ちょっと一息いれてアメリカのジョークを 〔29〕 (2015.06.24)
訪問販売員がある主婦の家を訪れてドアをノックした。
「家庭用品は何でも揃えています。何か必要なものはありませんか?」
「いいえ、何も買いたいものはありません」と主婦はきっぱり言った。
「鍋やポットのようなものはいかがでしょうか?」
「いいえ、いりません。出て行ってください。何も買うものはありません。」
「洋服ブラシのようなものはいりませんか?」
「いいえ、何もいりません。」
「電気掃除機はいかがでしょうか?」
「何もいらないと言っているでしょう。もう出ていってください。」
「それならテーブルクロスだけでも買っていただけませんか。ヘアピンなどもありますよ。いろいろと何でも揃えていますが」
「いい加減にしなさい。出ていかなければ笛を鳴らしてお巡りさんを呼びますよ」
「では、その笛を買ってください。いかがでしょう?」
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A peddler knocked at the door of a housewife.
"I sell all kinds of things for the house. Do you want to buy something?"
"No, I don't want anything," said the housewife firmly.
"Maybe a pan or a pot?"
"No, I don't want anything. Now, get going. I don't want anything."
"Maybe a cothes brush?"
"No, I don't want anything!"
"Maybe a vacuum cleaner?"
"I don't want anything. Get going!"
"Maybe a tablecloth? Some hairpins? I've got all kinds of things."
"Now, listen to me. If you don't get going, I'll whistle for a policeman."
"Do you want to buy a whistle?"
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このホームページの来週の更新予定について (2015.06.13)
現在このホームページは、毎週3回、月、水、金曜日に更新していますが、次回15日(月)の分は明日14日(日)に更新の予定です。なお、6月17日(水)は都合により休ませていただきますので、どうぞご了承ください。
通常、更新は午前8時頃までに行なっていますが、去る6月10日(水)の朝は予期していなかったサーバーとの接続トラブルがあり、接続できないのでお知らせもできないまま更新は午前11時過ぎになってしまいました。無断で「遅刻」してしまったようで申し訳なく存じます。ご寛恕ください。
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27日(水)の更新は28日に変更させていただきます (2015.05.25)
『霊界の家族との対話』の連載が終わりましたので、5月22日から新しく、「折々の言葉」を載せ始めました。「今日の言葉」(153例)や、間もなく掲載が終わる「叡智の言葉」(A,B
約180例)なども参考にしていただければ有難く存じます。
なお、次回、27日(水)の更新は、都合により、28日(木)に変更させていただきます。どうぞご了承ください。
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ちょっと一息いれてアメリカのジョークを 〔28〕 (2015.05.20)
一人目の隣人:
「スミスさんのご夫妻はどうしてフランス語の勉強なんか
始めたのかしら」
二人目の隣人:
「ご夫妻はフランス人の赤ん坊を養子にしたんですって。
それで、その赤ちゃんがことばをしゃべれるようになった時、
言っていることがわからないと困ると思ったからなのよ」
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First neighbor: "What's the idea of the Smiths taking French lessons?"
Second neighbor: "They have adopted a French baby,
and
want to understand what she says when she begins to talk."
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“私の娘を通しての学びとは何か”を読んで (2015.05.15)
武本昌三先生
毎日、先生のホームページを拝読し、とても勉強になっており感謝申し上げます。さて、4月24日と5月11日に掲載されたお嬢さんに関わるお母さん(H.N 様)からの2回のお便りと先生からのお返事を、繰り返し何度も読ませていただきました。シルバー・バーチの霊訓に書かれてあることを、正にそのまま地でいっておられるようで、霊的成長の生きたお手本として、とても勉強になりました。魂が感動し感激のあまり涙が出てきました。
離婚を経験され、そのあとの再婚直前のパートナーとは突然の死別、最愛のお嬢さんは発達障害と、精神的にこれ以上の不幸は無いぐらいですね。これら艱難辛苦を経て、むさぼるように真理を探求し、その結果として“本当の自分”を見出されたようで、深く落ちれば落ちるほど、高く上がれるというシルバー・バーチの正に言葉どおりの霊的成長を歩んでおられますね。
さらには、“どんなに出来が悪い生徒であっても苦にならないとか、人の喜ぶことを妬むことなく拍手して喜べる、意地悪な友達に対しても優しい視線を向けられること、娘の純粋さに心を打たれる”など、また、“これらの経験をとおして、感謝の気持ちや人に低くなることができる、苦労というのは、何かに気づく為にある気がします”、というお手紙を読んで、本当に自然と頭が下がりました。霊的成長を着実に成されておられる何よりの証拠だと思います。
“まだまだ泣きたくなるような出来ごとも待ち受けているのでしょうが、恐れず進んでいこうと思います”、というお手紙を読んで、本当に強い魂に成長されておられるなと心底感心させられました。これもシルバー・バーチの霊訓や武本先生のホームページを通しての導きがとても大きかったのではないかと推察しております。
世間的には本当につらい人生がこれからも待っているようですが、他方で薄々今生の目的・意義が分かってこられているようにも感じました。地位名誉やお金では絶対に買えない、艱難辛苦を経ることによってのみ霊的褒賞として得られるとても貴重な宝物を得ておられるようです。
「仕事をやるから明日8時に墓参りにくるようにって言っていた」とは、私の考えでは、彼に向けた言葉であり、“お嬢さんとそのお母さんのお二人の霊的覚醒の切っ掛けをつくる大切な仕事として、他界の準備に午前8時から入り、夕方になってやっとシルバーコードが完全に切れたのでは”と勝手な推論をしております。正に“本当の自分”に気づくという“本来の魂の目的”の仕事であったように思います。また、このことは何もこのお母さんとお嬢さんに限った話ではなく、その後にその手紙を読んだ我々読者全員に対しても、霊的自我の覚醒やさらなる霊的成長の切っ掛けとなる大仕事に繋がる話でもあったのだと思います。
武本先生の“本当は、あなたのまわりには、お嬢さんの貴重な霊能力も含めて、そういう霊的真理を学ぶための教材が人一倍多く恵まれていると考えることはできないでしょうか”とか、“その一つ一つはあなたのみならず、私たちにとっても貴重な教材であり、それぞれの歩みの指針にしていくことができます”とは全く同感です。
