生きてい
       るか
  終 章  神の恵みと宇宙の摂理
 



   [帯メッセージ] 

    武本氏が経験した愛する家族との別れ、苦悩と葛藤。
   そして、霊的真理と邂逅するまでの日々が実に克明に描かれた一冊。
                             ――― 江原啓之


     人は死なない。というより、死ぬことができない。
   愛する家族も死んではいない。いまも生きつづけている。
        話し合えないことも決してない。
    確かに、その姿は目の前に見えないかもしれない。
    しかし、もう永遠に会えない、となぜ思い込むのか。
      話し合うこともできない、と誰がそう言ったのか。
                              ――― 終章より

  


     お問い合わせは、 03-6431-1506 (編集部直通)まで。


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  【本文 終章「神の恵みと宇宙の摂理」 より一部抜粋】

 ・・・・・・私は五歳のころ、大阪の尻無川で溺れて死にかけたが、死ぬことはなかった。いまの私には、あのときなぜ救われたのかが、わかるような気がしている。
 十五歳のとき、生まれて初めて高熱を出して、戦争末期で薬もなく死を待つだけであったが、父の超人的な努力と愛情で私は奇跡的に救われた。それもいまでは、実は「奇跡」ではなく「必然」であったことも、わかるような気がする。
 そのときに、まぶしいほどの光を放ちながら、瀕死の私をじっと優しく見守ってくれていた御仏の姿も、決して幻想ではなかった。いまの私はそのことも、信じている、というよりは、知っている。
 私は、一九五九年にアメリカ留学を終えて帰国したその翌年、結ばれるべくして富子と結ばれた。二人の子どもが生まれて幸せであったが、後に、大韓航空機事件に巻き込まれることになる。
 富子と潔典とを失って、私は悲嘆の底に突き落とされたが、長い年月を経て、いまでは、それも「悲劇」ではなく、「神の恵み」であることも、わかるようになった。
 それも、単純で明快な、いのちの真理を知ることができたお陰である。
 その、いのちの真理とは、何か。
 それは、私たちは本来が霊的存在で、宇宙の摂理のなかで生かされているということである。
 単純ではあるが、これは重大な真理である。明快だから、誰にでもわかる。しかし、あまりにも単純明快であるがゆえに、かえって、誰にもわかりにくいのかもしれない。
 私たちは、霊的存在として肉体をまとっているのであって、肉体が霊を伴っているのではない。
 霊は不死で永遠である。だから、私たちの肉体が滅びても、いのちは生き続ける。
 富子も潔典も、決して死んではいなかった。ここで取り上げてきたのは、過去十八年間の交信の記録の一部にすぎないが、これだけでもわかるように、「死んでいるような」 状態であったのは彼らではなく、むしろ、私のほうである。
 愛する家族が、大韓航空機事件の犠牲になったとずいぶん長い年月悲しんできたが、実は、富子も潔典も「犠牲」になったのではなかった。
 米粒のひとつにもならないようなちっぽけな地球の上で起こったことを、この世での人間の一生という短い「瞬間」でしか捉えようとしていなかったから、実相がつかめず、「悲劇の犠牲者」になったと思い込んでいた。
 しかし、宇宙の摂理のなかでは、悲劇もなければ犠牲者もいない。
 ただ、起こるべきことは、必要だから起こる。だから、起こったことはすべて自分にとっては「悪いこと」ではない。
 宇宙の摂理は、一分一厘の狂いもなく完璧に働くから、決して、不公平もない。あるのは、世界のすみずみにまで行き渡る大きな慈愛に満ちた神のこころだけである・・・・・・。










  午前中の接続不良をお詫び申しあげます   (2011.05.06)

 
 原因はまだわからないのですが、今日の早朝より、プロバイダとの接続ができなくなり、そのために、本日のホームページの公開が午後になってしまいました。

 毎日、午前中にご覧いただいている方々には大変申し訳なく、こころからお詫び申しあげます。








  東日本大震災の厳しい余波が続いている中で  (2011,05.05)


 
 ノーマンテイラー邦子様

 メールをなつかしく拝見しました。前回、2009年の10月に徳間書店から出版された『霊的世界からの癒し』につづいて、今度は、『どうして悪いことが起こるのか』の翻訳を進めておられる由、非常にタイムリーな出版になるのではないかと期待しています。

