新しく「霊界通信集」のファイルを開設します (2011.12.28) 浅野和三郎先生(1874-1937) は、大正から昭和にかけて、日本の心霊研究に大きな足跡を残された方です。東京帝国大学英文学科を卒業後、海軍機関学校英語教授になり英文学者としても著名でしたが、後にはその職を辞して、心霊研究と霊的知識の普及に全精力を傾けられました。日本の心霊研究の草分け的存在としてひろく知られています。 その浅野和三郎先生の数多くの著書の中に、『新樹の通信』があります。若くして急逝した次男の新樹氏が、霊能者である母の多慶子夫人を通じて、父の和三郎先生へ送り続けた通信をまとめたもので、霊界通信の白眉といってよいでしょう。現在でも、その復刻版が古い文体のまま潮文社から出ていますが、この本は、このほど、黒木昭征氏によって、きわめて自然で読みやすい現代文に訳されました。 霊界の子から地上の父へ、あたかもどこかの外国から日本へ便りが届けられるように、何の不自然もなく、具体的に、かつ明瞭に綴られているこの奇跡の通信を、私は、是非一人でも多くの方々にお読みいただきたいと思いました。私は黒木氏からも親しくお付き合いをいただいておりますので、氏に、この新しい現代文訳を私のホームページで公開することをお願いしましたところ、黒木氏は、こころよく了承してくださいました。 とりあえず、この『新樹の通信』を「霊界通信集」(A) として、来年の1月3日から、主要部分の連載を開始する予定です。一回分の内容量が少し多くなりますので、1月3日以降は、毎週1〜2回掲載を続けることを考えています。ご一読いただければたいへん有り難く存じます。 真実の言葉によって涙が抑えられることを (2011.12.21) K. S. 様 メールを繰り返し読ませていただきました。悲痛な叫び声が私にも聞こえてくるような気がしました。大切なお子さんを突然の事故で亡くされて、どんなに悲しく辛いことか、私にはよくわかります。お気持ち、こころから深くお察しもうしあげております。 私が妻と子を事件で亡くしたのは1983年のことですが、その当時は、私は死がなんであるか、人は死んだらどうなるのか、霊界はあるのかないのかなど、何一つわかっていませんでした。まして、霊界の妻や子の消息を知ることができるようになるなどとは、想像することさえできませんでした。 私は苦しみのあまり、仏典や聖書を読みながら、何年もの間、何十回にもわたって、何十人もの霊能者といわれる人たちにも会ってきましたが、悲しみから抜け出すことはできませんでした。『天国からの手紙』にも書きましたように、私が長い年月の苦しみからはじめて解放されたのは、ロンドンでアン・ターナーに会った1992年の春からです。事件から9年も経っていました。 一般的には、大学教授のような人間は、大学教授であるがゆえに霊的真理からは遠いのが普通で、私の場合も、霊的無知から抜け出すのにそれほどの時間がかかったということかもしれません。自分自身が無明の闇のなかで呻吟していたばかりでなく、霊界の妻や子にも随分長い間、心配をかけてしまって、今の私には、かつてのこの救い難い無知の恐ろしさが身に染みて思い出されます。しかし、いまはよくわかるのですが、私の、この9年間の救いのない時間は無駄ではありませんでした。私のような者には、それだけの苦しみと迷いと、そして学びの時間が必要だったのです。 このようなことを書いているのは、だから、苦しみから抜け出すには何年もかかると言うためではありません。真剣に捜し求めれば、いまではかつてないほどに、はるかに容易に霊的真理に接することができます。私のように長い間苦しまなくても、確かな救いへの道を見出すことは、強い意志さえあれば、誰にでも可能です。 ただ、苦しみのあまり、できるだけ早く楽になりたい、そのための近道を見つけたい、もし特効薬のような特別の手段があるとすれば、なんとしてでもそれを手に入れたいというふうに考える人が仮にあるとすれば、それは間違いです。霊的真理への近道はなく、特別の手段もありません。あくまでも自分の努力で闇から光へ向かって這い上がっていく責任があるだけです。そして、あなたのお子さんは、おそらく、本当は「偶然に」事故にあったのではなく、あなたが「光へ向かっていく」ことをお教えするために、尊い先導の行為を実践されました。 何よりもまず、そのことをどうぞご理解ください。いのちの真理を知って必ずその事実を納得できるようになってください。