このお母さんとお嬢さんの苦労に比べたら、我々の取り越し苦労や悩みなどはものの数ではなく、今こんな些細なことで悩んだりするのは本当にバカらしくなってきます。私もまだまだ苦労が足りず、魂の修行が必要だと思います。勇気、励ましをお母さんのお手紙から沢山いただきました。
そして先生は結びの言葉として、“「わかっているつもり」から本当にわかるまで決して諦めずに学び深めて、霊性向上への道を挫けず弛まず歩み続けていくのが本来の私たちの生き方であろうと思われます”と書かれておられます。私も、我々の人生は、「わかっているつもり」の“我とは永遠不滅の霊魂であり、実相は霊界にある”ということが不動の信念となり、霊的成長という本来の目的を時間をかけて体得してゆく旅であるように思います。
この度は、H. N 様の2度にわたるお手紙で大変貴重なお話しをしていただき、誠に有難うございました。とても感動し勉強になりましたので、筆を執らせていただきました。
T. K
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「永遠の尺度」についてさらに考える (2015.05.11)
H. N. 様
4月24日に、あなたからのメールに対して、「永遠の尺度でのみ捉えられる霊的真理」とタイトルをつけた返信をお送りしました。その中で私は、「永遠の尺度で測るべきものを目先のちっぽけな瞬間の尺度で測ってはならないのだと思います」と述べています。おそらく、あなたもこのことは理解されているのでしょう。だから、「私も娘も今成長の最中にいるのだと」と書いてくださったのだと思われます。
しかし、実は、この世の瞬間の尺度でものを測ることにあまりにも慣れ切ってしまっている私たちには、「永遠の尺度」でものを測ることができるようになるのは容易なことでありません。私自身も、わかっているようで本当はわかっていないのではないかと思うことが何度もあります。もし、本当にわかったら、この世の悩みの殆どは、完全に霧消してしまいます。天の摂理が完璧に働いていることを知り、世の中の不公平なども全く存在しなくなるでしょう。不平や心配や取り越し苦労など、すべて笑い話になってしまうかもしれません。
たまたまこのホームページに連載してきました『霊界の家族との対話』が先日、5月8日に最終回を迎え、私はその「おわりに」のところに、42キロのマラソンレースを短距離の100メートル競走と勘違いして全力で疾走することの愚かさについて、私自身のことをつぎのように書きました。
〈地位だとか名誉だとか財産だとか出世だとか、もろもろの欲望が渦巻く世の中で、ただ、人に負けないように、ひたすらに百メートルを走っていたように思います。哀れで滑稽でさえありました。そして、その熾烈な勝ち抜き競走のなかでいつのまにか家族の姿さえ見失い、ある日突然、レースそのものに、壮大な勘違いをしていることに気づかされることになるのです・・・・。〉
走る距離が100メートルでなくて42,000メートルであるならば、まして、それが42キロどころか永遠であるならば、スタートで出遅れようが、大勢の人たちに追い越されようが、何のこともありません。途中でころんだりして100メートルをビリで通過しても、体調が悪くなって途中で小休止しなければならなくなっても、毛ほども案ずることはないでしょう。第一、永遠の距離を行くならば、走る必要さえなくなります。ゆっくりと着実に歩いていけばよいのです。
そしてこの場合、大切なことは、むしろ、途中で挫折したり、悩み苦しんだり、絶望さえ味わったりしながらも永遠に歩み続けることの意味を知ることではないでしょうか。つまり私たちは、霊性向上のための歩みを続けています。私たちは本来霊であるから永遠なのです。その観点からは、何時でも人を押しのけてまでトップを走り続けたがる人は、「体力に恵まれた運のよい人」なのではなくて、本当は、自分が誰であるかを知らず、折角の学びの機会も見逃してしまっている「不幸な落伍者」である、とさえいえるのかもしれません。
あなたの再度のメールを繰り返し拝見しながら、私はそういうことを考えていました。あなたが現在体験しておられる家族のあり方や対人関係、さらには霊界通信なども含めて、その一つ一つはあなたのみならず、私たちにとっても貴重な教材であり、それぞれの歩みの指針にしていくことができます。私たちは、人並み以上に贅沢に暮らして、何の心配も苦労もなく自分本位に生きていけることをしばしば「幸福」と呼びたがりますが、そんな人がもしいれば、それは実は、神からも見放されたたいへん不幸な状態で「困ったこと」だと、むかしある霊の師が笑いながら教えてくれたことがありました。
やはりポイントは、私たちは100メートル競走に参加しているのではなくて、永遠の霊的巡礼の旅を続けているということ、だから、瞬間の尺度で測るのではなくて永遠の尺度で測らなければならないことに尽きるように思われます。それがわかっているつもりでもわかっていないから、私たちはなお苦悩から完全には抜け切れないのでしょう。それなら、答えは一つしかありません。「わかっているつもり」から本当に「わかる」まで決して諦めずに学びを深めて、霊性向上への道を挫けず弛まず歩み続けていくのが本来の私たちの生き方であろうと思われます。
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再び、私の娘を通しての学びとは何か (2015.05.11)
先日はお忙しい所ご丁寧な返信を頂き、本当にありがとうございました。先生のおっしゃる通り、何回も何回も生まれ変わり、様々な人生を経験するなかで、結局人はみな公平なのだと知ると、娘のことは、永遠の尺度ではかれば目先のちっぽけなことかもしれません。私も娘も今成長の最中にいるのだと思えます。
本当に辛い時期もありました。これまで頭を悩ましてきたことは、友達との関係がうまく築けないくせに人と関わりたがることでした。学習面はしんどいだけで済むことです。私も前夫もなにかあるたび謝り、頭を下げてきました。それを受け止めて下さった学校の先生方や周囲の方には感謝で頭を下げてきました。二人して娘のことでずっとこんな風だったのです。
私は、これまでの人生で感謝の気持ちや人に低くなるということが足りてなかったのかもしれません。苦労というのは、何かに気づく為にある気がします。それに私自身、少しの努力で行きたい大学ややりたい仕事にもつけたことから、不器用で勉強のできない娘を持ったことを受け入れられず神様を恨みたくなるようなこともよくありました。
でもそんなことが、子供相手の塾での指導とヤマハでピアノ指導をしている私には幅を持たせてくれた気がします。どんなに出来が悪い生徒であっても苦にならないからです。下げて下げて教えることが出来るようになったのは娘のおかげです。そして何よりも、人の喜びごとを妬むことなく拍手して喜べること、意地悪な友達に対しても優しい視線を向けられること、その娘の純粋さに心を打たれることも、一つの感動として得られました。
こうして書いている今、結構良い子なのかもしれない、と思えたりしています。まだまだ泣きたくなるような出来ごとも待ち受けているのでしょうが、恐れず進んでいこうと思います。
長い文章になって本当に申し訳ございません。あと、亡くなった彼のことを聞いて頂きたいのです。彼は私の亡くなった父と会ったことはありません。それなのに、亡くなる前日、彼の夢の中に私の父が軍服(父は江田島にある海軍士官学校の出身です)を着て敬礼をして現れたようなのです。
