(日付の新しいものから順にならべてあります)







   希望に満ちた生活を送るために     (2017.01.11)


 M. K. 様

 メールを拝見して、私にどのような返信ができるだろうかと、しばらく考えていました。私が妻と子を亡くした半年後の状況を思い出してみますと、悲嘆の底に沈みながら、私は人に会うのも避けて、ひとり固い殻に閉じこもっていました。妻の友人であった霊能者のAさんから、「あと二、三年は苦しまれるでしょうね」と言われたことは覚えていますが、私の場合は、「二、三年」ではすまなかったように思います。二、三年であろうが四、五年であろうが、失われた命が返ってこない来ない以上、絶望しかないわけで、生きていくのもつくづくいやになっていました。「時が癒してくれる」などのような言葉には、嫌悪感しか感じませんでした。

 そのような33年前の私の姿は、いまのあなたと大きな違いがあります。あなたは、仏教や神道はともかく、すでにシルバー・バーチを学んでおられます。あなたが知りたいこと、――最愛の奥様のこと、将来の奥様との再会への展望、死後の世界のことなど、十分にシルバー・バーチから教えてもらうことができます。私の場合は、死後の世界のことなど何もわからず、何年にもわたって数十人の霊能者といわれるような人々に会っても、まだ納得できず、結局、7年も経ったあと、ロンドンの大英心霊協会でアン・ターナーの協力やシルバー・バーチの著作を読むことによって初めて心の底から納得し、生き返ることができました。長い間、深い山中に迷い込んで、下山する道を見いだせず、一人で悩み続けていたようなものです。

 あなたの場合は、いわば、ご自分でシルバー・バーチのような類まれな道案内人をみつけられました。あとは安心して、その道案内人に従っていけばよいのではないでしょうか。間違いなく無事に下山できますし、やがて光に照らされた大道を安らかな気持ちで歩くことになるでしょう。この信頼できる道案内人がいるのといないのとでは大きな違いです。通常は、道案内人と称する人々から不当な金銭を要求されるようなこともありますし、未熟な道案内で、下山できずに迷い続けることもあります。ただ、いろいろと迷い続けることにもそれなりの意味はあるのかもしれません。迷い続けているうちに、真実の「道案内」とはどういうものか、少しずつでもわかってくるからです。

 繰り返しになりますが、悲しみの果てに何があるかもわからず悩み続けるのと、いまは悲しくとも、学びを深めて霊的真理が理解できれば、やがては穏やかなこころの平安に至ることを知っているのとでは、大きな違いです。私がよく「知らないことは恐ろしい」というのも、私自身が霊的真理のようなものは何も知らず、近寄ろうともしなかったために、何年も苦しみから抜け出せなかったからです。だから、大切なことは、正しい道案内人を見つけて、安心して従うことでしょう。それまでは、いろいろと、道案内人の素質や言っていることが本当に正しいのかどうか、疑ってかかることがあってもかまわないかもしれません。疑っても疑っても、十分に批判に耐え、光り輝いてくるのが真理です。

 シルバー・バーチも、どんな高位霊のことばであっても、「理性が納得しなければ拒絶せよ」と言っています。そして、これはもうご承知のことと思いますが、シルバー・バーチは、愛する家族が亡くなったのを「悲しむのは間違っている」、とも言いました。私は、1月1日の随想にも書きましたが、妻と子を亡くして何年も経ったころ、優れた霊能者のA師から、「喜んでください」と言われたこともあります。狭いこの世的な視野で捉えれば、このような言葉は極めて非情に響きますが、しかし、永遠の生命の尺度で捉え直せば、このような言葉にも、真実の重みと救いがあります。あなたが、希望に満ちたこれからの生活を送っていくためにも、このようなことばを理解され、生と死の真理を、さらに奥深く学び続けていかれることを心からお祈りしています。




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   野に咲く花のような笑顔を偲びつつ      (2017.01.10)


 冒頭、このHPにたどり着いていなければ、もっと迷い、もっと苦しんだと思います。ですので、これからも、暗闇を歩く人たちへ、一条の光でお導き下さい。

 非常にご多忙の中、そして、過去のメールにて交信されていることをつぶさに読めば答えが得られるであろうと思い、ずっとメールをお送りするのを躊躇っていましたが、この先に機会が閉じられてしまう可能性もあると思い、往信メールをお送りさせて頂きます。日本列島の「へそ」にあたる湖国に住むM.Kと申します。昨年、7月にうつ病だった妻を46歳(私は55歳)で亡くし、苦しみの中、ここへ辿り着きました。

 妻は十数年前より免疫系の難病を患い、年中微熱が出るような状況で家にいるようになり、そのことでパニック障害やうつ病などを併発しました。妻の家庭は両親の関係に冷えたものがあり、そんな子供時代があったからか、常々「人は幸せになるために生まれてきたんやで」と言い、人一倍、幸せになることを望んでいました。そのような妻ですが、自分の幸せよりも常に周囲に気を配り、自分のことは後回しにするような性格で、誰からも好かれ、野に咲く花のような笑顔は誰からも愛され、僕にとっても何物にも代えがたい存在でした。

 妻の母とは双子のような親子で、実家の近さもあり、常に連絡を取ったり、行き来したりしながら、結婚後も互いに励ましあいながら生きていたのですが、性格や体質も非常に似ていて、同時期にうつ病に罹患され、同じ病院通っていました。6月に僕が仕事へ出た後に一人で家にいるのが不安だということで、実家へ戻り、両親と生活を送っていたのですが、7月の実家のお母さんがうつで自死され、そのお葬式を出した翌々日、ほんの少し目を離した間に、同じ行為に及び、後を追うように逝ってしまいました。