 日本の東日本大震災は、未曾有の大災害ですが、こういう辛い体験を、どう捉えていくかは難しい問題ですね。日本人全体が、そして世界中で考えていかねばならない大問題だと思いますが、それを、地上の狭い、瞬間的な視点から考えただけでは、どうしても問題の本質が見えてきません。それだけに、ゴードン・スミス氏の視点は、こういうときだからこそ、非常に重要になってくるのではないかと思われます。

 大震災の数多くの被災者を含めて、世の中には、人生の辛い問題で悩み苦しんでいる人々は無数にいますが、そういう人々に少しでも参考になればと思い、苦しむことの意味を述べた玉ノ井さんの「『今は暗黒、将来は天国』不安・恐怖を抱く必要なし」も、「参考資料」として転載させていただきました。やはり、人が生きていくためには精神的な拠り所をもつことが何よりも大切であるかもしれません。

 私のホームページで「霊訓原文」として翻訳をすすめているは、Teachings of Silver Birch  edited by A.W.Austen, Psychic Press Ltd, London, 1991ですが、これは、現在の版権所有者である Spiritual Truth Press より、私が文書による翻訳許可を得て翻訳中のもので、翻訳者としての私の名前を出してくださるのは少しも差し支えありません。霊的知識というのは、知っている者には、まだ知らないでいる人たちへ、伝えていく責任がありますので、そのためには、翻訳者が誰であれ、その名前にはこだわる必要はないのではないかと、私は考えております。

 大震災の余波はまだ収まらず、福島原発の大きな後遺症もまだ残っているなかで、大勢の国内、海外からのボランティアが現地に入り込み、献身的な奉仕活動を続けている様子が連日のようにメディアで伝えられています。それらの被災地の一部にも、桜が咲いて、被災者の傷ついたこころを慰めたりしたこともありました。いま、ロンドンでは、水仙が街の内外を可憐に黄色く彩っているころでしょうか。どうか、お元気で、これからもご活躍くださいますように。

 







  ロンドンで日本の大震災に心を痛めながら  (2011.05.05)


 武本先生

 大変ご無沙汰しております。ロンドンにおりますノーマンテイラー邦子です。

 2011年は本当に大事件が続いております。私は前回翻訳をさせていただいたゴードンスミス氏の次の本「どうして悪いことが起こるのか」の準備を2月の終わりころから始めておりました。ちょうどそのときに日本の大震災が起こりました。ゴードン氏の本の内容に合致することが多くびっくりしながら訳をすすめております。秋に刊行の予定ですので、できあがりましたらまた先生のほうにお送りさせていただきたいと思っております。

 それにしても本当に辛い辛い震災でございます。先生がどうお考えになっていらっしゃるか、ご意見をはやく拝読させていただきたいとホームページのほうを拝見いたしておりました。そしてとても心やすまる4月1日のご随想をいただき、ほっといたしました。霊的に物事を考えるとやはり魂から落ち着くような気がいたします。本当にありがとうございました。

 本日はまったく違う件でお便りを差し上げました。去年の暮れからイギリスの動物福祉を紹介させていただくブログを始めました。日本の犬猫殺戮処分をゼロにするために微力ながら何かさせていただきたいと思い動物先進国といわれるイギリスの福祉精神をお伝えしております。

 先生のホームページでおとりあげになっているシルバーバーチの動物に関する記述をぜひ私のブログでご紹介させていただければ大変嬉しいです。(動物愛護を中心にいたしますので全文ではなく抜粋になると思います。)動物の虐待についてのAとBです。(これは先生の御訳でいらっしゃいますね。その場合先生のお名前を訳者としてお知らせしてもよろしいですか?}

 あともうひとつは先生のホームページにあった(人間がいきるための屠殺は神の愛と矛盾しないか」の記事です。これは近藤千雄さんの御訳でした。先生にご許可をいただければこれに勝る幸せはございません。もしおさしつかえがありましたら、どうぞご遠慮なくおっしゃっていただきますようお願いいたします。

 お忙しいところ、誠に恐縮ですが、どうぞご一考よろしくお願い申し上げます。

 ノーマンテイラー邦子










   新しく「参考資料」のファイルを追加しました (2011.04.25)


 この度、新しく「参考資料」のファイルを付け加えました。

 「宇宙の摂理」や「生と死の真実」等について、学んでいくための参考になるような資料を、折にふれて、掲載していきたいと思っています。

 本日、第1回分を掲載しています。ご覧いただければ、有り難く存じます。









   流産しても霊界で生き続けている生命  (2011.02.02)