彼は「お父さんが、仕事をやるから明日8時に墓参りにくるようにって言ってた」と、ピースをして嬉しそうに言いました。彼は自分が死ぬとは思ってはおらず、また仕事が増えるのだと解釈したようでした。私もそう思って、彼は回復するものだと喜びました。その夢の前日に、「お父さん、どうか彼を助けて」と、仏壇に向かいお願いしていたことが聞き入れられたのだと思いました。約束どおり朝8時に墓参りに行きましたが、彼は夕方亡くなりました。
それから暫くして娘が彼とあれこれ霊界通信できるようになったのですが、あんなに辛く当たっていた娘に感謝の言葉を伝えたり、私への想いの言葉を伝えてきました。娘が言うにはずっと私達のそばにいる、ということなのです。私には何一つわかりません。夢を数回見ただけです。
霊界通信によると、彼は5人(男性3人と女性2人)と暮らしており、たまに父がやってくるそうです。上の階にいる父は母と暮らしており、そこへは彼は行けず、父がたまに来てくれるそうなのです。亡くなったころは、頻繁に父がやってきていました。
この1年ずっと父の「仕事をやる」という言葉の意味は何だったのだろうと考えてきました。最近、何かで「志事=魂の成すべきこと、本来の魂の目的」というのを見たとき、父の与えた「志事」というのは、娘を守ること、それだったのではないかと思ったのですが、武本先生はどう思われますか?身内でもなく見ず知らずの父が彼に現れ、言葉をのこしたこと自体不思議なのです。
また、最近のことですが、不思議なことがありました。霊界で彼と一緒に暮らしている男の人の1人のもとへ娘と同じ高校生の女の子が遊びに来たようなのです。娘も何回か彼の暮らす霊界の部屋へ遊びに行っています。彼はいつも抱きしめて喜んでくれ、また他の人から「また来た。今日はどうしたの?」と言われるそうなのです。
先日の娘の霊界通信の途中、彼に代わってその女の子と会話したのです。ちょうど女の子が霊界へ遊びに来ていたようでした。住んでいるのは割りと近くで、知っている高校に通っており吹奏楽部、名前は「西川あかね」(仮名)と言っていました。お互いに会いたいねなどと話をして彼女は帰ったそうです。
娘の話では、その男の人は最近になって加わった人で、前は5人だったのが6人になったということなのです。そして女の子は、その男の人が残してきた彼女の子供さんらしく、生前この二人は仲良くできなかったということで、私達とよく似た状況のようなのです。その子のお母さんがとても悲しんでいる、と娘は言っておりました。
私はそんなことがあり得るのか、本当にその娘さんが実在するのか、調べたのです。考えた末、過去にその高校に通っていた知り合いの娘さんにお願いしました。それは2週間前の事でしたが、3日前に吹奏楽部に同じ名前の子がいると教えられ、驚きましたが何よりちゃんと生きているということにほっとしたのです。こういう事って本当にあるものなのですね。
姉にだけは話したのですが、「世の中は狭いけど案外霊界も狭い世界なのかもね。同じような境遇のひとが集まるってことかもしれないね」と、笑っていました。とても信じてもらえそうもない話なので、誰にも話してはいませんが、武本先生にはちょっと聞いて頂きたくて書かせて頂きました。
娘は色々通信をしてくれますが、知的レベルが高ければもっと深い内容も聞けただろうに、と残念に思います。でも、彼や両親のメッセージを聞けるだけで有難いことですよね。ただ、娘の話からだけですが、それが本当なら、あちらの世界はこの世とあまり変わらないようで面白いな、と思ったりします。
長々と最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。勝手なことですが、書くことで救われていきます。失礼をお許し下さい。
H. N.
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霊的覚醒を迎えるまでの厳しい体験 (2015.05.06)
M. H. 様
二度にわたる内容の濃いメールをいただき有難うございました。20歳で単身でブラジルに移住され、次にはバブル期の日本を後にしてタイの国際僧院で厳しい修行を積まれるなど、波乱万丈ともいえる貴重な体験をされてこられて、読んでいる私たちもいろいろと教えらるような気がいたします。
ご承知のように、シルバー・バーチも霊的真理についての膨大な情報を残してくれていますが、あなたのメールでは、仏教の教えによる輪廻転生や業、アカシックレコードに至るまで触れておられるのが特に強く印象に残りました。ご自分の修行によって体得された真理であるだけに、おことばには強い説得力があります。特にお母上が亡くなられてからの霊的開眼は、これも厳しい修行に伴う自然の流れであったのでしょうか。
このメールで、「仏教でいう不死、永遠の命とはこの輪廻転生する真我」であると、喝破しておられることには深い感銘を覚えます。「冥界に還り、その後の世界は全てこのレコーダーに記録された事実に則りその相応しい世界に行く」というのも、仰る通り「揺るぎない真実」でしょう。だからこそ私たちは、霊界への生活に備えて、この世に生きている間は出来るだけの修行を積んでいくのが本来の姿なのだと思われます。
ご自身のご体験に基づくたいへん貴重な情報を、一人でも多くの皆さんと共有させていただきたく、この欄で公開することをお願い申し上げたのですが、快くご承諾下さって誠に有難うございます。私のように修行らしい修行をしたことのない者にとっては、あなたの国際僧院でのご修行のことなど、深くこころに残っていますが、改めて、ここに掲載して読みなおし、少しでも学びを深めていきたいと思っています。
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永遠の命とは輪廻転生する真我のこと (2015.05.06)
この内容は、本来、公にすべき事ではないのかも知れません。私は思うのですが何故、人には知らされていないことがあり、知ることが出来ていないのか。真実は、ベールに包まれ我々には見えません。それにはきっと理由があると思うのです。
人はこの世に生まれ、真実は何も知らないから自由奔放に振る舞うことが出来ます。思念(欲望)のまま罪の意識など微塵もなく、平気で罪悪を為す人が居る。世相はいつの世も罪人とその被害者という構図です。善人は、どの様な環境に生まれようと善人です。これは、人間が生まれる前に居た世界(業の世界)が、この世に転生してもゼロからの再生ではなく前世の因縁を持って生まれてくる、という仏教の教えの証明でもあります。
自己紹介ではないですが、私は、昭和25年生まれで今年の8月で65才になります。20才で大望を抱き単身でブラジルに移住しました。海外移住事業団が運営していた青年海外協力隊の様な形です。技術者単身移住です。ブラジル丸で太平洋を渡りリオデジャネイロが目的地です。そこから車で5〜6時間走ったところが移住地の農場です。余り詳細は書きません、本人が特定出来てしまいます。結局3年程して先々のこと将来が見えてしまいました。相当な資本金が必要なことが解りました。
断念して帰国しました。それから大阪に行きバブル期到来です。人々はこの世の春を謳歌し、金満浪費・飽食に明け暮れていました。世の中が狂っていました。私は、これは違う、こんな世の中は間違っていると直感的に感じ取っていました。そこで思い立ったのが修行の道でした。それも国内ではなく、原始仏教に近いといわれる南伝仏教です。僧侶は、227戒を受戒します。タイの東に位置する処に由緒ある国際僧院があります。深林派僧院です。経典はパーリー語で著されています。
そこでの経も勿論パーリー語です。日課は、早朝2時半起床、瞑想1時間、読経と続き、その後は托鉢です。麓の檀家を1〜2キロ裸足で歩きます。無言です。帰ってきてから掃除、雑事と続き食事です。午前中に一回のみと戒律で決められています。午後に入り作務・掃除・雑事と続きます。4時ぐらいに本堂で読経があり夕刻に瞑想1時間、後は各自の僧坊で過ごします。特に行事のない日は、そのようにして過ごします。戒律の227箇条は、パーティモッカといい住職になる為には、全て暗記しなくてはなりません。