 お母さんのショックも冷めやらぬうちの出来事だけに、気が狂わんばかりの数日と後を追うかと考えたりする日々を過ごした後、武本先生と同じような体験、生きる屍のような数日を過ごした後、あまりの苦しさを脱する模索として、哲学や仏教・神道・キリスト教・スピリチュアル関連・心理学等の本を乱読し、そのどれもに決定的な救いがない中で、「魂は永遠に生き続ける」という自身が最も得たいキーワードで探し歩き、シルバーバーチの霊訓を経て、先生の講演集・HPにたどり着きました。

 シルバーバーチの言葉にあるように、「魂というものはその奥底まで揺すぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえ繋げない状況下」をまさしく経験し、誰にすがっても、どこへ行って何をしても苦しさの渦が深くなるばかりでしたが、その中で、生きていたころの妻がよく言っていた「人間は死んだら終わりやないねんで」「この世は魂の修行やからどんなに苦しくても行きなあかんねんで」という言葉を思い出し、 いま、なんとか霊について、魂について先生のHPなどから必死に学んでいる所です。

 「信じる」よりも確信的な「知る」という、無知から既知へと自らを推し進めて行きたいと願っているのですが、心の未熟さもあって、独居(子供がいない夫婦でしたので)、悲しみや生きることの虚しさに心が占められていて、「より良く生きる」ということ、自らが神性を発揮して、魂を高めていくということがなかなか実行できず、この先20年ほどの人生をどう前向きに生きていけるのか、魂の永遠性も含めて確信が持てずにいます。

 愛する妻に一日も早く会いたい。いや、先生の言葉を借りれば、「自分で自分の愛する家族を取り戻す」ということの真理に本当に目覚めることをせねばならないのですが、やはり毎日僕の目に触れていた妻の姿が家のどこにも、庭先にも、一緒に出かけたどの場所にもいないという現実の悲しみから抜け出せずに苦しんでいます。せめて、共に過ごした楽しかった思い出や、霊的にも素晴らしい人だった妻と今世で共に暮らしたという喜び、そして、愛し合っていたのであれば(いま、彼女がどう思ってくれているかも不安です)また必ず再会できるという確かな期待を持てれば、この先の人生を一人きりでも頑張って生きられるのにと思う所です。

 ミーディアムのような人たちを介して会話できれば、確信が得られるのでしょうが、実際的には「魂の喜び」が得られるような他利の生き方、小我から大我の生き方を実践していくことが本来の生き方なのでしょう。ただ、そこへ没頭できるだけの、愛する妻との繋がり、今も愛が繋がっているという確信だけが、今の僕の望みですが、どうすればよいのか、ご教授賜れば幸いです。




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   新年のご挨拶にお礼申し上げます  (2017.01.02)


 昨日の元旦には、このホームページを読んでくださっている方々から、いろいろな新年のメールをいただきました。海外を含めて、国内各地からお送りくださったメールに対して、衷心よりお礼を申し上げます。

 私は、新年のご挨拶のなかで、「このホームページで果たす役割は、ほぼ終えつつあるのではないかと思ったりもしています」と書きましたが、これに対しても、いろいろとお心遣いのおことばを頂戴して恐縮しております。有難うございます。

 メールをお送りいただいた方々に、重ねて厚くお礼申し上げます。




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   明けまして おめでとうございます   (2017.01.01)


 このホームページも今年の3月で、開設14年目を迎えようとしています。開設の頃を振り返ってみますと、「死後の生」とか「生まれ変わり」なども、その当時は、いまよりは珍しく、新鮮に受け止められていたような気がします。このH.P.宛のメールも、ほとんど毎日のように届けられて、お返事を差し上げるのにも忙しい思いをしていました。

 13年が過ぎた現在は、霊的真理に関する本も書店に沢山並ぶようになり、霊能者たちがテレビ番組にも当たり前のように登場するようになって、霊とか霊界の存在も、かなり「普通に」感じられるようになってきたのではないでしょうか。「普通に」感じるのと霊的真理を受け入れる「魂の準備が整う」のとの間には、距離はありますが、「死後の生」や「生まれ変わり」についての情報が以前よりは広く行き渡っているのはいいことだと思われます。

 一方、この地球上の環境問題や、世界の政治情勢、人々の貧富の格差増大などは、改善されるどころか、むしろ悪化の一途を辿っているように思えてなりません。私たちが、本来は霊的存在であることを想起して、モノから心への転換を図らねばならないのではないかという思いで、新春はじめの「随想」に「私たちはなぜ生まれてきたか」を書きました。お読みいただければ幸いです。

 いつの間にか、このホームページも、皆様からのアプローチが約67万5千回になって新年を迎えました。ホームページとしては特に多い方ではありませんが、私にとっては、決して少ない数字ではありません。そして、少ない数字なりに、私は自分のこのホームページで果たす役割は、ほぼ終えつつあるのではないかと思ったりもしています。この機会に、改めて、このホームページに付き合ってきて下さった国内外の読者の皆様に厚くお礼を申し上げます。

 新しい年のはじめにあたり、どうか今年も佳い年でありますように、皆様のご健勝とご多幸をこころからお祈り申しあげます。




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  生まれる前から自分で決めている人生     (2016.12.29)


 A. K. 様

 再度のメールを拝見しました。私たちは何度も生まれ変わっては、霊性の向上のためにこの世で様々な経験を積み重ねます。これはシルバー・バーチやラムサのような高位霊のみならず、多くの霊能者からも言われてきたことで、現在では、例えばアメリカのマイアミ大学医学部精神科教授であったブライアン・ワイス博士などにより退行催眠の形で実証されています。

 あなたがメールに書かれているように、私たちがこの世に生まれてきてどのような人生をたどるかは、生まれる前から自分で決めているようです。人はそれぞれに霊的な進歩の度合いが違いますから、進んだ強い魂は、人並み以上の困難な課題に取り組むことを選んでいくのかもしれません。