このホームページの「メール交歓」に収められている数多くのメールは、大半が愛するお子さんを亡くされたような方々との間で交わされたものです。あなたからのご質問に対するお答えは、そのなかにもいろいろな形で見出されるはずですし、また、「学びの栞」のなかの数多くの教えからも、お知りになりたいことを学び取ることができます。悲しみに耐えがたい思いをされる時には、どうか、それらの真実のことばによって、少しでも涙を抑えられることができればと、こころからお祈りしています。 『天国からの手紙』 を拝読して (2011.12.21) 先生の本を読ませて頂きました。 実は、私の二男が今夏、海の事故で亡くなりました。あまりにも突然の出来事に、先生の様に現実を受け入れることが出来ず、毎日写真を見ながらただただ涙する毎日を送っております。何をするにも、何処へ行くにも二男の事が頭から離れず、何をする気にもなれず、今は、 夢も希望も持てません。いっそ、二男の所へ行きたいとさえも考える事があります。 ある日書店で先生の本を見つけました。今は、先生の本が私の支えとなり、何度も読み返しながら、「人は死なない。死ぬ事が出来ない」と言う言葉を信じ過ごしております。 霊界で私の二男も勉強をし、好きな野球をきっとしてるはずと思います。 ただ、私には霊的能力もなく有能な霊能者も知りません。先生の様に霊界にいる子供と霊界通信が したいのです。どんな生活をしているのか? 我々家族の思いは通じているのか? 是非霊界通信をしたいのです。 お願いします。子供とやりとりの出来る霊能者の方を教えて頂く事は出来ないのでしょうか。先生、どうか、どうか宜しくお願いいたします。 K. S. 決して絶望ではない死の真実を知る (2011.12.19) T. R. 様 すでに前のメールのお返事は差しあげましたが、あなたからの2度目のメールに対して、どのようにお答えしたらいいのか考えさせられています。答えははっきりしているのですが、ここでは、シルバー・バーチのことばを引用させてください。かつてイギリスで、戦場に出たばかりで戦死してしまった若者がいました。その若者の親が、なんとかわが子の霊と話し合いたいと思いながらも「対話」ができずに嘆いていたのですが、その親に対して、シルバー・バーチはつぎのように言いました。 「苦悩の淵に沈まれたあなたの心は私にはよく分かります。ですから、あなたの心の奥底で動めいているものを私が知らずにいると思ってはいけません。あなたはまさに悲しみのドン底を体験されました。そしてその悲しみを少しでも和らげてくれるものを求めておられます。しかし、こんなことを申し上げては非情に思われるかも知れませんが、あなたが求めておられるものを叶えられなくしているのは、知らず知らずとはいえ、実はあなたご自身であることを知ってください。」(栞A:41-k) また、最愛の息子さんを亡くして嘆き悲しんでいる母親に対しては、「どうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです」と言ったあとで、こう続けたこともあります。 「あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触わってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。」(栞A:41-l) 愛する家族を亡くして深く悲しむのは、人間の情ですが、しかし、あえて言えば、やはりそれは、いのちの真実を十分に理解していないことからきていると思います。深い悲しみがまわりに暗い影を作り、それが厚い壁となって霊界の愛する家族からの思いを遮ってしまうことにもなります。だから私は、前のメールで、「ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです」と書きました。 私の『天国からの手紙』のなかでも少し触れていますが、私の知り合いで映画ディレクターのTさんは高い霊能力をもっていて、Tさんのお母さんの葬儀の折にも、「死んで」いるはずのお母さんと、対話を続けていましたし、軽い冗談なども交わしていました。まわりの家族は涙を流していたのに、Tさんだけは、特に悲しむことはなかったようです。しかし、Tさんのような霊能力がなくても、死がどういうものかをしっかり把握していれば悲しむことはないはずで、そういう「悲しまない」人々は、世間にはおそらく無数と言っていいほど大勢います。 