国際僧院は、世界各地から来ている人達です。ヨーロッパ諸国・アメリカ・カナダ・中南米から仏教に関心があり将来僧侶になろうという人達が寺に入り(出家)修行します。見習い僧から始まり一人前(シニア)の僧侶になる為には、5年間の歳月を要します。欧米でも近年仏教徒が増えています。国際僧院から出たシニア僧が各国のブランチに行きその国の関心がある人々に仏教の教えを広めています。
日本人もおります。そのように私なりに発心が起これば、躊躇なく行動します。基本的に、やってみなければ解らないという考え方です。実際、机上では学ぶことが出来ない多くのこと、実践・行動により学ぶことが出来ました。語学の習得の難しさ、国際感覚、仏教観の日本との違い等です。以上が、自己紹介といったところです。(紙面が残り少ないので本題の不思議体験は新たに送ります。)
前述の通り、私に霊感なるものが開花したのは母が亡くなってからです。それ以前は、無縁の世界でした。僧侶の経験があるのですが、瞑想中に不思議な体験をしましたが、仲間の僧侶にその事を話しても全く相手にされなかったので、それ以来この様な話は、他人には理解出来ないことなんだと話すことを止めて(封印して)しまっていました。
母が亡くなり私の前に映像として(薄いフイルムが流れていく様な)現れるまで半信半疑の世界でした。しかし、そのリアルな映像を見てからは、揺るぎない確信に変わりました。他人がなんといおうが在るものは在る、という確信です。その事を前提としてお話し致します。
母が亡くなり、数年経ちました。その間も母による話しかけ、亡くなった親戚の伯母からのアプローチがあったりまるで霊能者になったかのような天道が拓けた状態でした。ある日、いつもの様に母が現れ(実態ではなく意識として)誰かと話をしていました。私は、それを意識として聞いている。なんとそれは私自身でした。内在している真我という私の本体でした。
その姿は、まだ若い青年のようでした。20才代です。母とその私自身が話をしているそれを肉体の自意識が聞いている。不思議な体験は色々ありますが、これがその最たるモノです。話の内容は、その真我が言うのに「思う様に動いてくれない」ということでした。真我の考え通りに肉体が動いてくれない、とても「もどかしい」という感情を母に訴えていました。
肉体は、死んだら灰になります。仏教でいう不死、永遠の命とはこの輪廻転生する真我のことでした。肉体の自我・自意識は肉体と共に死にます。しかし、その本体、操縦者は意識界の存在なのです。この世の出来事、体験は全てこの真我が背負い引き受けることになります。アカシックレコードという記憶装置が備わっており、この世でのことは全て記憶・録画されているといいます。
冥界に還り、その後の世界は全てこのレコーダーに記録された事実に則りその相応しい世界に行く。これは、揺るぎない真実です。だからこそこの世は峻厳な世界であるといえます。この世の実相が我々には見えない理由はここにあるのです。冒頭に書いた、この事実は本来最大限の機密事項であるのかも知れません。
しかし、神仏はこの世の森羅万象で在り、この世の事象は起こるべくして起こり、在るべくして在るとするならば私が知ったことも其の中の一部に過ぎないことです。其の本意が正しく伝わるか否かは、受け取る側のアンテナの周波数の問題だと考えております。正しく同調できなければ、唯の雑音程度にしか聞こえないモノです・・・・・・。
(M. H.)
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永遠の尺度でのみ捉えられる霊的真理 (2015.04.24)
はじめに、大変返信が遅くなってしまったことをお詫び申し上げます。すでに、ホームページでご覧いただいたかと思いますが、私のパソコンの不具合で、4月8日にあなたからのメールが届いていたことに気が付きませんでした。
あなたはすでに、シルバー・バーチやブライアン・ワイスの本などをいろいろと読まれてきたことを知って、私も少し救われるような気がしています。シルバー・バーチの教えは膨大な量になっていますから、何か不明の点や疑問があっても、よく読んでいけば、そのなかから必ず、必要な回答や道標を引き出していくことができます。私もいままで度々そうして、シルバー・バーチから導かれてきました。
精神科医のブライアン・ワイスは、退行催眠によって深く霊的世界に入り込める人ですが、その本もいろいろと読んでおられたのであれば、そこから数々の示唆に富んだ真実を学び取られたのではないかと思います。私はこのホームページの「寸感・短信」欄
No.82 に、先週、「極限の不自由のなかで紡ぎ出されることば」(2015.04.15) を載せました。そこでは、『前世療法(2)』で述べられているブライアン・ワイスのことばを引用してあります。よく知られていることばですが、敢えてそれをここに再録してみましょう。彼はこう言っています。
「障害や困難の克服が、霊的な成長を促進するということは本当です。重い精神病や肉体的な欠陥などのように深刻な問題を持つことは進歩のしるしであって、退歩を意味してはいません。私の見解では、こうした重荷を背負うことを選んだ人は、大変に強い魂の持ち主です。最も大きな成長の機会が与えられるからです。もし、普通の人生を学校での一年間だとしたら、このような大変な人生は大学院の一年に相当します。退行催眠で苦しい人生の方がずっと多く現れてくるのは、このせいでしょう。安楽な人生、つまり休息の時は、普通はそれほど意味を持っていないのです。」
このことばは、シルバー・バーチのことばと全く矛盾してはいません。あなたが読まれたというジェームス・ヴァン・プラグも「病が魂を成長させる」というように、同じようなことばをいろいろと述べています。それからもうひとつ大切な教えは、宇宙の摂理のなかでは絶対に不公平はないということでしょう。この世は不公平だらけですからこれは分かりにくいかもしれませんが、その真理はこの世の一瞬のなかでは捉えられません。永遠の尺度で測るべきものを、目先のちっぽけな瞬間の尺度で測ってはならないのだと思います。本当は、あなたのまわりには、お嬢さんの貴重な霊能力を含めて、そういう霊的真理を学ぶための教材が人一倍多く恵まれていると考えることはできないでしょうか。
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私の娘を通しての学びとは何か (2015.04.24)
こんにちわ。わたしは、先生の『天国からの手紙』を読む一年近く前から、シルバーバーチやジェームス・ヴァンプラグ、精神科医のブライアン・ワイスなどの書かれた本を読み、人は霊的な存在であること、霊界での生活があること、亡くなってしまった愛する人もそばにいてくれることなど、様々なことを知りました。
読みあさりはじめたのは、去年の5月にこれから再婚しようとしていた愛する人が病気であっけなく亡くなってからです。亡くなったあと、1週間して17才の娘が彼と霊界通信ができるようになり、亡くなった母や父、会ったことのない人とも名前を呼んで話せるようになりました。また、人のオーラの色が見えるようにもなりました。
娘は普通の高校には通えるものの、広凡性発達障害 です。ものすごく純粋ですが、想像力が乏しいため話を適当に作ることなどできないので、通信内容は信じました。亡くなった彼は、自分の複雑な生い立ちや本当の実の娘とは交流ができない苛立ちから、私の娘をよく無視し、酔ったときには暴言を吐いたりしては私ともケンカをしたものでした。でも、娘はそんな彼を嫌うことなく、何か買うときも3人分買って帰り、彼と話をしたがりました。
突如彼が入院したとき、「いつも先生に(予備校の講師でした)ママを取られてたから、いなくなったらいいのにって思ったことはない?」と聞いても「そんなことは一度も思ったことはない」。そう娘は言いました。