 イギリスの優れた霊能者ゴードン・スミスは、「この世に来る前、ある時点で私達の意識は地上界で起こることを選択することになっている。その際、重篤な病気、ハンディキャップ、未熟児死亡、あるいは愛する人を失うなどのように、自らすすんで困難や試練を選ぶこともある。自分に近しい人を失くす事は心臓がやぶれるほどの経験であろう。恐ろしい歴史的な事件に巻き込まれたり、想像を越えた悲しみを選択するスピリットもいる」などと述べています。(『なぜ悪いことがおこってしまうのか』p.202)

 このような転生に際しての大切な真実を、私たちは生まれた瞬間に意識の奥深くへ閉じ込めてしまいます。それもおそらく私たちの学びのためには必要なことなのでしょう。カンニングをしないで試験勉強に集中しなければならないのと同じです。生命の永遠の流れの中で、私たちがこの世に生きていく意味を知り、霊的真理の学びを深めていくことで、あるいは、これからのあなたの「クリスマス」からもさみしさが薄れていくこともあるのかもしれません。霊界の娘さんへの「無条件の愛」のためにも、あなたのご研鑽をお祈りしています。




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  困難な障害を体験するために生まれる      (2016.12.29)


 武本昌三様、

 
思いがけずご返答をいただきありがとうございました。私のようなものに貴重なお時間を割いていただき心のこもったメールを頂戴しましたこと、深謝いたします。

 
これもひとつの学びであることは頭ではわかるのですが、娘のいないクリスマスはまた一段とさみしいものでした。私もミディアムを通して娘と「話」をしたことが数度あります。娘と私はこの世に出てくる前に契約(約束)をしていたそうで娘の霊魂はこの困難な障害を体験してみたかったのだそうです。なんとつらい人生を選んだことでしょうか。

 私の役目はそれを受け入れ無条件の愛を与えることだったらしいです。娘に私は約束を守れたのか聞きましたところ守ったとのことでした。(親としてわが子に愛を与えるのは当たり前とも言えますが、、、)それを聞いて少しは心が休まりました。考えてみると早く逝ってしまうことで私や周りの人に霊的な目覚めを娘は与えてくれたようです。この贈り物を無駄にしないように学んで行かなければと改めて思います。

 
娘を亡くして以来身近な愛する人を失って悲しみとともに生きている人がどれほど多いか知りました。武本様をはじめ勇気ある方々に励まされる思いで残る人生に光を見つけて武本様のようにともしびとなれるように生きていきたいと思っています。寒いなかどうかご自愛くださいませ。ご返答を頂戴しましたこと、再度お礼申し上げます。

 A. K.




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  永遠の霊的巡礼の旅のなかで学ぶ       (2016.12.23)


  A. K.

 メールを拝見しました。愛する家族を亡くされて深い悲しみの中におられる方にお返事を差し上げるのは、私にとっても容易なことではありません。しかし、あなたの場合は、亡くなられた娘さんからも「サイン」が届き始めて、死後の世界を確信をもって学ばれていることを知って、私も救われたような気持になっています。

 世の中には、いろいろと、楽しいこと嬉しいこともありますが、耐え難い悲しみや苦しみ、絶望的な悩みや不安に打ちひしがれることも決して少なくはありません。しかし、おそらくそれらの辛い体験は、永遠の生命のこの世への輪廻転生のなかでは、私たちの霊性向上のために学ぶべき教材のようなもので、それを理解し、乗り越えていくことに意味があるのでしょう。この世の瞬間的な短い時間だけでは捉えきれないことでも、生命の永遠の視野から見れば、悲しみは悲しみではなくなり、不幸は不幸でないことも理解されていくのだと思われます。

 私の知人で映画会社ディレクターのTさんは、ご自分が優れた霊能者であるだけに、ご自分の過去世のことをいろいろと思い出すことができます。ヨーロッパの前世で家族を殺され、復讐に出かけて返り討ちにされたこともありましたし、比較的近いアメリカの前世では、牧場の水飲み場を共同で作るために仲間と積み立てていた金を使い込んだという嫌疑をかけられ、憤慨して自殺したこともあったそうです。何度も無数に繰り返していく輪廻転生のなかでは、誰にでも、そのような体験はあるのではないでしょうか。

 みんなそれぞれにさまざまな体験を積み重ねながら、私たちは永遠の霊的巡礼の旅を続けます。旅の途中で転んだり、風雨に打たれたり、事故にあったり、時には病気で寝込んでしまうようなことがあっても、そのことで私たちは「不幸」になるのではないはずです。そこから何かを学んで霊的に成長していくことが求められているわけですから、やはり、永遠の尺度でものをみることが、何よりも大切なことなのでしょう。あなたのこれからの学びが、あなたの娘さんへの供養になるばかりでなく、あなたのまわりの多くの人々にも、この世に生きていく意味を考えるうえで活かされていくことを、こころからお祈りしています。




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  悲しい体験を活かしていくために    (2016.12.22)


 武本 昌三様

 初めまして、A.K.と申します。何かに導かれて武本様のホームページにたどりつき拝読させていただいております。このように想像を絶する深い苦難ののちに学ばれたことを、惜しげもなく公開されている武本様の強さに感服致しました。

 私自身は3年ほど前に自死のため子供を亡くしました。双極性障害による病死と言っても良いと思います。もともと死後の世界は信じておりましたが 亡くなった娘からもサインが届きだし、確信を持って学びはじめました。苦しんだ娘のためにも何かを始めなければと模索しブログなどを立ち上げようかと迷うなか、武本様のサイトを拝見して、ますます自分の経験も公開することで役にたつことがあるのではないかと思えるようになりました。まだまだ勉強が足りませんが、重い腰をあげて少しずつその方向で進めて行こうと考えております。背中を押していただきありがとうございます。

 このような素晴らしいサイトを立ち上げていただき、霊界の知識を広く知らしめてくださっていることを深謝いたします。寒いおりどうぞご自愛くださいませ。簡単ではございますがお礼まで、

 A. K.



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    ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔45〕   (2016.12.09)


 炭鉱の監督: ”お前はどうして石炭袋を一度に一個しか運ばないんだ。
           ほかの工夫たちはみんな2個ずつ運んでいるではないか。”

 炭鉱夫:    ”それはですね、他の工夫たちはみんな怠け者で、
           私のように2回も往復したくないからですよ。”


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 Mine Foreman: "How come you're carrying only one bag of coal at a time, while the other workers are carring two?"