このホームページのリンク集にもありますが、「大空の会」では、事故や自死を含めて、お子さんをさまざまな原因で亡くされた大勢のお母さん方が集まって毎月例会を開いています。霊界やお子さんとの霊界通信などについても会場の皆さんは熱心に学んでいますが、そこを訪れる人の誰もが、その悲しみとは無縁の雰囲気の明るさに驚かれるかもしれません。 世間の多くの人が考えているように、もし死が無と絶望であるならば、お子さんの死で悲しんでいる人を慰める術はありません。私がかつて強く反発していた「時が癒してくれる」などというような言葉も、何の役にもたちません。私もこのようなホームページで書き続けることも決してないでしょう。しかし、死が希望とまではいえなくても、決して絶望ではないことを知れば、そのことを本当によく理解すれば、事情はまったく変わってきます。このメールでは、そのことだけを最後に申しあげて、返事にさせてくだだきたいと思います。 長男を失った悲しみをまた吐き出して (2011.12.19) 武本先生 12月7日にメールを出して、先生にまたメールを送らせていただくのは、お邪魔になると思い、とまどいましたが、読み捨てていただいてよろしいですので、どうか、また書かせてくださいませ。「魂が、そばで今も変わらず生きている」。これは、自分では理解しているつもりですが、返事のない会話を、息子と心でいつもしています。ただただ、空しいです。 「もうすでに感づいておられることと思いますが、毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心でおられるあなたの姿は、ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです。そのことをどうかよくわかってあげてください」。これは先生のおっしゃる通りです。 私の思いは、息子を苦しめていることを承知していても、悲しくて悲しくて、どうしようもありません。なぜ、魂が生きているのなら、その想念といいますか、亡くなった相手と気持ちが通じ合えないのでしょうか。 霊界のしくみは、もう何年も学んできましたが、こちらの思いが伝わるだけでなく、むこうの人の思いも受け止めることができたら・・・。「心の対話」が、とても空しくてたまりません。息子の、あの元気な笑い声が聞こえてこないこと、ほんとうに涙が溢れてきます。 一方通行な対話では、心が折れてしまいそうです。生きているなら、姿を見せてほしい。声を聞かせてほしい。そう思うのが、本音である現状です・・・・・。こんなことでは、この世の修行が完成しなくて、霊界で再会できないと思います。悲しみを乗り越える特権を、人生の折り返しの励みにしたいと思いますが、まだまだ、先は長いです。 苦しみを吐きだしてしまったメールを送らせていただくことをどうか、お許しください。読んでいただき、ありがとうございました。 T. R. 真理を知るための確かな歩みを続けて (2011.12.16) K. B. 様 メールを拝見しました。ご主人を事故で亡くされてまだ日が浅いうちは、お悲しみもさぞ深いこととお察し申しあげます。しかし、その悲しみのなかで、ミーディアムを通してご主人とお話しできたことなどもお伺いし、私も少し救われる思いがしました。 事故や災害で亡くなったりする方は、東日本大震災を例にとるまでもなく、無数におられますが、それを受けとめている遺族の方々の受けとめかたは、人によってまちまちです。そのなかでも、あなたのように熱心に「亡くなった」ことの意味を求め続けることは、とても大切なことのように思えます。 あなたは、ご主人が「いつでもそばにいるんだ」と実感できるようになったと書いておられます。そして、納得しても「寂しさはますばかり」とも書いておられます。そういうものだろうと思います。人間にはやはり弱い側面もありますから、それから、霊的真理から離れた世間の常識にあまりにも長く染まっていますと、真理の一端に触れたからといって、すぐに救われることにはならないのかもしれません。 あえて申しあげれば、大切な家族を失って悲しむのは、いのちの真理を「知らない」ことが大きな原因です。知り始めても、悲しみの余韻は残るでしょう。しかし、本当によく知ることができれば、悲しみは消えていきます。必ず、そうなります。あなたはいま、その知るための道を着実に歩んでおられます。どうか、挫けないで、決して迷信のようなものに捉われることなく、希望をもってそのまま歩み続けていってください。