彼の亡くなったあと、彼が娘の前に現れ、娘と二人で大きなスクリーン上で映画をみるように、救急車で運ばれるところからお通夜、お葬式、そしてうちに帰ってくるところまでの一部始終を見たそうなのです。その時に彼は、娘から死んだことをはっきり知らされたようです。
3人でいた3年間が人生で一番楽しかった。もっと生きたかったと話し、娘には「心がきれいだ。それなのに暴言を吐いたり冷たいことをして悪かった。ごめんね。許して」と話したようです。「霊界通信できるなんてすごいなー」ともいってくれたそうです。
それから現在までことあるごとに霊界通信をしてくれていますが、私には「愛しているよ。ずっと忘れない」といい、娘には「守り続けるから」と言います。彼は娘に悪いことをしたと悔やんでいるのでしょう。いつも私と娘のそばにいるようなのです。
彼が亡くなってから私は未だに立ち直れてはいません。正直なところ、早く死んで彼の元へ行きたいと思うばかりです。でも、至って健康。まだまだ死にそうにもありません。ただ、彼の死でぐっと仲良くなった娘の友達のお母さんの優しさと娘の霊界通信で彼とやりとりできることで救われてきたと思います。
人が何かのきっかけで霊界と磁気的なつながりをもつようになるのは、シルバーバーチの本で知りました。これまで霊的な知識は何もなく、彼が生きている間に何故このことや本に気づかなかったのかと悔やみます。
そもそもシルバーバーチの本を読むことになったのは、ネットでの武本先生の「ともしび」のところからです。何故、先生のところに行き着いたのかはわかりません。が、先生の書かれたものを読んでいるうち、心はどんどん救われていきました。もっと早く知ることができれば私は彼を救えたのに、とも思いました。
私の人生の大きな課題は、この娘を自立させること、かもしれません。普通の高校に入ることや進級すること、それらごく当たり前にできるはずのことが、娘には至難なことです。受験勉強をはじめ、学期ごとの定期テストは、私がついてヘトヘトになります。小学校、中学、高校と、友達関係と学習のことでは私も前の夫もしんどい思いをしてきました。ただ、学校はいつも娘を温かい目で見て下さって、そのおかげで今回も進級できたようなものなのです。
よく私は、何故こんな手のかかる子供をもつようになったのか考えることがあります。前世でも娘は発達障害 だったのでしょうか。人の何倍も勉強し、人の半分も点数は取れない、努力しても不器用でうまくやれない、娘の人生の課題は何なのでしょう。私の娘を通しての学びとは何なのでしょう。
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私たちの一生は光を目指す霊的巡礼の旅 (2015.04.22)
メールを拝見しました。あなたのメールは3月31日に届いていたのですが、私の方のパソコンの不具合で拝見するのが遅れました。返信が大変遅くなってしまいましたことを、はじめに深くお詫び申し上げます。
葬儀の日から始まったあなたの不思議な体験を再読しながら、私は知人で優れた霊能者である Tさんから聞いた話を思い出していました。お母様が亡くなられて葬式の日、お兄さんや妹さんたちが涙を流していたのに、Tさんだけはお母様の姿がよく見えて、会話を交わしていたというのです。目の前に生きている姿を見ているわけですから、Tさんには悲しみはありませんでした。病苦から解放されたお母様の姿が若々しく綺麗に見えたので、そのことを伝えますと、お母様は笑っていたそうです。それでも、出棺の時になって、お兄さんや妹さんたちが棺に取りすがって泣いているのを見たときには、お母様も涙を流していた、と言っていました。
あなたがお母様に導かれて霊界を垣間見られたのは貴重な体験ですね。スエーデンボルグの霊界探訪などで述べられている世界をあなたからも教えられているような気がします。霊界は階層社会ですから、光から影に至るまでのどこかの階層に私たちもやがては還っていくことになりますが、あなたのように、この世にいるうちに光と影の両方の世界を垣間見ることができたというのは稀有のことで、何か大きな意味があるように思えます。貴重な体験の一端を私たちにもおすそ分けしていただいたことを、厚くお礼申し上げます。
「世間では大多数の人が見えている世界しか理解しようとしません」というのは、その通りですね。眼にみえないところに大切な真理があることを理解していくためには、やはり輪廻転生も必要なのでしょう。私はいま、また、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで 死の終わりに冥し」という空海の『秘蔵宝鑰』のことばを思い出しています。私たちのこの世での一生は、影から光を目指しての霊的巡礼の旅であると思いますが、共に手を携えて、霊的向上の一歩一歩を踏み締めていきたいものと思います。
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亡き母に導かれて霊界を垣間見る (2015.04.22)
初めまして、「ともしび」を拝読させて頂きました。非常に感銘しました。あの世の実相は、私もかねてより(13年程前より)非常に関心を持って究明したい課題となっております。
母が亡くなり葬儀の日から不思議な体験が始まりました。お通夜の時には、満面の笑みを映像として見せてくれました。悲しみと言うより安堵感が沸いてきました。良かった、亡くなった事を悲しまずに喜ばしいこととして(享年76才)受け止めようと思いました。4人兄弟ですが、何故か私だけ感じ取ることが出来たようです。その後も、家財道具を整理していたのですが、兄弟そろって居てもその場に母が居たのを感じ取れたのは私だけでした。きらきらと輝いて靄のように浮いていました。
それから1年程経過してから信じられない体験をしました。亡くなった母にエスコートされ冥界に入ることが出来ました。始めは、天上界です。それはそれは居心地が良い至福感に満たされた快適な処でした。人の姿はありませんでした。石造りの大きな神殿がありました。どこからともなくクラッシック音楽が奏でられていました。BGMの様な感じでした。陽光が差し心地よく、空気が透き通り澄み渡りこの世にはない光景です。何時までも此処に居たい留まりたいという思いでした。
暫くして、その場を離れました。暗くて蒸し暑い不快なところに来ていました。地球の中心に向かっているという感覚です。地中深くに突き進んでいる。真っ暗ですが松明のような明かりにより照らされている。其処は、地獄と言われているところでした。不快きわまりない処でした。鬼が居ましたが其れは地獄の番人ではなく、地獄に落とされた人間でした。不死身となり欲望むき出しの形相であの様な顔になったのです。蒸し暑いので皆裸です。地獄の番人は獣でした。半獣人です。人間の倍もある巨体です。パワーがあり片手で人間(鬼)は吹っ飛ぶ。刑務所のような処で、拘禁状態でした。異臭を放ち、私には一日とて居ることは出来ない。最悪の環境でした。意思の疎通は、以心伝心テレパシーです。想念はそのまま相手に伝わります。空恐ろしいところでした。
私は、母からこの様に天上界と地獄界を案内され、実際に在る事を教えられました。有り難いことです。悟りの境地でも大悟といわれるところまでいかないと見えない世界です。その昔、釈尊が観た世界です。其の世界を見ることが出来た。今では、何の迷いもなくこの世は修行の場で在り、其の本体はあの世にある。この世を包括した世界があの世であると言えます。目指すは、天上界にある至福の地です。
世間では、大多数の人が見えている世界しか理解しようとしません。なんとも人間の業の深さを浅ましく思います。輪廻転生を繰り返し、繰り返し彷徨い、彷徨いしているのが我々です。神という存在が森羅万象を創り支配しているのなら、悠久の時の流れを待たなければ其の計画は完成を見ないのかも知れません。現在の心境です。縷々書きましたが、お心に届き、ご理解を頂けることを期待、祈念しています。長文、乱文失礼致しました。お身体をご自愛ください。