 Mine Worker: "Oh, that's because the others are too lazy to make two trips, like I do."





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   生と死の真実について学びを深める     (2016.11.23)


 F. S. 様

 メールを有難うございました。文面をなつかしく辿りながら、あの頃の授業のことなどを思い出しています。

 私はあの「比較文化論」の授業では、世界にはいろいろな文化があり、ものの見方、考え方も国により、地域によってそれぞれに異なること、そしてその違いの意味を、みなさんの生き方に活かしていただくために、一生懸命に、理解し知ってもらおうとしていました。日本で正しいと思われていることも、外国ではしばしば間違いである。外国で人間の長所と考えられていることも、日本では、短所と思われることが決して少なくはない。自分の悩みも、本当は喜びなのかもしれない。だから、狭い視野で自分を捉えて、一方的な思い込みの中で自分を束縛し、閉じ込めてしまってはならないのだ、というようなことを皆さんに訴えようとしていたと思います。

 あなたは、当時の学習ノートの中で、「真実は何かを知るために、私はこれからも学び続けて、その幸せを表現できるようになりたいと思う」と書いてくれています。やはり、真実を知らないということは弱く、知っていることは強いと思います。世の中には、知らないでいるための悩みや苦しみが、あまりにも多いからです。例えば、日本社会ではいまも陰湿な差別の対象になっている部落民の問題があります。島崎藤村の『破戒』で知られているように、日本では、いわゆる「部落民」は、ほとんど人間扱いをされてきませんでしたが、その「部落民」は、ヨーロッパでは、誰よりも頼られ、尊ばれ、社会的にも、しばしば名誉と地位と富の象徴的存在でした。日本では米屋さんは大切にされるように、肉食のヨーロッパでは、肉屋さんが大切にされるのは、当たり前のことなのです。イギリスのヨーク大聖堂の門前通りには、その一等地にずらりと肉屋さんが並んでいますが、私はその通りを歩きながら、つくづくと、稲作文化に潜む偏見と無知の恐ろしさを考えさせられたことがありました。

 真実を知らないでいると、私たちは往々にして、幸せを不幸と勘違いし、間違ったことでも正しいと思い込んだりします。幸せに生きるというのは誰もが望むことですが、私たちは、様々な体験を重ねながら学びを深めることによって、やがて世の中には、実は、幸せも不幸もないのであって、あるのは、幸せだと思っている人と、不幸だと思っている人がいるだけだというようなこともわかってくるのかもしれません。生きるにしても働くにしても、全く同じ条件を与えられていても、不平だらけの人と満ち足りている人とがいることでも、このことはわかります。私たちはこの世の悩みや苦しみを、わざわざ自分で選んでこの世に生まれてきました。だから克服できない悩みや苦しみは、あなたにもおそらくないのでしょう。あなたがメールに書いておられるような「何度も辛い、もう先に進めない」と思われた困難な問題も、あなたが自分の能力と霊性を高めるために自分で選んだ大切な教材だからです。

 さらに、私たちが学ぶべき大切な真実は、生と死の真実だと思います。私たちは、偶然にこの世に生まれて、運がよければ幸せに、悪ければ不幸になる、などと考えがちですが、一人残らず誰にでも、この世に生まれてきた意味があります。私たちは、単なる偶然で、自分の意志などには関係なく、この世に生まれてきたのではないでしょう。私は、あの「比較文化論」の授業でも、あなたや私がこの世に生まれてくる確率は、生物学的にみても数十億分の一よりも小さく、宝くじを買って毎年一億円の賞金があたり続ける確率よりもはるかに小さいのではないかと言ったりしました。あなたも書かれているように、偶然が重なると必然になります。しかし、本来、偶然というものはなく、宇宙の摂理からみれば必然があるだけです。だから私たちは、みんな必然としてこの世に生まれてきました。必然だからこそ、一人一人には生まれてきた意味があるということになります。それが「生」の真実で、それはもう一つの大きな「死」の真実と裏腹になっているといっていいでしょう。

 生と死は裏腹の関係ですから、生きることは死ぬこと、死ぬことは生きることだ、といえると思います。ただ、「生」が、いわば半分、目に見える世界であるのに対して、「死」は全く見えない世界です。見えない世界であるだけに、死については、いろいろと迷信があり、虚説があり、見えないことに付け入る悪徳商法もあります。目に見える世界しか信じようとしない人たちからの誹謗中傷もあります。それだけ、死については、特に、学ぶことも容易ではないのかもしれません。しかし、この生と死の真実は、宇宙の摂理と直接につながり、私たちの生き方を根本的に支えてくれている何よりも大切な真実と思われます。なぜそう思うようになったかは、私はさまざまに本にも書いてきました。そしていまの私は、その「生と死の真実」を多くの方々と共に学んでいくために、このようなホームページで発信を続けるようにもなりました。それをあなたも度々読んでくださっているようで、大変うれしく思います。

 これからも、どうぞお元気であなたの学びを続けていってください。あなたのような教え子がいたことは、私にとっても幸せです。有難うございます。これからのご健勝をこころからお祈りしています。




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   与えられた苦難は自分の成長のため     (2016.11.22)


 武本昌三 先生

 こんにちは。私は1997年に跡見短大に入学し、武本先生の比較文化論の授業を受けておりました F.S と申します。生活芸術科のB組でした。突然のメールを失礼致します。