今後のその足取りが確かなものであることを、こころからお祈りしています。 『天国からの手紙』を読んで (2011.12.16) 武本様 はじめまして、K. B. と申します。主人が昨年7月に事故で亡くなりました。これほど辛い悲しみがあるんだと思い知らされました。 初めは江原さんの書籍などで「寿命だったんだ」と納得しようと努力し助けられ、4ヵ月後の昨年11月にミーディアム様を通して主人とお話しすることが出来、物凄くうれしく癒され、いつでもそばにいるんだと実感できるようになりました。その時に武本様のホームページ、シルバーバーチの本などを紹介して頂きました。 そして出会った『天国からの手紙』。何度も読ませていただきましたが、事故のくだりは読む事が出来ません。武本様とミーディアムを通しての奥様・息子様との対話を読む度、奥様の言葉が私の主人からの言葉のように思えて、本に向かって「わかった」「はい」とかひとりごとを言っている自分がいました。 納得はすれど寂しさはますばかりですが、体は日々元気になり、当然の事ですが日々生活出来てます。「普通に生活して良いんだよね、歳をとっても主人の事忘れたりしないよね」とか不安葛藤は消えません。 多くの人・書籍に助けられ感謝です。出会い、色々な経験をさせてくれている主人に感謝です。私から逃げたんじゃないよね。私を迎えるために先に行ってくれたんだよね。 武本様、いつまでも元気でホームページ続けてください。勉強させてくれて有難う。癒やしてくれて有難う。 霊界のご長男と安らかなこころの対話を (2011.12.07) T. R. 様 メールを拝見しました。『天国からの手紙』をお読みいただいたことで、大切なご長男は、決して「亡くなった」のではなく、いまも、かつてと少しも変わらず、すぐあなたの側におられることをご理解いただけるきっかけになればと、こころから願っています。 ブログのなかで、ある雑誌の私へのインタビュー記事の一部を引用しておられますが、そこで私が言っていますように、「死んだ事実」をただ諦めることによっては決して悲しみや苦しみからは抜け出すことはできないと思います。「死んでいない」のが真実で、その真実を知ることによってしか、救いの道はありません。 問題は、「死んでいないこと」を知るためには、厳然と生と死を隔てている高く厳しい壁を乗越えなければならないことです。古来多くの聖人、高僧たちはそのために難行苦行を重ねてきましたが、今では私たちは、身近に示されている霊的真理を理解することでその壁を乗越えることができます。もちろん、これも決して容易なことではありませんが、これにも重要な意味があるのでしょう。だからこそ、私は、迷信に縋ることなく、新興宗教に没入して幻想のなかで生きるのでもなく、あくまでも自分の力で、決して諦めずに、お子さんの行方を捜し求め続けることが何よりも大切であることを、『天国からの手紙』のなかでも訴えてきました。 もうすでに感づいておられることと思いますが、「毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心」でおられるあなたの姿は、ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです。そのことをどうかよくわかってあげてください。なぜなら、ご長男は生きておられるからです。そして、それが揺るぎのない真理だからです。真理だけが、悲しみのこころを癒してくれます。世間の常識からはかけ離れていても、大切なのはあくまでも真理であって、「世間の無知」に引きずられることではありません。 かけがえのないご長男を突然に20歳で亡くされた悲しみがどれほど深いものか、私にはよくわかります。私も、何年も何年も苦しみ続けました。しかし、そのことが、霊界の妻や長男にも辛い思いをさせていたことには長い間気がつきませんでした。今ではそのことも分かるようになり、霊界の妻や長男に申し訳なかったと、自分の無知を深く反省させられています。それだけに、あなたにも、どうか私の徹を踏まないでくださいと申しあげたいのです。私は、そのために本を書き、講演もし、ホームページでも訴え続けているのです。 生と死を隔てている壁は確かに高く厳しいものではありますが、決して乗越えられないことはありません。むしろ、それを乗越えることが残された家族の使命であり、特権であり(あえて申しあげますが)、生き甲斐でもあろうと思います。