合掌です。
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改めて考える信仰による救い (2015.04.20)
S. M. 様
メールを有難く拝読させていただきました。はじめに、私の方のパソコンの不具合で返信が大変遅くなってしまいましたことを深くお詫び申し上げます。宗教法人大本は、出口王仁三郎教祖以来100年を超える庶民啓蒙の歴史を通じて、霊的真理の普及に大きな影響を与え続けてきました。そのなかで1921年の政府による大弾圧により、浅野和三郎先生が大本を離れて、後に「心霊科学研究会」を設立するに至り、さらにその「心霊科学研究会」から谷口雅春師が「成長の家」を発足させた経緯なども思い浮かべることができます。
浅野和三郎先生や谷口雅春師のみならず、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で広く知られるようになったあの日本海海戦の名参謀・秋山真之も、ご存知のように、大本の熱心な信者でした。浅野先生は海軍機関学校の教授でしたし、兄上が海軍中将であったこともあって海軍とは縁が深く、秋山真之とは特に親しくしておられたようです。秋山真之は、「宗教に入り切るには余りに理性がありすぎる」と評された一方で、晩年は、一部の人からは「狂信的」といわれるほど熱心に信仰していたといわれます。そういうことも浅野和三郎先生のご長女から直接お伺いしたことなどを、いま思い出しています。
浅野先生は、この秋山真之のことをいろいろと本に書いて残しておられますが、そのなかで、「秋山さんの信仰は終に自己中心の人間味を脱却し得なかった」と書かれている部分があります。そして、「秋山さんは己れを自覚し過ぎて居た。ある程度迄は節を屈して神霊の前に頭をさげるが、まさかの時に秋山自身がムクムクと飛び出して来て、全然己れを空しうすることが出来なかった」(浅野和三郎 『冬籠』)と評しているところがあります。秋山真之のような勝れた軍事的天才でも、信仰の厳しさの前では、一歩及ばぬ点があったということでしょうか。
私が今このようなことを述べているのは、実は、もう何年も霊的真理のことを学び、書いたり話したりしていながら、私は果たして本当に、神の前に全身全霊で私自身を投げ出しすべてを委ねることができているだろうかと反省させられることがあるからです。霊的真理についても、確かに永遠の生命は理解しているつもりですし、死を悲しむのは間違いである、と言われていることも十分に頭には入っていますが――そして、それによって自分の妻や子の死を乗り越えてきたのも事実ですが――いまもし、仮に、新たな愛する肉親との「別れ」が起こるとすれば、やはり嘆き悲しむこともあるのではないかと思ったりするのです。悲嘆にくれるのは人間として当然ではないかという気持ちもあります。私のなかにはまだまだ、霊的には未熟な、弱い部分が残されているのかもしれません。
メールを拝読していて、私は改めて自分のそういう弱い部分にも目を向けさせられました。「霊界の実在や、神と人、人生の目的などの講座」を担当されているあなたのお姿は、私の姿と重なります。それだけに、「信仰を持って霊界の実在に確信を持っている自分がここまで苦しい思いをするのに、信仰を持っていなかったり、霊界の存在を認めない人たちは、どう立ち直るのか、ふと疑問が湧いてきました」という率直なご感想には、私は同調するだけで、それをさらに一歩進めるようなポジティヴな答えを見出すことは出来ません。私の『天国からの手紙』にしても、一部にせよ、そのような迷いからは無縁の境地で書かれたものではないことを申し上げなければならないでしょう。
メールにも書かれていますように、宗教は一つで、真理も一つの筈ですが、ただ、いろいろなアプローチの違いだけがあるのだろうと思います。同じ景色を同じところから見続けていたら本当の姿がわからないのもその通りで、私もまた、あなたのメールに導かれて、私なりの学びを続けていきたいと思います。神や真理について改めて考えさせられる貴重なメールをいただき、有難うございました。重ねて厚くお礼申し上げます。
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真理に辿りつくための様々な道 (2015.04.20)
武本昌三様
『天国からの手紙』拝読させていだきました。私は、京都府亀岡市にある宗教法人大本教学研鑚所のS.M.と申します。はじめに、このメールは、宗教法人大本と一切関係がございません、私個人の感謝の気持ちです。
私は、宗教法人大本に勤めております。その中で霊界の実在や、神と人、人生の目的などの講座をさせていただいております。武本先生のご著書内容は、大本の教祖出口王仁三郎の説かれている内容と、全くと言っていいほど、一致しており、教義や霊界観をここで改めてご紹介する必要もございません。
多少ですが霊的な知識や経験のある私がなぜ、先生のご著書を拝見させていただくことになったかというと、昨年の秋、母を亡くしました。職業柄、普段はそういった方々に対して、霊界のお話や、"みたままつり"(亡くなった肉親などの魂は、現界にいる人間と密接不離にあり、祈りや、"まつり"を通じて、お互いに影響し合っている)のお話などをさせていただいております。
しかし、実際自分が肉親の死を経験してみて、理屈ではどうしても埋められないものを感じました。母の死に際して、多少の霊的な体験もありましたが、感情、魂に響く悲しさは想像を遥かに超えるものでした。信仰を持って霊界の実在に確信を持っている自分がここまで、苦しい思いをするのに、信仰を持っていなかったり、霊界の存在を認めない人たちは、どう立ち直るのか、ふと、疑問が湧いてきました。
そんな中、先生のご著書に出会いました。先生が霊的真理に目覚めて、霊界の実在に触れていかれる過程は、まさに、私自身の悲しみを癒すと同時に、新たな角度から霊的真理への確信を持たせていただきました。神さまは、人種や民族、風習や習慣などにあわせて様々な宗教をおつくりになり、人々を救おうとされている、大本では、全ての宗教はひとつであるという、万教同根の教えがございます。
ひとつの真理に辿りつくには、様々な道が用意されていますが、自分の歩む道が行き詰まったと思っても必ず道は用意されているということが実感できました。同じ景色を同じところから見続けていたら、本当の姿はわからない、先生のご著書を通して、大きな力をいただきました。当たり前に思っていたことが実は当たり前ではなく、恵まれていたことに気づかせていただきました。ありがとうございます。
心から感謝申し上げます。これからも多くの人々を霊的真理に導いて下さい。先生のこれからのご活躍を心よりご祈念しております。
S. M. (*このメールは 3月24日にいただきました)
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「娘に逢いたい!」 を送信してくださった方に (2015.04.20)
あなたからのメールに対して返信を差し上げたのですが、「送信できない」という通知がありました。念のため、この欄を利用して下記にその返信のみを再録しておきます。
3月7日にメールをいただいたのですが、パソコンの故障で返信が大変遅くなってしまいましたことをお詫び申し上げます。
娘さんがうつ病を患われて亡くなられたということですが、深いお悲しみのことばを辿りながら、お慰めすることばもありません。7か月経っても、「無念で悲しくなかなか娘の死を受け入れられません」というお気持ちに対しても、いまは項垂れてしまうばかりです。
ただ、私は、これまでもあなたのような方々と何度もいろいろと交信を続けてきました。たまたま、現在ホームページで連載中の『天国の家族との対話』の「一人で往ってしまった息子を案じて」(269〜275ページ)もそのうちの一つです。少しはこころが癒されるかもしれません。どうぞご一読ください。