 跡見を卒業後、先生の授業を何度も思い出し、自分が書いたノートを読み返しては、ホームページを何度も拝見させて頂いております。先生に感謝の気持ちを伝えたく、メールさせて頂きました。あれから19年経った今も、先生の授業の真剣な空気、先生の真剣な表情や学生の熱心な横顔を鮮明に思い出す事が出来るのは、それだけ先生の授業が今も心に響く、真の授業だったからと思います。

 先生のホームページを何度も拝見させて頂き、授業では知らなかった先生の苦悩を知り、とても胸が詰まりました。先生の言葉一つ一つを胸に刻み、今も沢山学ばせて頂いております。私は大学受験で失敗し、跡見に入学したのですが、入学してすぐに校風が合わない気がしたり、やりたい勉強が出来ていないと思い、もう一度大学受験をする為、跡見を退学しようと思っておりました。その為、様々な授業を出たり出なかったりしておりました。

 跡見を退学して別の大学を受験したいと両親に相談したところ、猛反対され、しかし自分でそれを押し切って退学する勇気もなく、この先どうしたら良いかわからぬまま時を過ごしておりました。その様な時に、武本先生の比較文化論を受講させて頂き、先生の授業がとにかく楽しく、先生の言葉一つ一つが温かく、こんなに心からの授業を受けた事は初めてだ、と授業に魅了され、先生の授業を受けると自然と涙が出る日もありました。

 先生は授業で、偶然×偶然×偶然……は必然だと教えて頂いた事があり、私がこうして跡見に入学し、先生の授業に出会えたことは偶然ではなく必然なのだと思いました。何かの縁があって入学した学校だからちゃんと卒業しよう、と決意しました。卒業後は百貨店で働き、今に至るまで様々な出来事がありました。何度も辛い、もう先に進めない、と思った時は比較文化論で自分の書いたノートを読み返し、先生のホームページを拝見させて頂き、また頑張ろうと励まされました。先生の授業で頂いたプリントや自分の書いたノートは1枚も捨てず、今でも大切にしております。また、私が当時授業で書いたノートの一部が先生のホームページに載っていたのに気付き、とても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。

 現在は神奈川県に住み、主婦をしておりますが、子供がまだ授からず、年齢も30代後半の為不安ですが、先生に授業で教えて頂いた、苦難は神様からのギフト、という言葉を胸に、これからも学び、真実を知り、与えられた苦難は自分の成長の為であると思いながら生きて生きます。いつか願いが叶い、子供が出来たなら、先生に教えて頂いた事を子供に伝えていきたいと思います。跡見に入学し、先生の授業を受けることが出来た事を本当に心から感謝しております。本当に、ありがとうございます。正直、ありがとうございますという一言では言い表せません。大切な事を教えて頂き、本当に心から感謝しております。

 突然のメール、失礼致しました。寒くなってまいりましたが、どうぞお身体を大切に、温かくしてお過ごし下さいませ。

 F. S.



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   ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔44〕   (2016.11.11)


 のんきな子:「うちのおじいちゃんの作った案山子はね、あんまり怖い姿をしているものだから、カラスは一羽残らず逃げてしまったんだ」

  もっとのんきな子:「そんなの、大したことではないよ。僕の作った案山子なんか、それを見たカラスが恐れおののいて、前の年に盗んだ穀物を返しに来たくらいだよ」


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 Dopey: ”My grampa made a scarecrow so terrible that it frightened every single crow off the place.”

Dopier: ”You think that's something? I made one that scared 'em so much they brought back the corn they stole last year!"





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    偶然がすべて必然であることを知る    (2016.11.04)


 Y. W. 様

 重ねてメールをいただき有難うございます。私の授業に出ておられたというYさんのことや、潔典と東京外大で会われたというTさんのことも、あなたからお伺いして、懐かしい気がしています。小樽商大に勤めていた頃には、私も小樽のいくつかの居酒屋に何度も足を運んだことがあります。特に、雪の季節には雪に半分埋もれてしまったような居酒屋で、大学の仲間たちと窓に降る雪を眺めながら熱燗の地酒を飲んでいたことなど、昨日のことのように思い出されます。

 小樽商大に勤め始めた頃、私は緑町の商大官舎に住んでいました。商大通りから旭展望台へ行く途中の小林多喜二記念碑のあたりは、潔典とよく散歩に出かけたところです。小樽の街は古い歴史があるだけに情緒があって、私にとっては、そしておそらく潔典にとっても、忘れられない思い出の街です。

 後に私は札幌へ移りましたので、潔典は、札幌の高校から東京外大へ進みました。気持ちの優しい明るい子でしたから、まわりのみんなから好かれ、東京外大時代の数人の同級生は、事件後33年を経た今も、潔典を偲んで毎年のようにわが家を訪れてくれています。霊界の潔典は、そのことも知っているようですが、外大で逢ったTさんのことも、小樽の縁で、覚えているかもしれません。あなたやYさんを含めて、みんな不思議な細い縁の糸で繋がっていますね。偶然というのはないといいますから、多分、何らかの必然であったのでしょう。

 偶然が必然であることを知るためには、おそらく、視野を大きく広げて、大自然の摂理あるいは霊界の視点からものを見る必要があるように思われます。霊界では誰でも例外なく霊能者ですから、潔典も時空を超えた霊能力でこの世の私を導いてくれているようです。ちょっと不思議な話ですが、例えば、ロンドンに住んでいたころ、私をアン・ターナーという卓越した霊能者に引き合わせてくれたのも霊界の潔典でした。私は大英心霊協会へ行ったとき、偶然に彼女と出会ったと思っていました。しかし後にそれは、潔典がアン・ターナーの指導霊を通じて働きかけた結果であることがわかりました。

 私が『天国からの手紙』にも書きましたように、アン・ターナーはその後長年にわたって、2010年8月に彼女が亡くなるまで潔典との文通の仲介者になってくれましたが、私が彼女に逢ったのは偶然ではなく、必然であったわけです。そのような「必然」が私にはいくつもあります。アン・ターナーは、亡くなってからも霊界で潔典と逢った時の様子を伝えてくれています。大自然の摂理の中では、私たちは逢うべき時には逢い、別れるべき時には別れているということになるのかもしれません。