どうか引き続き霊的真理の学びを深められて、なるベく早く、いまも元気に生き続けておられるご長男と、安らかな心の対話ができるようになりますことを、心からお祈り申しあげております。 20歳で突然亡くなった長男の行方を捜し求めて (2011.12.07) 武本先生 『天国からの手紙』を拝読し、武本先生が、必死に奥様と息子さんを捜されたお気持ちを、同じ思いを抱いた一人として、お手紙を書かせていただいております。 私も昨年、かわいい大切な長男を二十歳で突然亡くし、それからずっと息子を探しています。どこで、今、何をしているのか、どんな気持ちでいるのか、毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心で息子の行き先を追っています。 私がだめな母親だったばっかりに輝かしい未来が待っていた二十歳の息子がこの世を去ってしまい、ほんとうに苦しいです。ブログで、先生の著書を紹介させていただきました。 http://tomokuraimu.blog95.fc2.com/blog-entry-130.html 私のようなものが、ずうずうしくお手紙を書いてしまい申し訳ありません。ただ、先生の言葉がとても私に救いとなりましたこと、どうしてもお礼がいいたくて書いております。 お忙しいところ、読んでいただき感謝しております。お寒い中、どうぞご自愛くださいませ。 T. R. 祖国の大震災を目のあたりにしながら (2011.11.23) 武本先生
できました。そしてご縁のあった数人の人たちからもメッセージをもらうことが出来ました。ミディアムの方に私はこれから霊的な生き方をはじめることになるでしょうと言われ、あらためてこれから新しい人生が始まることを感じております。
この半年、武本様のホームページにたどり着くまでにはっきりと一本の道が引かれていた様に感じています。2月末に広島の図書館で飯田史彦氏の著書にめぐりあい、その後3年前に購入していた「シルバーバーチの霊言」とブライアン・L・ワイス氏の著書を取り出し読み返しました。それから地元の図書館で関連した著書をむさぼるように読む日々が続きました。そんな中でどうしても繰り返しシルバーバーチに立ち戻るのでした。そして「シルバーバーチの霊言」を原文で読み、味わいたいと考えるようになり、ある方のブログから武本様へとたどり着きました。 原文はやはりシンプルで美しい文章で、さらに感動が深まりました。その日から少しずつノートに原文と訳文を写させていただいております。武本様にはホームページと著作の文章を通じてではありますが、お会いできたことを神様に心から感謝しております。しばらく迷っていたのですが、やはりそれをお伝えしておくべきかと考えメールさせていただきました。ありがとうございます。武本様のこれからのご活躍と、ご健康をお祈りいたしております。 S. U. 懐かしさとあたたかさを感じながら (2011.10.27) O. H. 様 メールを有難うございました。文面から、何かしら懐かしいような感じとあたたかさが伝わってくるような気がして、繰り返し読ませていただいております。 1982年の夏、私は三度目の長期滞在のために長女とアメリカのアリゾナへ向かいました。翌年の春、東京で留守をしていた妻と長男をアリゾナへ呼び寄せようとしましたが、妻の母が亡くなり、看病疲れで妻が寝込んでしまいましたので、アリゾナでの再会は叶いませんでした。その年、1983年の夏には、一度は、日本へ帰る手続きも始めたのですが、急にノースカロライナへ行くことが決まり、そこで、妻と長男との再会を果たすことができました。 『天国からの手紙』にも書きましたが、あの時、アリゾナではなくノースカロライナで家族と再会したのは、重大な意味を持つことになります。いま考えると、私と長女は行くべくしてノースカロライナへ行き、そして妻と長男が帰国のためにあの飛行機に乗ったのも、決して単なる偶然ではないことが、よく分かるような気がしています。その後に続く絶望と悲しみの日々にも、大きな意味がありました。 1991年の春には、今度もまた、大きな力に引き寄せられるようにロンドン生活を始めることになります。そこでは大英心霊協会での多くのミディアムとの出会いがありました。そして、アン・ターナーとも会うことになります。これも、いまでは、会うべくして会ったということがよくわかります。彼女と会ったのも、決して単なる偶然ではありませんでした。