ほかにも、この「メール交歓」欄で、同様の多くの文通をご覧いただくことができます。生と死の真実を知ることによってのみ悲しみを乗り越えることができる、というようなことを度々繰り返してきましたが、そのような文通にも、目を通していただければと思います。
いまのあなたに残されているのは、実は、決して絶望と深い悲しみだけではありません。なるべく早くそのことに気づける日がくることを、こころからお祈りしています。
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再び、一人でも多くの方々の目覚めのために (2015.04.17)
S. U 様
2月27日付けのメールを拝見しました。私の方のパソコンの不具合で、返信がたいへん遅くなってしまったことを深くお詫び申し上げます。
あなたからのメールは、私の『天国の家族との対話』のなかで引用させていただきましたが、私が取り上げたシルバー・バーチの原文をお読みくださっていることを訳者として有難く思っていました。あなたももう十分に理解されているように、シルバー・バーチの教えは私たちの人生にとって実に貴重で重大ですね。それを今度はあなたが、スピリチュアルヒーリングからミディアムシップへという形で、一人でも多くの方々の目覚めのために実践されようとしておられることを知って、こころからうれしく思っています。
かつて、この「メール交歓」 (2006.12.31)のなかで、「無料で治療を続けてきたヒーラーの足跡」という返信を書いたことがありますが、 この山村幸夫さんもシルバー・バーチの教えに啓発されて霊能を開いていかれた人で、真にすぐれたヒーラーであったようです。日本とアメリカで、病院から見放されたような多くの人々の、数々の難病を治すという「奇跡」を頻繁に起こしてきましたが、惜しくも、2002年5月に、治療院としていたロサンゼルスの自宅で亡くなられました。まだ39歳でした。
ここにも書いてありますように、山村さんは、患者さんから治療費は一切取りませんでした。ガンのような難病を治療してあげても、治療費はすべて無料でした。病気を治してもらった多くの人々が感謝を込めて自発的な寄付をする、そのお金で治療活動を続けておられたようです。人のために誠心誠意尽くしている人は、必ず霊界からの援助が受けられる。それを、身をもって示してくれたのがこの山村幸夫さんでした。この小文も是非ご一読いただければと思います。
あなたのこれからのご研鑽をこころよりお祈り申し上げております。
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霊界の光を伝えることを目指して (2015.04.17)
武本様
ご無沙汰いたしております。お変わりなくお過ごしでしょうか。いつもホームページを拝見させていただいております。
本日は以前掲載いただいた私のつたない文章を再度掲載していただきありがとうございました。その中でも述べさせていただきましたが、武本様の本との出会いが私のスピリチュアルの世界への入り口になりました。その後様々な出会いと、学ぶ機会をえることになり、少しずつ世界が広がっていきました。
あれからの時間は本当に長く充実したものでした。そして現在はスピリチュアルヒーリングの勉強をしており、ヒーラーとして霊界の光を必要な方々に伝えることを目指し、月に1度
H市でヒーリングセンターを開催いたしております。(ヒーラーとしては今年いっぱいは見習いです。) まだ私自身どのように自分の使命を果たしていくか、具体的にどうなっていくか描けてはおりませんが、どうもスピリチュアルヒーリングからミディアムシップへと繋がっていくようです。
武本様が著書やホームページなどで、死後も霊の存在が続いていく事を世の中の人たちに語りかけてくださっていることにあらためて感謝申し上げます。そして私も少しでも多くの方に真実を知っていただき、現世だけにとらわれず皆が永遠の命を生きていけるように、力を尽くしていこうと考えております。そしてこれからも武本様と必要とされる方々に癒しの光をお送りさせていただきます。
まだ寒い日が続き、天候も変わりやすいようです、くれぐれもお体をご自愛くださいませ。感謝を込めて― S. U. (2015.02.27 )
*このメールは私の方の受信不調で4月16日に拝見しました。
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ホームページ宛のメール受信不調のお詫び (2015.04.16)
パソコンが故障しましたので、今年の2月に予備のパソコンに切り替えてホームページの更新を続けてきたのですが、このホームページ宛のメールが開かれない状態のままになっているのに昨夕まで気がつきませんでした。2月末以降、メールをいただいた方にはお返事も差し上げず、たいへん失礼いたしました。深くお詫び申し上げます。
遅ればせながら、直接、あるいはホームページを通して、メールをくださった方々への返信を始めさせていただきます。返信を終えるまでに数日かかることもあるかと思いますが、どうぞご寛恕くださいますようにお願い申し上げます。
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ちょっと一息いれてアメリカのジョークを 〔27〕 (2015.03.18)
朝食のときに、ジョニーが言った。
「お父さん、今日はリンカーンの誕生日でしょう。ほんとに彼は偉い人だったんだね」。
いつも子供に教訓を与えることに熱心な父親は、「そうだよ、ぼく、本当に彼は偉かった」と答えた。そして、ちょっと気取ってこう付け加えた。
「ぼく、知ってるかい、エブラハム・リンカーンがお前の年齢の時には、鉄道の線路工夫をしていたんだよ」。
「うん、知ってるよ」とジョニーはことばを返した。
「それにお父さんの年齢の時には、アメリカの大統領になったんだよね」。
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Johnny, at breakfast:
"Dad, today is Lincoln's birthday. My, he was a great man, wasn't
he?"
Pop, always eager to teach his young son a lesson:
"Yes, Son, indeed he was. And mind you," he added pomously,
"when Abraham Lincoln was your age, he was out splitting rails."
"Yes, Dad, I know," retorted Johnny.
"And when he was your age, he was President of the United States."
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ちょっと一息いれてアメリカのジョークを 〔26〕 (2015.02.18)
ハリー: お前、なぜ仕事に行かないんだ?
ラリー: 親方と喧嘩したんだが、親方が言ったことを取り消そうと
しないからだ。
ハリー: 親方は何と言ったんだ?
ラリー: 「お前はクビだ」 と言ったんだよ。
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Harry: "Why aren't you working?"
Larry: "The boss and I had a fight and he won't take back
what he said."
Harry: "What'd he say?"
Larry: "He said, 'You're fired.'"