 あなたが私のホームページも読んでくださっているようで、ついアン・ターナーと潔典のことなど個人的なことにも触れてしまいました。ご判読いただければありがたく存じます。小樽の天狗山にもそろそろ雪が積もり始める頃でしょうか、どうぞご自愛ください。ご健勝をお祈り申し上げます。




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     偶然の邂逅で知った不思議な縁     (2016.11.04)


 武本昌三先生

 おはようございます。先日は、ご丁寧なメールの返信をいただきありがとうございました。また、先生の近況、さらにはHPを通じて先生の発信されている内容に、一層共感を持たせていただけていることに対して、心から感謝申し上げる次第です。

 前回のメールで先生と私との「他生の縁」を仲介してくださったYさん。昨夜本当の偶然で、Yさんと出会った居酒屋にて再会いたしました。お聞きしてみると、Yさんは、先生がまだお若い頃に小樽商大で先生の英語の授業を受けていたとのこと。前回も聞いていたのかも知れませんが、改めて、そういう縁ということもあるのだなぁと、嬉しく思いました。

 そして、さらに驚いたこと。私と幼稚園から高校まで同じ学校に通っていた東京在住の T.さんという女性がいます。たまたま土曜日に高校の同窓会があり、はるばる札幌経由で、昨日小樽に立ち寄ってくれたのですが、そのYさんとお会いした席にて、本当に驚く話を彼女から聞きました。それは、彼女が先生の息子さん潔典さんと、東京外大で同学年であり、実際に話をしたことがあったということです。彼女はペルシャ語学科だったので、潔典さんとはそれ以来お会いする機会はなかったそうですが、当時、潔典さんと話をしたことが深く印象に残っていて、その後、アメリカから帰国する途中に事故に遭われて命を失ったことを、とても悲しく思っていたそうです。

 不思議なご縁といいましょうか、偶然が偶然を呼び、ひょっとすると潔典さんがまるで近くにいるような感じを受けた昨夜の出来事でした。そんなご縁も、武本先生のことを私が口にした瞬間から繋がっているのだとすれば、ある意味、奇跡のような出来事だと感じ、改めてお礼させていただきたく、ご一報させていただきました。

 小樽は既にダウンジャケットを羽織らなければ過ごせない寒さとなっております。東京も、冬の寒さが厳しくなる時期だと思いますが、お元気にお過ごしくださいませ。本当に、ありがとうございます。

 Y. W.


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   ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔43〕   (2016.10.07)


 「われわれの居たところは本当に寒かったんだよ」
とその北極探検家は自慢げに言った。
 「ローソクの火も凍ってしまって、吹き消すこともできなかったんだ。」

 「それぐらい何でもないさ」
と相手の探検家が言い返した。
 「われわれの居たところでは、しゃべった言葉が氷の粒になって飛び出してきて、それらをフライパンで温めて溶かさなければ、何を話し合っていたのか分からなかったぐらいだった。」


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   “It was so cold where we were,” boasted the Arctic explorer, “that the candle froze and we couldn't blow it out.”

   “That's nothing,” said his rival.
  “Where we were the words came out of your mouths in pieces of ice, and we had to fry them to see what we were talking about.”





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   輪廻転生のなかでの学びと邂逅      (2016.09.24)


 Y. W. 様

 メールを有難うございました。お名前だけはかすかに記憶に残っているような気がして、懐かしく、読み返したりしています。たまたま、あなたが在学しておられた年には、私は短期大学部の講義も受け持っていましたが、その翌年の夏には、フルブライト上級研究員として渡米しています。それが私の運命の転換点になりました。今月1日の私のH.P.「寸感・短信」欄、「今年も巡ってきた『9月1日』」にも書いてありますように、1983年の9月1日に、家族が事件に巻き込まれ、私はノース・カロライナ州立大学の講義を中断して帰国しました。夢も希望も失った私は、その後、小樽商大も退職して東京へ移っています。もう、あれから、33年も経ってしまいました。

 いま考えると、私は家族があの事件に巻き込まれるようなことがなかったら、小樽商大の教授を最後まで勤めながら、宇宙の摂理や霊界の真実などというようなものにはまったく無縁の、無知な生活を続けていたかもしれません。その後、事件の真相究明運動を数年続けたあと、苦し紛れに、客員教授として一年間、ロンドン大学へ出向くことになりますが、このロンドン生活の中で、私は、初めて霊的真理に接し、立ち直るきっかけを掴むようになりました。これも、いま考えると、大きな天の摂理の中で、私にとって必要なことが起こるべくして起こったような気がいたします。

 先日の、9月3日の「メール交歓」欄で、私は「袖触れ合うも他生の縁」という諺に触れていますが、あなたのメールを拝見していて、あなたともいろいろな「他生の縁」で結ばれているのではないかと思ったりしています。「他生」は、もちろん前世のことですが、私たちは、輪廻転生を繰り返しているうちに、どこかで何度も、逢ったり別れたりしているのだと思います。あなたも、昨年2月と9月の大手術を体験されて、それを無事に生き延び、神があなたに、「どのような役割をお与えになったのだろう」と、深く考えられるようになりました。長い輪廻転生のなかで、あなたにとっても、今生は、天の摂理と光に近づいていくための貴重な学びを体験されているのかもしれません。

 あなたの「マガジン・ハウス」のために書かれた文章も写真とともに、懐かしく拝見しました。私は事件のあとは、誰にも会うことなく一人で閉じこもっていました。家族のことをいろいろとニュースやテレビで取り上げられ、いたたまれないような気持ちで、小樽を立ち去りましたが、それでも、優秀な小樽商大の学生たちと長年接していたことは、小樽や札幌や北海道の風景とともに、いまも忘れられない思い出です。あなたからも、こうして、メールをいただいたことを、改めてありがたく思っています。どうか、これからも、お元気で、人生を明るく生きていくための学びを続けていかれますように。ご健勝を、こころからお祈り申し上げます。