私が長い悲嘆の日々から解放され、大きな天の摂理を理解し始めるようになったのは、それからのことです。 この『天国からの手紙』の出版では、原稿をまとめる段階から出版にいたるまで、霊界の長男からいろいろと助言や協力がありました。出版社や編集の方々の熱意にも支えられて、あっという間に一冊の本が出来上がったという感じです。そして、いま、この本を契機にして、あなたからも、いろいろと貴重な霊界の情報をいただけるようになっています。あなたの「いのちの波動」に滲み出ている誠実で純粋なお人柄を偲びながら、このご縁に深く感謝申し上げております。やはり、私たちは「同じ船」に乗っているのでしょう。 前便の私的なメールにも書きましたが、小豆島は私にとっては是非行ってみたい憧れの島になりました。かつて私は、「比較文化」の観点から砂漠での生活を体験する必要を感じて風土の厳しいアリゾナを選んで住んだことがありますが、これとは対照的に、自然の美しい温暖な小豆島は、「豊葦原の瑞穂の国」の原型のような所ではないかと、密かに想像したりしています。 あたたかいメールをいただきましたことを、重ねて厚くお礼申し上げます。ホームページの「いのちの波動」は、ほぼ全部を一度読ませていただきましたが、これからも、折に触れ、繰り返し読んで学んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお導きのほどお願い申し上げます。ご健勝をこころからお祈り申し上げております。 霊界からの二つの便り (2011.10.27) 武本様 武本様
いのちの真理を伝えていくための小さな貢献を (2011.08.22) ノーマンテイラー邦子様 重ねてのメールを拝見しました。新しい本の翻訳作業でお忙しいなかを、拙著をお読みくださって有難うございます。 1957年からの留学生としてのアメリカ滞在以来、3度目の長期滞在中に、あのような事件に巻き込まれることになろうとは、想像もできませんでしたが、あれからもう28年が過ぎていきました。そして事件当時は、将来、いまのような安らかな心境になれるというようなことも、まったく想像もできませんでしたから、それだけに、霊界の大きな愛の計らいが、ひとしお有難く思えてなりません。 あの本は、私にとってもちょっと不思議な本で、出版の企画を聞かされてから、執筆を始め、出版が終わって出版記念講演会が開かれるまで、すべてが極めて順調に進みました。あっというまに本が一冊出来上がった感じです。やはり、霊界からいろいろと援助されていたようで、霊的に鈍感な私にも、何度も、そのような導きの手を感じさせられたことがありました。自分の生き様をすべて曝け出してあのように書いていくのには些かのためらいもありましたが、この本を書くのも、私に課せられた一つの使命であったのかもしれません。 あなたがロンドンで、翻訳出版を含めて霊的知識の普及のためにいろいろとご活躍しておられるように、私も私なりに、いのちの真理を伝えていくための小さな貢献を続けていきたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお導きくださいますように。 ご健勝をお祈り申し上げます。 『天国からの手紙』に込められた力強いメッセージ (2011.08.21) 武本先生 ご著書を拝読させていただきました。「もう永遠に会えないとなぜ思い込むのか。話しあうこともできないと、だれがそういったのか。死んでしまったのだから、本当にもう会うことも話し合うこともできないのか。それを自分で確かめたのか」という序章から始まる最愛のご家族を突然奪われた先生のご悲嘆、ご心痛に胸が張り裂けそうでした。 私は先生に実際にお目にかかったことはありませんが、いつも穏やかで暖かく、品性の高いそのお人柄を心より尊敬いたしております。ご自分にも他の人にも常に誠実に真摯に生きていらっしゃる先生が何故あのような悲劇に巻き込まれてしまわなければならないのか。そして潔典さんの愛らしく素晴らしいお人柄を、奥様のお優しい慈愛に満ちたお人柄を思うとますます訳がわからなくなります。 しかし霊界の潔典さんが次のようにおっしゃったとき、少しだけわかったような気がいたしました。「お父さんは必ず目覚めて立ち直る人だということがわかり、ひとりの苦しみがなん百、何千人、いや何万人の人たちの魂を目覚めさせ、同様の苦しみや悲しみに沈んでいる同胞に慰めと魂の癒しをもたらすことを、その聡明さによってやってくれるということを期待されたからです」 先生の社会的なお立場はもちろん、高潔なご人格の先生のお言葉に、どれだけ多くの人たちが耳を傾け、救われることでしょう。