 I. S. 様

 貴重なご体験のメールを有難うございました。メールを拝見していて、私は、昔、こういうことがあったのを思い出しました。

 何代も続いている、あるお寺の僧侶が、何かの話のついでに、「先生には想像もつかないでしょうが、一流の大学を出たインテリでも、水子供養を頼みに来ることがあるんですよ」と私に言ったのです。私はちょっと驚きました。どうやらその僧侶は、僧職にありながら、水子供養というようなものは迷信にすぎないと、信じ込んでいるようなのです。私が、「それで、あなたはどうされるのですか」と聞きますと、その僧侶は、「一応、お経だけはあげますけれどね」と答えました。

 もちろん、これは、そのような僧侶にお金を払って、いくらお経をあげてもらっても、「水子供養」にはなりません。「水子」というのは、堕胎することを「水にする」、流産することを「水になる」といったことから、流産、死産した胎児のことを意味するようになりましたが、決定的に重要なことは、「水子」は、肉体としては生まれなくても、「死んではいない」、つまり、生命を持ち続けているということだと思います。

 子は親を選んで生まれてきます。受胎の瞬間に親を選んだ子の生命は、肉体が形成されないままであっても、滅びることはありません。シルバー・バーチも、「受胎の瞬間から生命が存在し、したがって霊が存在します。流産とか中絶とかがあっても、それは生命を破壊したことにはなりません。その生命の表現の場をあなた方の世界から私たちの世界へと移しただけです」と、言っています。

 肉体だけが生命であると、勘違いしていますと、水子は肉体をもたなかったわけですから、生命はないことになります。しかし、生命自体は、流産によっても、中絶されても、決して傷つくことはなく、完全無欠です。ただ、シルバー・バーチが言っているように、この世ではなく、霊界で生き続けているだけなのです。

 「水子」の魂が親を知らないわけでも決してないでしょう。折角、自分で選んだ親なのですから、子は親を忘れません。この世で親子の名乗りをあげられなくても、親子であることにはまったく変わらず、また、同じ親を選んで生まれようとするか、或いは、いつかは霊界で再会することを待ちわびるのです。あなたのメールにもあるとおりです。

 このホームページにも収録されている私の講演集の第9集「宇宙の摂理のなかで生き続けるいのち」には、「超能力者ではないごく普通の人」の霊界訪問をとりあげています。その7ページ以降に、森田健さんが、胎児の時に他界した長男と最初に出会う場面があります。大学で電子工学を学んだ森田健さんは、超能力者ではない普通の人ですが、霊界へ出かけて、長男に会い、次のような会話を交わしました。

 「ところで君の名前は何て言うの?」
 「僕の名前はケンイチ」
 そこで初めて彼は顔を上げました。そこには胎児の顔がありました。
 私と妻は一度流産を経験しています。妊娠六カ月に入ったときに流産したのです。
 私はその出産に立ち会ったので、私のみが彼の顔を見ていました。その胎児の顔はまるで仏像のようにやすらかだったのが印象的でした。
 へその緒が切り取られ、別室に行ってしまうまで私はずっと手を合わせていました。おそらく最初で最後の私の息子でした。見つめ合うこともせず、何も話し合うこともせず、彼は生まれたと同時に逝ってしまいました。
 私たちは彼に健一という名前をつけ、彼のためにお葬式をしました。
 その顔が目の前にあったのです。私は圧倒的な感情に包まれながら彼を抱きました・・・・。
 彼は、
 「僕はいつもあなた達のそばにいる」
 というフレーズに続いて、
 「僕はあなた達を助けるために生まれてきたんだ。こういう運命になることは初めから予定されていた」
 と言いました。
 彼の顔はあのとき以上にやすらかで愛に満ちていました。

 水子のことにしてもそうですが、やはり、いのちの本質を理解することが何よりも大切なことに思えてなりません。そして、それについては、私のホームページだけでも、数多くの、煌くような真実のことばを取り上げ、編集し、紹介してきました。あなたのメールと共に、それらのことばが、少しでも多くの方々に、お役に立つことを祈るばかりです。








   流産した子供たちと対話する  (2011.02.02)


 武本先生

 武本先生の御活動は誠に感謝のひとことです。多くの方々の御心がどんなにか癒され、目覚められたことでしょう。私は現在62才で、40才前後から霊聴そして霊視が生じ始めました。 こういう体質の者も、大きな力で訓練されるのですね。