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9日(月)と11日(水)は休ませていただきます
(2015.02.07)
都合により、9日(月)と11日(水)の更新は休ませていただきます。次回の更新は、2月13日(金)の予定です。どうぞご了承ください。
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人それぞれに歩み続ける霊的巡礼の旅 (2015.01.28)
Y.S 様
私の本を読んでくださって有難うございます。大英心霊協会については、何度もこの「メール交歓」でも取り上げてきましたが、営利を目的にしているわけではありませんので、ミーディアムの交通費程度の安い料金で誰でも気軽に何度でも予約できるはずです。私が通っていた十数年前までは、ヒーリングについては無料でした。病院で見放されたがん患者などが全治したような事例も決して珍しくはありませんが、霊界からの力で治療しているわけですから、無料で患者に奉仕するのが本来のあり方なのだと思います。
あなたはロンドンの大英心霊協会へ行かれて 「シッティングを受けても彼女と話せる保証はない」と書いておられますが、おそらくその通りでしょう。ただ、彼女と話せる可能性があることも事実です。ミーディアムの霊能力にもよりますし、それに、あなた自身の霊的真理を受け容れるこころの準備にもよります。そのようなことについても、このホームページでは、折に触れ、繰り返し何度も述べてきました。
私の本を亡くなられたご友人のご家族へ贈ることの可否については、やはり、あなたご自身が判断されることではないでしょうか。私はあの本で、愛する家族を失って悲しみにくれているご遺族を慰めるための単なる便法や、迷信、幻想を書いたつもりはありません。東日本大震災では、私は現地の方からの要請を受けて、ご家族を亡くされた方々へ何冊もの『天国からの手紙』を贈呈してきましたが、その行為で遺族の方々が「動揺したりして苦しみを増幅させるようなこと」
があるかもしれない、と思ったりしたことも一度もありませんでした。
仮に、誰かが山道で迷って遭難しかけていることがあるとしたら、道を知っている人がその人に生還への道を教えてあげるのは、人間としての義務であろうと思います。必ずそうしなければなりませんが、それでも、なかには、いくら教えてあげようとしても信じてもらえず、聞き入れてくれない人もいるかもしれません。しかし、だからといってはじめから道を教えないでいる方が無難だと思ってはいけないのでしょう。ただ、教えてあげるのは「義務」であっても、義務はそこまでで、相手が従うかどうかはまた別の問題です。
死とはなにかを知り、永遠の生命の真実を掴んでいくのは何よりも大切な人生の目的だと思いますが、見る目さえあればそれを学ぶ本や資料はまわりには沢山あります。それを教えようとする宗教者、霊能者も日本にも数多くいます。なかにはいい加減な本や死の意味を知らない宗教者、金儲け本位の自称霊能者も少なくはありませんが、その取捨選択は、あくまでも個人の責任で、個人の自由意志によるというほかはありません。人はそれぞれに違うペースで、生と死を繰り返しながら、霊的巡礼の旅を歩み続けていることをごどうぞ理解いただければと思います。
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大切な友人を亡くして残る心の痛み (2015.01.28)
武本昌三先生
初めまして。私は H 市に住む42歳の主婦です。先生の著書 『天国からの手紙』を拝読し、言葉では言い表せない感動を覚えました。
スピリチュアルの商売や本が氾濫し始めた時から最近に至るまで、インチキなものばかりという印象を受けてしまい避けてとおってきましたが、一方で、斉藤一人さんの本などで、「この世は修行」「死んだときがあの世のスタート地点」などという言葉は割とすんなり信じて、この生活で楽しく苦労するということを無意識の隅においてきた気がします。
実は、先生の本を拝読してから、私が長年苦しんでいるアトピー性皮膚炎のせいで本当にイギリスに行こうと思い立ち、早速大英心霊協会にもメールをしましたところ、4月25日にシッティングと
ヒーリングを受けに行く予定になりました。先生に今回メールを差し上げましたのは、下記の件で先生のご意見をお伺いしたかったからです。
私は1年前に大切な友人を癌で亡くしております。彼女の膵臓癌を知ってから、時折お花を届けに行っていたのですが、それも私がステロイドを脱したリバウンドで動けない程になってしまったことからお花も中断してしまい、その間に彼女は天国に召されました。そのことが私の心の痛みとなって未だに残っております。
『天国からの手紙』 を読んだ後、「幽霊でもいいからお母さんに会いたい」といってる二人のお子さんのことを思い出し、ふとイギリスに行った際には彼女のことも聞いてみたいと思いましたし、彼女の旦那様に
『天国からの手紙』 を読んで欲しいと思うようになりました。しかし、シッティングを受けても、彼女と話せる保証はない上、ご家族に先生の本を贈ったとしてもとまどいを与えるだけ、私の単なるおせっかいではないかと躊躇しております。
一方で、私がイギリスに行く機会を得たのは、もしかすると自分の病気などのためではなく、まさに彼女の家族のためなのではないかという思いもあります。大切なご家族を亡くす苦しみは、経験した者にしか絶対に分からないといえるほどの苦しみだと思います。
彼女の死後、まだ1年ちょっとしか経過していない中、私が先生からの本を差し上げることについて、どう思われますでしょうか。変な人、とか奇妙に思われる分には何ら抵抗はないのですが、かえって彼らが動揺したりして苦しみを増幅させるようなことがないかということを非常に恐れています。
どうか先生の率直なご意見をお伺いしたいと思います。不躾なメールで大変恐縮に存じますが、何とぞよろしくお願いいたします。
Y.S.
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ちょっと一息いれてアメリカのジョークを 〔25〕 (2015.01.21)
スペイン人とアメリカ人とスコットランド人が 3人で、ある朝眼が覚めてみたら百万長者になっていたとすると何をしたいか、と話し合っていた。
スペイン人は、闘牛場を建てたいと言った。
アメリカ人は、パリへ旅行して楽しみたいと言った。
スコットランド人は、もう一度寝て、また百万ドルを手に入れたいと言った。
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A Spaniard, an American, and a Scotsman were discussing what they would
do if they awoke one morning to discover that they were millionaires.
The Spaniard said he would build a bull ring.
The American said he would go to Paris to have a time.
The Scotsman said he would go to sleep again to see if he could make another
million.
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新年明けましておめでとうございます (2015.01.01)
このホームページも2003年3月の開設以来11年間続けてきたことになります。こんなに長く続けるようになるとは思っていませんでしたが、多くの皆様に支えられながら今年の3月で、開設12年目を迎えようとしています。全国各地で、そして、アメリカやイギリスなどを含めて海外からも、このホームページをご覧くださっている方々に、改めて衷心より厚くお礼を申し上げます。
今年の新年はアクセス数 531,263 で幕開けとなりました。書きたいことはほぼ書いてきたという気もしますが、これからも体力の続く限り、更新を続けていきたいと思っています。「随想」と「身辺雑記」はそれぞれに100回を超えても継続させていくことにしました。「叡智の言葉」A
と B は、100回で終了し、代わりに「折々の言葉」をスタートさせる予定です。
新しい年のはじめにあたり、今年がどうか佳い年でありますように、皆様のご健勝とご多幸をこころからお祈り申しあげます。
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