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   神は私にどのような役割をお与えになったのか   (2016.09.23)


 武本昌三先生

 おはようございます。私、1981(昭和56)年から1年間、小樽商大・短期大学部にて、先生の講義を楽しみにさせていただいておりました Y. W. と申します。突然のメール、何卒、お許しいただきたいと思います。

 札幌西高を卒業した後の進路を考えることができず、取りあえずという気持ちで札幌から通学した小樽商大の夜間授業。その中でも、武本先生の講義が、いつも楽しく、楽しみにしていたことは、未だにその1年間での想い出となっております。今、まさにアメリカで繰り広げられている大統領選挙がどのように進められるのかを題材にした講義だと記憶しておりますが、先生の流暢な英語、そして、現実社会をテーマにした講義は、大変心に染み入っておりました。

 しかしながら、「取りあえず」という気持ちで進学した「商学」には馴染めず、その後、北海学園大学・法学部に進学し、法律の世界の面白さを知り、現在国家公務員として小樽に住みながら札幌にて働いております。就職後、北海道内各地と東京とを転勤で行き来する生活を送っておりましたが、今現在、何のご縁か、小樽に住んでおります。先生の奥様と息子様が大韓航空機事故に巻き込まれたというニュースを聞いたとき、胸が張り裂けるような思いで、先生がどのような悲しみの中に過ごされているのか、実は、その後も案じておりました。

 私の息子(双子の次男)が昨年、小樽商科大学を卒業し、地元の信用金庫に就職。その息子と、小樽で私が馴染みとなっている居酒屋にて近況などを聞いているときに、偶然、隣席の男性に声をかけられました。その方(Yさん)も小樽商大を卒業され、本州にて会社経営をしていたのだが、会社経営の一線を退き、今年、小樽に移住してこられたとお聞きしました。Yさんと息子と3人で、小樽商大の話題をしていたときに、私は「英語の武本先生が、現在どのような状況にあるのか、とても気になっている」旨、お話したところ、その後、Yさんが、武本先生のこのホームページの存在を調べて私に教えてくださいました。

 先生のお書きになっている内容を拝読させていただき、先生が当時の悲しみから、輪廻転生の世界を語っていることに驚きました。私自身、札幌西高在学中から「倫理社会」「世界史」には特に関心があり、様々な新興宗教を含めて、宗教や文化史、哲学をライフワークとして学んできていたところです。高校時代から、「人はなぜ生きるのか」「生きなければならないのか」を模索し、学んでいるうちに、「輪廻転生」を繰り返すのだとすれば、今できる努力を惜しまずしておけば、必ずや次の転生後には、もっとよい人生を歩むことができるのではないかという考えに辿り着き、実際にその考えの下、今日まで生きてきました。

 昨年の1月、偶然、心臓の僧坊弁という弁が閉鎖不全を起こしていることが見つかり、その上、ちょうどその真上の冠動脈に奇形があることも発見され、2月、9月と2回に分けての手術を行い、今日に至っております。最初の手術はとても大きなもので、他の病院から医師が手伝いに来て対応していただきました。万が一、手術が成功しなければという不安とともに、もし成功して生き続けるのだとすれば、神は私に、どのような役割をお与えになったのだろうと深く思考する日々が続きました。

 今回、Yさんとの偶然との出会いによって、先生の消息、そしてお元気であることを知り、これも何かのご縁なのかと思い、とりとめない内容ですが、先生に講義をいただいたことのお礼、そして何より、自分自身が今まで考えてきたことの裏付けのようなものを教示いただけたことに対してのお礼をいたしたく、ここにメールさせていただきました。公務員であることから無報酬ですが、北海道のことを多くの方に知ってもらうべく、マガジンハウスさんの依頼を受けて、文章を書いておりましたが、3年ほどお休みしておりました。

http://dacapo.magazineworld.jp/tags/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%B9%B8%E5%AE%8F/

 何か、先生から文章を書くための力をいただいたようにも思っております。今後も、何卒、健やかにお過ごしくださいませ。すっかり秋めいてきた小樽の街から、失礼いたします。

 Y. W.



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   ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔42〕   (2016.09.07)


  一人の男が列車から飛び出してきて、プラットフォームに立っている男の子に駆け寄ってきた。

  「ここではほんのちょっとしか停車しないんでね」と、その男は言った。
  「この25セント玉であそこの軽食堂へ行って、サンドイッチを買ってきてくれないかな。もう一つ、25セント玉をあげるから、これで君もサンドイッチを買いなさい」

  男の子は買いに行ったが、なかなか帰ってこないので、男はいらいらしてきた。

  列車の出発を知らせる車掌が、「ご乗車ください!」と叫び始めたとき、男の子はやっと軽食堂から飛び出してきて、男の所へ走って来た。

  「この25セント玉一つは返すよ、サンドイッチはボクの分一つしか残っていなかったんだ」と男の子は言った。

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  A man rushed off a train and ran up to a little boy standing on the platform.

 "We've only got a short stop here," he said.
 "Here's a quarter. Go in that lunchroom and get me a sandwich, will you? And here's another quarter. Get a sandwich for yourself, too."

  The boy was gone so long the man began to get nervous.

    Just as the conductor hollered ”All Aboard ” the kid dashed out of the lunchroom and ran over to the man.

 ”Here's your quarter,” he said. ”They only had one sandwich.”