  実は先生が子供を亡くされた悲しみを抱えておられる方々との交流をお持ちとホームページで知りまして、何度かメールをしようと思ったのですが、止めておりました。子供を亡くされた方といっても、いろいろなケースがあると思います。 これは私の霊的な実体験です。 もし、お役に立てればと思いましてメールさせて頂きました。

 私は36歳の時、流産をしたのです。 余りに初期で気づきませず、直後病院でも妊娠とは判明できませんでした。 しかし、私は4〜5時間を空けての二度の出血を流産と思いました。 おそらく、受胎1ヶ月前後と思われます。スピリチュアリズムの本を読む中で、私はあちらの世界へ戻ったら、きっとあの双子の子供に会えるだろう……と楽しみにしておりました。

 2009年の4月下旬にいつものように神前でお祈りをしておりました。 すると、右上に女の子と男の子が二人並んで私を見ているのです。 (あっ……、私の子供だ…… )と、一点の迷いもなく思いました。すると、私が気づいたことを二人の子供は同時に感じ取り、手を取り合って喜び飛び跳ねているのです。

  ある日、私の氏神様である氷川神社に二人がお参りしたいと言いますので、参拝しました。本殿の大神様の御声がちがうのですね。 「よく来た……」 と御声の歓待ぶりが違うのです。 ふと見ると、私の横に二人は並び、その前に櫛稲田姫様のお姿が視え、子供たちを迎えて下さっています。何か御言葉を頂いておるようで、その後私に、この子たちに愛情を注ぐように御指導を頂きました。

  多くの人々には霊視できないのでしょうが、神社での七五三参りの時、神様は子供のすぐ前に来て祝って下さるのだと思いました。 時々泣く子供がおりますが、何かを感じたのでしょう。 神前で、愚かな親であることを深くお詫びし、子供をお育て下さり御指導下さっている観音様、天女様方々に御礼と感謝をのべ、子供たちにも伝えるようにお願いすると、「 お母さん、僕たちが伝えなくてもお母さんが思うと伝わるよ…」と申しております。

 また、上のお姉ちゃん(二人が名前を欲しいと言いまして、本人たちの希望でお姉ちゃんが文惠、弟が文夫です)は天女様のもとで学んでおります。12月の初め頃に、今からしばらく、天女様たちと同行してきます……と楽しそうに伝えてきました。 私もそういうお手伝いをしながら学んでいるのだなーと思い、送り出す気分でした。

  時々、ちらちらその子のことが感じられていたのですが、先日、1月11日に娘をとても近くに感じ、あれっ……、お仕事が終わり帰ってきたのかなと感じてますと、第一声は、 「 お母さん、人間って欲張りだ…… 」 と手厳しい。すると、御指導くださっている天女様が、 「 この子は今人々の欲のことを学んでおり、その度にいつも母親の心をのぞいておりましたよ…… 」 と話してくださりました。 「昔の日本人は子供に 精神 ℃cした。 今の親は もの ≠残そうとしている…… 」と天女様はきっぱりと言います。 その通りだと、私の中にも大いに反省させられる言葉でした。

 世間の人は私と同じようには信じられないことでしょう。 私は多くの試練もあり、それは今後も続くことですが、この世において子供たちとつながれ、幸せ者だと深く思い感謝しております。

 先生、どうか流産をなさった方にも、子供たちは慈母観音様のもと、水子観音様たちに守りお育て頂いていることを、わかる人にはお伝え下さい。おそらく成長過程において、子供たちも親とつながりたく願っているのです。流産をなさった方が確信がもてなくとも、子どもは観音様にお育て頂いているのだろう、あちらに行けば会える……と思って頂けるだけでも、子供たちはうれしく、喜ぶことでしょう。

 長くなり申し訳御座いません。 ありがとう御座いました。

  I. S.









 
   新年 明けましておめでとうございます (2011.01.01)


 このホームページも開設以来、8年目を迎えました。毎日、全国各地で、百名以上の方々が、このホームページをご覧くださっていますが、それらの方々に、こころからのお礼とご挨拶をお送り申しあげます。

 新しい年のはじめにあたり、どうか今年が佳い年でありますように、皆様のご健勝とご多幸を衷心よりお祈り申しあげます。


 (なお、本日は、「身辺雑記」だけを更新して、2日と3日はお休みさせていただきます。どうぞ、ご了承ください。)









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