「愛する人たちは実は死んではいない」という力強いメッセージは、私たちに希望と勇気、そして生きていく意味をも与えてくださるのです。 「宇宙の摂理の中では悲劇も犠牲者もない。起こるべきことは必要だから起こる。決して不公平もない。不足のものは何もない。あるのは世界のすみずみにまでいきわたる大きな慈愛に満ちた神のこころだけである」 終章で先生が仰られている上のお言葉を心の灯りとしてこれからの人生を少しでも誰かの助けになれるよう過ごしていきたいと思っております。素晴らしいご本を書いてくださった武本先生、それをサポートしてくださった由香利さん、潔典さんと奥様の富子さん、本当にありがとうございます。 ノーマンテイラー邦子 8月以降のホームページの更新について (2011.07.30) 2003年春の開設以来、このホームページは、日曜日を除いて毎日入力し、更新してきました。私の著作、論文や講演集などのほか、シルバー・バーチの「霊訓集」はほぼ全部、項目別に分類してありますし、ロンドンの著作権者からの許諾を得て翻訳を進めてきた『シルバー・バーチの教え』も、近いうちに完了する予定です。8月からは、新しく、「寸感・短信」のファイルも追加することにしました。 この機会に、このホームページの更新を、毎日ではなく、週3〜6回、任意の日に行なうということにさせていただきたいと思います。早速ですが、8月6日(土)は休ませていただきます。いままで毎日、このホームページを開いてくださっている方々には申し訳なく存じますが、どうぞよろしくご了承くださいますようお願い申しあげます。 求め続けなければならない霊的真理 (2011.07.12) Y. S. 様 『天国からの手紙』をお読みくださって有難うございます。「死後の世界があるという確信に近い気持ち」が強まったというのはなによりです。もっとも、この「死後の生存」については、私のホームページでも、いろいろと繰り返し、紹介してきました。いわば、「当たり前の事実」ですが、それでも、なかなかそのことが理解できずに、死にまつわる苦しみから抜け出せない人々が世の中には決して少なくはありません。 すぐ目の前に、真理の光が輝いていても、それを見ようともしない人もいますし、眼が曇って、見えない人もいます。これは、イギリスでもそうですし、日本でも同じことで、住んでいる国にはあまり関係がないのかもしれません。『天国からの手紙』にも書きましたが、真実を受け容れるこころの準備ができているかどうかが何よりも重要なのだろうと思います。 「信頼できる霊能者」についても、同じようなことがいえるのではないかと思われます。日本にも優れた霊能者は少なくありませんし、「霊界通信」も多く行なわれていますが、特定の霊能者の名前をあげて、そこへ行けば霊界通信も出来て、「救われる」というように紹介することが、はたしてその人の霊的真理探究の道に沿うことになるのであろうかと、私はいまでもよく迷わされます。 これも本に書いてありますが、私は、大英心霊協会で、何人もの「信頼できるミーディアム」に会うまえに、数多くの「霊能者」といわれている人々に何年にも亘って、数十回も会って来ました。何一つ、確信の持てるような情報は聞きだすことができませんでしたが、それでも、それが無駄であったとは今でも思っていません。そのようなこころの準備が私には必要でした。そして、少しずつでも準備を進めていけば、やがて必ず、目の前に自ずから真理への道が開けてくるのではないかと思っています。 ミーディアムについてのメールのご要望に直接お応えせず、というよりは、お応えできずに、このような言い方を私がするのにも、それなりの意味があるのだと、もし、お考えいただくことができれば、大変ありがたく存じます。 『天国からの手紙』を読んで確信に近い気持ち (2011.07.12) 武本様
はじめまして。Y. S. と申します。『天国からの手紙』、拝見致しました。読み終わった後、死後の世界があるという確信に近い気持ちが強まりました。 日本でもイギリスで行われているような霊界通信が行われれば、スピリチュアルの発展につながっていくのではないかと思いました。 日本で、信頼できる霊能者の方がいらっしゃれば、教えていただければ幸いです。今後も新しい著書のご出版を期待しております。 Y. S. |