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    悲しみには意味があることを学ぶ     (2016.09.03)


 K.A. 様

 メールを拝見しました。「新樹の通信」の検索から始まって、私の『天国からの手紙』もお読みいただき有難うございます。

 この本を入手されたのが、「9月1日」の翌日であったそうですが、33年前のあの頃は、本にも書きましたように私は悲嘆のどん底に沈んでいました。あなたも書いておられるように、人生にはいろいろと悲しいことがありますね。ただ、悲しみには意味があります。このホームページの「今年も巡ってきた『9月1日』」でも触れましたが、私は長い年月を経て、そのことが私なりにわかるようになりました。

 あなたからのメールを読み返しながら、私はふと、「袖触れ合うも他生の縁」という日本のことわざを思い出していました。これはもちろん、「この世に住んでいる無数の人々は、生涯会うことがない場合が多いが、その中でほんの少し袖が触れ合ったという程のささいな関係でも、考えてみると前世からの因縁である」という意味だと思いますが、『新樹の通信』も『天国からの手紙』もあなたと私の「袖の触れ合い」なのかもしれません。

 どうぞお元気でお過ごしくださいますように。「お返事などはお気遣いなく」ということですが、ひと言、メールをいただいたお礼のみを申し上げます。



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    一気に読んだ『天国からの手紙』      2016.09.03


 武本昌三さま

 初めてメールさせていただきます。先月「新樹の通信」を検索していて武本さんのホームページに行き着きました。お名前を知ったのもそのときです。

 わたしは、2003年、21歳のときに、バイクの事故で中学校の同級生(同じく21歳)を亡くしました。自損事故で一瞬のことだったようです。彼はわたしにとって特別な人です。出会ってから今日まで忘れた日はありません。自分の半身がなくなったような痛みがあり、悲嘆に暮れ何年も過ごしました。なぜ、この人が死んでしまい、なぜ自分は生き残ったのか、と思う日々でした。

 彼が亡くなった後、今思えば不思議な出来事が起こっていました。詳細をお読みいただくのは申し訳ないので控えますが、わたしは東日本大震災のときに、命拾いしました。あのときに死んでいてもおかしくはなかったのです。その後、2012年に父が心不全で急逝しました。父が亡くなった直後に行ったハワイで、出会った友人から『新樹の通信』を読んでみれば、と言われたのを思い出し検索したのです。もう4年も前のことなのに、急に思い出したのです。

 武本さんのホームページでいろいろと拝見して、ふと思い立ち、一昨日『天国からの手紙』をAmazonで注文したのです。前から読んでみたかったので心待ちにして、郵便受けに何度も確認しに行きました。夕方近くになってようやく届き、その本を持ってお気に入りのカフェへと急ぎました。夜、予定があったのですが、どうしてもすぐに静かなところで読もう、読まなければ、と感じたのです。1ページ目をめくって、ようやく、昨日9月1日が、事件から33年目の日であったことに気づきました。全身に鳥肌が立ちました。

 なぜ、このタイミングでこの本が届いたのだろう? 何かのメッセージであろう、と思わずにいられないほど印象的でした。夜中までかかりましたが、一気に読みました。今、『天国からの手紙』にたどり着いたこと、この出会いがとても嬉しいです。どんなにか大変だったろうと想像を絶しますが、武本さんがご自身の経験を書いてくださったこと、文字にして、本にしてくださったこと、感謝を伝えたいと想いメールをさせていただきました。ご家族との愛に心があたたまりました。本当にありがとうございました。

 このようなメールをたくさん受け取られていることと思いますので、お返事などはお気遣いなく、どうぞお体を大事に、お元気でお過ごしくださいませ。これからもホームページの更新を楽しみにしております。

 K. A.



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   ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔41〕    (2016.07.30) 


 ある女性が法的な問題を解決してくれた高名の弁護士に向かって
大げさに言った。

 「本当に感謝に堪えません!
 どうしたらこの気持ちを先生にお伝えできるでしょうか?」

 弁護士は答えて言った。
 「奥様、むかしフェニキア人がお金というものを発明しました。それ以来、感謝の気持ちを表すにはどうすればよいか決まっています。」



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  "How can I ever show my appreciation?"
 gushed a woman to a famous lawyer,
 after he had solved her legal troubles.

 "Madam," he replied,
 "ever since the Phoenicians invented money

 there's only one answer to that question."



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   優しさと思いやりのこころを遺して     (2016.07.08)
    ― K.K.さんの逝去を悼む ―


 K.K.さんが昨日、7月7日にがんで亡くなりました。このホームページを開設したのは、2003年3月でしたが、その時に現在のようなデザインでホームページの体裁を整えてくれたのが彼女でした。その時以来、項目や内容が増えていくにつれて、その対応で彼女に引き続き世話になってきました。このホームページが今日まで続けてこれたのも、彼女の懇切丁寧な助力があったからです。

 K.K.さんは、今年の春、末期がんと診断されました。自宅で療養することを決めて病院から退院してからも、時々メールを送ってくれていましたが、6月12日にいただいたメールの一部にはつぎのように書かれています。

 ――いつも、ありがとうございます。
 身体はしんどいですが、心は軽やかで清々しく、穏やかで幸せな日々を過ごしております。
 これも、先生のご家族をはじめ、周りの方々、見えない存在に支えていただいているからこそです。
 いま、お墓の問題等、私の死後の準備を色々進めております。
 不思議ですが、すべてのことが、スムーズに進んでいます。
 すべてのことに感謝して楽しく生活しています。どうぞ、ご安心ください。
 いつも、温かく見守ってくださってありがとうございます・・・・・

 このメールが最後になりました。昨日、K.K.さんの訃報に接して、今更のように彼女のあたたかいお人柄を偲んでいます。K.K.さんは、溢れるような優しさと思いやりの心を周りの人たちに与え続けてきました。この世での彼女の60年の生涯は、世間の眼から見ると或いは幸薄く映ったかも知れませんが、彼女のような人こそ、天に多くの宝を積むことができた幸せな人といえるのではないかと思ったりしています。

 私が講演会などでお世話になった八王子市の溝口祭典「こすもす斎場」で、明日、7月9日夜にはお通夜があって、翌10日昼には告別式が行われます。

 K.K.さんのご冥福をこころからお祈り申し上げたいと思います。








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